松井石根

2015年10月12日15:22#南京大虐殺 虐殺されたハズの南京市民と日本兵のほのぼの画像・映像 & 南京を知るジャーナリスト達の証言 (拡散希望)

「虐殺されたはずの南京市民」という動画、何度か紹介しましたが、拡散して頂きたく、文字起しして記録しましたの際「ジャーナリストの見た南京」という動画も紹介。

人さし指特に「いわゆる南京大虐殺」はあったと思っている方に是非見て頂きたい。

一旦、頭を真っ白にしてご覧ください。

1937年(12年)12月13日 南京

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中国門爆破の瞬間  中華門へ50mに迫って攻撃する野砲陣。 手前は一番乗りに待機する部隊

1937年(12年)12月13日 南京城陥落

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12月14日 南京陥落の翌日

最後まで踏みとどまっていた南京市民が防空壕から出てほっと安堵の表情を浮かべる。「もう大丈夫」と手を差し出す日本兵 『アサヒグラフ』

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12月15日(南京陥落から2日目)

15日は自宅で食事を作れなかったため水餃子を食べる難民が多かった   (撮影 佐藤振寿氏)

南京安全区付近の露店にて日本兵も水餃子と食べている (撮影 佐藤振寿氏)

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安全区の南京市民たちは、日本人を恐れることなく従軍カメラマンの前に立った(撮影 佐藤振寿氏)

安全区の外の道路で、自家菜園の野菜を売る南京市民(撮影 佐藤振寿氏)

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安全区にて。誰も日本人を恐れていない。(撮影 佐藤振寿氏)

家がない難民は、安全区の中にバラックを建てて住んでいた。

日本の従軍カメラマンがそばにいるというのに子供たちを安心して外で遊ばせている (撮影 佐藤振寿氏)

12月16日(南京陥落から3日目)  

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たった一人の父親が支那軍に拉致され天涯孤独となった中国人の少年。
親切にされた日本兵の傍らを離れようとせず、「何でもするから東京に連れて帰ってくれ」と せがんでは、兵隊さんたちを泣かせている。
『アサヒグラフ』

12月17日(南京陥落から4日目)松井石根大将 南京入城

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「日本軍万歳」を叫ぶ南京の避難民  『支那事変画報』

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すっかり日常を取り戻した南京市内  『アサヒグラフ』

17日の入場式が終わると、日本軍が南京市民にお菓子を配り始めた (撮影 佐藤振寿氏)

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日本兵からお菓子をもらう南京市民   朝日新聞『支那事変画報』 

日本兵と車のおもちゃで遊ぶ子供たち  すっかり安心しきっている 『アサヒグラフ』

12月20日(南京陥落から7日目)

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陥落から1週間後の南京市内     朝日新聞『支那事変写真全集』

12月27日(南京陥落から14日目)

支那兵の手当てをする日本衛生兵   朝日新聞『支那事変画報』

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子供たちの治療をする日本軍     『アサヒグラフ』

南京市民はすっかり活気を取り戻していた  『アサヒグラフ』

南京陥落直後、12月南京安全区 (映像)

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中国は、12月13日からの2ヶ月間で、日本軍が南京で30万人の民間人を虐殺したと主張している。

当時の南京には、世界各国の報道記者が特派員として派遣されていたが、虐殺を報道した報道機関は1社もなかった。 目撃したという記者もいない。

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日本軍が南京に入り、治安が回復されていったようすが この映像からもよくわかる。

南京市内の道路の復旧工事に汗を流す日本の兵隊

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街頭に張られた 親日ポスター 日本軍の占領によって治安が回復したことを聞き、 南京へ戻ってきた人々

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南京陥落時の南京の人口は約20万人であったが、日本軍が占領した翌月、938年1月の人口は5万人増えて、25万人になっている。

『大虐殺』の真っ最中だとしたら人々は南京から脱出しようとするはずである。

南京陥落から18日目 1938年(昭和13年)元旦

(映像)

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戦後語られている「南京大虐殺」の期間中の南京市内の映像   笑い声をあげて爆竹で遊ぶ南京の子供たち  横を日本兵が通り過ぎてゆくが誰も気に掛けていない

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南京陥落から2か月

朝日新聞が撮影した、2月中旬の南京城内   『アサヒグラフ』

周囲の南京市民も皆、こちらを向いて微笑みかけており

日本の従軍カメラマンをまったく警戒していないことがわかる『アサヒグラフ』

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日本は南京に医療班を派遣し、市民に無料で種痘の予防接種をしていた。   『支那事変画報』

