日本軍
(※日韓条約から50年、韓国の「併合自体違法」という動きに対し、以前の記事を再掲)
主に、悪徳朝鮮人業者を取り締まり、朝鮮女性の人権を守り、治安を良くし、朝鮮文化を保全し、インフラ整備し、教育を施したという記事。あと、日本軍入隊志願者が殺到・朝鮮人鉱夫の物凄い稼高・ 密航者の事などです。
日韓併合について、韓国は「日本の酷い植民地政策で七奪した」と言い、日本は「そんなわけない」と反論する、というのがずっと続いています。
でも、1910年~1945年の朝鮮半島の実態を知らない人同士がどれだけ言い合ってても、埒が明かないんですよね。
結局、自分が生きてない時代の話だから「自国の教育」で知るしかないわけです。
その「自国の教育」がもし間違っていると気付いたら・・?
とにかく「事実」だけで判断する事が大事だと思い、当時の朝日新聞の記事を綴った動画をそのまま抜き出して記録してみました(ピンク字は見出しを書き起こし)とても貴重な資料なので、じっくりご覧下さい。
【動画説明文】日韓併合は実際はどうだったのでしょうか?感情論だけ一方的に聞いても、さっぱり理解は深まりません。しっかり、歴史を事実にそって学術的に?調べると有意義ですよ。記事を見ると、女性を誘拐する犯罪者は朝鮮人ばかりですね。
朝鮮韓国系の記述箇所は中学教科書レベルでの洗脳が酷いです。「帝国書院」「東京書籍」は、間違った記述が堂々と書いてあります。これは、小中学生でも安心して見れる動画なので、是非拡散お願い致します。
ちなみに、朝鮮女性が着てる服は、一般的な民族服、チマ・チョゴリです。胸がはだけているのが普通みたいです。(強制ではありません)
引用資料 朝日新聞が報道した日韓併合の真実 韓国が主張する七奪は七恩だった 音楽:マイア ヒラサワ / boom!(九州新幹線のテーマ)
朝鮮が日本だった あの時代に朝鮮女子を必死で守った日本警察がいた。
大阪朝日 朝鮮版 隠されていた真実の報道
【男女4人を手下に使っていた女性誘拐魔を逮捕 大阪朝日・南鮮版 1938.3.1】
(貴婦人装ふ誘拐魔 男女四名を手下に使ひ 全鮮から小娘十八名を誘拐)
【警察が誘拐事件の全容解明に取り組むことを報じている 大阪朝日・南鮮版1938.3.30】
(誘拐犯罪の温床 周施業者にメス 京城で一斉調査行ふ)
【連日のように悪徳朝鮮人業者が紙面を飾っていた 大阪朝日・南鮮版1940.5.21】
(資産家の主婦を連行し行方晦ます 偽刑事が大膽な犯行)
【女性を誘拐する悪徳朝鮮人業者の摘発を報じる記事 大阪朝日・南鮮版1939.11.21】
(婦女誘拐の一味 遂に総局さる 元釜山府臨時雇らの首迯?)
