碑文
群馬の森、朝鮮人追悼碑の撤去について、青木理と畠山澄子(ピースボート)のコメントが一方的で、反日的だったので記録しました(青字はナレーション)
そもそも「碑文」の内容が論点ではなく、県との約束違反により最高裁で判断されたものを、
「極めて穏当で常識的な歴史認識の否定」「平和・友好の願いすらぶち壊した」とか「県が、敵意ある聴衆に加担する形で代執行した」とか、問題のすり替えも甚だしい(呆)
あと、朝鮮総連と関係の深い、弁護団長の角田義一の件・・
このコメンテーター達の、「朝鮮人追悼碑を設置した市民団体側が常識的で正しいという前提」が完全に間違っています。「敵意ある民衆」って良識ある日本人の事なのか
関口氏「1月29日の月曜日です。(朝鮮人追悼碑が・・)」
「・・追悼碑の撤去、および、原状回復の代執行を実施します」
群馬県高崎市の県立公園に設置されている朝鮮人労働者の追悼碑、この日撤去作業が行われました。
追悼碑は、戦時中に軍需工場や鉱山などの労働に動員され亡くなった朝鮮人を悼む目的で、市民団体が2004年に設置した物です。
しかし追悼式で「強制連行があった」という発言があり、これに別の市民団体が反発。県は追悼碑自体が論争の対象となってしまい、公園施設に相応しくないとして撤去を求めていました。群馬県の山本知事です。
山本知事「代替地の提案もやらせて頂いたんですけども、どうしてもご了承を得られなかったという事なので、代執行をさせて頂いたということに尽きると・・過去の歴史を修正しようとかいう意図もありませんし・・」
関口氏「さぁ青木さん、どうお考えでしょう?」
青木理氏「あの、この碑にね、何て書いてあったかというのを紹介させて頂きたいんです、短く。
【 先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、尊い命を失った人も少なくなかった。
私たちは、かつて朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
更に、過去を忘れず未来を見つめ新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考える。この碑に込めた私達の思いを次世代に引き継ぎ更なるアジアの平和と発展を願う】と。
こう極めて常識的というか、極めて穏当な歴史的事実に基づく相当に穏当な願いを書いてあるのに過ぎないですね。これをこう壊してしまったんですね。だからまぁこう極めて穏当で常識的な歴史認識の否定っていう風に、、山本一太知事はああ仰ってますけども、否定と捉えられてもしょうがないし、平和とか友好とかっていう願いすらぶち壊してしまったんじゃないのというような気がして僕は気がしてならない、この2024年の日本だなって(笑)気がしています思います、はい。」
関口氏「畠山さん何かありますか?」
畠山澄子氏「そうですね、青木さん仰った通り、あの碑文自体には何の問題もないと言いますか、そもそも県と協議して作られた物だったんですよね。で、この件に関わっている群馬大学の藤井正希准教授というのが数年前に話していた話で、アメリカで使われる『敵意ある聴衆の理論』っていう法理論があるんですって。これはどういう事かと言うと、正当な言論活動をしている人達がいる時に、それに敵対する人達がいるわけじゃないですか。だからと言ってそこで混乱が生じるからと言って、その元々正当な言論活動をしている人達を規制してはいけないよっていう理論だと思うんですけど、この場合はまさに本当は言論活動を守るべき県が、敵意ある聴衆に、まっ加担する形で代執行までもって行ってしまった。やっぱり問題だと思います。」
関口氏「ホントですねぇ・・」
そもそもこの追悼碑を巡っては、「政治的行事を行わない」とする設置条件に違反する行為があり、群馬県が設置期間の更新を認めず、管理する市民団体が裁判を起こしていました。
裁判は、県の判断を「適法」とした二審判決が確定。県は行政代執行での撤去作業をすると市民団体に通知し、行政代執行法第二条の規定に基づき撤去したという簡単な話。
二審までの経緯をみてみると、アチラ側の主張が論理破綻しているのがよく分かります
≪【群馬の森・朝鮮人追悼碑を巡る民事訴訟】市民団体が二審で逆転敗訴➡不許可は「問題なし」、 最高裁で群馬県の勝訴確定☆ ≫2022年06月17日そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
・・「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です。
この際それを画策していた人達と、TBSの伝え方も紹介します。まず去年の2審逆転判決から≪「群馬の森」朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟、市民団体が逆転敗訴☆&弁護団長の角田義一とは≫2021年08月27日棄却の決定を受け、山本知事は「極めて妥当な決定。今後速やかに手続きを進め、市民団体に自主的な撤去を求めたい」と述べた。とのことですが、・・設置不許可は「適法」 群馬の森追悼碑で東京高裁判決 市民団体が逆転敗訴 2021/08/27 (上毛新聞)
「群馬の森に設置されている追悼碑=26日、高崎市」「市民団体の報告集会で語る角田氏=26日、東京都」県立公園群馬の森(群馬県高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして、碑を管理する市民団体が処分取り消しなどを求めた民事訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。高橋譲裁判長は「県の更新不許可処分は適法」とし、処分を違法とした一審前橋地裁判決を取り消し、市民団体の請求を棄却した。最初の条件・約束を無視してこの言い草!開き直り・・いつものパターンですね。ちなみに、角田義一氏は、朝鮮総連と関係の深い人。
原告の市民団体は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」。追悼碑は2004年、「守る会」の前身団体が、近隣諸国や日韓、日朝の相互理解を深めることなどを目的に設置申請。「宗教的、政治的行事を行わない」との条件を付け、県が許可した。
その後、05年、06年、12年の追悼式で、出席者が「政府は強制連行の真相究明に取り組んでいない」などと計3回にわたって「強制連行」という文言を使って主義、主張を述べたため、県は14年に設置許可を更新しなかった。
判決で高橋裁判長は、建立時に県と団体が話し合い、碑文にあった「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言によって追悼碑が中立的な存在ではなくなり、「公園施設」としての前提を失ったと判断した。団体側が求めていた更新の義務付けは却下した。
判決を受け、原告側弁護団長の角田義一元参院副議長は「非常識な判決だ。徹底的に闘う」と非難し、上告する意向を示した。山本一太知事は「妥当な判決であると考えている」とのコメントを出した。
一審判決は「県の処分は妥当性を欠く」として不許可処分を取り消したが、原告が求めた更新の義務付けまでは認めず、双方が控訴していた。(落合琢磨)
◎「到底容認できぬ」「対応認められた」 憤る原告、県は評価
県立公園群馬の森(高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟。一審判決から一転、県の処分を「適法」とした26日の東京高裁の控訴審判決に、碑の存続を求めてきた市民団体で驚きと憤りが広がった。県は判決を評価し、早期撤去を求める声も勢いづく。市民団体は上告する構えで、決着は最高裁に持ち越される見通しだ。
「怒りを通り越して、あきれ果てた」。判決後、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が参院議員会館で開いた報告集会。弁護団長の角田義一元参院副議長は声を荒らげた。
同会の藤井保仁事務局長は「一審が覆るとは予想だにしなかった」とし、「歴史修正主義に国が進んでゆく。中立性が形骸化してしまっている」と高裁の判断を批判した。判決について、弁護団事務局長の下山順弁護士は「憲法に保障された表現の自由を無視している。到底容認できる内容ではない」と強調した。
一方、控訴審判決を受けて山本一太知事は・・(中略)
で、2014年に、そのトラブルの様子を詳しく報じていたので紹介します。ただし、スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・
さすがTBSってとこですが(苦笑)«一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】?»2014年07月24日アナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)(省略)
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
市民団体の集会に行き、弁護団と支援者を激励してた福島瑞穂は、最高裁で確定した以上、国会議員として、アチラに「もう悪あがきしないで撤去!」するよう説得しなさい。
とにかく!一刻も早い撤去を望みます。そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしいでしょ!
