済州島四・三事件

2011年10月03日10:14【韓国最大のタブー】韓国政府の自国民大虐殺「保導連盟事件」 【報道特集】

ほとんどの日本人が知らない韓国・李承晩(リショウバン)大統領による20万人以上虐殺したこの事件。

(「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている)

実は、韓国人もほとんど知らない最大のタブーだったという事で、丁度3年前にTBS【報道特集】で取り上げていたんですが、ここ最近の韓流ごり押しの問題で思い出したので、その動画を探して文字起こししてみました。是非、お読み下さい。

暴かれる韓国最大のタブー「保導連盟事件」 (2008/9/6 放送)

韓国の南部。サンチョン郡。車道から山道を10分ほど登ったところにその現場はあった。

土の中から姿を見せたのは、おびただしい数の人骨だ。これまでに発掘されたのはおよそ240体。ほとんどが大人の男性の骨だ。
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ノ・ヨンソク博士「全部発掘してみなければわかりませんが、証言によると500人以上の遺体が、ここに埋められたという事です。」(調査責任者)

遺体が埋められたのは今から57年前、1951年2月頃と見られる。彼らの身に何が起きたのか。韓国政府は2005年、朝鮮戦争の前後に国内で起きた虐殺事件の調査を始めた

政府の「真実和解委員会」は、そうした歴史的な事件の真相究明を行うための機関だ。2007年からは各地の虐殺現場で遺骨の発掘作業を始めた。
1950年6月に始まった朝鮮戦争北朝鮮の侵攻に韓国の首都ソウルはわずか3日で陥落、韓国軍は一時、南へと追い詰められた。
韓国政府が恐れたのは北朝鮮軍の攻撃だけではなかった。韓国内にも北朝鮮を支持し、共産主義活動を行う人たちが存在していた。
国内からの反乱を恐れた韓国政府は、共産主義に関わった疑いのある人たちを処刑することにした。「アカ狩り」である。

180pxbodo_league_massacre_near_daeg (テグ 1951年4月 韓国軍による処刑現場)

兵士のヘルメットに「憲兵」という文字が見える。構えた銃口の先には、穴に落とされた人たちの姿がある。すでに銃殺された後だろうか。 (テジョン、1950年7月)

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うつ伏せになった男性がカメラの方に目を向けている。穴の中に見えるのは銃殺された人たちのようだ。この写真は、虐殺現場に立ち会ったアメリカ軍が撮影したもので、アメリカの国立公文書館に保管されていた。処刑のため移送される釜山の収容者
韓国軍と警察による処刑を待つ政治犯
処刑者の致死確認を行う韓国軍兵士(アメリカ軍撮影)
韓国軍及び韓国警察により処刑された政治犯
韓国軍兵士による処刑の瞬間
処刑場から発掘された未成年のものと推定される人骨
各地の処刑現場からは、韓国軍が使っていた銃弾や薬きょうが大量に見つかっている。
このサンチョン郡の遺骨も、いわゆる「アカ狩り」の犠牲者のものである可能性が高い。
「真実和解委員会」の調査によって約60年の間、闇に閉ざされていた数々の虐殺事件にようやく光が当てられようとしている。
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韓国・スンチョン市出身のキリスト教牧師ファン・ジョングォンさん(70)。虐殺現場から生還した数少ない一人だ。
ファン氏「ここが私の家でした。あそこに門がありますが、当時はこっちにも出入り口があってそこから連行されたんです。そして、当時はこちらの向かい側にも家があったんですが、その家族は4人が殺されました。」
自宅から連行された後の惨劇をファンさんは今もはっきりと覚えている。惨劇が起きたのは、ファン・ジョングォンさんが10歳の時のことだった。

夕食の支度をしていると、銃を構えた軍人がいきなり家にやってきた。一家は理由もわからないまま、近くにある中学校まで連行された。
ファンさんによると、連行された住民はおよそ30人。幼い子供もいた。そして「停まれっ!」という軍人の声が聞こえた直後・・

ファン氏「ここにひざまづいた状態で、全員が壁のほうに向かって一列に並ばされました。そして『銃殺っ!』という号令で殺されたのです。」
ファンさんは足を撃たれたが命は助かった。しかし、両親を含む家族・親戚の5人を失った。2歳の甥までが射殺された。
ファン氏生き残ったのは私だけです。あの時、兵隊の視界に入った人、目に映った人はみんな殺されました。」