【生活苦にあえぐ家庭が誘拐の標的になった 大阪朝日・西鮮版1940.6.28】
(田舎娘など十四名も誘拐 一味送局さる)
【窮乏する春を狙った悪魔 就職の甘言で少女を誘拐 東亜日報 1936.3.15】
【警察当局が朝鮮人娼芸妓の待遇改善に取り組んだ 大阪朝日・北鮮版1940.6.25】
(朝鮮人娼妓に救ひの自前制度 全鮮に魁け平壌で実施)
【遊郭業者が未成年(16才)の少女を買い、処罰された 東亜日報1933.5.5】
そして、朝鮮女性の人権を守った
【朝鮮では女性の再婚は禁止されていたが、民事令の改正により再婚できるようになった 大阪朝日・朝鮮版1933.2.14】
(再婚を許さぬ風習 若い寡婦の悩み 頻々たる「嬰児殺し」の犯行 朝鮮に多い特殊犯罪)
【婿養子を認めた 大阪朝日・中鮮版1939.11.10】
(同性同本不婚や異性養子の禁打破 氏の届出は六ヶ月以内)
社会問題の原因である、女性差別をなくしていった
【女性の戸主相続権を認め、「半島女権史上一大飛躍」と報じられた 大阪朝日・中南鮮版1941.6.14】
(女子に戸主相続権 中枢院会議で満場一致の賛成)
【女給の給与や権利を守る制度を設けた 大阪朝日・西鮮版1940.8.7】
(女給に福音 新義州で改革)
【芸妓や飲食店の雇女についても悪辣な業者から保護した 大阪朝日・北鮮版1940.8.17】
("夜の女"に光明 咸北で取締規制改正)
【不当な家賃上げを防ぐために警察は腐心した 大阪朝日・南鮮版1941.1.18】
(家主の横暴はすぐ警察へ! 釜山署から各方面に要望)
【女性を売り飛ばす不正業者は警察によって摘発された 大阪朝日・南鮮版1939.3.28】
(一家総掛りで農村の娘を誘拐 十二名監禁中を逮捕)
【路上で誘拐した少女を中国人に売り渡していた事件 誘拐犯逮捕 強制連行の実態 東亜日報1933.6.30】
かなり、行政と警察が頑張っていたみたいですね。実は、新聞を全て閲覧してみると、
【凶悪事件は現在より少なく治安が良かったことが推測されます 大阪朝日・西鮮版1940.6.28】
(列車に投石)
さらに・・・
【日本が朝鮮の歴史文化を発掘・保存し、蘇らせた 大阪朝日・西北版1938.10.28】
(高句麗王宮跡に鍬 学会の謎を解く発掘調査)
【朝鮮人には遺跡を保存する思想がなかった 大阪朝日・西北版1939.11.12】
(考古学の研究資料 ズラリと一萬点 會寧地方の出土品のみ 素晴らしい展覧会)
【高麗青磁を復活させたものも日本人研究者 大阪朝日・西北版1939.4.5】
(絶交の辰砂発見で高麗焼再現に成功 苦闘三年の奇人陶師)
【李氏朝鮮に搾取されていた農地を農民に解放 大阪朝日・西北版1934.1.20】
(多数の小作人を農地に安住させ 農業改良に精励させたい 小作令実施の主旨)
【燃料と肥料を配給し、農家を保護した 大阪朝日・西北版1935.2.22】
(燃料と肥料を全能かに與へる 名案、農用林地を設定し 経済更正の大福音)
【創氏改名は、自由意思だった 大阪朝日・中鮮版1940.3.6】
(氏の創設は自由 強制と誤解するな 総督から注意を促す)
【下水インフラを整備した 大阪朝日・西北版1938.12.11】
(平壌の臭気一掃 兪よ糞尿地下タンク新設)
【朝鮮半島全域で鉄道を敷設した 大阪朝日・北鮮版1939.8.19】
(近道の新鉄道は 明後年度に完成 建設予算を兪よ計上)
【学校を作り、本土と同等の教育を行った 大阪朝日・北鮮版1939.8.19】
(学校を増設して在満鮮童を教育する)
【すべての朝鮮人にハングルを教えた 大阪朝日・南鮮版1939.1.6】
(文盲を掃蕩 全鮮的に大運動起す)
【朝鮮人の日本軍入隊志願者が殺到した 大阪朝日・南鮮版1938.1.18】
(反響呼ぶ志願兵制度 忽ち志願者殺到 面接にてんてこまいの憲兵さん 微笑しい朗景展開)
【倍率が50倍を超えた入隊試験、不合格に失望し、自殺する愛国青年 大阪朝日・南鮮版1938.1.18】
