ちなみに、テレビ朝日【スーパーモーニング】ではこういう感じでVTRを編集
以前、つかこうへい氏は、日本だけでなく韓国も批判していたので、
少なくても、徒党を組んで色々要求するような人たちとは違う。と感じたのを憶えていますが、私はこの人、よく分かりません^^;
でもマスコミって、なんだか つかこうへいという人を利用しているような気がします。
私も阿比留さんのブログを読まなかったら、つかこうへい氏を誤解したままでした。テレビを鵜呑みにしてはいけませんね(苦笑) 反省💦
さくらにゃん
TBS【Nスタ】(3/1)で、
「日韓合意から2か月、早くも新たな慰安婦像設置の動き」と題して、日韓合意後2ヶ月の韓国の動きを取材して報じていたので記録しました(青字はナレーション)
どんどん増殖する慰安婦像・・そして釜山の領事館まん前にも絶対に建てると宣言(呆)
映画・鬼郷(帰郷)が大ヒットしているのはいいけど、「元慰安婦の経験談」を元にしたなんて、大嘘だし呆れますね。韓国の反日行動、ますます絶好調のようですが、
それでも慰安婦問題日韓合意は正しかったと思います。
アナ「慰安婦問題をめぐる日韓合意から2か月。韓国では新たな慰安婦像を設置する動きが広がっています。
女子アナ「今日、韓国は日本の植民地支配からの独立運動を記念する祝日を迎え、日本への反発がさらに強まっています。」
韓国第二の都市・釜山では、今日、新しく作られた慰安婦像の除幕式が行われました。
韓国は今日、日本の植民地支配からの独立運動を記念する祝日で、各地で慰安婦問題を中心にした反日運動が展開されました。
レポーター「首都ソウルでは大規模な集会が開かれまして、慰安婦問題の日韓合意にはあくまでも反対すると訴えています」
慰安婦像を集めた展示会も開かれました。
岸田外相「心から、お詫びと反省の気持ちを表明します」
慰安婦問題をめぐり日韓が政治決着した2か月前、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は、ソウルの日本大使館前にある慰安婦像をめぐって「適切に解決するよう努力する」と述べていましたが、
今日もソウルの大使館前では学生が座り込みを続け、像の撤去に向けた具体的な動きはみられません。そればかりか、韓国では去年、少なくとも23体の慰安婦像が新たに設置されるなど、その数は増え続けています。
「慰安婦合意は全面無効!」「無効!」「無効!」
今日、釜山の日本領事館前では1000人近い参加者が、政府間合意の無効を訴えデモを行いました。この領事館の前にも慰安婦像を設置する動きが出ています。
「コチラが釜山にある日本総領事館前ですけど、市民団体はですねぇ、この門のすぐ近く、丁度この辺りに新しい少女像を造ろうと計画しているという事です。」
市民団体「日本が嫌がる平和の少女像を必ずや釜山に我々の力で建てましょう」
釜山市民「(慰安婦像は)設置すべきです。外交問題になるのは日本のせいですよ」
釜山市民「他の所にもたくさんあるのにわざわざ領事館前に・・分かりませんね」
慰安婦像の設置運動について、JNNが韓国外務省に質問すると・・・。
外務省報道官「少女像の設置は民間で行われているので、政府がどうこう言える事案ではありません」
政府は干渉できない」との立場を繰り返すばかりです。
こうした中、元慰安婦の証言を元に制作した映画「鬼郷」が、先週、封切られました。
女性が14歳の時、日本軍に無理やり連行された過去を振り返るという内容です。
観客「見ていてぞっとしました・・・」ソウル市が大々的に宣伝に協力した影響もあるのでしょうか。ハリウッド映画を抑えて、公開初日から観客動員数が韓国トップとなりました。
昨年末、韓国側が財団を作り、そこに日本政府が10億円を拠出することで合意した日韓両政府。朴槿恵大統領「政府は慰安婦被害者一人一人の名誉を回復し、実質的な支援の拡大に全力を尽くします」
今日の演説でもこう述べて理解を求めた朴槿恵大統領ですが、未だに財団ができるめどすら立っていません 以上
一生、勝手に独り相撲やってろ!って感じです。それにしてもソウル市も相当の反日ですね。東京と姉妹都市でしたっけ?
