韓服の日
NHK-BS【ワールドニュースアジア】(2/18)シンガポールCNAで、
旧正月特集?で、韓服(ハンボク)を取り上げていたので記録しました(青字はナレーション)
民族衣装というのはどの国も素敵だけど、韓国の民族衣装の変遷はちょっと激しすぎますね。
今日は比較的どーでもいい話題です
アナ「女性のチマチョゴリなど韓国の伝統的な衣装を総称して韓服(ハンボク)と言います。旧正月にハンボクを着る人も少なくなったこの頃ですが、今の時代にハンボクを復活させようとチャレンジしている人達がいるようです。」
およそ百年程前まで韓国ではハンボクは日常に着るものでしたが、この頃は結婚式やお正月位にしか着なくなりました。ハンボクを扱う店を経営するキム・ミンジさんは、この35年でハンボクの需要は大幅に減少したと語っています。キムさんです。
「私が店を始めた頃は、結婚式には新婦と双方の両親に、春夏秋冬4着ずつハンボクを贈ったものでしたが、この頃は新郎新婦にだけハンボクを用意するようになりました。ハンボクは着方が複雑で、着心地もあまり良くないとお正月ですらあまり見かけなくなりました。」
100年以上の歴史があるソウルのクワンジャン市場にもかつてはたくさんあったハンボクの専門店は需要の減少とともに次々と店を畳み、今は全盛期の半分程になってしまいました。
しかし、キムさん達は諦めていません。ハンボクの伝統的な要素を残しながら簡単に着る事ができてしかも着心地の良い、新しいハンボク作りに挑戦しています。
「男性の場合、一番面倒くさいのはズボンの裾を足首の所で縛る事なので、新しいハンボクでは予めチャックとボタンを付け、簡単に着られるようにしました。またウエストサイズも調節できます。」
もちろん、今でも美しいハンボクには多くのファンがいます。
「ハンボクを着るとなんだか優しい気持ちになります。良き妻賢い母親になったような気がして家族も喜んでくれます。」
また、子供に5万円もするようなシルクのハンボクをあつらえる親達もいます。
「ヨーロッパ製の生地で作ったハンボクはとても人気があります。自分の子供には一際可愛く目立ってほしいですから。」
公共機関もハンボクの着用を奨励しています。例えば朝鮮王朝の宮殿やその他の公共の建物はハンボクを着ていると無料で入場でき、更に96年政府は「韓服の日」を制定しました。
キムさんのようなハンボク専門の仕立て屋さんも、決してハンボクが過去の遺物にはならないと信じています。以上
シンガポールの放送局が何故、韓国の民族衣装を特集したかというのはさて置き、民族衣装はどの国も大事にして欲しいですね。
日本人もこの時代に着物を着なくなってきているけど、普段は着なくても、要所要所で着れば良いと思います。
で、韓服の話に戻って・・ナイロンやポリエステルのはなんだかなぁと思っていたけど、シルクも着るようになったんですね(・・;)
韓国では最近、伝統的な韓服をフォーマルな場所で着用することが目立つようになった。しかしその素材はナイロン・ポリエステルなど光沢系の、近代的な化学繊維が使われることもある。
100年前・・確かに韓国は、藁葺き屋根&白衣の韓服だらけでした。
100年以上の歴史があるソウルのクワンジャン市場もきっと藁葺き屋根群の中だったと思いますよ
【韓国の100年前】韓国の教科書と実際の100年前の首都ソウルの様子を比較してみよう。
あと、韓服の変遷を少し紹介
中世から近代へ[編集]
モンゴルの影響でチョゴリが短くなり腰の帯が消えて、オッコルム(服の結び紐)ができた。特に李氏朝鮮時代には華奢な上体と豊満な下体が美しいとされ、チョゴリの身丈は急速に短くなり、チマは長く幅広くなった。朝鮮王朝の後期から高句麗以前の韓服の影響で短い身丈のチョゴリと狭い幅の袖が流行になった。
19世紀にはチョゴリの身丈が極端に短くなったために胸を覆い切れなくなる上、服を下級階層で、男児を生んだ女性は授乳のため胸を露出するようになった。儒学者・朝廷·貴族からの批判を呼ぶことになり、のちに日韓併合期に下級階層の已生育女性が乳房を露出する事を禁止されたことに加えた。[要出典]近代以降女性の社会活動が始まった事もあって、1930年代頃からチョゴリの身丈が長くなり始めた。
現在一般に見られるチマチョゴリは原色を使い派手な物が多い。しかし、朝鮮民族が「白衣民族」を自称してきたように、昔は朝廷による庶民に対する色付きの服の着用の制限もあって、普通白い服を着用し、その白さを保つことと、より白くすることに非常にこだわっていた。
