久保田発言
青木理氏が日韓関係悪化について独善的な解説をしていたので記録しました(やや要約)
直後に田中秀正氏が全否定コメントしていたのが、今回の笑い所!
この際、田中氏が言っていた「盧武鉉政権での2005年の検証」で韓国国民が唖然とした様子も振り返ります(^^)/
関口宏氏「GSOMIAに関してはアメリカが真剣、必死になってきてた感じが。更に青木さんにボードを使って日韓関係の説明を」
青木理氏「GSOMIAとか韓国の内政の報道があり、韓国が歩み寄ってきているのではと。それはその通りだが、日本側は日韓請求権協定で解決済みだといま突っぱねているが、果たしてそれでいいのかと、できるだけ客観的におさらいしたい。
1965年に日韓は国交正常化したが、この時は朴正煕政権。朴正煕は軍人出身でかなりの独裁政権で、民主化運動を苛烈に弾圧してた。朴正煕は日本との繋がりが非常に深かったし、何よりも、アメリカの要望と65年は(前年トンキン湾事件)ベトナム戦争が起きるような冷戦の最盛期本当に一番厳しくなっていく時期だったので、とにかく『反共』を大きな1つの結節点にして、朴正煕政権と当時の日本自民党政権が、まっ政治的妥協したのが『日韓国交正常化』。
こういう政治的妥協だったので、いくつかマイナス面、デメリットが生まれた。
①個人の人権がなぎ倒され ②韓国政府の責任も非常に大きいが)個人補償されなかった
③日本の植民地支配・戦争・徴用とかの事実究明、責任追及もあまりされなかった。
ただし、歴史とか外交はもう少し色んな色彩を帯びるもので、メリットもあった。
①経済(韓国は計5億ドルの経済支援を得て漢江の軌跡と言われる経済成長を成し遂げた)
実はこれは日本も65年以降日韓貿易ではずっと日本が黒字。つまり日本の資金がドンドン入って韓国も成長し日本の企業も潤った。今でも2兆円位の黒字で、累積黒字は一部報道では6千億ドルとも言われている。為替があるので単純計算できないが60兆円位日本は潤ってきた。日韓はある意味ウィンウィンの関係だった。
②交流は65年直後は日韓国民の行き来が1万人しかなかったが、2002年W杯の頃になると400万人で、去年は1千万人。
皆さんご存知の通り、③政治社会体制を同じくしている国はこの地域に日本と韓国しかない。これほど大切な国なわけだ。
つまりメリット・デメリットが65年以降生じた。ところが民主化運動を背負った(デメリットの部分を非常に問題視する)人達が(現在)政権について、いま日本と葛藤が生じているということ。
で、これからトランプ政権がどうなっていくのか、中国の覇権主義が強める中でどうするかとか、北朝鮮の核ミサイル問題・拉致問題を考えると、
何度も言ってきたが、日韓が対立していて得な事は1つもない。なのでここのデメリットの部分を少しでも癒して解決しつつ、このメリットをドンドンドンドン広げていく事を日韓がしなくてはいけない。
政権の価値観が違うので難しいが、そういう時に韓国は若干苦しくなって歩み寄りを見せている時に日本は、大元辿れば日本が酷い事をしてしまったというのが原因だし、この時独裁政権との政治的妥協だという事を考えれば、この65年で解決済みじゃないかと全部突っぱねちゃうというのはそりゃ日本としてもちょっと問題じゃないかと。だから日韓双方がここで歩み寄ってこう色々話し合ってこのデメリットの部分を何とか乗り越えられないかという努力を尽くす。その為には首脳間の会談、あるいは首脳間の交渉しかないんじゃないかというのが現段階の所だとボクは思います。」
(佐高信氏 日本の司法をディスりつつ、隣は引っ越せないから仲良くすべきというコメント 略)
田中秀征氏「65年から40年経って、盧武鉉政権で調査委員会まで作って検討した結果『解決済み』だと認めたわけで、僕はその時バンザイする位喜んだ。その盧武鉉政権に今の(文在寅)大統領も一番重要な部分(首席秘書官)に居たわけ。
あの時の喜びを考えると、コチラがした迷惑かけた色々の事もあるし、色んな反省して友好的に一生懸命やっていこうという気持ちになった。それどうなったの?! と。
いま、彼(青木理)の話の中にも・・05年の話も十分承知の上なんだろうけど、そういうのが出てこなかった。
で、こういう事されたらね、ずーっと付き合い切れないですよ、実は。だから今回恐らくGSOMIA維持する可能性が高まってる。そうしたら必ず輸出規制を緩めろとか、こっちはやったんだからアンタたちもやれという話になってくる。やっぱ徴用工の問題と違うんだよね。僕はかなりこれは(安倍)政権と同じ姿勢ですよ。だからここんとこはビシッとしてやっていかなきゃいけないと思うし、その2005年にね、いわゆる左派・リベラル派が認めたんだと、全面的に。そこは僕はどうしても忘れないし、それやられたら堪らない、付き合えない。そうしょっちゅう変わられたら。そう思う僕は」
関口氏「えーつづけて・・」
結局「日本が酷い事したのが原因なんだから歩み寄るべき」という誘導解説じゃん。
で、田中氏がいちいち青木氏を見ながら喋っていたのが傑作だった。分ってないなってカンジで。
では、2005年にどういう事があったか・・NHKが特集していたので見てみましょう
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その1 【NHK】»・・2005年1月、韓国で日韓条約についてのニュースが人々の関心を集めました。
韓国のニュース
「韓日条約の文書が公開されました。その結果、苦しい立場に立たされた韓国政府は、過去の過ちを認め、被害者を救済する措置を検討すると発表しました。」
1/17日、韓国政府は日韓条約締結に至る会談の会議録や政府の内部文書の一部を公開しました。これまで極秘扱いとされてきた物です。
今回公開されたのは、会談の最後の5年間に行われた第6次と7次会談の1800ページに及ぶ記録です。その中では植民地支配の被害者に対する補償は、韓国政府の手によって行うという事が明記されていました。・・
後世の人が好き勝手言わないように「完全かつ最終的に解決」としたのが全て!«「韓日併合は違法」世界の知識人524人が安倍批判のニュースと、「韓国併合再検討国際会議」»2015年07月30日・・それでも植民地政策への清算が不十分だという声は収まらず、与党は強行採決を行い、条約を批准しました。
キム・ジョンピル氏「あの時はあの時で最善を尽くした結果ですよ。何の事でもそうですよ。いくら良くやってもその後からいくらでもいくらでも粗探しが出来るから。
結果は正常化に繋がった。そしてその正常化は韓国を、極貧国から今日世界第11位のそういう経済国に仕上げた。良いじゃないかと。これからだ!と私はそう思います。そしてみんなそう思って頂きたい。」
後付けのいちゃもんが過ぎるんです!韓国側はっ。当時の実態を知る人の話を知るべき
«「朝鮮総督府・100歳生き証人、西川清さん&久保田(貫一郎)発言から見る「日韓併合時代」»2015年11月17日・・韓国側の発言「日本が36年間の蓄積を返せというならば、韓国側としても36年間の被害を清算せよ。と言うしかない。」
これに対する久保田主席代表の発言が日韓会談の行方を大きく揺さぶることになりました。
久保田氏「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえば、韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言う事は記録を取らないでほしいが・・・
当時、日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかも知れない。」
この発言に対し、韓国側は激しく反発しました。
韓国側の発言「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ、我々はもっとよくやっていたかも知れない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人の為に出したもので、その金で警察や刑務所を造ったではないか。」・・
14年に亘る「日韓交渉」の中で、譲歩したのは日本です。
何故なら、李承晩ラインで「人質」を取られていたから。日本漁船狩りをやりまくった事実!(日本漁船に銃撃、 拿捕200隻以上・抑留4千人 死傷44人・死者8人)1948年に済州島事件で日本に来る密航者が何万人もいたし
«「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その3 【NHK】»当時のたっくさんの新聞記事も是非参考に
・・1953年、久保田発言をきっかけに日韓会談は決裂していました。「会談は初めから緊張の内に続けられましたが、久保田発言を巡って紛糾し、10/21日の大師本会議の席上、遂に決裂。この問題は暗礁に乗り上げました。」
韓国側は李ラインでの取り締まりを強化。この年だけで47隻585人が拿捕され、韓国に連行されました。
一方、日本政府も朝鮮戦争の避難民や日本が強制退去処分にした在日韓国・朝鮮人を長崎県の大村収容所に収容していきました。日韓の亀裂は深まっていました。この事態にアメリカ・アイゼンハワー政権は再三に亘って交渉の再開を促しました。
日本には久保田発言の撤回を、韓国には李ラインの廃止を要請しました。・・
«【大阪朝日新聞・朝鮮版】「日韓併合、隠されていた真実の報道」(悪徳朝鮮人業者逮捕・治安改善・朝鮮文化保全・インフラ整備・教育、日本軍入隊志願者殺到・朝鮮人鉱夫の物凄い稼高»2015年07月08日青木理は、併合した間に日本が施したインフラなど日本や日本人個人のの巨額な財産を放棄したのもスルーしたし、
そもそも併合前、どんだけ凄まじい最貧国だったかという事実を無視するのが一番卑劣だと思う。
«松木国俊氏『#ほんとうは日韓併合が韓国を救った!』。「従軍慰安婦・小中華思想・七奪・竹島」虚構・誤解【#虎8】»2019年05月07日
松本氏「そうですね。もうやはりですねぇ、韓国、、当時、朝鮮ですけれども、 なかなか独自ではですねぇ、近代化が出来なかった。・・
で、それを自信満々で日本人に解説しているところが滑稽ですよね。
だってネットのお陰で、教科書で習ってない「日韓併合の真実」に多くのマトモな日本人は気づいてしまったんだから
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
「李承晩ラインを日本が認めていたという文書を保坂祐二見つけた!」「日本の主張覆す証拠発見!」と中央日報が報じました。
戦後、韓国が李承晩ラインを勝手に引き、(日本漁船に対して容赦なく発砲し、 拿捕200隻以上 抑留4000人 死傷44人) 日本の漁民が韓国側の人質された時代の国会での会議録からということですが、
下條正男教授に悉く論破されている人なので、どーせ眉唾だろうなと思いながら、その日本側の文書(国会議事録)を読んだら、
李承晩ラインで人質のようにされた漁民の奪還と、大村収容所の韓国人問題、朝鮮人の国籍問題、日韓条約との狭間で苦慮する国会のやりとりが非常に興味深かったので記録しました(覚書です)
本当に重光大臣は李承晩ラインを認めていたのか?・・結論から言えば、保坂氏指摘箇所直後に「それから、新聞記事を引用して色々言われました。今李ラインの問題を認めるとかなんとかということは一切やってはおりません。李ラインの問題は常に抗議に抗議を重ねて今日までやっております。と反論しているし、「李承晩ラインを認めてない」と繰り返しています。
「平和線宣言で独島占拠」日本の主張覆す証拠見つかる2016年03月27日13時18分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]韓国の李承晩(イ・スンマン)政権が一方的に平和線を宣言し、独島(ドクト、日本名・竹島)を不法に占拠した」という日本政府の公式の立場と異なり、日本の外相が平和線設定4年後の1956年に「平和線は韓国の主権行為」と認めたことを証明する日本側の文書が発見された。日本政府がこれまで李承晩大統領の平和線画定自体の不法性を提起し「韓国の独島不法占拠」の主張を展開してきただけに議論が予想される。
世宗(セジョン)大学教養学部の保坂祐二教授は、1956年4月13日に当時の日本の重光葵外相が衆議院法務委員会に出席し、平和線について「韓国が独立国としてやった処置…日本がこれを否認していくことはできぬこと」と発言した衆議院速記録を発見したと明らかにした。これは「外相が李承晩ライン(平和線)を認めるようなこと言ってもいいのか」というある国会議員の批判的な質問に対する答弁だった。日本の安倍政権は島根県の「竹島の日」の行事に次官級政府高官を4年連続で派遣し独島領有権主張を強化している。 ・・
日韓条約締結(1965年・昭和40年)に至るまでの日韓交渉に14年間かかっています。
条約締結の9年前の交渉中の国会でのやりとりになりますね。
(※行が詰まって非常に見にくいので、改行・強調しました)(李承晩ラインに関する部分はピンク字)(保坂氏指摘部分は緑字)(※長文なので、強調箇所以外は読み飛ばして結構です。緑字前後だけでも良いです)
第024回国会 法務委員会 第24号
昭和三十一年四月十三日(金曜日) 午前十一時十八分開議(中略)
○高橋委員長 次に、外国人の出入国に関する件に関し調査を進めます。すなわち、先般来の日韓会談における諸問題、なかんずく大村収容所の韓国人問題等について調査を進めます。
質疑の通告がありますので順次これを許します。高瀬博君。○高瀬委員 今回、去る二日の新聞報道によりますと、日本側の朝鮮に抑留されている漁夫の一部分の者と、大村収容所に収容されている密入国者及び戦争前よりわが国に在住しておって法を犯し大村収容所に刑余者として収容されております朝鮮人との相互釈放の問題が報道されました。
これは国内的にも非常に重大なる関係もあり、また国民感情にも相当重大なる影響を及ぼすものであり、また日韓関係の現在未解決のままでありますところの李ラインの将来の問題についても非常に影響するところが大でありますので、これは当委員会といたしましても非常に重大なる関心を持たざるを得ないのであります。
私は、与党議員の一人といたしまして、国会における正しい公明なる論議を通してわが外交のあり方を国民にはっきりと知らすということは、与党の立場から言いましても非常に必要であることを痛感いたすと同時に、また、巷間伝えられておりますいわゆる日本の法の擁護という立場から、法務省の事務当局と外務省の事務当局との間にも多少の意見の相違があるやに見られますので、私は、重光外務大臣に、おもに外交と内政との調整の問題につきまして、いかなる所見をお持ちになっておるか、二、三点について伺いたいと思うのであります。
まず第一に、外務省で発表された文書によりますと、在韓抑留日本人漁夫と在大村韓人問題解決に関する件という項目についてこういうような文書が作られておるのであります。
「在韓抑留日本人漁夫と在大村韓人の問題については、左記要領により、これを解決することとする。」、すなわち、第一に、「韓国政府は刑期を了した日本人漁夫を釈放する。」、第二に、「韓国政府は密入国者(終戦時以後の者)を引取る。」、第三に、「日本政府は終戦時以前から日本に在住する韓人にして大村収容所にある者を釈放する。」とあり、
「但し、これらの者が日本に留まるや帰国するや否やは、その自由意思に任せる。」、そして、「なお、釈放の実際的方法については、在日韓国代表部側委員と、日本政府側委員との間において事務的に協議決定する。」というのであります。
これは大体外務省の文書と新聞に出ております点と符合いたしておりますので、この点については政府の方針としてかくのごときがきめられたと思うのでありますが、ただ、私がここに問題にいたしたいのは、これらの取りきめがいかなる形でなされたか、韓国公使金君と重光大臣との間にどういうような形でなされたか、その点をまず最初に伺いたいのであります。
○重光国務大臣 これは、金韓国代表部代表と日本国外務大臣との間にかような了解に達したわけでございます。
○高瀬委員 それでは、これは、わが国の、いわゆるわが党の政府といたしましては、閣議決定事項としてなされたのであるか、それとも外務大臣のお立場からこれを取りきめられたのであるか。この点は、実は、われわれ党内におきましても、昨日も、外交調査会におきましても、あるいは総務会におきましても、いろいろ論議されたのでありますが、いまだその点について明らかでないのであります。
なぜわれわれがこういうことを伺うかと申しますると、要するに、外交と内政の調整がいまだ紛溶してはっきりした調整ができていないように思いますので、これがもし閣議決定事項としてなされたのならばいざ知らず、この点の関係が明らかでないのでありまして、これは一般の世論にも国民の感情にも影響するところ大でありますから、その点を、この取りきめについていかがなされてあるか、伺いたい。
○重光国務大臣 かような了解に達する場合には、外交上の手続をとる場合には、国内において政府の意向がはっきりきまった後でなければできません。この方針でやるという政府の意向がはっきりした上で韓国側との間にさような了解をしたわけでございます。
○高瀬委員 そういたしますると、伺いますが、これはおそらく私のみではないと思いますが、朝鮮と日本との関係は、敗戦後その外交関係もいろいろ不明でありまして、私どもは非常に疑問に思うのでありますが、朝鮮公使の金君という人は一体いかなる立場でわが方の外務大臣と交渉されておるのか、それからまた、将来の国交の是正をするというのに、わが方から外交代表も何も朝鮮に全然行けない、そういう状態で本質的な外交調整をやるというわけでありますが、一体日韓の外交関係というものはどういうふうな立場に置かれておるのか、また朝鮮公使の金君は重光外務大臣と五分に取っ組んで十分なるステイタスを持っておるのかどうか、そういう点についてもわれわれ一向わからないのであります。この点一つお教えをいただきたいと思います。
○重光国務大臣 これはもう、お話の通り、また御承知の通りに、韓国と日本との間にはまだ国交が開かれておりません。条約関係はございません。韓国は、御承知の通りに、サンフランシスコ平和条約によってできた国であるのであって、平和条約それ自身の当事者となっておるわけではございません。
しかしながら、日韓の両国の間を調節するということは、どうしてもこれは日本の利害関係上特別に必要な事項であることは何人も異論のないところでございます。そこで、国の関係が条約上ないからといって、毎日起るような事柄について話し合いをする機関のないことは、実際問題として非常に不便でございます。
そこで、正式の代表機関を置くに至っておらないわけでございますから、正式の外交機関として認めたものでなくても、実質上両方の政府の代表をする機関がなければならぬ、こう考えます。そこで、わが方においてはむろんさような意向をもって双方の間に接触してきたのでございますが、まだ今日までさような機関を韓国に設定するということに折り合いがつかないのでございます。
しかしながら、そうかといって、こちらは向うに行き、向うはこちらに来るということを今日厳格にする必要も実はないので、そこで、韓国の代表部というものは、これは終戦直後において占領軍時代においても置かれたのでありますが、それをそのままこちらに代表として残っておることを認めた。
そうして、その代表部の代表は事実韓国政府を代表するということを確かめまして、諸般のことを打ち合せをし交渉をしておるわけでございます。それは、実際問題としてさようにすることが日本の立場から言ってみても適当なことであろう、また有益なことであろう、こう考えて今日までやっておるわけであります。
○高瀬委員 そういたしますと、私どもの考えでは、根本的に日韓関係の国交是正をする場合には、やはり対等の立場で、韓国が独立国であるならば何らの理由はないのでありますから、わが方からも適当なる正当なる資格を持った外交代表をまず設定して、その前提の上に立って本質的に日韓関係の問題を討議すべきものである、かように考えておるわけでありますが、その点に対する外務大臣の所見を拝聴いたしたい。
○重光国務大臣 今申します通りに、日韓の外交関係が開かれますならば、これは正式の外交代表が交換ざれることは容易であると考えます。それはそうしたいと存じます。しかし、それまでは双方事実上の交渉機関を設けてやることが時宜に適しておる、こう考えておるのでございます。
○高瀬委員 それでは、その問題については近い将来に正式代表がどうせできることでありましょうから、それは大臣の所見に従っておやりになっておることをわれわれは誹議するわけではありませんが、一刻も早く外交関係を正常なルートに乗せていただきたいことが、与党の議員の一人として熱望にたえないところなのであります。
そこで、私は、重光大臣並びに金公使の間に取りきめられたこの了解事項について触れて参りたいと思いますが、なぜ私どもが法務委員会においてこの問題を重視するかという点であります。
それは、すなわち、まず第一に、韓国政府は刑期を終了した日本人漁夫を釈放するという点、しかもこの刑期を終了したというところに問題があるのでありまして、
わが方から言えば、あの公海自由の原則に従って漁獲に従事しておった善良なるわが国の国民が朝鮮側において犯罪者として扱われて、しかも刑期を終った者、終らざる者という区別をわが方で承認いたしまして、終った者だけを日本に引き取るということであります。
これは、われわれといたしましても、日本人漁夫が一刻も早くその家庭に帰って生業につくことを希望するのは国民として当然でありますけれども、