一応、女性が14歳の時、日本軍に無理やり連行」にツッコンでおきますが・・まず、年齢
日本統治下の朝鮮
1910年の韓国併合以降は統監府時代よりも取締が強化され、1916年3月31日には朝鮮総督府警務総監部令第4号「貸座敷娼妓取締規則」(同年5月1日施行)が公布、朝鮮全土で公娼制が実施され、日本人・朝鮮人娼妓ともに年齢下限が日本内地より1歳低い17歳未満に設定された[19]。
他方、併合初期には日本式の性管理政策は徹底できずに、また1910年代前半の女性売買の形態としては騙した女性を妻として売りとばす事例が多く、のちの1930年代にみられるような誘拐して娼妓として売る事例はまだ少なかった[19]。当時、新町・桃山両遊廓は堂々たる貸座敷[23][19]であるのに対して、「曖昧屋」とも呼ばれた私娼をおく小料理店はソウル市に130余軒が散在していた[23][19]。
あと、併合時に日本は韓国女性を守っていた新聞記事もいっぱいあります
《【大阪朝日新聞・朝鮮版】「日韓併合、隠されていた真実の報道」(悪徳朝鮮人業者逮捕・治安改善・朝鮮文化保全・インフラ整備・教育、日本軍入隊志願者殺到・朝鮮人鉱夫の物凄い稼高・ 密航者の記事など)》
・・朝鮮が日本だった あの時代に 朝鮮女子を必死で守った日本警察がいた。
大阪朝日 朝鮮版 隠されていた真実の報道
【男女4人を手下に使っていた女性誘拐魔を逮捕 大阪朝日・南鮮版 1938.3.1】
(貴婦人装ふ誘拐魔 男女四名を手下に使ひ 全鮮から小娘十八名を誘拐)・・ (記事多数)
で、韓国って反日映画を作ればヒットするのは、まさに反日国家という証
映画『鬼郷』、公開初日15万4千人観覧 何が少女を地獄に送ったか 2016年02月25日
映画『鬼郷』が公開初日に15万人を越える観客を動員し、ボックスオフィス1位に躍り出た。 (中略)
一方、『鬼郷』はチョ・ジョンネ監督が14年間の構想の末に完成した映画で、2002年チョン監督が元慰安婦が暮らす後援施設「ナヌムの家」のボランティア活動をしているときに出会った被害者の姜日出(カン・イルチュル)さんの経験談を描いた作品だ。日帝強制占領期間末期の1943年、理由もよく分からないまま[日本軍によって連れて行かれて家族の懐を離れなければならなかった14歳の少女チョンミン(カン・ハナ扮)をはじめ、少女の悲しい物語を描いている。
呆れた中央日報の社説です
【噴水台】『鬼郷』…慰安婦の歴史は終わっていない 2016年02月29日
世界最高の「博物館国」は断然、米国だ。博物館の数はなんと3万5000カ所。米国内のスターバックス(1万2000カ所)とマクドナルド(1万4000カ所)全体の店舗を合わせた数よりはるかに多い。
この中には南北戦争、インディアン虐殺など悲しい過去の歴史に関連する博物館も多い。ユダヤ人虐殺を扱ったホロコースト博物館だけで51カ所もある。イスラエル・ドイツ・ポーランドの3カ国を合わせた数の倍以上だ。
しかし当然ありそうな奴隷の博物館は最近まで一つもなかった。一昨年末、白人の篤志家がニューオリンズ郊外のサトウキビ農場に初めて奴隷博物館を設立して話題になった。しかし施設が十分でないうえ、都心から1時間も離れたところだった。首都ワシントンはもちろん、50州に一つずつあっても足りない奴隷博物館がなぜこうなのか。
驚くことに黒人の反対のためだった。「人種差別という現代版奴隷制が堂々と残っているのに、過去を語る博物館とはとんでもない」という論理だ。
先週末、胸が締めつけられるような慰安婦映画『鬼郷』を見ながら思い浮かんだのがこの話だった。昨年末、韓日両国は外相会談で慰安婦問題を終えることに合意した。生きて呼吸する慰安婦問題を剥製にしようとしたのだ。昨年9月、韓日関係の再照明をテーマにセミナーが開かれた。この席で慰安婦問題専門家の鄭鎮星(チョン・ジンソン)ソウル大教授は断言した。「慰安婦問題は決して伏せることはできない」と。「最近タイで年齢・名前などが詳細に書かれた慰安婦名簿が出てくるなど、今後も中国・日本・米国・英国などで次々と資料があふれるはずだが、どう伏せるのか」ということだった。
