安龍福
自民党総裁選が9月20日に決まったそうです。
安倍総理と石破茂議員(鳥取県選出)との一騎打ちの様相ですが、左翼が応援する石破氏は総裁にしちゃダメ いつも立派な事ばかり言ってるけど、やってる事は違うし、あの人。
例えば、「竹島問題」について。
竹島問題は、島根県が超頑張っているので「島根県の問題」と捉えられがちですが、実は鳥取県も深く絡んでいる問題。
なのに、2006年から開催されている『竹島の日式典』に、石破氏は一度も出席していません
県外選出の国会議員もドンドン来ているのに不自然です。誰かに忖度? ?竹島に関してはむしろ資料は鳥取の方が多いし、関りもかなり深いのに・・
鳥取汚鮮ニュースさま より
《鳥取県の竹島資料は国に管理してもらいたい 》2015年02月22日
◇鳥取・米子「管理体制整備、国に提案」 は
竹島の日(22日)を前に、前総務相で、超党派の国会議員でつくる「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の新藤義孝会長が21日、鳥取県米子市の市立山陰歴史館を訪れ、江戸幕府が鬱陵島(ウルルンド)への渡航を許可していた大谷(おおや)、村川両家に関する史料を見て回った。(寺田航)
幕府が1618年、伯耆国(現在の鳥取県)の町人・大谷甚吉、村川市兵衛に渡航許可を与えたことから、両家は鬱陵島に渡ってアワビ漁やアシカ猟などを行うようになった、とされる。両家は鬱陵島と隠岐諸島の中間に位置する竹島を寄港地として利用。1696年、幕府は鬱陵島への渡航禁止令を出したが、竹島への渡航は禁止されなかった。
この日、新藤会長は、竹島の日の式典出席に合わせて、下條正男・県竹島問題研究会座長や県竹島対策室の関係者らと米子市内を巡り、両家に関係する史料などを視察した。
同館では、研究会関係者から説明を受けながら、幕府が鳥取藩主を通して両家に鬱陵島(当時の呼び名は「竹島」)への渡航を認めた「竹島渡海御免の達書」や、竹島(同「松島」)の地形を描いた「松島絵図」(いずれも写し)などを見て回った。
視察後、新藤会長は「貴重な文書が散逸したり、国外に流出したりすることがないよう、国がしっかり管理できる体制を一刻も早く整備することが急務。領土議連として国会でも提案していきたい」と述べた。
http://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/news/20150221-OYTNT50089.html(リンク切れ)(中略)
下條正男教授は日本海新聞の記事によると、
「竹島の資料は島根県より鳥取県の方が多いが、うまく活用されておらず、鳥取県が動かないことも問題。両県が協力して問題解決に向かわなければならない。」とおっしゃったそうだ。
竹島の資料は島根県より鳥取県の方が多いのか! 知らなかった!
おいおい鳥取県… 竹島問題ちゃんとやろうぜ…!
やらないなら素直に資料渡せ。・・・
鳥取県が動かない・・なるほど! 下條正男教授の言葉は重いな
で、「鳥取藩と江戸幕府」の資料の多さはこの産経新聞の記事にも
ここにある「竹島」…島根、鳥取にみる「史実の重み」 2018.1.1
男島(西島)と女島(東島)の2島を中心に数十の岩礁からなる小さな島嶼「竹島」。17世紀初めにはすでに鳥取藩・米子の商家が竹島と関わり、現在は島根県隠岐の島町に属するなど、山陰両県とも深いつながりを持つ。その竹島は今、韓国が武装要員を常駐させて不法占拠し、日本人は立ち入れない状況が長きにわたって続いている。米子の商家、大谷・村川両家が幕府から「竹島」(現在の鬱陵島)への渡海許可を得た1618年(1625年の説もある)から、400年に当たる平成30(2018)年。山陰両県に今もある竹島とのつながりやゆかり、面影などをたどりながら、この島々が山陰地方の一部であることを再確認したい。
膨大な資料
鳥取市の鳥取県立博物館を訪ねると、歴史・民俗展示室の一角に竹島コーナーがある。約10年前に設けられ、鳥取藩が幕府に提出した竹島の絵図などを公開している。コーナー自体はコンパクトだが、背後にある関係資料は膨大だ。
同館が所蔵する竹島関係資料は、鳥取藩の公文書約1万5千点や公務日記を収めた「鳥取藩政資料」と、藩士の岡嶋家が残した「岡嶋家資料」に大別される。そこには江戸時代前期から、鳥取の商人や藩、そして幕府もさまざまに竹島に関わった足跡が残る。
海運業を営む米子の大谷家は、越後からの帰路、風に吹き流され、無人島に漂着する。アワビなどの資源が豊かなのに着目し、同業の村川家と幕府に渡航許可を申請。それから両家は毎年、交代で漁に出かけた。鳥取と「竹島」が関わった重要な一歩だ。
(中略)
一方、17世紀末、朝鮮の国禁を犯して鳥取に2度来航し、帰国後の取り調べで「日本の幕府から竹島を朝鮮領とする書き付けを得た」との意味の供述をした安龍福についても、鳥取藩政資料に記述がある。・・
ちなみに「安龍福」とは・・
«【竹島問題】 大ホラ吹き漁師の「安龍福 」も偶像化。嘘を真実にしようとする韓国 »2016年2月 9日
・・釜山トュクベツ?市1600年代後半、ここで活動していた朝鮮の英雄がいる。安龍福(アン・ヨンボク)。
朝鮮王朝の記録によると、安は「竹島を朝鮮領だと日本に認めさせた人物とされ、韓国では教科書にも登場する英雄だ。
一方、日本には安が訪日したとの記述はあるが、竹島を朝鮮領だと認めさせたなどという記録はなく、幕府や藩の要人に会った事も疑わしいとされている。
しかし、アン・ヨンボクは韓国では英雄だ。釜山には自治体が建設したアン・ヨンボクを祀る公園まであるほどだ。・・
竹島問題の起点とされる「安龍福」。
韓国では英雄とされてるけど・・、ただの嘘つき漁師。そんなのも日本側の資料で一目瞭然なんです。
それはそうと、石破氏の「竹島問題」への考えが、オフィシャルブログに
竹島、尖閣など 2012年8月17日 (金)
石破 茂 です。(中略)・・ しかし、領土問題について、国民に対し正しい認識を問いかけることを怠ってきた我々自民党の責任は、免れることができません。「竹島は日本固有の領土である」と教科書に記述するだけでは全く不十分であり、国際法的・歴史的に何故そうなのかを韓国の主張と比較する形で記述すべきですし、それこそが教育というものです。北方領土についても同様であり、領土問題は存在していないにしても尖閣諸島についてもそうでしょう。
他人事みたいに書いてありました(呆)まっ、竹島問題でコメント求められれば、もっともらしい事言ってましたけどね
«島根県から怒りの声 (民主党・土肥議員の売国行為) 【ローカルニュース】»2011年3月11日
・・そして、この人も怒りの形相
石破氏「どのような認識に基づいて署名をされたのか、、民主党の中にそういう考えをお持ちの方が大勢いらっしゃるという事だと思います。」・・
「竹島問題」に関しては、間違いなく新藤義孝議員が、長年一番熱心取り組まれていて、小泉進次郎議員を連れて隠岐の島視察も
«【竹島問題】 小泉・新藤議員、隠岐の島視察訪問・島民の訴え 【TSKスーパーニュース】»2012年2月23日
隠岐の島町久見地区。かつて竹島周辺での漁を行っていた際、拠点となった港があります。・・
ここから、「竹島問題」を離れて、何故石破茂が総理・総裁になったら拙いかという話
«石破茂氏「時間が経てば、人は忘れるだろうと高を括ってたらとんでもない事になる」と安倍批判 【あさチャン!】 »2017年6月26日
・・ここから本題。まず思い浮かぶのは、金丸訪朝団の時の一件。
テレビじゃ流さないニュース さまより
【自民党石破茂】金丸・小沢と共に訪朝、さらに北朝鮮で女をおねだり!?