この追悼碑が撤去されても尚、パヨたちが騒いでいるけど、ゴネても無駄日本は法治国家だからね
公共の場所を使用する場合には、なん人もルール守れって話。
あと、強制連行なんて、今どきマスコミでも言わなくなり、もう週刊金曜日位しか言わないけど、
パヨさん達はいい加減、情報をアップデートしたらいつまでも虚偽を信じ込んでて、 恥ずいよ。
それはそうと、どんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。
地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有して、ドンドン意見を自治体に言っていこう!
碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな歴史改竄も許しちゃダメ
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市民団体の訴えは一審では認められましたが、二審の東京高裁では、「政治的な行事」を理由に碑の持つ中立性が失われ、公園としての効用が阻害されたので、県の処分は適法と、一審で認めた原告の主張を全て覆しました。
当時、市民団体は「ありえない不当判決」「追悼碑の持つ表現の価値を認めず」「全国へ波及する恐れ」として決起集会を
そもそも! 「群馬の森」にある「朝鮮人労働者追悼碑」は、当初の設置期限どおり、既に撤去されてる筈でした。それが訴訟問題に発展。
・・「碑を守るために闘う決意」
不当判決を覆すため、そして碑を守るため、「追悼碑を守る会」は上告する予定だ。最高裁での弁論開催と高裁への差し戻しを目指すという。
「追悼碑がブルトーザーでぶっ壊されるところを想像してごらんなさい! 日本は非常識なことを平気でやる国だと批判されるだろう。私は84歳だが、ずっと闘う。徹底的に戦おう!」(角田弁護団長)
集会に訪れた福島みずほ議員(写真上)も弁護団と支援者を激励した。
「追悼碑を守ることが過去の犠牲者への追悼と、未来の戦争への道を防ぐことになると確信して、一緒にがんばりたい。今日は決意と決起の日です」
最後に参加者一同で、運動の拡大と上告審に向けて、「団結ガンバロー!」と声をあげて集会を終えた。・・(レイバ-・ネットより)
期限の2014年、県が設置の許可を更新しない方針とした事に対し、市民団体が訴えたから。
政治的に展開させようとするのはアチラ側の常套手段。
「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です。
この際それを画策していた人達と、TBSの伝え方も紹介します。まず去年の2審逆転判決から
≪「群馬の森」朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟、市民団体が逆転敗訴☆&弁護団長の角田義一とは≫2021年08月27日棄却の決定を受け、山本知事は「極めて妥当な決定。今後速やかに手続きを進め、市民団体に自主的な撤去を求めたい」と述べた。とのことですが、・・設置不許可は「適法」 群馬の森追悼碑で東京高裁判決 市民団体が逆転敗訴 2021/08/27 (上毛新聞)
「群馬の森に設置されている追悼碑=26日、高崎市」「市民団体の報告集会で語る角田氏=26日、東京都」県立公園群馬の森(群馬県高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして、碑を管理する市民団体が処分取り消しなどを求めた民事訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。高橋譲裁判長は「県の更新不許可処分は適法」とし、処分を違法とした一審前橋地裁判決を取り消し、市民団体の請求を棄却した。最初の条件・約束を無視してこの言い草!開き直り・・いつものパターンですね。ちなみに、角田義一氏は、朝鮮総連と関係の深い人。
原告の市民団体は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」。追悼碑は2004年、「守る会」の前身団体が、近隣諸国や日韓、日朝の相互理解を深めることなどを目的に設置申請。「宗教的、政治的行事を行わない」との条件を付け、県が許可した。
その後、05年、06年、12年の追悼式で、出席者が「政府は強制連行の真相究明に取り組んでいない」などと計3回にわたって「強制連行」という文言を使って主義、主張を述べたため、県は14年に設置許可を更新しなかった。
判決で高橋裁判長は、建立時に県と団体が話し合い、碑文にあった「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言によって追悼碑が中立的な存在ではなくなり、「公園施設」としての前提を失ったと判断した。団体側が求めていた更新の義務付けは却下した。
判決を受け、原告側弁護団長の角田義一元参院副議長は「非常識な判決だ。徹底的に闘う」と非難し、上告する意向を示した。山本一太知事は「妥当な判決であると考えている」とのコメントを出した。
一審判決は「県の処分は妥当性を欠く」として不許可処分を取り消したが、原告が求めた更新の義務付けまでは認めず、双方が控訴していた。(落合琢磨)
◎「到底容認できぬ」「対応認められた」 憤る原告、県は評価
県立公園群馬の森(高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟。一審判決から一転、県の処分を「適法」とした26日の東京高裁の控訴審判決に、碑の存続を求めてきた市民団体で驚きと憤りが広がった。県は判決を評価し、早期撤去を求める声も勢いづく。市民団体は上告する構えで、決着は最高裁に持ち越される見通しだ。
「怒りを通り越して、あきれ果てた」。判決後、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が参院議員会館で開いた報告集会。弁護団長の角田義一元参院副議長は声を荒らげた。
同会の藤井保仁事務局長は「一審が覆るとは予想だにしなかった」とし、「歴史修正主義に国が進んでゆく。中立性が形骸化してしまっている」と高裁の判断を批判した。判決について、弁護団事務局長の下山順弁護士は「憲法に保障された表現の自由を無視している。到底容認できる内容ではない」と強調した。
一方、控訴審判決を受けて山本一太知事は・・(中略)
で、2014年に、そのトラブルの様子を詳しく報じていたので紹介します。ただし、スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・
さすがTBSってとこですが(苦笑)«一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】?»2014年07月24日ここまでくるとモンスタークレーマーだね。油断も隙もありゃしない!図々しいにも程があるアナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)
加藤シルビアアナ「コチラをご覧ください。今朝の新聞なんですが、こうやって1面を使ってソウル市がこんな広告を出していたんです。この方、市長さんなんですが、舛添都知事のソウル訪問を歓迎しているものなんですよねー。」朴元淳(パク・ウォンスン)
