角田義一
群馬の森、朝鮮人追悼碑の撤去について、青木理と畠山澄子(ピースボート)のコメントが一方的で、反日的だったので記録しました(青字はナレーション)
そもそも「碑文」の内容が論点ではなく、県との約束違反により最高裁で判断されたものを、
「極めて穏当で常識的な歴史認識の否定」「平和・友好の願いすらぶち壊した」とか「県が、敵意ある聴衆に加担する形で代執行した」とか、問題のすり替えも甚だしい(呆)
あと、朝鮮総連と関係の深い、弁護団長の角田義一の件・・
このコメンテーター達の、「朝鮮人追悼碑を設置した市民団体側が常識的で正しいという前提」が完全に間違っています。「敵意ある民衆」って良識ある日本人の事なのか
関口氏「1月29日の月曜日です。(朝鮮人追悼碑が・・)」
「・・追悼碑の撤去、および、原状回復の代執行を実施します」
群馬県高崎市の県立公園に設置されている朝鮮人労働者の追悼碑、この日撤去作業が行われました。
追悼碑は、戦時中に軍需工場や鉱山などの労働に動員され亡くなった朝鮮人を悼む目的で、市民団体が2004年に設置した物です。
しかし追悼式で「強制連行があった」という発言があり、これに別の市民団体が反発。県は追悼碑自体が論争の対象となってしまい、公園施設に相応しくないとして撤去を求めていました。群馬県の山本知事です。
山本知事「代替地の提案もやらせて頂いたんですけども、どうしてもご了承を得られなかったという事なので、代執行をさせて頂いたということに尽きると・・過去の歴史を修正しようとかいう意図もありませんし・・」
関口氏「さぁ青木さん、どうお考えでしょう?」
青木理氏「あの、この碑にね、何て書いてあったかというのを紹介させて頂きたいんです、短く。
【 先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、尊い命を失った人も少なくなかった。
私たちは、かつて朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
更に、過去を忘れず未来を見つめ新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考える。この碑に込めた私達の思いを次世代に引き継ぎ更なるアジアの平和と発展を願う】と。
こう極めて常識的というか、極めて穏当な歴史的事実に基づく相当に穏当な願いを書いてあるのに過ぎないですね。これをこう壊してしまったんですね。だからまぁこう極めて穏当で常識的な歴史認識の否定っていう風に、、山本一太知事はああ仰ってますけども、否定と捉えられてもしょうがないし、平和とか友好とかっていう願いすらぶち壊してしまったんじゃないのというような気がして僕は気がしてならない、この2024年の日本だなって(笑)気がしています思います、はい。」
関口氏「畠山さん何かありますか?」
畠山澄子氏「そうですね、青木さん仰った通り、あの碑文自体には何の問題もないと言いますか、そもそも県と協議して作られた物だったんですよね。で、この件に関わっている群馬大学の藤井正希准教授というのが数年前に話していた話で、アメリカで使われる『敵意ある聴衆の理論』っていう法理論があるんですって。これはどういう事かと言うと、正当な言論活動をしている人達がいる時に、それに敵対する人達がいるわけじゃないですか。だからと言ってそこで混乱が生じるからと言って、その元々正当な言論活動をしている人達を規制してはいけないよっていう理論だと思うんですけど、この場合はまさに本当は言論活動を守るべき県が、敵意ある聴衆に、まっ加担する形で代執行までもって行ってしまった。やっぱり問題だと思います。」
関口氏「ホントですねぇ・・」
そもそもこの追悼碑を巡っては、「政治的行事を行わない」とする設置条件に違反する行為があり、群馬県が設置期間の更新を認めず、管理する市民団体が裁判を起こしていました。
裁判は、県の判断を「適法」とした二審判決が確定。県は行政代執行での撤去作業をすると市民団体に通知し、行政代執行法第二条の規定に基づき撤去したという簡単な話。
二審までの経緯をみてみると、アチラ側の主張が論理破綻しているのがよく分かります
≪【群馬の森・朝鮮人追悼碑を巡る民事訴訟】市民団体が二審で逆転敗訴➡不許可は「問題なし」、 最高裁で群馬県の勝訴確定☆ ≫2022年06月17日そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
・・「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です。
この際それを画策していた人達と、TBSの伝え方も紹介します。まず去年の2審逆転判決から≪「群馬の森」朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟、市民団体が逆転敗訴☆&弁護団長の角田義一とは≫2021年08月27日棄却の決定を受け、山本知事は「極めて妥当な決定。今後速やかに手続きを進め、市民団体に自主的な撤去を求めたい」と述べた。とのことですが、・・設置不許可は「適法」 群馬の森追悼碑で東京高裁判決 市民団体が逆転敗訴 2021/08/27 (上毛新聞)
