戦争関連
昭和天皇とローマ教皇が終戦後にやり取りをしていた親書がバチカンに保管されている事や、
戦後の「引き揚げ」に関しては、あまり知られてないので併せて紹介します。
2022年11月、ローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書がバチカンに保管されているというNHKニュース
戦後、海外に抑留された人たちの日本への引き揚げに関する新たな資料が見つかりました。ローマ・カトリック教会の中心地のバチカンが引き揚げの実現に関わっていたことを示す外交文書などです。専門家は「日本人の引き揚げをめぐる新たな発見だ」としています。
78年前の終戦時、海外にいた元日本兵や民間人はおよそ660万人とされていて、戦後もシベリアや東南アジアなどに抑留され多くの人が亡くなったほか、生き残った人たちも日本に引き揚げるまで10年以上の時間がかかりました。
新たに見つかったのは、1946年から48年にかけてバチカンで記録された、日本人の引き揚げに関するおよそ40点の外交文書などで、国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が、バチカンで公開された資料を調査して確認しました。
このうち、旧ソビエトによって57万人を超える日本人がシベリアなどに抑留された「シベリア抑留」をめぐっては、1947年1月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電に、引き揚げの実現に向けて旧ソビエトとの交渉を急ぐよう、アメリカ側に働きかけたことなどが記録されています。
1948年8月には、シベリアからの引き揚げが年内に実現するよう、日本の家族団体がバチカンの国務長官に協力を求める手紙を送っていたのに対し、返書には、早期に実現するよう努力すると記されています。
また、1947年8月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電には、オランダ領東インド、今のインドネシアにあった日本人の収容所をめぐり、オランダ政府に対して環境の改善を求めたことが記されていました。
その年の12月に日本の家族団体がバチカンの駐日大使に送っていた手紙には、東南アジアからの引き揚げがほぼ完了したとして、バチカンによる支援に対し、謝意がつづられています。
松本教授は「バチカンが日本人の引き揚げを援助していたことはこれまで知られておらず、新しい発見だ。日本側からすると中立国のバチカンにキリスト教の人道主義の側面から頼ったのではないか」と指摘しています。
そのうえでバチカン側のねらいについては「海外に抑留された日本人は特にシベリアではソ連側に洗脳されてしまう危険性があった。バチカンは戦前から一貫して反共産主義で、人道的理由もあったものの、実は共産化を防ぐという政治的な意図もあったのではないか」と話しています。
ローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書 バチカンに保管 | NHK | 皇室カトリック信者の総本山「バチカン」。昭和天皇と教皇が複数親書を交わしていた事は「敗戦後の日本」の形に大きく影響したと思います。
戦後、日本が主権を回復した1952年にローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書がバチカンに保管されていることが分かりました。
教皇が日本の主権回復を祝ったのに対して、昭和天皇が感謝の意を示した内容などが含まれていて、国際政治史に詳しい専門家は、戦後の両国の関係を研究するうえで貴重な史料だとしています。
保管されていたのは、1952年にローマ教皇のピウス12世と昭和天皇が交わした複数の親書で、国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が、ローマ教皇庁があるバチカンの使徒文書館でおととし公開された機密文書を調査して確認しました。
このうち、1952年10月にピウス12世が昭和天皇に宛てた親書では、この年の4月にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復したことや、当時、皇太子の上皇さまの成年式などが行われることを祝うことばが記されています。
