パンフレット騒動
TBS【朝ズバッ!】のけさ単!で
田舎出身の苦労人『韓国では"聖人"』相次ぐ批判も・・『パンフレット騒動とは?』と題し、
"パン・ギムン"の解説をやっていたので記録しました(やや要約)
みの・与良両氏とも、韓国マスコミ含めた韓国社会の構図を批判してたけど、ちゃんと判ってるんですね。
26日ソウルでパン・ギムン事務総長が歴史認識をめぐり日本・中国・韓国の関係悪化している件について、
『日本政府と政治主導者は自ら深く顧みて国際的な未来を見通す展望が必要』だと述べ→原因は日本側にあるとの認識を示した。
即座に日本は反応し、菅官房長官が「我が国の立場を認識したうえでの発言か疑問だ」と。
国連事務総長とは中立性を保つべき立場であり、国連憲章違反の可能性もあるという事で日本政府が調査に乗り出した。
みの氏「完全に違反してますよ、この発言」 与良氏「してますよね」
みの氏「やっぱ偏向ですよ、少し。」
与良氏「あのー、しかし、韓国の地元でね、まぁなんかお里帰りみたいな恰好で喋った。しかも韓国語で記者会見で。ああいう事言わされる、、言わざるを得ない環境っていうのが韓国のそのメディアも含めてあるんですよね。そこのボクは構造的なねぇ、問題をやっぱり、ほんっとに深刻だなぁと思いますね。」
河辺教授[韓国で発言した事に意味がある。メディアが自国に有利な発言を引き出そうとした中での発言だったのでは?](愛知大学)
28日、パン・ギムン事務総長自身が「日本のみについて指摘したものではない」と、中立性を守った発言だったと釈明。
みの氏「でもこの発言は韓国の中でもちょっと拙いんじゃないかって意見が随分出たらしいですよ」 与良氏「でもなかなかそれが大きくはならないんですね。」
みの氏「まぁそりゃぁ~メディアは抑えるからね。」与良氏「ねっ。」
井上アナ「そのような韓国国内の事情も頭に入れつつ是非ご覧ください。」
国連パン・ギムン事務総長とは?
パン・ギムン氏・・・1944年生まれの69歳(みのもんたと同い年)
みの氏「ああそう。同い年でコッチは事務総長かい?!」(首をひねる)「私はギネス2回いってるからねぇ。」
決して豊かとはいえない田舎の家庭に生まれ育ったが、苦学して名門ソウル大学へ進学し、卒業後外交官となった。
2003年 ノムヒョン政権下で外交政策補佐官に就き、翌年、外交通商部長官(外務大臣)になる。
ノムヒョン大統領の対日強硬政策を支えていた人物でノ、ムヒョンの右腕だった。
2007年 国連事務総長就任し(任期5年) 2012年再任され2期目。
韓国国内では"聖人"とされ伝記が多数出版。
生まれ故郷ではナント、国連事務総長就任後、テーマパークも建てられた(パンギムン平和ランド)
国連事務総長とは・・・世界中に4万4000人程いると言われる事務局員を束ねるトップ。
国連安全保障理事会(常任理事国)に注意を促す権限を持つ。
歴代の国連事務総長は、いずれの国も中小国出身・・大国に国連を牛耳られるのを避ける為
河辺教授[時には大国にブレーキをかける役割として、国連事務総長は米ソ対立の頃から大きな存在となった]
与良氏「・・・今は国連そのものがね、まぁその安保理がなかなか機能しない事は言われて久しいですけど、今度のシリアの問題でもそうだと思いますけどもね、そういう中でやっぱり事務総長の影が薄くなってきてる、、ボクらのそのウ・タントさん(ミャンマー出身)という人へのイメージとはやっぱり相当、、」
吉川氏「初代、2代目も含めてあの冷戦時代とやっぱり今全く、、国際情勢自体が違うので国連の立場も非常に難しいと思います。」
井上アナ「その流れを加速させてしまった人物とも批判されるパン・ギムン氏について様々な騒動がありました。」
2007年10月、就任した年、毎年行われているイベントでパン・ギムン氏主催のコンサートが行われ、式次第とあるパンフレットが配られた。
そのパンフレットには・・国際法上認められていない韓国独自の主張が。
日本海→東海(トンヘ) 竹島→(独島)は韓国領
日本は抗議したが、国連は「国連のパンフではない」と回収せず。
2008年1月 就任1年間で国連の韓国人職員数25%増え、最高幹部韓国人職員も2人→5人増 という異例の事態。
米紙ワシントンポストも"母国の利益を優先している" との批判記事を載せた。
相次ぐ内部告発として・・
2009年、ノルウェー国連次席大使が(パン事務総長は)"カリスマ性がない"と本国に公電
2010年、退任する国連事務次長が"事務総長 あなたは指導力不足"という50ページにわたる書簡送付
大国への配慮・・・
2010年 民主活動家ノーベル平和賞・リュウギョウハ氏の件で世界中が中国を人権問題で批判する中、パン・ギムン氏は中国訪問時、人権問題に触れず。 米紙"恥ずべき沈黙を守った"と報じた
河辺教授[世界各国の考え、立場からいろんな批判が出て、国連事務総長が集中砲火を浴びるのは常。100点満点はありえない]
昨日菅官房長官は「真意はあきらかになった」とパン・ギムン氏発言を問題視しない方針。
河辺教授[再選を考える必要のないパン事務総長の評価は今後にかかっている]以上
出だしのトークでは、みのもんたがパン・ギムンの印象を「あんまり英語が上手くないかな~。あともうひとつ同胞愛が強い」と言い、与良氏が「この間の発言はいかんですね」とも。
このパン・ギムン発言に関しては、8/26のTBS【NEWS23】で岸井成格氏が「国連事務総長が、ここまで言わなければならないほど日中韓の歴史認識が問題になっているんですねぇー」と同調するようなコメントしてビックリしたけど、アレとは路線変更?