井上太郎 @kaminoishi
石破議員、もう20年近くにはなりますが、金丸・小澤氏と共に訪朝団として平城に行ってます。この訪朝団、金丸氏は金の延べ棒が家宅捜査で発見され、小澤議員からも流れているとの噂も永田町で言われています。目の前にして貴殿に対して口をつぐむ意味においても何もないことは無いと言われてますが。
井上太郎 @kaminoishi
石破議員、北朝鮮に来て女をおねだりした拉致議連代議士として名前あがった事に関して何か言い分ありますか。北朝鮮の孫哲秀対文協日本副局長、李成浩対文協日本課長の二人が、若い下目三白の代議士が小指たてて要求、カラオケバーに行った時は高麗ホテルにお持ち帰りと証言。文春に書かれていました。
・北朝鮮で女をおねだりした「拉致議連」代議士
・元東ドイツ秘密警察幹部が爆弾発言
「石破茂防衛相は、北朝鮮で美女をあてがわれた!」盗撮されたビデオも!
・拉致議連なのに、北朝鮮への経済制裁に反対
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/47230644.htmlハニトラというより、自分からハマったカンジが・・💦
↑これ、絶対に蒸し返されるし、盗撮されたビデオが存在するなら超ヤバイでしょ!
という事で、石破氏の総理・総裁は論外!
もとい、石破氏だけでなく、毎年、竹島の日式典に鳥取県選出議員の出席がないのを不思議に思っていました。
山陰として、竹島に深く関わった県として協力するのは当然だし、いくら地元が盛り上がっても領土問題は国同士の問題なので、国会議員の仕事。竹島問題に関して、石破さん、あまりに他人事じゃないですか?!
・・「海上保安白書」(昭和41年版)によると、日韓が国交を回復する1965年までに、韓国当局は327隻もの日本漁船を拿捕。3911人の漁師を拘束し、うち8人が死亡しました。・・(中略)
日韓基本条約に付随する形で、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓請求権並びに経済協力協定)」も同時に締結されました。日本が韓国に経済支援を行うことで、この協定の署名の日までの両国及び国民の間での請求権は「完全かつ最終的に解決」されるという内容でした。つまり、両国はこの協定によって、戦時中などに生じた事由に基づくいかなる請求も認めないとしたのです。
この請求権の中には、「李承晩ラインを越えた」ということで拿捕された日本漁船、その乗組員らから生じたすべての請求権も含まれていました。従って、[E:danger]日本はこの協定に基づき、拿捕された漁船や漁船員の被害・損害を、韓国に請求していません。日本の政府が自ら、被害者や遺族に対し、様々な補償を行ったのです。・・
この件、日韓条約で一切解決した事になって、個人の請求権は消滅したけど、この韓国の大規模漁船狩りの中に鳥取の漁師もいたし、ご遺族もいる。竹島問題は山陰の問題
石破茂議員は、今までの無策を反省し、ちゃんと「竹島問題」に対する政策を出して、安倍総理としっかり議論すべき。
石破氏は、「島根・鳥取」の為に6増法案を支持して、竹下派の応援ももらうんだから、竹島問題にもっとコミットするのが人の道だよね。
◆自民総裁選、竹下氏が石破氏支持表明 (山陰中央新報)
自民党第3派閥の竹下派(55人、平成研究会)会長の竹下亘総務会長(衆院島根2区)が12日、9月の党総裁選で石破茂元幹事長(鳥取1区)を支持する意向を、出雲市内で開いた島根県議らとの会合で表明した。同派所属の県関係の参院議員2人と衆院議員1人も石破氏支持に回ることを明らかにした。竹下氏は県議にも石破氏を支援するよう要請した。
まっ、ついでに言うと鳥取は歴代知事たちもマジおかしいんですけど!
朝鮮大好き、片山善博元鳥取県知事
【都知事選】民進擁立の片山氏がヤバすぎるw「県立図書館に安重根掛け軸」「日本海ではない朝鮮東海」 2016年06月24日(もえるあじあ さま)
安倍総理にトンデモ提言
«片山善博氏「安倍政権の支持率を上げる4条件!」 VS 平井文夫氏「コレむしろ安倍潰し4条件」 【新報道2001】» 2017年7月16日
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前記事の続きです。(残念ながら動画は消されていました)
2006年に放映された鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~【TSKスーパーニューススペシャル 】(後編)の文字起こしです (青字はナレーション)
③
テグ大学で行われた意見交換会だった。研究会の主張に対し、出席した6人の研究者は激しく反論した。キム・ファキョン教授「日本の独島研究家の特徴は、韓国の研究を否定することから始まります。先生のとんでもない話もこれから全て検証していきます。」(嶺南大学)
キム・チョムク会長「日本の研究者は、韓国側の持っている資料の少しの違いを追及しています。少しの違いで韓国の歴史全てを否定しようとしていると感じます。」(独島守護隊)
2時間に及んだ意見交換会。議論は平行線に終わった。
キム・ファキョン教授「1900年の大韓帝国の勅令で鬱陵島・竹嶼・石島という島が出てきますが、石島が独島であるにも関わらず、下條先生は(石島は)観音島と主張しています。歴史的資料を歪曲しているわけですね。
それから朝鮮王朝実録という本がありますが、その中でも主語を省略することによって変に解釈しています。私は資料を歪曲していると主張しました。」
キム・ファキョン教授「(何か共感できる点は?) いやー、理解できないです(笑) いや全然ない (まったくないですか?) うん」(ここまで日本語)
「何故理解できないかというと、日本の領土だという結論を出して、私達の意見に耳を傾けようとしない。日本に有利な資料だけをとって証拠として示しているのが間違いだ。」
キム・チョムク会長「これまで日本の主張が矛盾していると思っていましたが、それを確認する場になりました。
韓国側の少しの矛盾点というのは、昔の記録で、島の位置が間違っていることで、それを指摘されていますが、それは世界中何処にもあることです。昔は精密な記録は出来ませんでした。世界地図も形は少しずつ変わっています。昔の記録は当時の状況を考えて判断すべきのに今の基準をもって判断するのは誤りです。」
下條氏「もう十分なですね、話し合いというところまでは行きませんでしたけれども、まぁ韓国側と日本側の我々とのですね、認識の違いがあるという事がよく認識できました。それも一つ成果だったと思います。基本的にですねぇ、歴史に対する考え方も違いますし、文献そのものの存在ですね、ちょっと違うんですね。
韓国側には政府のレベルで編纂するという事もありますが、日本ではそういう事がありませんので、やはりそういった様々な細かな文献を読んでいかなけれどならないと。でも、韓国側から見るとそういった文献てのは無視できるものであったりですね、個人的な意見とか、そういうふうにして一蹴されてしまう部分もあるんです。
そういう事から見ていくと、やはりお互いの歴史認識以前にですねぇ、お互いの歴史がどう違っていたのか、まっそういった部分からですね、話し合っていく事が出来れば良いのではないかなと思っています。」
この意見交換会について、韓国側の研究者からは非公式なものとする前提条件がついた。
韓国内で竹島問題は、竹島を日本の領土とする研究者と公式に意見を交わすだけでも批判を受ける恐れがある微妙な問題だ。 こうした中での意見交換会。実は大変異例なことなのだ。
