首長外交
BSフジ【プライムニュース】(7/29)で、
『舛添要一都知事に問う 首長外交と日韓の行方 東京五輪へ首都改造は』と題して議論していたんですが、
その中で、舛添都知事がイラついて喋った部分・・・●中谷議員に都市外交を批判されたこと ●「地下鉄技術無償提供」についてメール質問への回答部分を記録しました(舛添氏の発言以外はやや要約)
舛添氏の言葉の端々に、批判されたら倍返し攻撃しそうな性格が垣間見えます。
(全体像はダイジェスト動画 か、2週間後にテキストが番組HPにUPされるのをご覧ください。)
(訪韓成果を披露した後・・)
反町氏「・・足を引っ張るつもりはないが、昨日中谷元さんが番組でこんな事を言っていた。(パネル読み上げ)
この都市外交・自治体外交と国政の外交の線引きの議論は、昨日のこの番組でも出たが、舛添さんはその部分を凄く気を使っているのは分かるが、こういう言葉が与党ないしは政府の一部から出てくる事に関してどうか?」
舛添氏「いやもう都市外交に尽きてますからね、まぁこう一般的には仰っしゃられる訳です。しかし(ニヤリ)官邸に行って、総理と話して、、(なるほど)
やってる事はっ、外務省より内閣総理大臣の方が上じゃないですかっ(なるほど)そんな事を仰るんだったら、ね、日韓議連の常任幹事長やってるけど日韓議連なにしてたんですか。国会議員何してたんですか(なるほど) 大臣何してたんですか(うん)お答えくださいって????ですね。」
島田アナ「今回の訪韓は手ごたえありで、今後の影響も出てくる?」
舛添氏「だから一例、典型的、向こうの社説が(朴大統領も少し折れたらどうかと)変わってきた。」
番組最後の視聴者からの質問のコーナーの発言
島田アナ「こちら、東京の方です。先日訪韓の際、ソウル市に無償で東京の地下鉄技術を提供するとの約束をしてきたとの報道がありました。これは本当でしょうか?」
舛添氏「まっったくウソです。(あっうそ?はい(笑):島田) 協定書は全部マスコミに出してありますから(はい) あのー、きちんとそれ読んでください。(なるほど)
だ~れがそういう、、(ねぇ)あのー、だからね、もうメディアの責任は大~きいんですよ。もうちょっとしっかりしてほしいですね、記者の皆さんも。(地下鉄の話は、この間事故があったが)
そうではなくってっ!要するに安全対策ですよ。どちらも事故がある訳です。しかし、今のテロ、恐らく北朝鮮からテロリストが地下鉄に入ったって時の訓練は向こうの方が出来てますよ。(なるほど) うち、そんな訓練してない(まっそうですね) サリンの事件あったけども。そうでしょ。だからそういうところから向こうで学びましょうと。だから地下鉄の安全についてお互いに研究しようって事が何でそういう(指差して)報道になるんですかっ。(研究だったんですね:島田)」以上
この部分だけじゃなくて始終、批判や質問に対して答える態度が上から目線で、カンジ悪っと思いました。
「オマエらに何が分かるっ」と言いたげなのが伝わってきちゃうんだなぁ・・(;一一)
で、舛添さんの功績?もフェアにみないといけないので、訪韓報告を見ると・・・
【舛添都知事日記】首都同士の交流・協力で日韓関係改善へ! 18年ぶりのソウル市公式訪問を終えて
新たな交流への第一歩
7月23日から25日まで、ソウル特別市の朴元淳(パク・ウォンスン)市長の招待で、韓国を訪問した。姉妹友好都市でありながら、18年もの間、都知事の公式訪問がなかったこと自体が、異常であったと言えよう。4月に公式訪問した北京市の場合も、同じく18年ぶりであった。近隣の友好都市と定期的な交流を行うことは、当然の義務である。
23日、ソウルに到着すると、すぐに同市庁舎前の合同焼香所に行き、セウォル号沈没の犠牲者を悼んで焼香し、献花した。東京都民を代表して、心からの哀悼の意を表明した。その後、市庁舎で、朴市長と会談した。執務室には、自然が好きな市長らしく植物の苗床のようなものがあり、また書類も雑然と並べられていて、植物学者の研究室のような趣であった。
東京都とソウル市が、これから様々な分野で協力していくことで意見が一致し、「東京都とソウル特別市の交流・協力に関わる合意書」に調印した。具体的には、(1)都市の安全・安心対策、(2)環境対策、(3)福祉保健対策、(4)オリンピック・パラリンピック、スポーツ交流、(5)産業・観光交流、(6)文化交流の6項目をあげた。そして、この目的を達するために、定期的に相互訪問・協議と職員の相互交流もおこなうことにした。
これによって、18年間の異常な関係が終わり、2つの首都の間で、新たな交流への第一歩を踏み出した。調印式の後、伝統的な様式の三清閣というレストランで、歓迎の晩餐会が開かれた。自然に囲まれた静かな佇まいの建物で、韓国料理をいただき、楽しい時を過ごすことができた。来年には、ソウル市長の東京訪問を実現させたいと思っている。
24日は、午前中にソウル歴史博物館を訪ねた。短時間であったが、館長の案内で、ソウルの歴史を振り返ることができた。江戸東京博物館、北京の首都博物館とソウル歴史博物館は緊密な協力関係にあり、毎年、回り持ちでシンポジウムを開いている。これからも、一層、連携を強化することで一致した。
