イランイラク戦争
日本映画で久しぶりに見たい!と思うものに出会いました。
というのも、この2つの国際的な出来事に関わる逸話を以前に記事に書いていたからです。今回はそれを紹介します
先人達の素晴らしい行いを描いた、この2つの映画が奇しくも同日公開というのも面白いですね
2015年10月13日、杉原がビザを発給したリトアニア・カウナスでワールドプレミアが行われ、杉原の家族やカウナス副市長が出席した[2]。450席の劇場は満席で50人の立ち見が出た他、上映終了後には5分間のスタンディングオベーションが起きた[2]。
本作は2005年頃から企画され、2013年10月に会談した内閣総理大臣安倍晋三とトルコ首相レジェップ・タイイップ・エルドアンとの間で合作について議論された[4]。
2014年1月、『エルトゥールル』の仮題で制作が発表され、同月に会談した安倍首相とエルドアン首相との間で合作することに合意し、日本外務省・トルコ文化観光省が製作を全面バックアップすることになった[5][6]。日本での撮影は12月から開始され、2015年7月からはトルコでの撮影も行われた[7]。
2015年1月、タイトルが『海難1890』に正式決定し、内野聖陽と忽那汐里が主演・ヒロインを演じることが発表され、同時に3月に発足する「『海難1890』を成功させる会」の最高顧問に安倍首相が就任することも発表された[4][5][6]。内野は本作への出演について、「次の世代に残すものに参加させていただきたいと、2つ返事でお受けしました」とコメントしている[8]。
4月28日、トルコ映画史上初となるイスタンブルのユルドゥズ宮殿での制作発表会見が行われた[7]。7月9日にクランクアップ報告会見が行われ、安倍首相・エルドアン大統領(2014年8月就任)からビデオメッセージが寄せられた[8]。
11月13日、ユルドゥズ宮殿で本作の特別上映が行われ、安倍首相・エルドアン大統領が鑑賞した。東映は「合作とはいえ、両国のトップが一つの作品を鑑賞することは極めて異例のこと」とコメントしている[9]。
ユダヤ人を救った杉原千畝は有名だけど、他にも尽力した日本人が居たそうです
《ニューヨークの「ジャパンウィーク」、ユダヤ人を救った杉原千畝ともう一人の日本人大迫辰雄さん 【Nスタ】》2014年03月08日より抜粋
TBS【Nスタ】で、
ニューヨークで開催された「ジャパンウィーク」で、ナチスの迫害から逃れるユダヤ人の逃避行を支えたある日本の民間人の足跡が今回の展示の目玉というニュースをやっていたので記録しました(青字はナレーション)
この時期にこの話題、タイムリーですねぇ。
アナ「日本の文化などをアメリカで紹介する"ジャパンウィーク"がニューヨークで始まりました。
今回の展示の目玉の一つが、ナチスの迫害から逃れるユダヤ人の逃避行を支えた、ある日本の民間人の足跡でした。」
日本の文化や観光地を紹介するジャパンウィーク。
今回の目玉の一つが、ユダヤ人と日本人との関わりに焦点をあてたVTRの上映でした。
このVTRを見つめる一人のユダヤ人女性。シルビア・スモーラーさん。
シルビアさんは70年前、ナチスの迫害を避けるために、かの有名な杉原千畝氏のビザを片手に祖国ポーランドを脱出。ウラジオストク、日本を経由して、アメリカを目指しました。
シルビア・スモーラーさん「(ウラジオストクから)私たちが乗った敦賀行きの船はいったい誰が手配してくれたのでしょうか。本当に興味深いです。」
スモーラーさんの日本への旅を支えたのが、もう一人の日本人でした。
当時、旅行会社に勤務していた大迫辰雄さんは、ウラジオストクに到着したユダヤ人と共に輸送船に乗り込み、スモーラーさんらの身元確認や渡航保証金の処理等にあたり、敦賀への上陸を見届けました。リトアニアとウラジオストク。ユーラシア大陸の両端にいた二人の日本人が、数千人ものユダヤ人の命を救ったのです。
シルビア・スモーラーさん「彼らが共に行動したか分からないけれど、彼らが取った行動は素晴らしかった。」
田中由紀さん「やはりここはニューヨークですので、ユダヤ人のコミュニティーも大きい所でございます。こういうことを通じて少しでも日本に関心を持っていただいて、日本に来ていただく方が増えると良いかなと思いまして、、」(ジャパンウィーク主催者 事務所長)
70年の歳月を越えて掘り起こされた歴史が、新たな日米交流の橋渡しになりそうです。以上
良い話ですね! TBSとは思えない良い視点の取材です☆日本人って本当にスゴイ!