予防注射や種痘をしてもらい「謝謝、謝謝」と喜ぶ南京市民。『支那事変画報』

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虐殺されたはずの南京市民  あなたの常識で判断できる  「南京大虐殺」の虚構------  以上

「当時の南京には、世界各国の報道記者が特派員として派遣されていたが、 虐殺を報道した報道機関は1社もなかった。 目撃したという記者もいない。」としてありますが、朝日新聞には当時の南京の記事・写真が山ほどあるでしょうね。

いわゆる南京大虐殺を真っ先に否定するのが真のジャーナリズムなのでは(;一一) 右

《ジャーナリストの見た南京の証言 元朝日新聞編集局長・細川隆元「虐殺なんて絶対にない」》 より

Chinaが「南京事件」と「(従軍)慰安婦」をユネスコ記憶遺産に登録申請したり、 国家行事に引き上げた「南京事件」記念式典を習近平国家主席が初めて出席して演説したと、 来年、「抗日戦争勝利70周年!」の大・大キャンペーンやる気マンマンなので、 "ジャーナリストが見た南京の証言" 動画を記録しました 

南京大虐殺はあったと思う人こそ見てほしい。

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●大阪朝日新聞 山本治 上海支局員の証言
全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。朝日新聞では話題になったこともありません。」
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●東東京朝日新聞 橋下登美三郎 上海支局次長の証言
朝日新聞からは50人近く参加したと記憶している。私が全体の指揮をとっていた。南京の事件ねぇ、私は全然聞いてない。もしあれば、記者の間で話題に出てるはずだ。噂として聞いたこともない。
朝日新聞では現地で座談会もやっていたが(虐殺が)あったのなら、露骨でないにしても抵抗があったとか そんな話が出るはずだ
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●東京日日新聞 金沢喜雄カメラマンの証言
「私は南京に1ヶ月いましたが、虐殺をみたこともなければ兵隊から聞いたこともありません。松井(石根)大将が死刑になったのも不思議で仕方がないのです。」
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●東京日日新聞 佐藤振寿カメラマンの証言
「虐殺があったと言われていますが、16、17日頃になると小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵の所に集まってましたから とても残虐行為があったとは信じられません。」
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朝日新聞が「中国の旅」という連載で 南京では残虐があったといって中国人の話を掲載しましたが 
その頃、日本には南京を見た人が何人もいるわけです。なぜ日本人に聞かないで、あのような都合の良い嘘を載せるのかと思いました。」
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●報知新聞 二村次郎カメラマンの証言
南京にいる間、見たことがありません。どういう虐殺なのか、私が聞きたいぐらいです。」
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●細川隆元 元朝日新聞編集局長の証言 1986年8月10日TBS「時事放談」にて
「わしが朝日新聞の編集局長であった時だ。南京に特派した記者たちを集めて南京に虐殺事件があったとかどうとか噂を聞くが本当はどうだ、と一人一人に聞いてみた。
全然そのようなことは見たことも聞いたこともありません、というはっきりした返事だった。何万、何十万なんていう虐殺など絶対にない。絶対になかったと、わしは思う。  以上

人さし指ちなみに朝日新聞連載の「中国の旅」と松井石根大将が死刑になった話、三宅久之氏の解説もどうぞ右

《「南京大虐殺と反日プロパガンダ」写真検証、デーブ・スペクターはリトマス試験紙(前半) 【たかじんのそこまで言って  委員会】》より抜粋

・・宮崎氏「だからね、例えば、ユダヤ人大虐殺って600万人と言われてますよねぇ、これはもう世界中が大半の人が認める大虐殺。これは英語ではジェノサイトですよねぇ、つまり民族を滅ぼすと。さっきの世界遺産の例を見てもわかるように、そのアウシュビッツと同列に置こうとしてる、南京の問題をね、南京事件を。それは違うっていうのは然るべき批判だと思うけどね。」

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遙氏「元々、論争になったのは何でかって言うと、えーっと昭和46年か7年かな、えーっと、朝日新聞にシリーズで出た、中国への旅(中国の旅)とか言う、(本多勝一!:宮崎) 本多勝一さんの書いたね、あのシリーズがきっかけで、『えっ?!日本はそんな事してたの?!』って、

あの段階から南京大虐殺って言葉がでてきてるわけですよねぇ。そっから論争が始まって、そっからですよ、人数の問題も、いや実はジェノサイトと似たケースなんだって問題も、いろんな論争が出てきてる、、」