「アカ」のレッテルを貼られ全国各地で虐殺された人たちの中には、ある団体に加入していた人が多かった。

それは「国民保導連盟」という団体だった。朝鮮戦争が始まる前、1949年に韓国政府が作った組織。
韓国内にいる共産主義者たちの思想を転向させ、大韓民国への絶対的な支持を誓わせようというのが設立の趣旨だった。
よく考えもせずに左翼系列に加わってしまったことを、今では後悔しています。今後は共産軍と闘争し、大韓民国に忠誠をつくすべく献身努力いたします。」(加入者の反省文)


 当時の新聞記事には、「共産主義活動に関わった人が自首して保導連盟に加入すれば過去は一切問われない」と書かれている。また加入者には就職の斡旋や食料の配給といった見返りがあった。農地をタダでもらった人もいた。
しかし、北朝鮮軍が38度線を超え、朝鮮戦争が始まると、韓国政府は突然態度を変える
「過去の罪は問わない」と言っていたはずが、保導連盟員を「反乱分子」「スパイ」とみなし、軍や警察を使って各地で一斉に処刑し始めたのだ。

韓国・キョンサン市。日本の植民地時代に掘られたコバルト鉱山の廃坑だ。中に入ると急に肌寒くなった。入り口から150mほど進んだ場所で遺骨の発掘が行われている。

真実和解委員会から作業を委託された地元の学生たちだ。この鉱山で保導連盟員を含む多くの民間人が虐殺されたという。小さな遺骨や遺品を見逃さないよう、慎重に掘り続ける。

ソン・ジャンゴンさん (27)「隠された歴史を明らかにしたい、そんな気持ちをもって発掘作業を行っています。」(ヨンナム大学大学院)

坑道の入り口の脇に、発掘された遺骨が保管されている。
頭に銃弾の跡がはっきりと残る遺骨。刃物で切りつけられたような傷が残るものもある。犠牲者を縛っていたと見られる電線も見つかった。
この山で何が起きたのか。「真実和解委員会」の調査責任者、ノ・ヨンソク博士の案内で山を登った。
山の中腹に、目撃者の証言によって明らかになった重要な現場があるという。それは深いタテ穴だった。
ノ・ヨンソク博士「ここは被害者を8人ずつ縛って銃殺、もしくは突き落として生き埋めにした場所です。」(調査責任者)

これはもともと地下の坑道で掘ったコバルトを外に運搬するために掘られた穴だ。
当時の目撃者によると、銃殺された犠牲者たちはこのタテ穴に次々と落とされた。その結果、大量の遺体が坑道の中にたまったこの鉱山での犠牲者は3,500人に上ると見られている。
学生たちに混じって発掘作業を手伝う男性、イ・テジュンさん(70)はこのコバルト鉱山の事件で従兄弟の男性を失った。従兄弟は共産主義が何なのかすら分かっていなかったという。
イ・テジュンさん 従兄弟はイデオロギーとは全く関係のない人でした。毎日、山奥に薪を取りに行って暮らしていただけなんです。」

保導連盟員の虐殺は韓国全土で起きた

これは民間団体の調査よる犠牲者の数だ。調べによると、殺された人たちの中にはスパイ活動はおろか政治運動と全く関係のない人たちが多かった
保導連盟事件の犠牲者は、合わせて20万人以上とも言われている。

 しかし、これほどの虐殺だったにもかかわらず、事件について知る人は少ない。
 Q.「保導連盟事件を知っていますか?」 男子大学生「知りません。」
 Q..「習いませんでした?」 男子大学生「ええ。」
 Q.「保導連盟事件を知っていますか?」 女子大学生答え「知りません」
 Q.「まったく?」 女子大学生答え「はい」
 Q.「聞いたこともない?」 女子大学生答え「はい」
 男性「聞いたことはあるけど・・詳しくは知りません。人を集めて殺した話だと思うけど。」(73歳)
保導連盟事件は、1980年代まで続いた軍事政権下でタブーとされた。遺族や生存者たちも、この事件について話すことは許されなかったという。
イ・テジュンさん「コバルト鉱山で人がたくさん殺されても、当時は何も言えませんでした。言えば連行されてしまう。聞いてもいけないし、見てもいけない。何も言えない時代だったのです。」

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「何も言えない時代」。それをうかがわせる資料が韓国各地の警察署に保管されていた。
朝鮮戦争が休戦となった後も、保導連盟事件の遺族が「要注意人物」として監視されていたことが記されている。

歴代の軍事政権は、事件が表面化しないよう取り締まってきたのだ。
キム・ドンチュン常任委員「これまでの軍事政権は、民間人の虐殺が問題になれば自分たちにとって深刻な脅威になると考え、事件が表沙汰にならないよう弾圧してきたのです。」(真実和解委員会)
今年7月、虐殺事件の遺族と真実和解委員会のメンバーがある現場へと向かった。