大臣も御承知のように、かつてこの国会におきまして李承晩ラインについて非常に強硬なる決議をいたして、世論に訴え、また韓国側の反省を促したことは御承知であろうと思うのであります。
従って、わが方として、犯罪人でない者を朝鮮側が犯罪人として、しかも朝鮮側の法律から見て刑期の終った者だけを釈放するということは、すなわち、とりもなおさず、常識的に見まして、これは李ラインを一部分わが方が承認したような形に相なるわけでありまして、この点はどうしても国民感情が許さぬ点なのであります。
しかも、一方、なお後の方の取りきめを見ますと、日本国政府は終戦時以前から日本に在住する韓人にして大村収容所にある者を釈放する、こういうことがあります。その前に、密入国者を韓国政府は引き取る、これは当然であります。
しかしながら、ただいま読み上げましたところの終戦時以前から日本に在住する韓人にして大村収容所にある者、これは非常な犯罪者であり、日本において犯罪を犯し、刑余者として当然国際法の原則に従って朝鮮に送還せらるべき運命にある連中でありまして、
これらがわが方の善良なる漁民と対等の立場において釈放が交換されるという、これはどうしてもやはり公平に見て国民感情を刺激せざるを得ないと思うのであります。
その中で、具体的に言いますれば、大臣も御存じでありましょうが、前科九犯ないし十二犯の者が十三人、六犯ないし八犯の者が八十人、三犯ないし五犯の者が二百四十人、こういうことで、これらの者を釈放いたしますれば、かつても騒擾を起した事件もあり、また、すでに新聞の報道するところによりますと、大村近辺において警官並びに住民が非常に不安の念にかられておるという事実があるわけであります。
つまり、私が問題にするのは、李ラインを一部容認したかごとき感を与えるということと、それから、第一に、わが方から見れば罪人でない者を、明らかに刑余者であり国際法上朝鮮に帰さなければならぬ者と五分の立場で交換するということ、これは非常に問題であろう。
しかも、それは、釈放した場合、朝鮮側においてはこれらの者が日本にとどまるやいなやはその自由意思にまかせるとこの協定にもありまするごとく、
また、朝鮮側といたしましても、この理由ある引き取りについて非常に無責任な放言をなしておる事実があるのであります。
たとえば、新聞の報道によりますと、イ正換という朝鮮の外相代理でありますが、彼は記者会見をしてこういうことを言っておるのであります。韓国は大村収容所の韓国人の送還を個々の状況に基き受け入れるが、その場合自由送還の原則を守らなければならない、北鮮への送還はかたく反対する、
米国の仲介と日本の態度の変化によって日韓関係は幾らか改善のきざしを見せておるが、日韓交渉の現段階においては国交是正の正式の話し合いとは何ら関係がないというのであります。
従って、私は、この朝鮮の外相代理の言った言などを照合してみまして、法務省の主張しておりますところの、今後刑余者の釈放については絶対に韓国側が引き取るという保障がなければ、国内治安については責任が持てないから困るという、いわゆる法厳守の建前がくずれるのではないかということ、
それから、これを総括的に言いますると、一体、こういうようなことを日韓国交是正の前提にいたしまして、たとえかりに百歩を譲って取りきめたといたしましても、それによって本質的な日韓の国交の是正ができますかどうか、こういうような点について総括的な外務大臣の所見を私はお伺いしたい。
特に、本日のニッポン・タイムスによりますと、これは大臣もごらん下すつたと思うのですが、アミティ・ウイズ・ジャパン・イズ・セラウトという見出しで、これは、今回の選挙において、だれか反対党の大統領の候補でありましょう、それが、日本との国交の是正が非常に必要であるという演説をやったわけでありますが、
それに対して、李承晩は強く反対して、日本とのいわゆるアミティをやるということは国を売るものである、五十年前に朝鮮においてわれわれがなめたと同じようなことを再び繰り返すようなものであるから、これはすなわちアンティジャパニーズ・ポリシー・オブ・ザ・コリアン、――朝鮮人の反日的政策に反するものであると言って、強く彼は反対の演説をしているのであります。
こういう点を総合いたしますと、こういうような国内の世論を刺激し、また法の解釈がまだ不確定のうちに、同じ立場でできない、漁夫といわゆる刑余者との対等交換を行なって、果して日韓関係の本質的な国交の是正ができるかどうか、これは実に問題であろうと私は考えるわけであります。
その他、そういう見通しについて私の所見を忌憚なく大臣の前に申し上げますならば、たとえば、沢田さんと金公使の会談において、李ラインの問題については多少話はするが、竹島問題については何らわれわれはやらない、もうすでにそういうことをはっきりしておるのであります。
それから、久保由発言につきましても、久保田さんの言ったことは多少の言い過ぎがあるにしましても、事実を事実として述べたのであって、朝鮮側の世論を刺激したかもしれませんが、日本も多少言われるところがありましょうが、朝鮮の開発のいろいろな面については貢献しておる。それを、明らかに取り消すのだ、竹島問題はやらないという。
それから、李承晩ラインについて、なお驚くべきことは、これは朝鮮側から出た報道であろうと思うのでありますが、おそらく朝鮮の代表部ではないかと思う。
今の久保田発言については、日本側は取り消しに同意しておるということを言っておるようでありますが、李ラインについては、日本側は李ラインを認めていないが漁族保有の見地から出漁漁船の型や隻数を制限する話には応ずるという意向を示しておると、かなり日本側の内かぶとを見通したようなけしからぬことを言っておるわけであります。
従って、この重光・金会談においてなされたこれらの取りきめが、本質的に日韓の国交の是正にはならない。日本との国交の是正は朝鮮を売ることだなどという演説を李承晩がやっておるような現状においては、大臣のお見通しがうまくいくかどうか、しかもそれが日本の外交と内政の調整もできないような形においてされるという点において、私は非常に疑問を持っておるのであります。
これらの点について総括的な大臣の御所見を伺いたい。○重光国務大臣 今表示なされたお考えは、日韓関係の全部にわたっておりまして、これを項目分けにしてもずいぶん多数で、実は私は一々記憶をいたしませんから、一々の問題についてまた御質問を繰り返されるならば私はそのことについて一々お答えいたしますが、漏れがあるかもしれません。
私は、今表示された御意見には遺憾ながら御賛成をすることができません。与党の方であっても、できません。それはどういうことであるか。私は、日韓の関係は、これは議会における全般的の外交問題として意見を表したものにおいてもはっきり私は申し上げておきました。また、政府としてはその問題について総理大臣も言及しておったと思います。隣国として、この日韓の関係は、これは一番近い関係、つまり地理的にも近い関係はだれでも疑いを持たない。歴史的に見てもそうである。私は、日韓の関係が近き過去においていろいろ不幸な歴史をたどってきたということは、これは認めざるを得ません。
しかし、両国の関係が、また両民族の間がきわめて密接である、いかなる方面から見ても密接であることは、これは争うことができません。この密接な関係が親密な関係を持っていくということは、日本民族の発展の点から言ってみても、私はこれは基礎的なことだと思います。これは、遠方の国との親密が非常に重要である場合もありましょう。それは私も少しもいなむことではございませんが、しかし、一衣帯水の間にある韓国との親密な関係を打ち立てるということが非常に必要なことで、これすらできぬようなことで、一体、世界中の国の親和を進めていこう、平和外交を進めていこうということは、ほとんど望み得ないとすら極言してもいいような問題であると私は思います。
そこで、韓国との間にいい関係を作るということが日本の平和外交の政策としては重要な一つの礎石であることは、これはもう申すまでもございません。そこで、不幸にしていろいろ感情のいきさつがあるということはお話の点によっても、私はそれを否定するものではございません。しかし、先ほど国民感情が許さぬという御発言がたびたびでございました。
すなわち、国民感情というのは、韓国人の釈放等をやるということは日本の国民感情ではこれは許されないということですが、韓国が独立国としてやった処置、これがいいか悪いかは別問題だありますが、しかし、独立国としては、今日日本は条約も認めておかなければならぬ。サンフランシスコ平和条約以来韓国は独立国となっておる。それが独立国の主権を運用して、その運用の仕方の批評は国際的にいろいろあって差しつかえはないものとも思いますが、そのことについて日本がこれを否認していくということはできぬことであります。
もしさようことが自由にできる立場をとったならば、親善友好の関係は樹立ができぬと思います。そこで、国民感情と申しますのは、私は一方的に考えられることには御賛成を申すわけにはいきません。私の大局上の見地から申して、国民感情としては一方的に見るべきものではなくして、わが方、当方の国民感情を見なければならぬし、同時に相手方の国民感情も十分に尊重していってこそ、両国の関係がよくいくのであると考えます。
いわんや、日本の今日の国民感情というのは、私がはかっているところによれば、韓国人の釈放ということは不都合であるという点にいろいろ議論のあることは私は承知をいたしております。それからまた、そのことについて従来のいきさつもあるし、また取り扱っている関係当局においていろいろ困難があるということも私は重々お察しをいたしております
しかし、今日の国民感情というのは何であるかというと、日本の帰ってこない漁夫を一日も早くその家庭に帰してもらいたいということが、日韓問題では国民感情の一番大きな問題であると私は考えます。
しかし、それだからといって、漁夫を帰すために何でもかんでもそれに必要なる条件として韓国側の言うことを受け入れるべきであるとは私は申しません。申しませんが、しかし、受け入れられるリミットはありましょうが、これはできるだけ寛容な態度をもって、この漁夫の帰還ということを実現したいと私は考えます。そこでいろいろ問題が進むわけでございます。
そこで、漁夫の問題について、、国民感情の間堰から私はそう申し上げますが、なぜそれじゃ外交上漁夫の帰還に重きを置くか。日韓関係は、御指摘もありましたが、日韓の国交を正常化していくという根本問題がございます。これはずいぶん大きなことでございます。交渉案件も非常に多岐にわたり、困難なものが多い。
たとえば、お話しの李ラインの問題はむろんこれに入る、それから、その他の問題もいろいろあります。数え上げれば相当ございます。それらの問題を解決するのには、これは解決の必要に迫られた問題から一つ一つ進めていくということが必要でございます。
のみならず、漁夫の帰還問題も、これをそのままにしておいて本交渉を進めるということは、悪い空気の中で大きな仕事をしようというのでありまして、これはなかなか困難であります。それよりも、漁夫の問題のごとき、今、日々多数の日本人、特に日本の西部の方面の人々の感情を刺激しておるこの問題をとにかく解決をする、少くとも努力をして解決するということになれば、そこで一段次の問題に進んでいけます。そこで、大きな本交渉の問題も割合にいい空気の中にいこうというものでございます。さような意味において、この漁夫の帰還の問題は一日もすみやかに解決しなければならぬという羽目に迫られております。
それから、新聞記事を引用していろいろ言われました。今李ラインの問題を認めるとかなんとかということは一切やってはおりません。李ラインの問題は常に抗議に抗議を重ねて今日までやっております。竹島の問題云々ということがありましたが、これはむろんのことであります。そこで、こういう問題はすべて本交渉と申しますか全般の国交を回復する問題を処理する交渉をするときに出て参ります。そのときにわが方の従来の立場を十分に主張しなければならぬのでございます。そういうことについては、相当国際的の関係もございますので、いろいろと手は打っておるつもりであります。それは今回の漁夫の問題とは少しも関係はございません。また、関係のないことをはっきりして進んできておるわけでございます。
朝鮮側が国際法問題で無責任であるというような御議論がございました。いろいろございましたが、それは、その主権に対する国際法の問題を十分御検討になれば、私はそれはすぐわかることだと思いますから、そういうことに今深く取り入らぬでもいいかと考えます。
この問題についていろいろ御指摘がございましたが、要するに、現在大村にある問題は、私の当局から得ておる報告によれば、従来から日本におった朝鮮人で刑期を過ぎた人間を収容しておるのが四百人ばかりある。密入国者と称するのはおもに韓国独立後の韓国人、つまり独立後の韓国に住んでおった韓国人の密入国者、これは向うが引き取ると言う。これは問題がございません。当然そうしてもらわなければいかぬ。
しかし。その前の収容者四百人が問題になるわけでございます。それについては、今いろいろお話しの、日本国の側の不便も非常にあるわけでございます。しかし、これは、ここに書いてある通りに、主義としては釈放する、実際的にどういうふうにこの人間を扱うかということについては、双方、韓国側からも委員が出、日本側からも委員が出て、そして一々検討する、こういうことに私は取りきめておるのであります。
それによって、実際的に、これを引き取り手がある場合に引き取り手のところに引き取らせるということは、私は日本側として何も不便はないと思う。治安の問題には関係がないと思う。しかし、引き取り手も何もない者を、路頭に迷うような人間を一体そういう工合にしていいか悪いかということは、日韓両国の委員がそこに出て審査をすればいいので、また、本人の意思によるということであるから、本人が路頭に迷うことを希望するかどうかということも、これは聞かなければならぬ。
あるいはしばらく大村にそのままにしておいてくれということになるかもしれない。そういうようなことば、日本側が一方できめることではなくして、一方でそういうことを思い込んできめなくて、双方話し合いをしてきめるというのだから、それでなめらかにいき得るわけで、そういうようなことは、私が最初に申し上げた、日韓の関係を今後どうしてもよくしようということについて御賛成ならば、少しはそういうことに熱心になっていただきたいと思うのであります。
ただ、不熱心で、これはどうも日本の国民感情だ国民感情だと言ってどなられても、国民感情もいろいろありますから、一つよほどこれは大きくそういうくらいな気持でなければ、お前のやったことは何もいかぬのだということでは解決しない。日本の漁夫をつかまえたのはいかぬ、それはわれわれがそう言っておる。お前日本の漁夫をつかまえたのはげしからぬじゃないか、こう言っておる。言っておるけれども、向うは、おれはおれの主権があって、裁判にかけてちゃんとやっておるのだと言う。それをしも、それはいかぬのだ、こちらの思う通りにお前言わなければけしからぬのだと言えば、向うから言えば、それは併合時代の考れ方であって、私は今独立しておるのだ、こう向うの言うことに何も不思議はない。そのくらいのことはこちらで十分考えて向うの立場も理解してやらなければ、親善を言う基礎が私はなくなってくると思う。どうか一つ、さような意味において、この日韓の関係を非常によく親善に導くというこの大事業にほんとうに御協力を願いたい、こう思うのであります。
○高瀬委員 だいぶ大臣からいろいろ御高説を拝聴いたしまして、よく了解するところがありました。しかしながら、私が国民感情を刺激すると言うのは、決してわれわれは感情的に申し上げておるのではなくて、漁民を帰すということについては、先ほども私が申し上げました通り、どうしてもこれは、それこそ日本の国民感情から、一刻も早く帰したい。たとえばシベリアにもまだ十年以上も抑留された者が帰らない。いろいろなことがございます。ロシアに対してはわれわれは堂々とやる。
ただ、この朝鮮に対しては、李ラインは一切認めるとか認めないとか言ったことはないとおっしゃるけれども、事実問題として、やはり漁夫の一部分しか、刑余者、刑期の終った者しか帰さないということを交換条件にするのでは、やはり外務大臣は李ラインを少し認めておるのじゃないか。
そうすると、法務省の方から言うと大臣は大きなことばかりおやりになっておるから、事務当局がどんな議論をされておるか、御存じにあるいはなっておると思いますけれども、詳しくは御存じない。
実際問題として、大村の収容所にある刑余者を釈放した場合に、朝鮮側が責任をもって、今後これらを引き取るというならば、今回だけはがまんしょうというのが法務省側の言い分のようであります。
私は別に法務委員なるがゆえに法務省側を支持するとか何とかというのではありませんけれども、もしそれがはっきり行われる保障も何もなければ、わが方の漁民は人質に向うに置かれてしまって、その人質を少しずつ小出しに出しては、抑留者をおっ放せおっ放せと言われて、これを釈放すれば、果して国内が欄乱されないかどうか、これは、過去の実績についても大臣はおわかりになる通り、ほんとうに問題である。
この点、いまだに外交と内政の調節が完全にできていないような状態でこれをおやりになり、しかもこれが日韓国交是正の基礎的条件になるがごとき感を与え、大臣もそういうふうにお思いになって私の説に反対だと言われるのですが、それじゃ、私は一つ伺います。
二の漁夫と大村の刑余者を交換しなければ、日韓の国交の是正は絶対にできないかどうかということと、また、それを前提条件にしなければ予備会談も何もできないのか、あるいは予備会談の中に――これは国会の決議もあることでありますから、当然李ラインの問題も含めて予備会談に一括して入れていいのだと私は思っているのですが、これらの点、いわゆる漁夫を交換するということが前提条件でなければ談判が全然開始できないのか、それをしなければ全然日韓の国交の是正は根本的にできないのか、一種の人質外交みたいな感じを与えている点は私はいなめないと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
○重光国務大臣 それは、ちょっとどうお答えしていいか私も少し迷うのでありますが、日韓関係の全面的の改善といべことはどうしてもやらなければならぬので、できるならばどれから始めてもいいと思います。だから、どれからでなければならぬとか、この問題をこうしなければならぬ、これが前提条件になるとかならぬとかいうことは、理屈から考えてみてもあるわけはありません。
しかし、ここに非常に考えていただかなければならぬ。それは、日韓の交渉をして大きな目的を達するためには、つまり両方の関係の親善を持ち来たして実現するということを目ざしておる以上は、その方向に向っていけるような実際的な交渉をやらなければなりません。それから、さらに加えて、私は、日本を代表してやっている以上は、日本の将来の利益ということを考えてやらなければならない。どの問題をまず取り上げて解決するのが全局の目的を達するのに一体一称いいか悪いか、さらに加えて、日本の利益を擁護するためにどの問題から取り上げるのがいいかということをはっきり頭に持って進めなければなりません。
だから、今お話しのような何が前提条件であるかとかなんとかいうことは、私には意味がわからないのであって、それはどこから始めても差しつかえございません。しかし、今私の申すような大きな考え方は、これははずしてはならぬと思います。交渉したけれども、交渉の目的の日韓関係を改善するということに反するような交渉のやり方をしては何にもなりやしません。
初めから李ラインだとかどうとか、李ラインなんぞをもってこれがいかぬとかいくとか言って交渉の上でちゃんちゃんばらばらやって、それでまた話が分れる、こういうことになるなら、これはやらぬ方がいいと思う。目的も何も達しやしない。
しかし、目的を達するためには、焦眉の急務である問題から取り上げて、空気を改善しつつ――あなたの言われる国民感情は、こっちもありましょう、向うにもありましょう。それもだんだん下火にして、下火にするというか、やわらげるようにして、そしてだんだん大きな目的を達するようにすべきが当然のことであり、これがまた日本の利益に合致するものであろうとこの場合は思うのであります。
そこで、私は、今さしあたって困っておる漁夫の問題、しかもそれはおおよそこうすれば解決の見込みが立つということがはっきり出できたのでありますから、これは当然取り扱うべきだ、それが日本の国の利益を代表しておる外交の責任だ、こう私は考えております。しかし、それだからといって、あとは全部無視してその問題に直進していいというわけではございません。
日韓関係を全体的に改善するために、李ラインの問題、むろんこれは取り上げなければなりません。それを取り上げ、それからその他の問題についても取り上げなければならぬ問題は数多ございます。これはやらなければならぬ。また漁夫の釈放の問題について、日本側の非常に取り扱いに不便なことというのは十分考慮に入れて、そして解決をしなければならぬ。これは当然でございます。私はそういう問題を無視してやっていけばいいというようなことは少しも申しません。これは、端的に申し上げれば、法務省あたりで従来取り扱っておりました苦心もありましょうし、技術もある。これは全部取り入れてやるつもりであります。