その中で、韓国側から自国領とする根拠として取り上げられた人物がいる。
キム・ユンベ氏「独島のことを一番よく知っている日本人は中井養三郎だと思います。中井の文献には独島は韓国領だと明確な記述があります。」(独島守護隊)
中井養三郎とは、竹島の島根県編入を国に願い出た人物。中井は1903年、隠岐の島を拠点に漁師を雇ってアシカ漁を始めた。
中井が編入を願い出たのはライバル会社との過当競争による乱獲の懸念や領有権が明確でないことによる他国とのトラブルを心配した為とされる。
そして、1905年、島根県は竹島を編入した。中井は1911年頃書いたと見られる事業経営概要の中で、竹島の編入を願い出た時を振り返りこう述べている。
"本当の鬱陵島を付属して韓国の所領なりと思わるるを・・・"
ここには中井は編入を願い出る前、竹島を韓国領だと思っていたと記されている。
このため、韓国側の研究者などは当時の日本人が当時の竹島を韓国領だと認識した上で韓国から奪い取ったと主張する。
更には、中井は朝鮮侵略を進める日本政府から唆された。とまで言い切る研究者もいる。
ところがこの主張に一石を投じる新たな資料が松江市で発見された。
奥原秀夫氏「中井養三郎という人の話を写したんだ。その時のことを書いたものなんだ、これは。どういう訳で竹島が明確な日本の領土であるという事を決めた時の話がこれに書いてある。」
奥原秀夫さん94歳。明治時代、島根県の教育者で文化人として活躍した奥原碧雲の三男だ。奥原さんが持ち出した古い原稿。中井養三郎氏立志伝。
竹島を編入した翌年の1906年。碧雲は島根県の竹島調査団に同行。この立志伝は一行の中にいた中井から聞き取りした内容が記録されている。
そこには中井が当初、竹島を韓国領だと思っていた理由がハッキリと書かれていた。
"海図によれば仝島は朝鮮の版図に属するを以って・・"
海図とは、船が使う海の地図。中井が竹島を韓国領だと思った根拠は海図だった。
④
海図の性格について、竹島問題研究会の委員で島根大学の舩杉助教授は次のように指摘する。
舩杉氏「海図は海上交通の安全のために作ったものです。特に岩礁とかですね、そういう物に船が当たってしまうと座礁してしまいますので、そうした物に当たらないように、安全航行の為に作ったものが海図という事になります。
従って、それを元にしてですね、領土はどこかとかそういう事は議論出来ないそういう資料です。
ただ、非常にその岩礁とか島の位置を正確に記した資料ですので、あの島の位置を確かめるにあたってはですね、非常に意義がある資料だと言えると思います。
国立国会図書館の塚本たかし参事によると、中井が見た海図は日本海軍が作った"朝鮮全岸"という資料。朝鮮半島周辺の海の様子が記されている。題名には"朝鮮"の文字。中井はこの中に書かれている竹島を韓国の領土だと思ったのだという。
つまり、中井は確乎たる根拠を以って韓国領だと認識していたわけではないのだ。
舩杉氏「確かにですねぇ、明治29年にあの、日本政府の水路寮が発行した朝鮮全岸という地図の中に今の鬱陵島、当時松島とも呼んでいましたし、それから今の竹島にあたるリアンコール列岩が出ております。
ただ、先程述べましたようにそれは朝鮮半島の近くをですね、航行する船の為にですね、作成した物ですし、で、実際その海図とセットに作られました朝鮮水路誌という本を見てもですね、日本海、特にあの函館に行く船なんかはですね、丁度、リァンコ島(竹島)の近くを通って航行したと。だから気をつけなさいと、そういう記載もあります。
従って、朝鮮水路誌という方に出ていたとしても、それは朝鮮の国の範囲の中にあるという事を示したわけではなくてですね、朝鮮半島の近くを航行する船に気をつけなさいと、まぁそういうふうに読み取る、そういう資料だということが言えると思います。
朝鮮全岸に出ているということで中井養三郎がまぁ、朝鮮領だと誤解したんですけども、でー、実際にその水路局の局長、それはキネツキと言いますが、キネツキ部長に会ってですね、この島は一体何処に所属するのかというふうに問い合わせをするわけです。
で、その結果、キネツキさんはその海図とですね、水路誌と両方見てですね、これはどこの領土にも属していないという事をハッキリ答えられたんです。それは水路誌・海図を作った当事者ですから、極めて妥当な判断で、資料上もそういうふうに出ているわけです。
まっ、ですので中井養三郎が誤解したという所と、それから日本政府がその当時竹島をどういう風に認識していたのかということがしっかり判るそういう資料でして、
ですので、従来(韓国の)研究者から言われているようにですね、日本政府が竹島を島根県が編入する前にですね、韓国領だというふうに認識していたということもそれに当たりませんし、
それからもうひとつ言えば、キネツキさんとかですねぇ、政府がですね、中井養三郎をそそのかしてですね、韓国領であることを知っていたにも関わらず無理やり編入願いを出させたと言っておられる先生もおられますが、そういう解釈は明らかに間違っているということが言える。その意味で今回の資料ってのは大きな発見であると言えると思います。
ただその一方でですね、じゃあその1905年以前にですね、明治期にあたって、我が国が今の竹島を日本領として認識していたっていう事はまた別問題ですので、こういう資料を発掘してですね、一体事実がどんなとこにあるのかと、先入観を持たずにですね、引き続き資料の発掘と分析を続けていく必要があるんじゃないかと思っております。」
竹島問題研究会の調査によって明らかになる新事実。日韓の研究者レベルで新たな論争に発展し、いずれ真実が明らかになる時が来るだろう。
今回の韓国訪問はその一歩となったに違いない。
一方で、今回の韓国訪問では現状では埋め難い日韓のギャップもまた目の当たりにした。
釜山トュクベツ?市1600年代後半、ここで活動していた朝鮮の英雄がいる。安龍福(アン・ヨンボク)。
朝鮮王朝の記録によると、安は「竹島を朝鮮領だと日本に認めさせた人物とされ、韓国では教科書にも登場する英雄だ。
一方、日本には安が訪日したとの記述はあるが、竹島を朝鮮領だと認めさせたなどという記録はなく、幕府や藩の要人に会った事も疑わしいとされている。
しかし、アン・ヨンボクは韓国では英雄だ。釜山には自治体が建設したアン・ヨンボクを祀る公園まであるほどだ。
キム・ビュンク会長「20億ウォン(約2億5千万円)?で市がこの地を買い入れそしてこれを建てましたよ。」(安龍福将軍記念事業会)(日本語)
(お祀りするサダンには領土を守った人という意味の言葉が・・)
キム・ビュンク会長「あちらは安龍福将軍の像です。安龍福は1人で日本に行って74年間日本に占領されていた鬱陵島を韓国に取り戻した事で讃えられている人です。」
島根県の研究会のメンバーはこの公園も視察し、キム会長からアン・ヨンボクについての思いも聞いた。メンバーが今回の鬱陵島・・(つづく・・)
⑤
今回の調査で感じたのは、研究の成果への手ごたえだけではなかった。
それは日本ではあまり感じられない竹島(独島)に対する韓国の関心の高さだった。
竹島行きの高速船。民間の会社が作った独島博物館。
近くにはケーブルカーが通り、見晴らしの良い日には竹島が見えるという展望台がある。
そして釜山には、アン・ヨンボクの記念公園(安龍福将軍祀堂)