三宅氏「数の事なんかはねぇ、その、遙さん、アンタ聞いたようなことを言うけどけどねぇ、(聞いたからゆうてたんですよ(笑):遥)

ねぇ、いわゆる戦闘行為をやったわけですよね、で、南京城をね、その松井石根を総隊長とする攻撃をする時でもねぇ、ビラを撒いてね、つまり『攻撃するから逃げるものは逃げろ』とかってやってるわけですよ。それから入ってるわけだ、ね。

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その攻め始めてからねぇ、その要するに、その国民政府軍が、軍服を脱いで、ラーベというドイツ人が管理してたる国際安全区の中に逃げ込んだわけですよ、みんな、ね。だからそれは要するに便衣隊と言ってゲリラになるわけだ。民間服着て。だからそれを全部徹底的にやっぱりそれは洗い出すわけですよ。だって自分ら後ろからやられちゃ困るから。

その中でね、軍人じゃない者を処刑したのはあったかも分からないと、私も思いますよ。だけどね、意図的にね、30万人殺すなんて、考えてみなさいよ、もう全部死体だから。でねぇ、、」

デーブレイプの話はどうなんですか?三宅さん、レイプは? レイプは?それ、、」(話の途中で割って入り)

三宅氏「レイプの話してんじゃないっ 順番に聞けっ! 攻撃の話をしてるんです。

それでねぇ、そん時に松井石根という大将がだねぇ、2回に亘って、内外に記者会見してるんだけど、その会見の時に30万人殺したなんていう責任追及は一言も出てない。(もちろん:宮崎) 日本人の記者が出さないなら分かるよ、情報統制して。アメリカ人やいわゆる当時、敵性国家だった欧米のマスコミも質問してないんだよ。(じゃあ分かった:デーブ) だからなかったということでしょうが!!あれば必ず質問するでしょう!!」

デーブ「ちょっとそれ、30万どうのこうの、さて置いて、例えば236部隊とか、色んなあの、人物実験とか、色んな残酷な行為あったって事はありますよねぇ、。そんなのも一切ないわけですか?

三宅氏「そんな話、、今、南京大虐殺の話をしてんだよっ!

デーブ「いや違う。それと関係してくるんですよ。」

三宅氏「関係してくるか!!南京大虐殺があったかなかったかの話だ!」・・・

 

《朝日新聞が「南京事件」を「南京大虐殺」として火をつけた本多勝一の「中国の旅」とは》より

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「南京大虐殺」を世界記憶遺産に登録したユネスコは、中立・公平であるべき国際機関として大問題!

中国中国政府が申請していた、「いわゆる南京大虐殺文書」を、事もあろうにユネスコが世界記憶遺産に登録した事に、

日本日本政府は、「中国の一方的な主張に基づいて申請されたもので、完全性や真正性に問題がある事は明らか」「日本政府が随時、申し入れを行ってきたにも関わらず登録された事は、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ」日本政府はユネスコを厳しく批判していますが、人さし指当然です。

私が「いわゆる南京大虐殺」がなかったと知ったきっかけは、8年前の【たかじんのそこまで言って委員会】でタブーに挑戦するとした特集でした。

それから、ネットで色々と自分なりに調べて、中国のプロパガンダだったと納得したので、今回のユネスコ登録は「はぁ なんで ありえない・・・」という気持ちでいっぱいです。

この際、未だに中国のプロパガンダに乗せられている人に早く気付いてほしく、私が目覚めた記事の一部を紹介します・・・

 

【中国の急所】 南京大虐殺と酷似の、日本人虐殺『通州事件』が、日本の教科書掲載の件!

中国が、いわゆる南京大虐殺資料をユネスコに登録しましたが、

それは中国が現地日本人に対してやった【通州事件】の虐殺のやり口と一致します。

その日本人の多くも知らない【通州事件】が、つくる会の教科書に載るのをご存知ですか?(しかも、南京大虐殺は記述なしで)

今年春に、西尾幹二氏と小林よしのり氏がその教科書改訂の件で議論していたので改めて紹介します

人さし指櫻井よしこ氏曰く『中国政府の急所は、自国の歴史認識に他ならない』との事。

この際、【通州事件】を日本国民の共通認識にするべき。

 

追加記事

«【南京大虐殺】元海軍軍人・深井俊之助(104)さんの証言「支那は略奪・強姦平気でやる、日本人はしないから歓迎されていた」【#虎8】 »2018年12月 5日

深井氏「とーんでもない。子供が街に出てこう旗振って遊ぶ位だから静かなもんだったんだよ。

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2012年02月29日16:56「南京大虐殺と反日プロパガンダ」写真検証、デーブ・スペクターはリトマス試験紙(前半) 【たかじんのそこまで言って 委員会】