(噫純情の愛国青年 志願兵に不合格を悲しみ 失望の余り自決)
【徴兵制度に喜び 行進し皇居でバンザイする在日朝鮮人 大阪朝日・西鮮版1942.5.23】
(徴兵制度実施に感謝の市中行進 歓喜に沸く東京府協和会員)
【高収入・高待遇に惹かれた朝鮮人の本土渡航希望者が絶えなかった 大阪朝日・西鮮版1942.5.23】
(朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備 まるで旅館住ひ同様)
【高収入・高待遇に惹かれた朝鮮人の本土渡航希望者が絶えなかった 大阪朝日・南鮮版1940.5.28】
(朝鮮人鉱夫の物凄い稼高 遠賀鉱業所で推賞の的)
【連日、密航者が押し寄せた 1939年~40年までの大阪・朝日朝鮮版】
(多い密航者 密航にまた新手 密航朝鮮人送還 密航朝鮮人を一網打尽・・・)
大日本帝国敗戦後、1950年から朝鮮戦争が勃発。
半島全土が戦場になり民間人の大虐殺が起こった。
その後、朝鮮半島は南北に分断。
北朝鮮は、ソ連による3年間の占領の後、独裁体制へ。
他国民を拉致し、核兵器を保有。
韓国は、米による3年間の占領、竹島不法占拠、ベトナム戦争、軍部によるクーデター、共産主義者や反政府主義者に対する極度の思想弾圧を経て、現在に至る。
日本は、米による7年間の占領、反日言論統制、朝鮮進駐軍による暴行略奪、在日韓国朝鮮人による政治・教育・メディア介入、違法パチンコ癒着、サヨク運動、バブルとお花畑を経て現在に至る。以上
その時代の事は、その時代を生きた人だけが真実を知っているので、後付の解釈で、今の常識を当てはめてもあんまり意味がないと思います。
過去自国に起こった事は、それも「歴史」なんだと受け入れる事が必要なんじゃないかなぁ。
で、日本がこれだけ全力で、日本になった朝鮮を本土と同じように守っていたのに、
「植民地として搾取され酷い目に遭った」などの大ウソで、いつまでもいつまでも、日本に「反省しろー」「謝罪しろー」「賠償しろー」というのは我慢がなりません。
先人の為にも、未来の日本を背負う子供達の為にも、こういう貴重な資料を拡散しましょう
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日本テレビ【news every】(6/22)で、慰安婦問題を理解する第一歩として、
現地で直接取材したり、文書を検証したり、アンケートとったりして他局より踏み込んで特集していたので記録しました(青字はナレーション)(画像が多いので3回に分けます)
まずは、『「慰安婦問題を考える」“元慰安婦”が語ったこと』 の部分。
徐々に慰安婦問題に火がついた"一番の根っこ"に迫っていきます。
それはそうと・・元慰安婦が日本が一度も謝ってないと思い込んでいるのにビックリ
女子アナ「今日は日本と韓国が国交正常化した日韓基本条約が締結されてから丁度50年の節目となります。ただ日韓関係は冷え込んでいて、安倍総理と朴槿恵大統領による首脳会談は未だに行われていません。」
小栗泉氏「今日はその最大の原因である慰安婦問題を詳しくお伝えします。慰安婦問題を巡っては対立する意見や様々な見方があります。しかしこの問題を理解する第一歩として、まずは慰安婦だったと主張する女性達が何を訴えているのか取材しました。
先月、小栗キャスターは韓国南東部の都市・大邸(テグ)へ。
(挨拶)今年87歳の李守山(イ・スサン)さん。2005年に韓国政府が日本軍の元慰安婦だと認定した女性です。李さんは16歳だった1944年に「中国の紡績工場で働かないか」と日本人の女性に誘われたと言います。しかし韓国の浦項(ポハン)を出て辿りついた先は現在の中国の牡丹江にあった日本軍の慰安所だったと話します。
イさん「この大東亜戦争が終われば家に帰れるし、お金も受け取れるが、戦争が終わるまで行き来できないと言われたの。」小栗氏「(軍人は)全員日本人ですか?中国の人とかも入っていたんでしょうか?」