その後、市内を視察していると、「動く観光案内所」に出会った。これは、赤い制服と赤い帽子の二人一組が、外国人観光客に、英語、中国語、日本語などで観光案内のサービスをするシステムで、親切にガイドをしてくれる。困っていると、向こうから声をかけてくれる。2020年のオリンピック・パラリンピック大会までには、同じようなおもてなしの仕組みを作りたいと思っている。また、いたる所にデジタルサイネージがあるし、Wi-Fiも無料でつながる。このような点も参考にしたいと思う。デジタルサイネージについては、まずは都庁舎に導入することを指示した。
歴史認識の重要性を繰り返した朴大統領市内視察の後、国会に向かい、鄭義和(チョン・ウィファ)議長と会談した。議長もまた、両国関係の改善への意欲を示されたし、同席した韓日議連に所属する議員たちも同じ意見であった。議連の皆さんといっしょに昼食をとったが、社会副総理に任命された会長の黄祐呂(ファン・ウヨ)氏も、わざわざ挨拶に来られた。彼らの地道な努力が実るように、私もまた日韓関係の好転のために尽力したいと思っている。
午後は、京畿道に行き、南景弼(ナム・ギョンピル)知事と会談した。知事は、防災、規制緩和などに興味を示されたので、この分野をはじめ多くの問題について、協力することで一致した。水原にある道庁に設けられた合同焼香所でも献花した。
その後、修学旅行で多くの犠牲者が出た檀園(タヌォン)高校のある安山市に移動し、犠牲者の遺影が飾られた合同焼香所で献花し、都民も韓国民と悲しみを共有すると述べ、心からのお悔やみを申し上げた。事故から、ちょうど100日であった。
25日、朝、散歩をかねて、再生された清渓川を見た。ソウル市民にたいへん好評だということである。現在、再開発されている渋谷で、渋谷川を再生させようという試みが進んでいるが、それよりも遙かに大規模な成功例が、この清渓川である。東京でも、中小河川を甦らせることができないか、検討を開始している。
11時から、青瓦台で朴槿惠(パク・クネ)大統領と会談した。40分間にわたって会談したが、終始穏やかな雰囲気であった。大統領は、自治体外交、草の根交流の推進を高く評価しており、今後とも様々なチャンネルで交流を進めることを期待する旨を述べられた。
私から大統領に対して、安倍総理から託された関係改善への意欲をお伝えしたが、大統領は、歴史認識の重要性を繰り返し、従軍慰安婦問題にも触れられた。そのいわば持論は堅持しつつも、大統領には両国関係改善への願いが強いことを、会談の雰囲気から読み取ることができた。
今回の私の訪韓が、少しでも日韓関係の改善に資すればよいと思っている。
日韓親善・交流をガンガンやる気マンマンですね。この番組内でも、東京都が姉妹都市である北京市とソウル市と18年間、交流がなかった事を、増田寛也元総務大臣とともに批判を繰り返していました。
「都市外交でお互いに人事交流していったら誤解が解けていく。日本では韓国はとんでもない嫌な国だと・・でも行けばみんな大歓迎。だから皆で少しずつやっていきましょうと。
(18年ぶりの北京市・ソウル市訪問に関して)今まで蔑称で言われていて「来てて下さいと言えるか?相手の気持ちを考えなければいけないし、基本的な礼儀に欠けていた」
「三国人」「シナ人」の事ですかね!?^^; それ差別用語じゃないし、それだけで交流しなかった訳はない。何故18年間交流しなかったか? もっともっと深い意味があると思いますけどね。
だって距離をとってきたから東京都は順調だったじゃん。そして官邸との意思疎通については・・
「日中・日韓関係の改善は、安倍総理とはしっかりと話をして、『行ってくれ』と口頭で頼まれた。親書なんか持って行っていない。」
と言うことでした。朴さんにペコペコしすぎという批判に関しては・・
「パク・クネ大統領は安倍総理の前でしかめっ面だったが、私達はカメラの前でにこやかに握手した。頭下げすぎという人がいるが相手が背が低かったら目線は下がるし、まして相手は大統領だ。」
まぁ始終、「安倍総理の外交政策に沿って・・」「安倍総理の外交の足を引っ張ってはいけない」と言っていたので、それだけは立場を弁えてキッチリ守って頂きたい
あと、オリンピック招致は前知事・前々知事の功績なんだから、あまりケナしてばかりもどうかと思いました。自分に対しての批判に対してはもう少し謙虚な気持ちも必要かなと。
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《舛添都知事の実父「舛添彌次郎」ハングル広告と、朴一氏が語る「野田政権下での慰安婦解決策」 【新報道2001】 》より抜粋
舛添要一氏「歴史には色んな側面がある。福岡の炭鉱の話で、強制連行で働かされた人もいるが、自分の意思で来て自由にやっていた。
当時は、選挙権も被選挙権も、在日台湾人・朝鮮人もあった。東京にはパクシュンキンという衆議院議員もいた。福岡には市会議員とかもいっぱいいた。その事を韓国人は全く知らない。
父(民政党・舛添弥次郎)が若松市の選挙の時・・何故ハングルのルビが振ってあるかというと、彼らに選挙権があったから。当時はハングルで書いても有効だったし、朝鮮人の票が欲しかったから。
八幡製鉄所の記録を見ても、同じ給料で仲良くやってる。昔の作品「火の橋」を見てもそういう場面がいっぱい出てくる。
現実の資料に基づいて日韓の歴史を謙虚にみていくことがスタートだと思う。
それにしても・・どれだけ功績をアピールされても、全く信用できないのは何故??(苦笑)
もやもや感の残る議論でした・・・💦
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