「南京大虐殺あった派」がイチコロだったこの大昔の番組

これを見た時から、デーブスペクターがますます、超大嫌いになったのでよーく憶えているんですが、まさか動画が残っていたなんて・・]♪

というわけで、時間がある時にコツコツ文字起こししてみました(青字はナレーション)(ピンクは解説中の辛坊氏の質問・解説)

在京のテレビ局では絶対に流せない! というか企画さえされないでしょうね。

デーブ・スペクターの態度に注目してください。残虐な236部隊ってなんだよー;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

この書き起こしは、「南京大虐殺は事実」と教科書で習った若い人に是非読んでほしい。

2007年9月29日 - 36分
南京大虐殺証拠写真を検証する. 35:59 - 4 years ago. 「たかじんのそこまで言って 委員会」
2005/03/06(日)放送分  南京大虐殺

ゲスト 東中野修道(亜細亜大学法学部教授) 【南京大虐殺と反日プロパガンダ】

辛坊氏「・・元NKHの川崎泰資さんです。

さっ、最初のテーマに行きたいと思いますが、今日のー、たかじんさん、最初のテーマは何すんねん?とね、ある報道の幹部と喋っておったらですね、『今日はこんな話』とゆうたら、その幹部が『まあー、辛坊さん、まあなんとチャレンジャーな話題を』と思わずゆうたぐらいのっ、大ネタっ!

(VTR)
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1937年12月、中国の南京を占領した旧日本軍が、多くの捕虜や民間人を殺害し、暴行・強姦・略奪・放火を繰り返したとされる南京大虐殺

この事件に関しては、犠牲者の数やその存在そのものを巡って以前から様々な論争が繰り広げられてきました。

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そんな中、1冊の本が出版され話題を呼んでいます。『南京事件"証拠写真"を検証する』」と題されたこの本の結論は、南京大虐殺が実際にあったことを裏付けるとされる写真のうち、「証拠として通用するものは1枚もなかった」

この本の著者である亜細亜大学教授の東中野修道氏は、アメリカでベストセラーになった「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」をはじめ、大虐殺に触れた著作物を可能な限り収集し、そこに掲載されていた証拠写真とされるものを検証

検証①

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例えば・・「日本軍の行くところ、略奪されて鶏も犬もいなくなった」と説明されているこの写真

しかし実際は 「朝日版支那事変画報」の裏表紙であり、その説明には「民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士」とあり、この兵士が代価を支払って購入したことが記されています。

検証②

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南京陥落時は真冬であったにも関わらず、証拠写真の多くはこの写真のように薄着であり、影の角度を見てみると、明らかに初夏に撮られたと分かるものも

検証③

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また、この写真のように中国人による抗日意識高揚に用いられたことが既に判明している写真も現在もなお、大虐殺の証拠写真として流布しているというのです。

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現在、日本の歴史教科書に歴史的事実と記述されているこの南京大虐殺は、

もともと昭和23年、主要戦犯を審議する為に行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の過程の中で初めて持ち出され

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その際に被害者の数が20万人以上と認定されたのです。

ところが、中国・南京市にある南京大虐殺記念館の壁面には30万人が虐殺されたという文字が刻まれ、この30万人以上という数字が中国の統一見解になっているようです。

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また、中国メディアは、この南京大虐殺記念館をユネスコの「世界文化遺産」に登録申請すべきと主張。
アウシュビッツ強制収容所と、広島の原爆ドームはすでに登録されており、南京も世界の人々が歴史を学び、過ちを繰り返さないために大きな意義があると強調しています。

果たして私たちの歴史認識は正しいのか?間違っているのか?日本の歴史教科書の記述にに間違いはないのか?そして、メディアは真実を伝えているのか?

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そこで、皆さんに質問です。あなたは南京大虐殺はあったと思いますか?