竹内明アナ「あのソウルへの親近感アップを狙った異例の広告なんですけれども、その理由はですねぇ、コチラなんですよね。
韓国を訪れる日本人観光客が激減しているのが分かりますよね。逆にですね、国のトップ同士が接近している中国からの観光客、ご覧のように急激に増えている訳なんです。国民心理というものはいかに政治的な関係に翻弄されやすいかというのが分かりますよね。」
加藤アナ「はい、国民が持つ反発の気持ち、これが憎しみに変わらないように政治家には努力してほしいですよね。」竹内アナ「そうですね。」以上
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんなもんを置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
「強制連行」なんて、アノ朴一ももう言わなくなり、今どきマスコミでも言わなくなって・・・もう週刊金曜日くらいしか言わない(呆) そりゃ、苦情もいっぱい来るでしょうよ・・どんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。
地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有して、ドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな歴史改竄も許しちゃダメ
市民団体の集会に行き、弁護団と支援者を激励してた福島瑞穂は、最高裁で確定した以上、国会議員として、アチラに「もう悪あがきしないで撤去!」するよう説得しなさい。
とにかく!一刻も早い撤去を望みます。そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしいでしょ!
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当初、「旧日本軍による強制労働と虐待を批判する碑文を刻む」との申請に、市側が難色を示し調整していたため、7年かかったそうです。
慰霊碑建てるのは全然問題ないけど、許可された「碑文」も問題になりそうなので記録しました
もう1つのトンデモ慰霊碑の碑文と混同させる思惑が透けて見えます。
あと、広島の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の碑文にみる日本への恨み骨髄に徹した内容も併せて紹介。
長崎に韓国人原爆犠牲者慰霊碑 除幕式に駐日韓国大使 2021/11/6
長崎原爆で犠牲になった朝鮮半島出身者を追悼する「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が長崎市の平和公園に建立され、6日、除幕式が開かれた。碑をめぐっては、在日本大韓民国民団(民団)長崎県本部を中心にした建立委員会によって、平成26年に公園を管理する市に対し、旧日本軍による強制労働と虐待を批判する碑文を刻むとする許可申請が出されていた。
碑文は当初の申請から大きく変わった。「強制」の文言は外れ、「戦争の末期には労働者、軍人・軍属として本人の意思に反して徴用・動員される事例が増え、それまでの移住者を含め長崎県在住同胞は約7万人」とするにとどめた。建立委の姜成春委員長は「見解の相違で(市との交渉は)進展がみられなかったが、粘り強く協議を重ねた結果」とした。
除幕式や、その後の慰霊祭には韓国の姜昌一駐日大使や民団関係者らが出席。姜大使は式典後、産経新聞の取材に対し「『自己意思に反して』ということは強制でしょう」と述べ、今回の慰霊碑には「旧日本軍による強制連行が行われた」との意味が残っているとの認識を示した。
絶対に韓国側が政治利用しそうな案件。「強制連行」は捏造だと既にケリが付いてるのに、このしつこさ
歴史問題の政治利用に残る懸念 長崎の韓国人原爆犠牲者慰霊碑 2021/11/6今朝の韓国側の報道です。早速捏造しています(呆)
長崎市の平和公園で6日に除幕された「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は、設置許可の申請から完成まで約7年を要した。背景には「強制労働」などの文言が盛り込まれた当初の申請内容に市が難色を示し、調整が続けられていたことがある。
「熱気に溶けてしまった命たちは、この地での過酷な強制労働と虐待も忘却するでしょうが(以下略)」
平成26年1月、市に提出された申請書には、このようなハングルの詩を刻むとの記述があった。起草したのは旧日本軍による強制連行を追及してきた韓国首相直属の対日抗争期強制動員調査・支援委員会だった。
市が最も問題視したのは「強制労働」だという。
戦前、日本の統治下にあった朝鮮半島から労働者がさまざまな形で本土に渡った。昭和14年以降の戦時動員では時期によって募集、官斡旋(あっせん)、徴用と形態が変わったが、一連の渡航についてすべてを「強制」と表現することは不適切だ。政府も4月、「強制連行」や「強制労働」との表現について見解を求めた日本維新の会の馬場伸幸衆院議員の質問主意書に対し「一括(くく)りに表現することは、適切ではないと考えている」との答弁を閣議決定している。
市の担当者は今回、碑に刻まされた文言や、添えられた案内文について「政府見解を逸脱する内容にはなっていない」と強調する。
確かに「強制労働」などの記述は「本人の意思に反して」といった内容に置き換えられた。これは平成27年7月の世界遺産委員会で、「明治日本の産業革命遺産」の登録決定を受け日本代表団が述べた「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」との見解と一致する。
このように慰霊碑から一定の政治色を取り除いた市の対応は評価できる。しかし問題も残っている。× × ×
世界遺産登録をめぐっては、韓国外務省が当時「1940年代に韓国人たちが本人の意思に反して動員され、過酷な条件下で強制されて労役をしたという厳然たる歴史的事実について、日本が事実上初めて言及した」とする見解を公表している。「強制」を「本人の意思に反して」と修正してもなお、記述が政治利用されかねない懸念は残るのだ。それは韓国の姜昌一駐日大使自身が、産経新聞の取材に「『自己意思に反して』ということは強制」と述べたことからも明らかだ。姜氏は「小さい言葉の問題」とも語ったが、韓国政府の対外宣伝活動を踏まえれば、「小さな問題」とは言えまい。× × ×
加えて、公園内には今回の碑とは別に、朝鮮半島出身者の原爆犠牲者を悼む碑がすでにある。「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が昭和54年に市から許可を受け建立した「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」だ。この碑には説明文に「強制連行され強制労働させられた朝鮮人」などと書かれ、いまだに修正されていない。
