大師堂経慰

2017年07月17日16:37「朝鮮の真実」知る日韓古老2人、西川清さん・在米韓国系米国人の証言と、京城帝国大学出身の朝鮮人医学生の証言

「慰安婦問題の虚構性」を糾弾する日韓古老の2人の証言の記事が産経新聞に載りました。

1人は元朝鮮総督府官吏の西川清さん。もう1人はケネディ駐日大使(当時)宛に手紙を書いた在米の韓国系米国人

その記事を読んで、京城帝国大学(ソウル大学の前身)出身の朝鮮人医学生の証言を思い出しました。

彼らも在米韓国人になっていますが、実にフェアに日本の統治時代の証言をしていたからです。

日韓のマスコミは、元慰安婦の証言だけ取り上げるけど、どうしてこのような貴重な証言を無視するのか もっと大々的に報じるべきではないのかとずっと思っていました勝ち誇り

今日はそれを含めて真実の証言を紹介します。まずは今日の産経新聞の記事から右

安倍晋三氏とケネディ氏に送られた「慰安婦問題のデタラメ」を糾弾する手紙とは? 「朝鮮の真実」知る日韓古老が送る 2017.7.17

 2年前、日韓の間で最終的かつ不可逆的に解決したはずの慰安婦問題が再び、蒸し返されようとしている。新たに就任した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は日韓合意の見直しをほのめかし、アメリカでは、韓国・中国系住民の運動によって慰安婦像の設置の動きが止まらない…。こうなることを見越したように「慰安婦問題の虚構性」を糾弾する手紙を日米の政治家宛に書いた2人の日韓の古老がいた。いずれも日本統治下の朝鮮にいて「真実」を知る生き証人である。

慰安婦問題をめぐる「事実ではないこと」を見逃せない

 在米の韓国系米国人古老は、日本統治時代の朝鮮で生まれ、そこで教育を受けた。年齢は90歳に近い。戦後、韓国の名門大へ進み、朝鮮戦争に従軍。その後、渡米して帰化し、在米の大手企業に勤めた。残念ながら彼の個人情報はこれ以上明かせない。家族や親類にまで累が及ぶ懸念もあるからだ。

 2年前、米国のキャロライン・ケネディ駐日大使(当時)宛に手紙を書いたのは、アメリカで慰安婦問題をめぐって「事実ではないこと」がまかり通っている事態を、どうしても見逃せなかったからだ。

 「強制連行され、日本軍の性奴隷になった20万人もの婦女子」「かつてないほど残酷な20世紀最大の人身売買」…。2007年には日系のマイク・ホンダ米下院議員(当時)が主導して、日本の謝罪まで求めた決議が下院で可決された。在米の韓国・中国系住民の働きかけによって、各地で進む慰安婦像の設置計画。事実ではない“日本軍の蛮行”は、教科書にも掲載され、「日本人の名誉」はおとしめられるばかりだ

 ケネディ大使への手紙は、「(この問題が)東アジアにおける米・日・韓の同盟関係を弱体化させている」と始まり、事実の分析を踏まえた虚構性の根拠を個条書きにしている。

 ・狭い朝鮮半島から日本軍が20万人もの婦女子を大衆の抵抗もなく強制連行できるはずがない

 ・済州島での“慰安婦狩り”などを記した吉田清治氏の本が1989年に韓国で翻訳されるまでこうした「話」は聞いたことがなかった

 ・もし、実際にこうしたことが行われていたなら朝鮮にいた欧米の外交官、宣教師、メディア関係者らが何らかの報告をしていたはずだ-。

アメリカでの事態を放置すれば、子々孫々にまで禍根を残す

 彼は当時、父親と済州島へ行ったことがあり、この問題が政治化するきっかけになった吉田清治氏が本に記した“慰安婦狩り”のような話は「一切聞かなかったし、日本の軍人が多数いるような物々しい状況にもなかった。だから(吉田氏の)本を読んだとき、おかしいと思った」とも答えている。