映画・小説・演劇・漫画などさまざまな慰安婦関連創作物もずっと登場するだろう。映画『鬼郷』で[E:danger]慰安婦として連行された少女が虐殺される場面が出てくると、あちこちで涙を流す観客が見られた。生存する元慰安婦だけが被害者ではない。先祖が連行されて屈辱を受けたのに、これが認められず苦痛を感じている子孫も被害者だ。いくら政府が終わらせたと主張しても、第2の『鬼郷』が制作されて上映されれば、また民族感情が噴出するのは明らかだ。
慰安婦問題は過去の歴史ではない。安倍政権が強制動員を否定するという事実さえも現在進行形である慰安婦歴史の一コマだ。昨年慰安婦問題が一段落したというが、日本政治家の妄言は続く。日本政府の支援金10億円をめぐる論争も広がる局面だ。明日は三一節(独立運動記念日)。今はどのようにするのか冷静に振り返る時だ。 き
つまり、事実は無視で自己満足の世界なんですよ
作品中では韓国や韓国人が優秀に描かれる一方で、日本男性は野蛮で残虐な人物として、日本女性は男性に従順で性的に乱れた人物といったステレオタイプで描かれることが多いとされる。日本の文化・風俗に対しても、極端な誇張や誤解・偏見に基づく描写がなされる場合がある。反日的とされる以外にも、歴史や科学技術に対する考察が不十分で事実と大きく異なるとする意見もある(特に、ご都合主義的な歴史の歪曲、科学技術の解釈については日本における一部の仮想戦記とも類似点が多く見受けられる)。
フィクションでは領土問題や歴史問題から韓国と日本が戦争に至るケースがよく見られる。その場合には日本対韓国および韓国に賛同する国家という構図になる。韓国の民族主義に訴えるエンターテイメントとして荒唐無稽なストーリーが多く、特に日本文化開放以前は日本を滅ぼすような過激な映画が多く見られた。
中国でも「抗日神劇」と呼ばれる反日作品が2010年前後に多数制作されたが、こちらは反日感情だけでなく検閲を回避する手法としての側面もあったため、現在では当局により規制がされている(反日感情を参照)
韓国人は、反日感情が生まれた時から染み付いているんだから、何がどう転んでも絶対にこういう動きが収まるわけがない
むしろ、安倍政権下で、日韓合意・「不可逆の解決」としたのは改めて良かったと思います。
だって、民主党政権のすんでのところで合意しかけていたんですよ。
安倍政権が終わって、また韓国に配慮する政権が出来てから合意したらどうなると思います??
《特別企画"「国交正常化50年」日韓関係のこれから"inソウル 後半 【田勢康弘の週刊ニュース新書】》
ユン氏「それには直接関与していないので分からないが、テーブルの上には材料が整っている状態なのではないかと。あとと指導者達の決断だけ。
(Q.佐々江提案の事か?) 実はイ・ミョンバクと民主党の間で色々話があったが、佐々江案が1つの土台になると思う。(Q.3つのうちどれが一番重要か?) 3つとも重要だと思う。
日本がお婆さん達の恨みを晴らすのは重要で、日本の責任。
韓国は反日の国。「恨」の国。日本とは相容れない人達です。 まして今でも売春婦輸出のお盛んな国なんだし
《【売春させろデモ】 「売春禁止法を廃止しろ!」「売春は職業!」 韓国で女性ら700人が売春の合法化求め集会 【JNNニュース】》2015年9月24日
・・捕まった女性や客、斡旋業者は通常は罰金刑ですが、繰り返せば懲役刑になることもあります。
これに対し女性らは、「売春禁止」は憲法の定める「職業選択の自由」に反すると主張しています。
集会参加者「(売春は)食べて生きていくための職業なのです」
まぁ、慰安婦像や捏造映画などは超不快だけど、
日本は淡々と、新聞の募集記事とか当時の給料明細とか、世界に発信していけばいいと思います
《【動画追加】が語る朝日慰安婦記事問題。「モンスター化した挺対協と当事者能力のない韓国政府」 【深層NEWS】》
秦氏「そもそも『強制連行』をする必要がない。新聞の広告で『慰安婦』を募集している。京城日報は総督府の御用新聞。ほとんどが身売りで親がブローカーに売った。(超高給なので)いくらでも来る。
もし『強制連行』したら、日本の植民地統治は崩壊する。何故ならそういう時、朝鮮人はすぐに反乱を起こすから。
米軍の尋問でも『もしそんな事があったら男達が黙っていない。立ち上がって朝鮮全土が反乱の地になるだろう』と。
なのでそんな無茶な事をするはずがない。」