しかし、それならば四百名の従来おった者を全部韓国側が引き受けるということを言わなければこれはできないということには私は賛成ができない。韓国側が引き受けてくれればよろしいと言うことはよろしい。私は引き受けたがいいじゃないかということは言うのであります。しかし、それは向うが承諾しない。それだから、この際国土の問題などが根本的に解決しない前にそういうことを持ち出すことは順序を誤まっておる、そいつは実際的方法によってやろう、こういうことで私は行き得ると思う。それだけのがまんを一つ願いたい。日韓の関係は重要でございます。将来アジア問題を解決する端緒となる第一歩でございますから、十分御考慮を願いたいと思います。
○高瀬委員 だいぶいろいろ伺いましたから、あと一、二点でとどめますが、私は日韓関係の国交を是正することに反対しているのでは毛頭ないのであります。現に行われているロンドンの交渉におきましても、わが方の領土の問題のごときは、とうていだれが見たって今度の会談で妥結するなどと思っておる人はなかろう、おそらく重光大臣もその点はいかがかと私は思う。
ですけれども、この問題について特に私どもが問題にしておるのは、やはり刑余者とわが方の善良な漁夫と同じレベルで交換し、しかもその一部分しか帰ってこないので、また人質のような形で残される、こういう点であって、漁夫の家族の方にはほんとうに同情いたしますけれども、やはりわが方の権威もある。
日韓との親善ということはもちろん私は大臣同様日本国民として熱望しているものでありまするから、決して私はこれについて否認するものではありませんけれども、こういうような前提条件で一体果して本質的な解決になるかどうか。
たとえば、先ほど李承晩大統領の選挙における演説などを援用して――これを新聞記事だとおっしゃってしまえばそれだけでありますけれども、とにかくもニッポン・タイムスにちゃんと大きく載っているのでありますから事実であろうと思うのであります。そういう排日的思想を持ったアンチジャパニーズ・コリアン・ポリシーというのですか、これは私はひどいと思うのです。そういう人を相手にして、いわゆる大臣の日韓親善の熱意が果して徹底するかどうか。これでは日本の方は曲げて譲って、同一のレベルで扱えないものを扱って、あとでへんなことになってしまう。その点は、私は、日韓国交の根本的是正を熱望する一人として、いささか、与党の議員の一人としてではありますけれども、私は大臣と見解を異にするわけです。非常に妙な言い方をしますけれども。
そこで、私は最後に一つ伺いますけれども、ここで特に法務委員会として問題にしておりますのは、いわゆる外政と内政の調節の問題でありますが、法務省の方では、たとい今回それは大きな日韓親善という目的からなされた処置であったにしても、今後はこれらの問題について必ず朝鮮が刑余者を引き取るという保障がなければ国内の治安なり国法の維持ができないという意見があるわけで、その点はわれわれ法務委員としてもまことにもっともだと思っておるわけであります。ただ、そういう点について外務大臣はいかが御承知相なっておられるのか、その点を一つ伺っておきたい。
○重光国務大臣 今御質問の直接の問題に入られる前に、全局の問題について再び御意見の御開陳がございました。私と意見が違っておるというお言葉がございましたが、私から考えてみると、私の意見とほとんど違わないような御意見を表示されたことを私は非常に感謝をいたします。またそうでなければならぬと私は思う。
それから、日ソ国交の問題についていろいろ御懸念がありました。これは議論の外の問題でございます。しかし、こういう問題は非常に困難があるということについては私もその通りに認めます。しかし、あくまで、日ソ交渉にしても、日韓関係にしても、改善をしたいという熱意だけは持って一つ困難にぶつかっていきたい、こう思うのが今の心境でございます。
そこで、それならば日韓の関係は全部できるか。これはいろんな条件がありますので、そういうことを私は実は申し上げているのではないのです。これはむずかしいのです。いろいろなことがございます。それを一つあなた方と一緒になって日本の行く道を開いていきたい、こういう気持で申し上げておるのであります。もちろん、何もこっちの条件通りということを申す意向はございません。しかし、できるだけそれを実現していきたいという意向を持っておることを申し上げる次第でございます。
それから、今の必ず引き取るというのは、私は今後の問題であると思います。それは、韓国人であれば引き取る、これだけははっきりしておる。今後韓国人はすべて引き取る、こういうこと。
ただ、それじゃ、これは何と言うか、合併時代に韓国人じゃなかった、日本人であった、それを今後全部引き取るかといえば、それはこの国籍問題が解決しなければわからない。国籍問題が解決して韓国人であるということになれば喜んで引き取る、こういうことをはっきり言っておるのであります。
しかし、これは理屈上はそうなりますが、不幸にして戦争に負けて、韓国は独立したのであります。独立前は国境はなかったのでありますから、いろいろな問題がそこに起ってくる。それは今後の韓国との交渉によって処理しなければならぬ。その処理で初めてきまる問題であります。将来韓国人は引き取る、これはそう言っております。それだから、向うに韓国人でない者を引き取れと言っても、これはできぬというかもしれません。そこにまた問題がある。懸念がある。
しかし、私は、実際そういうことを両方の関係で見ますと、今後両方の感情がやわらいでよくなるということになれば、さよなうことも解決の端緒につき得ると思います。そういう私は見込みに立ってこれを進めておる。
それで、今回の問題でも、従来はほとんど問題にならなかったのです。それが、いろいろな関係、これは米国関係もあるのでありますが、そこで韓国側の気持がよほど変ってきたということを異口同音に申します。そうして話をだんだん進めていけば、そうむずかしい問題は起らないと思うということをみずから言うくらいであります。そうでありますから、やはりそういう空気の改善ということがすべての問題の前提であるということは争うことはできません。それから李承晩氏の発言についてお話がございましたが、実は、けさのタイムスですか、私は用事ばかりでそこまでまだいっておりませんが、それは十分検討して……。しかし、新聞記事などをあまり権威がある国会議員の皆さんがお取り上げになるということもどうかと思います。外務当局としてはそういうことに対処する十分の処置はとることにいたします。
○高瀬委員 あまり長くなりまして恐縮でありますが、それでは、今後は、大村の収容所における刑余者を釈放する場合には、漁夫とは関係なく、いかなる理由を問わず今後は韓国側に韓国人は引き取らせる、こういうことでよろしいわけですね。――それでは、大臣もそういうことにするんだというお話ですが、法務省の方の見解をちょっと最後に岸本次官に聞いておきたい。
○重光国務大臣 ちょっと私発言を求めます。この問題は閣議の了解を経て法務大臣とはずいぶん前から打ち合せをした問題であるのであります。最近は法務大臣は病気のために閣議に欠席をいたしておりましたが、前回から出ております。今日再びこの問題で十分閣議で説明をして了解を得ております。私は、閣議の了解を祷るときに、政務次官も出席をして、その問題を話したのであります。
将来すべての大村の韓国人を引き取るということを前提とする、これはできぬと思います。しかし、将来さような希望を日本側として先方に伝えることは、これはあらゆる力を尽して私はやろうと思っております。それを向うが認める認めぬは交渉の結果でありまして、これが順当な解釈であります。さようなわけでございますから、私はここで閣議の決定について十分責任をもって今までお話をしたわけであります。そういう細目についていろいろ事務当局に御質問があるならば、これは私に関係のないことであります。
○高瀬委員 実は、この外務省から発表された文書についても、特に韓人と書いてある。韓国人と言わないで韓人とある。つまりコリアン、これは一体北鮮人も含んでいるのかどうか、これだけ一言伺いたい。
○重光国務大臣 これはえらいこまかな点まで御指摘があって、私もいささか恐縮するのでありますが、実は日本語ではむずかしいのです。たとえば、日本に従来合併時代からいるのは、日本語で言えば朝鮮人であるということは言えますが、韓国人であるかどうかということが問題になります。
朝鮮人という言葉は日本人の間ではあまりょくないらしいのです。私は、従来、支那人を支那人と呼んで何にも悪いことはない、中国人と言うのはかえっておかしいから、今も支那人と言いますけれども、これはお話の通りコリアン。ところが、これを韓国人とこう言ってしまうと、ここで国籍がきまっているようになってしまって、少し正確を欠くということがございましたから、それじゃ韓人にしようじゃないか、コリアンでいいじゃないかということでしたのであります。
○高瀬委員 そうすると、北鮮人もこの中に入っているわけですね。
○重光国務大臣 これは、われわれが言ういわゆる朝鮮人というものすべて、こういうふうな考え方です。
○高瀬委員 それでは、その点については、この点は実は私にとっては非常に重大なのですけれども、いずれ当委員会において伺うことにいたしまして、私は、日韓関係の親善、国交の回復ができればわれわれの考えているような方法で適当に樹立されることを希望するわけなんです。重光大臣は高瀬の言うていることとおれの言うことと全然変っていないとおっしゃいましたが、多少やり方について私のやり方は変っているわけですから、その点も一つ御参考にして、ぜひ正常な国交回復をせられるよう念願いたしまして、質問を終ります。
○高橋委員長 武藤運十郎君。
○武藤委員 われわれ社会党といたしましては、日韓関係の正常な回復、それからいろいろな問題、ことに抑留者帰還というようなことについて、一日も早く解決をしたいという点については、何人にも劣るものではございません。
しかしながら、外交というものは、私は筋を通さなければならないと思うのであります。今大臣の答弁を囲いておりますと、何でもかんでも何とかなるだろうというようなお言葉に弾くのでありまして、そういうことでは、いわゆる無原則な妥協といりものが出てくるだろうと思うのであります。外交というものは、やはり国際法にも従い、国際慣行も考えまして、その線の上に乗って行わなければならないと思うのであります。この日韓関係につきましては、すでに言論機関などにおきましても、非常に無原則な交渉である、筋が通っていないという批判があるのであります。われわれも同じように考えております。
たとえば、まず第一に、李承晩ラインの問題でありますけれども、今高瀬君の質問に対して、李承晩ラインは認めたような認めないような――認めないのだという御答弁のように聞えます。
しかし、この李承晩ラインというものは、外務省が、さきに大臣の言葉にもありますように、抗議に抗議を重ねておって、はなはだ不都合なものだということが言われておるのです。もし、この李承晩ラインが――私どもはそう思いますが、国際法上不当なものであるということになりますれば、韓国側が、これを侵したという理由によって抑留をし処刑をすることは、間違いだと思うのです。もし李承晩ラインが国際法上あるいは慣行上正当なものだということになれば、反対に韓国の行なった日本漁夫の抑留、逮捕あるいは処刑というものは正当なものだということになると思うのです。
私どもの考えでは、やはり外務省と同じ見解でありまして、この李承晩ラインというものは不当なものだ、不法なものだと考えておるわけであります。不法であるということになれば、抑留、逮捕ということはありませんし、また処刑ということもないと思うのです。処刑ということが不当だということになりますれば、刑期というものはないわけです。刑期がなければ、刑期が満了したとか満了をしないとかいうことは出てこないと思うのであります。こういう点は明確にしなければならぬと思うのであります、
一体外務省はこの際李承晩ラインというものを認めておるのか認めないのか、もし認めないとすれば、なぜ刑期満了というよりな問題について外務省が了解を与えたのか、その点をまず第一に伺いたいと思うのであります。
○重光国務大臣 李承晩ラインを認めないのだ、認めなければ、それを侵したからといって処刑されるわけはない、こういうわけであります。そうならば、漁夫の抑留とか日韓関係の交渉ということはいらぬはずであります。
あなたは今筋が通らぬと言うが、あなたの御議論は私には少しも筋が通らない。一体朝鮮の独立ということは認めないのですか。私は朝鮮の独立ということは認め、独立国が独立国としてやったということを主張する以上は、これは外交交渉になります。それが筋だと思います。その筋が意見が違うかもしれない。意見が違う場合においては、意見を十分戦かわすべきだと思い間す。だから、向うと交渉するから李承晩ラインを認めたのだというような結論を下されることは、筋も何も通らぬ話だと思います。
われわれは李承晩ラインは認めておらぬ。おらぬからこそ、今までも交渉し、これからも交渉しなければいかぬ。できならばこれは国際問題として取り上げたいと考えているのです。これが私は行くべき筋だ、こう思っておるのであります。さような方向で私は進めていきたいと思っております。
○武藤委員 私は独立国としての韓国との交渉を反対するものではないのです。そうではなくて、その行き方において、すでに刑期満了をした漁夫を送還するということであれば、李承晩ラインは認めたことにならないかということを言っておるのです。別に韓国を独立国として認めないということを言っておるわけではありません。
あなたの議論を聞いておると、たとえば、重光さんに――これは大へん失礼な話ですけれども、重光さんに対して貸し金がある、債権を持っているんだから金を返してもらいたい、こういう要求がかりにあった場合に、重光さんは、私は借金はないけれども金だけは返しますよ、金は払いますけれども債務を認めたものではない、こういうようなことが通りますか。そういう筋の通らない交渉はないと私は思うのです。
私は交渉そのものを否定しているのではないのであって、交渉の方法なり過程なり、よって立つところの根本原則というものをなぜそんなに曲げなければならないかということを言っておる。債務は認めない、金だけは払うということがありますか。また、金だけ払っても債務は認めないのだということを言いますか。こういうことは、国際法とか国際慣行の問題だけではなくて、外交のイロハであり常識ではないかと思うのです。
○重光国務大臣 日韓の重要な国際問題について非常に変な個人的な例を引かれた。これは何のためですか。私は、そういう例は何にもあてはまりもしないし、筋も通っていないと思います。私は、日韓の間において問題があれば、国際間においては、たとえば国際司法裁判所に訴えるとかなんとかして、公平な国際法の裁判があってしかるべき問題であって、それはそれでいいと思うのです。
しかしながら、韓国が日本側の正義として主張する点を認めない、認めさせないのは筋が通らぬと言う。私も日本側の主張が正しいと思う。正しいと思うから、あくまでこれはしなければならぬと思う。しかしながら、韓国が独立国として同じ見解をとっていないということは、これは認めて差しつかえないと思う。そうでなければ外交交渉はできない。一方的にやろうといえば、それは戦争になってしまう。それが国際法上の筋であり道である。それをやって交渉をしようというのに御異存もないようだから、それをやるのは当然のことであります。債務を認めるとか認めないとかいうのは、何のことかわけがわかりません。国際法というのはそういうものだということを私ははっきり申し上げておきます。そうして、交渉に移して、日本側の正しい主張をあくまでも通すように努力をする、こういうことが道だと考えております。
○武藤委員 今大臣の御答弁を伺っておりますと、独立国は何をしてもいいということになると思う。大体、韓国が独立国としてやったことは認めなければならぬ、それを反対する見解は反対の見解であってやむを得ぬという御趣旨のように聞えますけれども、そういうことになりますと、日本は日本で重光ラインをしいてもいいということになり、それを認めないのは向うの見解が不都合だということにもなるのではないかと思うのです。
やはり、外交というものは国際法上の慣行の水準に従っていかなければならないのであって、幾ら独立国でありましても、慣行や国際法を無視して、独立国だからこういう主張をしても当然なんだということにはならないし、それをまた、それは仕方がないのだということで相手の国が受け入れなければならぬということでありますならば、国際法上の外交のルールというものはなくなると思うのです。
あなたはいろいろ詭弁を弄しておられますけれども、とにかく、刑期が満了した者を釈放する、引き取るということは、根本においてやはり一応李承晩ラインというものは正しいものである、国際法上韓国がこれを主張したのは一応認めるという立場、その前提に立たなければ、刑期満了という問題は出てこないのではないですか。私はあなたの詭弁には承服することはできません。もう一ぺん答弁をして下さい。
○重光国務大臣 私の申すことが詭弁と言われる。その御批評は私は受けるわけに参りません。私から申しますれば、あなたの方が詭弁だと思うのです。しかし、そういう議論をここで言っておってもしょうがございませんから、私、はっきり申し上げますが、李承晩ラインは認めないのです。日本側の立場としては認めないのでありますが、その認めないということを、なるほどその方がいいのだということを韓国側に承認せしめるだけの努力を今後払わなければ、一方的にこれを言ったって解決はつきません。そこで、その努力をいたしておるわけであります。
そこで、漁夫を帰してもらったら李承晩ラインを認めたことになる、また半ば認めたことになる、これは私はどういう論法かわからない。認めないということをはっきりして、漁夫だけは帰してもらうということは、実際的の処置として、人道上の問題として、これはやっても差しつかえない問題である、私はそう考えます。そういうことが悪ければ、全部交渉はできないことになりますから、私は、悪いことじゃない、いいことだと思ってやっておるわけであります。そういうことで一つ漁夫は帰すようにしていただきたい、こう思うのであります。
○武藤委員 その問題はとても話になりませんから、次の問題に移ります。
金公使とあなたと交渉をされたときに、大村に収容されておる朝鮮人を引き取ることはできないということを言われたようでありまして、あなたがそれを了解されたようですけれども、その引き取らない理由というのは、韓国の国籍がないから、国籍が不明であるからという理由であったように聞いておりますけれども、その通りでございますか。○重光国務大臣 どこから聞かれたか知りませんが、そういうことはございません。私と話をしたのは、大村におるのを引き取るとか引き取らぬとかいうようなことは全部あとの実際的方法にまかしていこう、こういうことで、実はそうした方が一番双方の合意するところに達すると思ってそうやったのであります。引き取るとか引き取らぬということは、まだそこに出てこないのであります。この次の実際的方法によって協議をするときに、いろいろ話は起り得るかと考えます。
○武藤委員 さきに高瀬君からも質問なされたようですけれども、ほんとうのことを言ってもらいたいのです。国籍の問題については何か議論があったに相違ないのです。もしそうであるならば、コリアンという言葉を使う必要はないんであって、明らかに韓国人ということにしたらよかろうと思うのです。
何か韓人というような訳をされておるそうですけれども、韓人というふうなあいまいな言葉でとりきめがなされておるように聞いております。そこが問題だと私は思うのです。どうしてもはっきりしなかったならば、これは交渉にならぬと思う。もし韓国が、大村収容所に収容されておる朝鮮人を韓国人であるということを認めないならば、どういう根拠に立ってその釈放を求めるのか、自分の国の国民でない者に対して釈放を求める理由はないではないか。内政干渉になるではないか。それをこちらが釈放するという了解を与える以上は、韓国人であることを前提として、その要求に応ずるのではないかと思うのです。
この点が、今の大臣の答弁では、はなはだぼやかされておるか、あるいは事実を言っておらないと思うのです。大村収容所の朝鮮人は韓国人とするか、韓国の国籍を認めないか、こういう問題が必ず起ったに相違ないと思うのであります。その結果韓人というようなあいまいな言葉で表現されたのではないかと思いますけれども、その点はいかがですか。
○重光国務大臣 その点は先ほど御説明を申し上げた通りであります。そういうことに関して、いかにも事実を曲げて言っておるとか、また私がいかにも虚偽の陳弁でもしておるかのごとく言われますけれども、そうではないのであります。私は全部ありのままに申し上げておるのであります。
従来、日韓合併時代において、国籍の問題は、その当時は韓国人ということではなかった。みんな日本人であった。それらの人間がしかし将来韓国人になることがあり得べきことは当然のことであります。
そこで、韓国人になればみんな引き取る、こういうのです。これは筋は何も違っておることはないのです。
しかしながら、韓国人ということに全部今正式の外交文書にきめてしまうことはできません。そこに問題がある。その問題は将来本交渉にはっきりきめなければいかぬ。日韓の条約をこしらえるときには、第一に国籍の問題ははっきりきめなければならぬ。また別に国籍条約というものもあり得る。そのときにはっきりきめなければならぬ。
しかしながら、将来韓国人となることがあるべき人間について、外交上、拘禁しないで釈放してくれということはあり得ることで、それを釈放するとしないとはまた別問題で、実際的方法についてよく検討をしていけばいいことなんであって、筋が少しも通っていないことはないと私は思っております。
