戦後70年・安倍談話

2015年08月19日13:46(日本研究・第一人者)陳昌洙氏「安倍談話に関して韓国が怒っている箇所・理由」 【プライムニュース】

BSフジ【プライムニュース】(8/18)で、

『“安倍談話”を考える 国民はどう聞いたのか 米・中・韓のとらえ方』
 
14日に発表された“安倍談話”。安倍首相自らが記者会見で表明したメッセージは、内外にどのように届いたのか。今後のアジア外交、安保法制審議などにどのような影響を及ぼすのか。  内外の論客にじっくりと聞く。  番組動画 (←いきなり声が出ます)
 

ゲスト宮家邦彦 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹     朱建榮 東洋学園大学教授
    陳昌洙 世宗研究所日本研究センター長
 

安倍談話に関して議論していたんですが、陳昌洙(チン・チャンス )氏が韓国が怒っている理由を繰り返し主張していたのでその部分だけ記録しました(やや要約です)

全体を通してChina側より韓国の怒りが凄い。

何故なら、「日韓併合は不法」で「併合されなかったら韓国はもっと発展していた!」と韓国人は皆思っているのに、それに一切触れなかったのがけしからん!という事らしい

003 001
反町氏「 国の名前の順番は韓国は拘るか?」
002
陳氏「そういう事については誰も気がついていない。順番がどうであれ中身の問題。中国は中身についてはあんまり考えていないんじゃないかと。
韓国は4つのキーワードが入っていても、その中身については本当に心をこめた談話になっていないという事。
何故かというと、植民地時代に入るプロセスについて何も書いてない韓国は1910年の日韓併合条約については不法だと主張している。その観点から見ると問題があったと言って欲しかったが、その事が一言も入っていない
ただし、植民地時代に関してはある程度苦しみを与えたと言う村山談話を継承していると思うが、その前のところについて何も話してないのは歴史認識の後退だと思っている。
004
これは70周年の総理の談話なのだから、総理の自分の言葉で直接に話をして欲しかった。それも不満
それと、女性の人権について触れ、その中に慰安婦の事も入ったと思うが、慰安婦の問題で日韓が主語、誰がやったのかで揉めている。、その事が何も入っていない。誰がそれを起こしたかということは何も入っていない。何も韓国の立場になっていない。」
朱氏 「それは画竜点睛で、目を描いていない。形としては4つのキーワードを書いても、それが誠意を込めたものとして隣国に伝わるかどうか。正直、中韓でそれは評価はかなり低い。」
005
宮家氏「誠意というものと、揉めている問題について韓国なり中国の言い分をそのまま書いていないのがけしからんと言って誠意がないというのとは違うと思う。もし意見が異なる部分について韓国の意見を無視して日本の意見を堂々と言ったというのなら誠意がないかも知れないが、あえて書かず踏み込んでいない。」
006
陳氏「誠意がないというのは、書かれていないという事よりも認識に問題がある。韓国の主張を書き込んでほしいというよりも、談話の前提・背景になっている歴史認識が問題だ。
植民地時代に入る背景についても書いていないというよりも、アジア人とアフリカ人がそれについて勇気づけられたという言葉、その歴史認識が問題
宮家氏 「韓国を除くアジア、アフリカ人と書けばよかったのか?」
陳氏「いやいや、事実に反する事だ。日本人からすると事実かもしれないが、植民地になっている人からするとそれは事実ではないその認識のギャップが日韓の問題だ。
宮家氏「ギャップはわかるが、それが誠意がないという事になるんですか?」
007
陳氏「誠意がないという事は、この事に自分の総理の談話として出す時は、問題だと書くのは当たり前だと思う。他人の事のように、過去にこういう事があったと、その事についてはしょうがなくてと受け止めざるを得ない書き方、それが誠意がないと
反町氏「1910年の日韓併合についての経緯が書いていないが、1931年の満州事変以降については国策を誤ったと反省もし謝罪もしている。日韓併合に触れなかったのは何故か?
宮家氏「それは何とも言えないが、日本国内もいろんな議論がある。そしてコンセンサスが固まりつつあるようなものもあれば、まだ議論が分かれるものも。そもそも歴史家に任せるべきだという議論もある。そこの判断を細かく入るよりは政治家としての判断としてこのような形になったと。不満があるかもしれないが、誠意がないと言われてしまうと私も胸が痛いところがある。」
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反町氏日韓併合は建前上・手続き上は、大韓帝国が大日本帝国に申し入れて、法的な手続きはちゃんと取られて併合された
では、韓国の議論として、大韓帝国が日本との併合という選択肢を取らなかった場合どうなっていたかの議論はないのか?」
陳氏「ありますよ。植民地時代の事は色んな問題が起こっている。もし植民地時代にならなければ、色んな選択肢があって韓国は今よりももっと発展するだろうと
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反町氏清国とかロシアにやられていたんじゃないかという議論はないのか?」
陳氏「韓国人から見るとその時は色んな選択肢があって、日本を利用してロシアを防いだり、戦略上いろんな選択肢があった。]強制的に日韓の併合条約を結ばれてその後から悲惨なことになったというのが韓国の認識だ。
反町氏併合されなければもっと良くなっていた?
011
陳氏それが前提になっている。それは歴史は分からないが、日本で言われているように、日本に併合されていなかったら他の国に侵略されていただろうというのは一つの仮説だ。いろんな選択肢があった事は間違いない。
植民地にならなかったら、悲惨な事にならなかったし、選択肢をもって今の韓国よりもっと発展するだろうというのは韓国人ならみんなそう思っている
だから日本の植民地時代は不法だというコンセンサスをみんな持っていて、植民地時代に入っていく過程に何も触れなかった安倍談話は不満だということだ。
反町氏日韓併合についても日本が武力によって無理やり併合させたと?」
陳氏そうです。そうです。」
反町氏「当時の大韓帝国に対する批判とか、なぜうちの政府はやってしまったのかのかと言う議論じゃなくて、やった日本が悪いというところで全部終わってる?
陳氏「それは韓国はその時に色んな事ができなかったのか、何故そういう事になったのかという事は、歴史の教訓として勉強して研究している。
それで最近の外交戦略としても、やはり100年前の韓国のような立場になってはいけないと教訓としてみんな考えている。」
宮家氏 「韓国にはそういうコンセンサスがある。しかし日本にはない。」
012
陳氏「日韓は歴史認識のギャップがある。今までの村山談話はその意味では韓国人が考えている植民地時代に入る過程についても間違っていたと認めていた談話だ。[E:danger]それを今回の安倍談話は全然認めていない形になっている、それが問題だ。

人さし指ちなみに陳氏は、韓国における日本研究の第一人者だそうです。

で、この後「アメリカから日韓関係改善を言ってきているように思われるが?」という質問に対しても・・

韓国は民主主義の国だから色んな声がある。世論調査では、日韓首脳会談をするべきだと声が60%以上。しかし、歴史認識について日本が問題があるなら日本と交渉しなくてもいいという意見も80%。歴史認識については韓国の国が建てられた原則だ。反日の事ではないが日本に抵抗して韓国は光復、国を建てた

と。そして「日本は正しい歴史認識を持て。そして行動しろ」というような事を言ってました(・・;)

韓国側の歴史認識が安倍談話に一切盛られていなかったと怒っていたけど、

人さし指つまり、韓国国内で醸成された(洗脳)歴史認識のコンセンサスを、日本に押し付けてきているわけで、そんなもん、聞けるかっ!?(笑)って話ですよね。

人さし指人さし指あと、日韓併合が不法かどうかは、韓国が繰り返し持ち出してきてずーっと議論されて来たけど、もう決着がついているんですけどね右

「韓日併合は違法」世界の知識人524人が安倍批判のニュースと、「韓国併合再検討国際会議」

日本のテレビに出ている韓国人(金慶珠・辺真一など)も「そもそも日韓併合は無効」とよく言っていますが、世界の知識人?が共同声明を出したそうです。 この人達は「韓国併合再検討国際会議」を知らないんでしょうか?(呆) この際、日韓基本条約の「日韓併合はもはや無効」の文言の攻防も紹介します。・・・

人さし指そもそも併合時代の諸々の話は、14年に亘る交渉の末、日韓条約で「完全かつ最終的に解決」したハズ。その際日本は、建国の祝い金・経済協力金という形で大金をあげましたよね。 

その後に、交渉時に話題に出なかったからと慰安婦問題を蒸し返すのなら、コチラだって二日市保養所に見られる韓国人のレイプ事件とか色々出さなければならなくなり、キリがないんです。

《衝撃の医学生戦争証言(京城帝国大学編)"二日市保養所" 後編 【NHK・戦争証言】》

国と国との条約の意味を韓国が理解するまでは、関係改善なんて絶対にムリだと改めて思いました。

同時に、村山談話を薄めた「安倍談話」って本当に凄いな~と。


[E:typhoon]関連記事右

《「日本からの経済援助は"はした金"」のように言った金慶珠氏(・・;) 【そこまで言って委員会】》

・・・金慶珠が、日韓基本条約の際、日本が韓国に出した経済援助金をはした金?のように言っていたので、その部分だけ文字起こしして記録しました[E:downwardleft]

金氏曰く、"実質的に韓国経済発展を後押ししたのは、、ベ゙トナム戦争でのアメリカからの資金。日本からの8億ドルのお金は、日本では「経済援助」で韓国には「請求権の結果」であり、「韓国にしてみればそもそも試算した額の半分以下」"だそうです。ふらふら

人さし指あと、14年に亘る日韓交渉の知られざる内幕として、そのお金の「名目」についての攻防も紹介します。・・・

”池上彰からラストメッセージ”と「独島部」 【「金曜プレミアム・池上彰緊急SP 知っているようで知らない韓国のナゾ」】

《池上彰氏の「韓国建国は棚ぼた式」発言批判と、韓国が本気で「戦勝国」と思い込んでるワケ》

《『ほんとうは"日韓併合"が韓国を救った!』  (前半)》

動画の説明文

韓国駐在などのご経験を踏まえ、この程、『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った!』を上梓なさった松木国俊氏をお迎えし、日韓間の真の相互理解のためにも、日本人自身が知っておくべき「日韓併合」の実相について、いわゆる「従軍慰安婦」の虚構性や、「小中華思想」の影響、総督府発行の教科書にも明らかな「七奪」の誤解、そして、韓国人自身が先人達の努力を認めることの重要性などに触れながら、お話しいただくとともに、軍事占領されている状態の竹島を取り返すために心すべきことなどについても、お伺いします。

《元ニューヨークタイムズ東京支局長、ヘンリー・ストークス氏「河野談話はプロパガンダに利用」&「日本はアジアの希望の光」 【新報道2001】》

戦後70年 安倍総理談話 


《崔基鎬氏「なぜ朝鮮人は嘘をつくのか。『もしも』で作る歴史」 【チャンネル桜】》

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2015年08月17日10:14談話廃止論者・木村太郎氏「"安倍談話"は安倍さんの作戦勝ち!」&CNN「談話の全編生中継・日本の終戦」での伝え方 【Mr.サンデー・CNN】

フジテレビ【Mr.サンデー】(8/16)で、

常々「談話は必要ない」と言っていた木村太郎氏が、戦後70年・安倍談話を評価していたので記録しました[E:downwardleft](やや要約です)

その前に、(8/15)のBS朝日の【CNNサタデーナイトセレクション】のCNNセレクションで、

「70年談話をアメリカCNNはどう伝えていたか」というのをやっていたので、まず紹介します(やや要約です)[E:downwardleft](青字はナレーション)

滝口ユリナアナ「今日8月15日は終戦記念日でした。昨日は安倍総理が70年談話を発表しましたが、アメリカのCNNは生中継でその様子を伝えた他、ゼロ戦の元パイロットに独占インタビューするなど大きく扱いました。CNNはどのように日本の終戦を伝えたのでしょうか」

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「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない・・・」

午後6時から官邸で始まった安倍総理の記者会見。CNNはおよそ40分間の会見が終わるまでCMも入れず、ノーカットで全て生中継で放送した。

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会見後はすぐさま、韓国ソウルとつなぎ、現地の反応をリポートした。

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キャシー・ノバク特派員『談話』は非常に注目され韓国のテレビでも生中継されました。

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元慰安婦の方や韓国の人々にとっても『談話』は十分ではないと思います。」(CNNソウル支局)

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ソウル支局の女性特派員は安倍総理の談話は不十分だと伝えた。一方、中国の反応を伝える事はなかった 

CNNが伝えたもう1つの終戦。

(タイトル・「ゼロ戦の元パイロットは平和を訴えた」 元ゼロ戦パイロット・原田要さん(99歳)へのインタビュー)

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(戦争中勇ましく戦った様子と当時の思いと、平和を願う話など )

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(VTR終了 スタジオへ)

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滝口ユリナアナ「アメリカのCNN、日本の終戦記念日を大きく扱って、ゼロ戦の元パイロットへのインタビューなど日本側の視線を世界に伝えましたね。」

冨倉由樹央氏「そうでしたね、先週の取材でも被爆者のね、方の声をアメリカ中に届けたり、一方の立場だけではなくて、双方の立場を伝えようという報道姿勢が窺えますね。」(「クーリエ・ジャポン」編集長)

韓国のテレビが生中継していたのは知っていたけど、CNNが40分間ノーカットで生中継したというのは意外でした。

人さし指で、安倍総理の70年談話と、何故かアメリカに対して韓国はこんな反応右

【動画&画像】安倍談話に対し怒り狂う韓国国民 賛同表明した米国の星条旗&旭日旗を大勢で八つ裂き、安倍首相人形の顔を斧でズタズタにし火付け (正義の見方さまより)

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人さし指さて、【Mr.サンデー】ですが、

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「評価が分かれる安倍総理の談話をどう見るのか?」というのをやっていました右

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木村太郎氏「(安倍さんの戦後70年談話をどう考えるか?)」 あのね、安倍さんの作戦勝ち!

例の21世紀懇談会の報告書を出した時に、『お詫び』が入ってなくて、韓国の新聞なんかが『お詫びがない』とワーーっと騒ぎ出した。ところが談話出してみたら4つの要素"植民地支配""侵略""お詫び""反省"みんな入ってた

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だから拳を上げたっきり下ろせなくなっちゃった。(でもそれ安倍さんが反省してるんじゃないと言ってるが?) でもね、言葉が入ったことでね、もう勝ったと

(日中韓の首脳会議は近々やる?) やらざるを得ないでしょうね。

それともう1つ、それにくっつけて"次の世代にはその仕組みを背負わせてはいけない"という言葉が入ったでしょ。だからこれでオワリ!