《朝鮮ピーとは!?【証言】慰安婦に出会った女性の貴重な証言(満州)&今こそ知るべし! 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」 再び 》
・・当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
今朝、産経新聞の「つかこうへい」氏についての記事を読んで、
6年前、つか氏が亡くなった時のみのもんたのコメントを思い出したので紹介します
あの時は、みの氏が異常に韓国アゲして、「従軍慰安婦」の本を読んで思いを噛み締めたい・・と言っていたので、迂闊にもつか氏の事を誤解するとこだったな・・
在日韓国人2世つかこうへいさんも洗脳された「従軍慰安婦の強制連行」
本当のことを言うのは存外難しい。たとえそれが事実だろうと、時と場所を選ばずに口にすると、物事を台無しにしかねない場合がある。国家間にぎすぎすとした感情的対立を生みやすい歴史問題などは、その代表例だろう。
▼「歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか」。19年前に取材した在日韓国人2世で直木賞作家の故つかこうへいさんは、こう語った。人間の業(ごう)にかかわる問題は「自分の娘に語るような優しい口調で一つ一つ説いていかなければ伝えられない」とも。
▼取材のテーマは、つかさんの『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』という著書についてだった。これを書くためにつかさんは元日本兵士や慰安所関係者らに取材を重ね、当時、マスコミで独り歩きしていた「強制連行」というイメージに洗脳されていたことに気づく。
▼「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった」「将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった」。つかさんは率直に話してくれた。
▼つかさんは、日本軍・官憲による「強制連行」に関しては「していないと思う」とみていたが、一方でこうも指摘した。「営業行為の側面が大きくても、人間の尊厳の問題なのだから、元慰安婦には何らかの誠意を見せ続けるべきだ」。合理性だけでは割り切れない人情の機微か。
▼取材後の雑談で、つかさんはこんなことも笑顔で語っていた。「うちのオヤジは『日本に連れて来られた』と言っていたけど、本当は食い詰めて自分で渡ってきたんだろう」。あっけらかんと本当のことを語り合える日が来るのを願う。
6年前のTBS【朝ズバッ!】より
《みのもんた”従軍慰安婦”発言 【朝ズバッ!】》2010年7月13日
(東京新聞の金井氏が、つかこうへいの小説を絶賛したあと・・)
みの氏「うーん、この間のー、ね、三屋さん、あのー、FIFAワールドカップ。
韓国が負けました。日本が残った。どんな論調が論評が、載るかと思ったら、
韓国の新聞には『日本がんばれ』と、、やっぱ余裕ですかね。韓国がそういう余裕を持つ国にもう成長しているという事。
で、我々もやっぱりそういう意味で、例えば、つかさんが残した、たっくさんの本がありますよ。”従軍慰安婦”に関してもそうだし”戦争”に関してもそうだし、やっぱり我々もっともっと読んで親しむべきだね。うーん。でも大きな存在ですねぇー。」
杉尾氏「そうですねぇ。
僕はやっぱり最初の”熱海殺人事件”を見たときに吃驚しましたねぇ。あっこういう芝居があるんだっていう、、
ただ要するに、その必ずその要するに弱者の視点だとか、優しさって出てくるのは、やっぱりさのご自身のやっぱり生い立ちによるものなんだなぁと。最後にこの文章(遺書)、、ぐっと来てしまいますよね。」
みの氏「だって、日本語でもって、『よし!韓国の舞台でやろうぜ。』それで日本語の歌謡曲も歌っちゃいけない国でもってね、日本語で、、やっぱ凄い一歩二歩ですもんねー。」
金井氏「そういう重いテーマをユーモラスにやるから本質が凄くって、、」
みの氏「ねー、、まっ、噛みしめたいですな、つかさんの思いを本当に。 さぁ、じゃあ次のテーマ・・」以上
テレビで(本のタイトルとはいえ、) ”従軍慰安婦” と安易に言ってしまう、みのもんたってどうなんでしょう??他にもいっぱい著書はあるのに・・
私なんか、”従軍慰安婦”という言葉だけに反応して、ネットで調べましたよ!