そもそも、この碑は市が長年、設置期限が切れたままの状態を許していた。同会からの申請を受け、平成26年と令和2年にそれぞれ5年間の更新を認めたが、その際、一連の記述について市は何のアクションを起こさなかった。歴史認識をめぐる記述が異なる2つの朝鮮半島出身者に関わる慰霊碑が同じ公園に併存することは、両者を意図的に混同させることによる宣伝なども招きかねない。
一連の慰霊碑が「原爆の実相を訴えるとともに、世界平和と文化交流のための記念施設」とする平和公園の本来の目的に合致するかは、極めて疑問だ。犠牲者追悼の美名に隠れ、政治利用への隙を見せていると言えるのではないだろうか。(中村雅和)
長崎で韓国人原爆犠牲者慰霊碑除幕…「同胞の願いかなう」中央日報2021.11.07建立委員会の姜成春委員長は「両国の真の友好発展と被爆の歴史を次世代に伝えるきっかけになることを願う」と言ったたけど、「真の友好」なんて、そんなつもりはさらさらないと思いますよ。
・・ 長崎への原爆投下で約7万4000人が死亡した。このうち数千人~1万人は日帝により日本に強制動員された韓半島出身労働者だった。原爆投下から76年、90年代に現地の韓国人を中心に設置が推進されてから三十数年ぶりに彼らを追悼する慰霊碑が立てられたのだ。
◇「平和の象徴」折り鶴を奉献
この日開かれた「韓国人原子爆弾犠牲者慰霊碑除幕式」には、良くない天気の中にも姜昌一(カン・チャンイル)駐日本韓国大使と呂健二(ヨ・ゴンイ)在日本大韓民国民団団長、向山宗子長崎市議会公明党代表ら韓日の関係者をはじめ日本の高校生平和使節団など100人ほどが参加した。
慰霊碑の基壇は亀の形で作られ、碑石の裏には韓国語と日本語で追悼文が刻まれた。下部には当時の被害状況を説明する案内文が書かれた。除幕式参加者の献花と黙祷に続き日本の高校生平和大使らが「平和の象徴」である折り鶴を慰霊碑に奉献した。
◇「強制」の代わりに「本人の意志に反して」と表現
除幕式に続き長崎平和公園内の原爆資料館で慰霊祭が開かれた。慰霊碑建立委員会の姜成春(カン・ソンチュン)委員長はあいさつで「1990年代初めから慰霊碑建立構想が出てきたが、さまざまな問題で挫折した」と回想した。当時進められた平和公園再整備工事で場所が決めることができず議論が中断され、2013年7月に慰霊碑建立委員会が発足して長崎市との本格的な協議が始まったと説明した。
過程は順調でなかった。姜委員長は「慰霊碑の形、碑文の内容などに対し(長崎市と)見解の違いがありなかなか進展を見られなかった。粘り強く協議した末に同胞が念願した慰霊碑を立てられることになった」と話した。最後まで問題になった碑文の内容は日本が反対した「強制動員」という表現の代わりに「本人の意志に反して」という一節を入れることで折り合いを付けた。
◇95歳の原爆被害者「なんとも言えないほどうれしい」
姜大使はこの日追悼辞を通じ「ある者は韓国人に向けた慰霊碑がややもすると韓日間の政治的問題に飛び火しないだろうかと懸念する」としながらも、長崎平和公園内には中国人など他の国の犠牲者を追悼する慰霊碑があるという事実に言及して「これまで韓国人慰霊碑がなかったことに対し日本は考えてみなければならない」と指摘した。・・
広島の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の碑文を見て下さい
«原爆の日「#韓国のヒロシマ、ハプチョン」でも慰霊祭。韓国人原爆犠牲者慰霊碑「碑文」、知られざる「日本の支援」»2020年08月07日韓国側が、追悼碑・碑文で「強制連行」を既成事実化しようとしているのは明々白々
その「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」、その噴飯ものの「碑文」とは・・«アナ「オバマ大統領は広島で韓国人慰霊碑を訪れる可能性は?」 【韓国KBS】 &中央日報・過去記事「原爆は神の罰」»2016年05月27日ちなみに韓国人原爆犠牲者慰霊碑 とは・・・
建立年月日1970(昭和45)年4月10日碑文(裏面)日本語訳「悠久な歴史を通じて、わが韓民族は他民族のものをむさぼろうとしなかったし、他民族を侵略しようとはしませんでした。(中略)しかし、5千年の長い民族の歴史を通じて、ここにまつった2万余位の霊が受けたような、悲しくも痛ましいことはかつてありませんでした。韓民族が国のない悲しみを骨の髄まで味わったものが、この太平洋戦争を通してであり、その中でも頂点をなしたのが原爆投下の悲劇でありました。・・・」特記事項
- 日韓併合と強制連行
明治維新以後、朝鮮支配を進めた日本は、1910(明治43)年の日韓併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がいたといわれています。- 原爆による犠牲者
当時広島市内には、数万人にのぼる朝鮮人がいて被爆したといわれています。- 平和記念公園内への移設
碑は、朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという“ゆかり”から本川橋西詰めに建立されました。その後平和記念公園内への移設について各方面から強い要望が出され、広島市と関係者との協議により、1999(平成11)年7月公園内に移設されました。移設後は、双竜を刻んだ冠の中に納めていた死没者名簿は、亀座部分前方地面の箱の中に納められています。そういう認識が大嘘なのは昨日書いたので省略しますが・・捏造を交えた、日本への怨念を感じる碑文ですね・・
«「群馬の森」朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟、市民団体が逆転敗訴☆&弁護団長の角田義一とは»2021年08月27日油断も隙もありゃしない!図々しいにも程があるどんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
「群馬の森」にある「朝鮮人労働者追悼碑」は、当初の設置期限どおり、既に撤去されてる筈でした。
それが訴訟問題に発展したのは、期限の2014年、県が設置の許可を更新しない方針とした事に対し、市民団体が訴えたのが始まり。政治的に展開させようとするのはアチラ側の常套手段。そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしい!
「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です(中略)・・奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。・・
今はネットがあるから、日本人で情報を共有し、ドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、尚更小さな歴史改竄も許しちゃダメ
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それが訴訟問題に発展したのは、期限の2014年、県が設置の許可を更新しない方針とした事に対し、
市民団体が訴えたのが始まり。
政治的に展開させようとするのはアチラ側の常套手段。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんな物を置くこと自体おかしい!
