バチカン
昭和天皇とローマ教皇が終戦後にやり取りをしていた親書がバチカンに保管されている事や、
戦後の「引き揚げ」に関しては、あまり知られてないので併せて紹介します。
2022年11月、ローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書がバチカンに保管されているというNHKニュース
戦後、海外に抑留された人たちの日本への引き揚げに関する新たな資料が見つかりました。ローマ・カトリック教会の中心地のバチカンが引き揚げの実現に関わっていたことを示す外交文書などです。専門家は「日本人の引き揚げをめぐる新たな発見だ」としています。
78年前の終戦時、海外にいた元日本兵や民間人はおよそ660万人とされていて、戦後もシベリアや東南アジアなどに抑留され多くの人が亡くなったほか、生き残った人たちも日本に引き揚げるまで10年以上の時間がかかりました。
新たに見つかったのは、1946年から48年にかけてバチカンで記録された、日本人の引き揚げに関するおよそ40点の外交文書などで、国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が、バチカンで公開された資料を調査して確認しました。
このうち、旧ソビエトによって57万人を超える日本人がシベリアなどに抑留された「シベリア抑留」をめぐっては、1947年1月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電に、引き揚げの実現に向けて旧ソビエトとの交渉を急ぐよう、アメリカ側に働きかけたことなどが記録されています。
1948年8月には、シベリアからの引き揚げが年内に実現するよう、日本の家族団体がバチカンの国務長官に協力を求める手紙を送っていたのに対し、返書には、早期に実現するよう努力すると記されています。
また、1947年8月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電には、オランダ領東インド、今のインドネシアにあった日本人の収容所をめぐり、オランダ政府に対して環境の改善を求めたことが記されていました。
その年の12月に日本の家族団体がバチカンの駐日大使に送っていた手紙には、東南アジアからの引き揚げがほぼ完了したとして、バチカンによる支援に対し、謝意がつづられています。
松本教授は「バチカンが日本人の引き揚げを援助していたことはこれまで知られておらず、新しい発見だ。日本側からすると中立国のバチカンにキリスト教の人道主義の側面から頼ったのではないか」と指摘しています。
そのうえでバチカン側のねらいについては「海外に抑留された日本人は特にシベリアではソ連側に洗脳されてしまう危険性があった。バチカンは戦前から一貫して反共産主義で、人道的理由もあったものの、実は共産化を防ぐという政治的な意図もあったのではないか」と話しています。
ローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書 バチカンに保管 | NHK | 皇室カトリック信者の総本山「バチカン」。昭和天皇と教皇が複数親書を交わしていた事は「敗戦後の日本」の形に大きく影響したと思います。
戦後、日本が主権を回復した1952年にローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書がバチカンに保管されていることが分かりました。
教皇が日本の主権回復を祝ったのに対して、昭和天皇が感謝の意を示した内容などが含まれていて、国際政治史に詳しい専門家は、戦後の両国の関係を研究するうえで貴重な史料だとしています。
保管されていたのは、1952年にローマ教皇のピウス12世と昭和天皇が交わした複数の親書で、国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が、ローマ教皇庁があるバチカンの使徒文書館でおととし公開された機密文書を調査して確認しました。
このうち、1952年10月にピウス12世が昭和天皇に宛てた親書では、この年の4月にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復したことや、当時、皇太子の上皇さまの成年式などが行われることを祝うことばが記されています。