バネル

西村慎吾氏「なかった。  20万人も人がいない!」
洋子 「あった。     証拠が多い」

デーブ・スペクター氏あった。     聞くまでもない」
宮崎哲弥氏「なかった。 『南京事件』はあったが、『大虐殺』はない」
川崎
泰資あった。    外電は伝えていた」

金美齢氏 「なかった。  『大』でもなければ『虐殺』でもない」
三宅久之氏「なかった。 『民間人』を誤って処刑した程度」
ざこば氏あった。    『大』ではないが」

たかじん「まぁ、人と人とが殺しあうのが当然戦争なんですがっ、なして色んな世界中の戦争のある中で、特にこの南京大虐殺というのは、えー、戦後こう、、、なんでこうクローズアップされて言われてるのは、なしてでしょうね?」

宮崎氏「あのー、70年代80年代ってのは中国は、あまり言わなかったんですね。ところがやっぱり江沢民政権になって、まぁ反日、あるいは愛国的な意識を高揚させるために盛んに言うようになったって側面は否めない。それに日本のある種の勢力が呼応しているという側面は否めないと思いますね。」

辛坊氏「多分ね、戦後ずっと話題になっるって言いますが、たかじんさんが学生の頃ね、教科書で習ってないはずですよ。私も実は習ってないんです。これ南京事件自体がね、教科書に載り始めたのは1980年前後なんですよ。だからそれまで日本では教科書にすら実は載ってなかったんで、我々の世代は学校では習ってないんです。」

西村氏「文化大革命の後でしょ?」

辛坊氏「そうですねぇ。だから日中国交回復の前後から、、」

たかじん「いきなり出てきたという、、とこの部分がね、、」

デーブ「日本でねっ。でも外国には当時から出てますけど、はい。」

辛坊氏「その辺がねぇ、なんで80年前後に出てきたのかという話も含めてね、ちょっと先ほどの本をお書きになった方、呼んでますんで、あった・なかったの論争はまぁゆっくり、その後にお願いするとして、まず本を書いた人の主張からちょっと聞いてみようと思いますので、えー、ゲストをお迎えいたします。えー、この『南京事件・証拠写真を検証する』という本をお書きになりました、東中野修道さんです。」

辛坊氏「80年前後に、まっ教科書に載り始めたって話してるんですけど、それまで日本でこの話が出てきてなかったのは何でなんですか?」

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東中野氏「何ででしょうね?(何でなんでしょう?) いや知りません。」(会場笑い)

たかじん「そりゃつらいなぁ~、先生に言われたら~、、」

東中野氏「あの、あるものはですね、こうだという風に説明ができるわけです。ないものはね、何でだ言われても、説明の(苦笑)、、難しいんじゃないでしょうか。」

たかじん「なるほどね。」

西村氏「僕が子供の時聞きました。(南京に)行った方にね、そんなん出来るはずがないとゆうてましたよ、あっさり。」

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デーブでも、その場にいた日本の兵士も『いや、あった』っていう何人も証言得られてるんじゃないですか?彼らは嘘つきなんですか?何のために嘘をつく、、」

たかじん「いや、なっ、戦争ですから、なっ、誰かお書きになってますけど、南京事件的なものは当然あったと思うんですが、それが大虐殺となると話がだいぶやっぱ変わって来ると思うよね。」

デーブ大虐殺は何人からですか?例えば5万人以内は大虐殺じゃない、ただの虐殺? 」

西村氏「そりゃ中国人に聞かな分らんよ。」

デーブ「いやでもね、数じゃないんですよ(笑)。だから、何万人も10万人も同じじゃないですか。なんでそこに、、数字だけにこだわるかっていう事。数字の事を議論すればするほど、もしかしたらなかったという風にすり替えたいからでしょ?

金氏数字にこだわってるのは中国人であって、日本人じゃないの。数字に拘ってるのは中国人がドンドンドンドン増やしいって言ってるという、、」

デーブ「うん、中国は言いすぎだと思う、、今ね、30万人じゃないと思うけども、日本が5万人だったら、2万人だったら、じゃあ認めるんですか? それも認めたくないんでしょ?

遥氏「それが、それが今、その南京問題のね、あの最前線になってる、、何人からが大虐殺やねんって言われてるとこだけどもぉ、、」

宮崎氏「だからね、例えば、ユダヤ人大虐殺って600万人と言われてますよねぇ、これはもう世界中が大半の人が認める大虐殺。これは英語ではジェノサイトですよねぇ、つまり民族を滅ぼすと。さっきの世界遺産の例を見てもわかるように、そのアウシュビッツと同列に置こうとしてる、南京の問題をね、南京事件を。それは違うっていうのは然るべき批判だと思うけどね。」

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遙氏「元々、論争になったのは何でかって言うと、えーっと昭和46年か7年かな、えーっと、朝日新聞にシリーズで出た、中国への旅(中国の旅)とか言う、(本多勝一!:宮崎) 本多勝一さんの書いたね、あのシリーズがきっかけで、『えっ?!日本はそんな事してたの?!』って、

