個人補償

2014年10月30日06:00「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その5 【NHK】 (再)

その4から続きです(青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)

このシリーズの最後の記事になります。

ポイントは・日韓の"請求権"の攻防と、・韓国政府が個人補償せず、国家躍進の為に日本のカネを使った経緯と、

・(戦争)被害者補償訴訟の矛先が日本企業からポスコに行く過程と、

・日韓会議に直接携わったキーマンが「日韓条約締結は、最善を尽くした結果、正常化に繋がり、韓国は極貧国から世界第11位の経済国になったから良いじゃないか」と正直に言っているのに、それを許さぬ韓国民ってあたりです。

(重複部分 略)
柳谷氏「その当時の日本の立場から言えば相当奮発したですねぇ、思い切った額を韓国側に渡すと。で韓国側がそれを受け取る事によってですねぇ、それまでの請求権の請求はこれ以上行わない事にするという事で合意するならば、まぁ韓国側の、、
まぁお互いの立場をそれなりに理解しあった上で、結果的にはですねぇ、一定のお金が韓国の側に流れるという形で解決をするという、これしか解決する方法は無いんじゃないかと。」(当時の北東アジア課長代理)
5億ドルの合意に対し、韓国では激しい反対運動が起きました。
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「屈辱外交反対。日韓会談の中止を求めて立ち上がった学生の動きは次第に激しさを増していきました。」
5億ドルの償いは日本による植民地支配への償いをうやむやにするものであり、また新たな経済侵略を招くものだという主張でした。
「遂にはその矛先が朴大統領にも・・・」
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パク・チョンヒ政権は非常戒厳令を発令。集会やデモを一切禁止し、力で抑え込もうとしました。
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イ・ジェオ氏「過去の日本の韓国侵略が怖い顔による侵略だとするなら、当時の日韓条約は笑顔によるもうひとつの侵略なのではないか。それに韓国政府が協力してはいけないというのが学生達に広がった共通した感情だったのです。」(当時デモを率いた国会議員)
キム・大平会談の後、パク・チョンヒ政権が日本から得た資金をどのように使おうとしたのか、韓国で公開された資料によってその一部が明らかになってきました。
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韓国政府が纏めた報告書です。
資金の使い道について、経済発展の為に効率的に使うという方針が打ち出されていました。
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特に重点項目として、農業基盤整備・社会資本の拡充・工場建設や輸出の促進などが挙げられていました。
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韓国は日本からの資金によって財源不足を補おうと考えていました
この当時国民一人当たりの年間所得はわずか82ドル。
5億ドルは当時の国家予算にも匹敵する額でした。
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これは韓国経済企画院が外務部に宛てた公電です。公開した資料に含まれていました。韓国政府が個人補償について対応を協議していた事がうかがえます。
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-現在行われている韓日会談が妥結した場合、民間人が保有する対日財産請求権は消滅してしまうのか。現在の交渉では個人への補償は行わないつもりなのか-
外務部からの返答です。
-韓日会談において日本に提示した請求権は、政府当局の請求権と、韓国国民が保有する個人請求権も含まれています。よって韓国政府は個人の請求保有者に対して補償義務を負うことになると思われます。個人の請求権の補償問題は金額の用途・国家予算とも密接な関係があるだけに対策をすぐに検討された方が良いかと思われます-
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キム氏パク大統領は日本から相当なカネを受け取って、それを被害者個人の請求権を充てるよりは国家復興に充てようと考えていました個人の被害の解決に充ててしまうと経済再建の方針と合致しないと考えていたのです。」(元駐日大使)
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キム・ジョンピル「これどうしようも無かったんですよ、ただ、朴大統領ははっきり言われましたよ『少し国が余裕が出来たらこういう人達の面倒をみよう。いちいち日本に(が)手を差し伸べなくても良い様な時に面倒をみるようにしよう』こういう考えだったんですね。」
日本から韓国に支払う5億ドル。残された課題はその"名目"でした。1965年5月、調印の一ヶ月前になっても支払いの名目について両国の鬩ぎ合いが続いていました。
日本「日本側としてはある種の政治的協力という意味で提供するのであって、一方的な義務で提供すると思われては困る」
韓国「全く義務がないというのは話にならない。問題の始まりは"請求権"であり、韓国が困っているから助けてくれと言ったわけではない。韓国の国民感情はあくまで"請求権"だ。万が一、この表現が変わってしまうと重大な問題になるだろう」
日本「日本側としては主として"経済協力"という捉え方だ。」
議論は平行線を辿り、日本側の提案により5分間の休憩が取られました。休憩の後、日本側がこの問題の先送りを提案しました。
日本「この問題はあまり触れないでおく事にして、とにかく我々としては早く協定文を作り出すのが重要ではないだろうか。」
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松永氏"請求権"という事はですねぇ、やっぱりその損害に対する賠償請求というのが基本なんですね。だからそういう請求権は認めないというのが日本の基本的立場でしたからねぇ、
それに替えてという事になるわけですが、あのー、"請求権請求権"と言って"請求権"が一人歩きするという事はですね、避けるべきであるというのは非常に日本側は強い考え方だったと思いますねぇ。」(当時の外務省条約課長)
キム氏「我々は"請求権"という文言を入れたい。しかし日本はそれを受け入れられないという立場でした。結局この問題はただ無償いくら・有償いくらという表現に留まりました。それがどのような性格のカネなのかは両国がおのおの判断するという風な決着をつけるしかありませんでした。」
結局、名称は"請求権及び経済協力" 両国の意向を並列した形で決着する事になりました。