これに対する昭和天皇の親書には、「祝意に対し、わが皇室並びに日本国民の深厚な感謝の意を表します」などと記されています。
「昭和天皇実録」によりますと、昭和天皇は太平洋戦争が始まる2か月前の1941年10月に、「戦争終結の手段を最初から十分に考究する必要があり、そのためにはローマ教皇庁と親善関係を樹立する必要がある」などと述べたとされています。
松本教授は、「昭和天皇とローマ教皇が終戦後にやり取りをしていたことは歴史的な経緯から推測されてはいたが、実際にそれが確認できる史料が見つかったことは、戦後の両国の関係を研究するうえで意義が大きい」と話しています・・
原爆投下時のローマ教皇ピウス12世は、アメリカの連合国軍総司令官に対し「原爆は戦争犯罪の可能性がある」と指摘し、戦後は日本と平和を築くよう提言もされていました。
で、日本では原爆の事、敗戦の事はよく報じられているけど、シベリア抑留についてはあまり報道されません。
自国民を抑圧し、多くのウクライナの人達を餓死させ、第二次世界大戦終了後の日本人の悲劇を知って下さい
≪【ロシア指導者の残酷史】ヨシフ・スターリン…ホロドモール(ウクライナ) & 日本・満州の民間人蹂躙・虐殺、シベリア抑留と日本社会党(野溝勝、戸叶里子 ) ≫2022年04月26日
・・日本人をシベリアへ強制連行し、強制労働をさせた
野溝勝と戸叶里子はクズ中のクズ(社会党左派の議員のみハバロフスクの戦犯収容所への訪問がソ連側から許可された。野溝はこの視察団の団長)日本側の対応 「引き揚げ」を参照
1945年(昭和20年)11月になって日本政府は関東軍の軍人がシベリアに連行され強制労働をさせられているという情報を得る。1946年(昭和21年)5月、日本政府はアメリカを通じてソ連との交渉を開始し、同年12月19日、ようやく「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立した。
1952年(昭和27年)に緑風会の高良とみが収容所を訪問した。このとき健康な者は営外作業に出され、重症患者は別の病院に移されるなどの収容所側による工作が行われ、高良の「他の収容者はどうしたのか」との問いに対し、所長は「日曜日なのでみな魚釣りか町へ映画を見に行った」と平然と応えている[47]。
1955年(昭和30年)に当時ソ連と親しい関係にあった社会党左派の国会議員らによる収容所の視察が行われた。視察はすべてソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、調理場の鍋にあったカーシャを味見した戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな臭い粥を、毎日食べておられるのですか」と漏らしたという。・・
戸叶・野溝両議員は帰途香港で記者会見を行い、「戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった」と、視察で知った事実とは異なる内容を語った[4]。
視察団は日本人抑留者から家族への手紙を託されていた。同時に、国民や議員に宛て、同胞への仕打ちに憤慨してソ連将校を斧の峰で殴り営倉に入れられた仲間の釈放のための外交努力と、収容所の窮状を訴えるとともに、将来の日本の国策のためならば、祖国のためにこの地に骨を朽ちさせても悔いはないとする収容者らの決意を認めた7通の手紙も手渡されていた。しかし、社会党議員らはこれら7通の手紙を握りつぶし、議員団団長である北村徳太郎への報告もしなかった。抑留者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、野溝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追及を受けている[5][6]。
あと、ソ連兵は粗暴で野獣的だったという引揚者の証言あと、戦後こんな悲劇も≪ロシア軍のウクライナ人への凌辱など「戦争犯罪」疑惑 & 77年前のソ連軍の日本人への凌辱証言、「マダムダワイ」とは…≫2022年04月04日「とっとと降伏しろ」派の人は、ロシア・ソ連が周辺国にやってきた蛮行をもっと「知る」べきだと思います。でないと、野溝勝と戸叶里子と同類だよ!
