軍票
日本テレビ【news every】(6/22)で、慰安婦問題を理解する第一歩として、
現地で直接取材したり、文書を検証したり、アンケートとったりして他局より踏み込んで特集していたので記録しました(青字はナレーション)(画像が多いので3回に分けます)
まずは、『「慰安婦問題を考える」“元慰安婦”が語ったこと』 の部分。
徐々に慰安婦問題に火がついた"一番の根っこ"に迫っていきます。
それはそうと・・元慰安婦が日本が一度も謝ってないと思い込んでいるのにビックリ
女子アナ「今日は日本と韓国が国交正常化した日韓基本条約が締結されてから丁度50年の節目となります。ただ日韓関係は冷え込んでいて、安倍総理と朴槿恵大統領による首脳会談は未だに行われていません。」
小栗泉氏「今日はその最大の原因である慰安婦問題を詳しくお伝えします。慰安婦問題を巡っては対立する意見や様々な見方があります。しかしこの問題を理解する第一歩として、まずは慰安婦だったと主張する女性達が何を訴えているのか取材しました。
先月、小栗キャスターは韓国南東部の都市・大邸(テグ)へ。
(挨拶)今年87歳の李守山(イ・スサン)さん。2005年に韓国政府が日本軍の元慰安婦だと認定した女性です。李さんは16歳だった1944年に「中国の紡績工場で働かないか」と日本人の女性に誘われたと言います。しかし韓国の浦項(ポハン)を出て辿りついた先は現在の中国の牡丹江にあった日本軍の慰安所だったと話します。
イさん「この大東亜戦争が終われば家に帰れるし、お金も受け取れるが、戦争が終わるまで行き来できないと言われたの。」小栗氏「(軍人は)全員日本人ですか?中国の人とかも入っていたんでしょうか?」
イさん「日本の部隊だったけど朝鮮人で日本軍に入ってる人達も見たよ。」
小栗氏「1日に大体何人位の人の相手をさせられたんでしょうか?」
イさん「少ない日でも20人は来ていた」
これは今のミャンマーで撮影された(中国人)慰安婦の映像。慰安婦は日本兵に性的なサービスを提供する為集められました。
慰安所の解説が記録に残っているのは1930年代から。当時の軍の文書にはその目的がこう記されています。
"各地で日本軍人の強姦事件が全般に伝播し、深刻な反日感情を醸成しているという。性的慰安の設備を整え、禁を犯す者がないようにするのが緊急に必要" (歩兵第9旅団・陣中日誌・支那事変の経験より観たる軍紀振作対策)
占領した土地での日本兵による強姦事件を防止する為だとしています。
また、兵士が現地の女性と接触して軍の機密が漏れる事や兵士が性病にかかるのを防ぐ目的もありました。
慰安所は一体どんな場所だったのでしょうか。中国の武漢にあったという慰安所の跡を訪ねました。赤レンガの屋根が連なる一帯が慰安所が密集していた地区です。当時武漢で最も規模の大きい慰安所があったといいます。
記者「コチラ両端細い路地の両脇に慰安所の部屋が並んでいたという事なんですけれども、えー古いレンガが今も残っています。」
この辺りで慰安所が作られはじめたのは、1938年の日本軍による占領直後から。
司令部の軍医だった日本人男性は開設当初、30軒の慰安所に300人程の女性達が入居していたと記しています。(漢口慰安所:長沢健一著)
今ではほとんどが民家となっていて、一部の家では階段などを当時のまま使っているといいます。戦線が拡大するに伴って慰安所の数は飛躍的に増加。中国が最も多く、東南アジアなどにもありました。
慰安婦の出身地は日本、朝鮮半島、中国、そしてフィリピンなど。
慰安婦の募集は主に軍と関係のある業者が行いました。
これは陸軍省が慰安婦の募集について出した通達。(陸軍省「支受大日記」)"誘拐などで摘発される者がいると懸念を示し、募集を任せる人物の選定を適切にすること。その地域の憲兵や警察当局と連携を密にすること"
を指示しています。慰安婦になった経緯は人によって様々でした。
これは朝鮮半島で発行されていた新聞。慰安婦の募集の広告が掲載されています。
こうした募集に自ら応募したケースや、親の借金の為に身売りされた女性、更に業者などにだまされて連れて行かれたケースもあります。インドネシアの一部の地域スなどでは兵士が連れ去った例もありました。
しかし、軍が組織的に強制連行したという証拠は見つかっていません。
イさんの場合は工場で働くと騙されて連れて行かれたと言います。女衒
イさん「中国でお金をたくさん稼げる募集があるというので『何をするのですか?』と聞くと、『布を織る所だ』と。『私も行きたい』といったら(知り合いの)奥さんが『行きたいなら(友人と)一緒に行きなさい』と。