下條氏「今回、あの竹島、、韓国の言う鬱陵島のですね、独島博物館とか、それから今日の場合の安龍福さんの顕彰碑ですか、公園がありますけれど、ああいった史跡とかですね、博物館等のですね活動が非常に活発ですね。
そして民間団体の方もですね、そういった安龍福含めて、韓国側の竹島問題(独島問題)に対するそういった集まりがたくさんあるわけなんですね。まぁ学術のレベルもあれば民間的ないわゆるの庶民クラスのものもある。そういった点から見ると日本はですねぇ、日本政府も対応しませんし、やはりまぁ個人的にもあまり動いていない。そういった格差が非常にあるということを認識致しました。
で、今回見た独島博物館の場合にはですね、個人の方が集められたわけですけど、やはり大きな財団(サムスン)がですね、それを支援して博物館を建てたりですね、あるいは政府レベルで多く支援をしていますので、取り組みの仕方がですねぇ、日本と韓国では極めて対称的だということがよく分かりました。
で、韓国側としてもですね、やはり日本を訪問してもですねぇ、そういった資料とか文献を直接見る機会ってのがありませんね。そういう意味ではですねぇ、是非とも早くそういった公文書なりをですねぇ、公開できる建物ではなくて場所ですね、コーナーでも結構なんですが、そういうものが出来るようになると非常にありがたいなと思います。そうすれば、韓国側も理解が早くなるのではないかなと思います。」
竹島問題をめぐる日韓のギャップ。これは島根県という一自治体だけで埋まるものではない。日本海における日韓の漁業ラインの設定もまた竹島問題が投げかける大きな課題のひとつだ。
澄田知事(当時)「大切なね、日本海ですから。これは韓国にとっても日本にとっても非常に大事な海ですから、これは首脳会談でね、基本線をきちんと取り決めて頂くという事はね、大切なことだと思います。」(島根県)
片山知事(当時)「あの、今までそのなんかタブーを持ち出したらね、もう日韓関係が壊れてしまうんじゃないかってそういう、あのちょっとした根拠のない恐れみたいなのがありましたけどね、やっぱり問題は現としてあるわけですから、表に出さないままで、鬱々としていたもなんにも埒が明かないですよね。これを表に出して、その上で話し合いながら良好な関係、友好関係を築いていこうっていう新しいステップに入ったと思うんですね。それならば首脳会談でこういう非常にクリティカルなナイーブな問題ですけれどもね、ですけども、現実に日本の我々の地域、漁業者も非常に難儀難渋をしているわけですから、そういう問題は国策として出していくって事は重要な事だと思いますね。」(鳥取県)
今年10月開かれた日韓首脳会談。安倍総理就任後初めてとなるこの会談で竹島問題は議題に取り上げられることはなかった。
日本と韓国の間に突き刺さるトゲ、竹島問題。政府が沈黙していれば解決は遠のくだけだ。
鬱陵島の調査を初めとする研究会の成果。それが政府レベルで生かされていくのはいつの日のことだろうか。以上
竹島問題研究会をはじめ島根県の取り組みで、教科書もほんのちょっとずつだけど記述が増え、下條教授の言われていた公文書を公開する場所も島根県庁内に設置され、韓国メディアも頻繁に訪れています。あと、この映像の最後に下條教授が訴えておられますが、
独島博物館と竹島資料室の差が激しすぎることを是非知って下さい。
《韓国ウルルン島・独島博物館の㊙正体、下條教授が解説 【Nスタ・ニュースJAPAN・スーパーニュース】》2011年08月03日より
・・博物館が設立されたのは1997年。
建物の面積は1500㎡を超え、竹島の領有権に関する韓国の主張が所狭しと展示されている。
精巧に作られた竹島の模型に、韓国の主張と合致する何枚もの古い地図。
この博物館には去年13万人以上が訪れている。
(一方、竹島資料室は・・・)
地図や論文などが二部屋に展示されている広さはおよそ100㎡
一日の来場者は、平均5人から6人で、年間ではおよそ1000人になると・・
13万人と1000人の違い・・情けないです。
私はこのギャップは、日本の教育とマスコミの啓蒙不足にあったと考えます。
そして2012年夏・・竹島問題を契機に日韓の重大な転換期に入りつつあります。
最後に、この動画を6年の時を超えてupされた方に感謝します。
※この頃から、状況は全く変わっていません
「韓国の竹島研究は20年間、全然進歩していない」-。竹島問題に関する島根県主催の市民向け講座が1月、松江市で開催され、講師を務めた下條正男・拓殖大国際学部教授(日本史)が韓国の研究者を痛烈に批判した。下條氏は同県が設置する竹島問題研究会の座長を務め、現在は同県の竹島問題研究顧問。竹島に関する国内きっての論客で、竹島問題調査のため韓国・鬱陵(うつりょう)島を視察しようとして入国拒否された経験を持つ、韓国にとって“天敵”のような存在だ。下條氏は「文献などの解釈が恣意(しい)的だ」と韓国の研究姿勢を非難する一方で、「日本側もその間、何をしてきたのか…」と苦言を呈した。講演の内容を2回にわたり紹介する。・・・
「竹島の日」は2月22日です。にゃんにゃんにゃんネコの日」と覚えてください!
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嘘の証言で、像を作り、既成事化していく・・と言っても慰安婦問題の事ではなくて、
今日は、「安龍福」についてまとめてみます。
日本ではあまり知られていないけど、韓国では教科書にも出ている英雄なんですよ
竹島問題にも影響を及ぼしている漁夫の安龍福(しかも大ホラ吹き)は、今や「将軍」として像や祀堂まで造られています。
《鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~【TSKスーパーニューススペシャル 】(後編) ③④⑤》2012年8月28日
・・釜山トュクベツ?市1600年代後半、ここで活動していた朝鮮の英雄がいる。安龍福(アン・ヨンボク)。
朝鮮王朝の記録によると、安は「竹島を朝鮮領だと日本に認めさせた人物とされ、韓国では教科書にも登場する英雄だ。
一方、日本には安が訪日したとの記述はあるが、竹島を朝鮮領だと認めさせたなどという記録はなく、幕府や藩の要人に会った事も疑わしいとされている。
しかし、アン・ヨンボクは韓国では英雄だ。釜山には自治体が建設したアン・ヨンボクを祀る公園まであるほどだ。・・
「安龍福」を知らない人はザックリ読んで下さい
発信竹島 ~真の日韓親善に向けて~ : 第1部「安龍福」-江戸時代-(2)キーマン登場
禁破り日朝関係に波紋 下條正男・拓殖大教授に聞く
米子の村川家の船頭たちと朝鮮人の漁民たちの遭遇で幕を開けた、鬱陵島をめぐる日朝間の「領土紛争劇」は翌年の1693年、第2ラウンドに突入する。そして、いよいよキーマンである安龍福が登場する。
-1693年、年番に当たっていた大谷家の船頭たちが、鬱陵島から朝鮮人を連れ帰る経緯は。
「大谷家の船頭たちは、村川家から前年の朝鮮人の漁民との遭遇を聞いており、警戒しながら島に近付くと、船や大量の干したアワビ、ワカメなどだけでなく、漁をしている朝鮮人を発見した。その中に安龍福と朴於屯という人物がいた」
「村川家の抗議にもかかわらず、再び朝鮮人が島に渡っていたことに、鬱陵島は日本領と認識していた大谷家の船頭たちは、強い危機感を持った。このため、安と朴の二人を連れ帰り、幕府の裁定を仰ぐことにした」
-鳥取藩での扱いは。