その一方で高麗、李氏朝鮮の朝廷は時々、白衣が喪服の色であることを理由に禁令を出すこともあった。ただし女性のチマはこの限りでは無く、少女と未婚女性および花嫁は赤いチマ、既婚女性や中年女性は藍色のチマ、老女はあさぎ色や灰色のチマを着用することもあった。生成りの漂白されていないチマとチョゴリは主に未亡人や喪中の女性が着用した。
オーストラリアの写真家ジョージ・ロス(1861年 - 1942年)の写真やイギリスの女性旅行家イザベラ・バードの『朝鮮紀行』などが示しているが、韓国の衣服は白色が主流であった。日韓併合にむけて日本との交流が活発になってから色物が流行し、政府も白色は不経済であるとして黒紺などの濃色を使うよう奨励した[1]。薄鼠色・薄緑色・薄茶色が好まれ、黒紺などの濃色は好まれなかった。柄物は希で、大多数は無地を好んだという。 現在韓国で着用されている韓服は男性は両班風のもの、女性は宮女風、キーセン風、両班の子女風のものが目立つ。
黒巾青袍を着用した興宣大院君の肖像画 |
バジ |
マゴジャ |
歴史的衣装[編集]
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日本がカンボクを派手派手にしちゃったんですよね。ただし、柄物は非常に嫌っていたようですが
《【韓流】 韓国ドラマの歴史観解説④ (ファン・ジニ 編)》 より
・・この衣装を見ても分かるように毎回毎回ファッションショーのように美しいチマ・チョゴリがもうドンドンドンドン出てきて、それは色鮮やかで、この髪、キーセン(妓生)の髪はこう片っ方に寄せた独特の髪型なんですが、ここにこの髪飾りをたくさん付ける。それがまた見事な装飾品。
それから後ろの屏風?ですかね、まったキレーでそれはもう文化の高さっていうのを打ち出してるんです。でも、残念ながらこれがまた、新しい歴史の作り方。
自分達の古い朝鮮が、李氏朝鮮がどんなに文化が高かったかを、そのテレビドラマとしてその描こうという、そういう主張のドラマなんですよ。
ハングルもそうですが、このファン・ジニさんもこの柄物のチマ・チョゴリですねぇ、これはまっっったく史実じゃない。
日本がその朝鮮を開国させて貿易をするまで、その朝鮮のお洋服には色が無かったんです。つまり、全体として貧しかったので染料を買えない。なので朝鮮半島の人たちは基本的には白いモノを着てたんです。つまり染めない色を着ていたんですね。
もちろん貴族階級は、色物を着る事が出来た。輸入品の生地、あるいは中国から輸入した生地。それからその染料も輸入して染めた話もあるんですけれども、
そのまずその一般大衆は真っ白だし、そのキーセンは最下級の人達なので、そんなに贅沢な格好はさせてもらえなかった。あのー、昔の絵を見れば分かるんですね。
もう1つね、問題は朝鮮の人・李氏朝鮮の人は柄物は着なかった。何故か。
柄物を着るのは日本人だ。ウェノムって言うんですよ。あの倭の奴隷と書いて悪口でウェノム(倭奴)だって。
で、倭寇でね、たくさん沿岸に日本人が攻めてきたので知っているわけですよ。それから豊臣秀吉が攻めてきた事も知っているわけですよ。それで日本人は柄物着るんですよ、お洋服。着物。
で日本は本当に安土桃山時代にも、大変派手なお洋服・着物。庶民だって非常ーに派手な着物着ているのは屏風絵が残ってますんでね、京都の洛中洛外図屏風とか。だからどんな服着ていたか分かる。色を着て、柄を着て。
なので、その開国後、染料を日本から輸入して、科学染料を輸入した後で、チマ・チョゴリがパーッと派手になって、黄緑やら赤やら色んな色の染料で、あのスカートを染めたんですけれども、柄物は絶対に着なかった。キライだ、日本人みたいだから。
という史料があるんですよー。だからこれはもうねぇ、あの[E:danger]キーセンのその素晴らしいファッションショーがこれが定着しちゃうと、その朝鮮時代はこんなに文化が高くてこんなにキレイだっていうことになってしまうなぁ~。・・
韓国女性は、キーセン文化と知らずに煌びやかなチマチョゴリを着ているんでしょうかね?
韓国人は、服でも何でも、無理に美化しすぎだと思いますよ。
着物って、本当に奥深いし重厚な文化を背負ってる感じがするけど、チマチョゴリってなんか薄っぺらい気がするんですが、偏見ですかね。
おまけ 100年以上前の呉服屋
https://www.flickr.com/photos/okinawa-soba/6154259951/in/album-72157623205450864/
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