今更、テレビで”従軍”慰安婦言うなんて、アホかと思って。
で、阿比留瑠比さんの 国を憂い、われとわが身を甘やかすの記 に詳しく書いてありました(つかこうへい氏の話 一部抜粋)
「日本はよくないことをしたし、中には悪い兵隊もいただろう。でも、常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったりけったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏をつくろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為である“あこぎな”強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」
それと、李さんという人が、この本への不満を書いていました。
つかこうへい『娘に語る祖国─従軍慰安婦編』
何をかいわんや・・(苦笑)
それと、FIFAワールドカップ。韓国が負けて『日本がんばれ』は余裕を持つ国に成長したから??どこが
韓国の新聞!! な、なんか、凄いんですけど・・
<W杯>日本がパラグアイに勝つことを望んだ理由は?(中央日報・許珍碩(ホ・ジンソク)記者)
ちなみに、テレビ朝日【スーパーモーニング】ではこういう感じでVTRを編集
以前、つかこうへい氏は、日本だけでなく韓国も批判していたので、
少なくても、徒党を組んで色々要求するような人たちとは違う。と感じたのを憶えていますが、私はこの人、よく分かりません^^;
でもマスコミって、なんだか つかこうへいという人を利用しているような気がします。
私も阿比留さんのブログを読まなかったら、つかこうへい氏を誤解したままでした。テレビを鵜呑みにしてはいけませんね(苦笑) 反省💦
つまり、朝のワイドショーを聞き流していたら、私の中で「つかこうへいは"従軍"慰安婦を本に書いた人」で、アノみのが絶賛しているからやはり反日・・という印象しか残らなかったけど、
こうやって、引っかかったとこを自分で調べて誤解が解けたって話
この件で、「思い込みって恐ろしい。テレビを鵜呑みにしてはいけない。」と、思ったのを思い出した次第です。
関連記事
《【話題】ある慰安婦の手記「仏製のレインコート、ワニ革のバッグ、ハイヒール姿で闊歩した日が懐かしい。慰安婦に見えなかったはず。当時の自信満々だった気持ちがよみがえる」》
《朝鮮ピーとは!? 【証言】慰安婦に出会った女性の貴重な証言(満州)》2014年12月24日
子供のころ、第二次世界大戦中の満州で朝鮮人慰安婦と出会い、彼女の身の上話を聞いたことがある・・という日本人女性に、お話を伺いました。
「・・そしたらその(満州の)畑の真ん中に、大っきな、あの、塀囲いの建物があるんです。
(一緒にいた友達に)あれ、何?って聞いたら、友達がね、『あんた、知らないの?』って。知らないのって何さ?って。 『ピー屋だピー屋。』
(Q.ピー屋?)
うん、あの朝鮮ピーって言うんですよ。満州でピーっていうとね、 あのー、遊郭のことなんで、、塀囲いの、こんなとこにそんなのが居るんだねー。見てみるかぁ。(私は)好奇心があってね、見てみるかって。(友達は)『危ないから止めなさいよ、そんなとこに行くの』(と言った:けど) いやいやちょっとあそこコレくらい戸が開いてるから行ってみる、、
(慰安所の中にいた慰安婦は) 日本語ですよ。 綺麗な流暢な日本語です。
あの頃の朝鮮は日本の統治下にあって、日本人の学校に通ってましたからね、だから日本語です。
(中の慰安婦に) どうして来たの?って言ったら、
『うん、あのね ある時、周旋屋(斡旋業者)が来てね、"あんた、働きに行かないか"と。"隣のね、○○さんが家建てたんだよ"と。 "こういう所に行けば、日本の兵隊さん相手にしてね、うんっっとカネが儲かる。3年経ったら家が建つんだから。 だからこんな貧乏していないで親孝行しなさい"と言って、
"君の親にはね、ちゃんとお金も送ってやるし、 そういうとこなんだよ"って。"だから、あの、来なさい"と。"とっってもお金が儲かって、でもう来年、3年経ってね、家に帰るんだけど、家に帰ったら大ーきな家を建てられる"なんて、そう言うんだよ。
『周旋屋の口利きで来ています』って、コレ言いました。」
(Q.ハッキリと!?)