イさん「日本の部隊だったけど朝鮮人で日本軍に入ってる人達も見たよ。」
小栗氏「1日に大体何人位の人の相手をさせられたんでしょうか?」
イさん「少ない日でも20人は来ていた」
これは今のミャンマーで撮影された(中国人)慰安婦の映像。慰安婦は日本兵に性的なサービスを提供する為集められました。
慰安所の解説が記録に残っているのは1930年代から。当時の軍の文書にはその目的がこう記されています。
"各地で日本軍人の強姦事件が全般に伝播し、深刻な反日感情を醸成しているという。性的慰安の設備を整え、禁を犯す者がないようにするのが緊急に必要" (歩兵第9旅団・陣中日誌・支那事変の経験より観たる軍紀振作対策)
占領した土地での日本兵による強姦事件を防止する為だとしています。
また、兵士が現地の女性と接触して軍の機密が漏れる事や兵士が性病にかかるのを防ぐ目的もありました。
慰安所は一体どんな場所だったのでしょうか。中国の武漢にあったという慰安所の跡を訪ねました。赤レンガの屋根が連なる一帯が慰安所が密集していた地区です。当時武漢で最も規模の大きい慰安所があったといいます。
記者「コチラ両端細い路地の両脇に慰安所の部屋が並んでいたという事なんですけれども、えー古いレンガが今も残っています。」
この辺りで慰安所が作られはじめたのは、1938年の日本軍による占領直後から。
司令部の軍医だった日本人男性は開設当初、30軒の慰安所に300人程の女性達が入居していたと記しています。(漢口慰安所:長沢健一著)
今ではほとんどが民家となっていて、一部の家では階段などを当時のまま使っているといいます。戦線が拡大するに伴って慰安所の数は飛躍的に増加。中国が最も多く、東南アジアなどにもありました。
慰安婦の出身地は日本、朝鮮半島、中国、そしてフィリピンなど。
慰安婦の募集は主に軍と関係のある業者が行いました。
これは陸軍省が慰安婦の募集について出した通達。(陸軍省「支受大日記」)"誘拐などで摘発される者がいると懸念を示し、募集を任せる人物の選定を適切にすること。その地域の憲兵や警察当局と連携を密にすること"
を指示しています。慰安婦になった経緯は人によって様々でした。
これは朝鮮半島で発行されていた新聞。慰安婦の募集の広告が掲載されています。
こうした募集に自ら応募したケースや、親の借金の為に身売りされた女性、更に業者などにだまされて連れて行かれたケースもあります。インドネシアの一部の地域スなどでは兵士が連れ去った例もありました。
しかし、軍が組織的に強制連行したという証拠は見つかっていません。
イさんの場合は工場で働くと騙されて連れて行かれたと言います。女衒
イさん「中国でお金をたくさん稼げる募集があるというので『何をするのですか?』と聞くと、『布を織る所だ』と。『私も行きたい』といったら(知り合いの)奥さんが『行きたいなら(友人と)一緒に行きなさい』と。
軍隊が来て強制的に連れて行ったわけではない。しかし何人もの人達が連絡を取り合って連れて行ったの」
慰安所で女性達はどのような生活を送っていたのでしょうか。
慰安所の管理・運営は主に民間の業者が行っていましたが、使用についての規定は軍が定めたケースが多いとみられています。これはそうした規定の1つ。
部隊ごとに利用日が割り振られ、営業時間は午前9時から午後6時まで。
慰安婦の出身地ごとに料金も設定されています。
ただ軍が直営した慰安所から、軍が認可した施設、民間人も利用するものまで様々な慰安所があったといわれ、生活ぶりについての見方も分かれています。
これはアメリカ軍が現在のミャンマーに置かれた日本軍の慰安所の経営者と、そこで働いていた朝鮮人慰安婦に対して行った尋問の記録。
経営者が売り上げの50~60%を得ていて、食料品などの値段を高く設定し慰安婦の生活を困窮させていたと報告されています。
一方で、慰安婦たちは金を多く持っていたので欲しいものを買うことができた。町に買い物に出ることが許されていたとも記されています。