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日韓条約締結の直後から、韓国は日本からの総額5億ドルに及ぶ資金と技術協力を得て、年10%の成長を達成
韓国経済は飛躍的に発展しました。それはソウルを横切る大河・ハンガンになぞられて、"ハンガンの奇跡"と呼ばれています。
反面、韓国が日本から得た資金で行うとされていた個人補償は十分には為されませんでした。
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条約締結から6年、韓国政府は個人補償の受付を始めました。しかし、告知が徹底せず、手続きも煩雑で申告しない人も大勢いました。その総額は92億ウォン。日本から得た無償資金3億ドルの5.4%に過ぎませんでした。
最近になって、長い間日本の企業を訴え続けてきた被害者の人達の新しい動きが起きています。ヨ・ウンテクさんは日本の企業に未払い賃金の返還を求め、一昨年最高裁判所で棄却されています。
ヨさんは最近、戦後補償問題推進協議会という団体を頻繁に訪れています。ここは2000年に設立された新しい団体です。植民地支配の被害者の裁判の支援や実態調査などを行っています。
2005年1月の文書公開で個人補償の請求権は韓国にある事が分かりました。ヨさん達はそれを受けて新たに計画している事があります。韓国の企業に対する抗議です。
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キム氏韓国の企業は対日民間請求権資金で成長しました。対日民間請求権資金は、被害者が日本の政府や企業を相手に請求できる権利が事実上それに替わるものでしたから、韓国企業も責任の一端を担うべきだと考えています。」(事務局長)
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5月16日、ヨさん達は韓国鉄鋼メーカー最大手のポスコに抗議にやってきました。個人補償の責任は日韓条約で得た資金で成長した企業にもあるのではないかという主張です。
ポスコはかつてポハン製鉄と言いました。日韓条約締結後、日本からの資金の23%が使われ、その後の韓国経済の牽引役となった企業です。
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ヨ氏「私は62年前、日本に強制連行させられ、死ぬ思いで稼ぎましたがなんの補償もありません。そのカネでポハン製鉄は出来上がったのです。第一に日本に裏切られ!二番目に大韓民国に裏切られました! ポハン製鉄はそのカネを全部持って行ってしまいました!三番目にはポハン製鉄に裏切られたのです!」
今、ポスコは世界有数の製鉄会社になりました。この日、ヨさん達は会社の幹部に面会を求めました。植民地支配の被害者を救う基金の為に資金を出してくれるよう要望書を提出するためです。面会はおよそ1時間半に及びました。
ポスコ側は、会社の法的責任はないが、趣旨は分かる。政府が問題解決に向けて方策を立てるなら、一個の企業として協力したいと応じました
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「韓国政府と企業が被害者問題の解決に乗り出すとなったら、日本の政府や企業も法的責任を超えて、道義的責任・歴史的責任というレベルでこの問題に賛同して欲しいと思います。」
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今、韓国では日韓条約に対する見直しの機運が高まっています。韓国政府は真相糾明委員会の調査を開始し、日韓条約に関する残りの文書も8月15日までに公開するとしています。
60年間放置されてきた植民地被害者への救済の動きはまだ始まったばかりです。
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1965年6月22日、日韓条約が調印されました。
植民地支配のきっかけとなった韓国併合条約などについては、韓国側にとっては最初から無効。日本側にとっては今は無効
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どちらとも解釈できる"もはや無効"という表現になりました。
個人補償については、両国及びその国民の間の請求権に関する問題は"完全かつ最終的に解決された"と記されました。
調印後、日韓両国は国民に対し、それぞれ異なる説明をしました。
日本政府は5億ドルは韓国独立の祝い金であり、経済協力という意味で支払ったと説明しました。
韓国の経済建設に役立つために、日本がこれを享由するものであるという趣旨でございます。」(日本の国会にて)
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一方、韓国では条約反対の動きが国会でも高まっていました。政府は日本からの資金は謝罪と償いの意味を込め、主に請求権として受け取ったと説明しました。
それでも植民地政策への清算が不十分だという声は収まらず、与党は強行採決を行い、条約を批准しました。
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キム・ジョンピル氏「あの時はあの時で最善を尽くした結果ですよ。何の事でもそうですよ。いくら良くやってもその後からいくらでもいくらでも粗探しが出来るから。
結果は正常化に繋がった。そしてその正常化は韓国を、極貧国から今日世界第11位のそういう経済国に仕上げた。良いじゃないかと。これからだ!と私はそう思います。そしてみんなそう思って頂きたい。」
柳谷氏「申し上げたいのはね、やっぱり韓国側の方がより大変だったと思いますよ。
本当にさっきも言いましたように、もう『自分達は命がけでやってんだと。これまぁ一見日本に歩み寄って妥結する、軟弱だとか弱腰だとか国内からは酷く言われるけれども、こうやる事がね、やっぱり長期的に見て韓国の国民国家の利益だと信じているからやってるんで。今は非常に不評でありこれから大変なまぁデモにあったりね、攻撃に晒されるけど、まぁやっぱり自分達は信念を持ってやってるん』という事をいながら、まぁ帰国して行かれたのを憶えていますが、、」
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オ氏対日交渉は外科手術と同じなんです。場合によっては後遺症が出る事もあるし、再手術が必要な事だってあるんです。ですから[E:danger]交渉妥結で全てが終わるのではなく、その後も管理をしっかりしなければならないのです。」(元駐日大使)
14年に亘る交渉を経て、日本と韓国は新たな関係を築き上げていく事になりました。
しかし、植民地支配をめぐる歴史認識の隔たりは大きく、被害者への救済も進んできませんでした
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条約締結から40年が経った今も二つの国の間には重い課題が横たわっています。以上