あの段階から南京大虐殺って言葉がでてきてるわけですよねぇ。そっから論争が始まって、そっからですよ、人数の問題も、いや実はジェノサイトと似たケースなんだって問題も、いろんな論争が出てきてる、、」

三宅氏「数の事なんかはねぇ、その、遙さん、アンタ聞いたようなことを言うけどけどねぇ、(聞いたからゆうてたんですよ(笑):遥) 

ねぇ、いわゆる戦闘行為をやったわけですよね、で、南京城をね、その松井石根を総隊長とする攻撃をする時でもねぇ、ビラを撒いてね、つまり『攻撃するから逃げるものは逃げろ』とかってやってるわけですよ。それから入ってるわけだ、ね。

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その攻め始めてからねぇ、その要するに、その国民政府軍が、軍服を脱いで、ラーベというドイツ人が管理してたる国際安全区の中に逃げ込んだわけですよ、みんな、ね。だからそれは要するに便衣隊と言ってゲリラになるわけだ。民間服着て。だからそれを全部徹底的にやっぱりそれは洗い出すわけですよ。だって自分ら後ろからやられちゃ困るから。

その中でね、軍人じゃない者を処刑したのはあったかも分からないと、私も思いますよ。だけどね、意図的にね、30万人殺すなんて、考えてみなさいよ、もう全部死体だから。でねぇ、、」

デーブレイプの話はどうなんですか?三宅さん、レイプは? レイプは?それ、、」(話の途中で割って入り)

三宅氏「レイプの話してんじゃないっ 順番に聞けっ! 攻撃の話をしてるんです。

それでねぇ、そん時に松井石根という大将がだねぇ、2回に亘って、内外に記者会見してるんだけど、その会見の時に30万人殺したなんていう責任追及は一言も出てない。(もちろん:宮崎) 日本人の記者が出さないなら分かるよ、情報統制して。アメリカ人やいわゆる当時、敵性国家だった欧米のマスコミも質問してないんだよ。(じゃあ分かった:デーブ) だからなかったということでしょうが!!あれば必ず質問するでしょう!!」

デーブ「ちょっとそれ、30万どうのこうの、さて置いて、例えば236部隊とか、色んなあの、人物実験とか、色んな残酷な行為あったって事はありますよねぇ、。そんなのも一切ないわけですか?

三宅氏「そんな話、、今、南京大虐殺の話をしてんだよっ!

デーブ「いや違う。それと関係してくるんですよ。」

三宅氏「関係してくるか!!南京大虐殺があったかなかったかの話だ!」

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宮崎氏「(デーブに)731部隊の事ですか?それ。今、236と仰ったけど。」

デーブ「あ、そうだ」(スタジオ失笑)

たかじん「あったという立場で『外電で伝わってきた』と。てのはどういうことですか?」

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川崎氏「あのねぇ、あのー、戦争というのは異常事態でね、日本国内でも報道管制が厳しいし、全く事実は伝わらないんですよー、戦争中。だから日本人で当時の事を知ってる人はいないんです、ほとんど。

でもその時に、日本人は知らないけれども、外電はきちっとですねぇ、つまり、世界中の人は南京でそういう虐殺事件があったという事を伝えてるから、外国の人はみんな知っているわけだ。ただその人数についてはね、正確なことについてはもちろん分かんない訳だし、

それは中国ってのは我々日本人は良く分かっているわけで、白髪三千丈って国でしょ、だからそれは人数については、そりゃあ考え直さないのは、当たり前なんですよ。だけど、なかったと言うのはね、これはやはりね、大問題ですよ、これは。」

辛坊氏「外電があったっていうのは・・・」

金氏どこの外信が、どこにどういう風に伝えたんですか?