この後はお詫びしないと宣言しちゃったようなもん。だからもう止めましょうよ、80年90年も100年もこういう事やるの。(談話廃止論者) そうですっ。(頷く)」

木村太郎さんの意見に大賛成!です万歳万歳万歳 

あとは、この思いを多くの日本人が共有すれば、本当に"謝罪の談話"はオワリにできると思います

関連記事[E:downwardleft]

戦後70年 安倍総理談話 

安倍総理の戦後70年談話、「お詫びが間接的表現だ」と岸井成格が「失望」表明&報道特集のオープニングで金平茂紀が語った事 【NEWS23・報道特集】

70年談話どうみる 各国とメディアの反応 最終更新日:2015年8月16日 より[E:downwardleft] 

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2015年08月15日09:44戦後70年 安倍総理談話 

※ 2015年8月14日に発表された【戦後70年 安倍総理談話】を、

今後ブログ記事に活用する為全文掲載しました[E:downwardleft](強調・色分けしました)

004

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

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 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました

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 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

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 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

010

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


011

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

012

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。

013

この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない

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 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。

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植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない

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先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

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 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。

その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

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 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

020

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

021

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。

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唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

023

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

024

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。

暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三

025

以上

人さし指日本国民全体に、先の戦争の事を踏まえ、平和と国際協調の議論を巻き起こす、

これ以上ない大変素晴らしい談話だと思いました☆

しかも、閣議決定したので、日本政府公式の見解!

悔しがってる日本人が多いのが謎 (苦笑)

関連記事[E:downwardleft]

20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と
日本の役割を構想するための有識者懇談会
 報告書

《元ニューヨークタイムズ東京支局長、ヘンリー・ストークス氏「河野談話はプロパガンダに利用」&「日本はアジアの希望の光」 【新報道2001】》

朝日新聞社説 戦後70年の安倍談話―何のために出したのか

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2015年07月27日12:05【戦後70年安倍談話】 田中秀征・岸井成格「結局結果的に"侵略""植民地支配"という言葉が入る」 【サンデーモーニング】

TBS【サンデーモーニング】(7/26)で、

“戦後70年談話”有識者懇談会が最終会合のニュースに対する田中と岸井成格氏のコメントがぶっ飛んでいたので記録しました(青字はナレーション)

この2人によると、安倍総理70年談話には結局、歴史認識へのキーワード「侵略」「植民地支配」が入るそうです で、それどこ情報??

001

関口宏氏「7月21日の火曜日です。

安保法制を通す為の政治的配慮?で、中身にキーワードが入るだろうと言っているけど、岸井成格と韓国が指定した4つのキーワードの内のあと2つはどうなるのかな~?

《【バンドン会議】「安倍総理の演説と歴史認識の4つのキーワード」by岸井 大東亜会議と、韓国が呼ばれないワケ 【NEWS23・プライムニュース】》

岸井成格氏「・・・それでコレちょっと見て頂きたいんですけどね、

005

歴史認識に関する4つのキーワードがあるんですね。村山談話・小泉談話ですけれど『植民地支配』『侵略』『痛切な反省』『心からのお詫び』ですよねー。

(中略)

004
小野寺五典議員『植民地支配』『侵略』『痛切な反省』『心からのお詫び』とか、これを聞きたい国は、(今回の習近平国家主席の戦略の話を見ても) 韓国くらいしかもうないのかなと

つまり、4つのキーワードに固執しているのは韓国だけ~!  

お詫びを入れるとか入れないとか、岸井氏の言う[E:danger]アジア諸国の人(アフリカの人も)は無関心。 

人さし指そもそも新興国は「共に発展しよう」という表明を求めているんですから。・・・

まぁ、田中氏も、岸井氏もずっと主張してきているように、文言が一緒なら出す必要はないというのはその通り

《「安倍総理の70年談話をめぐる(プライムニュースでの)発言が国内外に波紋」のニュース。ニューヨークタイムズ紙の社説と岸井成格のコメント 【NEWS23】》

アナ「戦後70年の節目の年、安倍総理大臣の談話をめぐる昨夜の発言が国内外に波紋を広げています。」

002 003

この夏に発表する談話では]植民地支配と侵略、心からのお詫びなどの表現を盛り込むかが焦点
これについて安倍総理は昨日夜、「基本的な考え方を引き継いでいくと言っている以上もう一度書く必要なはい」と盛り込むことに否定的な考えを示した。

安倍総理は、談話に自虐キーワードを盛り込むつもりはないと思いますよ(;一一)

戦後50年の村山談話が騙し討ちで看過できない思いで、安倍総理はもっと未来志向の談話を出したいと言っているわけだし。

《自民・稲田氏、戦後70年談話「首相に任せるべき」 、岸井氏「完全に勘違いしている!」 【News23】》

人さし指そもそも、あの談話が出た経緯を振り返ると「だまし討ち」なのに、未だこれを引き継げという野党・マスコミの目論みに怒りを覚えます右 

だまし討ちで成立した村山談話
                                                    伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1196 ■ H18.10.09 ■ 8,621 部 ■■■■■■■
  船出したばかりの安倍首相に対して、野党やマスコミは歴史認識問題で揚げ安倍総理はもっと未来志向の足を取ろうと、集中攻撃をしている。     

  歴史認識問題の踏み絵のひとつが、村山談話である。これは村山富市内閣が95年8月15日に閣議決定した談話で、第二    次世界大戦で日本国が、「国策を誤り」「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と反省と謝罪に徹した内容である。

 安倍氏は首相就任前から村山談話の見直しを示唆する発言をしていたが、それに対して、朝日新聞「安倍氏、村山談話踏襲明言せず」「アジア外交に不透明さ」(9月7日『朝日新聞』)と、批判の声を上げていた。

 10月2日の安倍首相の所信表明演説に対する各党代表質問では、鳩山由紀夫・民主党幹事長が、「(首相は)戦争に関する認識を語らず、歴史家に委ねると言い逃れている」と厳しく 追及した。これに対して、安倍首相は村山談話を引用し、「わが国はかつて植民地支配と侵略で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」と従来の見解を踏まえる考えを示した。 

 野党や一部マスコミが揚げ足取りを狙うのに対して、持論を抑えた「安全運転」ぶりを見せた新首相だが、いずれ政権基盤 が固まった段階で、この村山談話の見直しをぜひお願いしたい

 この点で、櫻井よしこ氏が、村山談話の「出自の卑しさ」を論じている一文が注目される。

 村山談話には出自の卑しさも目立つ。それは同談話の閣議決定に至る過程に明らかだ。まず談話の前段として95年6月9日の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決 議案」があった。

  「謝罪決議」と通称される同決議は「我が国が過去に行ったこうした(数々の植民地支配や侵略)行為」に「深い反省の念を表明」する内容だ。

 官報によると、同決議採択のための衆議院本会議の開会は95年6月9日午後7時53分、山崎拓氏らが提出してあっという間に可決、7時59分に散会となった。この間、わずか6分である。

 この間の経緯を当時衆議院議員の西村眞悟氏が『諸君!』05年7月号に次のように書いた。

 自社さ政権の下で国会における謝罪決議が構想され始めたが、反対の声は超党派で強まり、決議案が上程されても否決されることが明白になった。すると6月9日の金曜日、「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」との通知が衆議院内にまわされ、反対派の議員らは選挙区に戻った。そのすきを狙ったかのように、土井たか子衆院議長が金曜日の午後8時近くという遅い時間に本会議開会のベルを押した

 結果として265人の議員が欠席、議員総数509人の半数以下の230人の賛成で決議案は可決。だが、参議院は採決を見送った

 どう見てもこれはだまし討ちだ。精神の卑しさを強調するゆえんである。

 せっかくの決議なのに権威もなく、評価もされない。そこで村山首相らは次に総理大臣としての談話を出す道を選んだ

 95年8月15日、氏は、学者や谷野作太郎外政審議室長ら少数の官邸スタッフらと練り上げた談話を閣議に持ち込み、古川貞二郎官房副長官が読み上げた。「閣議室は水を打ったように静まり返った」と報じられた。

 事前説明なしで突然出された談話に、閣僚は誰ひとり反論していない。自民党にとってこのことこそが痛恨の一事だ。細川護煕政権の誕生で下野し、理念の全く異なる社会党の、首相たる資格の片鱗(へんりん)さえ備えていない人物を首相に据える禁じ手を以て、自民党はようやく政権を取り戻していた。自信喪失のただ中で、自民党は真っ当な価値判断を下し得なかったのだろう。[1]

 櫻井よしこ氏は、こうした村山談話の「卑しさ」を踏まえた上で、こう結論づけている。

 村山談話にとらわれることは、自社さ連立政権当時の、異常なる政権の揺らぎの中に没し続けることだそんな地平に日本の未来はないだろう。誠実で誇りある歴史認識を、新たに打ち立てることが、次期首相の課題である。[1]

もしも、韓国やサヨマスコミが言う4つのキーワードをそのまま入れるのなら、安倍総理が従来言ってきた事と違うわけで、安倍総理はかなりの支持層を失う事になるし、全くあり得ないと思います。


人さし指この番組は、有識者懇談会が最終会合で先の大戦を侵略と明記するかどうかなど取りまとめには至っていないと報じた上で、

「文言が盛り込まれるだろう」とコメンテーターが立て続けに言う限りは、その根拠を示すべきかと。

まぁ、あと3週間ほど?で、安保談話が出るわけだし、

この田中・岸井のコメントが当たっているのか、根拠なき希望的なものだったのかもうじき分かりますけどね。

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2015年06月05日19:36欧米研究者らの「偏見のない清算」の声明賛同者450人超。声明文呼びかけ人と作成者へのインタビュー。その本当の狙いは? 【おはよう日本】

NHK【おはよう日本】 で、

「欧米の研究者ら・歴史認識・生命が問いかけるものは」と題し、

欧米の日本研究者や歴史家が連名で発表した、慰安婦問題に関して「偏見のない清算」の声明文呼び掛け人と、作成者に取材していたので記録しました(青字はナレーション)

人さし指本当の狙いは何か? がポイント。

001_2

アナ国際的にも関心が高まっている日本の歴史認識。それに関する一つの声明文が注目を集めています。

先月、欧米の日本研究者や歴史家が連名で発表したもので、いわゆる従軍慰安婦などの問題に関して"偏見のない清算"を呼び掛けています。

女子アナ「この声明に賛同する研究者は、発表した当初187人でしたが徐々に増え、450人を超えるまでに広がりを見せています

"ジャパンアズナンバーワン"の著者・エズラ・ボーゲル氏やピュリッツァー賞を受賞した"敗北を抱きしめて"の著者、ジョンダワー氏など知日派の中でも著名な研究者も名を連ねています。」

アナ「彼らの声明は私達に何を問いかけているのか、取材しました。」

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タイトルは『日本の歴史家を支持する声明』

戦後70年の日本の歩みが世界の祝福を受けるには、いわゆる従軍慰安婦などの歴史認識問題が妨げになっていると指摘。その上で・・

この(慰安婦)問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によってもあまりに歪められてきました。 

元慰安婦の被害者としての苦しみが、その国の民族主義的な目的の為に利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、 被害者自身の尊厳をさらに侮辱する事にもなります。 

しかし、同時に彼女達の身に起こった事を否定したり、過小なものとして無視したりする事も、また受け入れる事はできません。
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過去の過ちについて、可能な限り全体的ででき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。
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この声明の呼びかけ人の1人、アメリカ・コネティカット大学のアレクシス・ダデン教授です。

”歴史認識をめぐる政治的な対立が、歴史の検証を妨げているのではないか”と懸念を抱いた事がきっかけだと言います。

ダデン教授私たちが歴史問題と向き合っているのは将来のためだと信じています。私達は20世紀の歴史を正確に記録の残す必要があります。21世紀に過去の暴力を繰り返さない為です。」

この声明の作成に関わった一人、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授です。
アメリカでの日本史研究の第一人者で、去年9月から日本に滞在し研究や講義を行っています。

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ゴードン教授「私達が重要だと考えたのは、歴史評価における偏狭なナションナリズムや言論に対する制限が日本だけの問題ではないという事です。

その事を声明の中に適切な形で盛り込む事が重要だと思いました。その点もしっかり声明に盛り込まれたと考えています。」

声明に賛同した研究者達の間には、今、日中韓の3カ国で異なる立場の意見を認めない雰囲気が広がっているという危惧があります。

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例えば、日本ではヘイトスピーチなど在日韓国・朝鮮人に対する差別的な言動

韓国では、"20万人の少女が日本軍に強制連行されたという認識は実態とは異なる"と主張した大学教授が大きな反発を受け

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裁判所が本の出版を差し止める決定を下しました。

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ゴードン教授攻撃される事なく自由な発言ができるかという点で、今の雰囲気は過去に比べて制限されていると感じます。

こうした現実を指摘する事によって歴史家同士が自由な気持ちで議論できる土俵を作りたいと思いました。」

長年ゴードン教授と親交がある研究者、五百旗頭真さんです。防衛大学校の前の校長で、今回の声明を評価しています。

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五百旗頭氏戦争の過去についての、その自己批判・反省をして今の普遍的価値をもってね、やはり処すべきじゃないかという議論ですね」

ゴードン教授「そう聞くと、極めてうれしいわけですね。あの、私達も(声明を)人に読んでほしいし、反発よりは考えて頂きたかったんです」(流暢な日本語)
今回の声明に賛同できないという研究者もいます。その1人、現代史家の秦郁彦さんです。

慰安婦について、日本の官憲による組織的な強制連行はなかったという立場です。
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秦さんは、声明が慰安婦の数について"永久に正確な数字が確定されることはない"などと表現している事に違和感があると言います。

秦氏「誰もその(慰安婦の数を)計算しようとする人もいないわけですよ。ここまでは言えるとかね、そういう事をやってみようというのではなくて、永久に分からないって放り出してしまうのはね、どうかなぁと思うんだけど、(歴史家は)あくまでも事実を忠実に再現をしていくと、、」

更に秦さんは声明には政治的な思惑もあるのではないかと推測しています。
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秦氏「これは憶測すればね、まぁ安倍首相が8月に談話を出すと言われている、、それを意識しての、まぁ呼びかけなのではないのかなぁという気はしますけど、

歴史家としての任務を放置してですね、そういうその政治的策動に巻き込まれるというのは避けるべきだと僕は思いますねぇ。」

ゴードン教授は、今回の声明が過去の歴史と向き合うきっかけになってくれれば良いと考えています。

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ゴードン教授「私の希望は、多くの日本人の学者や歴史研究家・市民に話し合ってもらう事です。我々の役割は一部に過ぎません。
日本政府などの当事者同士が何らかの声明を出すことで、未来志向でありながら、過去を率直に見つめ

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東アジアの可能性が実るような道を見出す事を願っています。」

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女子アナ「ゴードン教授は、自分達アメリカ人も歴史を完全に振り返ってはいない。過去の歴史問題に向き合う事はどこの国にとっても難しいことだと話しています。」

(東アジアの歴史研究をめぐり、東京外国語大学では去年から日本、中国、韓国の学生たちがインターネット中継によって歴史について議論、学生のコメントなど 略。)

アナ「歴史認識の問題は重い課題ですが、異なる立場を尊重しながら、私達一人一人が歴史について考え、少しずつその溝を埋めていくことが大切だと感じます。」以上

秦郁彦さんの言うとおり、歴史研究者はあくまでも「真実」だけを追求し続けて頂きたい。

何か少しでも政治的な背景があると、真実が見えなくなりますから。

ゴードン教授が「歴史家同士が自由な気持ちで議論できる土俵を作りたい」という思いで声明を出したと言ってたけど、それはとても結構な事です。

で、「過去の歴史と向き合うきっかけを!」というべきは挺対協です。韓国韓国です。

日本は言論の自由が保障されています。

韓国の研究者なんか完全に言論封鎖されてるにも関わらず、なんで日本に声明??