NHKのナレーション韓国人の証言には??マークが飛び交いましたが(・・;)、それは置いといて・・・
日韓基本条約締結に向けて、それぞれが国益を背負って信念に従って交渉した、14年に亘る日韓の攻防の様子はまさに外交だと思いました。
キム・ジョンピル氏も言っているように、こういう命がけの外交しても、後で文句言ったり、怒り狂う韓国人・・・
当時の韓国は極貧国で、日本のカネがどうしても欲しかった。日本は早く清算して国交正常化しなければならないという背景があり、お互い当時的には最善だったと思います。
日本がねばって個人補償については、両国及びその国民の間の請求権に関する問題は"完全かつ最終的に解決された"という事で「個人補償の請求権は韓国にある」としたのは勝利。
この一文があるから、昔の事でいくら韓国人が日本に補償を要求しても、一切却下できるようになってますもんね。で、締めくくりのナレーションの部分↓ですが、

植民地支配をめぐる歴史認識の隔たりは大きく、被害者への救済も進んできませんでした条約締結から40年が経った今も二つの国の間には重い課題が横たわっています。

これ、重い課題の原因は全部、韓国国内の問題。
植民地支配と言うけど、久保田発言や韓国高官の証言にあるように、日本は韓国にすごい恩恵を与えていたけど、それを反日政策でイ・スンマンが歪めて国民を洗脳しちゃった・・
韓国政府は、日韓条約の内容を韓国国民に啓蒙し、豊かになったんだから、とっとと個人補償してあげてほしいわ。
最近、慰安婦問題がまーた再燃し始めたので、基本に戻って「日韓条約」締結の過程をこうやって記録しておきたくなった次第です。

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2014年10月28日06:00「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その4 【NHK】 (再)