「『竹島考』や鳥取藩の『池田家御櫓日記』などによると、鳥取藩は二人を大谷九右衛門宅に”軟禁”する一方、幕府に指示を仰いだ。その間、安は気晴らしに外出したいと言ったが、許されず、支給する酒も一日三升以下と定められた。その後、幕府から二人に以後、鬱陵島に渡らないよう厳命し、長崎に護送するよう指示があった。その前に鳥取城下に移されたが、安が強暴との理由で市中での見物も禁止された」
「ただ、鳥取藩は長崎へ移送の際も約90人を随行させるなど、二人を『異客』として扱った。道中の食事も『一汁七菜』を出し、もてなした。鎖国下で外国人の扱いが分からず、持て余したというのが実態だろう。だが、その厚遇が後々、安を勘違いさせ、領土問題を混迷させる一因となる」
-一方、幕府に二人を長崎で引き取って送還するとともに、朝鮮政府に越境を抗議するよう命じられた対馬藩の扱いは。
「日本側の対朝外交の窓口だった対馬藩は鳥取藩と違い、外国との交渉に精通しており、鬱陵島は日本領との幕府の見解に基づき、二人を罪人として扱った。朝鮮政府に対しても、対馬藩主・宗義倫の書簡で、速やかに各地に政令を発し、漁民たちの渡海を禁じるよう求めている」
-朝鮮政府の対応は。
「対馬藩が渡海禁止の徹底を要請した竹島が、朝鮮領の鬱陵島であるのを認識しつつ、当初は重大問題とせずに放置すれば、自然に解決するとの考えだった。背景には、鬱陵島は空島政策を取っているため、渡海を禁じても実害がなく、その帰属問題で争うのは得策でないとの判断が働いた」
「そこで、釜山にあった対馬藩の出先事務所である倭館に所属する朝鮮人通訳との話し合いで考案されたのが、同じ島である鬱陵島と竹島を別々の島とする彌縫(びほう)策。双方が納得の上での処置で、その方針に基づいて早期に決着する見通しだった」(05/07/27)
発信竹島 ~真の日韓親善に向けて~ : 第1部「安龍福」-江戸時代-(3)虚言家の片鱗
二転三転する証言内容 下條正男・拓殖大教授に聞く
そもそも、1693年に日本に連行され、日朝関係を緊迫させた安龍福とはいかなる人物で、どのような証言を残しているのか。史実をひもとくと、韓国で現在、英雄視される人物像とはほど遠い、「虚言家」の片鱗(へんりん)が見え隠れする。
-安龍福が鬱陵島に渡った目的は。
「鬱陵島で遭遇した大谷家の船頭には『官命でアワビを捕獲しに来た』と語っている。ところが、尋問した対馬藩から長崎奉行に提出された『朝鮮人口上書』によると、安はアワビ、ワカメを採って稼ぐためと説明。さらに朝鮮に送還後は、魚を買うため、朝鮮半島沿岸の蔚珍(ウルチン)から三陟(サムチョク)に向かう際、嵐に遭って鬱陵島に漂着したと強調し、証言が二転三転している」
-その理由は。
「保身のためだ。例えば、朝鮮政府での供述は、鬱陵島への渡海が当時禁じられていたことから、不可抗力による遭難とすれば、罪が軽くなるとの思惑があった。大谷家に対する証言も同じ狙い。官命とすることで、自身の行動を正当化し、穏便な処置で済むように画策したのではないか」-真相は。
「対馬藩への供述通りに漁労目的だと思う。朝鮮の事情に詳しく、同政府の渡海禁止令も知っていた対馬藩では、正直に話すしかなかったのではないか。安と一緒に日本に連行された朴於屯の家族も朝鮮政府の地方機関に、漁のために鬱陵島に渡ったところ、日本の漁民(大谷家)に連れ去られたと訴え出ている」
-朝鮮政府は1417年以降、鬱陵島の空島政策を続けていたのでは。
「政府の力が弱まって統制が効かなくなり、政策も有名無実化していた。アワビや朝鮮ニンジンなどを採る漁労や薬材を目当てに、多くの人が禁を破って渡っていたことも分かっている。発見される度に連れ出されたが、村川、大谷両家が朝鮮人と遭遇した1690年代以降は、渡海する人が絶えなかった。安が鬱陵島に渡ったのも、アワビやワカメがたくさん採れるといううわさが、朝鮮半島沿岸に広まっていたからだ。また、政府の重税などを嫌って逃げ込んだ人々もいた」
-安の身分は。
「着けていた身分を示す認識票は、軍兵が所持しているものだった、それによると、赤ら顔で、ややひげが生え、体に傷はなかった。所属は、釜山にあった水軍。認識票の表面には、奴隷階級であることを示す記述もあった。年齢は36歳。しかし、鬱陵島で遭遇した大谷家の船頭には42歳と語っており、ここでも、虚勢を張りたがる安の性格が表れている」
-当初、鬱陵島の領有権をめぐる江戸幕府との領土紛争を回避しようとした朝鮮政府は、きっかけを作った二人をどう扱おうとしたのか。
「渡海禁止令を破った罪人であり、日本との外交摩擦も起こし、法律に従って罰する方針だった。ところが、朝鮮政府内の権力闘争、政権交代で事態は混迷を深める」・・・
まっ、そんな人物なんですが・・なんと今では、VANK(バンク)の「安龍福プロジェクト」というのまであるそうようです!
欧州の地図大手、鬱陵島も日本領土に表記2004年07月20日
欧州のオンライン地図大手「マルチマップ(www.multimap.com)」が、独島(ドクト、日本名・竹島)だけでなく鬱陵島(ウルルンド)まで日本領土に表記し、問題となっている。こうした事実は、小中学生のネチズン約1万2000人と海外会員およそ3000人からなるサイバー外交使節団「バンク」(www.prkorea.com)が最近、独島・竹島を併記した有名サイトあてに抗議メールを送り訂正を求める「安龍福(アン・ヨンンボック)プロジェクト」 を繰り広げる過程で発見されたもの。 ・・・
そしてお決まりの小説にも!映画化決定ですかね?
独島領有権守った漁夫・安龍福が小説に2015年10月19日
・・・ 安龍福は生没年度がよく分かっていない。関連資料も多くない。小説は安龍福の父親と妻子が日本人の密貿易人に殺害される緊迫したエピソードから始まる。鬱陵島(ウルルンド)と独島を虎視耽々と狙っていた対馬島主の娘で、男装をしたまま釜山(プサン)の東莱府(トンネフ)の倭館責任者の妻子として来ていた女性と安龍福の間の国境を超えた恋情も描かれている。粛宗は陰で安龍福を支援する。実際の歴史を軸に想像力を豊かに加味した「ファクション」だ。
ファン氏は粛宗が独島問題に積極的に介入したという小説の設定について「残っている記録はないが、安龍福が日本に2度行ってきた後、200年間、日本は独島に関する限り静かだった。安龍福個人でなく朝鮮朝廷次元である種の役割を果たした可能性があるとみている」と話した。 ・・
将軍ではないのは知ってる人は知っているわけですが
【噴水台】安龍福2005年02月25日
・・ 安龍福は日本のこうした主張に、歴史記録などを前面に出しながら反論し、日本の徳川幕府から鬱陵島と独島は朝鮮の領土という覚書(書契)を受けた英雄だ。 彼の業績を称えて、鬱陵島道洞(ドドン)に「安龍福将軍忠魂碑」が建てられている。 しかし彼は将軍ではなかったし、記録によると私奴出身だった。
安龍福は1693年、鬱陵島でアワビを採っているところ、日本に連れて行かれたと知られている。 記録上で韓国と日本が鬱陵島・独島をめぐり対立した初めて事件だ。 安龍福は日本幕府から鬱陵島と独島が朝鮮の土地という覚書を受けたが、帰途に対馬島主にこの文書を強奪される。3年後、安龍福はまた日本に渡る。今度は鬱陵島・独島監税将(租税担当官吏で、実際には存在しない官名)として振る舞い、幕府の書簡を再度取り出す。 独島が朝鮮の領土であることを認める日本の最初の公文書だ。しかし安龍福は帰国後、官吏を詐称した罪で処罰された。
