富坂署事件
「アジアで日本人は悪い事をした」と、なんとな~くずっとすり込まれていますが、
その原因は戦後GHQの洗脳政策によってできた反日教育の日教組と、当時日本人だった朝鮮人を、終戦直後「奴隷解放だ!」と根拠のない免罪符を与えた事なんですよね。
戦後の朝鮮人がどんな風だったか、「討論!討論!討論!10/8」のその部分のみ書き起こししました。(但し、流れはそのまま要約) 田岡一雄氏の証言も興味深いですよ。
高山正之氏「・・・先ほどGHQの洗脳というか、いわゆる韓国・朝鮮問題っていうのは、一番根源にあるのはそこだ。先ほどGHQと言ったが、一番最初に動き出したのはルーズベルトのカイロ会談。
アメリカは『日本は侵略国家だ、残虐な国だ。東南アジアで残虐行為を繰り返す』とか言ってるが、残虐さっていうのはもともとアメリカが持っていたもので、日本を批難するに値、、、まぁ仮に日本がやってたとしても。
そこの残虐さについてはシナ人と一緒になって南京大虐殺みたいなのを、こうでっち上げていきゃいい。
ただ、1つだけアメリカとしてどーしてもアメリカ人が日本に敵わないものは奴隷。奴隷と差別。
日本では、奴隷は制度になったことが一度もない。それがアメリカにとって非常ーにウィークポイント。日本を倫理的に批難するにあたって物凄く弱い。
それでルーズベルトは何を言い出したか。カイロ会談で『日本は朝鮮半島を奴隷化している。朝鮮人を奴隷にして搾取している。』 これまっったく根拠がない。
根拠はないけど、彼がそういう発言をカイロでやった。
それからルーズベルトの記録を見ると、繰り返しそれをやっている。
例えば、ヘレン・ミラーズの本なんか見ても、44年の終戦の前の年の、カイロ会談の翌年の8月、『アジア人は日本の奴隷になりたくない』とかいう公式発言をボコボコやっている。
で、これを踏まえて、その日本の占領統治政策が行われるのだが、その時に日本にいる在日朝鮮人に何を言ったかというと『今日、奴隷解放の日だ』と。『朝鮮人が解放された日』だと。
それを受けてマッカーサーが日本に来て、厚木に降り立って1か月後に、在日本朝鮮人連盟 という、今の民団・総連の母体がGHQの指導の下で結成された。
その結成趣旨が『朝鮮人は奴隷から解放された』『今や我々は連合国民だ』『戦勝国民だ』と言い出した。
で、奴隷扱いした日本に対して、『奴隷扱いしたのを十分に理解させるのが我々の義務だ』と朝鮮人連盟が。
それを追認するように、マッカーサーは日本の新聞なんかに連合国人について、つい最近も、サンフランシスコ講和条約の後も、米兵の犯罪について裁判権を放棄させられたっていう密約が出てきたと各紙載って騒いでいたが、
あれと同じで、逮捕権も裁判権も連合国の兵隊なんかには一切、日本人は持たない。新聞コードでもそういう連合国人を批判するのは書いちゃいかんというのがある。それを9月の段階でもう既にプレスコードに要求している。要求って言うかまぁ日本は呑まざるを得ないんだけど。
で、その翌々月にその連合国人に対する扱いは、朝鮮人にも与えるってことだと。
これはもうハッキリGHQで出している。戦勝国民扱いをしろと。それから新聞で叩いちゃいけない。それから裁判権もない。
それで何が起きたかって言うと、もう有名なのでは直江津事件 。
(←当時の列車の混雑)
これはヤミ米を、、信越線、満員電車に窓を割って入ろうとした朝鮮人を乗客が注意した。彼らは『この野郎』と言って、直江津駅に着いたら、その注意した日本人をホームに引き出して、皆が見ている前でスコップで殴り殺した。
もっと有名なのは浜松事件 。
これは浜松で朝鮮人が全てのヤミマーケットを握って、それに警察が介入したら逆に警官を人質にとって、殴り殺しし始めた。それでそこにいたのが関東霊岸島一家小野組という任侠の徒。 これは警察が手を出せない 。警察官はパクられている、やられているので、小野組が立ち上がって彼らを救出した。
これを発端にして、あの浜松の街の真ん中で天満町で5日間市街戦があって、3百何人の死傷者が出た。
こんな事、日本の歴史にも載らないし、新聞も報道しないわけだ。
この時はさすがに炊きつけたアメリカは、日本はとにかく朝鮮人を奴隷にしたんだから、解放して、解放後の奴隷が少々跳ね上がっても黙認していた。だけどここまでやるかということで、結局MPが出て処理した。
でも、日本は奴隷扱いしたと言うんで、ありもしない強制連行とか口実にして、特別永住権というのを彼らに与えた。
日本はなくてもいい、奴隷扱いしたみたいな格好で、歴史を引きずらされている。結局全ての根源がそこにある。
今、在日の参政権要求も『強制連行して連れてきたんじゃないか』と『こっちに住んでいるオレたちにそれくらいやるべきだ』という贖罪を訴えているわけだ。
で、メディアはさ、浜松事件・直江津事件なんて調べりゃ分かる。あと坂町事件。
これはヤミ米を全部、、拠点にしていたのは坂町ってとこで、警官が袋叩きにされているわけ。
それから富坂署事件、、富坂署だとか生田署 にみーんな朝鮮人が殴りこみかけている。
生田署事件で『この野郎!』ってやっのが田岡一雄。昔は本当に任侠の徒だった。今は逆転しちゃったけどね。中に在日が入っちゃっておかしくなってるけど。
(←真ん中 田岡氏)
こういう背景を全く知らないままで、今の現状の在日の参政権問題なんか考えたらとんでもない事になる。