で、もう1つの話は、ちょっと胸糞が悪くなりますが・・・・
トルコがエルトゥールル号の恩返しとして日本人の救出に動いた事を、カネ目当てみたいに書いた新聞がありました(;一一)
《【世界が忘れない日本の物語】 トルコを貶めた朝日新聞》 より抜粋
トルコは遠く離れた親日国で、近年も日本国民の多くの命を助けてくれた尊敬すべき国です。
トルコの大地震の一報を受けて、どの国より早く日本は救助に向かうべきですね。
エルトゥールル号遭難事件 の逸話をドキュメンタリー番組などでご存知の方も多いと思いますが、
その時にも朝日新聞は、ゴミでした。まず、この関西ローカルの番組を是非ご覧ください。
再現ドラマに心打たれます☆ で、その後のコメンテーターの指摘に唖然とします・・
【世界が忘れない日本の物語】(動画 削除)
(VTR終了後・・・)
たむけん「いや、これは伝えてもらわんと。」
リンゴ「なんかこう、良いことをした方は伝えてなくってね、されたほうだけに伝わっている話、、」
筒井氏「これ、最初マスコミね、トルコがあんな事してくれたのは経済問題で、、そんなこと言ってましたよね。」
井沢元彦氏「そうそうそう!カネの為だとか言ってた。とんでもない話なんです。そういう事をいうマスコミのヤツがいるんです。
・・・・何故トルコが助けてくれたのか、それは日本からの経済援助をあてにしてたり、その経済援助を受けていたからだということを新聞が書いたんですよ。日本の新聞が。」(サイアクや、えー?! うわぁ)
それでさすがにトルコの大使が怒りましてね、で投書したんですよ『我々はこの借りを返しただけだ』って。
これはどんなににスゴイことかって言うと、トルコ国民も残ってたわけですよ、600人くらい。それよりも日本人をまず助けてくれた。
だから、しかもあの飛行機ってのは、何故日航が行かなかったかっていうと、撃墜されるからですよ。要するに早く脱出しなきゃいけない。ところが外務省がグズグズしていたんで日航機もう行く時間がない。
で、もう切羽詰ってトルコの人に頼んだら、『分かりました』ってやってくれた。」
筒井氏「だけどトルコもギリギリでしたね。危ないとこだった。」
井沢元彦氏「そうです。」(以下 略)
で、そんな非常識な新聞はもちろん・・・
地球史探訪:エルトゥールル号事件のこと さまより (抜粋して赤字強調)
■2.日本・トルコ関係史に無知な朝日■
こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊
に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215
人」という朗報が載った。
何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出
してくれたのである。
まさに間一髪であった。掲載された写真には無事脱出できた子
供たちを含む邦人家族の喜びの顔が写っている。
さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を
冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対
して朝日新聞の記事はこうである。
すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化している
こと」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いてお
しまいなのである。
自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには
歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知ら
ないだけである。
無知だけならまだしも、金目当ての行為であったかのように書
くとは冒涜もはなはだしい。トルコは長いあいだ日本に対する親
愛の情を育ててきた国である。■3.駐日トルコ大使のコラム■
その証左として、昨(平成9)年一月の産経新聞に載った駐日
トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏のコラムを紹介する。
これを読むだけでも、トルコが何故日本に親愛の情を寄せるに
至ったかの消息が明らかになろう。それは日露戦争をさらに遡る
明治二十三年の出来事に端を発している。
勤勉な国民、原爆被爆国。若いころ、私はこんなイメージを
日本に対して持っていた。中でも一番先に思い浮かべるのは軍 艦エルトゥルル号だ。1887年に皇族がオスマン帝国(現ト
ルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルトゥルル号は初の
トルコ使節団を乗せ、横浜港に入港した。三ヵ月後、両国の友
好を深めたあと、エルトゥルル号は日本を離れたが、台風に遭
い和歌山県の串本沖で沈没してしまった。
悲劇ではあったが、この事故は日本との民間レべルの友好関係の始まりでもあった。この時、乗組員中600人近くが死亡
した。しかし、約70人は地元民に救助された。手厚い看護を
受け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日
本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、私も
幼いころに学校で学んだ。子供でさえ知らない者はいないほど
歴史上重要な出来事だ。
ここに挙げられたエルトゥールル号遭難に際して、台風直撃を
受けながらも約70人のトルコ人を救助した地元民とは、和歌山
県沖に浮かぶ大島の村民である。・・イラン・イラク戦争の逸話は1985年(昭和60年)ですから、95年前の恩を忘れなかったトルコということです。
あの頃を生きた日本人が素晴らしいのはもちろんですが、感謝の気持ちが、時空を超えて現代日本人の多くの命を救ったなんて胸が熱くなります。それに対し200
6年春の叙勲で、 別枠の外国人叙勲は21カ国の49人。国別最多はトルコの13人で、
イラン・イラク戦争中の1985年にテヘランから日本人200人以上を救出したトルコ航空特別機の当時の乗務員ら。
小泉首相が今年1月のトルコ訪問で元機長と懇談したのがきっかけとなった。ということなんですが、20年経って表彰って・・・遅っ(・・;)
今こそ、イラン・イラク戦争の時の恩を全力で返す時です・・
《エルトゥールル号救出、95年目"感謝の3倍返し"とトルコを貶めた日本の新聞社 【朝ズバッ!】》
・・・④95年目の??倍返し
1890年に和歌山沖でトルコ(当時オスマン帝国)エルトゥールル号が沈没し、598名が死亡したが、日本は官民挙げて69名を救助した。
みの氏「みーんなで抱いて暖めたんだよね。」
井上アナ「そうみたいですね、寒さに凍えていた中、、で、この出来事が日本とトルコの友好関係のきっかけと言われています」
時は流れ、95年、イランイラク戦争の時に多くの日本人が首都テヘランに取り残された。日本の航空機がその上空を飛べない事態の時、トルコ政府が特別機を派遣、約220人の日本人を救出した。
トルコ機機長・オルファン氏「危険だったが日本人を助けなければという恩返しの思いがあった」以上
歴史的な事も知らず、トルコとの友情に水を差すような記事を書いたのは、 またも、アカヒかっ!・・でした(;一一) 助けてもらったのに、まるでカネ目当てのような記事を書くなんて!
「感謝する」とか、人間として一番大事なものが足りないんだな・・
とにかく!どちらの映画も日本人が知るべき話です。特に子供達に見せたいですね。
大ヒットしてほしいなと思います☆
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TBS【朝ズバッ!】ミノがしません!けさ単!で、
ドラマ「半沢直樹」絡みで先週の「倍返し」に続き、今日は「10倍返し」を取り上げていました(・・;)
そんな番宣やあやかり商法やこじつけの話題はどーでもいいので、東日本大震災寄付金の恩返しとエルトュルール号の件のみを記録。
エルトュールル号の件に関しては、トルコを貶めるような記事を書いたアノ新聞社の事を再度、周知させたい!