むしろそういう土俵を作らなくてはならないのは中・韓なのに、なんで日本の歴史学者宛てなんでしょう??

で、この声明文の呼びかけ人のコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授は、そもそも日本に批判的な人。この人がゴードン教授とか他の研究者を利用しているようないないような?

この声明文にもう1人の異議アリの藤岡氏の主張です。

欧米学者による「日本の歴史家を支持する声明」に異議あり 藤岡信勝氏緊急寄稿 2015.05.22

安倍晋三首相が8月に発表する「戦後70年談話」を見据えて、欧米を中心とした日本研究者450人以上が署名した「日本の歴史家を支持する声明」が注目されている。韓国や中国の「民族主義的な暴言」を問題視する一方日本政府に慰安婦問題など「過去の清算」を促している。当初、「比較的フェア」という見方もあったが、専門家が分析すると「怪しさ」や「狡猾な罠」も感じられるという。日本の知識人による反撃の覚悟とは。拓殖大学の藤岡信勝客員教授が緊急寄稿した。
 欧米を中心とした各国の歴史学者・日本研究者187人の声明が発表されたのは今月5日だった。20日までに賛同者は457人に増加したと朝日新聞が報道している。朝日新聞、本日も反省なしか。
 声明の趣旨は、戦後70年にあたり、安倍首相は日本の過去の戦争における「過ち」について、「全体的で偏見のない清算」をするように呼びかけ、慰安婦問題の解決に「大胆な行動」を期待する、というものである。明示していないが、安倍首相の「戦後70年談話」で「謝罪」せよと要求したものであると考えられる
 それにしても、この声明は一体、何なのか。まことに怪しい
 まず、誰にあてて出されたものか、名宛人がハッキリしない代表者が誰なのかも分からない(=声明の署名者一覧は、名字のアルファベッド順に並んでいるだけ。取りまとめ役の1人としては、慰安婦問題で日本に批判的なコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授の名前が報じられている)。江戸時代、唐傘に円形に署名して首謀者を分からないようにした傘連判(かされんぱん)のようだ。連絡先の事務所も不明で、日付もない。いわば、怪文書の体裁だ。それでいて、首相官邸にも届けたというが、真偽、消息とも不明

タイトルは「日本の歴史家を支持する声明」である。この発想は、3月に米国の全米歴史学会の雑誌に投稿された「日本の歴史家たちと連帯する」とそっくりだ。この時は19人が署名した(後に1人が加わって20人)。テーマは米マグロウヒル社の世界史教科書に載っている、「慰安婦」というコラムの記述だった。
 昨年11月3日、産経新聞がマグロウヒル社の世界史教科書の内容を報道した。
20万人の若い女性を強制連行し、天皇の贈り物であるとして部隊に下賜した-というデタラメ極まりない、ひどい内容である。すると、今まで動いたことのない日本の外務省が、11月から12月にかけて、マグロウヒル社に訂正の申し入れをした。
 米国から見ると日本は属国である。「この国はどんな辱めを受けても反撃してこない特殊なところだ」と高をくくっていたら、意外にも反乱を起こした。ここは示しをつけなければならない、という雰囲気で文書は書かれていた。日本の軍慰安婦は「国営性奴隷制」であるというのが、本質規定だった。
 ところが、今回の声明には「強制連行」「性奴隷」「20万人」などの言葉がすっかり消えているのである。驚くべき変化だ。
 実は、5月の187人の署名者の中には、3月の19人の文書にも名を連ねた人物が12人もいるのである。3月の声明と5月の声明の間に、一体何があったのか。そこには、日本側の毅然とした反論があったのだ。
 ■米大学名誉教授ら450人超署名
 問題の声明は今月5日、「日本の歴史家を支持する声明」として発表された。ベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者であるハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授ら187人が名前を連ねていたが、21日までにオランダ人ジャーナリスト、イアン・ブルマ氏ら約270人が新たに署名し、450人を超えたという。

 声明の中身だが、「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、政治的寛容さなどは祝福に値する」としたうえで、「慰安婦問題などの歴史解釈が(祝福の)障害となっている」と指摘している。
 一方で、「韓国と中国の民族主義的な暴言にもゆがめられてきた」と明言。韓国側が「20万人以上」などと主張する慰安婦の数についても「恐らく、永久に正確な数字が確定されることはない」とした。韓国や左派勢力が使う
「性奴隷」(Sex slaves)といった言葉は使われていない
 安倍晋三首相が4月の米上下両院合同会議での演説で「人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性」について語ったことを称賛し、「その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません」と訴えている。
 声明の最後には「ここに表明されている意見は、いかなる組織や機関を代表したものではなく、署名した個々の研究者の総意にすぎません」とあった。

■藤岡信勝(ふじおか・のぶかつ) 1943年、北海道生まれ。北海道大学大学院修了後、北海道教育大学助教授、東京大学教授、拓殖大学教授を歴任。現在、拓殖大学客員教授。95年、歴史教育の改革を目指して自由主義史観研究会を結成。97年、「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加し、現在同会理事。著書・共著に『教科書が教えない歴史』(産経新聞ニュースサービス)、『国難の日本史』(ビジネス社)など多数。

関連記事

《「"偏見なき清算を"欧米の日本研究家187人の声明」に対する谷口真由美のコメント 【サンデーモーニング】》

・・・この声明についてはケント・ギルバートさんが、原文とニュースを併せて検証しておられますが右

ニュースの嘘と一次資料(二カ国語)|ケント・ギルバート ブログ

【ワシントン聯合ニュース】世界的に著名な日本学、歴史学などの学者187人が米東部時間の5日、安倍晋三首相に対し旧日本軍慰安婦問題とこれに関連した歴史的な事実をねじ曲げることなく、そのまま認めるよう求める声明を共同で発表した。

・・・この記事を読んで、「学者というのは世界共通でバカの集まりなのか?」と一瞬思いましたが(笑)、気を取り直して一次資料を探して読んでみたら、バカは聯合ニュースの記者の方だと分かりました

ギルバートさんが「そもそも、この共同声明は安倍首相宛ではありません。」と書いてあるように、【ワシントン聯合ニュース】の世界の歴史学者ら声明 安倍首相に歴史の直視訴えるというタイトルからしてウソです。

しかもこの声明は、もともと2015年3月、シカゴで開催されたアジア研究協会(AAS)定期年次大会のなかの公開フォーラムと、その後にメール会議の形で行われた日本研究者コミュニティ内の広範な議論によって生まれたもので、

さすがに今回は、韓国メディアの捻じ曲げ報道に困惑という報道も右

・・・さて、今回の件で驚いたのは、いつも反日的な報道が目につく東洋経済オンラインが、珍しくバランスの良い報道をしていたことです。
One thing that surprised me about this latest report is that the usually anti-Japanese Toyo Keizai Online uncharacteristically published a balanced report. (No English available.)

 日米歴史家、韓国メディアの"変化球"に困惑
 なぜ「5月5日の日米声明」をネジ曲げるのか
 http://toyokeizai.net/articles/-/68890

NHKはやはり、過去の日本に否定的な報道という印象です。
I felt that the NHK report was, as expected, critical of Japan’s history.
 米英歴史学者「偏見なき過去清算を」 5月7日 17時03分
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150507/k10010072281000.html

 この過去の日本に否定的というのに、TBSも加えて頂きたい!(苦笑)

この件で谷口氏がいつものように安倍批判しなかったのは、ギルバートさんのブログ読んでいたからかも?

人さし指で、谷口氏は、アメリカの教科書に日本政府が書き換えを指示・依頼したという事ですが、

「慰安婦は天皇からの贈り物」「終戦で殺された」とか「南京で40万人虐殺」なんて大嘘書かれて黙って放っておく方がどうかしてる。

それでなくても、中韓が過去の日本を歪めて喧伝している事で、アメリカで日本の子供達が酷いイジメに遭っているんですから。

人さし指そもそも黙っていたら、国際社会では「事実」と看做されてしまうんです。

マグロウヒル社の教科書の記述です。こんなの許せますか?! 右

《稲田朋美氏質疑「訟務局復活・アメリカの教科書の(慰安婦を「天皇からの贈り物」)慰安婦・(40万人虐殺)南京事件記述問題」書き起こし 【NHK国会中継】》 

人さし指とにかく!欧米の歴史研究者は、まず自国の植民地政策や、戦時にやらかしたレイプなどの蛮行を反省する声明文を出してからじゃないと、キレイごと言って日本にプレッシャーかけてきても説得力ないんですけどっ

☆追記  いま、中央日報を巡回していたら、こんな記事が!

米国歴史学者「安倍首相の慰安婦像への献花が東アジアの対立緩和に寄与」

日本の安倍晋三首相の慰安婦少女像への献花が東アジアの対立緩和に寄与するだろうと米国の歴史学者が主張した。
  5日、朝日新聞によると、最近、世界の学者たちによる集団声明の作成に携わったコロンビア大学のキャロル・グラック教授は、同紙とのインタビューの中で、安倍首相の象徴的な行動で日本と東アジア諸国の間の葛藤がかなり緩和するだろうと主張しながら「安倍首相がソウルで慰安婦像に献花をすれば、いったい誰が批判できるのか」と話した。。
グラック教授は西ドイツのヴィリー・ブラント元首相が1970年にポーランド・ワルシャワを訪問した際、ユダヤ人虐殺の象徴的な場所である「ゲットー記念碑」の前にひざまずいたことに言及し、安倍首相にもそのような大胆な行動を提言した。
  それと共に「日本は素晴らしい国で、世界中から尊敬を集めている」とし「それを他の国の教科書会社に抗議するために使うのではなく、賢く用いて欲しい」と述べたことを同紙は伝えた。

アメリカの学者のレベル、ヒドすぎ・・・・・・(呆)

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2015年05月21日15:35【党首討論】 安倍総理「ポツダム宣言のその部分を詳らかに読んでいない」、そもそもポツダム宣言・カイロ宣言とは?

昨日党首討論で、志位氏が日本のやった戦争の善悪など、ポツダム宣言・カイロ宣言を引き合いにし、安倍総理の歴史認識を質していましたが・・右

志位委員長「戦後の日本はポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の戦争を世界征服の為の戦争だったと判定、カイロ宣言(対日戦争の目的)は日本の侵略を制止し罰するとしている。」

安倍総理「ポツダム宣言のその部分を詳らかに読んでいないので評論は差し控えたい。」

志位氏、"「世界征服」「侵略」と書いてあるのを受け入れたんだから「侵略」と認めろ。先の戦争の善悪の区別がつかない人が日本を海外で戦争する国に作り変える資格がないっ!"って言ってたけど、まったく飛躍してます(呆)

で、サヨクは「安倍総理はポツダム宣言の内容を知らなかった!志位委員長GJ!」なんて大はしゃぎしているけど・・カイロ会談とポツダム宣言の内容、本当に知ってるのかしら!?

確かに戦後の日本は「ポツダム宣言」の受け入れから始まりました。

人さし指ただ、ここにきて鳩山元総理はじめ、China・サヨク・共産党は、ポツダム宣言やカイロ宣言をやたら持ち出すので、この際覚書としてまとめてみました右

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◆ポツダム、カイロ宣言の内容を知らない日本人
孫崎:この間の領土紛争で、尖閣が日本の“固有の領土”ではなく、“係争地”であることが明るみに出てしまいました。これは、領土問題の基礎を押さえていれば誰でもわかることなんですよ。領土問題の基礎とは、戦後日本の出発点であるポツダム宣言(※1)の第8条です。そこには「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国に限定される」、そして「その他の主権の及ぶ島々は連合国が決める」と書いてある。そうすると、本州、北海道、九州、四国はたしかに“固有の領土”と呼べるのですが、その他の島々に関しては、“固有の領土”という理屈が成り立たないんです。「ポツダム宣言の受諾そのものを認めない」という極端な人は別にして。
田中:実は歴代の自民党政権から共産党に至るまで、この宣言の持つ意味を把握していなかったわけですよね。戦後70年近くたった今、中国から突きつけられて初めて把握することになった。
孫崎:ある高校の先生から聞いたのですが、ポツダム宣言の第8条は日本の教科書にも書かれていないそうです。
田中:ここが極めて悩ましい点ですが、ポツダム宣言第8条には「カイロ宣言(※2)の条項は履行すべき」とも書かれている。
孫崎:その「カイロ宣言の条項」とは、「日本が中国人から奪った地域は中華民国に返還する」というものです。日本政府は、「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか」と言いますが、中国のほうでは「日本が奪い取った地域だ」と主張しています。そこまで立ち戻ってみてみると、
国際的には尖閣諸島は“係争地”ということになるんです。
田中:尖閣問題は「国際司法裁判所(ICJ)(※3)に提訴すれば勝てる」と多くの日本人が思ってきました。ところが不覚にも、中国からポツダム宣言やカイロ宣言を突きつけられて、根底から崩れかねない大変な危機に陥っている。もしも外務省が基本中の基本であるこれらの宣言の意味を把握していなかったとすれば、そもそも日本という国は国家たりえてなかった、ってこと。ポツダム宣言を知らなかった国民や「日本よ国家たれ」と叫ぶ「愛国者」が悪いのではなくて、教科書にも載せず国民に知らせず、ろくに調べもしなかった日本政府にこそ責任があります。
孫崎:政府は「中国が領有権を主張し出したのは尖閣に石油資源があることがわかった’70年代以降のことだ」という見方を広めていますが、これは事実と違います。すでに’50年代の初め、周恩来が「日本との講和はポツダム宣言とカイロ宣言を基礎とすべきだ」と発言しているんですね。「中国はまったく主張してこなかった」とは言い切れないんです。
田中:野田首相はロジカルに中国に勝てる準備もせぬまま、浮揚するはずもない政権浮揚の一念で国有化に踏み込んでしまった。中国はポツダム宣言やカイロ宣言を十分に把握しながらも、日本との経済関係や地下資源の共同開発などの国益を考えて、したたかに今まで黙っていたともいえる。

孫崎:まずは尖閣が“係争地”であることを認識しないと、この問題は解決しないでしょう。「日本が絶対的に正しい。固有の領土だ」との主張を感情的に押し通したところで、相手にも相手なりの理屈があるわけですから。これまでの日中関係は、尖閣問題を棚上げにすることでうまくやってきたんですよ。これは、中国では周恩来や鄧小平、日本では田中角栄や園田直といった人たちが編み出した「紛争を避けるための知恵」です。’79年の『読売新聞』社説すら「触れないでおこう方式」と肯定的に呼んでいますが、日中双方が領有権を主張しながら、この問題を決して紛争にせず、将来の解決を待つことで了解ができていたんです。このやり方がいちばん日本の国益にかなっていました。

人さし指この「ポツダム宣言・カイロ宣言により、尖閣諸島は係争地」の議論があった時、ポポが「勉強しろ」と言うので調べたんですが右

《鳩山氏、自宅前で尖閣の持論を展開「盗んだとは言ってないスティールだ」  【とくダネ!】》

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カイロ宣言の対日方針はその後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承されたわけだけど、

人さし指そもそもカイロ宣言というのは公文書ではないそうです。その内容もかなりアレだし・・・

日本再生クラブ さまの記事を引用右(つまみ食いなので是非リンク先で読んでください)

■ 「ポツダム宣言」に対する一考察
            Date : 2002/12/27 (Fri)

前回のコラムにて、《『ポツダム宣言』自体が「空文」かつ「無効」だと言う説もある。なぜに「欠陥品」であったかについて考えてみたい。》として「カイロ宣言」についての解説をしてみた。戦後の原点は『ポツダム宣言』にあったと考える。したがって戦後の日本が抱えている様々な問題は、『ポツダム宣言』を理解することによって浮き彫りにされるのではと愚考する。

先ずは前提条件として、『ポツダム宣言』の全文を転記させて頂く。
          「ポツダム」宣言(和訳原文)
          昭和20年7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国により宣言
          昭和20年8月14日、日本受諾

(中略・リンク先へ)

日本人の多くは「無条件降伏」したと信じている。確かに、完膚無きまでに叩きのめされたのだから、日本が「無条件降伏」したと考えられているのであろう。しかし、詳細に「ポツダム宣言」を読めば、日本は決して「無条件降伏」したのではないと考えられる。
            それは、「ポツダム宣言」の第五項に、「吾等の条件は左の如し。」と記載されているからである。ここで言う吾等とは第一項にある合衆国大統領、中華民国政府主席、グレート・ブリテン国総理大臣のことであり、「ポツダム宣言」というのは「我々は、このような条件を提示するから、日本は速やかに降伏せよ。」という連合国による降伏勧告書なのである。そして、その条件が第六項から十三項において示されているのである。
            この条件を掲げてあるということは、日本の降伏が「有条件降伏」であったということを示しているではないのではなかろうか。

(中略)

第四項と六項には連合国は自由主義の国々を代表して、軍国主義国家ドイツ及び日本と戦っており、自由主義国家側に正義があり、軍国主義国家は悪であるということが明記されている。戦後、第2次世界大戦は、自由主義陣営と全体主義陣営の戦いであったという歴史観が一般的なものとなってしまったが、この第2次世界大戦に対する考え方は、すでに「ポツダム宣言」において定められていたものであると考えられる。

そして、この考え方は戦後世界を支配し、未だにその威力を失っていない。ただ、「ポツダム宣言」は、日本国そのものが悪いというのではなく、日本国をミスリードしてきた軍国主義者が悪いのであって、日本国民はむしろ彼らに騙されていたのだということを強調している。これは戦争責任の全てを軍国主義者に負わすことによって、国民全てが負うべき責任を国民から逃れさせ、マスコミ、学者、教育者などに戦前の日本国を全面的に批判させようとした、狡猾な占領政策に基づくものであると考える。

第八項には、「カイロ宣言の各項は、履行せらるべく、」とある。その「カイロ宣言」は前回のコラムにおいて、有効性の検証を行っているので詳細は省かせて頂く。補足させて頂くが『カイロ公報』には同盟国は、自国のための利益を求めず、また領土拡張の念も有しない。「同盟国の目的は、1914年の第1時世界大戦の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋における全ての島を日本から剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還することにある。」とされている。

これは明らかに三大同盟国、特に米・英の領土についての大きな欺瞞がある。「自国の為には利益も求めず、領土拡大の念もない」と言っているが、第1次世界大戦開始以後としていることに大きな問題がある。1914年以前に溯れば、米・英は、世界各地に植民地を持った時代であり、自分たちが過去に犯した罪を暴露されるのを避ける為、この年代を定めたのである。というのは、この年以前のことを言うと、英はインド、香港、ビルマも返さなければならないし、米はハワイ、フィリピンも返さなければならないのである。

(中略)

それは、A級裁判もさる事ながら、B・C級裁判はまさに英・米・蘭・中国による復讐裁判と言ってよく、多くが冤罪であった事は明白である。正に「ポツダム宣言」にある「各自の家庭に復帰し、平和的且つ生産的の生活を営むの機会・・・」を奪われたのである。特に過酷であり許し難いのは、ソ連による60万人にものぼる日本軍将兵のシベリア抑留である。

ヤルタ秘密協定によって、ルーズベルトはスターリンに対し日本への参戦を許し、日本領土の割譲までも認めておきながら、例えソ連が「ポツダム宣言」の署名国ではないにしても、スターリンに日本参戦を認めた以上、ソ連の日本軍将兵のシベリア抑留を阻止する責任はあったはずである。此処においても、アメリカの「ポツダム宣言」違反は明らかであると考える。

(中略)

しかし、東京裁判は「平和に対する罪」「人道上の罪」という事後法によって新しい罪を作り出し日本を裁いたのである。これらの犯罪は国際法上存在しない罪であることは勿論であるが、極東国際軍事裁判条例自体が「ポツダム宣言」を逸脱して制定さるべきではないにも関わらず、条例が制定された事はアメリカの「ポツダム宣言」違反といえよう。

第十一項は、経済を持続し公正な実物賠償を許す程度の産業を維持することは認められることになろうが、戦争のための再軍備を可能にような産業については認められることはない。とうたっている。また、第十二項では、目的が達成され、日本人民の自由に表明された意思にしたがって平和を志向する責任ある政府が設立させたならばただちに、撤退することになる。としているが、しかしながら未だに米軍は駐留している 

(中略)

ここに「無条件降伏」という言葉があり、これをもって日本は「無条件降伏」したのだと理解されるようになったと考えられる。しかし、注意しなければならないのは、この場合の「無条件降伏」の主語は日本国軍隊であって、決して日本国政府ではないということである。すなわち、「無条件降伏」するのは、あくまでも軍隊であって日本国政府ではなく、日本国政府は無条件に連合国の支配を受け、連合国に従属するものではないのである。

(中略)

その他、考え得ることはアメリカの占領政策にも、「有条件降伏」を「無条件降伏」と歪曲させる政策的意図を持っていたのではないであろうか。それは、アメリカが日本に対して「無条件降伏」の承認を迫った「バーンズ回答」に表現されている。 

はなはだまとまりのない考察であるが、今一度戦後の原点に立ち返り現在の日本という国を考えてみる必要があると思い書いてみた。様々な考え方があろうかと思うが、私のような考え方もあると知って頂ければ幸いである。

            参考文献;「 民族戦線」「捏造された日本史」など


■ 『カイロ宣言』とは何か
  Date : 2002/12/21 (Sat)

昭和20(1945年)年9月2日、アメリカ戦艦・ミズーリ号上に於いて、重光葵が『ポツダム宣言』受諾の降伏文書に署名した。ここに第二次世界大戦は終結したわけである。その後、アメリカ主導の占領軍が日本に進駐し、ダグラスマッカーサー元帥の連合国軍総司令部(GHQ)が、日本を実質統治する訳であるが、日本が受諾した『ポツダム宣言』とは一体何であったのだろうか

様々な本などを読んでみると『ポツダム宣言』自体が「空文」かつ「無効」だと言う説もある。なぜに「欠陥品」であったかについて考えてみたい。

そもそも『ポツダム宣言』とは、米(アメリカ)・英(イギリス)・中(支那)三国宣言とも呼ばれ、昭和20(1945年)年7月26日(~8月2日)、先に敗戦したドイツの首都・ベルリン郊外のポツダムにおける、トルーマン・米大統領、チャーチル・英首相、スターリン・ソ連首相の三巨頭による会談によって(            いわゆる「ポツダム会談」)決定された対日戦争終結条件を、支那(蒋介石政権)の同意を得て発表したものである。

しかし、この『ポツダム宣言』は、その条文に重大な欠陥をはらんでいたのではないだろうか。『ポツダム宣言』第8条、「カイロ宣言の条項は履行する」この一文こそ、『ポツダム宣言』を空文かつ無効にする、重大な欠陥だったのだという説がある。では、欠陥である『カイロ宣言』とは一体どの様なものなのであろうか

『カイロ宣言』とは、昭和18(1943年)年11月、エジプトのカイロにおける、ルーズヴェルト・米大統領、チャーチル・英首相、蒋介石・国府主席の三首脳による会談であり、いわゆる「カイロ会談」の際に発表されたものとされ、日本に対して無条件降伏を要求し、降伏後の日本の領土を決定したと言われている。

ところが、この『カイロ宣言』には三首脳の署名が無く、と言うよりそもそも現在に至る迄、署名がなされている『カイロ宣言』の公文書自体、誰一人見た事が無いのである。

蒋介石政権が署名していないし、イギリス政府もその存在を公式に否定している。とすると、『ポツダム宣言』第8条 、「カイロ宣言の条項は履行する」は、「幻の公文書」に記されている条項を履行する事を謳(うた)っている事になってしまうわけである。これは、一体どう解釈すれば良いのであろうか。

『カイロ宣言』は無かったということは、日本の敗戦を決定づけた『ポツダム宣言』を裏打ちする筈の公文書がこの世に存在しない。これは、日本が受諾した『ポツダム宣言』自体が「無効」であり、第8条を履行する義務が無い事を示しているのではないであろうか。

では、あまりなじみのない『カイロ宣言』とは一体何なのであろうか。実は『カイロ宣言』とは、「宣言」(Declaration)では無く、「公報」・「公告」(Proclamation)と呼ぶべきものだったのである。『カイロ宣言』とは署名の無い「草稿」に終わっていたものなのである。以下、『カイロ宣言』と呼ばず、『カイロ公報』と記す。

さて、「草案」に終わった『カイロ公報』であるが、そこには「台湾・樺太・千島列島は、日本が違法な手段によって編入した地域である。」として、上記領土の放棄を謳っている。しかし、台湾は明治28(1895年)年の『下関条約』、千島列島は明治8(1875年)年の『千島・樺太交換条約』、そして、樺太(正確に言うと、北緯50度以南の南樺太)は明治38(1905年)年の『ポーツマス条約』(日露戦争講和条約)、と言った具合に、国際条約によって正規に取得した領土であり、[E:danger]『カイロ公報』の「違法な手段による編入」は事実に反しているのである。

と言う事は、「草案」に終わった『カイロ公報』の条項を日本が履行する義務は無い訳で、台湾・樺太はともかく、こと、千島列島、択捉エトロフ島以南の「北方領土」の領有権は、国際法上、日本に帰属する訳であると考えられる。この様な欠陥だらけの公文書(公文書と呼べるか疑問であるが)に、日本がいつ迄も束縛を受ける理由は無いと考える。

『ポツダム宣言』を受諾したと言っても、空文である『カイロ公報』に従う義務は無いのではないだろうか。日本の国家主権を回復すべき時期に来ていると思う。

以下、参考資料として『カイロ公報』を添付する。

「カイロ」公報
          (和訳原文)
(中略・リンク先へ) 

余談ですが、カイロ会談でのルーズベルトの発言は本当に酷い

人さし指在日が大きな顔して日本に居るのはこのせいと、言えなくもないかも右

《終戦直後、朝鮮人が日本人にしたこと。(具体例) (再) 【高倉健・三代目襲名】》より抜粋

高山正之「・・・先ほどGHQの洗脳というか、いわゆる韓国・朝鮮問題っていうのは、一番根源にあるのはそこだ。先ほどGHQと言ったが、一番最初に動き出したのはルーズベルトのカイロ会談

アメリカは『日本は侵略国家だ、残虐な国だ。東南アジアで残虐行為を繰り返す』とか言ってるが、残虐さっていうのはもともとアメリカが持っていたもので、日本を批難するに値、、、まぁ仮に日本がやってたとしても。

そこの残虐さについてはシナ人と一緒になって南京大虐殺みたいなのを、こうでっち上げていきゃいい。

ただ、1つだけアメリカとしてどーしてもアメリカ人が日本に敵わないものは奴隷。奴隷と差別

日本では、奴隷は制度になったことが一度もない。それがアメリカにとって非常ーにウィークポイント。日本を倫理的に批難するにあたって物凄く弱い。

それでルーズベルトは何を言い出したか。カイロ会談で『日本は朝鮮半島を奴隷化している。朝鮮人を奴隷にして搾取している。』 これまっったく根拠がない。

根拠はないけど、彼がそういう発言をカイロでやった。

それからルーズベルトの記録を見ると、繰り返しそれをやっている

例えば、ヘレン・ミラーズの本なんか見ても、44年の終戦の前の年の、カイロ会談の翌年の8月、『アジア人は日本の奴隷になりたくない』とかいう公式発言をボコボコやっている。

で、これを踏まえて、その日本の占領統治政策が行われるのだが、その時に日本にいる在日朝鮮人に何を言ったかというと『今日、奴隷解放の日だ』と。『朝鮮人が解放された日』だと。

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それを受けてマッカーサーが日本に来て、厚木に降り立って1か月後に、在日本朝鮮人連盟 という、今の民団・総連の母体がGHQの指導の下で結成された。

その結成趣旨が『朝鮮人は奴隷から解放された』『今や我々は連合国民だ』『戦勝国民だ』と言い出した。

で、奴隷扱いした日本に対して、『奴隷扱いしたのを十分に理解させるのが我々の義務だ』と朝鮮人連盟が。

それを追認するように、マッカーサーは日本の新聞なんかに連合国人について、つい最近も、サンフランシスコ講和条約の後も、米兵の犯罪について裁判権を放棄させられたっていう密約が出てきたと各紙載って騒いでいたが、

あれと同じで、逮捕権も裁判権も連合国の兵隊なんかには一切、日本人は持たない。新聞コードでもそういう連合国人を批判するのは書いちゃいかんというのがある。それを9月の段階でもう既にプレスコードに要求している。要求って言うかまぁ日本は呑まざるを得ないんだけど。

で、その翌々月にその連合国人に対する扱いは、朝鮮人にも与えるってことだと

これはもうハッキリGHQで出している戦勝国民扱いをしろと。それから新聞で叩いちゃいけない。それから裁判権もない。

それで何が起きたかって言うと、もう有名なのでは直江津事件

200pxcrowded_train_in_occupied_japa(←当時の列車の混雑)

これはヤミ米を、、信越線、満員電車に窓を割って入ろうとした朝鮮人を乗客が注意した。彼らは『この野郎』と言って、直江津駅に着いたら、その注意した日本人をホームに引き出して、皆が見ている前でスコップで殴り殺した

もっと有名なのは浜松事件

これは浜松で朝鮮人が全てのヤミマーケットを握って、それに警察が介入したら逆に官を人質にとって、殴り殺しし始めた。それでそこにいたのが関東霊岸島一家小野組という任侠の徒。 これは警察が手を出せない 。警察官はパクられている、やられているので、小野組が立ち上がって彼らを救出した。

これを発端にして、あの浜松の街の真ん中で天満町で5日間市街戦があって、3百何人の死傷者が出た。

こんな事、日本の歴史にも載らないし、新聞も報道しないわけだ。

この時はさすがに炊きつけたアメリカは、日本はとにかく朝鮮人を奴隷にしたんだから、解放して、解放後の奴隷が少々跳ね上がっても黙認していた。だけどここまでやるかということで、結局MPが出て処理した。

でも、日本は奴隷扱いしたと言うんで、ありもしない強制連行とか口実にして、特別永住権というのを彼らに与えた

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日本はなくてもいい、奴隷扱いしたみたいな格好で、歴史を引きずらされている。結局全ての根源がそこにある

今、在日の参政権要求も『強制連行して連れてきたんじゃないか』と『こっちに住んでいるオレたちにそれくらいやるべきだ』という贖罪を訴えているわけだ。

で、メディアはさ、浜松事件・直江津事件なんて調べりゃ分かる。あと坂町事件

これはヤミ米を全部、、拠点にしていたのは坂町ってとこで、警官が袋叩きにされているわけ。

それから富坂署事件、、富坂署だとか生田署 にみーんな朝鮮人が殴りこみかけている。

生田署事件で『この野郎!』ってやっのが田岡一雄。昔は本当に任侠の徒だった。今は逆転しちゃったけどね。中に在日が入っちゃっておかしくなってるけど。

220pxtaoka(←真ん中 田岡氏)

こういう背景を全く知らないままで、今の現状の在日の参政権問題なんか考えたらとんでもない事になる

我々はそういう格好でGHQじゃなくてアメリカ自体が、自分達が奴隷問題をひっ下げて、日本を黙らせるためにデッチ上げた朝鮮半島奴隷化論みたいな押し付けがあった戦後の朝鮮問題って全てこれが根っこにある。・・・

ポツダム宣言はカイロ宣言からの流れをきちんと見ないと、一言で答えられないもの。

まして、責任ある日本のトップが、"世界征服しようとした、朝鮮人を奴隷化した日本"なんていうのを受け入れられるワケがない

戦勝国側は、自分たちを正当化する為に色々と仕掛けていました。

日本がやってない事も長年やった事にされていたけど、いまやっと色々と真実が明らかに成ってきてるんです。

私は、時間制限のあるあの場で言葉を濁した安倍総理は正解だったと思います。

世界征服なんて冗談じゃない勝ち誇り 日本はアジアの光と言われていたんですから。

大東亜会議70周年記念大会 ⑦ ヘンリー・ストークス「日本はアジアの希望の光だ」より)右

※追加

【阿比留瑠比の極言御免】
「世界征服のための戦争だった」 荒唐無稽な「共同謀議」史観

・・・ 東京裁判は、先の大戦は日本の軍国主義者たちの「共同謀議」に基づく侵略計画に沿って実行されたという見方を前提にして始まった。検察側は、それを裏付ける証拠として田中上奏文を持ち出したが、裁判途中で偽書と気づいて追及をやめたのである。

志位氏が引用したポツダム宣言第6項は、この東京裁判でもインド代表のパール判事らから数々の反論がなされた荒唐無稽な「共同謀議」史観に貫かれているどうして今さら、そんな珍妙な認識を日本が認めないといけないのか。・・

志位氏の愚問、マジ恥ずかしいー

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2015年05月21日15:35【党首討論】 安倍総理「ポツダム宣言のその部分を詳らかに読んでいない」、そもそもポツダム宣言・カイロ宣言とは?

昨日党首討論で、志位氏が日本のやった戦争の善悪など、ポツダム宣言・カイロ宣言を引き合いにし、安倍総理の歴史認識を質していましたが・・・右

志位委員長「戦後の日本はポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の戦争を世界征服の為の戦争だったと判定、カイロ宣言(対日戦争の目的)は日本の侵略を制止し罰するとしている。」

安倍総理「ポツダム宣言のその部分を詳らかに読んでいないので評論は差し控えたい。」

志位氏、"「世界征服」「侵略」と書いてあるのを受け入れたんだから「侵略」と認めろ。先の戦争の善悪の区別がつかない人が日本を海外で戦争する国に作り変える資格がないっ!"って言ってたけど、まったく飛躍してます(呆)

で、サヨクは「安倍総理はポツダム宣言の内容を知らなかった!志位委員長GJ!」なんて大はしゃぎしているけど・・・

カイロ会談とポツダム宣言の内容、本当に知ってるのかしら!?

確かに戦後の日本は「ポツダム宣言」の受け入れから始まりました。

人さし指ただ、ここにきて鳩山元総理はじめ、China・サヨク・共産党は、ポツダム宣言やカイロ宣言をやたら持ち出すので、この際覚書としてまとめてみました右

Photo_2

◆ポツダム、カイロ宣言の内容を知らない日本人

孫崎:この間の領土紛争で、尖閣が日本の“固有の領土”ではなく、“係争地”であることが明るみに出てしまいました。これは、領土問題の基礎を押さえていれば誰でもわかることなんですよ。[E:danger]領土問題の基礎とは、戦後日本の出発点であるポツダム宣言(※1)の第8条です。そこには「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国に限定される」、そして「その他の主権の及ぶ島々は連合国が決める」と書いてある。そうすると、本州、北海道、九州、四国はたしかに“固有の領土”と呼べるのですが、その他の島々に関しては、“固有の領土”という理屈が成り立たないんです。「ポツダム宣言の受諾そのものを認めない」という極端な人は別にして。

田中:実は歴代の自民党政権から共産党に至るまで、この宣言の持つ意味を把握していなかったわけですよね。戦後70年近くたった今、中国から突きつけられて初めて把握することになった。

孫崎:ある高校の先生から聞いたのですが、ポツダム宣言の第8条は日本の教科書にも書かれていないそうです。

田中:ここが極めて悩ましい点ですが、ポツダム宣言第8条には「カイロ宣言(※2)の条項は履行すべき」とも書かれている。

孫崎:その「カイロ宣言の条項」とは、「日本が中国人から奪った地域は中華民国に返還する」というものです。日本政府は、「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか」と言いますが、中国のほうでは「日本が奪い取った地域だ」と主張しています。そこまで立ち戻ってみてみると、
[E:danger]国際的には尖閣諸島は“係争地”ということになるんです。

田中:尖閣問題は「国際司法裁判所(ICJ)(※3)に提訴すれば勝てる」と多くの日本人が思ってきました。ところが不覚にも、中国からポツダム宣言やカイロ宣言を突きつけられて、根底から崩れかねない大変な危機に陥っている。もしも外務省が基本中の基本であるこれらの宣言の意味を把握していなかったとすれば、そもそも日本という国は国家たりえてなかった、ってこと。ポツダム宣言を知らなかった国民や「日本よ国家たれ」と叫ぶ「愛国者」が悪いのではなくて、教科書にも載せず国民に知らせず、ろくに調べもしなかった日本政府にこそ責任があります。

孫崎:政府は「中国が領有権を主張し出したのは尖閣に石油資源があることがわかった’70年代以降のことだ」という見方を広めていますが、これは事実と違います。すでに’50年代の初め、周恩来が「日本との講和はポツダム宣言とカイロ宣言を基礎とすべきだ」と発言しているんですね。「中国はまったく主張してこなかった」とは言い切れないんです。

田中:野田首相はロジカルに中国に勝てる準備もせぬまま、浮揚するはずもない政権浮揚の一念で国有化に踏み込んでしまった。中国はポツダム宣言やカイロ宣言を十分に把握しながらも、日本との経済関係や地下資源の共同開発などの国益を考えて、したたかに今まで黙っていたともいえる。

孫崎:まずは尖閣が“係争地”であることを認識しないと、この問題は解決しないでしょう。「日本が絶対的に正しい。固有の領土だ」との主張を感情的に押し通したところで、相手にも相手なりの理屈があるわけですから。これまでの日中関係は、尖閣問題を棚上げにすることでうまくやってきたんですよ。これは、中国では周恩来や鄧小平、日本では田中角栄や園田直といった人たちが編み出した「紛争を避けるための知恵」です。’79年の『読売新聞』社説すら「触れないでおこう方式」と肯定的に呼んでいますが、日中双方が領有権を主張しながら、この問題を決して紛争にせず、将来の解決を待つことで了解ができていたんです。このやり方がいちばん日本の国益にかなっていました。

人さし指この「ポツダム宣言・カイロ宣言により、尖閣諸島は係争地」の議論があった時、ポポが「勉強しろ」と言うので調べたんですが右

《鳩山氏、自宅前で尖閣の持論を展開「盗んだとは言ってないスティールだ」  【とくダネ!】》

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カイロ宣言の対日方針はその後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承されたわけだけど、

人さし指そもそもカイロ宣言というのは公文書ではないそうです。その内容もかなりアレだし・・・

日本再生クラブ さまの記事を引用右(つまみ食いなので是非リンク先で読んでください)

■ 「ポツダム宣言」に対する一考察
            Date : 2002/12/27 (Fri)

前回のコラムにて、《『ポツダム宣言』自体が「空文」かつ「無効」だと言う説もある。なぜに「欠陥品」であったかについて考えてみたい。》として「カイロ宣言」についての解説をしてみた。戦後の原点は『ポツダム宣言』にあったと考える。したがって戦後の日本が抱えている様々な問題は、『ポツダム宣言』を理解することによって浮き彫りにされるのではと愚考する。

先ずは前提条件として、『ポツダム宣言』の全文を転記させて頂く。
          「ポツダム」宣言(和訳原文)
          昭和20年7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国により宣言
          昭和20年8月14日、日本受諾

(中略・リンク先へ)

日本人の多くは「無条件降伏」したと信じている。確かに、完膚無きまでに叩きのめされたのだから、日本が「無条件降伏」したと考えられているのであろう。しかし、詳細に「ポツダム宣言」を読めば、日本は決して「無条件降伏」したのではないと考えられる。
            それは、「ポツダム宣言」の第五項に、「吾等の条件は左の如し。」と記載されているからである。ここで言う吾等とは第一項にある合衆国大統領、中華民国政府主席、グレート・ブリテン国総理大臣のことであり、「ポツダム宣言」というのは「我々は、このような条件を提示するから、日本は速やかに降伏せよ。」という連合国による降伏勧告書なのである。そして、その条件が第六項から十三項において示されているのである。
            この条件を掲げてあるということは、日本の降伏が「有条件降伏」であったということを示しているではないのではなかろうか。

(中略)

第四項と六項には連合国は自由主義の国々を代表して、軍国主義国家ドイツ及び日本と戦っており、自由主義国家側に正義があり、軍国主義国家は悪であるということが明記されている。戦後、第2次世界大戦は、自由主義陣営と全体主義陣営の戦いであったという歴史観が一般的なものとなってしまったが、この第2次世界大戦に対する考え方は、すでに「ポツダム宣言」において定められていたものであると考えられる。

そして、この考え方は戦後世界を支配し、未だにその威力を失っていない。ただ、「ポツダム宣言」は、日本国そのものが悪いというのではなく、日本国をミスリードしてきた軍国主義者が悪いのであって、日本国民はむしろ彼らに騙されていたのだということを強調している。これは戦争責任の全てを軍国主義者に負わすことによって、国民全てが負うべき責任を国民から逃れさせ、マスコミ、学者、教育者などに戦前の日本国を全面的に批判させようとした、狡猾な占領政策に基づくものであると考える。

第八項には、「カイロ宣言の各項は、履行せらるべく、」とある。その「カイロ宣言」は前回のコラムにおいて、有効性の検証を行っているので詳細は省かせて頂く。補足させて頂くが『カイロ公報』には同盟国は、自国のための利益を求めず、また領土拡張の念も有しない。「同盟国の目的は、1914年の第1時世界大戦の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋における全ての島を日本から剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還することにある。」とされている。

これは明らかに三大同盟国、特に米・英の領土についての大きな欺瞞がある。「自国の為には利益も求めず、領土拡大の念もない」と言っているが、第1次世界大戦開始以後としていることに大きな問題がある。1914年以前に溯れば、米・英は、世界各地に植民地を持った時代であり、自分たちが過去に犯した罪を暴露されるのを避ける為、この年代を定めたのである。というのは、この年以前のことを言うと、英はインド、香港、ビルマも返さなければならないし、米はハワイ、フィリピンも返さなければならないのである。

(中略)

それは、A級裁判もさる事ながら、B・C級裁判はまさに英・米・蘭・中国による復讐裁判と言ってよく、多くが冤罪であった事は明白である。正に「ポツダム宣言」にある「各自の家庭に復帰し、平和的且つ生産的の生活を営むの機会・・・」を奪われたのである。特に過酷であり許し難いのは、ソ連による60万人にものぼる日本軍将兵のシベリア抑留である。

ヤルタ秘密協定によって、ルーズベルトはスターリンに対し日本への参戦を許し、日本領土の割譲までも認めておきながら、例えソ連が「ポツダム宣言」の署名国ではないにしても、スターリンに日本参戦を認めた以上、ソ連の日本軍将兵のシベリア抑留を阻止する責任はあったはずである。此処においても、アメリカの「ポツダム宣言」違反は明らかであると考える。

(中略)

しかし、東京裁判は「平和に対する罪」「人道上の罪」という事後法によって新しい罪を作り出し日本を裁いたのである。これらの犯罪は国際法上存在しない罪であることは勿論であるが、極東国際軍事裁判条例自体が「ポツダム宣言」を逸脱して制定さるべきではないにも関わらず、条例が制定された事はアメリカの「ポツダム宣言」違反といえよう。

第十一項は、経済を持続し公正な実物賠償を許す程度の産業を維持することは認められることになろうが、戦争のための再軍備を可能にような産業については認められることはない。とうたっている。また、第十二項では、目的が達成され、日本人民の自由に表明された意思にしたがって平和を志向する責任ある政府が設立させたならばただちに、撤退することになる。としているが、しかしながら未だに米軍は駐留している 

(中略)

ここに「無条件降伏」という言葉があり、これをもって日本は「無条件降伏」したのだと理解されるようになったと考えられる。しかし、注意しなければならないのは、この場合の「無条件降伏」の主語は日本国軍隊であって、決して日本国政府ではないということである。すなわち、「無条件降伏」するのは、あくまでも軍隊であって日本国政府ではなく、日本国政府は無条件に連合国の支配を受け、連合国に従属するものではないのである。

(中略)

その他、考え得ることはアメリカの占領政策にも、「有条件降伏」を「無条件降伏」と歪曲させる政策的意図を持っていたのではないであろうか。それは、アメリカが日本に対して「無条件降伏」の承認を迫った「バーンズ回答」に表現されている。 

はなはだまとまりのない考察であるが、今一度戦後の原点に立ち返り現在の日本という国を考えてみる必要があると思い書いてみた。様々な考え方があろうかと思うが、私のような考え方もあると知って頂ければ幸いである。

            参考文献;「 民族戦線」「捏造された日本史」など


■ 『カイロ宣言』とは何か
  Date : 2002/12/21 (Sat)

昭和20(1945年)年9月2日、アメリカ戦艦・ミズーリ号上に於いて、重光葵が『ポツダム宣言』受諾の降伏文書に署名した。ここに第二次世界大戦は終結したわけである。その後、アメリカ主導の占領軍が日本に進駐し、ダグラスマッカーサー元帥の連合国軍総司令部(GHQ)が、日本を実質統治する訳であるが、日本が受諾した『ポツダム宣言』とは一体何であったのだろうか

様々な本などを読んでみると『ポツダム宣言』自体が「空文」かつ「無効」だと言う説もある。なぜに「欠陥品」であったかについて考えてみたい。

そもそも『ポツダム宣言』とは、米(アメリカ)・英(イギリス)・中(支那)三国宣言とも呼ばれ、昭和20(1945年)年7月26日(~8月2日)、先に敗戦したドイツの首都・ベルリン郊外のポツダムにおける、トルーマン・米大統領、チャーチル・英首相、スターリン・ソ連首相の三巨頭による会談によって(            いわゆる「ポツダム会談」)決定された対日戦争終結条件を、支那(蒋介石政権)の同意を得て発表したものである。

しかし、この『ポツダム宣言』は、その条文に重大な欠陥をはらんでいたのではないだろうか。『ポツダム宣言』第8条、「カイロ宣言の条項は履行する」この一文こそ、『ポツダム宣言』を空文かつ無効にする、重大な欠陥だったのだという説がある。では、欠陥である『カイロ宣言』とは一体どの様なものなのであろうか

『カイロ宣言』とは、昭和18(1943年)年11月、エジプトのカイロにおける、ルーズヴェルト・米大統領、チャーチル・英首相、蒋介石・国府主席の三首脳による会談であり、いわゆる「カイロ会談」の際に発表されたものとされ、日本に対して無条件降伏を要求し、降伏後の日本の領土を決定したと言われている。

ところが、この『カイロ宣言』には三首脳の署名が無く、と言うよりそもそも現在に至る迄、署名がなされている『カイロ宣言』の公文書自体、誰一人見た事が無いのである。

蒋介石政権が署名していないし、イギリス政府もその存在を公式に否定している。とすると、『ポツダム宣言』第8条 、「カイロ宣言の条項は履行する」は、「幻の公文書」に記されている条項を履行する事を謳(うた)っている事になってしまうわけである。これは、一体どう解釈すれば良いのであろうか。

『カイロ宣言』は無かったということは、日本の敗戦を決定づけた『ポツダム宣言』を裏打ちする筈の公文書がこの世に存在しない。これは、日本が受諾した『ポツダム宣言』自体が「無効」であり、第8条を履行する義務が無い事を示しているのではないであろうか。

では、あまりなじみのない『カイロ宣言』とは一体何なのであろうか。実は『カイロ宣言』とは、「宣言」(Declaration)では無く、「公報」・「公告」(Proclamation)と呼ぶべきものだったのである。『カイロ宣言』とは署名の無い「草稿」に終わっていたものなのである。以下、『カイロ宣言』と呼ばず、『カイロ公報』と記す。

さて、「草案」に終わった『カイロ公報』であるが、そこには「台湾・樺太・千島列島は、日本が違法な手段によって編入した地域である。」として、上記領土の放棄を謳っている。しかし、台湾は明治28(1895年)年の『下関条約』、千島列島は明治8(1875年)年の『千島・樺太交換条約』、そして、樺太(正確に言うと、北緯50度以南の南樺太)は明治38(1905年)年の『ポーツマス条約』(日露戦争講和条約)、と言った具合に、国際条約によって正規に取得した領土であり、[E:danger]『カイロ公報』の「違法な手段による編入」は事実に反しているのである。

と言う事は、「草案」に終わった『カイロ公報』の条項を日本が履行する義務は無い訳で、台湾・樺太はともかく、こと、千島列島、択捉エトロフ島以南の「北方領土」の領有権は、国際法上、日本に帰属する訳であると考えられる。この様な欠陥だらけの公文書(公文書と呼べるか疑問であるが)に、日本がいつ迄も束縛を受ける理由は無いと考える。

『ポツダム宣言』を受諾したと言っても、空文である『カイロ公報』に従う義務は無いのではないだろうか。日本の国家主権を回復すべき時期に来ていると思う。

以下、参考資料として『カイロ公報』を添付する。

「カイロ」公報
          (和訳原文)

(中略・リンク先へ) 

余談ですが、カイロ会談でのルーズベルトの発言は本当に酷い

人さし指在日が大きな顔して日本に居るのはこのせいと、言えなくもないかも右

《終戦直後、朝鮮人が日本人にしたこと。(具体例) (再) 【高倉健・三代目襲名】》より抜粋

高山正之「・・・先ほどGHQの洗脳というか、いわゆる韓国・朝鮮問題っていうのは、一番根源にあるのはそこだ。先ほどGHQと言ったが、一番最初に動き出したのはルーズベルトのカイロ会談

アメリカは『日本は侵略国家だ、残虐な国だ。東南アジアで残虐行為を繰り返す』とか言ってるが、残虐さっていうのはもともとアメリカが持っていたもので、日本を批難するに値、、、まぁ仮に日本がやってたとしても。

そこの残虐さについてはシナ人と一緒になって南京大虐殺みたいなのを、こうでっち上げていきゃいい。

ただ、1つだけアメリカとしてどーしてもアメリカ人が日本に敵わないものは奴隷。奴隷と差別

日本では、奴隷は制度になったことが一度もない。それがアメリカにとって非常ーにウィークポイント。日本を倫理的に批難するにあたって物凄く弱い。

それでルーズベルトは何を言い出したか。カイロ会談で『日本は朝鮮半島を奴隷化している。朝鮮人を奴隷にして搾取している。』 これまっったく根拠がない。

根拠はないけど、彼がそういう発言をカイロでやった。

それからルーズベルトの記録を見ると、繰り返しそれをやっている

例えば、ヘレン・ミラーズの本なんか見ても、44年の終戦の前の年の、カイロ会談の翌年の8月、『アジア人は日本の奴隷になりたくない』とかいう公式発言をボコボコやっている。

で、これを踏まえて、その日本の占領統治政策が行われるのだが、その時に日本にいる在日朝鮮人に何を言ったかというと『今日、奴隷解放の日だ』と。『朝鮮人が解放された日』だと。

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それを受けてマッカーサーが日本に来て、厚木に降り立って1か月後に、在日本朝鮮人連盟 という、今の民団・総連の母体がGHQの指導の下で結成された。

その結成趣旨が『朝鮮人は奴隷から解放された』『今や我々は連合国民だ』『戦勝国民だ』と言い出した。

で、奴隷扱いした日本に対して、『奴隷扱いしたのを十分に理解させるのが我々の義務だ』と朝鮮人連盟が。

それを追認するように、マッカーサーは日本の新聞なんかに連合国人について、つい最近も、サンフランシスコ講和条約の後も、米兵の犯罪について裁判権を放棄させられたっていう密約が出てきたと各紙載って騒いでいたが、

あれと同じで、逮捕権も裁判権も連合国の兵隊なんかには一切、日本人は持たない。新聞コードでもそういう連合国人を批判するのは書いちゃいかんというのがある。それを9月の段階でもう既にプレスコードに要求している。要求って言うかまぁ日本は呑まざるを得ないんだけど。

で、その翌々月にその連合国人に対する扱いは、朝鮮人にも与えるってことだと

これはもうハッキリGHQで出している戦勝国民扱いをしろと。それから新聞で叩いちゃいけない。それから裁判権もない。

それで何が起きたかって言うと、もう有名なのでは直江津事件

200pxcrowded_train_in_occupied_japa(←当時の列車の混雑)

これはヤミ米を、、信越線、満員電車に窓を割って入ろうとした朝鮮人を乗客が注意した。彼らは『この野郎』と言って、直江津駅に着いたら、その注意した日本人をホームに引き出して、皆が見ている前でスコップで殴り殺した

もっと有名なのは浜松事件

これは浜松で朝鮮人が全てのヤミマーケットを握って、それに警察が介入したら逆に官を人質にとって、殴り殺しし始めた。それでそこにいたのが関東霊岸島一家小野組という任侠の徒。 これは警察が手を出せない 。警察官はパクられている、やられているので、小野組が立ち上がって彼らを救出した。

これを発端にして、あの浜松の街の真ん中で天満町で5日間市街戦があって、3百何人の死傷者が出た。

こんな事、日本の歴史にも載らないし、新聞も報道しないわけだ。

この時はさすがに炊きつけたアメリカは、日本はとにかく朝鮮人を奴隷にしたんだから、解放して、解放後の奴隷が少々跳ね上がっても黙認していた。だけどここまでやるかということで、結局MPが出て処理した。

でも、日本は奴隷扱いしたと言うんで、ありもしない強制連行とか口実にして、特別永住権というのを彼らに与えた

Imagescaw55ttu

日本はなくてもいい、奴隷扱いしたみたいな格好で、歴史を引きずらされている。結局全ての根源がそこにある

今、在日の参政権要求も『強制連行して連れてきたんじゃないか』と『こっちに住んでいるオレたちにそれくらいやるべきだ』という贖罪を訴えているわけだ。

で、メディアはさ、浜松事件・直江津事件なんて調べりゃ分かる。あと坂町事件

これはヤミ米を全部、、拠点にしていたのは坂町ってとこで、警官が袋叩きにされているわけ。

それから富坂署事件、、富坂署だとか生田署 にみーんな朝鮮人が殴りこみかけている。

生田署事件で『この野郎!』ってやっのが田岡一雄。昔は本当に任侠の徒だった。今は逆転しちゃったけどね。中に在日が入っちゃっておかしくなってるけど。

220pxtaoka(←真ん中 田岡氏)

こういう背景を全く知らないままで、今の現状の在日の参政権問題なんか考えたらとんでもない事になる

我々はそういう格好でGHQじゃなくてアメリカ自体が、自分達が奴隷問題をひっ下げて、日本を黙らせるためにデッチ上げた朝鮮半島奴隷化論みたいな押し付けがあった

戦後の朝鮮問題って全てこれが根っこにある。・・・

ポツダム宣言はカイロ宣言からの流れをきちんと見ないと、一言で答えられないもの。

まして、責任ある日本のトップが、"世界征服しようとした、朝鮮人を奴隷化した日本"なんていうのを受け入れられるワケがない

戦勝国側は、自分たちを正当化する為に色々と仕掛けていました。

日本がやってない事も長年やった事にされていたけど、いまやっと色々と真実が明らかに成ってきてるんです。

私は、時間制限のあるあの場で言葉を濁した安倍総理は正解だったと思います。

世界征服なんて冗談じゃない勝ち誇り 日本はアジアの光と言われていたんですから。

大東亜会議70周年記念大会 ⑦ ヘンリー・ストークス「日本はアジアの希望の光だ」より)右

 

[E:sun]※追加[E:downwardleft]