これに対する昭和天皇の親書には、「祝意に対し、わが皇室並びに日本国民の深厚な感謝の意を表します」などと記されています。
「昭和天皇実録」によりますと、昭和天皇は太平洋戦争が始まる2か月前の1941年10月に、「戦争終結の手段を最初から十分に考究する必要があり、そのためにはローマ教皇庁と親善関係を樹立する必要がある」などと述べたとされています。
松本教授は、「昭和天皇とローマ教皇が終戦後にやり取りをしていたことは歴史的な経緯から推測されてはいたが、実際にそれが確認できる史料が見つかったことは、戦後の両国の関係を研究するうえで意義が大きい」と話しています・・
原爆投下時のローマ教皇ピウス12世は、アメリカの連合国軍総司令官に対し「原爆は戦争犯罪の可能性がある」と指摘し、戦後は日本と平和を築くよう提言もされていました。
で、日本では原爆の事、敗戦の事はよく報じられているけど、シベリア抑留についてはあまり報道されません。
自国民を抑圧し、多くのウクライナの人達を餓死させ、第二次世界大戦終了後の日本人の悲劇を知って下さい
≪【ロシア指導者の残酷史】ヨシフ・スターリン…ホロドモール(ウクライナ) & 日本・満州の民間人蹂躙・虐殺、シベリア抑留と日本社会党(野溝勝、戸叶里子 ) ≫2022年04月26日
・・日本人をシベリアへ強制連行し、強制労働をさせた
野溝勝と戸叶里子はクズ中のクズ(社会党左派の議員のみハバロフスクの戦犯収容所への訪問がソ連側から許可された。野溝はこの視察団の団長)日本側の対応 「引き揚げ」を参照
1945年(昭和20年)11月になって日本政府は関東軍の軍人がシベリアに連行され強制労働をさせられているという情報を得る。1946年(昭和21年)5月、日本政府はアメリカを通じてソ連との交渉を開始し、同年12月19日、ようやく「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立した。
1952年(昭和27年)に緑風会の高良とみが収容所を訪問した。このとき健康な者は営外作業に出され、重症患者は別の病院に移されるなどの収容所側による工作が行われ、高良の「他の収容者はどうしたのか」との問いに対し、所長は「日曜日なのでみな魚釣りか町へ映画を見に行った」と平然と応えている[47]。
1955年(昭和30年)に当時ソ連と親しい関係にあった社会党左派の国会議員らによる収容所の視察が行われた。視察はすべてソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、調理場の鍋にあったカーシャを味見した戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな臭い粥を、毎日食べておられるのですか」と漏らしたという。・・
戸叶・野溝両議員は帰途香港で記者会見を行い、「戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった」と、視察で知った事実とは異なる内容を語った[4]。
視察団は日本人抑留者から家族への手紙を託されていた。同時に、国民や議員に宛て、同胞への仕打ちに憤慨してソ連将校を斧の峰で殴り営倉に入れられた仲間の釈放のための外交努力と、収容所の窮状を訴えるとともに、将来の日本の国策のためならば、祖国のためにこの地に骨を朽ちさせても悔いはないとする収容者らの決意を認めた7通の手紙も手渡されていた。しかし、社会党議員らはこれら7通の手紙を握りつぶし、議員団団長である北村徳太郎への報告もしなかった。抑留者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、野溝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追及を受けている[5][6]。
あと、ソ連兵は粗暴で野獣的だったという引揚者の証言あと、戦後こんな悲劇も≪ロシア軍のウクライナ人への凌辱など「戦争犯罪」疑惑 & 77年前のソ連軍の日本人への凌辱証言、「マダムダワイ」とは…≫2022年04月04日「とっとと降伏しろ」派の人は、ロシア・ソ連が周辺国にやってきた蛮行をもっと「知る」べきだと思います。でないと、野溝勝と戸叶里子と同類だよ!