日本島根大の内藤正中名誉教授が昨年末に発表した論文によると、日本政府は過去に2度、公式的に「独島は日本の領土でない」と明らかにした。 そのうちの一つが安龍福事件に関連した1695年の文書だ。にもかかわらず日本の島根県は2月22日を「竹島の日」に定めて独島領有権を主張し、一昨日には駐韓日本大使が「独島は歴史的、法的に明らかに日本の領土」という妄言を吐いた。 300余年前、安龍福将軍が成し遂げた業績を守ることができずにいるわれわれの姿が恥ずかしい。
「512年以降、ずっとわれわれの領土だった独島」なんてさりげなく大嘘書いてるし
【噴水台】独島と過去史2005年02月28日
・・ #過去3:粛宗(スクジョン)22年の1696年、東莱(トンレ)出身の安龍福(アン・ヨンボック)ら16人の漁夫が鬱陵島へ行った。そこに並んだ日本の漁船と漁夫らを見て、安龍福は「われわれの土地に堂々と倭人が…」として怒りを表した。倭人らは「われわれはもともと松島(独島)に住むが、魚を獲りに来てこうなった」と語った。独島は日本の領土ということだ。
#過去4:光海君(クァンヘグン)10年(1618年)、日本の徳川幕府は島根県の大谷家と村川家に80年間、鬱陵島渡海免許権を認めた。当時、朝鮮の「空島政策」で鬱陵島は無人の状態だった。そのスキを狙って、島で伐木し魚を獲れと「泥棒」許可を出したのだ。その過程で、独島は日本の船が自由に出入りする「鬱陵島搾取の前進基地」になった。
イ・スグァンの芝峰類説(チブンユソル)にも壬辰倭乱(文禄の役)後に収奪される記録が出てくる。
新羅(シルラ)智証王(チジュンワン)時の512年以降、ずっとわれわれの領土だった独島に対する日本の欲望はこのように執ようだった。今日では駐韓日本大使がソウルの真ん中で「独島は日本の領土」と、記者会見まで行っている。にもかかわらず政府の「独島外交」は頼りなく見える。「国際司法裁判所へ行ってはならない」として葛藤拡散を防ぐのに汲々としている。こうした微温的な態度がむしろ、韓国領・独島に対する国際的疑心を招かないか心配だ。 ・・
安龍福が「整然とした理論」云々、英雄化
【噴水台】鬱陵島番人2011年08月01日
・・こうした混乱を断ち切って鬱陵島に対する朝鮮の所有権を確立した人がいた。 死後に将軍にまで推戴された安龍福(アン・ヨンボク)という漁夫だ。 日本との往来が多かった東莱(トンレ)で育ったおかげで日本語がうまかった安龍福は1693年、鬱陵島で操業中だった日本の漁夫に捕まり、島根県隠岐島に連れて行かれた。 囚われの身だったが、安龍福は終始堂々としていた。 安龍福は整然とした論理で日本幕府と談判し、鬱陵島が朝鮮の地であることを認めさせた後、これに対する証明書まで受け取った。 独島(ドクト、日本名・竹島)とは違い、鬱陵島の領有権に対しては日本側が挑発してこないのも、安龍福という人物がいたおかげということだ。 柳致環(ユ・チファン)の「鬱陵島」詩碑と安龍福忠魂碑はこの島の薬水公園に並んでいる。
日本自民党議員が独島領有権問題を穿り返そうと1日、鬱陵島訪問するという。 政府側はこの議員らを空港で送り返すことにしたようだ。 独島事態がどう進むのかは知らないが、過去に漁夫の忠節が鬱陵島を守ったように国民個々人の努力が独島守護のもとになるという点ははっきりと見える。
このコラムは意味不明
【コラム】ごめん、愛してる、独島よ!(2)2012/08/30
・・・ そうだ。私たちにはいつも愚かな政府の代わりに優秀な民間人がいた。民間人が独島を守った。異斯夫と安龍福(アン・ヨンボク)と独島守備隊、そして数年前に米議会図書館の目録でリアンクール岩石に変わるところだった独島の名前を守ったカナダ同胞司書キム・ハナ氏、ニューヨークに独島を盗んで逃げる覆面強盗の広報物を設置したイ・ジェソク氏、多くの地図と資料を集めたイ・ジョンハク独島博物館館長と崔書勉先生まで。
机の前に独島の写真を貼る。暇があれば眺めるために。独島、一度も行ったことがない私たちの領土!猛烈な青い波の向こうに強靭な根を下ろした岩の塊り、ここに私がこれほど熱い愛情を抱いていたということを確認すると当惑する。春にアオツヅラフジとキンポウゲの花が咲き、夏にはギシギシの薄緑色の花とナデシコの赤の花が姿を現し、秋は王海菊の紫色の花が絶えず咲くという土地!(キム・タクファン著『独島評伝』参照)
日本に向かう怒りと興奮の代わりに、私たちは少なくとも君がなぜ私たちの領土かを沈着に説明できる人になる。これ以上、君の運命を他人の手に任せることはできない。子どもたちを修学旅行に送ったり、貨幣に印刷したり、独島守護委員会を設置したりして、私はもう君を忘れない。私たちは手の中に入った宝物の貴重さも知らずに冷遇した。その罪が天を突き刺す。ごめん、愛してる、独島よ!
このへんになると英雄化のほぼ完成形ですかね?
「独島は朝鮮の土地」…日本から確認受けた「安龍福」記念館開館2013年10月08日
慶尚北道鬱陵郡(キョンサンブクド・ウルルングン)は8日、安龍福(アン・ヨンポク)記念館を開館する。鬱陵郡北面天府里(プクミョン・チョンブリ)約2万7000平方メートル(約8200坪)の場所にある記念館は、国費など150億ウォン(約13億5000万円)をかけて地下1階、地上2階で建てられた。韓日両国に残っている安龍福記録展示室と映像室・教育館などを備えた。外部には銅像と霊廟・独島(ドクト)展望台などが建てられた。記念館の位置からは、晴れた日には肉眼で独島が見える。
漁夫の安龍福は1693年、鬱陵島近郊で漁業をしていて見つけた日本漁民を問い詰めたところ日本に連行されていった。この時、江戸幕府などに独島と鬱陵島が自分たちの土地であることを主張した。幕府は鬱陵島・独島が朝鮮領土であることを確認する書契(外交文書)を書いた。イ・スンジン記念館長(56)は「歴史をわい曲したという誤解を生じないよう日本の資料を忠実に展示した」と話している。
つまり、安龍福は典型的な朝鮮人ということ
さて、今回は「安龍福」に絞り記録しましたが、ここまでは長い前置き^^;
冒頭、「安龍福」将軍の画像で紹介した、10年前は全く知識のなかった私が「竹島問題」に興味を持つきっかけになった、山陰のローカル番組(竹島特集)が、物凄くわかりやすいので、次の記事で紹介します
《鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~【TSKスーパーニューススペシャル 】を見て》2012年8月27日
・・在京テレビは、2年目からの竹島の日の式典を完全無視。韓国側のアクションがあった時のみちょっとだけ報道という姿勢に私は怒りを覚え、山陰のローカルニュースの報道を記録し続けています。
とは言っても、私が竹島問題をしっかり捉え始めたのは6年前。
あるローカルニュースの特別番組を見て凄い衝撃を覚えたのがきっかけでした。
特に、「凄いー!と思ったのは下條教授の最強っぷり。あと韓国人研究者たちの火病っぷり。
その番組、『TSKスーパーニューススペシャル 鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~』は、
島根県の竹島問題研究会のメンバーたちが鬱陵島に行き、海上、独島博物館、安龍福将軍記念公園などを視察し、韓国の独島研究者との意見交換をのやり取りの記録と検証の映像。韓国人と建設的な議論は絶対に無理だわ!と気付いた瞬間でした。
で、その映像をずーっと探していたんですが、見つからず諦めていたところ、
8/22日に、ごまちゃんさんからの初コメで「以前さくらにゃんさんがブログで仰っていた、5・6年前に山陰ローカルでやっていた特番ってこれですかね?」と教えて頂き、大感激!