軍隊が来て強制的に連れて行ったわけではない。しかし何人もの人達が連絡を取り合って連れて行ったの」
慰安所で女性達はどのような生活を送っていたのでしょうか。
慰安所の管理・運営は主に民間の業者が行っていましたが、使用についての規定は軍が定めたケースが多いとみられています。これはそうした規定の1つ。
部隊ごとに利用日が割り振られ、営業時間は午前9時から午後6時まで。
慰安婦の出身地ごとに料金も設定されています。
ただ軍が直営した慰安所から、軍が認可した施設、民間人も利用するものまで様々な慰安所があったといわれ、生活ぶりについての見方も分かれています。
これはアメリカ軍が現在のミャンマーに置かれた日本軍の慰安所の経営者と、そこで働いていた朝鮮人慰安婦に対して行った尋問の記録。
経営者が売り上げの50~60%を得ていて、食料品などの値段を高く設定し慰安婦の生活を困窮させていたと報告されています。
一方で、慰安婦たちは金を多く持っていたので欲しいものを買うことができた。町に買い物に出ることが許されていたとも記されています。
イさんは自分が居た慰安所についてこう話します。
イさん「(建物は)中国式だった。レンガ造りではなく、小屋は木の板のようなもので建てられていた。だからあんなに寒かったんだろう。」小栗氏「そこでは1人1部屋ずつ与えられたんですか?」 イさん「1人に1部屋ずつだよ」
イさんは、兵士達から引換券のようなものを受け取ったものの金はもらえなかったと話します。
イさん「金も全くもらえずに食べ物もキビ飯を食べるしかなくて(一緒に連れてこられた)3人で逃げたの」しかしすぐに見つかって連れ戻され、朝鮮語も日本語も話せる慰安所の管理者から暴力を受けたと言います。
私達は李さんが慰安婦として生活していたという中国の牡丹江を訪ねました。しかし町の様子は様変わりし、当時の面影は残っていませんでした。今回、取材を受けた理由についてイさんは
イさん「我々に悪い事をしたのは過去の人達なんです。だから過去がどうだったか私が話さないと(あなたたちは)知る事ができないでしょう。慰安婦が強制じゃないなら何なんでしょう? どこに生かされるのか(分からず)金を稼げると紡績工場だと騙し、我々を連れて行った。わずか16.17歳の子が何が分かるんでしょうか。私が生きているうちに謝罪をしてもらいたい。」
元慰安婦の女性らや韓国側が求める謝罪をめぐっては、1993年に発表されたいわゆる河野談話があります。
日本政府として慰安婦だった女性たちに「おわびと反省」と表明したものです。
小栗氏「(過去に日本政府から)お詫びの言葉というのがあったんですけれどもそれでは足りないという事なんでしょうか。」イさん「河野談話・・個人的に謝罪したの?それはいつ?(首を何度も振り・・)」聞いていません。」「謝罪すべきです。今の安倍首相に謝罪してほしい」
イさんは日本政府が河野談話でお詫びを表明した事を知らず、とにかく今の総理に謝ってほしいとだけ繰り返しました。
当時、慰安婦がどのくらい居たのか公的な統計はありません。
韓国政府が認定した元慰安婦は238人。高齢化も進む中、今月に入って2人が亡くなり現在も生存しているのは50人となっています。
(VTR一旦終了 スタジオ)
小栗氏「私が取材したイ・スサンさんは『軍隊に強制的に連れて行かれたわけではない』と話す一方で、『慰安婦は強制だ』とも話しました。実はこの「強制」というのが慰安婦問題を考える上で重要なキーワードの1つなんです。(どういう事なんでしょうか)
はい、そもそもですね、"慰安婦問題に火がついた一番の根っこ"は若い女性が日本軍によって組織的に強制連行され慰安婦にされたという誤解が広がった事でした。・・」(つづく・・・)
この元慰安婦の李守山(イ・スサン)さんは、かなり正直な方だと思います。騙されて連れて行かれた典型的な例で、同情します。
1つだけ引っかかるったのが「引換券のようなものを受け取ったものの金はもらえなかった」という部分。多分「軍票」でしょうね。
《石破幹事長に聞く!朝日新聞「慰安婦問題」検証記事、国会招致と、韓国のメディアの反応と、問題の本質 【プライムニュース】》 より一部抜粋
アナ「で、一方でこうした物が出てきています。あのこれね、えーまぁあの朝鮮半島の新聞ですけれども、『慰安婦大募集』と、こういう形で募集をされていたんだという事は逆に分かっているという事が1つ言えると思います。