朝鮮半島の南、観光地として有名なチンドから更に南へと(船で)進む。

地元の人達がカモメ島と呼ぶ無人島が見えてきた。ここに推定で500人の遺体が眠っているという。

オ・ウォンロクさん(68)の父親は1950年の7月頃、保導連盟員だという理由で警察署に連行された後、殺されたという。

父親の遺骨は今もこの島に放置されているものと見られる。

オ・ウォンロクさん「遺骨探しも大事ですが、私は父が無実の罪で無念の思いで銃殺されたという真実を明らかにしてほしいのです。父がここで亡くなったために私はアカ(共産主義者)の子供だと言われ、悔しい思いで生きてきましたから。」

島への上陸を目指したが波が荒いため接岸するのが難しい。上陸を断念した。

韓国人が韓国人を虐殺する…

左翼勢力の反乱を恐れたとは言え、同じ国民に銃口を向けた兵士や警官たちはどんな思いだったのか。
私達は加害者の証言を求めて探し回った。しかし、すでに亡くなった人や取材を拒否する人もいてなかなか話を聞くことができない。
そうした中、ようやく保導連盟員を殺したという男性と接触することができた。
キム・マンシクさん「私たちは、警察から引き渡された保導連盟員を射殺しました。」

朝鮮戦争が始まった直後だった。憲兵隊の少尉だったキム・マンシクさん(81)は、韓国北部のウォンジュやフェンソンで、保導連盟員およそ150人の射殺を指揮した。

キム・マンシクさん「北朝鮮軍が迫って来ていたんですから。私たちも生きなければいけないし。歩兵たちの機関銃を借りてダーッと撃ったのです。」(元憲兵隊少尉)
キムさんは自らも拳銃を持ち何人かを射殺したという。同じ国民を殺したことを、今どう思っているのか。
キム・マンシク「北朝鮮軍は計画的に南への侵攻を準備し、保導連盟員を利用するために教育していました。だから保導連盟は完全に敵だったのです。同情する余地などありませんし、万が一、保導連盟を放っておいたら韓国軍に甚大な被害を与えると思い、完全に敵として扱ったのです。」
しかし「真実和解委員会」の調査で、保導連盟員の多くは共産主義とは無関係だったことがわかっている。キム・マンシクさんも今は犠牲者の冥福を祈っているという。
キム・マンシクさん「あの当時は無防備に近い状態で北朝鮮に追われていたのでよく考えませんでしたが、今考えればあまりにも秩序がなく、無慈悲だったと思います。」

長く封印されてきた虐殺事件の調査を始めたのは、軍事政権と対立してきた民主化勢力の流れをくむノ・ムヒョン前大統領だった。
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ノ・ムヒョン大統領「58年前の国民保導連盟事件は、我が国の現代史の大きな悲劇でした。私は大統領として、国家を代表して当時国家権力が犯した不法行為について心からお詫びいたします。」(2008年1月会見)
しかし今年(2008年)2月、大統領は保守系のイ・ミョンバク氏に代わった
「真実和解委員会」のキム・ドンチュン常任委員は、今後、調査体制が縮小されるのではないかと危惧している。
キム・ドンチュン氏今の政権は、私たちのような歴史の調査活動をよく思っていません。廃止まではしなくても、予算や人員の削減などで委員会の力を弱めようとするでしょう。」(真実和解委員会)

法律で決められた「真実和解委員会」の活動期限は2010年4月までだ。
あと1年半ほどの間に「韓国最大のタブー」と言われた大量虐殺の真相はどこまで明らかにされるのか
「真実和解委員会」による遺骨の発掘が始まった現場は、まだ11か所に過ぎない。以上

これ、たった60年前の話ですよ。自国民をきなり大量虐殺するなんて信じられます?!
そりゃあ昔日本も赤狩りはあったけど、こんな風に無実の人をいきなり大勢撃ち殺すなんてあり得ません。韓国政府は、この事件を覆い隠す為に反日洗脳教育をしているように思えます。

日本を悪者にすると何事にも都合が良いんです。済州島四・三事件だってそうですよね。

  • 残虐な韓国政府から逃げ出して日本に来た人の末裔が、今の在日。なんにせよ強制連行で来たなんて、ウソウソ。
  • 韓国っていい加減、歴史を隠蔽したり、塗り替えたして、日本に言いがかりつけるの止めてくれないかな~?! 少なくても日本人はこのくらいの流れ知っておくべきですよね。

    で、知り合いの韓国人に教えてあげましょうよ。ついでに李承晩ってこんなヤツだよっていうのも!

    韓国政府のやってる事は矛盾だらけだから、かしこい韓国人なら!冷静に考えて、反日教育のウソが理解できると思います(棒)

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