腹の立つ話だったので、口直しの話を1つ。、旧日本兵捕虜が建設に携わった有名な「ナボイ劇場」(ナヴォイ劇場)≪シルクロードの親日国 #ウズベキスタン。日本人を尊敬するのは #ナボイ劇場 を建設した日本兵捕虜の礼儀正しい姿【いま世界は】≫2015年10月26日
≪「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 【NNNドキュメント'16】≫外地からの引き揚げの悲劇の生の証言
71年前、祖国・日本が負けると大陸に暮らしていた女性達にはどうしようもない事が待っていました。身にはボロ布を纏い、足に履物はなく、見るも無残な姿で日本へ引き揚げてきたのです。 ・・
≪【引揚者の記録】衝撃の医学生戦争証言(京城帝国大学編) 前編 【NHK・戦争証言】 )≫そうそう!バチカンは、靖国神社も救ってくれました証言記録 市民たちの戦争
「“引き揚げ”の嵐の中で ~京城帝国大学 医学生の戦争~」太平洋戦争が終わり大陸に取り残された日本人はおよそ660万人。彼らは暴力と栄養失調、伝染病にさらされながら祖国を目指した。そんな混乱のなか、引き揚げ者たちのため医療活動を行った医学生たちがいる。日本が“外地”に始めて設立した帝国大学である京城帝国大学の医学生たちだ。彼らは、ソウル、プサン、博多港と各地で医療の最前線に立った。医学生たちが体験した引き揚げの現実と惨状を伝える。(HPより)
現代を生きる日本人として、バチカンに心から感謝します。未曾有の敗戦の中で、敵・連合国のGHQは我が国を占領し、「再びアメリカを始めとする連合国の脅威とならないようにする」ため、我が国の諸制度に根本的な改変を加えてきた。特にGHQの中には、軍国主義・超国家主義を廃絶するという観点から、靖国神社と護国神社の廃絶を主張する者もいた。
しかし、ポツダム宣言で保障した「信教の自由」という建前はもちろん、それ以上に靖国神社・護国神社の存続を願う一般国民の願いを無視することはできず、神社の廃絶まではいかなかった。
特に神道に対して敵意丸だしの神道指令を起草したGHQの民間情報教育局(CIE)の幹部は、当初、神社の祭典は軍国主義的な行事や扇動的な説教があると思い込んでいたようであるが、終戦直後の昭和二十一年二月、靖国神社の祭典を視察した際、軍国調とはおよそかけ離れた静かで簡素な、しかも清浄な感じのものであったため、予想に反した強い印象を受け、これがきっかけとなって、靖国神社のみならず神社神道に対するGHQの認識が大きく変わったようである。(大原康男著『神道指令の研究』)
また、終戦当時、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理であったブルーノ・ビッター神父の存在も忘れることはできない(以下参考、木村正義「靖国神社とブルーノ・ビッター神父」、社報『靖国』昭和五十六年七月号所収)。
GHQは日本占領直後、当然のことながら靖国神社の処置問題を取り上げ、司令部内では「焼却すべし」という意見が大勢を占めた。そして、その最終的判断は、マッカーサー総司令官に任されることになった。マッカーサーは決断を下すにあたって、キリスト教会の意見を聞くこととし、ビッター神父に対し、靖国神社処分に対する使節団の統一見解を文書をもって回答されたい旨要望した。
第一次大戦の勇士で陸軍中尉、ドイツ敗戦後聖職者の道を選び、昭和九年から日本に滞在、上智学院の院長も務めた知日派のビッター神父は次のように答申した。
《自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。
もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相いれない犯罪行為である。》
マッカーサー司令官はこの答申を受けて、靖国神社の焼き払いを中止せしめたという。
かくしてGHQは、①敗戦後も、靖国神社が日本の戦歿者追悼の中心施設であることを日本の大多数の国民は認めており、②その祭典は決して軍国主義を賛美するものではなく、③バチカンの代表者も、たとえ宗教的色彩を帯びようとも靖国神社は戦歿者追悼の施設である以上、その存続を認めるべきだと考えている――ことを知り、その廃絶は断念したのである。