「被害者ポジション」を得る為に、日本に「強制連行、無理やり連れて来られた」という虚構を「歴史」にしてしまおうとする一例です
設置不許可は「適法」 群馬の森追悼碑で東京高裁判決 市民団体が逆転敗訴 2021/08/27 (上毛新聞)
「群馬の森に設置されている追悼碑=26日、高崎市」「市民団体の報告集会で語る角田氏=26日、東京都」
県立公園群馬の森(群馬県高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして、碑を管理する市民団体が処分取り消しなどを求めた民事訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。高橋譲裁判長は「県の更新不許可処分は適法」とし、処分を違法とした一審前橋地裁判決を取り消し、市民団体の請求を棄却した。最初の条件・約束を無視してこの言い草!開き直り・・いつものパターンですね。
原告の市民団体は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」。追悼碑は2004年、「守る会」の前身団体が、近隣諸国や日韓、日朝の相互理解を深めることなどを目的に設置申請。「宗教的、政治的行事を行わない」との条件を付け、県が許可した。
その後、05年、06年、12年の追悼式で、出席者が「政府は強制連行の真相究明に取り組んでいない」などと計3回にわたって「強制連行」という文言を使って主義、主張を述べたため、県は14年に設置許可を更新しなかった。
判決で高橋裁判長は、建立時に県と団体が話し合い、碑文にあった「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言によって追悼碑が中立的な存在ではなくなり、「公園施設」としての前提を失ったと判断した。団体側が求めていた更新の義務付けは却下した。
判決を受け、原告側弁護団長の角田義一元参院副議長は「非常識な判決だ。徹底的に闘う」と非難し、上告する意向を示した。山本一太知事は「妥当な判決であると考えている」とのコメントを出した。
一審判決は「県の処分は妥当性を欠く」として不許可処分を取り消したが、原告が求めた更新の義務付けまでは認めず、双方が控訴していた。(落合琢磨)
◎「到底容認できぬ」「対応認められた」 憤る原告、県は評価
県立公園群馬の森(高崎市)にある朝鮮人労働者追悼碑を巡る民事訴訟。一審判決から一転、県の処分を「適法」とした26日の東京高裁の控訴審判決に、碑の存続を求めてきた市民団体で驚きと憤りが広がった。県は判決を評価し、早期撤去を求める声も勢いづく。市民団体は上告する構えで、決着は最高裁に持ち越される見通しだ。
「怒りを通り越して、あきれ果てた」。判決後、市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が参院議員会館で開いた報告集会。弁護団長の角田義一元参院副議長は声を荒らげた。
同会の藤井保仁事務局長は「一審が覆るとは予想だにしなかった」とし、「歴史修正主義に国が進んでゆく。中立性が形骸化してしまっている」と高裁の判断を批判した。判決について、弁護団事務局長の下山順弁護士は「憲法に保障された表現の自由を無視している。到底容認できる内容ではない」と強調した。
一方、控訴審判決を受けて山本一太知事はコメントを発表。判決の詳細は確認できていないとした上で、「主張の通り、県の対応が適正であったことが認められた妥当な判決であると考えている。今後とも県立公園の適切な管理、運営に努めていく」とした。
北朝鮮による日本人拉致被害者家族を支援する「救う会・群馬 群馬ボランティアの会」の大野敏雄さん(85)は、碑の前で設置許可条件に反する政治的行事がたびたび行われてきたとして2014年、県議会に許可取り消しを請願した。控訴審の行方を見守っていたといい、「本当に良かった。一刻も早く碑を撤去してほしい」と求めた。
県立公園に絡む法廷闘争はさらに長期化する見通しだが、県民の関心は高くないようだ。園内をほぼ毎日歩いているという高崎市の男性(67)は「自分の生活には関わらない問題。追悼碑の近くをよく通るが、特に気にしていなかった」と話した。(まとめ 真下達也)
◎行政の姿勢 追認は問題
千葉大の新藤宗幸名誉教授(行政学)の話 公園は娯楽やスポーツのためだけに整備されるものではない。旧建設省は、都市公園法の趣旨・目的に教養や文化水準向上が含まれると認めてきた。歴史的経緯を近隣諸国と共有するために追悼碑の設置を認めておきながら、追悼式典で「強制連行」という発言があったから政治的だとか、公園の平和を害すると言って問題視するのは、歴史に学ばない姿勢の表れだ。朝鮮半島の人々を連れてきて、劣悪な条件で労働させた事実から目を背けている。裁判所がこうした行政の姿勢を簡単に追認してしまうのは問題だ。
ちなみに、角田義一氏は、朝鮮総連と関係の深い人。
で、2014年に、そのトラブルの様子を詳しく報じていたので紹介します。
ただし、スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・さすがTBSってとこですが(苦笑)
«一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】?»2014年07月24日ここまでくるとモンスタークレーマーだね。油断も隙もありゃしない!図々しいにも程があるアナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)
加藤シルビアアナ「コチラをご覧ください。今朝の新聞なんですが、こうやって1面を使ってソウル市がこんな広告を出していたんです。この方、市長さんなんですが、舛添都知事のソウル訪問を歓迎しているものなんですよねー。」朴元淳(パク・ウォンスン)
竹内明アナ「あのソウルへの親近感アップを狙った異例の広告なんですけれども、その理由はですねぇ、コチラなんですよね。
韓国を訪れる日本人観光客が激減しているのが分かりますよね。逆にですね、国のトップ同士が接近している中国からの観光客、ご覧のように急激に増えている訳なんです。国民心理というものはいかに政治的な関係に翻弄されやすいかというのが分かりますよね。」
加藤アナ「はい、国民が持つ反発の気持ち、これが憎しみに変わらないように政治家には努力してほしいですよね。」竹内アナ「そうですね。」以上
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんなもんを置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
「強制連行」なんて、アノ朴一ももう言わなくなり、今どきマスコミでも言わなくなって・・・もう週刊金曜日くらいしか言わない(呆) そりゃ、苦情もいっぱい来るでしょうよ・・
どんな小さい事でも黙っていたら、アチラの好きにされます。
地方の人達は、こういう「強制連行」と書かれた碑・碑文などに対し、もっと目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有して、ドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな歴史改竄も許しちゃダメ
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1%にも満たなかった「日本海」と「東海」の併記が、今30%ぐらいに増えてきているというのは放置できない問題なので、やっと・・いうカンジですが、日本海呼称問題で、外務省がやっと本腰を入れるようです