腹の立つ話だったので、口直しの話を1つ。、旧日本兵捕虜が建設に携わった有名な「ナボイ劇場」(ナヴォイ劇場)≪シルクロードの親日国 #ウズベキスタン。日本人を尊敬するのは #ナボイ劇場 を建設した日本兵捕虜の礼儀正しい姿【いま世界は】≫2015年10月26日
≪「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 【NNNドキュメント'16】≫外地からの引き揚げの悲劇の生の証言
71年前、祖国・日本が負けると大陸に暮らしていた女性達にはどうしようもない事が待っていました。身にはボロ布を纏い、足に履物はなく、見るも無残な姿で日本へ引き揚げてきたのです。 ・・
≪【引揚者の記録】衝撃の医学生戦争証言(京城帝国大学編) 前編 【NHK・戦争証言】 )≫そうそう!バチカンは、靖国神社も救ってくれました証言記録 市民たちの戦争
「“引き揚げ”の嵐の中で ~京城帝国大学 医学生の戦争~」太平洋戦争が終わり大陸に取り残された日本人はおよそ660万人。彼らは暴力と栄養失調、伝染病にさらされながら祖国を目指した。そんな混乱のなか、引き揚げ者たちのため医療活動を行った医学生たちがいる。日本が“外地”に始めて設立した帝国大学である京城帝国大学の医学生たちだ。彼らは、ソウル、プサン、博多港と各地で医療の最前線に立った。医学生たちが体験した引き揚げの現実と惨状を伝える。(HPより)
現代を生きる日本人として、バチカンに心から感謝します。未曾有の敗戦の中で、敵・連合国のGHQは我が国を占領し、「再びアメリカを始めとする連合国の脅威とならないようにする」ため、我が国の諸制度に根本的な改変を加えてきた。特にGHQの中には、軍国主義・超国家主義を廃絶するという観点から、靖国神社と護国神社の廃絶を主張する者もいた。
しかし、ポツダム宣言で保障した「信教の自由」という建前はもちろん、それ以上に靖国神社・護国神社の存続を願う一般国民の願いを無視することはできず、神社の廃絶まではいかなかった。
特に神道に対して敵意丸だしの神道指令を起草したGHQの民間情報教育局(CIE)の幹部は、当初、神社の祭典は軍国主義的な行事や扇動的な説教があると思い込んでいたようであるが、終戦直後の昭和二十一年二月、靖国神社の祭典を視察した際、軍国調とはおよそかけ離れた静かで簡素な、しかも清浄な感じのものであったため、予想に反した強い印象を受け、これがきっかけとなって、靖国神社のみならず神社神道に対するGHQの認識が大きく変わったようである。(大原康男著『神道指令の研究』)
また、終戦当時、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理であったブルーノ・ビッター神父の存在も忘れることはできない(以下参考、木村正義「靖国神社とブルーノ・ビッター神父」、社報『靖国』昭和五十六年七月号所収)。
GHQは日本占領直後、当然のことながら靖国神社の処置問題を取り上げ、司令部内では「焼却すべし」という意見が大勢を占めた。そして、その最終的判断は、マッカーサー総司令官に任されることになった。マッカーサーは決断を下すにあたって、キリスト教会の意見を聞くこととし、ビッター神父に対し、靖国神社処分に対する使節団の統一見解を文書をもって回答されたい旨要望した。
第一次大戦の勇士で陸軍中尉、ドイツ敗戦後聖職者の道を選び、昭和九年から日本に滞在、上智学院の院長も務めた知日派のビッター神父は次のように答申した。
《自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。
もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相いれない犯罪行為である。》
マッカーサー司令官はこの答申を受けて、靖国神社の焼き払いを中止せしめたという。
かくしてGHQは、①敗戦後も、靖国神社が日本の戦歿者追悼の中心施設であることを日本の大多数の国民は認めており、②その祭典は決して軍国主義を賛美するものではなく、③バチカンの代表者も、たとえ宗教的色彩を帯びようとも靖国神社は戦歿者追悼の施設である以上、その存続を認めるべきだと考えている――ことを知り、その廃絶は断念したのである。
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宗教までコントロールしようとする習近平・・
フランシスコ教皇は、「中華聖書」を黙認するんでしょうか 完全にChinaに屈したんですかね?