 彼には民族を裏切る気持ちも政治的な意図もない。さらにいえば朝鮮人を含め、慰安婦の存在自体を否定しているわけでもない。

 「当時は“おしん”の時代ですよ。家が貧しいがために、身を売られた若い女性は日本人にも朝鮮人にもいました。私も当時、朝鮮語の新聞で慰安婦募集の広告を目にした記憶があります。『親権者同伴、戸籍抄本持参で業者がいる旅館まで来るように』と書かれていたのが印象的でした」

 こうした自身の体験や客観的な事実を踏まえた上で彼はこういう。

 「前述のような話(日本軍が強制連行して性奴隷にした)は客観的に分析すれば、あり得ないと分かるでしょう。それなのに日本政府は事なかれ主義で謝ったり、お金を出したりした。アメリカでの事態を放置すれば、在米日本人、日系人、日系企業、旅行者…子々孫々にまで禍根を残すことになると思いますね」

 彼の思いとは裏腹にアメリカでの事態は悪化する一方。歯がゆさが募るばかりだ。「僕はいうなれば『部外者』です。動いたのは義侠(ぎきょう)心のようなものかな。本来なら日本人自身がやるべき仕事でしょう。特に当時の朝鮮にいて実際に見聞きした日本人たちがもっと声を上げて、今こそ『真実』を証言すべきですよ

「軍や官吏の強制」は絶対にない

 和歌山県田辺市に住む西川清さんは、大正4(1915)年生まれ、今月末で102歳になる。(続きを読む・・)

ここから、元朝鮮総督府官吏・西川清さん、元朝鮮総督府江原道地方課長・故・大師堂経慰さん、元朝鮮総督府の元警察官僚・故・坪井幸生さん、 故・小野田寛郎さんの証言右

「朝鮮総督府・100歳生き証人、西川清さん&久保田(貫一郎)発言から見る「日韓併合時代」 2015年11月17日

昨日の産経新聞に「朝鮮総督府、100歳生き証人」の記事が出ました。

・・人さし指まずは、昨日の産経新聞の記事から右(画像を添付、文字加工)

「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府〝100歳生き証人〟が語る「強制」の虚構、事実ねじ曲げに憤怒2015.11.16

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慰安婦問題をめぐり韓国が「歴史戦」を仕掛けてくる中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)=和歌山県田辺市=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。11月上旬に行われた日韓首脳会談では、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題の交渉加速化で一致した。しかし、朴大統領は問題が日韓関係改善の「最も大きな障害物」と指摘しており、日韓の隔たりは大きい。昨年、朝日新聞が慰安婦に関する記事の一部誤報を認めたが、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦像が設置され、今も誤解が根強く残る。

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韓国側の反日攻勢に対し、当時を知る官吏の貴重な証言は、〝慰安婦狩り〟のような事実がなかったことを改めて示している。

平穏な日本統治時代
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 セピア色の古ぼけた写真。満開の桜の下で肩を組む男性4人が写っている。「80年もたってこんな状況になるとは、当時露ほども思わなかった」。西川さんは見習い官吏だった若き日の写真を手に、ため息をついた。 

 写真は昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。職場の同僚と行った花見の際の記念写真で日本人と朝鮮人が2人ずつ納まり、うち1人が西川さんだ。8~20年に総督府に勤めていた。

 「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」

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 正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる府と郡、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。

 「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません

歴史をゆがめた「河野談話」

 韓国側は「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」などと主張している。この誤った慰安婦強制連行説は、証拠資料や信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。

 西川さんは併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定。「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」と証言する。

 西川さんは昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。

 西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、さらに郡、邑、面に降りていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」と証言している。

「事実と異なる歴史像」元官吏ら2人も反論

 「女子の強制連行があったような兆候を感じたことは一度もありませんでした」。元朝鮮総督府江原道地方課長で、「慰安婦強制連行はなかった」の著書がある大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんは生前、こう述べていた。

 大正6年に朝鮮で生まれ、「戦前・戦時中を朝鮮で過ごした者の体験」として「慰安婦強制連行」を一貫して否定していたのだ。

 「もしも万を数える女性の強制連行があったとすれば、その何倍の目撃者がいるはずだ」。平成15年の月刊誌「正論」3月号の紙面対談で大師堂さんはそう指摘している。強制連行が事実なら、住民の間に深刻な動揺と反発が起きていただろうが、実際は「発生したはずの(抗議運動といった)事象は何ひとつ起きていないのです」と断言していた。

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 《平和でのどかな農村にある日、突然日本軍が乗り込んできて無垢(むく)な娘たちを無理やり軍用トラックに押し込んで連れ去り、慰安婦にした》

 韓国側が主張する慰安婦の強制連行は非人道性がことさら強調され、海外でもこうしたイメージが広がっている。

 しかし朝鮮総督府の元警察官僚で、戦後に埼玉県警本部長や大分県副知事を務めた坪井幸生さんも生前、大師堂さんとの対談で韓国側の主張を真っ向から否定していた。「強制連行があれば、必ずトラブルが起き、田舎では日本人はとても普通の生活はできなかったと思う」

 しかも、朝鮮に13あった道の警察部では、トラブルの情報は上がってこなかった。「朝鮮人の警察官も半分以上いたのが実情ですから。しかし、そんなトラブルは全く聞いていない」と語っていた。

 大師堂さんは著書で、「私の体験した朝鮮とは全く異なった歴史像が作り上げられている」と、国内の偏向報道や韓国側の主張を疑問視。「総督府施政を抑圧と反抗の連続であったような伝え方がされるが、これは事実ではない」とも書き記していた。

安倍首相への〝直訴〟

 平成5年の河野談話は、慰安婦問題に「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」した。日本の軍や警察による強制連行の論拠とされたが、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はない。

 元朝鮮総督府官吏、西川清さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。

 「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もしも日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」

 国際的に誤った〝史実〟が広がっていることに憂慮を深める西川さんは2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍首相に郵送したこともある。

 「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論です」

 今夏に100歳となった西川さんは、事実がねじ曲げられた現状にいまなお憤りを感じている。以上

人さし指で、いま、韓国側が「無効ニダ!」と叫んでいる、"日韓条約"ですが(中略)

・・真実を言うのは許さないと、当時から韓国の言いなりだったんですね、朝日新聞(;一一)

西川清さん 関連記事

《【#松本栄好】韓国KBS「元日本兵『何人もの中国人女性狩りをし、部隊に連れ込んでは犯していた』と証言」 【ワールドWave】》2013年5月25日

・・日本軍の名誉を汚す卑劣な行為は、許せません。

こちらの方こそが本物の生き証人です!☆(動画 略)

拝啓 安倍内閣総理大臣殿     和歌山県田辺市  西川 清 (97歳)
 日夜国事に精励されている総理大臣に対し、名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無­礼をお許し下さい。
 私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。
結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、日本の軍や官­が強制連行など関係したことは絶対ありません。
 かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道(コウゲンドウ)の
寧越群(ネイエツグン)及び原州群(ゲンシュウグン)の内務課長を歴任した経験がある­からです。
以下、当時の状況等について申し述べます。

私は昭和八年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました。
朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、群庁より府・邑(ユウ)・面(日本の市町村)を通じて施行されました。(当時、  江原道内には府はなく、邑と面のみ)。 
群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。 
内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。 
朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道にたいし人数の割り当てがあり、道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面にたいして割り当てをして、集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。 
女子にたいしてはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが、このようなことは一切ありませんでした。
 
売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かそのたぐいの者の仕業であって、軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。
日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。
今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。 
然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに、いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません 
国威を失墜し児孫に負の遺産となる「河野談話」の見直しは、安倍総理を除いては望むべくもありません。
ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。 
最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。敬具

              略歴
大正4年  和歌山県田辺市生まれ。 
昭和8年  和歌山県立熊野林業学校(現・和歌山県立熊野高校)卒業と同時
      に朝鮮江原道内部産業課勤務。 
昭和12年 朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任
      官。 
昭和13年 臨時召集により歩兵第76連隊入隊。14年招集解除。
昭和18年 寧越郡内務課長。
昭和19年 原州郡内務課長。 
昭和20年 道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。
      引揚。
昭和21年 厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。 
      和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを
      歴任。 
昭和42年 依願免職。
                    以上

まぁ、日本兵もいろいろ・ピンキリという話です。もう一人素晴らしい元日本兵

《今こそ知るべし!  小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」》 より抜粋 「正論」一月号より  (2005年 平成17年) 

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・・首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない
他国からの言いがかり
で、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。

戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

   野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。・・

日本人の証言、私達はもっと知るべきです(必見)

《【大阪朝日新聞・朝鮮版】「日韓併合、隠されていた真実の報道」(悪徳朝鮮人業者逮捕・治安改善・朝鮮文化保全・インフラ整備・教育、日本軍入隊志願者殺到・朝鮮人鉱夫の物凄い稼高・  密航者の記事など)》2015年07月08日

《衝撃の医学生戦争証言(京城帝国大学編)"二日市保養所" 後編 【NHK・戦争証言】》

尤も、日本のマスコミは日本国民が真実を知る事を阻止したいようで、上記のように中帰連の証言「日本兵は残酷だった」という話しかやらないですけどね。

人さし指日本のマスコミはいつまで韓国のウソに付き合うんでしょうか・・・

《崔基鎬氏「なぜ朝鮮人は嘘をつくのか。『もしも』で作る歴史」 【チャンネル桜】》

ここから、京城帝国大学出身の証言です(抜粋)右

《【引揚者の記録】衝撃の医学生戦争証言(京城帝国大学編) 前編 【NHK・戦争証言】》

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大村裕氏「それはもう日本人も朝鮮人も全然区別はないよ。あのー、教授から見ればね、先生から見れば。成績の悪いやつは朝鮮人であろうが日本人であろうが落ちとった(落第)からね。だいたい、日本人の方が落ち取ったよ、たくさん。(笑)優秀だから、エリートが入って入ってきとるから(笑)」

キム・セギョン氏「当時、専門学校生は戦闘帽をかぶり、ゲートルを巻いていた。しかし、私達の大学では(そのような格好を)しなかった。戦闘服を着ず、戦闘帽もかぶらず、ゲートルも巻かずに通学していたので、少し自由がありました。」(韓国語)

医学部を卒業し、戦後アメリカに移住したイ・クワンホウさんです。イさんは卒業後に日本軍の軍医になる事を条件に大学の授業料が免除されていました。

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イ・クワンホウ氏日本政府が授業料などを払ってくれたので、私は家のお金を全く使わずに医学部を卒業しました。日本人学生に対して特に良いとも悪いとも感じませんでした。

日本人学生は主にソウル出身でしたが、日本本土から来た学生もいました。彼らに問題を感じる事は無く級友として接しました。

朝鮮人の学生同士のように親しくは付き合いませんでしたが、私の場合、他の人よりも多分、日本人に対して友好的でした。周囲がそれをどう感じたかはわかりません。」(英語)・・

この方達が亡くなってしまったら、虚構の慰安婦像だけが残ってしまいます。 

日本の将来を背負う子供たちの為にも、今を生きる私達がこの真実の証言をムダにするような事が絶対にあってはならないと思います。

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2015年11月17日15:57「朝鮮総督府・100歳生き証人、西川清さん&久保田(貫一郎)発言から見る「日韓併合時代」

 昨日の産経新聞に「朝鮮総督府、100歳生き証人」の記事が出ました。

西川清さんは、3年前に安倍総理に手紙を書かれて話題になっていましたが、

日韓のマスコミは、どうして元慰安婦の証言は取り上げるのに、このような日本の貴重な証言を無視するのか? もっと大々的に報じるべきではないのか?とずっと思っていました勝ち誇り

 日韓条約の交渉の際、韓国側は事実を述べただけの「久保田発言」を「妄言」と断じ、その後4年半も中断したわけですが、それを糾弾したのも朝日新聞でした・・

つまり、韓国側が書いたシナリオ通りに歴史修正しようとしていて立ち往生していたわけです。

 現在、「従軍慰安婦のウソ」に振り回されて膠着状態の「慰安婦問題」とかぶりますね。

今日はその辺をまとめてみました。 

人さし指まずは、昨日の産経新聞の記事から右(画像を添付、文字加工)

「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府〝100歳生き証人〟が語る「強制」の虚構、事実ねじ曲げに憤怒2015.11.16

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慰安婦問題をめぐり韓国が「歴史戦」を仕掛けてくる中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)=和歌山県田辺市=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。11月上旬に行われた日韓首脳会談では、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題の交渉加速化で一致した。しかし、朴大統領は問題が日韓関係改善の「最も大きな障害物」と指摘しており、日韓の隔たりは大きい。昨年、朝日新聞が慰安婦に関する記事の一部誤報を認めたが、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦像が設置され、今も誤解が根強く残る。

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韓国側の反日攻勢に対し、当時を知る官吏の貴重な証言は、〝慰安婦狩り〟のような事実がなかったことを改めて示している。

平穏な日本統治時代
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 セピア色の古ぼけた写真。満開の桜の下で肩を組む男性4人が写っている。「80年もたってこんな状況になるとは、当時露ほども思わなかった」。西川さんは見習い官吏だった若き日の写真を手に、ため息をついた。 

 写真は昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。職場の同僚と行った花見の際の記念写真で日本人と朝鮮人が2人ずつ納まり、うち1人が西川さんだ。8~20年に総督府に勤めていた。

 「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」

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 正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる府と郡、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。

 「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」

歴史をゆがめた「河野談話」

 韓国側は「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」などと主張している。この誤った慰安婦強制連行説は、証拠資料や信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。

 西川さんは併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定。「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」と証言する。

 西川さんは昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。

 西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、さらに郡、邑、面に降りていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」と証言している。

「事実と異なる歴史像」元官吏ら2人も反論

 「女子の強制連行があったような兆候を感じたことは一度もありませんでした」。元朝鮮総督府江原道地方課長で、「慰安婦強制連行はなかった」の著書がある大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんは生前、こう述べていた。

 大正6年に朝鮮で生まれ、「戦前・戦時中を朝鮮で過ごした者の体験」として「慰安婦強制連行」を一貫して否定していたのだ。

 「もしも万を数える女性の強制連行があったとすれば、その何倍の目撃者がいるはずだ」。平成15年の月刊誌「正論」3月号の紙面対談で大師堂さんはそう指摘している。強制連行が事実なら、住民の間に深刻な動揺と反発が起きていただろうが、実際は「発生したはずの(抗議運動といった)事象は何ひとつ起きていないのです」と断言していた。

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 《平和でのどかな農村にある日、突然日本軍が乗り込んできて無垢(むく)な娘たちを無理やり軍用トラックに押し込んで連れ去り、慰安婦にした》

 韓国側が主張する慰安婦の強制連行は非人道性がことさら強調され、海外でもこうしたイメージが広がっている。

 しかし朝鮮総督府の元警察官僚で、戦後に埼玉県警本部長や大分県副知事を務めた坪井幸生さんも生前、大師堂さんとの対談で韓国側の主張を真っ向から否定していた。「強制連行があれば、必ずトラブルが起き、田舎では日本人はとても普通の生活はできなかったと思う」

 しかも、朝鮮に13あった道の警察部では、トラブルの情報は上がってこなかった。「朝鮮人の警察官も半分以上いたのが実情ですから。しかし、そんなトラブルは全く聞いていない」と語っていた。

 大師堂さんは著書で、「私の体験した朝鮮とは全く異なった歴史像が作り上げられている」と、国内の偏向報道や韓国側の主張を疑問視。「総督府施政を抑圧と反抗の連続であったような伝え方がされるが、これは事実ではない」とも書き記していた。

安倍首相への〝直訴〟

 平成5年の河野談話は、慰安婦問題に「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」した。日本の軍や警察による強制連行の論拠とされたが、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はない。

 元朝鮮総督府官吏、西川清さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。

 「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もしも日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」

 国際的に誤った〝史実〟が広がっていることに憂慮を深める西川さんは2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍首相に郵送したこともある。

 「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論です」

 今夏に100歳となった西川さんは、事実がねじ曲げられた現状にいまなお憤りを感じている。 以上

人さし指で、いま、韓国側が「無効ニダ!」と叫んでいる、"日韓条約"ですが、

14年に亘る日韓条約の交渉中も、事実を指摘した久保田発言が妄言だという、韓国側の事実の捻じ曲げた主張で決裂し、4年半中断右

「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その2 【NHK】 (再) より一部抜粋

・・韓国側の発言日本が36年間の蓄積を返せというならば、韓国側としても36年間の被害を清算せよ。と言うしかない。」

これに対する久保田主席代表の発言が日韓会談の行方を大きく揺さぶることになりました。

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久保田氏日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえば、韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言う事は記録を取らないでほしいが・・・

当時、日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかも知れない。」

この発言に対し、韓国側は激しく反発しました。

韓国側の発言「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ、我々はもっとよくやっていたかも知れない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人の為に出したもので、その金で警察や刑務所を造ったではないか。」

韓国側は声明を発表しました。久保田発言を全面的に撤回しない限り、会談は続行できない。この発言は会談の基礎を完全にぶち壊すものである

久保田主席代表も韓国側の態度を批難しました。議論の席上の片言節句を捉えて、一国代表の発言の取り消し要求をしたことは、外交交渉に前例がない。

当時、日本の世論では久保田発言に対する批判的な声は上がりませんでした。

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政府は、会談は韓国側の理不尽な態度により継続不能に陥ったと発表しました。

韓国国会では、久保田発言の取り消しを求める決議案を満場一致で採択発言は傲慢無礼、荒唐無稽であり発言に対する日本政府の支持は許しがたいという内容でした。

日本の国会でも、日韓会談の決裂について取り上げられました。

久保田氏「朝鮮総督府政治の悪いところがあったのは認めるとしましても、良い点もあったという事は、これは日本としましてはどうしても取り消せないことだと存じます。」(参議院水産委員会にて答弁)

岡崎外相「我々としましては何も間違ったことを言っているわけでもないし、謝る理由はひとつもないのでありますから、それを謝るという事は出来ないので、等々、会議は不調に終わりました。」

当時、与野党共に会談決裂の原因は韓国側にあるとしていました。

黒田氏「まぁ常識的なご発言だったと思いますけれども(笑)ですねぇ、まぁ韓国民が、日本による朝鮮の植民地化というものに対して、異様な恨みとですねぇ、怨念を持っているということですねぇ。その点についてまだ認識が足りなかったんでしようねぇ、当時はですねぇ。」

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 キム氏「もちろん、日本の統治時代に鉄道も敷かれ、色々な制度も整備され、学校も建てられたのは事実です。しかし、韓国国民からすると久保田発言はまるで韓国に能力がないので日本が助けてあげた。他の国の場合より日本は韓国に良い事をたくさんしてあげたという事ですよねぇ。しかし、私はそもそも日本が何故我々を侵略し、韓国を植民地化したのかというところに問題の本質があるのだと思うのです。(元中駐日大使)

会談が進むにつれ、浮き彫りになったのは、日本の植民地支配に対する両国の歴史認識の隔たりでした。

日本には久保田発言の撤回を、韓国には李ラインの廃止を要請しました。・・

日韓併合に関して、韓国側は日本が「強制的占領で朝鮮人を奴隷化」し、「虐殺・弾圧・搾取」したと主張。 一方、久保田氏は、正論しか言っていません右

久保田発言 ・・1953年10月15日の会談で、韓国側が、日本の在韓財産はアメリカが接収したのであり本来なら韓国は36年間の日本の支配下での愛国者の虐殺、韓国人の基本的人権の剥奪、食料の強制供出、労働力の搾取などへの賠償を請求する権利を持っている述べたところ、久保田貫一郎日本は植林し、鉄道を敷設し、水田を増やし、韓国人に多くの利益を与えたし、日本が進出しなければロシアか中国に占領されていただろうと反論し、また米国による日本人資産の接収は国際法に違反していないと考えるし、違反してたとしても米国への請求権は放棄したと回答した[7][11]。この久保田の発言に対して、「植民地支配は韓国に害だけを与えたと考えている」韓国側からは、妄言として批判され、日韓会談は中断した[14]
久保田参与による説明(1953年10月27日参議院)[14]や、韓国側の記録[6]によると会談は以下のような内容であった。(中略)
1953年10月20日の会談で金代表は、10月15日の会談で日本側は、次のように発言したと確認を求め、日本による朝鮮統治は強制的占領であったし、日本は貪慾と暴力で侵略し自然資源を破壊し、朝鮮人は奴隷状態になったと述べた[14]

    • 韓国が講和条約の発効の前に独立したことは国際法違反である、と日本はいった。
    • 日本人が終戦後朝鮮から裸で帰されたことが国際法違反である、と日本はいった。
    • 請求権について米国と韓国が国際法違反をしている、と日本はいった。
  • カイロ宣言の奴隷状態というものは興奮状態で書いたものである、と日本はいった。

久保田参与は、韓国独立は日本から見れば異例であつたが国際法違反かという問題ではない、日本人送還も国際法違反であるともないとも言わなかつた、米国側の軍政府も国際法違反を犯したことにはならない、カイロ宣言の効力は戦争中の興奮状態で書かれたものである。朝鮮統治は、悪い部面もあっただろうが、いい部面もあつたと答えた[14]。金代表は「日本代表の発言は破壊的である」と同じことを繰返すのみであった[14]

1953年10月21日の会談で韓国側は久保田発言を撤回し、悪かったと認めなければ会談の続行は不可能と述べた[14][6]。久保田参与は、韓国は日本が非建設的であるというが、韓国は1952年の日韓会談直前に李承晩ライン宣言を強行したり、日本の漁船を拿捕し、雰囲気を悪化させたし、これは国際法違反であり、国際司法裁判所に提訴するのが原則であると述べ[6]、国際会議で見解を発表するのは当然のことであるし、まるで暴言したかのように外国に宣伝することは妥当ではないし、撤回はしない、また発言が誤りであったとは考えないと答えた[14][6]。韓国側は会談に今後出席できないが、これは完全に日本に責任があると述べ、会談は終了し[14][6]韓国は「久保田妄言」への報復として李承晩ラインを設定し、竹島を占領した[7]。 

10月27日参議院で久保田参与は、韓国側は日本に対して「戦勝国」であると錯覚しており、また、「被圧迫民族の独立という新らしい国際法ができたから、それにすべてが従属される」ため、韓国は国際社会での寵児であるという認識があるが、いずれも「根拠がございません」答弁している[14]。また、久保田貫一郎外務省参与は1953年10月26日付の極秘公文書「日韓会談決裂善後対策」 で韓国について「思い上がった雲の上から降りて来ない限り解決はあり得ないと記述し、韓国人の気質について「強き者には屈し、弱き者には横暴」であると分析した上で、李承晩政権の打倒を開始するべきであるとの提言を残しており、この公文書の存在を2013年6月15日に報道した朝日新聞は久保田発言について日韓交渉を決裂させた原因とした[15]

久保田発言は1957年12月31日藤山愛一郎外相と金裕沢大使との会談で撤回された[16]

真実を言うのは許さないと、当時から韓国の言いなりだったんですね、朝日新聞(;一一)

西川清さん 関連記事

【#松本栄好】

《韓国KBS「元日本兵『何人もの中国人女性狩りをし、部隊に連れ込んでは犯していた』と証言」 【ワールドWave】》2013年5月25日

NHK-BS【ワールドWave】韓国KBSで、元日本兵が『何人もの中国人女性をまるで狩りのように捕え、部隊に連れ込んでは性的暴行を加えていた』と証言したというニュースをやっていたので記録しました(青字はナレーション)真実なら物凄い犯罪なので、恩給全部返納すべきです。キリスト教牧師の話に、赤旗が食いつき・・中帰連の謝罪行脚みたいな構造ですかね。

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アナ元日本兵の男性が、日本軍による蛮行について生々しく証言し、日本政府に謝罪を求めました。

元日本兵は『何人もの中国人女性をまるで狩りのように捕え、部隊に連れ込んでは性的暴行を加えていた』と証言しました。」(中略)

あったとしても下々の犯罪行為で、間違いなく日本軍の懲罰にかけられる案件です。

日本軍の名誉を汚す卑劣な行為は、許せません。

こちらの方こそが本物の生き証人です!(動画 略)

拝啓 安倍内閣総理大臣殿     和歌山県田辺市  西川 清 (97歳)
 日夜国事に精励されている総理大臣に対し、名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無­礼をお許し下さい。
 私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。
結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、日本の軍や官­が強制連行など関係したことは絶対ありません。
 かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道(コウゲンドウ)の
寧越群(ネイエツグン)及び原州群(ゲンシュウグン)の内務課長を歴任した経験がある­からです。
以下、当時の状況等について申し述べます。

私は昭和八年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました。 
朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、群庁より府・邑(ユウ)・面(日本の市町村)を通じて施行されました。(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)。
群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。 
内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。
朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道にたいし人数の割り当てがあり、道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面にたいして割り当てをして、集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。  
女子にたいしてはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが、このようなことは一切ありませんでした。

売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かそのたぐいの者の仕業であって、軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。
日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。
今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。
然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに、いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。 
国威を失墜し児孫に負の遺産となる「河野談話」の見直しは、安倍総理を除いては望むべくもありません。
ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。
最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。 敬具
              略歴
大正4年  和歌山県田辺市生まれ。
昭和8年  和歌山県立熊野林業学校(現・和歌山県立熊野高校)卒業と同時 に朝鮮江原道内部産業課勤務。 
昭和12年 朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任官。  
昭和13年 臨時召集により歩兵第76連隊入隊。14年招集解除。        
昭和18年 寧越郡内務課長。
昭和19年 原州郡内務課長。
昭和20年 道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。    引揚。
昭和21年 厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。
      和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを 歴任。 
昭和42年 依願免職。  
                    以上

まぁ、日本兵もいろいろ・ピンキリという話です。もう一人素晴らしい元日本兵!

《今こそ知るべし! 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」》 より抜粋 「正論」一月号より
(2005年 平成17年) 

首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。

戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

   野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。・・

日本人の証言、私達はもっと知るべきです(必見)

《【大阪朝日新聞・朝鮮版】「日韓併合、隠されていた真実の報道」(悪徳朝鮮人業者逮捕・治安改善・朝鮮文化保全・インフラ整備・教育、日本軍入隊志願者殺到・朝鮮人鉱夫の物凄い稼高・ 密航者の記事など)》 

《衝撃の医学生戦争証言(京城帝国大学編)"二日市保養所"【NHK・戦争証言】》

尤も、日本のマスコミは日本国民が真実を知る事を阻止したいようで、上記のように中帰連の証言「日本兵は残酷だった」という話しかやらないですけどね。人さし指日本のマスコミはいつまで韓国のウソに付き合うんでしょうか・・

《崔基鎬氏「なぜ朝鮮人は嘘をつくのか。『もしも』で作る歴史」 【チャンネル桜】》 

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