ええ。だからねぇ、日本人が拉致してきて、そして働かせたなんて事はまっったくウソです。みんな喜んで来ているんだから。
兵隊さんがね、遊びに来て、そして
『明日、僕たちは戦地に行くから、もう帰って来られないかも分からないから、もうお金はいらないから、だからあんたにあげるから』 ってみんーなそうしてお金をくれるんだと、
その方がずっと(給料より)大きいんだと。そう言って(私に)教えましたよ。
(戦地に赴く兵隊さんが)『どうもありがとう』って言ったって。
・・・それ・・聞いたらね、涙が出ますよね。
『明日、戦地に行くから、お金はいらない。』って。『あんたにあげる』って。
『いい思い出になった。ありがとう』って言ったって。そう言ったの。
ねっ・・兵隊さんたちの思いを聞いたら本当に、泣かずには居られないわね。
そうやってみんな、戦地へ行ったんだよ。
(涙を拭きながら)
それなのに、それを逆手にとってね、日本人が悪いように言われたらね、私、我慢してられないじゃない。
(Q.強制の事実はないと? )
ええ、強制の事実はありませんね。
みんなね、自分からすすんで、お金を儲けに来たんだから。 」以上
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
朝鮮ピーって知っていますか 私は元日本陸軍の小野田寛郎さんの証言で知りました。
今日は、子供の頃に第二次世界大戦中の満州で朝鮮人慰安婦と出会い、彼女の身の上話を聞いたことがある・・という日本人女性の、「【証言】慰安婦に出会った女性の貴重な証言」を文字起こしして記録しました
朝鮮人慰安婦たちと日本人の証言者、相反するそれぞれの証言ですが、その一番の違いは何なんでしょう??
子供のころ、第二次世界大戦中の満州で朝鮮人慰安婦と出会い、彼女の身の上話を聞いたことがある・・という日本人女性に、お話を伺いました。
「・・そしたらその(満州の)畑の真ん中に、大っきな、あの、塀囲いの建物があるんです。(一緒にいた友達に)あれ、何?って聞いたら、友達がね、『あんた、知らないの?』って。知らないのって何さ?って。 『ピー屋だピー屋。』
(Q.ピー屋?)
うん、あの朝鮮ピーって言うんですよ。満州でピーっていうとね、 あのー、遊郭のことなんで、、塀囲いの、こんなとこにそんなのが居るんだねー。見てみるかぁ。(私は)好奇心があってね、見てみるかって。(友達は)『危ないから止めなさいよ、そんなとこに行くの』(と言った:けど) いやいやちょっとあそこコレくらい戸が開いてるから行ってみる、、(慰安所の中にいた慰安婦は) 日本語ですよ。 綺麗な流暢な日本語です。
あの頃の朝鮮は日本の統治下にあって、日本人の学校に通ってましたからね、だから日本語です。
(中の慰安婦に) どうして来たの?って言ったら、
『うん、あのね ある時、周旋屋(斡旋業者)が来てね、"あんた、働きに行かないか"と。"隣のね、○○さんが家建てたんだよ"と。 "こういう所に行けば、日本の兵隊さん相手にしてね、うんっっとカネが儲かる。3年経ったら家が建つんだから。 だからこんな貧乏していないで親孝行しなさい"と言って、
"君の親にはね、ちゃんとお金も送ってやるし、 そういうとこなんだよ"って。"だから、あの、来なさい"と。"とっってもお金が儲かって、でもう来年、3年経ってね、家に帰るんだけど、家に帰ったら大ーきな家を建てられる"なんて、そう言うんだよ。
『周旋屋の口利きで来ています』って、コレ言いました。」
(Q.ハッキリと!?)