うれしさの勢いで、コツコツ夜なべして文字起ししちゃいました。動画の方だけでも是非見て下さい!いや絶対ご覧ください(笑)
ちょっと長いので前編・後編に分けましたが、動画を見れない方は読んで下さいね。
韓国側の主張の根拠が崩れる様が痛快です。
①于山島=竹嶼かという仮定の説明と検証・竹島問題研究会の洋上視察
②独島博物館の捏造と韓国研究者の火病
③日韓意見交換会と中井養三郎の(竹島は韓国領との)誤認識と検証資料
④安龍福将軍を称える公園視察
⑤竹島問題研究会のまとめ
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鬱陸島で見た!~竹島・溝は埋まったか~【TSKスーパーニューススペシャル 】(後編)の文字起こしです (青字はナレーション)
③
テグ大学で行われた意見交換会だった。
研究会の主張に対し、出席した6人の研究者は激しく反論した。
キム・ファキョン教授「日本の独島研究家の特徴は、韓国の研究を否定することから始まります。先生のとんでもない話もこれから全て検証していきます。」(嶺南大学)
キム・チョムク会長「日本の研究者は、韓国側の持っている資料の少しの違いを追及しています。少しの違いで韓国の歴史全てを否定しようとしていると感じます。」(独島守護隊)
2時間に及んだ意見交換会。議論は平行線に終わった。
キム・ファキョン教授「1900年の大韓帝国の勅令で鬱陵島・竹嶼・石島という島が出てきますが、石島が独島であるにも関わらず、下條先生は(石島は)観音島と主張しています。歴史的資料を歪曲しているわけですね。
それから朝鮮王朝実録という本がありますが、その中でも主語を省略することによって変に解釈しています。私は資料を歪曲していると主張しました。」
キム・ファキョン教授「(何か共感できる点は?) いやー、理解できないです(笑) いや全然ない (まったくないですか?) うん」(ここまで日本語)
「何故理解できないかというと、日本の領土だという結論を出して、私達の意見に耳を傾けようとしない。日本に有利な資料だけをとって証拠として示しているのが間違いだ。」
キム・チョムク会長「これまで日本の主張が矛盾していると思っていましたが、それを確認する場になりました。
韓国側の少しの矛盾点というのは、昔の記録で、島の位置が間違っていることで、それを指摘されていますが、それは世界中何処にもあることです。昔は精密な記録は出来ませんでした。世界地図も形は少しずつ変わっています。昔の記録は当時の状況を考えて判断すべきのに今の基準をもって判断するのは誤りです。」
下條正男氏「もう十分なですね、話し合いというところまでは行きませんでしたけれども、まぁ韓国側と日本側の我々とのですね、認識の違いがあるという事がよく認識できました。それも一つ成果だったと思います。基本的にですねぇ、歴史に対する考え方も違いますし、文献そのものの存在ですね、ちょっと違うんですね。
韓国側には政府のレベルで編纂するという事もありますが、日本ではそういう事がありませんので、やはりそういった様々な細かな文献を読んでいかなけれどならないと。でも、韓国側から見るとそういった文献てのは無視できるものであったりですね、個人的な意見とか、そういうふうにして一蹴されてしまう部分もあるんです。
そういう事から見ていくと、やはりお互いの歴史認識以前にですねぇ、お互いの歴史がどう違っていたのか、まっそういった部分からですね、話し合っていく事が出来れば良いのではないかなと思っています。」
この意見交換会について、韓国側の研究者からは非公式なものとする前提条件がついた。
韓国内で竹島問題は、竹島を日本の領土とする研究者と公式に意見を交わすだけでも批判を受ける恐れがある微妙な問題だ。
こうした中での意見交換会。実は大変異例なことなのだ。
その中で、韓国側から自国領とする根拠として取り上げられた人物がいる。
キム・ユンベ氏「独島のことを一番よく知っている日本人は中井養三郎だと思います。中井の文献には独島は韓国領だと明確な記述があります。」(独島守護隊)
中井養三郎とは、竹島の島根県編入を国に願い出た人物。中井は1903年、隠岐の島を拠点に漁師を雇ってアシカ漁を始めた。
中井が編入を願い出たのはライバル会社との過当競争による乱獲の懸念や領有権が明確でないことによる他国とのトラブルを心配した為とされる。
そして、1905年、島根県は竹島を編入した。中井は1911年頃書いたと見られる事業経営概要の中で、竹島の編入を願い出た時を振り返りこう述べている。
"本当の鬱陵島を付属して韓国の所領なりと思わるるを・・・"
ここには中井は編入を願い出る前、竹島を韓国領だと思っていたと記されている。
このため、韓国側の研究者などは当時の日本人が当時の竹島を韓国領だと認識した上で韓国から奪い取ったと主張する。
更には、中井は朝鮮侵略を進める日本政府から唆された。とまで言い切る研究者もいる。
ところがこの主張に一石を投じる新たな資料が松江市で発見された。
奥原秀夫氏「中井養三郎という人の話を写したんだ。その時のことを書いたものなんだ、これは。どういう訳で竹島が明確な日本の領土であるという事を決めた時の話がこれに書いてある。」
奥原秀夫さん94歳。明治時代、島根県の教育者で文化人として活躍した奥原碧雲の三男だ。奥原さんが持ち出した古い原稿。中井養三郎氏立志伝。
竹島を編入した翌年の1906年。碧雲は島根県の竹島調査団に同行。この立志伝は一行の中にいた中井から聞き取りした内容が記録されている。
そこには中井が当初、竹島を韓国領だと思っていた理由がハッキリと書かれていた。
"海図によれば仝島は朝鮮の版図に属するを以って・・"
海図とは、船が使う海の地図。中井が竹島を韓国領だと思った根拠は海図だった。
④
海図の性格について、竹島問題研究会の委員で島根大学の舩杉助教授は次のように指摘する。
舩杉氏「海図は海上交通の安全のために作ったものです。特に岩礁とかですね、そういう物に船が当たってしまうと座礁してしまいますので、そうした物に当たらないように、安全航行の為に作ったものが海図という事になります。
従って、それを元にしてですね、領土はどこかとかそういう事は議論出来ないそういう資料です。
ただ、非常にその岩礁とか島の位置を正確に記した資料ですので、あの島の位置を確かめるにあたってはですね、非常に意義がある資料だと言えると思います。
国立国会図書館の塚本たかし参事によると、中井が見た海図は日本海軍が作った"朝鮮全岸"という資料。朝鮮半島周辺の海の様子が記されている。題名には"朝鮮"の文字。中井はこの中に書かれている竹島を韓国の領土だと思ったのだという。
つまり、中井は確乎たる根拠を以って韓国領だと認識していたわけではないのだ。
舩杉氏「確かにですねぇ、明治29年にあの、日本政府の水路寮が発行した朝鮮全岸という地図の中に今の鬱陵島、当時松島とも呼んでいましたし、それから今の竹島にあたるリアンコール列岩が出ております。
ただ、先程述べましたようにそれは朝鮮半島の近くをですね、航行する船の為にですね、作成した物ですし、で、実際その海図とセットに作られました朝鮮水路誌という本を見てもですね、日本海、特にあの函館に行く船なんかはですね、丁度、リァンコ島(竹島)の近くを通って航行したと。だから気をつけなさいと、そういう記載もあります。
従って、朝鮮水路誌という方に出ていたとしても、それは朝鮮の国の範囲の中にあるという事を示したわけではなくてですね、朝鮮半島の近くを航行する船に気をつけなさいと、まぁそういうふうに読み取る、そういう資料だということが言えると思います。
朝鮮全岸に出ているということで中井養三郎がまぁ、朝鮮領だと誤解したんですけども、でー、実際にその水路局の局長、それはキネツキと言いますが、キネツキ部長に会ってですね、この島は一体何処に所属するのかというふうに問い合わせをするわけです。