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でも、インドネシア独立の為に最後まで戦った日本兵の事を、日本人はあまり知らないのでまとめてみました
天皇陛下が供花に、インドネシア英雄墓地に眠る残留日本兵たちもきっと涙を…(JBpress) - Yahoo!ニュース6/20(火)「靖国神社」を問題にする人達にこそ読んでほしい記事です。
天皇、皇后両陛下は17日からインドネシアを公式訪問されている。
両陛下の外国への親善訪問は即位後初めてとなるが、それがインドネシアだった意味は大きい。
【写真】独立宣言を読み上げるスカルノ。右にいるのがハッタ(1945年8月17日)
インドネシアは、終戦後も現地に留まった日本兵が独立戦争に加わり、アジアの植民地支配からの解放を果たした国だ。20日には、その元日本兵も埋葬されている「カリバタ英雄墓地」を訪れ、供花される。これは歴史的なことでもある。
■ インドネシア独立宣言を起草した日本の駐在武官
日本が敗戦を迎えた1945年8月15日の2日後、インドネシアでは独立が宣言される。首都ジャカルタの現在の独立記念塔(モナス)が経つ場所で、後の初代大統領となるスカルノが「独立宣言」を読み上げた。そこから再植民地化を狙う宗主国オランダとの独立戦争がはじまっていく。
そもそも日本軍は、統治下にあったインドネシアで現地の優秀な若者を集めた補助部隊として「ペタ」と呼ばれる義勇軍を創設し、軍事教練を実施していた。これが独立運動の原動力となっていた。
スカルノが読み上げた「独立宣言」も日本海軍のジャカルタ駐在武官だった前田精少将邸が、前日の夜に起草したものだった。インドネシアの独立を日本軍が後押ししたことは事実だった。
日本敗戦の2日後の独立宣言。これがきっかけとなって、アジアの周辺各国が植民地支配からの解放を目指して立ち上がっていく歴史的瞬間。
この時、スカルノを囲んで警護の役割を果たしていたのが、日本軍の憲兵たちだった。そのうちの一人、補助憲兵としてスカルノの脇に立ち、独立宣言を読み上げる肉声を聞いていた人物に話を聞いたことがある。
「インドネシアの独立という歴史的現場に立ち合っちゃったんだなあ」
私が話を聞いたのは戦後60年の節目の年、18年前の夏。終戦後も日本への復員を拒み、現地に留まって生きた残留日本兵を訪ねた時のことだった。すでに80歳を超えたジャカルタ在住の彼の名前を藤山秀雄といった。もともとは日本陸軍の「隼」戦闘攻撃機の整備をしていたが、終戦の混乱で憲兵が不足して、補助憲兵に借り出されていた。
「演説を聞いて、独立に熱いものを感じたんです。市民の熱気を! まあ早く言うと、若さも手伝ったんでしょう」
■ 「脱走兵」として咎められようとも
インドネシアは、太平洋の島々を攻略・奪還して日本本土を目指すアメリカ軍の戦略ルートから外れていた。そのため、本格的な戦闘もないまま、戦力が温存されていた。空襲すらなければ、「ビルマの地獄、ジャワの天国」と囁かれていたくらいだった。だから、敗戦が受け入れられず、失意から自決する日本兵も少なくなかった。
なぜ敗けるのか、俺たちはまだ戦える――。熱い意気込みは残っていた。その兵士たちの思いがほかの方向に向かわせる。
宗主国オランダの再上陸がはじまると、義勇軍「ペタ」やインドネシア軍のほうから、日本兵を勧誘に来た。独立戦争を勝ち抜くための軍事指導が欲しい、一緒に戦ってほしいと訴えた。
しかし、インドネシア軍に参加することは、隊を離脱した「脱走兵」となって、日本軍からも咎められる立場となる。もとの日本兵には戻れない。それも覚悟で、独立戦争に身を投じる兵士たちがいた。現地語で「独立」を意味する「ムルデカ!」が合言葉になった。
あの夏、やはりジャカルタで出会った宮原永治もその1人だった。むしろ彼には、帰る場所がなかった。宮原は台湾の生まれだった。帰りたくても、帰れなかった。
「蒋介石が入ってたんだ」
彼は一言でそう説明した。
■ 大東亜共栄圏と植民地解放を夢見た日本人
台湾名も持つ宮原が軍に入ったのは、1940年の日中戦争の最中だった。それも軍属として、志願して入隊している。