(質疑を早く終われという委員長と武藤議員のやりとり 略)
○高橋委員長 武藤君、はなはだ恐縮ですが、外務大臣の方を早く済ませて下さい。
○武藤委員 それじゃ外務大臣に伺います。今、韓国籍の問題について、はっきりきめないで、あとできめるようなお答えでありましたけれども、私はこれはどうしてもはっきりきめなければまずいと思うのです。
法務省の方の見解として伝えられておるところを見ますと、とにかく、この際、大村に収容されている者は韓国の国籍を明らかにすること、第二には、今後入所の刑余者も韓国で必ず引き取るという条件をつけてもらいたいのだということを言っておられるようであります。これはもう当然過ぎるほど当然のことでありまして、外務省の方としてはこれを受け入れてこの立場に立たざるを得ないと考えるのでありますけれども、外務省の見解はいかがですか。
○重光国務大臣 この問題を閣議で決定するときに、法務政務次官が私に、大村に収容しておる者を将来韓国人として向うに引き取ってもらうことを向うに承諾させることが法務省の希望である、こういうことを言いました。私は、それは今はできぬことだと言ってお断わりしました。
何となれば、今国籍の問題をきめるということは、これは国籍の交渉を経なければきまりませんから、これは間に合いません。しかしながら、これははっきりと私は引き受けました。
それは、大村におる韓国人が韓国人であるという法務省の建前はあくまで私は主張しょう、この主張は日本の主張として外交交渉のときにしてみよう、しかし、韓国が今すぐその通りだと言う言わぬは、これは私今承諾する限りではない、それは主張はしてみよう、こういうことは言いました。それはむろんその意味だという政務次官の話があって、それならばそれはやってもよい、こういうことで、法務省の考え方はその通りに了解して私は今日まで進んできておるのであります。国籍の問題は大きな問題でありまして、その問題を解決するために交渉をそこにするときには、なかなかこれは時日を要して、漁夫の救出も急にはできぬものでありますから、これはいわゆる本交渉でやる、こういう建前をとっております。
○武藤委員 国籍を明らかにしないままで釈放するというようなことになりますと、また、法務省からも発表されているのを見ますと、とにかく収容された刑余者は前科何犯という人が多いのでありまして、また犯罪を犯すおそれがあると思うのであります。そういう場合に、国籍が明らかになっていないとまた送還問題がきまらないということになると思います。
新しく収容する者についてもやはり韓国で引き取るということをはっきりしておかないならば、李承晩ラインというものを理由にして逮捕をしてはそれと交換にというようなことになって、いつまでたってもこれを韓国に送還することができない。今収容している者はもちろんでありますけれども、今後収容した者も韓国送還の要求を国際法並びに慣行に従ってすることができないだろうと思うのであります。
そういう意味で、どうしてもこの際韓国の国籍を明らかにすること、それから、今後入所の刑余者は韓国で引き取るというようなことについて、交渉の際希望として話だけはしましょうというようなことではなくて――私は何も法務省の見解を代弁するわけではありませんけれども、それは当然のことであろうと考えるのであります。この点をもっと明確にしなければならないと思いますが、外相の決意を承わりたいと思うのであります。
○重光国務大臣 交渉のやり口について今御意見が述べられましたが、私は目的を達するために最善を尽したいという考え方で先ほどいろいろ御説明を申し上げました。しかし、お考えも一つの貴重なるお考えでございますから、それは十分参考にしてやりたいと考えます。その通りにやるというお約束を今いたしかねることを遺憾といたします。
○武藤委員 そういたしますと、結局は、政府部内におきましては法務省の見解とか外務省の見解とかいうことでなしに統一されておるというふうに承わってよろしいでしょうか。
○重光国務大臣 さようでございます。
○武藤委員 日韓関係については、李承晩政権というのは横車を押すことは今まで再々でありまして、これとの交渉はなかなか大へんだと私は思うのです。しかも、重光外務大臣がはなはだもって弱腰でございまして、私どもの納骨できないようなやり方であると考えます。
ことに日韓関係につきましても非常にあせっておるように考えられます。これは日ソ交渉が失敗に帰したということについての埋め合せをこちらに持ってこようというようなお考えがあるのかもしれませんけれども、日韓関係は、李承晩ラインの問題はもちろんでありますが、国交正常化の基本的な条約の問題、あるいは今申しました国籍、処遇の問題、財産請求権の問題というように、まだ問題が非常に多いと思うのでありますけれども、外務大臣のような無軌道、無原則な、何でもとにかくやってみようというようなことでは、必ず失敗をすると私は考えます。
相子はなかなかそういうふうなことできまりがつくような相手ではなかろうと思います。今重光・金会談で取りきめをされたそうであります。しかも、その取りきめのうちには、先ほど来指摘しましたように、はなはだ筋の通らないのみならず、日本がほとんど韓国側の要求を無条件で受け入れた、のんでしまったというような取りきめのように思います。こういうふうな弱腰の、自主性のない取りきめをして、そして、これはしかし日韓関係を正常化するためにはやむを得ないのだというような御見解が響いておると思うのでありますけれども、こういうふうな譲歩に譲歩をしておって、これで日韓関係の正常化の条約が必ずできるというお見込みでありますか。
もしできるかできないかわからないのにこういうふうな譲歩をしたということになりますと、はなはだもってこれは問題だと思うのであります。また、もしできなかって場合に、このような筋の通らない譲歩をしてしまって、その責任はどういうふうなことになるのか、この点について最後に外務大臣の意向を承わりたいと思うのであります。
○重光国務大臣 いろいろ御質問に対して、私はでき得るだけの材料及び誠意をもってお答えしてきておるわけでございますが、御了解を得る点が少しもないようでございます。すべて私の言うことは無軌道であって、むちゃくちゃに軟弱外交である、こういう御批評でございます。そうなると、御批評は御批評として伺わなければなりません。果してそうであるかどうかということは、一つ天下公論に訴えてみるよりほかにしようがございません。
私の言うことは無軌道でもなければ何でもない。そういうふうに進んでいくことが日韓将来の親善関係を回復する最も現実的な実際的な方法である、私はこう信じて参っておるわけでございます。しかし、これについて私はだれもの批判を制肘するわけにはむろん参りませんし、またその意向はございません。最善を尽していきたい、こう考えております。それが私のやらなければならぬ仕事であると考えておる次第でございます。
○武藤委員 私の質問に答えておらない。こういうふうな取りきめをしたけれども、これで日韓関係の正常化ができるかどうかという見通しを聞いておるのです。できなかった場合に、こんなに譲歩してしまってその責任をどうするかということを聞いておるのであって、やってみなければわからないというような、そういう答弁は責任者の答弁ではないと思うのです。もう少し明確に答弁してもらいたい。
○重光国務大臣 私は明確に答弁しております。それが私の責任を果すゆえんだ、こう考えております。この交渉は最善を尽しても必ず成立する、こう、今日断言するわけにはいきません。もしそういうことを責任者の口からどんどん言ったならば、これは交渉について決して有利な言論ではございません。そういうことは私は申しません。ただ、今まで申し上げたような大体の順序、心構えでもってあらゆる努力をしてみたい、それが私の責任を果すゆえんだ、こう考えております。
○高橋委員長 志賀義雄君。
○志賀(義)委員 差し迫った実務的な問題で、しかも人道上ゆるがせにできない問題について外務大臣に質問いたします。
それは、十七日に舞鶴を出る船「こじま」に乗せて朝鮮民主主義人民共和国へ帰してくれという希望者が九日から東京芝の日赤本社前ですわり込みをやっておるのであります。平壌会談の結果、朝鮮民主主義人民共和国から日本人を帰してもらうのですが、こちらからこれを帰すことについてどういう差しつかえがあるのかという点は、一問一答をやる必要はありませんが、外務省の言われるところでは、たしか、朝鮮で取りきめたのは日本人を帰してもらうことで、こちらが帰すことは取りきめをしなかったというのが一点、もう一つは、李承晩政権の方で日本から朝鮮人を乗せていくことを承知しないから、この二つの理由があげられておるのであります。
一体、大村収容所にいる朝鮮人にしても、朝鮮民主主義人民共和国に帰る希望を持つ者も、これは出入国管理令の五十三条によって本人の希望のところに帰すことになっておるのでありますが、外務大臣としてはそれを認められるのかどうか、その点について御答弁願いたいと思います。
○重光国務大臣 お答えします。それは今後双方の当局者において実際的方法について打ち合せをいたします。その打ち合せによってきまることだと考えております。
○志賀(義)委員 その打ち合せをしておるのでしょうか。
○重光国務大臣 まだそこまでいかぬようでございます。これからぼちぼちやります。
○志賀(義)委員 どうも、李承晩の方で横やりを出すと、すぐそれには従われるようでありますが、向うから帰してもらう、こちらから帰す、これは人道上から言っても当然のことで、外務大臣としてもその点について十分考慮されてしかるべきであろうと思うのであります。この際国際赤十字あるいは第三国の船で送るという方法を講ずれば、このことはできるのじゃないでしょうか。そういうことを現にやっておられますかどうか、その点についてお答え願いたい。そういう点を考えておるかどうか。
○重光国務大臣 済みませんが、質問のポイントだけをおっしゃって下さいませんか。
○志賀(義)委員 私はごく簡単に要点だけを言っておるのですから、よく聞いて下さいよ。とにかく、向うから帰してくれるというのですから。あなたは最初に相手が無法者でもこれと交渉するのが外交だと言われた。相手が帰してくれるというのは、これは向うの好意もあります。それなら、こちらも帰すということを考えなければならぬが、李承晩という無法者にあなたもだいぶ手をやいておられる。そこで、ここに一つの方法として、今「こじま」に乗せると李承晩が安全を保障せずに禽捕するということがあるならば、それを押し切ってやって保障をつけるには国際赤十字の方の協力も必要でありましょう。そういうことを考えておられるかどうか、それができなければ国際赤十字船でやるということを考えておられるか、また第三国の船でやられるということを考えておられるか、またそういう方法を現にとっておられるかどうか、この点をお答え願いたい。
○重光国務大臣 今の現実問題はこじま丸の問題であります。こじま丸の問題は、御承知の通り、今赤十字社がこれを管理していこう、こういうわけであります。それに例の政府コンダクト、安全保障をまず取ろうというわけでありますから、それを取って行くことが一番手続上当然のことで、そうして一番安全な方法をとらなければなりませんから、それでやっておるわけでございます。それはそれでいいと思う。しかし、その政府コンダクトを取るためにいろいろな条件があれば、これは赤十字社の方でそれを聞くよりほかにしようがないと私は思います。しかし、とにかく早くやって、そうして日本の抑留者を帰してもらいたい。
○志賀(義)委員 あなたの方で早くやっておられるかどうか。
○重光国務大臣 それはやっております。それは促進しておるわけです――いや、向うから帰してもらうことを促進しております。
○志賀(義)委員 これではどうも与党の高瀬君も手をやかれるはずだ。自分の方だけ都合のいいようにやって、向うの都合をはからない。こんな外歩はないでしょう。これでいよいよ期日が来てこじま丸が出て行った場合に、あとはどうなりますか。あなたは力ずくで向うから日本人を乗せて帰るという方針をとられるかどうか。それができますか。それを無理押しにやられるかどうか。
○重光国務大臣 とんでもない飛ばっちりを受けましたが、いや、もうそれは力ずくで帰さそうとか何とかいうことじゃございません。赤十字がこういう問題を扱っておるので、赤十字にすべてそういうことを取り扱わしておるわけでありまして、その取り扱わせることを外務省は促進しておるわけであります。
○志賀(義)委員 もう一問だけ。そこで、今のようなことをやっておられたら、向うに行ったときに大へん工合が悪くなるのです。これはもうわかり切ったことなんです。だから、現実にすぐ次の手を打つようにやって下さいよ。実は、打ちあけ話のところ、法務省の方でもそこで手をやいておる。だから、一つ野党の委員にも頼むから、何とか外務省がしりを上げてそれをやるようにやってくれと言われるのですよ。もう一つの問題は、大村の収容所にいてまだ国籍を明らかにしていない人もいるのです。これは直接法務省が関係しておりますが、今後、これが、あそこで今のようなまるで暗黒状態かなくなれば、いろいろと自分の帰りたい国を、朝鮮民主主義人民共和国あるいは大韓共和国かをはっきり言う人が出るでしょう。
今後次々にそういうことを言う人が出てくるのであります。ここで、こじま丸を、無理に朝鮮人を乗せないで、帰国希望者を乗せないでやって、向うでまたもめて、そのときになって、今度は国際赤十字ということになると、あなたの面目まるつぶれになるから、今からおやりなさいと申し上げておきます。そのお心組みがおありになりますかどうか、それだけを最後に伺っておきます。
○重光国務大臣 大村収容所におる……。
○志賀(義)委員 その方はいいです。とにかく、向うに行って面目まるつぶれになっちゃ、あなたもお困りだろうから。
○重光国務大臣 面目はまるつぶれにならぬと私はお答えしましょう。御心配はないと申し上げておきましょう、
○志賀(義)委員 それではお手並みを拝見しましょう。
○高橋委員長 猪俣委員。
○猪俣委員 ただいま大臣の答弁で少しはっきりいたしませんところがありましたのは、この大村収容所の韓国人を国内に釈放する、それと引きかえに皇捕せられておりまする漁師を帰してもらうということであります。このことは閣議に正式に決定せられましたものであるか、ただ何か申し合せみたいなことか、あるいは法務大臣にただ耳打ちして了解を得たという程度のものであるか。法務大臣は御存じのように病気で、しかも高血圧で入院したというような人なんです。出てきたばかりにちやかちゃかとやられたのでは、はっきり判断ができたかどうかわからぬから、そこで、この法務省側の憂慮する点――これは私は非常に筋道が立っておると思うのです。しかし、それは、今あなたがおっしゃったように、韓国との全体の外交調整のためにはまた必要な点もあると思いますが、いずれにしても鳩山内閣の責任においてやらなければならぬ。そこで、これは正式な閣議決定をされたものであるかどうか、その点を伺いたい。○重光国務大臣 正式、不正式ということはございません。閣議でこれはきめたことでございます。
○猪俣委員 閣議できめたといたしますと、いつきめられたのですか、及びそのきめられた閣議の範囲はどういう条項まできめられたのですか。○重光国務大臣 この問題が閣議に持ち出されたのはずいぶんたびたび持ち出されました。持ち出されましたが、これが閣議できまったのは三月の三十日でございます。そのときには法務大臣は欠席でございました。そこで、私は、特に法務大臣にその前に面会をして打ち合せをいたしたいと思いましたが、話をすることができませんでした。そこで、政務次官がかわってこの閣議の席へ出席をいたしました。なお、今日は法務大臣も出席しておるので、さらにこの問題を再び持ち出して、この通りに一つやろう、こういうことに再確認をいたしておるわけでございます。
○猪俣委員 そうすると、三月三十日に正式に一回、本日また一回再確認をされて、閣議の決定事項になっておる、こういう御答弁でございますが、さよう承知いたしておきます。
それから、私は実は十ばかり外務大臣におただししたいことを用意したのでありますが、これは月曜日に回すことにいたします。ただ、宿題として私どもあげ足をとったり言質をとったりしたくないので、責任ある御答弁をいただきたいと思いますので、宿題を申し上げておきたいのは、韓国の軍隊かどうだか知らぬが、いわゆる李ラインを越したものなりとして日本の漁船を拿捕することは一種の侵略行為じゃなかろうか。国際公法の教えるところによれば、侵略とは国土に対するのみならず国民に対する不法な攻撃も侵略だという定義になっておる。そこで、これが侵略だということになると、これは一体日米安全保障条約の前文に触れることじゃないだろうか。
すなわち、アメリカがかような行動は積極的にとめるべき責任があるのじゃなかろうかという点であります。これを一つ御考慮願いたい。それから、いま一点は、沖縄の人権問題について月曜日にはお尋ねしたい。毎回私はこれを申し出ておるのでありますが、外務大臣がおいでになりませんが、沖縄の人権問題について、大村収容所の問題のほかにお尋ねしたいことを予告いたしまして、私、終りたいと存じます。
○高橋委員長 本日はこれにて散会いたします。 午後一時三十二分散会
このやり取りを通して日本全体が、李承晩大統領は無法者で、李承晩ラインを認めず、大村収容所に収容されている朝鮮人の処分に苦慮していた様子がわかりますね。
要するに、韓国の日本の漁夫を人質にした「人質外交」にやられたんです。
結局、野党は採決に反対したんですけどね
《朝日放送の倉庫に眠っていた「秘蔵映像40年前の竹島」映像。日韓条約強行採決の様子 【ムーブ】》2015年02月21日
・・ウィキ によると、日本の左翼政党が猛反対その反対理由に笑っちゃいますけどー
反対運動[編集]
条約締結に際し、日韓両国で激しい反対運動が起こった。韓国では南北分断が固定化され、冷戦に日本が巻き込まれることで、「日本の平和」が奪われ、日本が戦争に参加するようになるとして批判された[10]。
1965年8月14日、韓国国会は条約批准の同意案を可決した[31]。日本での反対運動は学生活動家や旧社会党などによって展開された[注釈 3]。そこでは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を無視した韓国との単独国交回復に反対するものが主であった。これは、当時の社会党、共産党などは、北朝鮮を朝鮮半島の唯一正統な政権と認識していたからであり、韓国を唯一正統な政権と認める本条約は受け入れがたい内容だったからである。
結局、衆参両院の日韓特別委員会に於いて与党の自民党がこの条約の委員会採決を強行。本会議でも自民党と民社党のみが出席(他党は審議拒否)して条約の承認を可決した。
一方で韓国側の反対運動は感情的な反日論特に歴史認識、請求権、李承晩ライン破棄等で、韓国側は従来の主張を大幅に譲歩させたためこれに対して「売国奴。」「豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の日帝侵略の償いをはした金で許すのか。」「屈辱的譲歩。」というものが大勢ではあったがその他にも朴政権【当時の朴政権は軍事独裁政権であった。
(中略)
なお日本の左翼はこの時点ではさほど韓国には肩入れしておらず、前述のように北朝鮮を朝鮮半島の正統な政権と認識する前提で、あるいは少なくとも南北対等の前提で反対していた[要出典]。そのため、後年のような歴史認識の相違等は主たる反対理由にはしていなかった[要出典]。韓国側は最終的に戒厳令を敷いてデモを鎮圧している。
で、韓国は日韓条約の交渉中に何度もゴネて、たびたび中断し、締結までにナント14年の歳月を要しました。例えば、真実を言った久保田発言を取り消せ言ったり
《「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その1 【NHK】 (再)》
日本と韓国の14年間に亘る、凄まじい交渉の様子や、韓国人の証言、交渉した人達の証言などなど(ただし、徴用された韓国人と慰安婦の証言は信憑性が薄いし、ナレーションも突っ込みどころアリ)
流れ的には、韓国政府のネコババが分かりやすく、良い番組だったと思います。
政権末期になり、また慰安婦問題を蒸し返してきた韓国・・(呆)
日韓条約で完全に解決済みのため、全くの韓国国内問題だという事を再確認するためと、とにかくスゴイ動画のため消されないか心配で^^;、頑張って文字起こししました(青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)
(中略)・・一方、国土全体が戦場となった韓国の経済は最悪状態が続いていました。
軍事費が財政を圧迫し、アメリカの援助に頼る経済状態が続きました。
第1次会談の直前からイ・スンマン大統領は日本に対して強硬な政策を打ち出していました。
(朝日ニュース) 李承晩ライン問題
「遥かに朝鮮半島を望んで果てしなく広がる海原。この自由な公の海上で、しばしば日本漁船に対する不法事件が繰り返されており、日韓の海を遮るリショウバンラインが一方的にされているのです。」
イ・スンマン大統領はリショウバンラインと呼ばれる境界線を設定しこれを超えた日本漁船を拿捕しました。国家の防衛と漁業資源の保護がその理由でした。
日本では、激しい抗議の声が巻き起こりました。
(つづく)
次は、久保田発言を巡る紛糾の様子や徴兵・徴用された韓国人の証言・李ラインの事などです。・・
関連記事
《竹島が日本領である理由! 李承晩ライン・不法占拠で44人の日本人死傷、韓国側の3つの根拠 【朝ズバッ!】》2012年08月24日
その翌年、1952年(昭和27年)韓国側は一方的に軍事境界線を引く・・・イスンマン(李承晩)ライン
李承晩大統領は日本漁船の侵入も禁止した。
更に2年後 竹島領有宣言し不法占拠が続いている。
日本漁船に対して容赦なく発砲し、拿捕200隻以上 抑留4000人 死傷44人・・
結局、中央日報の記事は、2003年に韓国に帰化した日系韓国人の保坂祐二さんが、また都合よく一部切り取ったものでした(;一一)
しかしこの度は、保坂氏のトンデモ主張によって、貴重な資料を読むことが出来たので一応感謝しなくちゃ
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
昨日の産経新聞に「朝鮮総督府、100歳生き証人」の記事が出ました。
西川清さんは、3年前に安倍総理に手紙を書かれて話題になっていましたが、
日韓のマスコミは、どうして元慰安婦の証言は取り上げるのに、このような日本の貴重な証言を無視するのか? もっと大々的に報じるべきではないのか?とずっと思っていました
日韓条約の交渉の際、韓国側は事実を述べただけの「久保田発言」を「妄言」と断じ、その後4年半も中断したわけですが、それを糾弾したのも朝日新聞でした・・
つまり、韓国側が書いたシナリオ通りに歴史修正しようとしていて立ち往生していたわけです。
現在、「従軍慰安婦のウソ」に振り回されて膠着状態の「慰安婦問題」とかぶりますね。
今日はその辺をまとめてみました。
まずは、昨日の産経新聞の記事から(画像を添付、文字加工)
「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府〝100歳生き証人〟が語る「強制」の虚構、事実ねじ曲げに憤怒2015.11.16
慰安婦問題をめぐり韓国が「歴史戦」を仕掛けてくる中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)=和歌山県田辺市=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。11月上旬に行われた日韓首脳会談では、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題の交渉加速化で一致した。しかし、朴大統領は問題が日韓関係改善の「最も大きな障害物」と指摘しており、日韓の隔たりは大きい。昨年、朝日新聞が慰安婦に関する記事の一部誤報を認めたが、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦像が設置され、今も誤解が根強く残る。
韓国側の反日攻勢に対し、当時を知る官吏の貴重な証言は、〝慰安婦狩り〟のような事実がなかったことを改めて示している。
平穏な日本統治時代
セピア色の古ぼけた写真。満開の桜の下で肩を組む男性4人が写っている。「80年もたってこんな状況になるとは、当時露ほども思わなかった」。西川さんは見習い官吏だった若き日の写真を手に、ため息をついた。
写真は昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。職場の同僚と行った花見の際の記念写真で日本人と朝鮮人が2人ずつ納まり、うち1人が西川さんだ。8~20年に総督府に勤めていた。
「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」
正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる府と郡、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。
「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」
歴史をゆがめた「河野談話」
韓国側は「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」などと主張している。この誤った慰安婦強制連行説は、証拠資料や信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。
西川さんは「併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定。「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」と証言する。
西川さんは昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。
西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、さらに郡、邑、面に降りていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」と証言している。
「事実と異なる歴史像」元官吏ら2人も反論
「女子の強制連行があったような兆候を感じたことは一度もありませんでした」。元朝鮮総督府江原道地方課長で、「慰安婦強制連行はなかった」の著書がある大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんは生前、こう述べていた。
大正6年に朝鮮で生まれ、「戦前・戦時中を朝鮮で過ごした者の体験」として「慰安婦強制連行」を一貫して否定していたのだ。
「もしも万を数える女性の強制連行があったとすれば、その何倍の目撃者がいるはずだ」。平成15年の月刊誌「正論」3月号の紙面対談で大師堂さんはそう指摘している。強制連行が事実なら、住民の間に深刻な動揺と反発が起きていただろうが、実際は「発生したはずの(抗議運動といった)事象は何ひとつ起きていないのです」と断言していた。
《平和でのどかな農村にある日、突然日本軍が乗り込んできて無垢(むく)な娘たちを無理やり軍用トラックに押し込んで連れ去り、慰安婦にした》
韓国側が主張する慰安婦の強制連行は非人道性がことさら強調され、海外でもこうしたイメージが広がっている。
しかし朝鮮総督府の元警察官僚で、戦後に埼玉県警本部長や大分県副知事を務めた坪井幸生さんも生前、大師堂さんとの対談で韓国側の主張を真っ向から否定していた。「強制連行があれば、必ずトラブルが起き、田舎では日本人はとても普通の生活はできなかったと思う」
しかも、朝鮮に13あった道の警察部では、トラブルの情報は上がってこなかった。「朝鮮人の警察官も半分以上いたのが実情ですから。しかし、そんなトラブルは全く聞いていない」と語っていた。
大師堂さんは著書で、「私の体験した朝鮮とは全く異なった歴史像が作り上げられている」と、国内の偏向報道や韓国側の主張を疑問視。「総督府施政を抑圧と反抗の連続であったような伝え方がされるが、これは事実ではない」とも書き記していた。
安倍首相への〝直訴〟
平成5年の河野談話は、慰安婦問題に「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」とした。日本の軍や警察による強制連行の論拠とされたが、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はない。
元朝鮮総督府官吏、西川清さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。
「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もしも日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」
国際的に誤った〝史実〟が広がっていることに憂慮を深める西川さんは2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍首相に郵送したこともある。
「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論です」
今夏に100歳となった西川さんは、事実がねじ曲げられた現状にいまなお憤りを感じている。 以上
で、いま、韓国側が「無効ニダ!」と叫んでいる、"日韓条約"ですが、
14年に亘る日韓条約の交渉中も、事実を指摘した久保田発言が妄言だという、韓国側の事実の捻じ曲げた主張で決裂し、4年半中断
《「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その2 【NHK】 (再)》 より一部抜粋
・・韓国側の発言「日本が36年間の蓄積を返せというならば、韓国側としても36年間の被害を清算せよ。と言うしかない。」
これに対する久保田主席代表の発言が日韓会談の行方を大きく揺さぶることになりました。
久保田氏「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえば、韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言う事は記録を取らないでほしいが・・・
当時、日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかも知れない。」
この発言に対し、韓国側は激しく反発しました。
韓国側の発言「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ、我々はもっとよくやっていたかも知れない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人の為に出したもので、その金で警察や刑務所を造ったではないか。」
韓国側は声明を発表しました。久保田発言を全面的に撤回しない限り、会談は続行できない。この発言は会談の基礎を完全にぶち壊すものである。
久保田主席代表も韓国側の態度を批難しました。議論の席上の片言節句を捉えて、一国代表の発言の取り消し要求をしたことは、外交交渉に前例がない。
当時、日本の世論では久保田発言に対する批判的な声は上がりませんでした。
政府は、会談は韓国側の理不尽な態度により継続不能に陥ったと発表しました。
韓国国会では、久保田発言の取り消しを求める決議案を満場一致で採択、発言は傲慢無礼、荒唐無稽であり発言に対する日本政府の支持は許しがたいという内容でした。
日本の国会でも、日韓会談の決裂について取り上げられました。
久保田氏「朝鮮総督府政治の悪いところがあったのは認めるとしましても、良い点もあったという事は、これは日本としましてはどうしても取り消せないことだと存じます。」(参議院水産委員会にて答弁)
岡崎外相「我々としましては何も間違ったことを言っているわけでもないし、謝る理由はひとつもないのでありますから、それを謝るという事は出来ないので、等々、会議は不調に終わりました。」
当時、与野党共に会談決裂の原因は韓国側にあるとしていました。
黒田氏「まぁ常識的なご発言だったと思いますけれども(笑)ですねぇ、まぁ韓国民が、日本による朝鮮の植民地化というものに対して、異様な恨みとですねぇ、怨念を持っているということですねぇ。その点についてまだ認識が足りなかったんでしようねぇ、当時はですねぇ。」
キム氏「もちろん、日本の統治時代に鉄道も敷かれ、色々な制度も整備され、学校も建てられたのは事実です。しかし、韓国国民からすると久保田発言はまるで韓国に能力がないので日本が助けてあげた。他の国の場合より日本は韓国に良い事をたくさんしてあげたという事ですよねぇ。しかし、私はそもそも日本が何故我々を侵略し、韓国を植民地化したのかというところに問題の本質があるのだと思うのです。(元中駐日大使)会談が進むにつれ、浮き彫りになったのは、日本の植民地支配に対する両国の歴史認識の隔たりでした。
日本には久保田発言の撤回を、韓国には李ラインの廃止を要請しました。・・
日韓併合に関して、韓国側は日本が「強制的占領で朝鮮人を奴隷化」し、「虐殺・弾圧・搾取」したと主張。 一方、久保田氏は、正論しか言っていません
久保田発言 ・・1953年10月15日の会談で、韓国側が、日本の在韓財産はアメリカが接収したのであり本来なら韓国は36年間の日本の支配下での愛国者の虐殺、韓国人の基本的人権の剥奪、食料の強制供出、労働力の搾取などへの賠償を請求する権利を持っていると述べたところ、久保田貫一郎が日本は植林し、鉄道を敷設し、水田を増やし、韓国人に多くの利益を与えたし、日本が進出しなければロシアか中国に占領されていただろうと反論し、また米国による日本人資産の接収は国際法に違反していないと考えるし、違反してたとしても米国への請求権は放棄したと回答した[7][11]。この久保田の発言に対して、「植民地支配は韓国に害だけを与えたと考えている」韓国側からは、妄言として批判され、日韓会談は中断した[14]。
久保田参与による説明(1953年10月27日参議院)[14]や、韓国側の記録[6]によると会談は以下のような内容であった。(中略)
1953年10月20日の会談で金代表は、10月15日の会談で日本側は、次のように発言したと確認を求め、日本による朝鮮統治は強制的占領であったし、日本は貪慾と暴力で侵略し自然資源を破壊し、朝鮮人は奴隷状態になったと述べた[14]。
- 韓国が講和条約の発効の前に独立したことは国際法違反である、と日本はいった。
- 日本人が終戦後朝鮮から裸で帰されたことが国際法違反である、と日本はいった。
- 請求権について米国と韓国が国際法違反をしている、と日本はいった。
- カイロ宣言の奴隷状態というものは興奮状態で書いたものである、と日本はいった。
久保田参与は、韓国独立は日本から見れば異例であつたが国際法違反かという問題ではない、日本人送還も国際法違反であるともないとも言わなかつた、米国側の軍政府も国際法違反を犯したことにはならない、カイロ宣言の効力は戦争中の興奮状態で書かれたものである。朝鮮統治は、悪い部面もあっただろうが、いい部面もあつたと答えた[14]。金代表は「日本代表の発言は破壊的である」と同じことを繰返すのみであった[14]。
1953年10月21日の会談で韓国側は久保田発言を撤回し、悪かったと認めなければ会談の続行は不可能と述べた[14][6]。久保田参与は、韓国は日本が非建設的であるというが、韓国は1952年の日韓会談直前に李承晩ライン宣言を強行したり、日本の漁船を拿捕し、雰囲気を悪化させたし、これは国際法違反であり、国際司法裁判所に提訴するのが原則であると述べ[6]、国際会議で見解を発表するのは当然のことであるし、まるで暴言したかのように外国に宣伝することは妥当ではないし、撤回はしない、また発言が誤りであったとは考えないと答えた[14][6]。韓国側は会談に今後出席できないが、これは完全に日本に責任があると述べ、会談は終了し[14][6]、韓国は「久保田妄言」への報復として李承晩ラインを設定し、竹島を占領した[7]。
10月27日の参議院で久保田参与は、韓国側は日本に対して「戦勝国」であると錯覚しており、また、「被圧迫民族の独立という新らしい国際法ができたから、それにすべてが従属される」ため、韓国は国際社会での寵児であるという認識があるが、いずれも「根拠がございません」と答弁している[14]。また、久保田貫一郎外務省参与は1953年10月26日付の極秘公文書「日韓会談決裂善後対策」 で韓国について「思い上がった雲の上から降りて来ない限り解決はあり得ない」と記述し、韓国人の気質について「強き者には屈し、弱き者には横暴」であると分析した上で、李承晩政権の打倒を開始するべきであるとの提言を残しており、この公文書の存在を2013年6月15日に報道した朝日新聞は久保田発言について日韓交渉を決裂させた原因とした[15]。
真実を言うのは許さないと、当時から韓国の言いなりだったんですね、朝日新聞(;一一)
西川清さん 関連記事
【#松本栄好】《韓国KBS「元日本兵『何人もの中国人女性狩りをし、部隊に連れ込んでは犯していた』と証言」 【ワールドWave】》2013年5月25日
NHK-BS【ワールドWave】韓国KBSで、元日本兵が『何人もの中国人女性をまるで狩りのように捕え、部隊に連れ込んでは性的暴行を加えていた』と証言したというニュースをやっていたので記録しました(青字はナレーション)真実なら物凄い犯罪なので、恩給全部返納すべきです。キリスト教牧師の話に、赤旗が食いつき・・中帰連の謝罪行脚みたいな構造ですかね。
アナ「元日本兵の男性が、日本軍による蛮行について生々しく証言し、日本政府に謝罪を求めました。
元日本兵は『何人もの中国人女性をまるで狩りのように捕え、部隊に連れ込んでは性的暴行を加えていた』と証言しました。」(中略)
あったとしても下々の犯罪行為で、間違いなく日本軍の懲罰にかけられる案件です。
日本軍の名誉を汚す卑劣な行為は、許せません。
こちらの方こそが本物の生き証人です!(動画 略)
拝啓 安倍内閣総理大臣殿 和歌山県田辺市 西川 清 (97歳)
日夜国事に精励されている総理大臣に対し、名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無礼をお許し下さい。
私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。
結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません。
かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道(コウゲンドウ)の
寧越群(ネイエツグン)及び原州群(ゲンシュウグン)の内務課長を歴任した経験があるからです。
以下、当時の状況等について申し述べます。私は昭和八年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました。
朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、群庁より府・邑(ユウ)・面(日本の市町村)を通じて施行されました。(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)。
群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。
内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。
朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道にたいし人数の割り当てがあり、道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面にたいして割り当てをして、集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。
女子にたいしてはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが、このようなことは一切ありませんでした。売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かそのたぐいの者の仕業であって、軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。
日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。
今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。
然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに、いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。
国威を失墜し児孫に負の遺産となる「河野談話」の見直しは、安倍総理を除いては望むべくもありません。
ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。
最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。 敬具
略歴
大正4年 和歌山県田辺市生まれ。
昭和8年 和歌山県立熊野林業学校(現・和歌山県立熊野高校)卒業と同時 に朝鮮江原道内部産業課勤務。
昭和12年 朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任官。
昭和13年 臨時召集により歩兵第76連隊入隊。14年招集解除。
昭和18年 寧越郡内務課長。
昭和19年 原州郡内務課長。
昭和20年 道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。 引揚。
昭和21年 厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。
和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを 歴任。
昭和42年 依願免職。 以上まぁ、日本兵もいろいろ・ピンキリという話です。もう一人素晴らしい元日本兵!