「群馬の森に設置されている追悼碑=26日、高崎市」「市民団体の報告集会で語る角田氏=26日、東京都」県立公園群馬の森(群馬県高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして、碑を管理する市民団体が処分取り消しなどを求めた民事訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。高橋譲裁判長は「県の更新不許可処分は適法」とし、処分を違法とした一審前橋地裁判決を取り消し、市民団体の請求を棄却した。最初の条件・約束を無視してこの言い草!開き直り・・いつものパターンですね。ちなみに、角田義一氏は、朝鮮総連と関係の深い人。
原告の市民団体は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」。追悼碑は2004年、「守る会」の前身団体が、近隣諸国や日韓、日朝の相互理解を深めることなどを目的に設置申請。「宗教的、政治的行事を行わない」との条件を付け、県が許可した。
その後、05年、06年、12年の追悼式で、出席者が「政府は強制連行の真相究明に取り組んでいない」などと計3回にわたって「強制連行」という文言を使って主義、主張を述べたため、県は14年に設置許可を更新しなかった。
判決で高橋裁判長は、建立時に県と団体が話し合い、碑文にあった「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言によって追悼碑が中立的な存在ではなくなり、「公園施設」としての前提を失ったと判断した。団体側が求めていた更新の義務付けは却下した。
判決を受け、原告側弁護団長の角田義一元参院副議長は「非常識な判決だ。徹底的に闘う」と非難し、上告する意向を示した。山本一太知事は「妥当な判決であると考えている」とのコメントを出した。
一審判決は「県の処分は妥当性を欠く」として不許可処分を取り消したが、原告が求めた更新の義務付けまでは認めず、双方が控訴していた。(落合琢磨)
◎「到底容認できぬ」「対応認められた」 憤る原告、県は評価
県立公園群馬の森(高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟。一審判決から一転、県の処分を「適法」とした26日の東京高裁の控訴審判決に、碑の存続を求めてきた市民団体で驚きと憤りが広がった。県は判決を評価し、早期撤去を求める声も勢いづく。市民団体は上告する構えで、決着は最高裁に持ち越される見通しだ。
「怒りを通り越して、あきれ果てた」。判決後、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が参院議員会館で開いた報告集会。弁護団長の角田義一元参院副議長は声を荒らげた。
同会の藤井保仁事務局長は「一審が覆るとは予想だにしなかった」とし、「歴史修正主義に国が進んでゆく。中立性が形骸化してしまっている」と高裁の判断を批判した。判決について、弁護団事務局長の下山順弁護士は「憲法に保障された表現の自由を無視している。到底容認できる内容ではない」と強調した。
一方、控訴審判決を受けて山本一太知事は・・(中略)
で、2014年に、そのトラブルの様子を詳しく報じていたので紹介します。ただし、スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・
さすがTBSってとこですが(苦笑)«一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】?»2014年07月24日アナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)(省略)
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
市民団体の集会に行き、弁護団と支援者を激励してた福島瑞穂は、最高裁で確定した以上、国会議員として、アチラに「もう悪あがきしないで撤去!」するよう説得しなさい。
とにかく!一刻も早い撤去を望みます。そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしいでしょ!
この追悼碑が撤去されても尚、パヨたちが騒いでいるけど、ゴネても無駄日本は法治国家だからね
公共の場所を使用する場合には、なん人もルール守れって話。
あと、強制連行なんて、今どきマスコミでも言わなくなり、もう週刊金曜日位しか言わないけど、
パヨさん達はいい加減、情報をアップデートしたらいつまでも虚偽を信じ込んでて、 恥ずいよ。
それはそうと、どんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。
地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有して、ドンドン意見を自治体に言っていこう!
碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな歴史改竄も許しちゃダメ
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市民団体の訴えは一審では認められましたが、二審の東京高裁では、「政治的な行事」を理由に碑の持つ中立性が失われ、公園としての効用が阻害されたので、県の処分は適法と、一審で認めた原告の主張を全て覆しました。
当時、市民団体は「ありえない不当判決」「追悼碑の持つ表現の価値を認めず」「全国へ波及する恐れ」として決起集会を
そもそも! 「群馬の森」にある「朝鮮人労働者追悼碑」は、当初の設置期限どおり、既に撤去されてる筈でした。それが訴訟問題に発展。
・・「碑を守るために闘う決意」
不当判決を覆すため、そして碑を守るため、「追悼碑を守る会」は上告する予定だ。最高裁での弁論開催と高裁への差し戻しを目指すという。
「追悼碑がブルトーザーでぶっ壊されるところを想像してごらんなさい! 日本は非常識なことを平気でやる国だと批判されるだろう。私は84歳だが、ずっと闘う。徹底的に戦おう!」(角田弁護団長)
集会に訪れた福島みずほ議員(写真上)も弁護団と支援者を激励した。
「追悼碑を守ることが過去の犠牲者への追悼と、未来の戦争への道を防ぐことになると確信して、一緒にがんばりたい。今日は決意と決起の日です」
最後に参加者一同で、運動の拡大と上告審に向けて、「団結ガンバロー!」と声をあげて集会を終えた。・・(レイバ-・ネットより)
期限の2014年、県が設置の許可を更新しない方針とした事に対し、市民団体が訴えたから。
政治的に展開させようとするのはアチラ側の常套手段。
「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です。
この際それを画策していた人達と、TBSの伝え方も紹介します。まず去年の2審逆転判決から
≪「群馬の森」朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟、市民団体が逆転敗訴☆&弁護団長の角田義一とは≫2021年08月27日棄却の決定を受け、山本知事は「極めて妥当な決定。今後速やかに手続きを進め、市民団体に自主的な撤去を求めたい」と述べた。とのことですが、・・設置不許可は「適法」 群馬の森追悼碑で東京高裁判決 市民団体が逆転敗訴 2021/08/27 (上毛新聞)
「群馬の森に設置されている追悼碑=26日、高崎市」「市民団体の報告集会で語る角田氏=26日、東京都」県立公園群馬の森(群馬県高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして、碑を管理する市民団体が処分取り消しなどを求めた民事訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。高橋譲裁判長は「県の更新不許可処分は適法」とし、処分を違法とした一審前橋地裁判決を取り消し、市民団体の請求を棄却した。最初の条件・約束を無視してこの言い草!開き直り・・いつものパターンですね。ちなみに、角田義一氏は、朝鮮総連と関係の深い人。
原告の市民団体は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」。追悼碑は2004年、「守る会」の前身団体が、近隣諸国や日韓、日朝の相互理解を深めることなどを目的に設置申請。「宗教的、政治的行事を行わない」との条件を付け、県が許可した。
その後、05年、06年、12年の追悼式で、出席者が「政府は強制連行の真相究明に取り組んでいない」などと計3回にわたって「強制連行」という文言を使って主義、主張を述べたため、県は14年に設置許可を更新しなかった。
判決で高橋裁判長は、建立時に県と団体が話し合い、碑文にあった「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言によって追悼碑が中立的な存在ではなくなり、「公園施設」としての前提を失ったと判断した。団体側が求めていた更新の義務付けは却下した。
判決を受け、原告側弁護団長の角田義一元参院副議長は「非常識な判決だ。徹底的に闘う」と非難し、上告する意向を示した。山本一太知事は「妥当な判決であると考えている」とのコメントを出した。
一審判決は「県の処分は妥当性を欠く」として不許可処分を取り消したが、原告が求めた更新の義務付けまでは認めず、双方が控訴していた。(落合琢磨)
◎「到底容認できぬ」「対応認められた」 憤る原告、県は評価
県立公園群馬の森(高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟。一審判決から一転、県の処分を「適法」とした26日の東京高裁の控訴審判決に、碑の存続を求めてきた市民団体で驚きと憤りが広がった。県は判決を評価し、早期撤去を求める声も勢いづく。市民団体は上告する構えで、決着は最高裁に持ち越される見通しだ。