【阿比留瑠比の極言御免】
「世界征服のための戦争だった」 荒唐無稽な「共同謀議」史観

・・・ 東京裁判は、先の大戦は日本の軍国主義者たちの「共同謀議」に基づく侵略計画に沿って実行されたという見方を前提にして始まった。検察側は、それを裏付ける証拠として田中上奏文を持ち出したが、裁判途中で偽書と気づいて追及をやめたのである。

志位氏が引用したポツダム宣言第6項は、この東京裁判でもインド代表のパール判事らから数々の反論がなされた荒唐無稽な「共同謀議」史観に貫かれているどうして今さら、そんな珍妙な認識を日本が認めないといけないのか。・・・

志位氏の愚問、マジ恥ずかしいー

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2015年05月03日12:13国立英雄墓地に眠る、インドネシア独立の為に戦った最後の残留元日本兵・小野盛さんの思い 【news every.サタデー】

日本テレビ【news every.サタデー】(5/2)で、

インドネシア独立の為に戦った数百人の残留元日本兵の中で、去年亡くなった最後の元日本兵がどのような思いでインドネシアに残ったのかを取材していたので記録しました[E:downwardleft](青字はナレーション)

残留日本兵の存在すら知らない日本人が多いけど、

人さし指民放のテレビが、もっとこういう先の戦争の側面の部分を普通に報じていったら、「日本は悪い国」という国民の洗脳も解かれていくかも。

001_3

アナ「太平洋戦争当時、日本が占領・統治していたインドネシアでは終戦後数百人の日本兵が現地に残り、インドネシア独立の為に戦いました。」

女子アナ「去年亡くなった最後の日本兵、どのような思いでインドネシアに残ったのかその記憶を取材しました。」

002

独立戦争を戦った戦士達が眠る東ジャワ市の(バトュ)英雄墓地。 

004

そこに出身地「北海道」、そして「ONO」という日本人の名前が刻まれています。 

去年、95歳で亡くなった小野盛さんの墓です。 

005

006

オランダの植民地だったインドネシアは太平洋戦争中の1942年に日本が占領

007 

終戦で日本が撤退した後、オランダからの独立戦争に突入しました。

008

その戦いには現地に残った元日本兵、数百人も参加していました。

009

010

陸軍に所属していた小野さん

日本兵からなるゲリラ部隊に身を投じ、戦いで左手を失いながらもインドネシアが独立を勝ち取るまでの4年間戦い続けました

011

独立後にインドネシア国籍を取得し、現地で結婚。多くの子供に恵まれました。躾には厳しい父親だったと言います。

012

(小野盛さんの二男)エルスヨノさん「ちょっと厳しいけど、でも子供達の為だから厳しいね。」(日本語で)

インドネシア独立に貢献した英雄として国立の英雄墓地に埋葬された小野さん

戦争については多くを語らず、ある言葉を繰り返していたと言います。

013

014

エルスヨノさん『インドネシアの為の独立の為』だけ。お父さんが言ったのはそれだけ。」(日本語で)

015

日本統治時代に、日本がインドネシアと交わした『将来の(インドネシアの)独立を認める』という約束を守るため、現地に残ったのだというのです。 

日本人とインドネシア人の血をひくエルスヨノさん。日本にどのような思いを抱いているのでしょうか。

017

エルスヨノさん「昔はインドネシア人の子供の中には日本人を見て恐れていた子供もいたけど。今は"オハヨウ"や"アリガトウ"と声をかける身近な存在になっている。[E:danger]過去をきちんと認識して、次の世代に生かさないといけないと思う」。

インドネシア独立の英雄を父に持つエルスヨノさん。歴史を認識した上で過去の悪を非難するだけでなく互いに未来を見据えて日本との関係をより良くしていければと望んでいます

以上

日本は敗戦したけど、残留日本兵がその志を受け継ぎ

日本がインドネシアと交わした約束は守られました

そのインドネシア独立の為に残留した日本兵ですが、たくさんの命が犠牲になりました右

▲ 残留日本兵 1945年8月15日、日本の敗戦で中国や東南アジア諸国で多くの日本兵が取り残された。その後、帰国せず現地に留まった者もいる。インドネシアでは、オランダとの独立戦争に多くの日本兵が身を投じた。福祉友の会によると、約900人の日本兵が参戦し、531人が戦死や行方不明。324人が生き残りインドネシア国籍を取得。45人が日本へ帰国した。

ホント、「[E:danger]過去をきちんと認識」しなければいけませんね。

歴史には光と影があります。

戦後70年の今だから、日本がインドネシアでやった事を日本人はしっかり知るべき右

《『朴大統領演説の波紋と日韓外交"迷路"出口』、渡部昇一氏、小倉紀蔵氏の議論 (後半) 【プライムニュース】》より抜粋[E:downwardleft]

大東亜会議70周年記念大会 ⑦  ヘンリー・ストークス「日本はアジアの希望の光だ」より)右

人さし指この際、インドネシアがオランダの植民地時代に酷い搾取され、その後農業指導した日本人に感謝している話も紹介します右

《インドネシア幻のコーヒー「トアルコトラジャ」を復活させた日本人。日本とトラジャ族の知られざる絆 【未来世紀ジパング】》より抜粋[E:downwardleft]

話を残留日本兵 に戻します。

インドネシアもだけど、ベトナムなどに残った日本兵が現地で教育・指導し評価された事をみても、「日本はアジアの光」と言われていたのが分かりますね右

中国[編集]

中国大陸では、残留日本軍が非軍人の在留日本人とともに多数が国民党軍共産党軍に参加し、国共内戦を戦った。山西省では国民党軍に軍人・非軍人合わせ約2600人の日本人が参加し、終戦後も4年間にわたり戦闘員として戦った中国山西省日本軍残留問題)。また、八路軍支配地域では旧日本陸軍の飛行隊長を始めとする隊員300名余りが教官となってパイロットを養成した(東北民主連軍航空学校)。 

インドネシア[編集]

第二次世界大戦終結後、インドネシアでは日本軍から多くの武器が独立派の手に渡り、再植民地化を試みたオランダとの間に発生したインドネシア独立戦争では、旧日本軍将兵が独立軍の将兵の教育や作戦指導するとともに、自ら戦闘に加わるなどした。戦後、インドネシアでは多くの元日本兵が独立戦争への功績を讃えて叙勲されている

インドネシア残留日本兵が作った互助組織「福祉友の会」は、日本に留学する日系インドネシア人学生に奨学金を与えるなど、日本とインドネシアの架け橋としての役割も果たした。元残留日本兵は、毎年行われるインドネシアの独立式典にも呼ばれているが、全員が死亡したり、高齢で体調が悪化したりなどで参加者は減っていき、2014年の式典には1人も参加できなかった[1]

2014年8月25日、小野盛(インドネシア名:ラフマット)が94歳で死去した。小野は、行方不明者を除くと、最後の残留日本兵とされ、これで所在が確認できるインドネシアの残留日本兵は全員死亡したとされる[2][3]小野の葬儀はインドネシア国軍が執り行い、にはインドネシアの国旗が被せられ、カリバタ英雄墓地埋葬された[4]

ベトナム[編集]

ベトナムでは700人から800人の日本兵が残留し[5]、ベトナム独立戦争中の1946年に設立されたクァンガイ陸軍中学などいくつかの軍事学校で旧日本陸軍将校・下士官による軍事教育が行われた。ベトナム独立戦争に参加して戦死した旧日本兵には烈士墓地に顕彰されているものもいる[5]

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2015年05月03日12:13国立英雄墓地に眠る、インドネシア独立の為に戦った最後の残留元日本兵・小野盛さんの思い 【news every.サタデー】

日本テレビ【news every.サタデー】(5/2)で、

インドネシア独立の為に戦った数百人の残留元日本兵の中で、去年亡くなった最後の元日本兵がどのような思いでインドネシアに残ったのかを取材していたので記録しました[E:downwardleft](青字はナレーション)

残留日本兵の存在すら知らない日本人が多いけど、

人さし指民放のテレビが、もっとこういう先の戦争の側面の部分を普通に報じていったら、「日本は悪い国」という国民の洗脳も解かれていくかも。

001_3

アナ「太平洋戦争当時、日本が占領・統治していたインドネシアでは終戦後数百人の日本兵が現地に残り、インドネシア独立の為に戦いました。」

女子アナ「去年亡くなった最後の日本兵、どのような思いでインドネシアに残ったのかその記憶を取材しました。」

002

独立戦争を戦った戦士達が眠る東ジャワ市の(バトュ)英雄墓地。 

004

そこに出身地「北海道」、そして「ONO」という日本人の名前が刻まれています。 

去年、95歳で亡くなった小野盛さんの墓です。 

005

006

オランダの植民地だったインドネシアは太平洋戦争中の1942年に日本が占領

007 

終戦で日本が撤退した後、オランダからの独立戦争に突入しました。

008

その戦いには現地に残った元日本兵、数百人も参加していました。

009

010

陸軍に所属していた小野さん

日本兵からなるゲリラ部隊に身を投じ、戦いで左手を失いながらもインドネシアが独立を勝ち取るまでの4年間戦い続けました

011

独立後にインドネシア国籍を取得し、現地で結婚。多くの子供に恵まれました。躾には厳しい父親だったと言います。

012

(小野盛さんの二男)エルスヨノさん「ちょっと厳しいけど、でも子供達の為だから厳しいね。」(日本語で)

インドネシア独立に貢献した英雄として国立の英雄墓地に埋葬された小野さん

戦争については多くを語らず、ある言葉を繰り返していたと言います。

013

014

エルスヨノさん『インドネシアの為の独立の為』だけ。お父さんが言ったのはそれだけ。」(日本語で)

015

日本統治時代に、日本がインドネシアと交わした『将来の(インドネシアの)独立を認める』という約束を守るため、現地に残ったのだというのです。 

日本人とインドネシア人の血をひくエルスヨノさん。日本にどのような思いを抱いているのでしょうか。

017

エルスヨノさん「昔はインドネシア人の子供の中には日本人を見て恐れていた子供もいたけど。今は"オハヨウ"や"アリガトウ"と声をかける身近な存在になっている。[E:danger]過去をきちんと認識して、次の世代に生かさないといけないと思う」。

インドネシア独立の英雄を父に持つエルスヨノさん。歴史を認識した上で過去の悪を非難するだけでなく互いに未来を見据えて日本との関係をより良くしていければと望んでいます

以上

日本は敗戦したけど、残留日本兵がその志を受け継ぎ

日本がインドネシアと交わした約束は守られました

そのインドネシア独立の為に残留した日本兵ですが、たくさんの命が犠牲になりました右

▲ 残留日本兵 1945年8月15日、日本の敗戦で中国や東南アジア諸国で多くの日本兵が取り残された。その後、帰国せず現地に留まった者もいる。インドネシアでは、オランダとの独立戦争に多くの日本兵が身を投じた。福祉友の会によると、約900人の日本兵が参戦し、531人が戦死や行方不明。324人が生き残りインドネシア国籍を取得。45人が日本へ帰国した。

ホント、「[E:danger]過去をきちんと認識」しなければいけませんね。

歴史には光と影があります。

戦後70年の今だから、日本がインドネシアでやった事を日本人はしっかり知るべき右

《『朴大統領演説の波紋と日韓外交"迷路"出口』、渡部昇一氏、小倉紀蔵氏の議論 (後半) 【プライムニュース】》より抜粋[E:downwardleft]

大東亜会議70周年記念大会 ⑦  ヘンリー・ストークス「日本はアジアの希望の光だ」より)右

人さし指この際、インドネシアがオランダの植民地時代に酷い搾取され、その後農業指導した日本人に感謝している話も紹介します右

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話を残留日本兵 に戻します。

インドネシアもだけど、ベトナムなどに残った日本兵が現地で教育・指導し評価された事をみても、「日本はアジアの光」と言われていたのが分かりますね右

中国[編集]

中国大陸では、残留日本軍が非軍人の在留日本人とともに多数が国民党軍共産党軍に参加し、国共内戦を戦った。山西省では国民党軍に軍人・非軍人合わせ約2600人の日本人が参加し、終戦後も4年間にわたり戦闘員として戦った中国山西省日本軍残留問題)。また、八路軍支配地域では旧日本陸軍の飛行隊長を始めとする隊員300名余りが教官となってパイロットを養成した(東北民主連軍航空学校)。 

インドネシア[編集]

第二次世界大戦終結後、インドネシアでは日本軍から多くの武器が独立派の手に渡り、再植民地化を試みたオランダとの間に発生したインドネシア独立戦争では、旧日本軍将兵が独立軍の将兵の教育や作戦指導するとともに、自ら戦闘に加わるなどした。戦後、インドネシアでは多くの元日本兵が独立戦争への功績を讃えて叙勲されている

インドネシア残留日本兵が作った互助組織「福祉友の会」は、日本に留学する日系インドネシア人学生に奨学金を与えるなど、日本とインドネシアの架け橋としての役割も果たした。元残留日本兵は、毎年行われるインドネシアの独立式典にも呼ばれているが、全員が死亡したり、高齢で体調が悪化したりなどで参加者は減っていき、2014年の式典には1人も参加できなかった[1]

2014年8月25日、小野盛(インドネシア名:ラフマット)が94歳で死去した。小野は、行方不明者を除くと、最後の残留日本兵とされ、これで所在が確認できるインドネシアの残留日本兵は全員死亡したとされる[2][3]小野の葬儀はインドネシア国軍が執り行い、にはインドネシアの国旗が被せられ、カリバタ英雄墓地埋葬された[4]

ベトナム[編集]

ベトナムでは700人から800人の日本兵が残留し[5]、ベトナム独立戦争中の1946年に設立されたクァンガイ陸軍中学などいくつかの軍事学校で旧日本陸軍将校・下士官による軍事教育が行われた。ベトナム独立戦争に参加して戦死した旧日本兵には烈士墓地に顕彰されているものもいる[5]

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2015年03月12日19:30韓国の「国民的画家イ・ジュンソプ」氏と日本人妻、引き裂かれた歴史を超えて 【ニュースバード】

TBS系【ニュースバード】で、

「韓国の有名な国民的画家のイ・ジュンソプ氏と日本人妻と2人の息子の、引き裂かれた歴史」を日韓国交正常化と重ねて報じていたので記録しました[E:downwardleft](青字はナレーション)