「当時は学生だったから、社会的経験もないだろ。染められてない、純粋だったんだなぁ! 出征軍人、婦人会から戦意一色でね。『八紘一宇』だ。当時は『大東亜共栄圏』『植民地解放』の2つを標榜してな……。当時の私はそれを聞いて、地図を見たんだ」
開いたのは、学校に置いてあったアジアを示した世界地図だった。
「地図の色が一色に染まってたんだ」
独立国だった日本と、それにタイを除いて、あとはアジア地域が同じ色で塗られていた。
「みんな白人の植民地。中国も半分は白人の植民地になっている。タイと日本以外は。それも、タイは両隣がもう植民地でね」
一色に染まったアジアの地図が、日本の掲げる“解放”と“共栄圏”の夢へと駆り立てていった。
「正義の戦争と信じてたんだ」
それが敗戦と同時に、独立戦争に駆り立てた。
「インドネシアの独立が目的なんだから、独立しないと今度はオランダ軍に捕まって処刑される。敵が入ってきている台湾に帰っても処罰されるだけだろう。日本もアメリカに占領されて、どうなるかわからない。まして、部隊を離れては脱走兵だ。だから、もう、第2の人生をインドネシアの独立に賭けたんだ。言わば、賭けだ! 人生の!」
宮原や藤山を含めて、私は9人の残留日本兵から話を聞いた。当時、インドネシアで存命だったのは、その9人だけだった。
ある士官は、オランダ軍を支援する英印軍の砲撃によって街が燃える赤い炎を見て、敗戦の失意が残留と独立戦争参加の決意に変わった。
まだ10代だった日本兵は、上官に連れられて行った場所がインドネシア軍の拠点で、すでに自分が「脱走兵」になっていたことに気づいて、止むに止まれず参加したと言った。
ある軍属の男性は、現地で出会った女性を愛した。彼女と生きたいがために、日本軍の収容所を抜け出し、独立に全てをかけた。
理由や事情はそれぞれだが、誰もが自分の正義を胸に、日本軍として送り込まれたインドネシアのために戦った。(当時の詳しいインタビューは拙著『帰還せず 残留日本兵 六〇年目の証言』にある)
■ インドネシア独立後も運命に翻弄された元日本兵たち
それから1949年12月までの戦争を戦い抜き、翌年インドネシアは公式に独立する。
ただ、そうなると独立戦争に賭けた日本兵たちの役割も終わり、気がつくと居場所もなくなっていた。ある者はそこから日本へ帰国し、ある者は現地での新しい生活を始めた。
「こっちに残った日本兵は、約1000人あるかないかと言われるが、そのうち700~800人が戦死か行方不明だ。それから後に帰国した者を含めると、1950年から残りは240人から250人になると思う。日本政府が『帰れ、帰れ』で20~30名は帰っとる」
それが当時の宮原の説明だった。
だが、残留日本兵の誰しもが、満足に暮らしていけるわけではなかった。とりわけ独立直後は、その日の食事にも事欠く生活を送った者もいた。1979年に、ある元日本兵が貧困長屋で孤独死したことがきっかけで、互助会組織をつくることになった。「インドネシア福祉友の会」といった。
当初は300人近い名前が名簿にあった。その事務をボランティアで取り仕切っていたのが宮原だった。それが、私がジャカルタを訪れた時には9人となり、そしていまでは誰も残ってはいない。
ただ、彼らの子どもや孫、曾孫たちは大勢いる。あの時、スマトラ島に訪ねた残留日本兵は、イスラム教に改宗して妻は4人、子どもは16人、孫が34人、曾孫が4人いた。そこで紹介された彼の一番下の子どもは当時8歳で、彼が73歳の時に生まれていた。
■ 英雄墓地に眠る元日本兵たち
独立戦争を戦った元日本兵の血脈は、いまもインドネシアに残る。そして、各地の英雄墓地や納骨堂で静かに眠っている。天皇陛下が供花される「カリバタ英雄墓地」には、私があの夏に出会った元日本兵も眠っている。
私がジャカルタに滞在した当時、できるだけ長く、宮原や藤山と過ごせるように努めた。戦争を知らない世代の私にとっては、話すことの全てが貴重だった。
その時、天皇についての話題に触れて、藤山がこう言ったことがあった。
「恩賜の煙草も、もらってる。御国のために死んでくるつもりでいたからね」
すると、事務仕事を片付けていた宮原が手を止め、遠くを見るようにして言った。
「恩賜の煙草かぁ‥‥。神棚の上だな、今も」
令和になって、天皇陛下が供花される。独立戦争を戦った残留日本兵たちにとって、これほど嬉しいこともないはずだ。青沼 陽一郎