冗談のように思われるかも知れませんが、これは様々な信仰に対する支配の強化という習近平国家主席の意向を表しているのです。」チベット仏教も中国共産党の弾圧され続けているけど、他の宗教への攻撃も更に厳しくなってきて・・
近い内に、聖書は、世界中のカトリック教徒向けに、ローマ教皇が公式に認めた聖書と、それとは別に中国でのミサ向けに習近平国家主席による修正が入った聖書という2種類に分かれるのでしょうか。
去る11月習近平氏は、あらゆる宗教の聖典に対する監督を強化する意向を明らかにしました。
中国にはカトリック教徒が1000万人いますが、共産党から容認された教会の司祭は、やはり党が任命。更に党は説教に政治が持ち込まれていないかチェックしています。
しかしバチカンに詳しい専門家によれば、党幹部の中には信仰監視下を置くだけでは足りないと考える者も居るといいます。
「協会の正面に賭けられていた『殺してはならない』という戒めを含むモーゼの十戒を記した横断幕を見た地元当局が、それを中国で広く行われている死刑に対する批判だと捉えた事もありました。」
ローマには毎日数万人の中国人観光客が訪れますが、その大半はキリスト教徒ではありません。彼らにとっては聖書を書き換える事は大事ではないようです。
「私達中国人は聖書が何を意味しているのか正確には理解できないと思います。何よりもまず西洋諸国に向けられたあの書物と、中国の伝統がかけ離れているからです。」以上
とうとう各宗教の代表を招集し「宗教の聖典の内容を中国化せよ」と勧告という暴挙に(-_-;)
去年の記事です
国旗掲揚を強制し、聖書を燃やし、信者の身柄を拘束…… 中国で激しさを増す、宗教への攻撃 Dec. 04, 2018「今年のクリスマス」を踏まえた福島香織さんの記事です
・中国は、キリスト教徒やイスラム教徒、仏教徒に対する取り締まりを強化している。
・当局は、イスラム教徒をこれまでになく厳しく監視し、キリスト教の教会を閉鎖、僧侶らに国への忠誠を誓わせている。
・無神論をうたう中国共産党は、その支配を弱体化させかねないあらゆる草の根組織を非難している。
クリスマスは国辱日?キリスト教を憎む中国の理屈 2019年12月26日 6時0分 JBpress各宗教の弾圧されてる状況
(福島 香織:ジャーナリスト)
(中略)・・ こうしたクリスマス禁止令の背景は、習近平政権が2期目に入って「宗教の中国化」を強く打ち出し、各宗教に対して中国共産党の指導に従順な大衆誘導装置となることを求めていることがある。
とくに地方都市では、かなり厳しく「クリスマス禁止令」の通達が出ている。これは、地方都市や農村の方が“隠れキリシタン”が多い、という事情も関係しているかもしれない。大都市のクリスマスはカップル向けのイベント化している部分も大きいが、地方都市や農村では、この時期に宗教行事としてのミサが多く行われてきた。地方や農村のほうが、社会矛盾や格差、差別などが大きく、人々が宗教に救いを求めがちな環境であるからだろう。私も北京駐在時代、非公認キリスト教のミサの取材をしようと思ったときは、クリスマスイブに河南省や河北省の農村を訪れたものだった。
だから、2018年の「中共1号文件」(その年の最重要課題)では農村振興戦略を謳う中で、「法に基づいて、農村の違法宗教活動と国外の浸透活動に対する取り締まりを強化し、宗教を利用した農村公共事務への干渉を法に基づき制止し、農村の宗教施設や宗教偶像の乱造を継続して整理する」といった一文が盛り込まれていたのである。
こんな中国にバチカンが急接近
ちなみに英国の宣教団体、オープンドアーズのリポートによれば、2018年1年間で迫害を受けたキリスト教徒は2000万人以上、2019年はこの数字が5000万人以上に増える見込みという。中国のキリスト教徒はカトリック、プロテスタント合わせ公認教会所属が4400万人、非公認を含むと1億人前後と推計されている。とすると信者の半数が何かしらの迫害を受けている、ということだ。
2018年の1年間に、違法建築の建前などで撤去された公認教会(三自教会)の十字架は7000本、また多くの教会が取り潰しにあったり、教会の建物を政府に寄贈するよう強要されたりした例も報告されている。もちろん、こうした迫害はキリスト教だけではなく、イスラム教も仏教もターゲットになっている。
こんな中国に、ローマカトリックの総本山バチカンは急接近している。11月26日のローマ教皇が日本からバチカンに帰国する機上で教皇は記者の質問に答える形で「私は北京を訪問したい。私は中国を愛している」「中国とバチカンは良好なコミュニケーションを維持し、関係改善が進展していることを嬉しく思う」と語っていた。
今の中国では、サンタクロースですら、スパイ容疑や国家政権転覆扇動容疑で逮捕されかねないだろう。教皇猊下はそんな中国の現状をご存知の上で、福音をもたらせられるというのか。私はキリスト教徒ではないのだが、バチカンの今後の中国への対応が、世界のキリスト教信者を絶望させることのないようにと、神に願いたい。筆者:福島 香織
宗教の「中国化」「中華コーラン」もできるのかな?こんなの、厳格なイスラム教徒の人は、習近平を許せるの
中国共産党による「中国化」運動が強化される中、国の管理下に置かれる宗教施設は、共産党のプロパガンダを説教に取り入れ、十字架などの宗教的シンボルを共産主義の象徴に置き換え、宗教建物の建築様式を大幅に変更してきた。上記の内容に関する独占報道。
それにしても、宗教の自由どころか、思想もコントロールする赤い国って恐ろしい・・
国際法違反だし!