そこで、10年ほど前に、鳥取の琴浦町という小さな町で、碑文の「日本海-東海」騒動、モンスタークレーマーみたいな在日韓国人の話を紹介します。碑文の苦情で「歴史的事件」と民団が糾弾した例です。
「東海」見つけたら連絡を 韓国との綱引き活発化か 外務省、日本海地図表記で呼びかけ 2017.6.10
外務省は9日、日本海を韓国側の呼び方に従って「東海(英語名イーストシー)」と表記した国外の地図に関する情報収集を本格化させた。問題がある地図を見つけたら、在外公館などに連絡するよう邦人に協力を求める。島根県・竹島を「独島」と記した地図を発見した場合についても声掛けを要請する。既にインターネットを通じた呼び掛けを始めている。
「東海」「独島」表記の国際的な普及を目指す韓国の動きをにらんだ対応。背景には、首相官邸や自民党から「韓国と比べ、外務省の取り組みは鈍い」(党幹部)との声が上がっている実情がある。連絡を受け、地図に問題があると判断した場合、発行元に訂正を申し入れる。韓国との綱引きが活発化しそうだ。・・
琴浦町の碑文騒動
実は、コチラのサイト(道の駅韓国化現象・鳥取県琴浦町「日韓友好交流公園・風の丘」)にあるように、琴浦町 はそれはもう韓国化しちゃってるわけですが、それでも「東海」を削った事はGJ
公安調査庁 内外情勢の回顧と展望(平成20年1月) 〈「慰安婦」謝罪要求決議,竹島などの外交・領土問題で抗議活動を展開〉
鳥取県琴浦町の記念碑
・・ 韓国が「日本海の呼称は植民地時代の名残」として「東海」への変更を求めたことに反発し,在日韓国公館に抗議するなどの動きも見られた。さらに,鳥取県琴浦町が「日韓友好交流公園」内にある記念碑の説明文から「東海」の文字を削除したことが報道され(5月),復元を求める動きが出たことに対して,「韓国が主張する東海の表記は認められず,復元の必要はない」として同町役場に文書を提出したり,同町役場周辺で街宣活動などに取り組んだ。・・
《一体なぜ?強制連行追悼碑、群馬県が設置許可認めず【Nスタ】 &琴浦町「韓国人救出記念碑」"東海"削除【歴史的事件】? 》2014年7月24日
・・ここで全然別口だけど、碑文の苦情で「歴史的事件」と民団が糾弾した例を1つ紹介します。 理不尽な話なんですよ・・
2007年、江戸時代の日本人の美談に冷や水を浴びせるような出来事がありました
鳥取県の「韓国人救出記念碑」碑文に関して [編集]2007年には、鳥取県琴浦町の『韓国人救出記念碑』の表記を巡って事件が起きた。この碑は1819年に漂着した朝鮮からの船を住民が救出した出来事を記念し、両国の友好を謳って1994年に建てられたものであるが、そこには「日本海」とともに「東海」が併記されていたため、2007年3月に町民からの批判を受けて町長が「東海」の文字を削除した。
この処置に対して在日本大韓民国民団(民団)が謝罪と「東海」の併記を要求し、5月には町長が民団鳥取本部を訪問、薛幸夫(ソル・ヘンブ)団長に説明不足を謝罪する事態となった。民団はさらなる謝罪と記念碑の原状回復を要求し続けており、町は「日本海」とも「東海」のどちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みた。しかし、この対応に対して今度は日本国内から抗議の声が殺到、町は外務省に判断を仰ぎ、「日本海」を単独表記した碑文に張り替えることを決定した[39]。で、この件、民団に言わせると・・
<鳥取>韓日友好碑から「東海」削除 2007-05-16
琴浦町、一部住民の苦情入れ独断 民団鳥取本部が原状回復求め抗議 県にも善処を要請へ
【鳥取】江戸時代の韓日交流の史実を今日に伝える韓日友好記念碑の説明碑に刻まれていた「東海(トンヘ)」の文字が、ごく一部の県民からの苦情を受け、地元琴浦町によって削除されていたことがこのほど、わかった。事実関係を確認した民団鳥取県本部(薛幸夫団長)では15日、琴浦町に原状回復を求める抗議文を提出した。また県に対しても近く善処を要請する。
説明碑は鳥取県と琴浦町が03年、韓国江原道との交流10周年を記念して琴浦町に建てた日韓友好交流公園内にある。碑文には「記念碑は将来にわたり、日本海(東海)が日韓両国にとっての平和と交流の海であることを記念し…」とハングルと日本語で記してあった。しかし、「東海(トンヘ)という部分は不要ではないか」との指摘が昨年9月に県民からメールと電話で2件あり、町内部で協議した結果、今年3月に削除したという。
これについて琴浦町の田中満男町長は10日、民団鳥取本部を訪れ、「一緒に韓日友好公園づくりに取り組んできた民団に事前になんの相談もせずに事を進めたのは軽率だった。削除は私の判断だった。ただし、これからも日韓友好の立場に変わりはない」と弁明したという。不在の薛団長に代わって応対した金泰鎮事務局長は、「町の説明は釈然とせず、納得できるものではなかった」と話している。
金局長から報告を受けた薛団長は「日韓の相互理解を後退させる行為」と憤りを隠していない。県も「削除は町の判断」と静観しながらも、「これで韓国との交流が途絶えるのは困る」と困惑の表情を見せている。
これについて碑の文を書いた金振先江原道知事は10日、国内記者との懇談会で東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが、地域レベルで消されたのは望ましくない」「これは江原道と鳥取県の友好協力ムードにプラスにならない」と、遺憾の意を表明した。一方、鳥取県内のある小学校教員は「鳥取では小・中学生が韓国に行って交流しているというのに、足下の相互理解は思ったほど進んでいなかった。全国外国人教育研究協議会で何らかの行動提起をと呼びかけている」と話していた。
説明碑には1819年、東海を航行中の韓国商船が暴風雨に遭い、松谷海岸に漂着したのを当時の鳥取藩が救助、乗組員12人を丁重にもてなして帰国させたことを記している。説明碑は合併前の旧赤碕町がこの海が平和と友好のためにあるようにと祈り、碑とともに94年11月にポート赤碕西側に建設。琴浦町が03年8月、日韓友好公園「風の丘」に移設した。琴浦町は江原道麟蹄郡と慶尚北道蔚珍郡と交流関係をもっている。
■□
国際交流の精神踏みにじる行為 薛幸夫団長の話
お互い異なる立場で尊重しあいながら相互のズレを克服し、相手の気持ちを思いやり、共存共栄を図っていくという「国際交流」の精神を踏みにじった点。および、石碑、碑文を建立した多くの人々がいだいていた当時の温かい「友好親善」の心を踏みにじった事を思うにつけ、これは「歴史的事件」である。
さらに、誰かが個人的にそのような挙に及んだとして、そうした行為が如何に誤っているかをきちんと指摘し、糺すのが行政の立場である。
行政が先頭に立って「東海」「トンヘ」を削除するなどということは論外であり、あってはならないことである。この点を鑑みるにつけ「政治的事件」でもある。民団として琴浦町には最低限、原状回復と今後の改善策を提示するよう求めている。県には指導、監督を徹底するよう求める要請文を提出していきたい。(2007.5.16 民団新聞)恩知らずを絵に書いたような話ですよね。助けてあげたのは日本なのに、その日本の碑文の「日本海表記」にいちゃもんつけるって・・人としてどうよ?!って話です。
しかも、「東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが」ってサラリと嘘ついてるし!