川崎氏・ ・ ・ ・ ・」(会場失笑)「外電が伝えて、ヨーロッパにもアメリカにも全部流れてます、ニュース。」

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金氏だから、どこの外信社が、どこの国でどういうような内容を伝えたのか?ハッキリ仰ってください。」 辛抱氏「そのあたりのお話を、、」

三宅氏「聞きましょう、ね。こういう暴説を聞いてても仕方がない。ちゃんとした話を聞こうじゃないか」

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東中野氏「えっと、そのことについてですね、話をしに来たつもりはないんですが、シカゴデイリーニューズと、ニューヨークタイムズが南京陥落3日後、5日後に出しております。それで、南京の欧米人の目撃によれば、『頻発する殺人』だと書いておりますが、南京の欧米人が目撃した殺人事件ってのは1件もございません。」

辛坊氏「誰がどこで取材をして記事にしたもんなんですか?」

東中野「それはあの、シカゴデイリーニューズのスティール記者と、ニューヨークタイムズのバーディン記者です。(っていう人が二人共南京城内に入った?) 12月15日におりました。

ただまぁ、ちょっと話が拡散するといけませんが、南京というのはこういう風にですね、34kmの城壁で囲まれているわけです、城壁の高さは25mあります。で、2ヶ月間出られません。その中で、陥落直前の人口が20万。陥落10日後の人口も20万。人口減少と(減ってへんやん)言った人は一人もいない。」

辛坊氏「私ねぇ、先生の本読んだんですけど、陥落直前の20万てのは、国際機関が認定している数字です。で、10日後の20万てのはどこから出た数字ですか?」

東中野氏10日後の20万は南京外国人会が出した数字です。それからクリスマスイブの日に、えー、ジョージ・フィッチがそう書いております。」

辛坊氏「逆に言うと西村さんの20万人も人がいないという事ではない? 20万人はいたという事ですね、つまり。全員殺せば20万人は殺せたという意味ですか?」

東中野氏「それはそうなりましょうね。人口はゼロになりますよ。ところが、1ヶ月後には人口は25万と。」

辛坊氏「それは誰が発表しているデータですか?」

東中野氏「それは日本軍の調査によりまして、南京の外国人がそういう風に出すわけです。」

デーブちょっと先生、これ、もし本当に空想から生まれたものだったら、じゃあ何のきっかけで、こんなことになったんですか? その虐殺の、、」

東中野氏「これは、まだ完全な解明までには至っておりませんけれども、恐らく、まぁひとつの戦争プロパガンダとしてこれが始まったという解釈をですね、私自身は今ひとつの合理的な仮説として、、」

デーブ「当時は、当時の中国にそんな余裕あったんですか? そこまで、、」

東中野氏「いえいえありました。国民党宣伝部が一生懸命やってました。そのひとつがこの写真ですね。」

辛坊氏「その写真について多分ね、こん中で言うと、デーブさんがもし、もしですよ、仮説ですけども、もしこれで説得できないようだと多分ね、欧米のメディアは説得できないと思うんです。だから言えば、こん中でもうリトマス試験紙みたいなもんだと思いますんで(笑)」

デーブ「写真の検証ね、さっきの、凄く興味があるから聞きたいです、はい。」

辛坊氏「じゃあ、ひとつずつじゃあいきましょう、はい。これからお願いします。」

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東中野氏「これはですねぇ『日寇暴行実録』という国民政府の軍事委員会政治部が、支那事変一周年の時に出した、プロパガンダ、、(何年にこれは?) 1933年。(南京事件の翌年の夏に出た写真?) そういう事ですね。(はい、分かりました。)

それで、まぁ、農村地帯の女性が一群一群と連行されて、司令部で強姦されているとこういった、まぁ説明が付けられているわけです。

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ところがですねぇ、これは実際にはあのー、元写真って物がありまして、『支那事変画報』でしたか、あっ、『朝日グラフ』ですね、失礼しました。(現在の朝日グラフの前身の写真?) そうなりましょうねぇ。

(これはいつ出た物ですか?) これは昭和12年の11月10日に、、(えー、という事は南京事件の前ですね) 前です。(前に撮られた写真と。これは歴史的にもう証拠としてあるわけですね?) 

ええ証拠としてあるわけです。8ヵ月後に写真説明を改ざんして、、(これ、全く少なくても同じ写真である事は間違いない) 間違いないです。」

たかじん「それが1年前に撮られてるわけや。」

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東中野氏「それで一番前の女性なんかは笑った、、笑顔ですね。ちょっと見難いですかね。これは三番目の男性は白い歯が見えておりますね。」

たかじん「単なる出歯とかゆう事じゃないですよね?」(会場笑い)

東中野氏「・・・要するに日本兵が護衛して、農村地帯の人を自宅に帰していると、こういう写真と理解されますね。

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それからまだありまして、例えばこれはあのー、まぁ実に大きな写真なんですが、(現物ですねぇ) これ現物です。 これはなかなかない本なんですが、古本屋でたまたままぁ、見つけたものです(笑)(へーー) 