イさんは自分が居た慰安所についてこう話します。
イさん「(建物は)中国式だった。レンガ造りではなく、小屋は木の板のようなもので建てられていた。だからあんなに寒かったんだろう。」小栗氏「そこでは1人1部屋ずつ与えられたんですか?」 イさん「1人に1部屋ずつだよ」
イさんは、兵士達から引換券のようなものを受け取ったものの金はもらえなかったと話します。
イさん「金も全くもらえずに食べ物もキビ飯を食べるしかなくて(一緒に連れてこられた)3人で逃げたの」しかしすぐに見つかって連れ戻され、朝鮮語も日本語も話せる慰安所の管理者から暴力を受けたと言います。
私達は李さんが慰安婦として生活していたという中国の牡丹江を訪ねました。しかし町の様子は様変わりし、当時の面影は残っていませんでした。今回、取材を受けた理由についてイさんは
イさん「我々に悪い事をしたのは過去の人達なんです。だから過去がどうだったか私が話さないと(あなたたちは)知る事ができないでしょう。慰安婦が強制じゃないなら何なんでしょう? どこに生かされるのか(分からず)金を稼げると紡績工場だと騙し、我々を連れて行った。わずか16.17歳の子が何が分かるんでしょうか。私が生きているうちに謝罪をしてもらいたい。」
元慰安婦の女性らや韓国側が求める謝罪をめぐっては、1993年に発表されたいわゆる河野談話があります。
日本政府として慰安婦だった女性たちに「おわびと反省」と表明したものです。
小栗氏「(過去に日本政府から)お詫びの言葉というのがあったんですけれどもそれでは足りないという事なんでしょうか。」イさん「河野談話・・個人的に謝罪したの?それはいつ?(首を何度も振り・・)」聞いていません。」「謝罪すべきです。今の安倍首相に謝罪してほしい」
イさんは日本政府が河野談話でお詫びを表明した事を知らず、とにかく今の総理に謝ってほしいとだけ繰り返しました。
当時、慰安婦がどのくらい居たのか公的な統計はありません。
韓国政府が認定した元慰安婦は238人。高齢化も進む中、今月に入って2人が亡くなり現在も生存しているのは50人となっています。
(VTR一旦終了 スタジオ)
小栗氏「私が取材したイ・スサンさんは『軍隊に強制的に連れて行かれたわけではない』と話す一方で、『慰安婦は強制だ』とも話しました。実はこの「強制」というのが慰安婦問題を考える上で重要なキーワードの1つなんです。(どういう事なんでしょうか)
はい、そもそもですね、"慰安婦問題に火がついた一番の根っこ"は若い女性が日本軍によって組織的に強制連行され慰安婦にされたという誤解が広がった事でした。・・」(つづく・・・)
この元慰安婦の李守山(イ・スサン)さんは、かなり正直な方だと思います。騙されて連れて行かれた典型的な例で、同情します。
1つだけ引っかかるったのが「引換券のようなものを受け取ったものの金はもらえなかった」という部分。多分「軍票」でしょうね。
《石破幹事長に聞く!朝日新聞「慰安婦問題」検証記事、国会招致と、韓国のメディアの反応と、問題の本質 【プライムニュース】》 より一部抜粋
アナ「で、一方でこうした物が出てきています。あのこれね、えーまぁあの朝鮮半島の新聞ですけれども、『慰安婦大募集』と、こういう形で募集をされていたんだという事は逆に分かっているという事が1つ言えると思います。
それから、じゃあ強制連行される目撃証言はあったのかという事なんですが、目撃証言についても無いという事なんですよねぇ。ですからやはりこのあたり冷静に見ていかないといけないなという感じが致しますが。
となるとですねぇ、まぁ元慰安婦の証言頼りだと。アナタどういう形で・・という証言に依らざるを得ないんですけれども、えー慰安婦の証言は曖昧であったり、あるいは証言が変わる例も少なくないんだという事なんですね。(時間も経ってますしねぇ:東尾) はい、加えてやっぱり性に関する事が故の難しさというのもやはりあるのかなと。(女性だからねぇ、・・・・:秋野)