その3から続きです(青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)

被害者個人に支払いたいとする日本側と、韓国側は名簿がないので国が一括して受け取りたいと主張し対立したまま膠着する日韓会談の様子。でも・・・両国ともに実は「名簿」があったというオチ・・ (・・;)

の頃、日韓会談の方針について外務省が纏めた機密文書です。第5次会談が始まる直前に書かれた物と見られています。

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その内容は、「謝罪」や「償い」といった意味の"請求権"ではなく"経済協力"という形の援助を行うというものでした。

-財産請求権問題は、一種の棚上げにする方が適当である。その一方で、日韓会談妥結の為に韓国になんらかの経済協力を行う必要がある。我が国にとっても、「過去の償い」という事ではなしに、韓国の将来の経済に寄与するという趣旨ならば、かかる経済協力を行う意義ありと認められる-

文書には外務省幹部の意見が付け加えられていました。

-無償援助は韓国側請求を全て放棄せしめるのでなければ、国内で支持を得られない-

つまり経済援助によって、韓国側の請求権を帳消しにし、更に工業製品などを送る事で日本の経済成長にも結び付けたいという考えでした。この頃、経済協力方式の取りまとめに奔走したのが、当時、北東アジア課長代理だった柳谷謙介さん、80歳です。

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柳谷氏「どの辺が落とし処かと、、基本的な立場なり利益は守りながらも相手国の言うにも歩み寄ると。そうやって韓国との関係が良好になる事はとっても長期的な国益だという意識がまぁありましたからね、そうなるとまぁ例えば請求権についてはね、なんか落とし処を具体的に定めなきゃなんないという事で私も随分ペーパーを書かされた思い出がありますけれども、やっぱりねぇ、あのー、今でも私はそう思ってますけど、あのような解決ねっ、経済協力という解決の他にですねぇ、別の選択肢が本当にあったのかどうかというと、なかったという気がするんですね。」

会談の席上、韓国側は「請求権」の内容を具体的に提示しました。

韓国側の発言韓国側は生存者・負傷者・死亡者・行方不明者、そして軍人・軍属を含む徴用された人々全てに対する補償を要求する。」

これに対する日本側の反応は、韓国側にとって意外なものでした。

日本側の発言「日本側も韓国人被害者、そしてその遺族に対して可能な限り措置を講じようと思う。韓国側は被害者の具体的な調査をする容易はあるか? これらの人々の名簿があれば速やかに解決できるはずだ。」

韓国側の発言若干の資料はあるが、不完全だ。これから調査する事は困難である。特に軍人・軍属については日本側が全て資料を焼き捨てたではないか。多くの人が徴用された事だけは事実であり疑う余地がない。その数は[E:danger]様々な資料に基づいて調査したが名簿はない。」

日本側は証拠の提示を繰り返し求めました。

日本側の発言徴用者の中には負傷者もいるし、死亡者もいる。また負傷者にも原因や程度に違いがある。これらの事実が全然分からないままカネを払うわけにはいかない。まず、被害者個人の具体的な申告があってから支払うのが妥当ではないか。 」

韓国側の発言韓国側は国として補償を請求しているのだ。被害者個人に対しての支払いは韓国政府の手で行いたい。」

会談では、被害者個人に支払いたいとする日本側に対し、韓国側は名簿がないので国が一括して受け取りたいと主張しました。

当時、韓国外務部に入ったばかりだったキム・テジさん、70歳です。キムさんはこの会談の下準備に当たっていました。

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キム氏「証拠について言うなら、当然日本がたくさん持っていたはずですが、それを示そうとしませんでした。つまり、日本側も被害者個人ではなく、韓国政府に一括してカネを支払うという方法しか選択がなかったのです。日本側は交渉の過程ではあのように話していましたが、実際に我々がそれを受け入れると思って話していたとは思えません。」(元駐日大使)

柳谷氏資料は実際上消滅してしまっているという事がはっきりしていたから、お互い口には出さないけれども、これで対立している限り、いつまで経っても解決しないなと。何か別の解決法を探さなきゃなんないなという気持ちになっていた頃ですからね、それはやがてその経済協力という形になっていくわけですけれども、、」(当時の北東アジア課長代理)

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第5次会談で、名簿の有無が話し合われてから30年後、日本で詳しい個人資料が見つかりました。これは戦後間もなく厚生省がまとめた物です。