ええ。だからねぇ、日本人が拉致してきて、そして働かせたなんて事はまっったくウソです。みんな喜んで来ているんだから。
兵隊さんがね、遊びに来て、そして
『明日、僕たちは戦地に行くから、もう帰って来られないかも分からないから、もうお金はいらないから、だからあんたにあげるから』 ってみんーなそうしてお金をくれるんだと、その方がずっと(給料より)大きいんだと。そう言って(私に)教えましたよ。
(戦地に赴く兵隊さんが)『どうもありがとう』って言ったって。
・・・それ・・聞いたらね、涙が出ますよね。
『明日、戦地に行くから、お金はいらない。』って。『あんたにあげる』って。『いい思い出になった。ありがとう』って言ったって。そう言ったの。
ねっ・・兵隊さんたちの思いを聞いたら本当に、泣かずには居られないわね。そうやってみんな、戦地へ行ったんだよ。
(涙を拭きながら)それなのに、それを逆手にとってね、日本人が悪いように言われたらね、私、我慢してられないじゃない。
(Q.強制の事実はないと? )
ええ、強制の事実はありませんね。
みんなね、自分からすすんで、お金を儲けに来たんだから。 」以上
朝鮮ピーというのはどっかで聞いたと思ったら、小野田寛郎さんの証言にありました
《小野田元少尉91歳の生涯 【イギリスBBC】 、《今こそ知るべし! 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」》再び》 より抜粋
《今こそ知るべし! 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」》
(従軍)慰安婦問題、韓国は女子挺身隊を慰安婦だと言っている等々を先日記事にしましたが、
つい最近も、韓国が国連で慰安婦問題を提起したり、在韓日本大使館前の慰安婦碑設置計画とか強気で日本攻勢をしかけてきてますね。
竹島の不法占拠・実効支配強化と一緒で、ないものをあることにしようとしてる。
で、その強硬姿勢に洗脳されている日本人が多いのをとても危惧しています。(みのもんた とか・・)
韓国が昔の売春婦の証言が証拠だというなら、
私達も、元日本軍人の証言に今こそ耳を傾けるべきだと思い、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」 を横書きに直し、赤字加工し、参考画像を入れて記録しました
「正論」一月号より (2005年 平成17年)
首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。
戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。
外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。
-------------------------------------------------------- ---------------------------------------
淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。
◆漢口の「慰安所」を見学
商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。 日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。--------------------------------------------------------------------------------
難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。
私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。
ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。
--------------------------------------------------------------------------------
私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。
半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。
--------------------------------------------------------------------------------
◆どこにもいなかった「性的奴隷」ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。
私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。
彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。--------------------------------------------------------------------------------
先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。
当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
--------------------------------------------------------------------------------
一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。
私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。
-------------------------------------------------------------------------------
「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い
次に、軍関与の暴論について証言する。 私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。
だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。
南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。
--------------------------------------------------------------------------------
「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。
考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。
「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。
戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。
--------------------------------------------------------------------------------
「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。 「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。
「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。「正論」一月号より 以上
小野田さんが今年1月に亡くなられた時、意外にも世界中のメディアが好意的に報じていました。
小野田さんの遺書とも言えるこの証言は今後、信憑性をもって世界に発信できる貴重な材料になると思います。
関連記事
韓国が、慰安婦問題における証拠は「慰安婦の証言だ!」と言うのならば、やはり当時をよく知る人や、当時の慰安婦の調書などしかカウンターになり得ないと思います。
後々の研究者達は自らのイデオロギーで真実を歪めているから。特に日本側・・
少なくても性奴隷じゃないのは明らか。楽しそうだもん
《【大拡散希望】 「字幕【テキサス親父】慰安婦は売春婦!証拠はコレだ!と親父ブチギレの巻!」》より一部抜粋
・・この報告書は更にこう続けているんだ
女性達は大金を持って楽しんでいて 洋服や化粧品や他にも
自分達の為の物を買うことができて 街に出かけていたんだぜ
「性奴隷」がそんな事ができるか? 「性奴隷」がそんな大金を稼げるか?
借金を返したら家にだって帰ってたんだぜ
「性奴隷」がそんな事できるか?
慰安婦の中にはこんな不平を言ってる者も居たんだぜ
日本の兵士との時間が足りなくて すべての兵士達を迎え入れることができず
「来てくれる兵士達みんなに奉仕できなくて残念だ」って言ってるんだぜ!
「性奴隷」がそんな考えをするか?
報告書は更にこう続いているんだ
]慰安婦達は日本軍の兵士達とスポーツをしたり ピクニックに行ったり娯楽や宴会をしたり
「性奴隷」がそんな事するかよ?
1944年の米国軍の報告書によれば 彼女達は雇用されていたんだ ここで審議は終わりだ!・・
で、最初の朝鮮人慰安婦と日本人の証言者の違いの話ですが・・やはり「品格」だと思います。
子供の頃に満州で慰安婦に出会ったこの日本女性も、小野田さんも凛として実に上品です
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく