朝鮮全岸
1月8日の衆議院予算委員会で、
日本の領土を守るため行動する議員連盟(領土議連)の会長の新藤義孝議員が、
日本が1908年(明治41年)に作成した近代的測量図面と、韓国が1954年(昭和2
海上保安庁が航路図として利用している資料等、関係各省庁が保有する領土に関する資料を取りまとめて国民に広く公開し認知してもら
その日韓双方の測量図の件は3年前に、山陰のローカルニュースで詳細を報じていたので、この際それも紹介。
日本作成の竹島の測量図と比べて、その半世紀後に作った韓国の地図がテキトーすぎて笑えます。
あと、竹島が韓国のものだという根拠の1つ「朝鮮全岸」という海図について、日本の専門家の分かりやすい解説も。
【新藤義孝】海保に眠っていた1908年(明治41年)作成の竹島近代測量図!領土資料各省庁がまとめて国民に公表しろ!【衆議院予算委員会 2016年1月8日】
新藤議員「領土問題について。安倍内閣のビジョンの1つは、『日本を取り戻す・・・強い経済・優しい社会・安心安全な国づくり・国の主権や誇りの確立』だと思う。その上で提案するが、(慰安婦問題に関して 略)
領土問題に関しては、法律と歴史的事実と正義に基づいていくもの。まずは国民や国際社会竹島に日本の立場を理解してもらうのが重要。
領土議連で海上保安庁を視察してきた。極めて分かりやすい資料があった。これは明治41年に日本政府が近代的測量手法に則って、世界で初めて竹島を実測した図面だ。一方コチラは韓国が昭和29年に韓国が初めて作成した竹島周辺の実測図。その時韓国は「わが国観測史上初めて前人未到の絶海の孤島で測量を行った」とコメントした。
日本はもう明治41年、とっくの昔に実測していて江戸時代から詳細な地図を持って活用してきた。
韓国は29年に測量を始めたが、ナントこの測量の5日前に日本政府がICJ・国際司法裁判所に竹島の領有権問題を提訴した。その提訴を提案した5日後、対抗資料がないので、慌てて測量したのがこの図面。この図面は日本に1枚しかないが海上保安庁が保存している。こういうのが眠っているのに皆さんは見たことがない。
朝鮮全岸、これは明治政府が29年に出した海図だが、関東大震災などで焼けてほとんど残っていない。民間の研究者が古書店で自腹で買って島根県に寄付した図面。
竹島が韓国のものだという根拠の1つになっている。赤い丸がリアンコルドと書いてあり、"明治政府は竹島が朝鮮のものだと認識していた"と。でも、ウラジオストク・福岡県・山口県も書いてある。この図面が朝鮮を示しているのならそれらも朝鮮になってしまう。この程度の根拠だ。こういう事実を皆さんに見てもらえばいいと思っている。
でも海保は海上交通の安全の為に海図を保管している。歴史的価値を分析する資格がない。
他の関係省庁と連携して連絡調整する体制べき。
日本側のEEZに韓国が廃棄物の投棄区域を勝手に設定しているので、早速撤廃させろと外務省に申し入れし、交渉が始まっているが、1つ1つの情報を役所で連携すべき。
こういう物は日本の古書店に流れているが中韓の人が買い漁りに来ていると聞いている。
海保に、こういう物の連絡協調体制をきちんと整備するよう提案した。資料を整理して分析して国民の皆さんにに知らせていく常設展示場を作ってもいいし、企画展示を各地でやればいい。淡々と事実を知らせる工夫をした方がいいと思う。海上保安庁長官・佐藤雄二氏「ご指摘のとおり、我が国の領有権に関し、歴史的客観的に重要な資料でもあるので、今後、収集・保存を引き続きしっかり行うとともに、関係省庁との間で情報交換会を設置し会合したので、定期的に開催し、関係省庁とより密接に連携していく。」
領土担当大臣・島尻安伊子氏「海保の海図活用に関する省庁連携について、領土対策室でも尖閣諸島・竹島に関する資料の収集やデジタル化を進めている。1500点の資料を収集し、その中の200点をウェフサイトに掲載した。今年度も調査年代など拡大し引き続き取り組んでいく。」
新藤議員「是非常設展示スペースを国会周辺に造るべき。」以上
地図が分かりにくいので、↓コチラで日韓の測量図の確認してください
海保で発見された竹島新資料に関して、4年前に報道されたローカル番組です
《海上保安庁で竹島新資料(経緯実測原簿)発見と"東京の大規模集会"への韓国の反応【TSKスーパーニュース】》2012年4月12日
TSK山陰中央テレビ【スーパーニュース】(ローカル)で、
海上保安庁で発見された"竹島新資料"と昨日の"東京の大規模集会"の韓国の反応のニュースをやっていたので記録しました(青字はナレーション) 日本の竹島の測量図と比べて、その半世紀後に作った韓国の地図、酷すぎでーす
アナ「さて次は、日韓関係で障壁となっている竹島問題新資料です。今日島根県は竹島の領有権を裏付ける新たな資料が発見されたと発表しました。」女子アナ「資料の原本が保管されている海上保安庁で取材しました。」
東京・海上保安庁・海洋情報部。
レポーター「建物の中にはたくさんの資料が保管されています。海の深さ、潮の流れ、沿岸部の地形など明治時代以降の海に関するありとあらゆる資料が残されています。今回、この文献の中から、日本の竹島領有権を裏付ける新たな資料が見つかりました。」
経緯実測原簿。明治以降日本近海を測量した海図で、近代的な測量方法を用いた資料としては国内で最も古い貴重な記録の原本です。
レポーター「今回新たに発見されたこの資料なんですが、こうした海図、海の地図を作る時に島の位置がどこにあるのか、その測量結果を記したものです。めくっていくと、このように日本近海の島々が精密に測量されているんですけれども、その中にこの竹島も含まれています。」
竹島については、明治41年、1908年8月に測量され、位置の記録の中では竹島(隠岐国)と記し、日本の一部として認識して測量していた事が分かります。
竹島、遅くとも江戸時代の初期には日本による領有権が確立されていて、
1905年に島根県に正式に編入された日本固有の領土です。
しかし、戦後、韓国も領有権を主張し、警備隊を置くなどして不法占拠を続けています。島根県は、こうした竹島問題の早期解決に向けた取り組みを進めていて、
昨日は、東京で初めて大規模集会を開き、竹島の領有権をアピールしています。
その一方で、県が進めているのが歴史的な資料の調査。
今回のような海図も県の調査チームが海上保安庁に残る膨大な資料の中から発見しました。
レポーター「この資料なんですが、竹島のページ良く見ると、二つの大きな島以外にも細かく名前が付けられてますね。」
一方、韓国が作成した地図。今回見つかった日本の地図の46年後の1954年に作成されたものですが、この2つを比較すると・・日本側の地図がいかに細かく測量されているかが分かります。
今回の資料の発見に、竹島問題研究の専門家は・・・
下條教授「はっきり竹島は日本であるということを認識した、、当然の事なんですけど、認識した上で、こういう物を作ったという事ですね。
その新しい資料の発掘と同時にですね、韓国側の発表している物に対してですね、やはり問題点を指摘していくっていう作業も合わせてしていく必要があるのではないかと、、」
竹島問題をめぐっては、外交交渉でのめざましい進展が見られない中、歴史資料が竹島の領有権を静かにはっきりと物語っています。
(スタジオへ)
アナ「はい、日本と朝鮮半島情勢、緊迫しています。
さて、昨日の竹島東京集会について、韓国側の反応が出ています。
韓国外相通商省によりますと、韓国メディアの記者、およそ30人が参加する勉強会を今月21日に竹島で開く事を明らかにしています。
まっ、重要なのはその中身ですが、歴史的事実にきちんと基づいたものであって欲しいと思います。」
日本のきちんと測量した地図と比べて、韓国の地図のテキトーすぎ。 しかも日本のものの46年後に作ったって・・ウソみたい。でもまっ、長年、測量技術がなかったからしょうがないかっ。
韓国側の資料ってどれもこれもテキトーで、全部下條教授に論破されちゃってるし、
最後のアナウンサーのトドメのセリフ「まっ、重要なのはその中身ですが、歴史的事実にきちんと基づいたものであって欲しい」というのは的確です この件に関しては、産経新聞が報じていました
竹島の実測原図 旧日本軍、明治41年に測量
2012.4.11 07:03 [領土・領有権]
島根県竹島(韓国名・独島)を旧日本海軍が明治41(1908)年に測量した実測原図が海上保安庁に所蔵されていることが10日、同県竹島資料室の調査で分かった。
原図は、旧日本海軍水路部が経緯度を実測した記録「本標 経緯度実測原簿」(縦30センチ、横21センチ)。竹島資料室が今年3月、海上保安庁海洋情報部(東京都)の資料を調査し、新たに見つかった。測量時の竹島経緯度が記された経緯度表も初めて確認された。
原図の縮尺は、1万8204分の1。旧日本海軍が明治41年8月4、5日の2日間、竹島周辺を測量し作製した。
竹島の西島を「男島」、東島を「女島」と記載。島名を含む地名9カ所が記載されており、西島南西の「南西岩」や、西島と東島の間にある「洞岩」、東島北東の「洞湾」など6カ所は、今回初めて確認された地名だった。
へーー、旧日本海軍が100年以上前に作ったんだ! さすがですねー
でも、その旧日本海軍の方々、今の竹島の現状を見て嘆いてますよね・・
私がブログを始めた(2009年)頃は、「竹島」の事なんて全国ニュースでは本当に皆無でした。なんせ「竹島の日」も取り上げなかったくらいですから(呆)
メディアがそんな風だったから、誰も関心がなかったのはしょうがないんてですけどね・・
そんな中、竹島の件で孤軍奮闘していたのがこの新藤義孝さんでした
安倍政権になり、ネットを使った発信も始まり、着々と証拠固めもしているようで感無量。
既存のメディアもしっかり報道すべきだけど、それはまだまだですけどね・・・
関連記事
「朝鮮全岸」について(10年以上前の番組)
《鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~【TSKスーパーニューススペシャル 】(後編) ③④⑤》 より
・・海図の性格について、竹島問題研究会の委員で島根大学の舩杉助教授は次のように指摘する。
舩杉氏「海図は海上交通の安全のために作ったものです。特に岩礁とかですね、そういう物に船が当たってしまうと座礁してしまいますので、そうした物に当たらないように、安全航行の為に作ったものが海図という事になります。
従って、それを元にしてですね、領土はどこかとかそういう事は議論出来ないそういう資料です。
ただ、非常にその岩礁とか島の位置を正確に記した資料ですので、あの島の位置を確かめるにあたってはですね、非常に意義がある資料だと言えると思います。
国立国会図書館の塚本たかし参事によると、中井が見た海図は日本海軍が作った"朝鮮全岸"という資料。朝鮮半島周辺の海の様子が記されている。題名には"朝鮮"の文字。中井はこの中に書かれている竹島を韓国の領土だと思ったのだという。
つまり、中井は確乎たる根拠を以って韓国領だと認識していたわけではないのだ。
舩杉氏「確かにですねぇ、明治29年にあの、日本政府の水路寮が発行した朝鮮全岸という地図の中に今の鬱陵島、当時松島とも呼んでいましたし、それから今の竹島にあたるリアンコール列岩が出ております。
ただ、先程述べましたようにそれは朝鮮半島の近くをですね、航行する船の為にですね、作成した物ですし、で、実際その海図とセットに作られました朝鮮水路誌という本を見てもですね、日本海、特にあの函館に行く船なんかはですね、丁度、リァンコ島(竹島)の近くを通って航行したと。だから気をつけなさいと、そういう記載もあります。
従って、朝鮮水路誌という方に出ていたとしても、それは朝鮮の国の範囲の中にあるという事を示したわけではなくてですね、朝鮮半島の近くを航行する船に気をつけなさいと、まぁそういうふうに読み取る、そういう資料だということが言えると思います。
朝鮮全岸に出ているということで中井養三郎がまぁ、朝鮮領だと誤解したんですけども、でー、実際にその水路局の局長、それはキネツキと言いますが、キネツキ部長に会ってですね、この島は一体何処に所属するのかというふうに問い合わせをするわけです。
で、その結果、キネツキさんはその海図とですね、水路誌と両方見てですね、これはどこの領土にも属していないという事をハッキリ答えられたんです。それは水路誌・海図を作った当事者ですから、極めて妥当な判断で、資料上もそういうふうに出ているわけです。
まっ、ですので中井養三郎が誤解したという所と、それから日本政府がその当時竹島をどういう風に認識していたのかということがしっかり判るそういう資料でして、
ですので、従来(韓国の)研究者から言われているようにですね、日本政府が竹島を島根県が編入する前にですね、韓国領だというふうに認識していたということもそれに当たりませんし、
それからもうひとつ言えば、キネツキさんとかですねぇ、政府がですね、中井養三郎をそそのかしてですね、韓国領であることを知っていたにも関わらず無理やり編入願いを出させたと言っておられる先生もおられますが、そういう解釈は明らかに間違っているということが言える。その意味で今回の資料ってのは大きな発見であると言えると思います。
ただその一方でですね、じゃあその1905年以前にですね、明治期にあたって、我が国が今の竹島を日本領として認識していたっていう事はまた別問題ですので、こういう資料を発掘してですね、一体事実がどんなとこにあるのかと、先入観を持たずにですね、引き続き資料の発掘と分析を続けていく必要があるんじゃないかと思っております。」
竹島問題研究会の調査によって明らかになる新事実。日韓の研究者レベルで新たな論争に発展し、いずれ真実が明らかになる時が来るだろう。 ・・
《日本政府、5年前に撤廃されたハズの竹島周辺の日本EEZ内「産廃投棄区域」を韓国に正式に抗議。 ゴミ海洋投棄国家・韓国の実態 【ムーブ】》2015年12月11日
韓国が日本のEEZ内にゴミの海洋投棄している実態を、新藤さんが明らかにしたニュースが報じられていますが、
その海洋投棄している廃棄物の(糞尿・下水汚泥・生ゴミ排水・畜産排水など)中には、鉛・水銀・カドミウム・ヒ素など人体や生態系に影響する有害金属が大量に含まれているものもあるそうです。
なのに韓国のりの輸入を増大させるとか、韓国の牡蠣の輸入が増えているとかとんでもない事ですよね
で、ニュースでは、竹島の北北東沖のEEZ内にも区域が設定されていたことが判明としているけど、実はもうずっと前から分かっていた事。
それをタイミングを見て、与党・日本政府があえて出してきたワケと、
7、8年前、関西の番組で「ゴミ投棄を止めてもその影響は100年はかかる」事とか、日本のEEZ内投棄の問題などを花田氏・宮崎氏・勝谷氏が語っていたので、この際それも紹介します
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鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~【TSKスーパーニューススペシャル 】(後編)の文字起こしです (青字はナレーション)
③
テグ大学で行われた意見交換会だった。
研究会の主張に対し、出席した6人の研究者は激しく反論した。
キム・ファキョン教授「日本の独島研究家の特徴は、韓国の研究を否定することから始まります。先生のとんでもない話もこれから全て検証していきます。」(嶺南大学)
キム・チョムク会長「日本の研究者は、韓国側の持っている資料の少しの違いを追及しています。少しの違いで韓国の歴史全てを否定しようとしていると感じます。」(独島守護隊)
2時間に及んだ意見交換会。議論は平行線に終わった。
キム・ファキョン教授「1900年の大韓帝国の勅令で鬱陵島・竹嶼・石島という島が出てきますが、石島が独島であるにも関わらず、下條先生は(石島は)観音島と主張しています。歴史的資料を歪曲しているわけですね。
それから朝鮮王朝実録という本がありますが、その中でも主語を省略することによって変に解釈しています。私は資料を歪曲していると主張しました。」
キム・ファキョン教授「(何か共感できる点は?) いやー、理解できないです(笑) いや全然ない (まったくないですか?) うん」(ここまで日本語)
「何故理解できないかというと、日本の領土だという結論を出して、私達の意見に耳を傾けようとしない。日本に有利な資料だけをとって証拠として示しているのが間違いだ。」
キム・チョムク会長「これまで日本の主張が矛盾していると思っていましたが、それを確認する場になりました。
韓国側の少しの矛盾点というのは、昔の記録で、島の位置が間違っていることで、それを指摘されていますが、それは世界中何処にもあることです。昔は精密な記録は出来ませんでした。世界地図も形は少しずつ変わっています。昔の記録は当時の状況を考えて判断すべきのに今の基準をもって判断するのは誤りです。」
下條正男氏「もう十分なですね、話し合いというところまでは行きませんでしたけれども、まぁ韓国側と日本側の我々とのですね、認識の違いがあるという事がよく認識できました。それも一つ成果だったと思います。基本的にですねぇ、歴史に対する考え方も違いますし、文献そのものの存在ですね、ちょっと違うんですね。
韓国側には政府のレベルで編纂するという事もありますが、日本ではそういう事がありませんので、やはりそういった様々な細かな文献を読んでいかなけれどならないと。でも、韓国側から見るとそういった文献てのは無視できるものであったりですね、個人的な意見とか、そういうふうにして一蹴されてしまう部分もあるんです。
そういう事から見ていくと、やはりお互いの歴史認識以前にですねぇ、お互いの歴史がどう違っていたのか、まっそういった部分からですね、話し合っていく事が出来れば良いのではないかなと思っています。」
この意見交換会について、韓国側の研究者からは非公式なものとする前提条件がついた。
韓国内で竹島問題は、竹島を日本の領土とする研究者と公式に意見を交わすだけでも批判を受ける恐れがある微妙な問題だ。
こうした中での意見交換会。実は大変異例なことなのだ。
その中で、韓国側から自国領とする根拠として取り上げられた人物がいる。
キム・ユンベ氏「独島のことを一番よく知っている日本人は中井養三郎だと思います。中井の文献には独島は韓国領だと明確な記述があります。」(独島守護隊)
中井養三郎とは、竹島の島根県編入を国に願い出た人物。中井は1903年、隠岐の島を拠点に漁師を雇ってアシカ漁を始めた。
中井が編入を願い出たのはライバル会社との過当競争による乱獲の懸念や領有権が明確でないことによる他国とのトラブルを心配した為とされる。
そして、1905年、島根県は竹島を編入した。中井は1911年頃書いたと見られる事業経営概要の中で、竹島の編入を願い出た時を振り返りこう述べている。
"本当の鬱陵島を付属して韓国の所領なりと思わるるを・・・"
ここには中井は編入を願い出る前、竹島を韓国領だと思っていたと記されている。
このため、韓国側の研究者などは当時の日本人が当時の竹島を韓国領だと認識した上で韓国から奪い取ったと主張する。
更には、中井は朝鮮侵略を進める日本政府から唆された。とまで言い切る研究者もいる。
ところがこの主張に一石を投じる新たな資料が松江市で発見された。
奥原秀夫氏「中井養三郎という人の話を写したんだ。その時のことを書いたものなんだ、これは。どういう訳で竹島が明確な日本の領土であるという事を決めた時の話がこれに書いてある。」
奥原秀夫さん94歳。明治時代、島根県の教育者で文化人として活躍した奥原碧雲の三男だ。奥原さんが持ち出した古い原稿。中井養三郎氏立志伝。
竹島を編入した翌年の1906年。碧雲は島根県の竹島調査団に同行。この立志伝は一行の中にいた中井から聞き取りした内容が記録されている。
そこには中井が当初、竹島を韓国領だと思っていた理由がハッキリと書かれていた。
"海図によれば仝島は朝鮮の版図に属するを以って・・"
海図とは、船が使う海の地図。中井が竹島を韓国領だと思った根拠は海図だった。
④
海図の性格について、竹島問題研究会の委員で島根大学の舩杉助教授は次のように指摘する。
舩杉氏「海図は海上交通の安全のために作ったものです。特に岩礁とかですね、そういう物に船が当たってしまうと座礁してしまいますので、そうした物に当たらないように、安全航行の為に作ったものが海図という事になります。
従って、それを元にしてですね、領土はどこかとかそういう事は議論出来ないそういう資料です。
ただ、非常にその岩礁とか島の位置を正確に記した資料ですので、あの島の位置を確かめるにあたってはですね、非常に意義がある資料だと言えると思います。
国立国会図書館の塚本たかし参事によると、中井が見た海図は日本海軍が作った"朝鮮全岸"という資料。朝鮮半島周辺の海の様子が記されている。題名には"朝鮮"の文字。中井はこの中に書かれている竹島を韓国の領土だと思ったのだという。
つまり、中井は確乎たる根拠を以って韓国領だと認識していたわけではないのだ。
舩杉氏「確かにですねぇ、明治29年にあの、日本政府の水路寮が発行した朝鮮全岸という地図の中に今の鬱陵島、当時松島とも呼んでいましたし、それから今の竹島にあたるリアンコール列岩が出ております。