この名簿が見つかったのは1990年、来日したノ・テウ大統領は日本政府に強制連行者の資料の提示を求めました。これを受けて労働省が調査した結果、6万7000人分の名簿が発見されました。

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ここには朝鮮半島から来た労働者1人1人について、氏名・生年月日・本籍地・職種・入所年・退所年・退所理由・未払いになっている賃金・厚生年金など多くの項目が記されていました。

日韓会談で、日本が無いと主張していた名簿は存在していました。その後、資料発掘の機運が高まり、民間でもいくつか当時の名簿が見つかりました。その1つが駒澤大学図書館に保管されています。

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この名簿にも未払い賃金や貯金・厚生年金などの額が詳細に記されています。朝鮮半島から来た労働者の未払い賃金などを示すこうした資料はまだ公開されないまま全国にあると言われています。また、同じ1990年、韓国にも名簿のある事が確認されました。

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倭政時・被徴用者名簿   第5次会談が始まる前の1957年、韓国政府が帰還者や遺族から聞き取り調査を行って纏めた28万人に及ぶ資料です。日韓会談当時、韓国にも被害調査の痕跡があった事が分かります。しかし、会談の場に提出される事はありませんでした

2005年6月3日、日韓会談の重大な鍵を握る人物が来日しました。韓国首相を務めたキム・ジョンピルさんです。国交正常から40年、日本の新聞社の招きで講演を行いました。

キム氏韓日国交化を主導したバク・チョンヒ大統領と私は、韓国が経済発展に成功し、軍事的・外交的にも自立自主できるする国に成長する事が、対等且つ生産的な韓日関係を持続させる鍵であると考えました。」(元首相)(流暢な日本語)

「軍部のクーデターは5月16日突如、ソウルに向かって進撃を開始、、」

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1961年、韓国で軍部によるクーデターが起きました。政権を掌握したのが後のパク・チョンヒ大統領でした。

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パク大統領は日本との国交回復に積極的でした。韓国経済を立て直すためには日本からの資金と技術が欠かせないと考えていたからです。

この時、パク大統領が会談妥結に向けて送り込んだのが、当時の№2キム・ジョンピル中央情報部長でした。

キム・ジョンピルさんがNHKの取材に答えました。この40年間、日韓会談の内幕について語る事はほとんどありませんでした。戦前、日本で教育を受けたキム・ジョンピルさんは自らの思いを直接伝えたいと日本語で語りました

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キム・ジョンピル氏「・・・いや、毎年来ますよ。今年の正月はソウルが寒かったから。

お互いに言葉尻を捉まえては、それでなんか言い合って会談を中止したり、まぁ時間が経てばまた集まって話をするような振りをするけど、内容、何にも無い。こういう事を繰り返しながら10年を費やしたんですよね。

だからいざ会談を纏める為には誰か犠牲的な事をして、門を閉ざされているその門を開いてやらなければいけない。これが朴大統領の考えであり、そして私に『君、我々は革命もした。その気迫で人が出来ない事をやろうじゃないか。韓国の近代化の為には、工業化の為には、これは必ず打ち開かなきゃならない道なんだから、どうだ、やるか』『はい、やりましょう』それで始めたんです。」

1962年、第6次会談は"請求権"をめぐって膠着状態が続いていました。前回の第5次会談で、日本が韓国になんらかのカネを支払う事については大筋の合意が得られていました。残された課題はその"額"と支払いの"名目"でした。

韓国側は日本に対する"請求権"として7億ドルを要求していました。

それに対する日本側の回答は、7千万ドル。両者の隔たりは明らかでした。

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第6次会談の前から、アメリカは日韓会談の仲介に乗り出していました。訪米した池田首相に対し、ケネディー大統領は早期決着を求めていました。更に金額についても具体的な提案を行っていました。

韓国が提示した7億ドル、そして日本が提示した7千万ドルの丁度半分、3億8500万ドルで妥結してはどうかと提案しています。

ベンジャミン・フレック「アメリカは日韓会談の早期解決を本気で望んでいました。というのも当時はキューバのミサイル問題が深刻でケネディー政権は日本と韓国の対立といった問題に時間を取られたくはなかったのです。日韓会談が解決すれば、東西冷戦やキューバ危機といった他の問題を考える時間に費やす事が出来ますから。」(当時の駐韓大使館書記官)