「怒りを通り越して、あきれ果てた」。判決後、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が参院議員会館で開いた報告集会。弁護団長の角田義一元参院副議長は声を荒らげた。
同会の藤井保仁事務局長は「一審が覆るとは予想だにしなかった」とし、「歴史修正主義に国が進んでゆく。中立性が形骸化してしまっている」と高裁の判断を批判した。判決について、弁護団事務局長の下山順弁護士は「憲法に保障された表現の自由を無視している。到底容認できる内容ではない」と強調した。
一方、控訴審判決を受けて山本一太知事は・・(中略)
で、2014年に、そのトラブルの様子を詳しく報じていたので紹介します。ただし、スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・
さすがTBSってとこですが(苦笑)«一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】?»2014年07月24日ここまでくるとモンスタークレーマーだね。油断も隙もありゃしない!図々しいにも程があるアナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)
加藤シルビアアナ「コチラをご覧ください。今朝の新聞なんですが、こうやって1面を使ってソウル市がこんな広告を出していたんです。この方、市長さんなんですが、舛添都知事のソウル訪問を歓迎しているものなんですよねー。」朴元淳(パク・ウォンスン)
竹内明アナ「あのソウルへの親近感アップを狙った異例の広告なんですけれども、その理由はですねぇ、コチラなんですよね。
韓国を訪れる日本人観光客が激減しているのが分かりますよね。逆にですね、国のトップ同士が接近している中国からの観光客、ご覧のように急激に増えている訳なんです。国民心理というものはいかに政治的な関係に翻弄されやすいかというのが分かりますよね。」
加藤アナ「はい、国民が持つ反発の気持ち、これが憎しみに変わらないように政治家には努力してほしいですよね。」竹内アナ「そうですね。」以上
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんなもんを置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
「強制連行」なんて、アノ朴一ももう言わなくなり、今どきマスコミでも言わなくなって・・・もう週刊金曜日くらいしか言わない(呆) そりゃ、苦情もいっぱい来るでしょうよ・・どんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。
地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有して、ドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな歴史改竄も許しちゃダメ
市民団体の集会に行き、弁護団と支援者を激励してた福島瑞穂は、最高裁で確定した以上、国会議員として、アチラに「もう悪あがきしないで撤去!」するよう説得しなさい。
とにかく!一刻も早い撤去を望みます。そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしいでしょ!
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それが訴訟問題に発展したのは、期限の2014年、県が設置の許可を更新しない方針とした事に対し、
市民団体が訴えたのが始まり。
政治的に展開させようとするのはアチラ側の常套手段。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしい!
「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です
設置不許可は「適法」 群馬の森追悼碑で東京高裁判決 市民団体が逆転敗訴 2021/08/27 (上毛新聞)
「群馬の森に設置されている追悼碑=26日、高崎市」「市民団体の報告集会で語る角田氏=26日、東京都」
県立公園群馬の森(群馬県高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして、碑を管理する市民団体が処分取り消しなどを求めた民事訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。高橋譲裁判長は「県の更新不許可処分は適法」とし、処分を違法とした一審前橋地裁判決を取り消し、市民団体の請求を棄却した。最初の条件・約束を無視してこの言い草!開き直り・・いつものパターンですね。
原告の市民団体は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」。追悼碑は2004年、「守る会」の前身団体が、近隣諸国や日韓、日朝の相互理解を深めることなどを目的に設置申請。「宗教的、政治的行事を行わない」との条件を付け、県が許可した。