《今こそ知るべし! 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」》 より抜粋 「正論」一月号より
(2005年 平成17年)首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。
戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。
外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。・・
日本人の証言、私達はもっと知るべきです(必見)
《【大阪朝日新聞・朝鮮版】「日韓併合、隠されていた真実の報道」(悪徳朝鮮人業者逮捕・治安改善・朝鮮文化保全・インフラ整備・教育、日本軍入隊志願者殺到・朝鮮人鉱夫の物凄い稼高・ 密航者の記事など)》
尤も、日本のマスコミは日本国民が真実を知る事を阻止したいようで、上記のように中帰連の証言「日本兵は残酷だった」という話しかやらないですけどね。日本のマスコミはいつまで韓国のウソに付き合うんでしょうか・・
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
その2から続きです。(青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)
韓国人の各証言がたくさん出てきますが、ちょっと変。元慰安婦という李玉善(イ・オクソン)さんの証言も、かなり変。
パクさんが配属されたのは長崎県大村の海軍航空隊の整備場でした。
日々激しさを増す空襲の下で戦闘機の整備にあたっていました。
パク氏「(つらい体験をされましたか?) 何度も死ぬ思いをしました。空襲の時に爆弾が落ちて爆音で耳をやられました。今でも耳鳴りが続いています。(爆音で耳鳴りがするようになりそれで悪化して片耳は聞こえなくなったのですね?) はい。 」
パクさんのように自ら徴用に応じた場合でも、当時の社会状況では断れなかったとみなされ被害者として認定される予定です。
妻「もう忘れてもいいほどの年月が経ったけれど、辛かった思い出だけは忘れられません。」
老人「この国の運命だったと思います。昔から日本に何度も侵略されてきたのだから、国の運命だったと思うしかありませんね。」
被害者のほとんどは補償もないまま60年間放置されてきました。調査員が訪れるのを待ち構えるようにして自らの被害体験を語ります。
「韓国人を日本軍に入れようとみんな連れて行かれたんだ。」
申請をした人は現在までに16万人。被害者の大半は80歳を越えています。調査は時間との戦いです。真相糾明委員会の活動の中で調査が難航しているのは、慰安婦の問題です。聞き取り調査もあまり進んでいません。
韓国で慰安婦の存在が公に知られるようになったのは1980年代後半の事です。今尚、社会の偏見が残っています。
パク・ジュンエ氏「今も尚、自分の経験を恥ずかしい過去だと考えて口に出せない人が大勢います。また、勇気を出して証言するにも辛い記憶を思い出す事になるわけですから、被害の内容を本人の口から聞き出すのは非常に難しいのです。」(慰安婦調査担当)
戦時中、日本軍の関与により、朝鮮の女性たちが戦地で慰安婦として働いていました。日韓会談の中では被害者の対象となりませんでした。
イ・オクソンさん、78歳。現在までに真相糾明委員会が確認している元慰安婦の生存者129人の内の1人です。
釜山で生まれたオクソンさんは、15歳の時、日本人と朝鮮人の二人組に捉えられ中国吉林省に連れて行かれたと言います。
イ氏「11歳以上の子が連れて行かれました。私がいた所では14歳が一番下で17歳が一番上でした。一日に40~50人の兵隊の相手をしろと言われました。言う事を聞かないと殴られ軍刀で刺されました。
毎日この傷を見ているから日本人のした事が忘れられない。」
2月から始まった真相糾明委員会の調査では11人が新たに名乗り出ました。しかし、その内の2人は家族に迷惑がかかると申請を取り下げています。
パク・ジュンエ氏「これまでは彼女たちを連れて行った人間や業者についての調査はされてきませんでした。しかし、調査の範囲を広げていけば慰安婦に関する真相究明にも新たな可能性が出てくると思います。そして、自分の過去を口に出来ない人々にも話すきっかけを与えられるのではないかと思っています。」
1953年、久保田発言をきっかけに日韓会談は決裂していました。
「会談は初めから緊張の内に続けられましたが、久保田発言を巡って紛糾し、10/21日の大師本会議の席上、遂に決裂。この問題は暗礁に乗り上げました。」
韓国側は李ラインでの取り締まりを強化。この年だけで47隻585人が拿捕され、韓国に連行されました。
一方、日本政府も朝鮮戦争の避難民や日本が強制退去処分にした在日韓国・朝鮮人を長崎県の大村収容所に収容していきました。
日韓の亀裂は深まっていました。この事態にアメリカ・アイゼンハワー政権は再三に亘って交渉の再開を促しました。
日本には久保田発言の撤回を、韓国には李ラインの廃止を要請しました。
ベンジャミン・フレック氏「当時アメリカは、共産主義と戦うために出来るだけ多くの同盟を得たかったのです。東アジア地域で日本と韓国が対立している事は共産圏に対抗するための防共ラインの構築を目指していたアメリカにとって決して好ましいことではないのです。」(当時の駐韓大使館 書記官)
先に譲歩したのは日本側でした。久保田発言と対韓請求権を撤回し、4年半に亘って中断されたいた交渉が再開されました。しかし、その最中、韓国で政変が起きました。
(NHKニュース) 50万人のデモ 李政権を倒す
「韓国全土に広がった反政府デモは遂にリショウバン政権を倒しました。」
1960年4月、大統領選挙の不正を糾弾する民衆の声は次第に高まり、大規模なデモに発展しました。4/19日には、デモ隊が大統領官邸に押し寄せ、警官隊と衝突。200人近くが死亡する惨事となりました。
日本に対して強行な姿勢を取ってきたイ・スンマン大統領は辞任を余儀なくされました。
決裂と再開が繰り返された日韓会談は8年が過ぎても具体的な進展は見られませんでした。しかし、このあと、会談は急速に展開していくことになります。
2005年1月、日韓条約を結ぶ最終段階の記録文書が初めて公開されました。
第6次第7次の会談の議事録と韓国政府内の機密文書です。会談は被害者への個人補償をどちらの国がどのように行うのかを中心に話し合われました。
「日本は過去の歴史を反省し、被害者に補償せよー!」
今、韓国では日韓条約の見直しを求めるデモが相次いでいます。植民地支配の被害者にとって、個人補償の問題は今に至るまで解決されていないという主張です。
韓国政府は、このような人達の声に答えて文書の公開に踏み切りました。
キム・ウォンジン課長「公開によって日韓条約に足りない部分がある事が発見されれば、[E:danger]その足りない部分を参考にして、日韓両国の望ましい関係を築き上げる為にどうすれば良いか。両国で真剣に考え直すきっかけになると思ったのです。」(外交通商部 東北アジア課)
文書の公開を中心となって求めてきたのは韓国人犠牲者遺族会です。これまでいくつもの戦後補償裁判を起こして来ましたが、日韓条約が壁となってきたからです。
キム・キョンソク会長「韓日協定で全て終わったと裁判の度に日本側は主張します。何がどのように終わったんでしょうか。私達はもどかしい。なぜ終わったのか、実情はどうなっているのかどうしても知りたかったのです。」(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会)
遺族会会長のキム・キョンソクさんは、79歳。1990年代の初めから一貫して日韓条約の壁と戦ってきました。
キムさんが住むチュンチョン市には、キムさんが自費で建てた無縁仏の納骨堂があります。キムさんの兄も強制連行で北海道の炭鉱に連れていかれ、その地で亡くなったと言います。戦後、キムさんは、兄の遺骨を探し続けましたが未だに見つかっていません。この納骨堂はその旅の過程で出会った無縁仏を供養するために建てられました。
キム氏「兄の骨は死ぬまで探し続けます。遺骨を探し出して立派なお墓を建てなさいというのが母の遺言でしたから、必ず見つけ出したいのです。ここにまだ日本名のままの人がいます。遺族がまだ見つかっていない遺骨です。とても残念で悔しいことです。」
キムさんが日本の鉄鋼会社に徴用されたのは16歳の時でした。
「火入れ式を済ませた川崎工場の第5溶鉱炉から4/6日初めて・・・」
キムさんが働いていたのはこの鉄鋼工場です。その頃日本は戦争遂行の為に鉄鋼生産を拡大していました。ここでキムさんは社員の暴行を受け、右腕に大きな怪我をしました。キムさんはその怪我が元で帰国。戦後も右腕に運動障害の後遺症が残りました。北海道の炭鉱に徴用された兄は亡くなっていた事が分かりました。
1991年、キムさんは日本企業相手に初めての裁判を起こしました。長い間、[E:danger]強制連行についての謝罪も、障害を負わせた事に対する損害賠償も全く無かった事への怒りをぶつけたのです。
キム氏「もちろん私達も裁判で負けています。しかし私達は100年裁判で戦うつもりです。私が死んだら子供が。子供が死んだら孫達が戦いを続けていくでしょう。」
植民地支配の被害者達は、次々と日本政府や企業を相手に謝罪や補償を求める裁判を起こしました。韓国に関る戦後補償裁判は現在30件以上。その多くが日韓条約を理由に訴えを退けられています。日韓条約の一文です。
-両国及びその国民の請求権に関する問題は、完全かつ最終的に解決された-この一文が原告たちの訴えを退けて来ました。
そうした一連の裁判の中に具体的な証拠に基づいて未払い賃金の返還を求めた訴訟があります。
原告の1人、ヨ・ウンテクさんです。ヨさんは1943年、大阪の製鉄所に徴用されましたが、給料のほとんどは貯金の名目で会社側が預かっていました。
ヨ氏「私達は補償をくれと言っているのではなく、貰えなかった労賃をくれと言っているんだよ。未払い金。当然、未払い金を、私の財産なんだよ。貯金して預けておいたお金なんだ。預けておいたお金を何故渡してくれないんだよ! 私が貯金したのに。そうじゃないですか。」
徴用されていた2年間で差し引かれた金額が記された書類です。495円52銭。この資料があってもヨさんの訴えは日韓条約を理由に棄却されたのです。
ヨ氏「あん時もう食料が足らなくて1/3も足らない食料を、、骨みたいに痩せて汗水流しながら一生懸命働いてこういう風に、その月々その2年間集めて貯金したのです。この金額この金を韓国にやったとして(返して)くれないの。65年に日韓条約に、、」(日本語)
これまでに、4件の裁判が和解し、見舞金などの名目のお金が支払われました。しかし、日韓条約という法的な壁を乗り越えたわけではありません。
「華やかな反映の道を辿ってきた日本の経済は、膨れ上がる一方でした。」
日韓会談は新たな段階を迎えていました。1960年、池田内閣が誕生した日本では、所得倍増計画が打ち出されました。池田内閣は日韓会談に積極的な姿勢で臨みました。
小坂善太郎外務大臣が韓国を公式親善訪問し、植民地支配について初めて遺憾を表明しました。
「小坂外務大臣は日韓両国の友好を望む声明を読み上げました。」
李承晩大統領が退陣した韓国政府にも日韓会談への態度に変化が見られ始めました。チャンミョン首相は交渉の早期再開に意欲を見せました。
「対日問題について過去の事は水に流して現実的な外交政策をとり、国交を正常にするため全力を尽くすと語りました。日韓関係の見通しは一段と明るさを加えました。」
1961年、第5次会談が開かれました。この会談では植民地支配の被害者に対する補償が本格的に話し合われる事になりました。韓国側は、謝罪や償いの意味を込めた"請求権"という形で補償を要求しました。
しかし、植民地支配は合法だとする日本側は"請求権"は受け入れられないという立場でした。(つづく)
あらゆる裁判で"日韓条約の壁"かぁ~昔の外交は良い仕事してましたねぇ(☆。☆) !!