ただ、先程述べましたようにそれは朝鮮半島の近くをですね、航行する船の為にですね、作成した物ですし、で、実際その海図とセットに作られました朝鮮水路誌という本を見てもですね、日本海、特にあの函館に行く船なんかはですね、丁度、リァンコ島(竹島)の近くを通って航行したと。だから気をつけなさいと、そういう記載もあります。
従って、朝鮮水路誌という方に出ていたとしても、それは朝鮮の国の範囲の中にあるという事を示したわけではなくてですね、朝鮮半島の近くを航行する船に気をつけなさいと、まぁそういうふうに読み取る、そういう資料だということが言えると思います。
朝鮮全岸に出ているということで中井養三郎がまぁ、朝鮮領だと誤解したんですけども、でー、実際にその水路局の局長、それはキネツキと言いますが、キネツキ部長に会ってですね、この島は一体何処に所属するのかというふうに問い合わせをするわけです。
で、その結果、キネツキさんはその海図とですね、水路誌と両方見てですね、これはどこの領土にも属していないという事をハッキリ答えられたんです。それは水路誌・海図を作った当事者ですから、極めて妥当な判断で、資料上もそういうふうに出ているわけです。
まっ、ですので中井養三郎が誤解したという所と、それから日本政府がその当時竹島をどういう風に認識していたのかということがしっかり判るそういう資料でして、
ですので、従来(韓国の)研究者から言われているようにですね、日本政府が竹島を島根県が編入する前にですね、韓国領だというふうに認識していたということもそれに当たりませんし、
それからもうひとつ言えば、キネツキさんとかですねぇ、政府がですね、中井養三郎をそそのかしてですね、韓国領であることを知っていたにも関わらず無理やり編入願いを出させたと言っておられる先生もおられますが、そういう解釈は明らかに間違っているということが言える。その意味で今回の資料ってのは大きな発見であると言えると思います。
ただその一方でですね、じゃあその1905年以前にですね、明治期にあたって、我が国が今の竹島を日本領として認識していたっていう事はまた別問題ですので、こういう資料を発掘してですね、一体事実がどんなとこにあるのかと、先入観を持たずにですね、引き続き資料の発掘と分析を続けていく必要があるんじゃないかと思っております。」
竹島問題研究会の調査によって明らかになる新事実。日韓の研究者レベルで新たな論争に発展し、いずれ真実が明らかになる時が来るだろう。
今回の韓国訪問はその一歩となったに違いない。
一方で、今回の韓国訪問では現状では埋め難い日韓のギャップもまた目の当たりにした。
釜山トュクベツ?市1600年代後半、ここで活動していた朝鮮の英雄がいる。安龍福(アン・ヨンボク)。
朝鮮王朝の記録によると、安は「竹島を朝鮮領だと日本に認めさせた人物とされ、韓国では教科書にも登場する英雄だ。
一方、日本には安が訪日したとの記述はあるが、竹島を朝鮮領だと認めさせたなどという記録はなく、幕府や藩の要人に会った事も疑わしいとされている。
しかし、アン・ヨンボクは韓国では英雄だ。釜山には自治体が建設したアン・ヨンボクを祀る公園まであるほどだ。
キム・ビュンク会長「20億ウォン(約2億5千万円)?で市がこの地を買い入れそしてこれを建てましたよ。」(安龍福将軍記念事業会)(日本語)
(お祀りするサダンには領土を守った人という意味の言葉が・・)
キム・ビュンク会長「あちらは安龍福将軍の像です。[E:danger]安龍福は1人で日本に行って74年間日本に占領されていた鬱陵島を韓国に取り戻したことで讃えられている人です。」
島根県の研究会のメンバーはこの公園も視察し、キム会長からアン・ヨンボクについての思いも聞いた。メンバーが今回の鬱陵島・・(つづく・・・)
⑤
今回の調査で感じたのは、研究の成果への手ごたえだけではなかった。
それは日本ではあまり感じられない竹島(独島)に対する韓国の関心の高さだった。
竹島行きの高速船。
民間の会社が作った独島博物館。
近くにはケーブルカーが通り、見晴らしの良い日には竹島が見えるという展望台がある。
そして釜山には、アン・ヨンボクの記念公園(安龍福将軍祀堂)
下條氏「今回、あの竹島、、韓国の言う鬱陵島のですね、独島博物館とか、それから今日の場合の安龍福さんの顕彰碑ですか、公園がありますけれど、ああいった史跡とかですね、博物館等のですね活動が非常に活発ですね。