しかし、先生はずっとこの問題をね、研究をされて取材もされているわけですが、秦先生が取材される中ではですねぇ、先ほどもありましたけれども"保護者による人身売買"を受けている可能性がある。それから事実"高収入"であったというケースもあったという事なんですけれども、、」
秦氏「ええ、まぁ大体兵隊さんの、一般兵士の数十倍位の(兵隊さんよりも?!:小椋) ええ数十倍ですね(へーーー!) (うーーー!) ビルマ方面の、、行ってた慰安婦、朝鮮人の慰安婦の自叙伝みたいのがあるんですよね。ビルマ方面軍の総司令官よりも収入が多かった。これはみんな故郷に送金していたわけですね。で、送金した郵便局の記録なんかがありますんでね、従ってその収入がどの位あったという事はね、大体分かるんですね。
ただ、そうやってですねぇ稼いだお金をですねぇ、終戦の時にこれ軍票ですから紙くずになってる。だから送金した分は大丈夫でしたけどね。だからそういう人たちはタダ働きをしたんだというですね(なるほど) 恨みの感情が、まっ残ったと。これは日本が戦争に負けたお陰なんで、これはもう全員がそうだったんですね。被害者は、、」
韓国KBSで以前やっていたんですが、韓国の高齢の人、特に女性は読み書きが出来ない人も多く、地方では小学校の特別教室で学んでいるそうです。
要は、歴史的背景・貧しさで「学がない世代」なのかも・・それも気の毒です。
それはそうと、河野談話で謝罪した事を今の今まで知らないならば、
アジア女性基金で歴代総理のお詫びの手紙(橋本さんから小泉さんまで)のお詫びの手紙の存在なんて知る由もないですねっ(唖然)
誰が邪魔していたかというと、挺対協に間違いない。日本の配慮がそれらにブロックされて、直に届いていないとしたら日韓双方に不幸な事だと思いました。
そりゃ、下村満子(元朝日論説委員・元アジア女性基金理事)も怒りまくるハズだわ
《【動画追加】秦郁彦氏と下村満子氏が語る朝日慰安婦記事問題。「モンスター化した挺対協と当事者能力のない韓国政府」 【深層NEWS】》
・・下村氏「そうです。韓国社会では名乗り出ること自体が『日本兵に身を売った』『汚い女』と親戚付き合いもできないので非常な勇気がいる。
国家賠償を強く請求しているが、それは日韓条約で終わっていて絶対に出来ないので、道義的責任として医療福祉費として500万円ほど出した。
朝日新聞はどっちかというと国家賠償を!という立場だったが、私はそんなものは成立するはずがないし、少なくても慰安婦のおばあさんが生きている間にせめて500万円を手渡したいという一心でやった。
お金だけじゃなくて、総理のお詫びの手紙(橋本さんから小泉さんまで)を渡した時に、皆さんワーーッと号泣して、『これだけで十分です』と『これを見せればお墓にも入れてもらえる』『お金よりこれだ』と言う位皆感動して、私も抱き合って泣いた。
逆に言えば、日本は真面目に一生懸命やれる範囲でやったと。
それを挺対協(慰安婦を保護して権利を代弁する団体)が『絶対に受け取るな』『受け取ったら将来国家賠償2000万円取ってやるのにオマエ達の権利はなくなる』とかもう嘘八百を、、逆に強制的に管理されていて、受け取りたくても、政府から出ている生活保護費みたいなものを全部ストップするとか。
受け取りたいという人を妨害するのはまさに人権問題ではないかと。(挺対協は)慰安婦を盾にとって、利用して、ハッキリ言っておばあちゃん達の事を全然考えていない。
このあと書き起こしは・・・吉田証言・朝日新聞・挺対協 ・水曜デモ・ アジア女性基金・朴裕河教授 ・何故世界に誤解が広がったのか・クマラスワミ報告と幻の反論文書・アメリカ議決・アメリカの教科書・日本の慰安婦問題をどうすればいいかという興味深いアンケート結果などです。暫しお待ちください。
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