で、思い出したけど・・他宗教を批判するような政治家もダメ国際法にも憲法にも違反してるよ!思想・良心の自由(しそう・りょうしんのじゆう)とは、人の精神の自由について保障する自由権。思想・信条の自由ともいわれる。人間の尊厳を支える基本的条件であり、また民主主義の前提である。信教の自由、学問の自由、表現の自由、言論の自由とつながるものである。
国際法は市民的及び政治的権利に関する国際規約として、また、日本では日本国憲法第19条で思想及び良心の自由として保障されている。
«小沢氏発言「外国人参政権政府提出希望」「キリスト教もイスラム教も非常に排他的」»2009年11月11日asahi.com(朝日新聞社):小沢氏「排他的なキリスト教文明、欧米 ...
来年にスイスで開かれる国際会議に松長管長が出席することから、「欧米人に仏教の神髄を説いてやるのは非常に意義がある。大変うれしい」。さらには「排他的なキリスト教を背景とした文明は今、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」と文明論にまで言及した。・・民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で記者団に「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」と語った。弘法大師以来の歴史がある高野山金剛峯寺を訪れ、高野山真言宗の松長有慶管長と会談の直後。仏教のありがたさを強調するあまり、脱線気味となった。
思想信条の自由が保障されてる、日本に生まれて本当にラッキーだとつくづく思います!
八百万の神!万歳🙌
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BS朝日【いま世界は】(8/17)で、
ローマ法王訪韓で熱狂・バチカンのアジア戦略と題して、
「現法王としてアジア初の訪問国となった韓国。大統領の空港出迎えや長期滞在も異例なら、法王は領空通過を認めた中国主席に親善メッセージも」という特集していたので記録しました(青字はナレーション)
法王が発展途上国ばかりを訪問する意味を初めて理解しましたっ!
あと熱狂の韓国の話題より、バチカンとChinaの関係のスタジオトークが興味深いかも。
小松アナ「ローマ法王が25年ぶりに韓国を訪れています。熱狂的な歓迎の裏側にあるバチカンのアジア戦略に迫ってみます。」
フランシスコ法王「みなさん“Yes”という準備はいいかい!?」「イエー!」 「サンキュー!」
大声で若者達に呼びかけるフランシスコ法王。そして歓喜の声をあげる信者達。
韓国訪問中の法王は15日、キリスト教カソリックの祭典「アジア青年の日」に出席した。
演説で若者たちにアピールする法王の姿をCNNはこう表現した。「ロックスター法王」昨日のソウル中心部・クァンファムン広場。沿道車に乗って手を振る法王を一目見ようと80万人(警察発表)もの信者や市民がつめ掛け、歓声で迎えた。
パレードで法王は韓国のヒュンダイ自動車製の特別車に乗り、信者達の前を通った。
法王は広場に特設された祭壇で、18世紀から19世紀にかけて殉教した信者の為にミサを行った。
ローマ法王が韓国を訪れるのは1989年以来25年ぶりの事で、去年就任した法王にとっては初めてのアジア訪問となる。14日午後は朴槿恵大統領と共同演説を行い「自制と寛容、協力を通じて過去の不義を克服しよう」と南北朝鮮の統一を願った。
15日は胸にセウォル号の犠牲者の遺族から渡された黄色いリボンをつけミサを行った。
フランシスコ法王の外遊は去年の就任以来ブラジル、中東についで3回目となる。
また、来年1月にはアジア最大のカトリック国で8000万人の信徒を要するフィリピンと宗教紛争が続くスリランカのアジア2か国を訪問することを予定している。前任の法王・ベネディクト16世がアジアを1度も訪ずれなかった事に比べると、アジアを重視していることが伺える。
その背景にはヨーロッパでのカトリックの置かれた状況が関係しているという。