しかもしかも、ここは日本だよ!「東海」トンヘって何だよ!? 「日本海」だよ!これ、どう思います?!
こういう小さい事でも黙っていたら、えらい勢いで恫喝してきて朝鮮人の好きにされるんです!油断も隙もありゃしない!図々しいにも程がある!
地方の人達は、こういう碑に関してこれまで以上に目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有してドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな小さな歴史改竄も許しちゃダメー!
関連記事
でも、下條正男教授曰く「はじめは1%にも満たなかった日本海と東海の併記が今30%ぐらいに増えてきている」そうです(・・;)
(2011年 外交防衛委員会より)https://www.youtube.com/watch?v=QfewUyagFPQ …
油断大敵 #日本海呼称問題
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TBS【Nスタ】で、群馬県が強制連行追悼碑、設置許可認めず というニュースをやっていたので記録しました(青字はナレーション)
スタジオでは、ソウル市の親近感アップを狙った異例の広告をわざわざ紹介したり、「憎しみにならないように」と政治家に釘刺すコメントしたり・・さすがTBSだわぁ。
あと、鳥取・琴浦町の碑文に関して、モンスタークレーマーみたいな韓国人の話も紹介します。
アナ「コチラの石碑、2004年に市民団体が群馬県の許可のもと、県立公園内に建てたものです。戦時中の韓国・朝鮮人の強制連行の犠牲者の追悼碑なんです。この追悼碑について、県は設置の許可を更新しない方針を決めました。一体何があったのでしょうか。」
群馬県高崎市にある県立公園。その片隅に、戦時中、強制連行され、事故などで命を落とした韓国・朝鮮の人の追悼碑がひっそりと建っています。
記者「10年前に建てられた追悼碑には、かつて日本が朝鮮人に対して苦痛と損害を与えた歴史を反省し、二度と繰り返さない事を表明するといった内容が刻まれています」
この追悼碑が撤去される可能性が出てきました。群馬県が碑を管理する市民団体に対し昨日、設置許可を更新しないとする決定を伝えたのです。
群馬県によると、2年前、この市民団体(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」)が主催した追悼式で、「碑文に日本側による謝罪の言葉がない」「強制連行の歴史を全国に訴えたい」などの発言があり、これを「政治的だ」とする抗議が複数寄せられたといいます。
これが設置許可の条件に反する「政治的な発言」だとされたのです。
角田義一氏「今回の決定というものは到底承服できませんねぇ。“ネット右翼”と言うんでしょうか、そういう人達から、まぁ県の当局に対して色々『おかしいじゃないか』『碑を撤去した方がいいんじゃないか』というようなまぁ意見も寄せられたようです」(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会 )
県は、「碑の存在自体が論争の対象になり、県民が健やかに公園を利用できなくなった」としています。急速に悪化している日韓関係。
奈良県天理市でも、海軍飛行場の跡地にあった説明板の強制連行や慰安所についての記述をめぐって抗議が寄せられ、市が説明板を撤去しました。
また、長崎市でも韓国人の原爆犠牲者の慰霊碑の設置申請をめぐって反対の陳情があり、市が判断を保留しています。群馬県民は・・・。
群馬県民「日韓関係が仲良くなった方がいいと思うし、このままあった方がいいと思いますけどねぇ。」
群馬県民「そういった事をやったらっていう約束事があったとすればそれは守らなきゃ。」碑の撤去を求める群馬県に対し、管理する市民団体は法廷闘争も辞さない構えで、日韓の「歴史」をめぐる騒動は収まりそうにありません。
(VTR終了 スタジオへ)
加藤シルビアアナ「コチラをご覧ください。今朝の新聞なんですが、こうやって1面を使ってソウル市がこんな広告を出していたんです。この方、市長さんなんですが、舛添都知事のソウル訪問を歓迎しているものなんですよねー。」朴元淳(パク・ウォンスン)
竹内明アナ「あのソウルへの親近感アップを狙った異例の広告なんですけれども、その理由はですねぇ、コチラなんですよね。
韓国を訪れる日本人観光客が激減しているのが分かりますよね。逆にですね、国のトップ同士が接近している中国からの観光客、ご覧のように急激に増えている訳なんです。国民心理というものはいかに政治的な関係に翻弄されやすいかというのが分かりますよね。」
加藤アナ「はい、国民が持つ反発の気持ち、これが憎しみに変わらないように政治家には努力してほしいですよね。」竹内アナ「そうですね。」以上
まず、この『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の角田義一氏は、(社会党→社民党→民主党)元参議院議員だそうです。納得。
そもそも県営の公園・憩いの場所にこんなもんを置くこと自体おかしい。まして政治的に展開させようとするのはルール違反。
「強制連行」なんて、アノ朴一ももう言わなくなり、今どきマスコミでも言わなくなって・・・もう週刊金曜日くらいしか言わない(呆) そりゃ、苦情もいっぱい来るでしょうよ。
ここで全然別口だけど、碑文の苦情で「歴史的事件」と民団が糾弾した例を1つ紹介します。
理不尽な話なんですよ・・2007年、江戸時代の日本人の美談に冷や水を浴びせるような出来事がありました
鳥取県の「韓国人救出記念碑」碑文に関して [編集]2007年には、鳥取県琴浦町の『韓国人救出記念碑』の表記を巡って事件が起きた。この碑は1819年に漂着した朝鮮からの船を住民が救出した出来事を記念し、両国の友好を謳って1994年に建てられたものであるが、そこには「日本海」とともに「東海」が併記されていたため、2007年3月に町民からの批判を受けて町長が「東海」の文字を削除した。この処置に対して在日本大韓民国民団(民団)が謝罪と「東海」の併記を要求し、5月には町長が民団鳥取本部を訪問、薛幸夫(ソル・ヘンブ)団長に説明不足を謝罪する事態となった。民団はさらなる謝罪と記念碑の原状回復を要求し続けており、町は「日本海」とも「東海」のどちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みた。しかし、この対応に対して今度は日本国内から抗議の声が殺到、町は外務省に判断を仰ぎ、「日本海」を単独表記した碑文に張り替えることを決定した[39]。