日韓会談の決着は両国首脳による政治折衝に持ち込まれる事になりました。そこで登場したのがキム・ジョンピルさんでした。

日本側を代表したのは後の首相・大平正芳外務大臣でした。この時、キム・ジョンピルさんはパク大統領からの特命をおびていました。

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キム・ジョンピル氏「まっ韓国としては、当時100億ドル貰っても少ないと言うでしょうねぇ。それで私はお尋ねしたんですよ、『大統領はどれ位をお考えですか?』と。『8億ドル位貰って来い』私はちょっとビックリしました。

当時日本は、私が当時知っておった日本の外貨保有高は14億ドル位。それは数字の上で。実質的にはその半分位持っておったらしいですね。難しいでしょう。しかし、やはり、、」

会談は冒頭から核心に迫る議論が交わされました。

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キム・ジョンピル氏「日本はどの位支払う事が出来るのか?最終的な数字を言ってくれ。」

大平氏「大体、3億ドルである。」

キム・ジョンピル氏「それは韓国側としては到底受け入れられない数字だ。どのような事があっても6億ドルは超えなければならない。」

キム・ジョンピル氏「もう1つの問題は"名目"だ。日本側としては国民と国会向けに"独立祝賀金"あるいは"経済援助"などと表現出来ればよいが。」

キム・ジョンピル氏「日本の事情はそうだろうが、我々は"請求権"という名目であっても逆賊扱いされる状況なのだ。」

大平氏氏「しかし、我々が"請求権"という名目を使用すれば7000万ドルを支払うのも難しい。」

キム・ジョンピル氏「この問題は難しい。この話は止めてちょっと棚上げしよう。」

キム・ジョンピル氏(現在)「それで暫く経って私はこういう事を言った。『それも今やっているのを見ると無理でしょうね』どういう事かと。 『今、会談始めて2時間以上経っているのにコーヒー一杯くれないケチな国だから、(笑)それはもう出せないでしょう』 と僕はね、ちょっと皮肉ったらね、これはシマッタ!というので、コーヒーを持ってこさせたりしましたねぇ。だから会談が始まって2時間半位経った時に、コーヒー一杯貰いましたよ。

それからちょっと弾んで、『無償もちょっと増やし、出しましょうと言ってください』と。だから無償はまぁ2億ドル・有償2億位上がったんですよ。それで私に言えというから、『じゃあ言いましょう。これはもう最終的な韓国側の要求。そういうように受け取ってくれ。無償3億・有償2億そして輸出金あるいは民間借款協力、こういう性質のものを1億+α。』 とにかく私はもう8億ドルに作ろうというんで、そういう事をゆうたんです。

そしたら椅子から飛び上がりましたよ。(大平さんが?) おっ、『とんでもない』と。『私はそういう事出来ません』と。『いやできますよ。』、、」

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この時の会談について一枚のメモが残されています。キム・大平メモと呼ばれるこのメモには日本が支払う合計金額が書き込まれています。

無償援助3億ドル・有償援助2億ドル

しかしこのメモには合意した金額だけが書かれ、"請求権"なのか"経済協力"なのか交渉の焦点だった支払いの名目については一切触れられていませんでした

キム・ジョンピル氏「『私は国民を代理して請求権と言いますよ。そして『国会に報告も、国会を通して国民に報告も、請求権をこういう風に合意を導出したこう言うはずです。だったら都合の良いように国会で国民に説明されたらいいですよ。どうせ請求権で始まった事ですから。』こう言ったんですね。」(つづく)

"名簿"(個人資料)の件ですが、日本側の物は詳細に記入してありました(・・;)

朝鮮人曰く、「強制連行という酷い仕打ちをされた」ハズなのに、氏名・生年月日・本籍地・職種・入所年・退所年・退所理由・未払いになっている賃金・厚生年金・・・

あと「会社で貯金をもしてくれていた」「怪我を理由に帰国した」という被徴用者の証言もあるし、結構厚遇されていたのね!と思いました。

韓国人って、強制連行の意味、間違って理解してない?!

このシリーズ最後の記事は、14年に亘る交渉を経て1965年6月22日、日韓条約が調印されるまでの最終戦と、個人補償をめぐって日本企業を訴え続けてきた人達が、

2005年の文書公開で個人補償の請求権は韓国にある事が分かり、ポスコに抗議に至る場面などなどです。

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