上野景文客員教授「中絶の問題、同性婚の問題をどうするか、伝統派であるカトリック教会が新しい考え方に対してかなり受身になっている。劣勢になっていると。大きな流れの中でやはりキリスト教の影響力は次第に低下してきている。」(元駐バチカン日本大使・杏林大学)
元駐バチカン日本大使で法王庁の動向に詳しい上野氏によると、法王の韓国訪問はアジアでの信者獲得が狙いだという。
ー教会の危機ー
前法王・ベネディクト16世は世俗化や教会離れ、聖職者や信徒の減少などを危惧してこう表現した。法王庁にとって信者獲得が急務なのだという。また、フランシスコ法王が(アジアへの布教を推進してきた修道会)「イエズス会」である事も関係していると上野氏は語る。
上野氏「イエズス会というのはもう立ち上がった時からアジアを重視して、日本やインドやそれから中国に対する布教をしようとして結果的には失敗したんですけどね。そのDNAというのは現在の非常に強い、、」
韓国内でのカトリック信者数はおよそ540万人と人口の1割を占めている。また近年、韓国でカトリック信者数が急激に増大している事もバチカンが韓国に注目する理由だ。
韓国カトリック司教協議会によると、信者は2005年の467万人か2013年には544万人へと増えたという。その背景に、韓国では急激な経済発展から個人主義が進み、国内では比較的新しいキリスト教への傾倒が進んだと上野氏は言う。
今回、フランシスコ法王が飛行機で中国領空を通過した際、習近平国家主席に「貴国に平和と幸福が訪れるよう神のご加護を祈る」との神前メメッセージを送ったという。現在、中国とバチカンは外交関係がなく、法王が中国上空の通過を許可されたのは初めての事だ。
上野氏「バチカンも中国の巨大マーケットの重要性をよく分かっていますから、お互いのその考え方の違いというものをなんとかギャップを縮めて外交関係を復活したいと、、」
法王のパフォーマンスも、教会の将来を担う若者に受け入れられる為のパフォーマンスなのか。
経済成長著しいアジアは、ヨーロッパで苦戦するバチカンにとって魅力的マーケットである。将来を託す存在でもあるようだ。
(スタジオトークはやや要約)
小松アナ「バチカンのアジア戦略に迫るという事でなかなか一大トピック。今回アジア訪問が25年ぶりで韓国に行っている。」
川村氏「韓国はカソリックも含めてキリスト教徒が多いし、経済成長力も非常にアジアの中では順調に伸びてきているので、
かつてキューバを取材時、ヨハネパウロ法王が社会主義国の中に教会が1つ建てば、ローマ法王が行く事で2つ3つ4つと増えると。
しかも暗殺の危険も顧みずに最も小さなオープンカーで手を振って、キューバ全土を回ったのを取材したのを憶えているが、
同じ様に韓国でもオープンカーで非常に気さくな感じで一番小さな車を用意させたと言われているので、韓国の人達は一目みたいと、これをきっかけに、、
例えば北朝鮮でも教会が5つあるので、それも増えていくような、将来の朝鮮半島の全体の流れも踏まえた今回の訪韓ではないかなと。」
矢島アナ「25年前には認められなかった中国上空通過を許可されたという事だが、巨大マーケットという表現もあった中国とバチカンの関係改善は進むのか?」
高橋氏「1951年以来国交がない。その理由は2つあって、
1つはバチカンが台湾と国交している。もう1つは共産党の指名する司教じゃないとダメで、バチカンが任命する司教を中国国内は認めないのがネック。
問題は、もし国交を結ぶのなら、中国国内が問題で、共産党政府は、宗教の自由を認める事になる。
ところが中国は法輪功・チベットとか宗教に関しては大変に厳しい。そんな中でキリスト教だけ緩めてしまうと何が起きるか分からない。
特に中国は今、内政が磐石じゃないので、中国としてはそう簡単に国交回復を受け入れないと思う。」
小松アナ「バチカンとしては教会離れが進んでいるのを非常に懸念している背景がある中で、中国は魅力的な場所と映るのか?」
ジョナサン・ソーブル氏「マーケットという言葉が出たが、ヨーロッパはホームマーケット。
前任者のベネディックは、毎週ミサに行っている人は少数になったのでホームマーケットを立て直そうと力を入れたが成功しなかった。
今回はアンゼンチン生まれのフランシスコなので、その戦略を変えて新しいマーケットの開拓に再びフォーカスを当てていると思う。」(フィナンシャル・タイムズ東京支局長)