韓国人の証言をいちいちツッコミませんが・・・やっぱヘンですよねっ。
あと、一日に40~50人相手って・・・常識では考えられまへん。次は、"請求権"をめぐる攻防です。
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
その1から続きです(青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)
久保田発言をめぐる日韓の攻防の様子などです。新聞もマトモな時代でした・・
韓国の独立記念館の反日捏造展示物に思わず口を押さえる子供達・・スゴイ洗脳教育ですねっ。
日本では、激しい抗議の声が巻き起こりました。
「日本政府としては、リショウバンラインというものについての韓国側の主張は絶対に認められないっ」
李ライン問題は日本海の漁業で生計を立てていた人達の生活に深刻な打撃を与えました。
「日本一を誇る魚市場に入荷する魚は少なくなり、いたずらにその広さが目立つのです。例え係争が出ても、海に生活の糧を求める漁師たちには、恐怖の海を承知の上で李ラインへ出かけざるを得ないのです。
最近の出航の別れの言葉は変わってきました。漁船員の妻は今までならばハンカチを振りながら「行っていらっしゃい」と笑顔で見送っていたのが、今では「きっと帰ってきてね」というようになってしまったのです。波止場の別れにも慣れたはずの妻も港に出る船陰を眺めては思わず涙を一筋二筋。乗組員たちも切ない顔つきで笑顔を見せる余裕を無くしてしまった。」
日本では次第に李ライン問題の解決の為に、会談を再開すべきであるという世論が高まっていきました。当時の新聞の社説です。(朝日新聞)
韓国側の言動はいかにも不当であって、我が国民感情を刺激するところが少なくない。我々は目下中止している日韓交渉を即時再開し、両国の間で合理的な解決策を討議すべきであると考える。
黒田氏「反日ナショナリズムって言うんですかねぇ、日本に対する激しい、、日本に特に植民地時代に対する怒りと恨みの念を持ってた。そういう考え方に従って反日政策をとった。それの一番の象徴みたいなものになったのがリショウバンラインなんですね。ほんっとに日本にとっては、これが解決しなきゃ日韓会談は纏められない、そういう一番大きな問題になってきてたわけです。」
オ氏「韓国側が李ラインを交渉のカードに使ったというのは全くの誤解です。そんな事は考えていなかったと思います。結果的に会談の過程で日本が漁業問題に大きな感心を持つようになり、この問題の解決無くしては、他の交渉にも応じられないという立場を日本側が取っていたので、おのずと韓国側も感心を持つようになっていったわけです。」
外務省は、李ライン問題について話し合うため会談の再開を申し入れました。
韓国側は李ライン以外の問題についても話し合う事を条件に交渉に応じました。
1953年10月、韓国側の首席代表は引き続きキム・ヨンシュク駐日公使。日本側の首席代表は外務省の久保田貫一郎参与でした。
韓国側は、「日本が韓国に残した財産の請求権を放棄すべきである」と宣言、更に「李ラインは国際法上認めらたものだ」と主張しました。
これに対し、日本側は「李ラインは認められない。対韓請求権も撤回しない」と反論。両国とも従来の主張を繰り返しました。この時、韓国側の代表団の一人が次のような発言をします。
韓国側の発言「日本が36年間の蓄積を返せというならば、韓国側としても36年間の被害を清算せよ。と言うしかない。」
これに対する久保田主席代表の発言が日韓会談の行方を大きく揺さぶることになりました。
久保田氏「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえば、韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言う事は記録を取らないでほしいが・・・
当時、日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかも知れない。」
この発言に対し、韓国側は激しく反発しました。
韓国側の発言「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ、我々はもっとよくやっていたかも知れない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人の為に出したもので、その金で警察や刑務所を造ったではないか。」
韓国側は声明を発表しました。久保田発言を全面的に撤回しない限り、会談は続行できない。この発言は会談の基礎を完全にぶち壊すものである。
久保田主席代表も韓国側の態度を批難しました。議論の席上の片言節句を捉えて、一国代表の発言の取り消し要求をしたことは、外交交渉に前例がない。
当時、日本の世論では久保田発言に対する批判的な声は上がりませんでした。
政府は、会談は韓国側の理不尽な態度により継続不能に陥ったと発表しました。
韓国国会では、久保田発言の取り消しを求める決議案を満場一致で採択、発言は傲慢無礼、荒唐無稽であり発言に対する日本政府の支持は許しがたいという内容でした。
日本の国会でも、日韓会談の決裂について取り上げられました。
久保田氏「朝鮮総督府政治の悪いところがあったのは認めるとしましても、良い点もあったという事は、これは日本としましてはどうしても取り消せないことだと存じます。」(参議院水産委員会にて答弁)
岡崎外相「我々としましては何も間違ったことを言っているわけでもないし、謝る理由はひとつもないのでありますから、それを謝るという事は出来ないので、等々、会議は不調に終わりました。」
当時、与野党共に会談決裂の原因は韓国側にあるとしていました。
黒田氏「まぁ常識的なご発言だったと思いますけれども(笑)ですねぇ、まぁ韓国民が、日本による朝鮮の植民地化というものに対して、異様な恨みとですねぇ、怨念を持っているということですねぇ。その点についてまだ認識が足りなかったんでしようねぇ、当時はですねぇ。」
キム氏「もちろん、日本の統治時代に鉄道も敷かれ、色々な制度も整備され、学校も建てられたのは事実です。しかし、韓国国民からすると久保田発言はまるで韓国に能力がないので日本が助けてあげた。他の国の場合より日本は韓国に良い事をたくさんしてあげたという事ですよねぇ。しかし、私はそもそも日本が何故我々を侵略し、韓国を植民地化したのかというところに問題の本質があるのだと思うのです。(元中駐日大使)
会談が進むにつれ、浮き彫りになったのは、日本の植民地支配に対する両国の歴史認識の隔たりでした。
ソウル市の南、チョナン氏にある]独立記念館。ここには韓国から見た植民地時代の歴史が描かれています。展示の中心は日本の植民地支配に対する抵抗運動の歴史です。
日帝侵略館と名づけられた展示館では、日本が行ったとされる弾圧の様子が再現されています。日本と朝鮮は1つだと称えられた併合時代。韓国の人達にとっては受け入れがたい歴史です。
1910年、日本は韓国を併合し、植民地を統治する朝鮮総督府を置きました。併合直後のソウルの映像です。和服姿の日本女性が映っています。
朝鮮半島の各地には神社が建てられました。更に日本語を学ぶ事が義務付けられ、日本式の名前に変える創氏改名が行われました。
やがて戦争の拡大に従い労働力不足を補うため、朝鮮の人達が日本へ送られました。
大蔵省と厚生省の調査では、労働者として徴用された人の数はおよそ72万人。軍人・軍属合わせると100万人近くになります。労働者のほとんどが炭鉱や鉱山、軍需工場などで働いていました。
今年2月、韓国では植民地時代の被害状況の詳しい調査を始めました。ソウルにある真相糾明委員会の事務所をはじめ、全国の役所の窓口には次々と申請者が訪れています。
申請者は、徴兵や徴用の被害を書類に記入し、申告します。
「(おじいさんはどこへ行きましたか?) 横浜。(横浜で何をしていましたか?) 鉄の鉱山にいたんだ」
被害の事実を証明するものがなくても、申請は受け付けられます。申請を元に真相糾明委員会が調査をするのです。
戦後60年の間、こうした被害の状況を訴える場所はどこにもありませんでした。アメリカや日本など海外でも申請は受け付けられ、その数は4ヶ月間で16万人を突破しました。
真相糾明委員会では、申請者全員に聞き取り調査を行う予定です。
チョルラ北道は、申請者の数が1万6000人。戦前、日本人の地主が多く、貧しい小作農の若者たちが軍人や労働者として動員されました。
調査は申請者1人1人と直接話をして進められます。調査員が資料と照らし合わせながら給料を貰っていたか、身体的被害はあったかなどを聞いていきます。
ソン・ドンホさん80歳。ソンさんは昭和19年、日本軍の中国北地派遣部隊に配属されました。当時、軍隊では昌成東縞(マサナリトウコウ)という日本名で呼ばれていました。
ソンさんが提出した被害申告の書類です。真相糾明委員会では徴用や徴兵の場合、強制されたかどうかもポイントのひとつとして調査しています。
ソン氏「(階級は?) 一等兵だよ、一等兵。一等兵を知っているか。(誰が連れて行ったのですか?) 誰って?令状が来たんだよ、赤紙ってやつだ。君たちは何も知らないんだなぁ。訓練を受けて、身体検査を通過して、赤紙という令状が出たわけだよ!」
「昨年8月(1944年)、朝鮮に徴兵制施行せられてより、ここに満1年。」
昭和19年、朝鮮全土に徴兵制が実施され、11万人以上の青年が召集されました。
当時二十歳のソン・ドンホさんはその一期生として中国大陸の戦場に送り込まれたと言います。
ソン氏「うちの部隊は朝鮮全土から集めた朝鮮兵だけの部隊だったんだ。日本人は指揮だけで実際は俺たちが全部やったんだ。日本人の指示に従うしかないんだから当時は。日本の軍人には補償しても韓国人には何もない。苦労ばかりして死んでいった仲間たちはどんなに悔しかったろう。家族の顔も見る事が出来ずに死んだんだ。アイゴー。それを思うと胸が詰まって言葉が出てこないよ。」
ソンさんが住む村からは36人の二十歳の青年が全員召集されたと言います。戦争から帰還し、今も村に住む人は皆、調査を申請しました。
真相糾明委員会・調査統括課「単に記録を見るのとは違って、実際に聞き取り調査をしてみますと、我々が知らないことや知っていると思っていた事が必ずしも正しいわけではない事に気付かされます。また、被害者の方の記憶も断片的なので、記録を確認すると共に話の背後にあるものに注意する必要がありますね。」
真相糾明委員会で被害者として認定されるのは強制動員された人達です。しかし、志願兵や自ら徴用に応じた人達にも同じように調査を行っています。
パク・ドクキュさん(78歳)。農家の次男だったパクさんは17歳の時、給料が良いという理由から工員になるつもりで徴用に応じました。
しかし、朴さんが日本で働くことになったのは普通の工場ではなく、海軍の施設でした。
パク氏「(学校の先生に薦められたわけですね?) そうです。(日本人の教師でしたか?)そうです。 そこに行けば工員になれるといわれ就職できると思ったんです。逃げたら軍法会議にかけると言われました。 17,8歳の子供でしたから親に迷惑をかけられないと辛抱しました。」
『独立記念館』の展示物は、まったくのデタラメです。
村田春樹さんが韓国で実際に見てきた反日記念館の実態のレポート↓
(観光地にもなっている・西大門刑務所歴史館・天安独立記念館・三・一独立運動の発祥地で有名なタプコル公園 などの捏造の検証)
《韓国反日記念館の実態(蝋人形のウソ)、日本の冤罪》より一部抜粋
●これが一番有名な天安の独立記念館。
物凄い。120万坪で甲子園球場の300倍。物凄い。ここに巨大な建物が7つあって、韓国中の小中学生が修学旅行に来るということ。
私が悲しいのは、ここに日本の高校生が修学旅行に、日教組の教師に連れられて来るんですよ。これから言うが嘘八百の展示を見て贖罪意識を持つ。
●これはトラックに詰め込まれる自称・従軍慰安婦。とんでもない話だ。
●これも、逃げようとする自称・従軍慰安婦を追いかける女衒。要するに女衒がやっている。」
一事が万事、嘘八百で国民を騙しているのが韓国政府ってことを、全ての日本人は知るべきです。
今こそ、久保田さんのような外交官が日本に絶対必要ですね。
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
日本テレビ【ウェークアップ!ぷらす】(3/1)で、
日韓関係悪化の打開策について、具体的な落としどころを議論していたのでスタジオトーク部分のみ記録しました
辺真一氏は、国際条約を完全に無視した自分勝手な理論を展開していましたが、韓国側の言い分を知るには非常に興味深いです。ただ、落としどころなんてものは絶対にない!
それを踏まえた上で、14年間にも亘る日韓条約締結までの日韓の激しい攻防も振り返ってみます。
辛坊氏「さぁ、今日は3月1日、えーこの3月1日という日は歴史上大きな意味を持つ日でもあります。」
女子アナ「3月1日は、韓国では日本からの独立運動が始まった日として、最も日本への厳しい見方が高まる日です。パク・クネ政権が発足してから1年、日韓関係の冷え込みが続いています。親日派と目されていたパク大統領はなぜ強硬路線を取ったのか、関係改善の道筋は。」(韓国人観光客へのインタビュー・今までの日韓の冷え切った日韓の関係の経緯、独立式典の様子などなどVTR 略)
(今のままではダメなので日韓首脳会談やるべきというようなスタジオの流れ)
(「韓国国民は皆日本大好きだが、報道がおかしいので納得出来ない」と青木氏がコメント)
辛坊氏「あ~、ピョンさん、その辺りどういう事になってるんですか?報道としては?」
辺真一氏「そうですね、あのーー、もちろん本音と建て前というのはどの国にもありますしね。韓国のマスコミも、まっ今の日本の週刊誌もかなりね、反韓を煽るような記事が出てますけどもね、ですけどもーー、私は全ての根源っていうのはね、あのー2012年8月のイ・ミョンバク大統領の竹島上陸、これに日本人が反発しましたね。
ところがよく考えて頂きますと、その直前にですね、即ち2011年12月にイ・ミョンバク大統領が日本にやってきまして、当時民主党政権の野田さんとの会談でですね、一つあのー従軍慰安婦の問題について善処して貰えないだろうかと。
それは韓国で憲法裁判所の決定が出ましてね、この問題についてもう一回日本と協議したらどうかと、それで再三に渡って要請した所ですね、まっ、つっけんどんな対応だったと。
これが引き金になりましてね、あのー、今日の事態を招いてるっていう事で、私よくあの日本で議論をね、聞いていますと、よく拡大解釈っていう言葉使われますね。
ですから日本はですね、日韓条約で全て決着がついてると。
その日韓条約についてですね、例えばこれを弾力的に、いわば適応するとか、あるいは拡大解釈するならば、例えば必要ならばですね、その日韓条約のその部分についてもう一回協議してですね、見直しをするとか、少し善処をするという、こういう方法もですねあって然るべきだと思うんですね。ただ、日本はですね、日韓条約で全て解決済みだって、この解決済みを連呼しますとね、北朝鮮が拉致問題で全て解決済みって言ってるように、全く同じように聞こえるんですね。
ですから、ここがとっかかりならばですね、ここをもう少し首脳会談なり、或いは外相会談のレベルでやって、落としどころを見い出したらどうか。というのはですね、これが全て引き金でですね、ソウル大使館の前に従軍慰安婦の銅像ができたり、アメリカにできたりですね、或いは挙句の果てには、日本人にとっては極めて心外だと思うんですけども、ハルピンに伊藤博文を暗殺した安重根の銅像が出たり、
ここがですね、今日の問題になって日本人の対外イメージを損なってるわけですから、これは日本にとっても大きな国益をですね、これ一件の問題で損ねてるって事で、この問題についてもう少しですね、善処して頂けないだろうかっていう私は今日石破さんにですね、、」
辛坊氏「石破破さん、何か善処する余地というのはあるのか、この問題どう考えたらいいのか、今、韓国側の民間団体が言うように"20万人の若い女性を強制的に連行した"というこの主張に対して日本としてどう考えるのか 石破さん、このあたりどうですか?」
石破幹事長「これは何が真実であるかという事を河野談話なるものが、どうもこの間の国会の議論を聞いているとね、きちんとした検証、聞き取りもないままに行われたのではないだろうかとだとすれば、きちんとこの検証の過程をもう一度見ましょうと。見た結果何が出るかわかりません。、検証の過程を見ましょうとそれはそれでやればいいんです。
他方、今こうピョンさんが仰るように、このままでいいはずがない。
中国の状況、北朝鮮の状況、なかんずく北朝鮮ですよね、いいはずがないのであって、
じゃあ何ができるんだって事をね、「もう解決済みです!」っていう事ではなくて、、もう、解決済みなんですよ国際法的には。だけれども、その他に何かできませんかと。要は冷戦が終わったっていうのはこういう事なんですよね。冷戦の間表に出なかった事が表に出てきた。歴史認識、慰安婦の問題、そういうものが表に出てきた。
我々はもうみんな済んだものだと思っていたけど、そうじゃないと。
もう一回冷戦の前に戻ったっていう見方も、我々していかなきゃならんのじゃないですか。
( 「パクの対日問題は内政上の問題だと思う。同時に中国の台頭で韓国の立場も変えてきている。ここで正しい判断が出来るか、石破氏が言うように我々が正しい判断ができるかどうか。ナショナリズムを我々がコントロールできるかどうかが日韓に問われている」と宮家氏「我々もきちっとした歴史を認識しなきゃいけないし、高校生位までは、相当日本という国はヒドイと一辺倒だが、来日した人はその意識が変わってくるのでそういう積み重ねをしていくべき」と岩田氏
「ヨス万博に二階先生の団体で250人位で行ったが熱烈な歓迎してくれた。ジャパンデーに日本の政治家に人は行かなかったという事もやっぱりそういう積み重ね(が大事)」と青木氏)
辺氏「あのー、よーく考えて頂きたいのはね、1965年6月に日韓国交正常化が結ばれた時に非常ーに日韓関係悪かったんですね、李承晩政権下で。ですから当時、人の往来は1万人。それが今、500倍ですね。貿易量も当時2億ドル。今これが1千億ドルなんですね。改めて来年がその50周年なんですね。ですから今この状態で、とにかく日韓、双方にとってもですね、良くないって、どっかでやっぱり落としどころを見出すべきではないかと思うんですね。」
辛坊氏「まぁそうなんですけれども、じゃあ具体的にって事を考えていった時に、田崎さん、まっ韓国側はその20万人の強制(連行)をもう一度ハッキリ認めろという、どうも趣旨のようにも見受けられる。日本的には恐らく政治的にはそれを認めることは不可能に近いだろうと思うんですけれども、現実的な、、まぁ皆さん、落としどころだとか、前向きにと言うんだけれども(笑) じゃあ実際に具体的にどう解決していくのかっていう所が、田崎さんどうお考えですかどうお考えですか?」
田崎氏「うん、あのー、僕はやっぱり村山談話と河野談話をー、安倍政権があのーはっきりと認める方法なら取れるんじゃないかなっていう感じを持ってるんですけどもぉ、やっぱりこれをきちんとこう、それを踏襲するんですとはっきりするんですっていう事を言って
韓国側の譲歩を促していって、何とか首脳会談に持っていけないかなっていう事を考えているんですよねぇ。」
辛坊氏「ピョンさん、その位で落としどころになります?」辺真一氏「それ駄目ですねぇ。っていうのはですね、韓国側の日本に対する必須条件っていうのは2つだけじゃなくて、例えばそのー、今竹島の日は島根県が県行事としてやってますね、
日本政府は、これ政府行事に格上げすると、いうような事をま、選挙期間中に公約したようですけども、これを例えば格上げしないとかですね、或いは日本にとっては非常に厳しいかもしれませんけども、そのー安倍総理の靖国参拝、二度とあってはならないとか、えーあるいはその竹島問題を国際司法裁判に提訴すべきでないとか、この他の問題がついておりますので、このー、村山・河野談話をこれをその撤回しない踏襲するっていうだけではですね、パククネ大統領も動けないんじゃないかと思いますね。」
辛坊氏「石破さん、えー、与党幹事長として具体的にどうすべきだ、どうしたらいい、、」
石破氏「それはひとつひとつを検討するんですよ。ね、いろんな、、今ピョンさんが仰った話、田崎さんが仰った話、もう好きとか嫌いとか言ったって仕方がない話なんで、、
ただね、冷戦の間って、韓国は中国とも国交無かったんですよ。ソ連とも無かったんですよ。それが今やもう中国との貿易ってのは日本・アメリカを遥かに凌ぐようになった。だから日本はこう昔のままの感覚で韓国を見てるけど韓国は多ーくの国と付き合うようになったってのが大きな違いでね、我々としても今の韓国って何なんだろう。
そして北朝鮮があり中国があり、ここで安全保障環境をきちんと整えておかなきゃいけないのは、日本の国益でもあるし地域の国益でもあるんですよ。1つ1つの問題をこれが出来るかできないか。そんな面倒くさいことやってどうすんだといわれるけども、それの積み重ねしかないでしょ、外交ってのは。
辺真一氏「いやさっきね、私は我慢する所は我慢しなきゃいかんっていう意味は、それはあんまり焦ってはいけないってことですよ、それは。そういう我慢ですよ。
で、それからもう1つ、(首脳会談によって打開するという逆の方向で考えるべきという話 略)」(この話題は以上)
辺真一の物凄い上から目線にドン引き・・日本が考えろとか、日本が譲歩することしか言ってない(・・;)
もし、仮に、万が一、日韓条約やり直しなんて事になっても、韓国がことあるごとに蒸し返すのは火を見るより明らかなのに、何言ってんだか(呆)
日韓条約締結までの過程は、久保田発言騒動に見られるように、本当の事を言っただけで火病して席を立つような人達を相手に凄まじい物でした・・・
韓国側が日本の経済支援で満足している証言もハッキリ残っています
《「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その1 【NHK】》より
NHKで【BSドキュメンタリー 日韓国交40年企画 日韓条約 知られざる交渉の内幕 その1】という番組を昔見たんですが(2005年6月18日放送 )、
日本と韓国の14年間に亘る、凄まじい交渉の様子や、韓国人の証言、交渉した人達の証言などなど
(ただし、徴用された韓国人と慰安婦の証言は信憑性が薄いし、ナレーションも突っ込みどころアリ)
流れ的には、韓国政府のネコババが分かりやすく、良い番組だったと思います。
政権末期になり、また慰安婦問題を蒸し返してきた韓国・・・(呆)
日韓条約で完全に解決済みのため、全くの韓国国内問題だという事を再確認するためと、とにかくスゴイ動画のため消されないか心配で^^;、頑張って文字起こししました](青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)
(中略)
韓国側の発言「日本が真に誠意を示そうとするならば、韓国に対する請求は撤回すべきである。この問題が解決しない限り会談を続けても意味がない。」
第1次会談は開始から2ヶ月あまりで決裂しました。
「いわゆる特需の波に乗って、再び兵器製造に乗り出し、隔壁砲弾・発煙弾などの大量生産が行われ、異様な活気を呈しています。」
朝鮮戦争は日本にとって戦後の窮乏から抜け出すきっかけになりました。特需景気が続き、国民総生産は戦前の水準を回復するまでになりました。
一方、国土全体が戦場となった韓国の経済は最悪状態が続いていました。
軍事費が財政を圧迫し、アメリカの援助に頼る経済状態が続きました。
第1次会談の直前からイ・スンマン大統領は日本に対して強硬な政策を打ち出していました。
(朝日ニュース) 李承晩ライン問題
「遥かに朝鮮半島を望んで果てしなく広がる海原。この自由な公の海上で、しばしば日本漁船に対する不法事件が繰り返されており、日韓の海を遮るリショウバンラインが一方的にされているのです。」
イ・スンマン大統領はリショウバンラインと呼ばれる境界線を設定しこれを超えた日本漁船を拿捕しました。国家の防衛と漁業資源の保護がその理由でした。
日本では、激しい抗議の声が巻き起こりました。
(つづく)
次は、久保田発言を巡る紛糾の様子や徴兵・徴用された韓国人の証言・李ラインの事などです。
久保田発言とは「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえば、韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言う事は記録を取らないでほしいが・・・
当時、日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかも知れない。」
という正論に、韓国が激怒し会談が紛糾、決裂。
韓国側の発言「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ、我々はもっとよくやっていたかも知れない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人の為に出したもので、その金で警察や刑務所を造ったではないか。」
あと、こんな事を言う人もいて・・・・
キム氏「もちろん、日本の統治時代に鉄道も敷かれ、色々な制度も整備され、学校も建てられたのは事実です。しかし、韓国国民からすると久保田発言はまるで韓国に能力がないので日本が助けてあげた。他の国の場合より日本は韓国に良い事をたくさんしてあげたという事ですよねぇ。しかし、私はそもそも日本が何故我々を侵略し韓国を植民地化したのかというところに問題の本質があるのだと思うのです。(元中駐日大使)
韓国って、ホント一体何なんでしょうね。で、別の韓国人もこんな事を・・・
《韓国、“反日スイッチ”とは?野田政権末期での慰安婦問題妥協案、日韓併合と靖国問題 【新報道2001】》より
朴一氏「慰安婦問題について、野田政権末期で3つの提案(在韓日本大使が直接慰安婦に謝罪・野田総理の詫状・政府が100%公的資金で償い金を出す)し、これは一歩踏み込んだ内容。
安倍さんは歴史の“刺”を抜きたいと考えていると思うし、日米韓が強力なタッグを組む必要があるので、民主党が出した叩き台を元に着地点を作って欲しい」
日韓条約を見直すというのは、こういう事もきちっとケリをつけなくてはいけなくなります。つまり落としどころ・着地点なんてありない
《竹島が日本領である理由! 李承晩ライン・不法占拠で44人の日本人死傷、韓国側の3つの根拠 【朝ズバッ!】》2012年08月24日
まっ、韓国人が何を言おうが構わないけど、
「村山談話と河野談話をー、安倍政権があのーはっきりと認める方法なら取れるんじゃないかなっていう感じ。やっぱりこれをきちんと踏襲するんですとはっきりするという事を言って韓国側の譲歩を促していって、何とか首脳会談に持っていけないかな」
なんて、日本の政治評論家が韓国側の主張に屈するような発言するとはねぇ・・嘆かわしいです
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく
日韓基本条約は、1951年(昭和26年)から開催しては決裂、決裂しては再開という14年間に亘る曲折を経て、1965年(昭和40年)6月22日に日本と韓国間で結ばれた条約です。
その曲折の中で起きた第一大邦丸事件を知っていますか?