その後、05年、06年、12年の追悼式で、出席者が「政府は強制連行の真相究明に取り組んでいない」などと計3回にわたって「強制連行」という文言を使って主義、主張を述べたため、県は14年に設置許可を更新しなかった。
判決で高橋裁判長は、建立時に県と団体が話し合い、碑文にあった「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言によって追悼碑が中立的な存在ではなくなり、「公園施設」としての前提を失ったと判断した。団体側が求めていた更新の義務付けは却下した。
判決を受け、原告側弁護団長の角田義一元参院副議長は「非常識な判決だ。徹底的に闘う」と非難し、上告する意向を示した。山本一太知事は「妥当な判決であると考えている」とのコメントを出した。
一審判決は「県の処分は妥当性を欠く」として不許可処分を取り消したが、原告が求めた更新の義務付けまでは認めず、双方が控訴していた。(落合琢磨)
◎「到底容認できぬ」「対応認められた」 憤る原告、県は評価
県立公園群馬の森(高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟。一審判決から一転、県の処分を「適法」とした26日の東京高裁の控訴審判決に、碑の存続を求めてきた市民団体で驚きと憤りが広がった。県は判決を評価し、早期撤去を求める声も勢いづく。市民団体は上告する構えで、決着は最高裁に持ち越される見通しだ。
「怒りを通り越して、あきれ果てた」。判決後、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が参院議員会館で開いた報告集会。弁護団長の角田義一元参院副議長は声を荒らげた。
同会の藤井保仁事務局長は「一審が覆るとは予想だにしなかった」とし、「歴史修正主義に国が進んでゆく。中立性が形骸化してしまっている」と高裁の判断を批判した。判決について、弁護団事務局長の下山順弁護士は「憲法に保障された表現の自由を無視している。到底容認できる内容ではない」と強調した。
一方、控訴審判決を受けて山本一太知事はコメントを発表。判決の詳細は確認できていないとした上で、「主張の通り、県の対応が適正であったことが認められた妥当な判決であると考えている。今後とも県立公園の適切な管理、運営に努めていく」とした。
北朝鮮による日本人拉致被害者家族を支援する「救う会・群馬 群馬ボランティアの会」の大野敏雄さん(85)は、碑の前で設置許可条件に反する政治的行事がたびたび行われてきたとして2014年、県議会に許可取り消しを請願した。控訴審の行方を見守っていたといい、「本当に良かった。一刻も早く碑を撤去してほしい」と求めた。
県立公園に絡む法廷闘争はさらに長期化する見通しだが、県民の関心は高くないようだ。園内をほぼ毎日歩いているという高崎市の男性(67)は「自分の生活には関わらない問題。追悼碑の近くをよく通るが、特に気にしていなかった」と話した。(まとめ 真下達也)
◎行政の姿勢 追認は問題
千葉大の新藤宗幸名誉教授(行政学)の話 公園は娯楽やスポーツのためだけに整備されるものではない。旧建設省は、都市公園法の趣旨・目的に教養や文化水準向上が含まれると認めてきた。歴史的経緯を近隣諸国と共有するために追悼碑の設置を認めておきながら、追悼式典で「強制連行」という発言があったから政治的だとか、公園の平和を害すると言って問題視するのは、歴史に学ばない姿勢の表れだ。朝鮮半島の人々を連れてきて、劣悪な条件で労働させた事実から目を背けている。裁判所がこうした行政の姿勢を簡単に追認してしまうのは問題だ。
ちなみに、角田義一氏は、朝鮮総連と関係の深い人。
で、2014年に、そのトラブルの様子を詳しく報じていたので紹介します。
ただし、スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・さすがTBSってとこですが(苦笑)
«一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】?»2014年07月24日ここまでくるとモンスタークレーマーだね。油断も隙もありゃしない!図々しいにも程があるアナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)
加藤シルビアアナ「コチラをご覧ください。今朝の新聞なんですが、こうやって1面を使ってソウル市がこんな広告を出していたんです。この方、市長さんなんですが、舛添都知事のソウル訪問を歓迎しているものなんですよねー。」朴元淳(パク・ウォンスン)
竹内明アナ「あのソウルへの親近感アップを狙った異例の広告なんですけれども、その理由はですねぇ、コチラなんですよね。
韓国を訪れる日本人観光客が激減しているのが分かりますよね。逆にですね、国のトップ同士が接近している中国からの観光客、ご覧のように急激に増えている訳なんです。国民心理というものはいかに政治的な関係に翻弄されやすいかというのが分かりますよね。」