世界の10倍返し、良い話ばかり・・・
①気持ち10倍返し
②募金10倍返し
東日本大震災翌日、タイのバンコク・クロントイ地区(スラム街)でも募金開始。その発起人は「これまで多くの日本に支援をしてもらったから恩返しがしたかった」という事で、その募金総額は110万円。すぐに被災地に送った。
そけを新聞記事で読んだ練馬区の男性(64歳)は「住民がすぐに動いてなけなしのお金を寄付してくれた事に感動した。退職金でお返しがしたいとずっと思っていた」と、400万バーツ(約1100万円)を寄付した。
それを元にその地区に一つしかない図書館の改修に使われた。
③利益10倍返し
④95年目の??倍返し
1890年に和歌山沖でトルコ(当時オスマン帝国)エルトゥールル号が沈没し、598名が死亡したが、日本は官民挙げて69名を救助した。
みの氏「みーんなで抱いて暖めたんだよね。」
井上アナ「そうみたいですね、寒さに凍えていた中、、で、この出来事が日本とトルコの友好関係のきっかけと言われています」
時は流れ、95年、イランイラク戦争の時に多くの日本人が首都テヘランに取り残された。日本の航空機がその上空を飛べない事態の時、トルコ政府が特別機を派遣、約220人の日本人を救出した。
トルコ機機長・オルファン氏「危険だったが日本人を助けなければという恩返しの思いがあった」以上
タイでは、自分達が食べるのもやっとのスラム街で募金してくれていました。その気持ちが泣けます。
絶対に報いたいという気持ちはあるのですが、実際にその10倍の金額を恩返しした日本人の方に心から敬意を表します。真似のできない本当に素晴らしい事です
で、トルコのエルトュールル号の件は、ある関西の局が再現ドラマをやっていたんですがこういうトンデモ報道した新聞があったそうです!
井沢元彦氏「そうそうそう!カネの為だとか言ってた。とんでもない話なんです。そういう事をいうマスコミのヤツがいるんです。
・・・・何故トルコが助けてくれたのか、それは日本からの経済援助をあてにしてたり、その経済援助を受けていたからだということを新聞が書いたんですよ。日本の新聞が。」(サイアクや、えー?! うわぁ) それでさすがにトルコの大使が怒りましてね、で投書したんですよ『我々はこの借りを返しただけだ』って。
これはどんなににスゴイことかって言うと、トルコ国民も残ってたわけですよ、600人くらい。それよりも日本人をまず助けてくれた。
だから、しかもあの飛行機ってのは、何故日航が行かなかったかっていうと、撃墜されるからですよ。要するに早く脱出しなきゃいけない。ところが外務省がグズグズしていたんで日航機もう行く時間がない。で、もう切羽詰ってトルコの人に頼んだら、『分かりました』ってやってくれた。」
その「カネの為だ」と言った新聞社はご想像通り!これに関しての詳細です
《【世界が忘れない日本の物語】 トルコを貶めた朝日新聞》より
地球史探訪:エルトゥールル号事件のこと さまより (抜粋して赤字強調)
■2.日本・トルコ関係史に無知な朝日■
こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊 に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215 人」という朗報が載った。
何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出 してくれたのである。
まさに間一髪であった。掲載された写真には無事脱出できた子供たちを含む邦人家族の喜びの顔が写っている。
さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を 冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対して朝日新聞の記事はこうである。
すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化していること」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いてお しまいなのである。
自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには 歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知らないだけである。
無知だけならまだしも、金目当ての行為であったかのように書 くとは冒涜もはなはだしい。トルコは長いあいだ日本に対する親 愛の情を育ててきた国である。■3.駐日トルコ大使のコラム■
その証左として、昨(平成9)年一月の産経新聞に載った駐日トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏のコラムを紹介する。
これを読むだけでも、トルコが何故日本に親愛の情を寄せるに至ったかの消息が明らかになろう。それは日露戦争をさらに遡る明治二十三年の出来事に端を発している。
勤勉な国民、原爆被爆国。若いころ、私はこんなイメージを日本に対して持っていた。中でも一番先に思い浮かべるのは軍艦エルトゥルル号だ。1887年に皇族がオスマン帝国(現トルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルトゥルル号は初のトルコ使節団を乗せ、横浜港に入港した。三ヵ月後、両国の友好を深めたあと、エルトゥルル号は日本を離れたが、台風に遭い和歌山県の串本沖で沈没してしまった。
悲劇ではあったが、この事故は日本との民間レべルの友好関係の始まりでもあった。この時、乗組員中600人近くが死亡した。しかし、約70人は地元民に救助された。手厚い看護を受け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、私も幼いころに学校で学んだ。子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事だ。
ここに挙げられたエルトゥールル号遭難に際して、台風直撃を受けながらも約70人のトルコ人を救助した地元民とは、和歌山県沖に浮かぶ大島の村民である。
歴史的な事も知らず、トルコとの友情に水を差すような記事を書いたのは、
助けてもらったのに、まるでカネ目当てのような記事を書くなんて!
「感謝のする」とか、人間として一番大事なものが足りないんだな・・
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