そして民間団体の方もですね、そういった安龍福含めて、韓国側の竹島問題(独島問題)に対するそういった集まりがたくさんあるわけなんですね。まぁ学術のレベルもあれば民間的ないわゆるの庶民クラスのものもある。そういった点から見ると日本はですねぇ、日本政府も対応しませんし、やはりまぁ個人的にもあまり動いていない。そういった格差が非常にあるということを認識致しました。
で、今回見た独島博物館の場合にはですね、個人の方が集められたわけですけど、やはり大きな財団(サムスン)がですね、それを支援して博物館を建てたりですね、あるいは政府レベルで多く支援をしていますので、取り組みの仕方がですねぇ、日本と韓国では極めて対称的だということがよく分かりました。
で、韓国側としてもですね、やはり日本を訪問してもですねぇ、そういった資料とか文献を直接見る機会ってのがありませんね。そういう意味ではですねぇ、是非とも早くそういった公文書なりをですねぇ、公開できる建物ではなくて場所ですね、コーナーでも結構なんですが、そういうものが出来るようになると非常にありがたいなと思います。
そうすれば、韓国側も理解が早くなるのではないかなと思います。」
竹島問題をめぐる日韓のギャップ。これは島根県という一自治体だけで埋まるものではない。
日本海における日韓の漁業ラインの設定もまた竹島問題が投げかける大きな課題のひとつだ。
澄田知事(当時)「大切なね、日本海ですから。これは韓国にとっても日本にとっても非常に大事な海ですから、これは首脳会談でね、基本線をきちんと取り決めて頂くという事はね、大切なことだと思います。」(島根県)
片山知事(当時)「あの、今までそのなんかタブーを持ち出したらね、もう日韓関係が壊れてしまうんじゃないかってそういう、あのちょっとした根拠のない恐れみたいなのがありましたけどね、やっぱり問題は現としてあるわけですから、表に出さないままで、鬱々としていたもなんにも埒が明かないですよね。これを表に出して、その上で話し合いながら良好な関係、友好関係を築いていこうっていう新しいステップに入ったと思うんですね。それならば首脳会談でこういう非常にクリティカルなナイーブな問題ですけれどもね、ですけども、現実に日本の我々の地域、漁業者も非常に難儀難渋をしているわけですから、そういう問題は国策として出していくって事は重要な事だと思いますね。」(鳥取県)
今年10月開かれた日韓首脳会談。安倍総理就任後初めてとなるこの会談で竹島問題は議題に取り上げられることはなかった。
日本と韓国の間に突き刺さるトゲ、竹島問題。政府が沈黙していれば解決は遠のくだけだ。
鬱陵島の調査を初めとする研究会の成果。それが政府レベルで生かされていくのはいつの日のことだろうか。以上
竹島問題研究会をはじめ島根県の取り組みで、教科書もほんのちょっとずつだけど記述が増え、下條教授の言われていた公文書を公開する場所も島根県庁内に設置され、
韓国メディアも頻繁に訪れています。
あと、この映像の最後に下條教授が訴えておられますが、
独島博物館と竹島資料室の差が激しすぎることを是非知って下さい。
《韓国ウルルン島・独島博物館の㊙正体、下條教授が解説 【Nスタ・ニュースJAPAN・スーパーニュース】》より
・・・博物館が設立されたのは1997年。
建物の面積は[E:danger]1500㎡を超え、竹島の領有権に関する韓国の主張が所狭しと展示されている。
精巧に作られた竹島の模型に、韓国の主張と合致する何枚もの古い地図。
この博物館には去年13万人以上が訪れている。
(一方、竹島資料室は・・・)
地図や論文などが二部屋に展示されている広さはおよそ100㎡
一日の来場者は、平均5人から6人で、年間ではおよそ1000人になるという。
13万人と1000人の違い・・・情けないですね。
私はこのギャップは、日本の教育とマスコミの啓蒙不足にあったと考えます。
そして2012年夏・・・竹島問題を契機に日韓の重大な転換期に入りつつあります。
最後に、この動画を6年の時を超えてupされた方に感謝します。
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