加藤アナ「はい、国民が持つ反発の気持ち、これが憎しみに変わらないように政治家には努力してほしいですよね。」竹内アナ「そうですね。」以上
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんなもんを置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
「強制連行」なんて、アノ朴一ももう言わなくなり、今どきマスコミでも言わなくなって・・・もう週刊金曜日くらいしか言わない(呆) そりゃ、苦情もいっぱい来るでしょうよ・・
どんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。
地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有して、ドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな歴史改竄も許しちゃダメ
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TBS【Nスタ】で、群馬県が強制連行追悼碑、設置許可認めず というニュースをやっていたので記録しました(青字はナレーション)
スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・さすがTBSだわぁ。
あと、鳥取・琴浦町の碑文に関して、モンスタークレーマーみたいな韓国人の話も紹介します。
アナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。
群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)
加藤シルビアアナ「コチラをご覧ください。今朝の新聞なんですが、こうやって1面を使ってソウル市がこんな広告を出していたんです。この方、市長さんなんですが、舛添都知事のソウル訪問を歓迎しているものなんですよねー。」朴元淳(パク・ウォンスン)
竹内明アナ「あのソウルへの親近感アップを狙った異例の広告なんですけれども、その理由はですねぇ、コチラなんですよね。
韓国を訪れる日本人観光客が激減しているのが分かりますよね。逆にですね、国のトップ同士が接近している中国からの観光客、ご覧のように急激に増えている訳なんです。国民心理というものはいかに政治的な関係に翻弄されやすいかというのが分かりますよね。」
加藤アナ「はい、国民が持つ反発の気持ち、これが憎しみに変わらないように政治家には努力してほしいですよね。」竹内アナ「そうですね。」以上
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんなもんを置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
「強制連行」なんて、アノ朴一ももう言わなくなり、今どきマスコミでも言わなくなって・・・もう週刊金曜日くらいしか言わない(呆) そりゃ、苦情もいっぱい来るでしょうよ。
ここで全然別口だけど、碑文の苦情で「歴史的事件」と民団が糾弾した例を1つ紹介します。
理不尽な話なんですよ・・2007年、江戸時代の日本人の美談に冷や水を浴びせるような出来事がありました
鳥取県の「韓国人救出記念碑」碑文に関して [編集]2007年には、鳥取県琴浦町の『韓国人救出記念碑』の表記を巡って事件が起きた。この碑は1819年に漂着した朝鮮からの船を住民が救出した出来事を記念し、両国の友好を謳って1994年に建てられたものであるが、そこには「日本海」とともに「東海」が併記されていたため、2007年3月に町民からの批判を受けて町長が「東海」の文字を削除した。この処置に対して在日本大韓民国民団(民団)が謝罪と「東海」の併記を要求し、5月には町長が民団鳥取本部を訪問、薛幸夫(ソル・ヘンブ)団長に説明不足を謝罪する事態となった。民団はさらなる謝罪と記念碑の原状回復を要求し続けており、町は「日本海」とも「東海」のどちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みた。しかし、この対応に対して今度は日本国内から抗議の声が殺到、町は外務省に判断を仰ぎ、「日本海」を単独表記した碑文に張り替えることを決定した[39]。
実は、コチラのサイト(道の駅韓国化現象・鳥取県琴浦町「日韓友好交流公園・風の丘」)にあるように、琴浦町 はそれはもう韓国化しちゃってるわけですが、それでも「東海」を削った事はGJ公安調査庁 内外情勢の回顧と展望(平成20年1月)〈「慰安婦」謝罪要求決議,竹島などの外交・領土問題で抗議活動を展開〉
鳥取県琴浦町の記念碑