で、その結果、キネツキさんはその海図とですね、水路誌と両方見てですね、これはどこの領土にも属していないという事をハッキリ答えられたんです。それは水路誌・海図を作った当事者ですから、極めて妥当な判断で、資料上もそういうふうに出ているわけです。
まっ、ですので中井養三郎が誤解したという所と、それから日本政府がその当時竹島をどういう風に認識していたのかということがしっかり判るそういう資料でして、
ですので、従来(韓国の)研究者から言われているようにですね、日本政府が竹島を島根県が編入する前にですね、韓国領だというふうに認識していたということもそれに当たりませんし、
それからもうひとつ言えば、キネツキさんとかですねぇ、政府がですね、中井養三郎をそそのかしてですね、韓国領であることを知っていたにも関わらず無理やり編入願いを出させたと言っておられる先生もおられますが、そういう解釈は明らかに間違っているということが言える。その意味で今回の資料ってのは大きな発見であると言えると思います。
ただその一方でですね、じゃあその1905年以前にですね、明治期にあたって、我が国が今の竹島を日本領として認識していたっていう事はまた別問題ですので、こういう資料を発掘してですね、一体事実がどんなとこにあるのかと、先入観を持たずにですね、引き続き資料の発掘と分析を続けていく必要があるんじゃないかと思っております。」
竹島問題研究会の調査によって明らかになる新事実。日韓の研究者レベルで新たな論争に発展し、いずれ真実が明らかになる時が来るだろう。
今回の韓国訪問はその一歩となったに違いない。
一方で、今回の韓国訪問では現状では埋め難い日韓のギャップもまた目の当たりにした。
釜山トュクベツ?市1600年代後半、ここで活動していた朝鮮の英雄がいる。安龍福(アン・ヨンボク)。
朝鮮王朝の記録によると、安は「竹島を朝鮮領だと日本に認めさせた人物とされ、韓国では教科書にも登場する英雄だ。
一方、日本には安が訪日したとの記述はあるが、竹島を朝鮮領だと認めさせたなどという記録はなく、幕府や藩の要人に会った事も疑わしいとされている。
しかし、アン・ヨンボクは韓国では英雄だ。釜山には自治体が建設したアン・ヨンボクを祀る公園まであるほどだ。
キム・ビュンク会長「20億ウォン(約2億5千万円)?で市がこの地を買い入れそしてこれを建てましたよ。」(安龍福将軍記念事業会)(日本語)
(お祀りするサダンには領土を守った人という意味の言葉が・・)
キム・ビュンク会長「あちらは安龍福将軍の像です。[E:danger]安龍福は1人で日本に行って74年間日本に占領されていた鬱陵島を韓国に取り戻したことで讃えられている人です。」
島根県の研究会のメンバーはこの公園も視察し、キム会長からアン・ヨンボクについての思いも聞いた。メンバーが今回の鬱陵島・・(つづく・・・)
⑤
今回の調査で感じたのは、研究の成果への手ごたえだけではなかった。
それは日本ではあまり感じられない竹島(独島)に対する韓国の関心の高さだった。
竹島行きの高速船。
民間の会社が作った独島博物館。
近くにはケーブルカーが通り、見晴らしの良い日には竹島が見えるという展望台がある。
そして釜山には、アン・ヨンボクの記念公園(安龍福将軍祀堂)
下條氏「今回、あの竹島、、韓国の言う鬱陵島のですね、独島博物館とか、それから今日の場合の安龍福さんの顕彰碑ですか、公園がありますけれど、ああいった史跡とかですね、博物館等のですね活動が非常に活発ですね。
そして民間団体の方もですね、そういった安龍福含めて、韓国側の竹島問題(独島問題)に対するそういった集まりがたくさんあるわけなんですね。まぁ学術のレベルもあれば民間的ないわゆるの庶民クラスのものもある。そういった点から見ると日本はですねぇ、日本政府も対応しませんし、やはりまぁ個人的にもあまり動いていない。そういった格差が非常にあるということを認識致しました。
で、今回見た独島博物館の場合にはですね、個人の方が集められたわけですけど、やはり大きな財団(サムスン)がですね、それを支援して博物館を建てたりですね、あるいは政府レベルで多く支援をしていますので、取り組みの仕方がですねぇ、日本と韓国では極めて対称的だということがよく分かりました。
で、韓国側としてもですね、やはり日本を訪問してもですねぇ、そういった資料とか文献を直接見る機会ってのがありませんね。そういう意味ではですねぇ、是非とも早くそういった公文書なりをですねぇ、公開できる建物ではなくて場所ですね、コーナーでも結構なんですが、そういうものが出来るようになると非常にありがたいなと思います。
そうすれば、韓国側も理解が早くなるのではないかなと思います。」
竹島問題をめぐる日韓のギャップ。これは島根県という一自治体だけで埋まるものではない。
日本海における日韓の漁業ラインの設定もまた竹島問題が投げかける大きな課題のひとつだ。
澄田知事(当時)「大切なね、日本海ですから。これは韓国にとっても日本にとっても非常に大事な海ですから、これは首脳会談でね、基本線をきちんと取り決めて頂くという事はね、大切なことだと思います。」(島根県)
片山知事(当時)「あの、今までそのなんかタブーを持ち出したらね、もう日韓関係が壊れてしまうんじゃないかってそういう、あのちょっとした根拠のない恐れみたいなのがありましたけどね、やっぱり問題は現としてあるわけですから、表に出さないままで、鬱々としていたもなんにも埒が明かないですよね。これを表に出して、その上で話し合いながら良好な関係、友好関係を築いていこうっていう新しいステップに入ったと思うんですね。それならば首脳会談でこういう非常にクリティカルなナイーブな問題ですけれどもね、ですけども、現実に日本の我々の地域、漁業者も非常に難儀難渋をしているわけですから、そういう問題は国策として出していくって事は重要な事だと思いますね。」(鳥取県)
今年10月開かれた日韓首脳会談。安倍総理就任後初めてとなるこの会談で竹島問題は議題に取り上げられることはなかった。
日本と韓国の間に突き刺さるトゲ、竹島問題。政府が沈黙していれば解決は遠のくだけだ。
鬱陵島の調査を初めとする研究会の成果。それが政府レベルで生かされていくのはいつの日のことだろうか。以上
竹島問題研究会をはじめ島根県の取り組みで、教科書もほんのちょっとずつだけど記述が増え、下條教授の言われていた公文書を公開する場所も島根県庁内に設置され、
韓国メディアも頻繁に訪れています。
あと、この映像の最後に下條教授が訴えておられますが、
独島博物館と竹島資料室の差が激しすぎることを是非知って下さい。
《韓国ウルルン島・独島博物館の㊙正体、下條教授が解説 【Nスタ・ニュースJAPAN・スーパーニュース】》より
・・・博物館が設立されたのは1997年。
建物の面積は[E:danger]1500㎡を超え、竹島の領有権に関する韓国の主張が所狭しと展示されている。
精巧に作られた竹島の模型に、韓国の主張と合致する何枚もの古い地図。
この博物館には去年13万人以上が訪れている。
(一方、竹島資料室は・・・)
地図や論文などが二部屋に展示されている広さはおよそ100㎡
一日の来場者は、平均5人から6人で、年間ではおよそ1000人になるという。
13万人と1000人の違い・・・情けないですね。
私はこのギャップは、日本の教育とマスコミの啓蒙不足にあったと考えます。
そして2012年夏・・・竹島問題を契機に日韓の重大な転換期に入りつつあります。
最後に、この動画を6年の時を超えてupされた方に感謝します。
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