実は、コチラのサイト(道の駅韓国化現象・鳥取県琴浦町「日韓友好交流公園・風の丘」)にあるように、琴浦町 はそれはもう韓国化しちゃってるわけですが、それでも「東海」を削った事はGJ公安調査庁 内外情勢の回顧と展望(平成20年1月)〈「慰安婦」謝罪要求決議,竹島などの外交・領土問題で抗議活動を展開〉
鳥取県琴浦町の記念碑
・・ 韓国が「日本海の呼称は植民地時代の名残」として「東海」への変更を求めたことに反発し,在日韓国公館に抗議するなどの動きも見られた。さらに,鳥取県琴浦町が「日韓友好交流公園」内にある記念碑の説明文から「東海」の文字を削除したことが報道され(5月),復元を求める動きが出たことに対して,「韓国が主張する東海の表記は認められず,復元の必要はない」として同町役場に文書を提出したり,同町役場周辺で街宣活動などに取り組んだ。・・
で、この件、民団に言わせると・・・
<鳥取>韓日友好碑から「東海」削除 2007-05-16
琴浦町、一部住民の苦情入れ独断 民団鳥取本部が原状回復求め抗議 県にも善処を要請へ
【鳥取】江戸時代の韓日交流の史実を今日に伝える韓日友好記念碑の説明碑に刻まれていた「東海(トンヘ)」の文字が、ごく一部の県民からの苦情を受け、地元琴浦町によって削除されていたことがこのほど、わかった。事実関係を確認した民団鳥取県本部(薛幸夫団長)では15日、琴浦町に原状回復を求める抗議文を提出した。また県に対しても近く善処を要請する。
説明碑は鳥取県と琴浦町が03年、韓国江原道との交流10周年を記念して琴浦町に建てた日韓友好交流公園内にある。碑文には「記念碑は将来にわたり、日本海(東海)が日韓両国にとっての平和と交流の海であることを記念し…」とハングルと日本語で記してあった。しかし、「東海(トンヘ)という部分は不要ではないか」との指摘が昨年9月に県民からメールと電話で2件あり、町内部で協議した結果、今年3月に削除したという。
これについて琴浦町の田中満男町長は10日、民団鳥取本部を訪れ、「一緒に韓日友好公園づくりに取り組んできた民団に事前になんの相談もせずに事を進めたのは軽率だった。削除は私の判断だった。ただし、これからも日韓友好の立場に変わりはない」と弁明したという。不在の薛団長に代わって応対した金泰鎮事務局長は、「町の説明は釈然とせず、納得できるものではなかった」と話している。
金局長から報告を受けた薛団長は「日韓の相互理解を後退させる行為」と憤りを隠していない。県も「削除は町の判断」と静観しながらも、「これで韓国との交流が途絶えるのは困る」と困惑の表情を見せている。
これについて碑の文を書いた金振先江原道知事は10日、国内記者との懇談会で東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが、地域レベルで消されたのは望ましくない」「これは江原道と鳥取県の友好協力ムードにプラスにならない」と、遺憾の意を表明した。一方、鳥取県内のある小学校教員は「鳥取では小・中学生が韓国に行って交流しているというのに、足下の相互理解は思ったほど進んでいなかった。全国外国人教育研究協議会で何らかの行動提起をと呼びかけている」と話していた。
説明碑には1819年、東海を航行中の韓国商船が暴風雨に遭い、松谷海岸に漂着したのを当時の鳥取藩が救助、乗組員12人を丁重にもてなして帰国させたことを記している。説明碑は合併前の旧赤碕町がこの海が平和と友好のためにあるようにと祈り、碑とともに94年11月にポート赤碕西側に建設。琴浦町が03年8月、日韓友好公園「風の丘」に移設した。琴浦町は江原道麟蹄郡と慶尚北道蔚珍郡と交流関係をもっている。
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国際交流の精神踏みにじる行為 薛幸夫団長の話
お互い異なる立場で尊重しあいながら相互のズレを克服し、相手の気持ちを思いやり、共存共栄を図っていくという「国際交流」の精神を踏みにじった点。および、石碑、碑文を建立した多くの人々がいだいていた当時の温かい「友好親善」の心を踏みにじった事を思うにつけ、これは「歴史的事件」である。
さらに、誰かが個人的にそのような挙に及んだとして、そうした行為が如何に誤っているかをきちんと指摘し、糺すのが行政の立場である。
行政が先頭に立って「東海」「トンヘ」を削除するなどということは論外であり、あってはならないことである。この点を鑑みるにつけ「政治的事件」でもある。民団として琴浦町には最低限、原状回復と今後の改善策を提示するよう求めている。県には指導、監督を徹底するよう求める要請文を提出していきたい。(2007.5.16 民団新聞)
恩知らずを絵に書いたような話ですよね。助けてあげたのは日本なのに、その日本の碑文の「日本海表記」にいちゃもんつけるって・・人としてどうよ?!って話です。
しかも、「東海の表記は国家レベルから互恵的にやってきたものだが」ってサラリと嘘ついてるし!
しかもしかも、ここは日本だよ!「東海」トンヘって何だよ!? 「日本海」だよ!これ、どう思います?!
こういう小さい事でも黙っていたら、えらい勢いで恫喝してきて朝鮮人の好きにされるんです!
油断も隙もありゃしない!図々しいにも程がある!
地方の人達は、こういう碑に関してこれまで以上に目を光らせるべき。
今はネットがあるから、日本人で情報を共有してドンドン意見を自治体に言っていくべきだと思います。碑文って本来、後世に残す為のものだから、小さな小さな歴史改竄も許しちゃダメー!
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