・・ 韓国が「日本海の呼称は植民地時代の名残」として「東海」への変更を求めたことに反発し,在日韓国公館に抗議するなどの動きも見られた。さらに,鳥取県琴浦町が「日韓友好交流公園」内にある記念碑の説明文から「東海」の文字を削除したことが報道され(5月),復元を求める動きが出たことに対して,「韓国が主張する東海の表記は認められず,復元の必要はない」として同町役場に文書を提出したり,同町役場周辺で街宣活動などに取り組んだ。・・
で、この件、民団に言わせると・・・
<鳥取>韓日友好碑から「東海」削除 2007-05-16
琴浦町、一部住民の苦情入れ独断 民団鳥取本部が原状回復求め抗議 県にも善処を要請へ
【鳥取】江戸時代の韓日交流の史実を今日に伝える韓日友好記念碑の説明碑に刻まれていた「東海(トンヘ)」の文字が、ごく一部の県民からの苦情を受け、地元琴浦町によって削除されていたことがこのほど、わかった。事実関係を確認した民団鳥取県本部(薛幸夫団長)では15日、琴浦町に原状回復を求める抗議文を提出した。また県に対しても近く善処を要請する。
説明碑は鳥取県と琴浦町が03年、韓国江原道との交流10周年を記念して琴浦町に建てた日韓友好交流公園内にある。碑文には「記念碑は将来にわたり、日本海(東海)が日韓両国にとっての平和と交流の海であることを記念し…」とハングルと日本語で記してあった。しかし、「東海(トンヘ)という部分は不要ではないか」との指摘が昨年9月に県民からメールと電話で2件あり、町内部で協議した結果、今年3月に削除したという。
これについて琴浦町の田中満男町長は10日、民団鳥取本部を訪れ、「一緒に韓日友好公園づくりに取り組んできた民団に事前になんの相談もせずに事を進めたのは軽率だった。削除は私の判断だった。ただし、これからも日韓友好の立場に変わりはない」と弁明したという。不在の薛団長に代わって応対した金泰鎮事務局長は、「町の説明は釈然とせず、納得できるものではなかった」と話している。
金局長から報告を受けた薛団長は「日韓の相互理解を後退させる行為」と憤りを隠していない。県も「削除は町の判断」と静観しながらも、「これで韓国との交流が途絶えるのは困る」と困惑の表情を見せている。
これについて碑の文を書いた金振先江原道知事は10日、国内記者との懇談会で東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが、地域レベルで消されたのは望ましくない」「これは江原道と鳥取県の友好協力ムードにプラスにならない」と、遺憾の意を表明した。一方、鳥取県内のある小学校教員は「鳥取では小・中学生が韓国に行って交流しているというのに、足下の相互理解は思ったほど進んでいなかった。全国外国人教育研究協議会で何らかの行動提起をと呼びかけている」と話していた。
説明碑には1819年、東海を航行中の韓国商船が暴風雨に遭い、松谷海岸に漂着したのを当時の鳥取藩が救助、乗組員12人を丁重にもてなして帰国させたことを記している。説明碑は合併前の旧赤碕町がこの海が平和と友好のためにあるようにと祈り、碑とともに94年11月にポート赤碕西側に建設。琴浦町が03年8月、日韓友好公園「風の丘」に移設した。琴浦町は江原道麟蹄郡と慶尚北道蔚珍郡と交流関係をもっている。
■□
国際交流の精神踏みにじる行為 薛幸夫団長の話
お互い異なる立場で尊重しあいながら相互のズレを克服し、相手の気持ちを思いやり、共存共栄を図っていくという「国際交流」の精神を踏みにじった点。および、石碑、碑文を建立した多くの人々がいだいていた当時の温かい「友好親善」の心を踏みにじった事を思うにつけ、これは「歴史的事件」である。
さらに、誰かが個人的にそのような挙に及んだとして、そうした行為が如何に誤っているかをきちんと指摘し、糺すのが行政の立場である。
行政が先頭に立って「東海」「トンヘ」を削除するなどということは論外であり、あってはならないことである。この点を鑑みるにつけ「政治的事件」でもある。民団として琴浦町には最低限、原状回復と今後の改善策を提示するよう求めている。県には指導、監督を徹底するよう求める要請文を提出していきたい。(2007.5.16 民団新聞)
恩知らずを絵に書いたような話ですよね。助けてあげたのは日本なのに、その日本の碑文の「日本海表記」にいちゃもんつけるって・・人としてどうよ?!って話です。
しかも、「東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが」ってサラリと嘘ついてるし!
しかもしかも、ここは日本だよ!「東海」トンヘって何だよ!? 「日本海」だよ!これ、どう思います?!
こういう小さい事でも黙っていたら、えらい勢いで恫喝してきて朝鮮人の好きにされるんです!
油断も隙もありゃしない!図々しいにも程がある!
地方の人達は、こういう碑に関してこれまで以上に目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有してドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな小さな歴史改竄も許しちゃダメー!
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