で、パンギムンの無能っぷりは、既にたっぷり書いたので、
《潘基文事務総長「「(日本は)正しい歴史認識があれば他国からも尊敬と信頼を得られるぞ!」 【ワールドWaveアジア】》2013年08月27日
今日は、思わず吹き出しそうになった"パン・ギムン平和ランド"についてお知らせします
当時の記事です
ソウルリポート 夢をかなえた潘基文少年 国連事務総長へ 2007-02-01昨年10月、韓国中を熱狂させるビックニュースが飛び込んできました。当時、韓国外交通商部の長官を務めていた潘基文(パン・ギムン)氏が、国連総会で、第8代事務総長に正式に選出されたのです。アジアからの国連事務総長としては、ミャンマーのウ・タント氏以来2人目です。韓国ではこの快挙に刺激されて、ちょっとした国際政治ブームが巻き起こっています。
「世界の大統領」にも例えられる国連事務総長に当選したというニュースに、韓国の人達は歓喜に沸きました。多くの人達に愛されるのは、ドラマティックな生い立ちに人々の心を捉える大きな要因があります。
潘基文氏は子供の頃から成績優秀で、町でも評判の模範生でしたが、倉庫業を営む父親が事業に失敗し、苦学生としての道を歩みます。高校2年生のある日、基文少年に大きな転機が訪れます。韓国赤十字社が主催する「外国人学生のアメリカ訪問プログラム」のメンバーに選ばれたのです。韓国全土から4人が選ばれただけでした。神童基文少年の噂は瞬く間に広がり、町は大騒動になったといいます。こうして渡米した基文少年はワシントンDCで、世界の学生たちとともにケネディ大統領との面会を果たしました。世界の要人を目の当たりにした基文少年は、帰国してから外交官を目指して猛勉強を始めました。暇さえあればケネディ大統領と写った写真を眺め、自身を鼓舞し、世界への夢を膨らませていったといいます。
潘基文氏が事務総長として活動を開始してから、韓国では彼について書かれた本が飛ぶように売れています。現在書店に並んでいるのは2つの本「バカみたいに勉強をして、天才のように夢を見る」と「静かなる情熱」。いずれも潘基文氏の生き様や人柄を記した内容ですが、前者は1月下旬にノンフィクション部門でベストセラー1位にランキングされました。
潘基文氏が事務総長に就任して以来、国連機関の職員を希望する学生が増えています。 潘基文氏の就任によって、ほんの数ヶ月前までは遠い存在だった国連職員という職業が、より身近で具体的な職業選択の一つとして捉えられるようになったようです。
潘基文氏が国連事務総長になることが決まってからは、ディベートとよばれる討論や、テーマを決めて自由に発表するフリートーキングの分野に力をいれた英語教室に人気が集っています。子供達は、「海外語学研修」をテーマに賛成派と反対派に別れ議論を交わします。堂々とそして理路整然と自分の意見を周囲の人たちに納得させる英語を使いこなす事がこの授業のねらいです。ここでは10歳から13歳までの850人の子供達が勉強していますが、中でもトップクラスの子供たち、およそ80人がディベートの授業を受けています。授業では正しい発音はもちろん、目線の配り方抑揚にいたるまで、英語での話術を学びます。子供たちは、「第2の潘基文」を夢見て英語学習に熱意を燃やしています。
今月8日、潘基文国連事務総長が育った忠清北道忠州市は、彼のサクセスストーリーを記念する「潘基文テーマパーク」の建設計画を発表しました。国連の機能や活動状況などを含めた潘基文広報館を建てるほか、美術館、工芸彫刻館、博物館も建設する予定です。かつて小さな地方都市からアメリカに渡った少年は、ケネディ大統領との出会いを通して大きな希望に胸を膨らませました。数年後、「潘基文テーマパーク」に足を運んだ子供たちは、どんな大志を抱くのでしょうか。幼い頃から志を高く持ち、英語教育に打ち込む子供たちが、いつの日か韓国の未来をしょって立つ真の国際人となることを願うばかりです。
英雄の誕生に、韓国人の狂喜乱舞っぷりが窺えますね
でも、国連事務総長が中小国家から選出されるという通例を知らないのか、見えないのか・・・世界大統領とは壮大な妄想ですが・・^^;
ノーベル賞が喉から手が出るほどほしいあまり、胸像の台座だけ造ったり、記念切手を発行したり・・・国民が大熱狂していたのを彷彿としました。
《"ノーベル賞コンプレックス" 中国『ノーベル賞をとれないのは漢語のせい』 韓国『ノーベル賞有力候補が・・捏造事件とは?』 【朝ズバッ!】》2012年10月11日
・・2004年 世界初 ES細胞 発表 ファン・ウソク博士が世界中で大注目された。
韓国発の自然科学部門のノーベル賞の期待 大
韓国政府 → 多額の研究費を費やした。24時間体制でガードマン、ES細胞記念切手発行
しかし、その翌年・・・ 捏造発覚・・
一事が万事、世界に認められたくて必死なのはわかるけど、実力つけてからにした方が良いと思うな。
世界大統領という認識も早く改めた方が良いですね、見てて恥ずかしいから(゚ー゚)
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