韓国という国が、いかにで凶悪で卑劣かという一つの過去例ですが、怒りがこみ上げてきます。
この悲惨な事件を絶対に忘れてはいけません。
まずは事件の背景、日韓条約の経緯を少し復習 (青字はナレーション)(昔のテレビのアナウンサーの声はピンク字)
《「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その1 【NHK】》 より
・・・・日本と韓国の国交正常化に向けた動きは1948年、大韓民国の建国から始まりました。
韓国の初代大統領・イ・スンマン。韓国は植民地支配から独立を勝ち取った戦勝国であり、日本から賠償金を得る事が出来ると考えていました。
「対日講和会議開会の瞬間が迫りました。」
しかし、韓国は戦勝国の一員には加えてもらえませんでした。"日本と戦争をしていたわけではない"という理由で日本やイギリスが反対した為でした。
戦後補償の問題は二国間交渉に委ねられる事になりました。
1950年、朝鮮戦争が勃発。アメリカを中心とした国連軍、そして中国人民義勇軍が参戦し、戦闘は朝鮮半島全体に広がりました。
当時、中国・北朝鮮などの共産主義勢力が台頭し始めていました。
これを憂慮したのがアメリカでした。連合国総司令官・マッカーサー元帥はイ・スンマン大統領に対し、日本との国交正常化を要請しました。さらにアメリカは日本にも、韓国と話し合いを持つよう働きかけました。
1951年10月、14年に及ぶ長い交渉が始まりました。(中略)
第一次会談の開始前から韓国側は植民地支配に対する賠償を試算していました。
その額は、当時の額でおよそ20億ドル、日本の国家予算の3倍に及ぶ額でした。
これに対し、日本側は逆に韓国側に要求をつきつけました。
日本が朝鮮半島に残してきた財産の返還を要求し、韓国側の要求から差し引くよう求めたのです。
韓国側はこれを拒否しました。
韓国側の発言「日本が真に誠意を示そうとするならば、韓国に対する請求は撤回すべきである。この問題が解決しない限り会談を続けても意味がない。」
第1次会談は開始から2ヶ月あまりで決裂しました。
「いわゆる特需の波に乗って、再び兵器製造に乗り出し、隔壁砲弾・発煙弾などの大量生産が行われ、異様な活気を呈しています。」
朝鮮戦争は日本にとって戦後の窮乏から抜け出すきっかけになりました。特需景気が続き、国民総生産は戦前の水準を回復するまでになりました。
一方、国土全体が戦場となった韓国の経済は最悪状態が続いていました。
軍事費が財政を圧迫し、アメリカの援助に頼る経済状態が続きました。
第1次会談の直前からイ・スンマン大統領は日本に対して強硬な政策を打ち出していました。
(朝日ニュース) 李承晩ライン問題
「遥かに朝鮮半島を望んで果てしなく広がる海原。この自由な公の海上で、しばしば日本漁船に対する不法事件が繰り返されており、日韓の海を遮るリショウバンラインが一方的にされているのです。」
イ・スンマン大統領はリショウバンラインと呼ばれる境界線を設定しこれを超えた日本漁船を拿捕しました。国家の防衛と漁業資源の保護がその理由でした。
日本では、激しい抗議の声が巻き起こりました。・・
で、本題の第一大邦丸事件 - Wikipediaなどの襲撃・拿捕事件が起きます
◆状況・経緯
拿捕されるまで
1953年1月22日に、第一大邦丸及び第二大邦丸は、福岡を出航し2月4日には二百八十四農林漁区で操業していた。
同日午前7時ごろに、第一大邦丸の南西より韓国の漁船である第一昌運号及び第二昌運号が北上して接近してきた。そして日本語で「魚は獲れますか」と話してきた。韓国船はそのまま行過ぎ、付近で停止して操業(を装って日本船を監視)していた。しばらくして第一大邦丸が揚網作業に入ると、そのとき船尾から30メートル程度の距離にあった韓国船が、自動小銃で第一大邦丸への銃撃を開始した。日本側二隻は逃走を開始したが、8時15分には第二大邦丸が拿捕され、逃走していた第一大邦丸も銃撃が熾烈で、逃走を断念した。この時操舵室内に坐っていた漁撈長は、後頭部左側より銃撃をうけ、意識不明となる。第一大邦丸は8時30分に拿捕され、第一昌運号の船員に「翰林に行け」と日本語で命令された。
取調べが始まるまで
同船は11時30分に済州島の翰林面に入港させられ、日本人船員は憲兵によって警察に引き渡され、船内の目ぼしい私物、装備及び漁獲物は警察に没収された。その際に日本人船員側が憲兵に対して負傷者がある旨を伝えたので、船員は翰林面の高医院に収容された。高医院とは名ばかりの医院で病室はもちろん設備も全く無く、医師は見ただけで「これは駄目だ」といって漁撈長の手当てを拒否した。船員たちは警察に行き軍病院かどこかへの入院を依頼した。しかし警察は「我々は軍の命令によって行動したのであって、我々に責任はない」と拒絶した。そこで船員たちは憲兵隊へ行き、病院への収容を再度依頼したが、憲兵隊長に「盲貫銃創だからとても駄目だ」と言われて再度拒否された。船員側の度重なる依頼の末、軍病院への入院が許可された。その際に「車は直ぐ来ますから」と言われたため、船員はそのまま漁撈長の元へ行った。病院までの搬送の間に漁撈長が死なないように、医者にリンゲルの注射を求めたが、医者はリンゲルは高価だと躊躇。結局船員が私物を売り払って金を払う約束をしてリンゲルを一本射ってもらった。
しかし韓国側は結局車を出さず漁撈長を放置し、漁撈長は2月6日の23時に死亡した。翌日漁撈長の遺体は命中弾が軍のものか警察のものか判明させる為に韓国側によって解剖され、結果憲兵の銃撃によるものであることが判明した。同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。
帰国まで
2月9日から、船員は全員警察署の前の防空団詰所に監禁された。詰所は約4畳の広さで、そこに18人が監禁され、食料は一切支給されなかった為、船内食料で食いつないでいた。
取調べで韓国側は拿捕地点は翰林より9マイル付近であったと主張。日本人船員側が昌運号のコンパスの時差及び速力の矛盾を指摘したところ、韓国側に両者の主張の中間をとろうと言われて、13マイル付近を拿捕位置として捺印させられた。同時期に取調べを受けていた第二大邦丸の通信士によると、拿捕地点は翰林より30マイルである。
2月12日に一行は済州に送られる事になったが、誰も漁撈長の遺骨を持ってきていなかったため、遺骨を取りに行くことを要求したが、警察署長に拒否された。船員が移送用の車に乗ることを強硬に拒否したところ、1人だけ残して、次の日に運ぶ事を認められ、残りの船員は車で済州へ運ばれた。
同日23時頃、船員は済州警察査察課第二係に引き渡され、食事を与えられずにそのまま留置所に入れられた。この留置所も4畳ほどで、しかも他の韓国人と一緒に入れられていた。この留置所では粗末ではあるが食事は与えられた。
済州での取調べでは、李承晩ライン侵犯との韓国側からの指摘に対し日本側は、同ラインは韓国が一方的に定めたもので国際法上認められていないと反論した。クラーク・ライン侵犯との非難に対しては、米国公使より作戦の妨害にならなければよいと説明されていたことを伝えた。この際に韓国は自国の領海は島と島を結んだ線から計測されると主張した。これは群島基線に基づく主張であるが、韓国は群島国家であると主張していないため国際法的には無効であると思われる。
この後、警察は船員に対して領海侵犯をしたという嘘の調書をハングルで作成し、これに捺印させ、日本への通知とした。しかし、海図を出して調べるときには丁字定規一本とたばこ及びマッチを以て測るという具合に適当に作成された調書の矛盾より公海上の事件であった事がわかり、佐世保の朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が、李承晩に会見を求め、これに対して李承晩は遺憾の意を表し、第一大邦丸の釈放に応じた。
2月15日午前7時頃に、船員は外事主任より今日帰国させる旨通告され、中型ジープで水上署まで移送された。その際に査察課の課長から、「死亡した人に対しては非常にすまない。今韓国は戦時下であるので、君たちに食糧をやりたくてもやれないのだから。あまり内地へ帰っても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれ」との旨の挨拶を受けた。同日13時に船体の受け渡しがあり、同日済州を出航、アメリカ海軍のフリゲート「エバンズビル」に護衛されつつ、2月17日17時半頃に佐世保に入港、2月21日に佐世保を出航して、2月22日7時に福岡に帰港した。
◆問題点
- 民間船に対する無警告攻撃行為
- 当初より明確な軍事行為目的を持っていた。外務委員会連合審査会によると、韓国船2隻には乗組員各12名のほか、憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、警邏4、5名が分乗していた。
- 拿捕後の取調べ時の虐待的取り扱い。食料を与えない、過剰な人口密度等、ジュネーヴ条約違反の疑いは払拭できない。
]このようなことで、李承晩ラインへの抗議の声により、交渉再開の機運が高まります。
《 「日韓条約 知られざる交渉の内幕」 その2 【NHK】》 より
・・日本では、激しい抗議の声が巻き起こりました。
「日本政府としては、リショウバンラインというものについての韓国側の主張は絶対に認められないっ」
李ライン問題は日本海の漁業で生計を立てていた人達の生活に深刻な打撃を与えました。
「日本一を誇る魚市場に入荷する魚は少なくなり、いたずらにその広さが目立つのです。例え係争が出ても、海に生活の糧を求める漁師たちには、恐怖の海を承知の上で李ラインへ出かけざるを得ないのです。
最近の出航の別れの言葉は変わってきました。漁船員の妻は今までならばハンカチを振りながら「行っていらっしゃい」と笑顔で見送っていたのが、今では「きっと帰ってきてね」というようになってしまったのです。波止場の別れにも慣れたはずの妻も港に出る船陰を眺めては思わず涙を一筋二筋。乗組員たちも切ない顔つきで笑顔を見せる余裕を無くしてしまった。」
日本では次第に李ライン問題の解決の為に、会談を再開すべきであるという世論が高まっていきました。
当時の新聞の社説です。(朝日新聞)
韓国側の言動はいかにも不当であって、我が国民感情を刺激するところが少なくない。我々は目下中止している日韓交渉を即時再開し、両国の間で合理的な解決策を討議すべきであると考える。
黒田氏「反日ナショナリズムって言うんですかねぇ、日本に対する激しい、、日本に特に植民地時代に対する怒りと恨みの念を持ってた。そういう考え方に従って反日政策をとった。それの一番の象徴みたいなものになったのがリショウバンラインなんですね。ほんっとに日本にとっては、これが解決しなきゃ日韓会談は纏められない、そういう一番大きな問題になってきてたわけです。」
オ氏「韓国側が李ラインを交渉のカードに使ったというのは全くの誤解です。そんな事は考えていなかったと思います。結果的に会談の過程で日本が漁業問題に大きな感心を持つようになり、この問題の解決無くしては、他の交渉にも応じられないという立場を日本側が取っていたので、おのずと韓国側も感心を持つようになっていったわけです。」
外務省は、李ライン問題について話し合うため会談の再開を申し入れました。
韓国側は李ライン以外の問題についても話し合う事を条件に交渉に応じました。
1953年10月、韓国側の首席代表は引き続きキム・ヨンシュク駐日公使。日本側の首席代表は外務省の久保田貫一郎参与でした。
韓国側は、「日本が韓国に残した財産の請求権を放棄すべきである」と宣言、更に「李ラインは国際法上認めらたものだ」と主張しました。
これに対し、日本側は「李ラインは認められない。対韓請求権も撤回しない」と反論。両国とも従来の主張を繰り返しました。
この時、韓国側の代表団の一人が次のような発言をします。
韓国側の発言「日本が36年間の蓄積を返せというならば、韓国側としても36年間の被害を清算せよ。と言うしかない。」
これに対する久保田主席代表の発言が日韓会談の行方を大きく揺さぶることになりました。
久保田氏「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえば、韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言う事は記録を取らないでほしいが・・・
当時、日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかも知れない。」
この発言に対し、韓国側は激しく反発しました。
韓国側の発言「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ、我々はもっとよくやっていたかも知れない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人の為に出したもので、その金で警察や刑務所を造ったではないか。」
韓国側は声明を発表しました。久保田発言を全面的に撤回しない限り、会談は続行できない。この発言は会談の基礎を完全にぶち壊すものである。
久保田主席代表も韓国側の態度を批難しました。議論の席上の片言節句を捉えて、一国代表の発言の取り消し要求をしたことは、外交交渉に前例がない。
当時、日本の世論では久保田発言に対する批判的な声は上がりませんでした。
政府は、会談は韓国側の理不尽な態度により継続不能に陥ったと発表しました。
韓国国会では、久保田発言の取り消しを求める決議案を満場一致で採択、発言は傲慢無礼、荒唐無稽であり発言に対する日本政府の支持は許しがたいという内容でした。
日本の国会でも、日韓会談の決裂について取り上げられました。
久保田氏「朝鮮総督府政治の悪いところがあったのは認めるとしましても、良い点もあったという事は、これは日本としましてはどうしても取り消せないことだと存じます。」(参議院水産委員会にて答弁)
岡崎外相「我々としましては何も間違ったことを言っているわけでもないし、謝る理由はひとつもないのでありますから、それを謝るという事は出来ないので、等々、会議は不調に終わりました。」
当時、与野党共に会談決裂の原因は韓国側にあるとしていました。・・
こうして李承晩ラインとその後の韓国海軍による銃撃、拿捕など軍事力により、竹島は侵略されました。
これもオチがあり・・・
《お電波べべこの覚醒記録☆素人にもわかりやすくがコンセプトです~》さんの
韓国は竹島を不法占拠している・・・・ダグラス・マッカーサー2世という記事に、韓国真っ青の証拠がー
この李承晩ライン以降、韓国は竹島(独島)を自国領だと主張し続けているわけですが、李承晩ラインが引かれた8年後、米の駐日大使であったマッカーサー2世が、当時の米国、韓国大使に宛てて出した長文の公式電報に「竹島は韓国が不法占拠している」と明確に指摘しています。(続きを読む)
このように李承晩ラインこそが、侵略行為なんです。
だけど日本がどんだけ証拠を出しても、「独島は我が領土」としか言わない。
「日本は侵略国家」だって?! じゃあまずの第一大邦丸事件を説明してもらいましょうか
それにしても日本のマスコミが、この李承晩ラインでの悲惨な拿捕事件のことを詳しく報じないのは何故なんでしょう?!
これ、まだほんの60年ほどの前の話です。。。
にほんブログ村 ←ちょっと共感!の方はポチッとよろしく