韓国は、日本の「いわゆる植民地政策」は悲惨で・七奪したと(中には奴隷化したとか)主張をしているけど、

人さし指フツーに考えて、日本に留学できたり、日本人令嬢と結婚できる被植民地の人って・・

何をかいわんやだと思いますけどね。

001

女子アナ今年は日本と韓国の国交正常化50年にあたります。往来がままならない時代に生きた日韓のある夫婦が、今、注目されています。」

002

003

幸せそうな子供達や家族の姿。今は亡き、韓国の国民的画家イ・ジュンソプさんが家族を想い描き続けた物です。

004

訪れた人「国籍や場所は重要じゃない。大切なのは心なんだなって、、」

005

モデルは妻の山本方子さん。韓国でもあまり知られていませんでしたが、日本人です。そして、2人の息子。

006

007

2人は[E:danger]日本の統治下時代に東京で出会い、終戦直前、方子さんがジュンソプさんを追って朝鮮半島に渡りました

008

しかし、結婚から5年後、朝鮮戦争が勃発。貧困は壮絶を極め、妻子だけが日本に逃れました。当時、日本と韓国に国交はなく、妻子と一緒に暮らす事はありませんでした。

009

家族を想い、煙草を包む銀紙に描いた絵は、ニューヨーク近代美術館に所蔵されています。


010

パク・ミョンジャ会長「生きている間は絵も売れなかったし、絵では生活ができなかった。就職もできず家族を恋しがって亡くなった。」(現代画廊)

011

012

「早く会いたくてたまりません。世に私ほど自分の愛妻にこれほど狂気的に会いたがっている男がまたとあるでしょうか。会いたくて会いたくて、また会いたくて・・・」

妻子と分かれて3年後、ジュンソプさんは栄養失調で亡くなりました。39歳でした。

一方、日本でも2人を描いたドキュメンタリー映画が製作され、去年の年末から各地で上映されています。

014

013

山本泰成さん「長い長いポポを受け取ってください」(次男)
山本方子さん「ポポってキスのことよ」

山本方子さん「色んな事があって、、別に苦労とは思わなかった。あの頃はね」

妻の方子さんは、現在93歳。映画では、方子さんが避難生活を送った済州(チェジュ)島を訪ねています。

015

山本方子さん「ありがとう」

016

酒井充子監督「民族とか時代とか国っていうものを軽く飛び越え愛し合った。信じ合った。今、この時代に生きている私たちこそいろいろなものに捉われ過ぎているんじゃないかな、、」

当時、日本と韓国の国交がないことから往来が厳しく制限され、再び一緒になることがなかった家族。

映画を見た人「あの時代の手紙の数、思い 今の私たちには計り知れないものが、、」

017

ジュンソプさんの死から9年後、日本と韓国は国交を結びました。それから50年。ジュンソプさんの目に今の時代はどう映っているでしょうか。

018

以上

このイ・ジュンソプさんと方子(まさこ)さんを「引き裂いた歴史」は、韓国内の事情です。

少なくてもイ・ジュンソプさんが日本に戻っていたら、栄養失調で人知れず死ぬ事はなかったかと。

映画「ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~ というサイトに、もっと詳しいお二人の経歴・年表があったので確認右

第二次世界大戦のさなか、三井財閥企業の役員を父に持つ令嬢・山本方子は日本の美術学校で出会った朝鮮からの留学生イ・ジュンソプと恋に落ちる。空襲が激化し戦況が最終局面を迎えた1945年、方子は命がけで海を渡り、故郷に戻ったジュンソプのもとへ嫁いでいった。幸せな時を過ごしたのもつかの間、日本の敗戦後に勃発した朝鮮戦争の戦火と貧困に追われ、再び日本と朝鮮の地で離れ離れに。それでもふたりの愛は失われず、唯一の通信手段だった手紙は200通以上に及んだ。

アジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館〈MoMA〉に作品が収蔵され、遺された絵画は今や億の値がつく画家、イ・ジュンソプ。韓国では知らない者はいないジュンソプは、生前キャンバスも買えないほど貧しく、39歳で息を引き取った。彼が最後に会いたいと願ったのは、日本人の妻・方子だった。


監督は、『台湾人生』『台湾アイデンティティー』で台湾の「日本語世代」の取材を通して日本と台湾の解けない関係性を描き出し、ロングラン・ヒットを記録した酒井充子。最新作では、悪化の一途をたどる日韓関係を、一組の夫婦を通して見つめ直す。国家の対立が先鋭化した時代に、民族や政治、思想を乗り越えて信頼を築いたふたりの人生が私たちに問いかけることとは――。

【イ・ジュンソプと山本方子を通してみる日本・韓国近現代史】

※下線はイ・ジュンソプと山本方子の出来事 

1875年(明治8年) 江華島事件で日朝が武力衝突
1876年(明治9年) 朝鮮開国。鎖国状態にあった朝鮮は、日朝修好条規(不平等条約)を受け入れ開国する。
1894年(明治27年) 日清戦争始まる。
1895年(明治28年) 閔妃暗殺
1904年(明治37年) 日露戦争始まる 。                     
                    日本は朝鮮に日韓議定書を調印させ、駐留権と内政干渉権を認めさせる。                     
1909年(明治42年) 初代韓国統監・伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺される
1910年(明治43年) 日韓併合条約に調印。日本の朝鮮統治時代の始まり。
1914年(大正3年) 第一次世界大戦勃発
1915年(大正4年) 日本が対華21カ条要求を出す。
1916年(大正5年) 日本の植民地時代の朝鮮・平安南道でイ・ジュンソプが生まれる
1919年(大正8年) 本格的抗日運動「3.1独立運動」が起きる。
1920年(大正9年) イ・ジュンソプの父親が死去。絵に没頭するようになる。                     
                    [E:danger]梨本宮方子女王が李王朝に嫁ぐ。                     
1921年(大正10年) 神戸で山本方子が生まれる。三井財閥企業の役員を父に母と兄、姉妹の5人家族。父の転勤に伴い東京へ転居。                
1923年(大正12年) 関東大震災。死亡、行方不明、負傷者およそ14万、全壊建物およそ12万棟、全焼建物およそ44万という未曾有の大災害だった。
1931年(昭和6年) 満州事変                     
1932年(昭和7年) 満州国の建国を宣言、5・15事件で犬養首相暗殺
1936年(昭和11年) イ・ジュンソプ東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)入学                     
2・26事件が起きる                     
1937年(昭和12年) 日中戦争が始まる                     
イ・ジュンソプ、与謝野晶子らが創設した文化学院美術部へ移る。                     
1938年(昭和13年) 国家総動員法施行
1939年(昭和14年) 山本方子は府立第三高等女学校(現都立駒場高校)を卒業後、文化学院美術部で洋画とフランス語を学ぶ。その頃、2年先輩のイ・ジュンソプと出会う
1940年(昭和15年) 日独伊3国同盟に調印。                     
                    創氏改名始まる。                     
1941年 (昭和16年) 太平洋戦争勃発                     
1943年(昭和18年) ソウルで開かれた第3回新美術家協会展に出品するためにイ・ジュンソプは帰国するが、太平洋戦争が激しさを増したため日本に戻れなくなる。                     
1945年(昭和20年) 3月10日、東京大空襲。                     
山本方子は単身、危険をおして朝鮮に渡りイ・ジュンソプと結婚。元山(ウォンサン)で暮らす。                   
                   広島に原爆投下。ソ連が対日宣戦を通告。長崎に原爆投下。
終戦。                     
1946年(昭和21年) イ・ジュンソプと方子の間に第一子が生まれるがジフテリアで死亡。                     
1948年(昭和23年) ふたりの間に泰賢が誕生                     
1948年(昭和23年)                    李承晩初代大統領に就任。8月15日、大韓民国、建国される                   
9月9日 朝鮮民主主義人民共和国、建国される                   
済州島4・3事件起きる                     
1949年(昭和24年) 泰成が誕生                     
1950年(昭和25年)                    6月、朝鮮戦争が起きる。                     
1950年(昭和25年) 家族は船で釜山へ避難する。しばらく釜山の難民収容所で暮らす。                     
1951年(昭和26年) 家族は済州島の西帰浦(ソギポ)に移り住む。                     
1952年(昭和27年) サンフランシスコ講和条約締結                   
                   李承晩ラインを宣言                   
方子と子供たちが栄養不良に陥り、健康上の問題から日本行きの船に乗せる。韓国に残ったイ・ジュンソプは、家族宛に自筆絵葉書や絵を添えた手紙を書くようになる。                     
1953年(昭和28年)                    7月、朝鮮戦争休戦。板門店で休戦協定が調印され、現在の軍事境界線が敷かれる。                   
友人や方子の母親の尽力で日本での特別滞在許可を得てイ・ジュンソプは1週間足らず日本に滞在する。これが家族との最後の別れとなる。                     
1954年(昭和29年) イ・ジュンソプは帰国後、統営、晋州などで風景画を中心に創作活動に専心。方子は洋裁の手伝いや保険外交の仕事をしながら子供を育てる。                     
1955年(昭和30年) イ・ジュンソプはソウルで個展を開催。好評を博すも出展した銀紙画を春画とみなした当局から撤去命令がでる。この頃から栄養不良、拒食症等で衰弱。しばらく入院するが退院後は飲酒量が以前より増す。                     
1956年(昭和31年) 肝臓障害から飲食を拒み、友人たちがイ・ジュンソプを清涼里脳病院に入院させる。退院後、赤十字病院に移る。9月6日、誰にも看取られず息を引き取る。39歳だった。方子は夫の死を電報で知る。                     
1961年(昭和36年)                    朴正煕が軍事クーデターにより政権を奪取                     
1963年(昭和38年)                    朴正煕が大統領に就任                     
1965年(昭和40年)                    日韓基本条約により国交正常化                   
ベトナム戦争にアメリカ合衆国の承諾を得て参戦                     
1972年(昭和47年) ソウル現代画廊で遺作展が開催され、作品集が出版される。                     
1973年(昭和48年)                    新聞連載を経て、イ・ジュンソプの評伝が出版される。                     
1975年(昭和50年) イ・ジュンソプの半生が映画化される。「李仲變」が上映される。                     
1978年(昭和53年)  勳章が授与される。                     
1986年(昭和61年) 没後30年記念事業のイ・ジュンソプ展に山本方子が招かれる。                   
                   山本方子は現在、泰成家族らと世田谷区三宿で暮らす。泰賢も目黒区に在住。

イ・ジュンソプさんは、韓国では知らない人がいない有名画家という事で、「親日派だ!」と糾弾はされていないようですね。

日本人と朝鮮人の結婚・・そこから「差別」「区別」「植民地」というワードは全く思い浮かびません。

人さし指そもそも、日本は本気で内鮮一体しようとしていました。その証拠が韓国の李王家の処遇にあります右

《朝鮮文化遺産 百年の流転 (朝鮮王朝儀軌は何故日本に渡ったか) 前半 【NHK】》より一部抜粋[E:downwardleft]

・・・1910年、韓国併合と同時に発せられた明治天皇の詔書です。

李王家の人々について「皇族の禮を以って・・・」すなわち日本の皇族と同等に処遇するとしました。

その一方で王族、皇族という新しい身分を李王家のために作り明確に区別しました。

(中略)

026

日本政府は李王家と日本の結びつきを強めていきます。併合に先立ち初代韓国統監・伊藤博文はコジョンの息子李垠(イ・ウン)を日本に留学させました。

10歳の皇太子に徹底した日本式の教育を受けさせることが目的でした。

027

そして、併合後の1916年、イ・ウンの婚約が報じられます。相手は日本の皇族・梨本宮方子妃

日本と朝鮮が一体となる日鮮融和の象徴ともてはやされました。

日本と朝鮮を結ぶ皇室初の政略結婚でした。

この結婚を進めるにあたり、宮内省は李王家代々の家計図をはじめ、王朝に関する様々な記録を入手していきます。

調査チームは、[E:danger]この過程で朝鮮王朝儀軌が注目されていったのではないか と考えました。

(中略)

その後、日本政府は李王家の子弟を次々と留学させ、日本人との結婚を進めていきます。

イ・ウンの妹徳恵(トッケ)は旧対馬藩主宗家の伯爵と結婚。

リ・ウンのいとこ李鍵(イ・ゴン)は旧高松藩主松平家の令嬢と結婚します。

李王家を日本の皇族や華族と結び付けようとする日本政府。

朝鮮王朝の伝統や風習を理解しその記録を作るために儀軌を必要としたのではないか。・・・

日本の皇族と婚姻関係を結ばせたというのが、当時、差別を一切していないという証拠ですね。

 

そして、台湾との違いを渡部昇一氏が解説右

《『朴大統領演説の波紋と日韓外交"迷路"出口』、渡部昇一氏、小倉紀蔵氏の議論 (後半) 【プライムニュース】》より一部抜粋[E:downwardleft]

019

渡部氏「アネクゼイションを言いたいのは。、当時のイギリスの文献を見ると、コロナイゼーション・コリアなんて何処にもなくてアネクゼイションだ

アネクゼイション(併合)が使われているのはスコットランドとイングランドの関係

だからイギリス人からみたら日韓はアネクゼイション。イギリス人から見たら儲けがなきゃコロナイゼーション(植民地)じゃない。日本はどう見ても持ち出しでやっていた。

完全なる植民地と違ってて、当然だと思う。

例えば、アメリカはハワイの王家を無くした。イギリスはビルマの王家の男は全部殺した。女性達はインド人に皆くれてやった。それがコロナイゼーションだ。

日本と韓国は絶対にコロナイゼーションではなくアネクゼイション。」

(中略)

渡部氏「僕は英語の教師だったので言葉に拘るが、韓国に対してはアネクゼイションだが、台湾に対してはコロナイゼーションです。

当時のロンドンタイムズなんか見ても、これだけの成功例のコロナイゼーションとして西洋諸国は真似すべきと。台湾は正式な王朝がなかったし、日本のコロナイゼーションは穏健だったので、10年後に世界の手本になるとロンドンタイムズが認めていた。

ところが当時の朝鮮には王朝があったのでアネクゼイションという違い。」

こういう認識を日本人は共有すべきです。 

人さし指という訳で村山・小泉・菅談話にあるような「植民地支配と侵略」なぞという文言は、

戦後70年・安倍談話にはゆめゆめ入れるべきではないと思います。

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