で、これがまぁ、その『日寇暴行実録』なんかにですね、略奪の写真として、まぁ密かに転載されて、写真説明を、キャプションを改竄して出してきたわけです。(ちょっとよろしいですか?・・・) 

それでまぁ、大変残念ですが、まぁ本多勝一さんなんかもこれを略奪の写真としてですね、使っているわけです。」

辛坊氏「これはー、昭和12年の12月29日だから、要するに南京侵攻の2ヶ月前の写真ですねぇ(はい) 『支那民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士』というキャプションがついてる、、(そうですね)」

たかじん「その虐殺してトリ盗って来た割りにはなんか物凄く爽快な顔してますよね。」(会場笑い)

東中野氏「だからそう、してないわけですから。」

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宮崎氏「ちょっと待ってください、それ、朝日グラフですよねぇ? 朝日新聞社の。本多勝一はそれを知らなくて?、知ってて間違ったんですか?知らなくて間違ったんですか? わざと間違ったんですか?

東中野氏「それは、私は本多さんじゃございませんので、本人にお尋ね頂きたいと思いますが、恐らくまぁ、取材の手順を省いたという事は(手抜き?:宮崎)考えられますねぇ。」

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デーブ「ちょっとぶっちゃけた話、それ確かに気になる写真ですよ。ところが人を殺戮する時に、ちょっと待って、ポーズと言って写真は撮りませんし、殺される前に記念に撮って下さいと言う人もいないんですよ。

だからそういった本当に激しい場面があったら、そういった記録に残る方がむしろおかしいんじゃないですか?今、イラクみたいに誰もかれもビデオ持ってる時代じゃないので、かえって写真があった方がおかしいぐらいじゃないですか。これで全くないという事は果たして断言していいかどうか、、」

東中野氏ですから今、写真をですね、ひとつひとつ検証してるわけです。そのことと、南京で虐殺があったかなかったかという話は別次元の話なんですね。別次元の問題としてまたこれは論ずべきなんです。

これは、あくまでもひとつの歴史の研究として、どうしてもこれは避けては通れない検証作業なんですね。で、今までそれが放置されていたという事でございますから。真を写して入るものだとばかり思ってですね、みんなうーんそうだと思って、、」

たかじん「先生はそうじゃなくて、写真は写真として、ちゃんと事実を分別してかなあかんと、、ってことですね、はいはいはい。」

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遙氏という事は、一枚残らずね、真実の写真がなかったという立場ですか?」

東中野氏私共はですね、手に入る写真を全て手に入れました。そして、あったなかったという事とは別として、この写真は果たして真実なのかどうなのか、疑問点、矛盾点はないのか、それからこの一枚の写真はどこで初めて出てきたのか。初出?はどこなのか、どういう風に使われていったのかという事を全部綿密にまぁ押さえたわけです。

ですから一番最後の巻末にですね、こういった一覧表を載せておりますが、これは一枚の写真がどの雑誌に使われたのかという流れ図であります。

で、この結果ですね、私共が分かった事は、その1938年7月、南京陥落から8ヶ月後のこの支那事変・日中戦争1周年の年に、中国の国民党宣伝部が出版した戦争プロパガンダの本。この本に初めて写真が出てきたという事です。しかも今言いましたように、写真説明を改竄して載せていると。こういった事がですね、初めて明らかになってきたわけです。」

三宅氏「それは、どういう写真かちょっと説明してください。」(後半につづく・・)

正直デーブの横槍がウザかったです。この人に、日本人のメンタリティーは一生理解できないと思う。

そこが、ロバート・キャンベルさんやパトリック・ハーラン(パックン)との大きな違いだと思います。

不用意に韓国の「冬ソナ」の話してたけど(後半で)、韓国だって同じ構造、白髪三千丈なんですよ。必見です!↓

《韓国反日記念館の実態(蝋人形のウソ)、日本の冤罪》より一部抜粋

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●下は日本人が死刑にした愛国烈士の名前が載っている

ところがね、日本は36年間でひとりも政治犯として死刑にしていない

3.1運動で最高が懲役3年。しかも1年半で出てきているので、彼らは日本が去った後に、他の強盗殺人・強姦殺人で死刑になった人達の名前を拾ってきてこういう風にしている。(えっ?!じゃあ関係ない?) 関係ない。1人も死刑にしていない。

日本は外地でも戦前に1人も死刑にしていないので嘘八百もいいとこ。」

おまけ 遙洋子が言っていた「南京大虐殺」の騒ぎの元を作ったのがこの人

本多勝一本多 勝一  実にアカヒらしい人ですよねぇ・・

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