それから、じゃあ強制連行される目撃証言はあったのかという事なんですが、目撃証言についても無いという事なんですよねぇ。ですからやはりこのあたり冷静に見ていかないといけないなという感じが致しますが。
となるとですねぇ、まぁ元慰安婦の証言頼りだと。アナタどういう形で・・という証言に依らざるを得ないんですけれども、えー慰安婦の証言は曖昧であったり、あるいは証言が変わる例も少なくないんだという事なんですね。(時間も経ってますしねぇ:東尾) はい、加えてやっぱり性に関する事が故の難しさというのもやはりあるのかなと。(女性だからねぇ、・・・・:秋野)
しかし、先生はずっとこの問題をね、研究をされて取材もされているわけですが、秦先生が取材される中ではですねぇ、先ほどもありましたけれども"保護者による人身売買"を受けている可能性がある。それから事実"高収入"であったというケースもあったという事なんですけれども、、」
秦氏「ええ、まぁ大体兵隊さんの、一般兵士の数十倍位の(兵隊さんよりも?!:小椋) ええ数十倍ですね(へーーー!) (うーーー!) ビルマ方面の、、行ってた慰安婦、朝鮮人の慰安婦の自叙伝みたいのがあるんですよね。ビルマ方面軍の総司令官よりも収入が多かった。これはみんな故郷に送金していたわけですね。で、送金した郵便局の記録なんかがありますんでね、従ってその収入がどの位あったという事はね、大体分かるんですね。
ただ、そうやってですねぇ稼いだお金をですねぇ、終戦の時にこれ軍票ですから紙くずになってる。だから送金した分は大丈夫でしたけどね。だからそういう人たちはタダ働きをしたんだというですね(なるほど) 恨みの感情が、まっ残ったと。これは日本が戦争に負けたお陰なんで、これはもう全員がそうだったんですね。被害者は、、」
韓国KBSで以前やっていたんですが、韓国の高齢の人、特に女性は読み書きが出来ない人も多く、地方では小学校の特別教室で学んでいるそうです。
要は、歴史的背景・貧しさで「学がない世代」なのかも・・それも気の毒です。
それはそうと、河野談話で謝罪した事を今の今まで知らないならば、
アジア女性基金で歴代総理のお詫びの手紙(橋本さんから小泉さんまで)のお詫びの手紙の存在なんて知る由もないですねっ(唖然)
誰が邪魔していたかというと、挺対協に間違いない。日本の配慮がそれらにブロックされて、直に届いていないとしたら日韓双方に不幸な事だと思いました。
そりゃ、下村満子(元朝日論説委員・元アジア女性基金理事)も怒りまくるハズだわ
《【動画追加】秦郁彦氏と下村満子氏が語る朝日慰安婦記事問題。「モンスター化した挺対協と当事者能力のない韓国政府」 【深層NEWS】》
・・下村氏「そうです。韓国社会では名乗り出ること自体が『日本兵に身を売った』『汚い女』と親戚付き合いもできないので非常な勇気がいる。
国家賠償を強く請求しているが、それは日韓条約で終わっていて絶対に出来ないので、道義的責任として医療福祉費として500万円ほど出した。
朝日新聞はどっちかというと国家賠償を!という立場だったが、私はそんなものは成立するはずがないし、少なくても慰安婦のおばあさんが生きている間にせめて500万円を手渡したいという一心でやった。
お金だけじゃなくて、総理のお詫びの手紙(橋本さんから小泉さんまで)を渡した時に、皆さんワーーッと号泣して、『これだけで十分です』と『これを見せればお墓にも入れてもらえる』『お金よりこれだ』と言う位皆感動して、私も抱き合って泣いた。
逆に言えば、日本は真面目に一生懸命やれる範囲でやったと。
それを挺対協(慰安婦を保護して権利を代弁する団体)が『絶対に受け取るな』『受け取ったら将来国家賠償2000万円取ってやるのにオマエ達の権利はなくなる』とかもう嘘八百を、、逆に強制的に管理されていて、受け取りたくても、政府から出ている生活保護費みたいなものを全部ストップするとか。
受け取りたいという人を妨害するのはまさに人権問題ではないかと。(挺対協は)慰安婦を盾にとって、利用して、ハッキリ言っておばあちゃん達の事を全然考えていない。
このあと書き起こしは・・・吉田証言・朝日新聞・挺対協 ・水曜デモ・ アジア女性基金・朴裕河教授 ・何故世界に誤解が広がったのか・クマラスワミ報告と幻の反論文書・アメリカ議決・アメリカの教科書・日本の慰安婦問題をどうすればいいかという興味深いアンケート結果などです。暫しお待ちください。
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