小松アナ「安倍総理も外遊で飛び回り、本当に大きなPR効果があるが、やはりトップが行くというのは意味が本当に大きいなとこれを見ても思う」
高橋氏「そう思う。やはりバチカンって、宗教だけど政治的に動いている。それだけに共産党一党独裁という国家権力国家と宗教国家が相容れるかといえば、元々水と油の関係。だから中国とバチカンは難しいと思う。」
小松アナ「一方でカトリックは世界最大の組織にして世界最強の勢力という見方もあるが?」
川村氏「やはり信仰という意味でもっているバチカンの政治的な力は非常に大きい。今回も上空通過を許可したという背景には、中韓関係が非常に良好なので、韓国側からの依頼かも知れない。なので中国の周辺がそういう融和な感じになっていけば中国自身が今後対立は良くないと交流を進めていこうと事になるだけでもかなり大きな一歩だと思う。」
キリスト教が信者減でピンチだとは全然知りませんでした。マーケット獲得作戦もやむ終えませんね。
キリスト教は基本「赦す」事なので、中韓にはもってこいかも。
Chinaは広ーいから、ジワジワとカソリックが広がっていくのも面白いかな。
で、トップセールスというのはやはり凄いパワーのようで、今朝のNHK-BS【キャッチ!世界の視点】スペインTVAでは・・・
「気さくなフランシスコ法王は世界的に大人気で、法王庁のあるバチカンへの観光客が激増し、イタリアも世界第5位の観光大国になった」
とバチカン美術館・庭園前などの大行列をリポートしていました。
凄い手腕ですよね、フランシスコ法王(・・;)
ちなみに中央日報の記事では(タイトルだけ読めば十分)、期待をこめたローマ法王関連記事が今となっては空しい感じ
法王は「慰安婦」に触れなかったようで韓国の思惑は外れたようです。
政治的に利用しようなんて罰当たりもいいとこなんだよ!(;一一)
で、カソリック系の学校って日本中にいっぱいありますよね。幼稚園も。私もそういう幼稚園に通っていました。「人を恨んでは絶対にダメ」という教えだったな。あと「全てに感謝しなさい」と。
スペイン人の神父様とエルマナーが片言の日本語で、幼稚園児の私達に言い聞かせてくれました。
中韓に足りないのはまさにソレだと思う・・
ちびっ子ながら毎日毎日お祈りしていたので、何十年経ってもお祈りの言葉は出てきます。
韓国の為にお祈りを捧げましょうかね。
「父と子と精霊の御名においてアーメン
めでたし 聖寵充ち満てるマリア 主、御身と共にまします
御身は女のうちにて祝せられ 御胎内、御子イエズスも祝せられたもう天主の御母、聖マリア 罪人なる我らの為に 今も臨終の時も祈りたまえ。アーメン。 」
「バチカンと靖国」 関連記事
靖国神社焼却計画 神社焼却計画
ポツダム宣言にしたがって降伏した「有条件降伏」を「無条件降伏」にすり替えた占領軍は、日本の復讐を恐れ、日本人の激しい敢闘精神・抵抗心を根源から打ち崩そうと、靖国神社をはじめ、明治神宮、伊勢神宮、熱田神社の焼き払いを計画した。靖国神社は焼き払って跡地をドッグレース場にしようと考えた。占領軍は日本の戦争遂行の精神的支柱を神道だと決め付けたのだ。
これに対してはさすがに躊躇があり、マッカーサーは駐日ローマ法王庁・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父に意見を求めた。
ビッテル神父は以下のように答えた。
「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、其の行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。・・(中略)・・国家のため死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」
マッカーサーはこの意見にに従い靖国神社焼却という暴挙を思いとどまった。
靖国神社などの焼き払いは免れたが、マッカーサーは神道指令を発布した。
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