我々はそういう格好でGHQじゃなくてアメリカ自体が、自分達が奴隷問題をひっ下げて、日本を黙らせるためにデッチ上げた朝鮮半島奴隷化論みたいな押し付けがあった。戦後の朝鮮問題って全てこれが根っこにある。
だから日韓交渉を見ると、向こうの言い分はGHQが創った作文そのもの。
長い間植民地支配して・・・という件。
こっちは持ち出しして鉄道敷いり、電気通したり、久保田貫一郎 が言ってるけど、相当やっているのにありがとうでもなくて、彼らは今でもその思いに乗っかって、誤解の上に乗っかって日本にいろんな要求している。それをやっぱり踏まえて、今の韓流を見て欲しいと思う。
水島氏「そうですよね、仰るとおりで、つい最近産経新聞で山口組組長のインタビューが出ていたが、今、山口組は朝鮮・韓国人が多いみたいだが、最初の田岡氏は東映の映画なんかにもある。『山口組三代目』という映画見ると、朝鮮人が暴れているのを田岡さんが先頭になって抑えるみたいな、、」
高山氏「そんなの山ほどある。神戸はあの時、田岡が立ち上がって、朝鮮人が駅前を取っちゃった。ビルを襲撃して。手榴弾まで使ってんだよね。」
但馬氏「だから日本軍の武器庫からかっぱらって、、」(激論 編集長)
高山氏「それを持ってきてるんだけどね。ところが東京ではそういう霊岸島一家みたいなのがいなかったから、有楽町駅前・新橋・渋谷・新宿・・全部駅前取られちゃった。」
水島氏「そうですね。そういうことを踏まえると、今、例えば新宿見るとほとんど警察も手が届かなくなってる。歌舞伎町は前よりもっと凄くなってる。
別にヤクザが良いって訳じゃないけど、日本のヤクザは一応警察とある程度折り合いつけることが出来たけど、今はコントロールが全く効かない状態を見ると、
ご指摘の戦後直後にあった事と、今、韓流に対する危険というのが非常に良く分かる。」
高山氏「例えば浜松事件の時は、その死傷者出して朝鮮人と戦った小野組に対して、浜松市の市民から義捐金が出ている。『ご苦労さんでした』って。それがいいか悪いかは、、(笑)
それはなんで警察が介入しないの。富坂署になんで殴りこみかけられるの。それからもっとヒドイのは、下山(総裁)事件 。
下山総裁が飛び込み自殺するんだけど。睾丸破裂があって、、これは生前に暴行を受けたって古畑インチキ教授が判定下したが、あれをやったのが三国人。
あれは東京駅で彼は国鉄の旅客局長で、列車にここは『朝鮮人専用』『台湾人専用』って書くと、日本人が乗れなかった。
それを止めさせたら、頭来たの(三国人)が、旅客局長が殴りこみをかけて、袋叩き・半死半生にした残り傷が、何年後かの下山事件の時の鑑定を狂わせた。・・・・」
但馬氏「あと阪神教育事件 ってありましたよね」
高山氏「おお、そんなの探せば山ほどある」「で、結局フジテレビ・・・・」
以上(あと長田区役所襲撃事件とか、それこそ数え切れないほどの朝鮮人襲撃事件があります)
おまけ
関東大震災1923年(大正12年)直後に警視庁から出された、「有りもせぬ事を言いふらすとは、
なんで、戦後も日本に押し寄せるんでしよう?!
いくらアメリカに「奴隷解放の日」だと言われても、そんなの嘘っぱちだと知っているのは朝鮮人なのに、これらの掌返しは理解できませんね。
だって、当時の朝鮮半島の人たちは、日本の敗戦を聞いて日本人の手をとって一緒に泣いたんです。当時は既に日本の恩恵にあずかり、身も心も日本人になっていた人がほとんどだったのです。(知られざる朝鮮総督府の善政より)
あと、知恵袋で田岡一雄氏の証言、「被害者ヅラしている朝鮮人」が当時どんなだったか、分かりやすいので引用します。
「田岡一雄自伝 電撃篇」(田岡一雄 一九七一年初版 徳間書店)よりの引用
<その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。
略)
三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 >p一九〇~十九三
<昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の、三国人の男たちだった。
彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
<汚ねえ・・・・>
うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>p一九四
<昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。>p二一四
このような蛮行を見てマッカーサーが「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と言ったのは有名な話ですよね。
私も亡き祖母が「朝鮮はごっつい恐ろしい」と何度も言ってるのを聞きました。(その時は、子供ながらに、そういう差別は嫌だなぁと思っていた私ですが💦)こういう事を、政治家とか学校の先生も知らない人が多いんじゃないかな。日本人は真実を知り、日本全体の名誉挽回・汚名返上すべき時です!
そうしないと先人にも、日本の未来を背負う子供達にも申し訳ないと思いませんか?!
朝鮮人と日本人の隔たりは、こういう歴史があるからです。
探せば資料がたくさん出てくるのに、こういうのを一切報道しないテレビメディアに疑問を感じます。
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