あと、以前日テレでも「カリバタ英雄墓地」の事を報じていたので紹介します
≪国立カリバタ英雄墓地に眠る、インドネシア独立の為に戦った最後の残留元日本兵・小野盛さんの思い 【news every.サタデー】 ≫2015年05月03日インドネシア、アジアにとって希望の光だった日本・・エルスヨノさん「『インドネシアの為の独立の為』だけ。お父さんが言ったのはそれだけ。」(日本語で)
日本統治時代に、日本がインドネシアと交わした『将来の(インドネシアの)独立を認める』という約束を守るため、現地に残ったのだというのです。 日本人とインドネシア人の血をひくエルスヨノさん。日本にどのような思いを抱いているのでしょうか。
エルスヨノさん「昔はインドネシア人の子供の中には日本人を見て恐れていた子供もいたけど。今は"オハヨウ"や"アリガトウ"と声をかける身近な存在になっている。過去をきちんと認識して、次の世代に生かさないといけないと思う」。
インドネシア独立の英雄を父に持つエルスヨノさん。歴史を認識した上で過去の悪を非難するだけでなく互いに未来を見据えて日本との関係をより良くしていければと望んでいます。・・
大東亜会議70周年記念大会 ⑦ ヘンリー・ストークス「日本はアジアの希望の光だ」より)
ついでに、インドネシアがオランダの植民地時代に酷い搾取され、その後農業指導した日本人に感謝している話も紹介します
インドネシアにとって「残留日本兵」は英雄《インドネシア幻のコーヒー「トアルコトラジャ」を復活させた日本人。日本とトラジャ族の知られざる絆 【未来世紀ジパング】》より抜粋・
でも、一時は「脱走兵」として名誉を棄損されていた「残留日本兵」。その皆様に対し、天皇陛下が供花・黙祷されて本当に良かったです。
と、同時にこんな歴史的な事の意義を、詳細に報じないテレビメディアは本当に終わってると思いました。
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例の如く、パヨ様たちが「#はだしのゲンを無くすことに抗議します」とツイデモをやっています💧
この漫画が本当に教育題材として相応しいのか考えてみます。あと、ゲンと「1945ひろしまタイムライン」のシュン君との比較も。
平和教材から『はだしのゲン』削除の理由 広島市教委「本質に迫る時間が短くなる」 テレ朝news2023年2月16日「何がいけないのか」って・・さすがテレ朝、「はだしのゲン」への共感と、削除される不満がにじみ出ているニュース。
広島市立の小学校から高校までの平和教育で使われている教材では、原爆投下前後の生活を描いたマンガ『はだしのゲン』が使われています。
しかし、4月からの教材では、削除されることが決まりました。いったいどんな事情があったのでしょうか。 世界で初めて原子爆弾が投下された広島。戦争と被爆、そして、その後の体験をどう後世に伝えていくのか。78年という歳月が過ぎ、当事者の声はますます届きにくくなっています。
被爆の現実を描いた『はだしのゲン』。もとになっているのは2012年に亡くなったマンガ家・中沢啓治さんの実体験です。マンガを原作に、これまで何度もアニメやドラマが作られてきました。 それはこの体験を伝えなければと多くの人が考えたが故です。 亡くなる数カ月前、中沢さんは広島市内の小学校を訪れていました。
中沢啓治さん(当時73歳)「皆家族も亡くなりました。本当に戦争と原爆がなかったら散り散りバラバラになって別れることはなかったけど、それらの悔しい思いを『ゲン』の中で織り込んで、一生懸命描いてきました」
被爆地として平和教育に力を入れてきた広島市。被爆体験の風化が懸念されるなか、市立の学校では10年前、小中高一貫の平和教育プログラムが始まりました。 授業で活用されている『ひろしま平和ノート』。小学3年生向けの教材で取り上げられているのが『はだしのゲン』です。 ところが、市の教育委員会は、この4月から教材として使わないことを決めました。
広島市教育委学校教育部・高田尚志課長「理解させるのに、更に教材を作らないといけない。時間をかけて説明しないといけない。“困り感”というか、授業での課題を(教員が)挙げていた。そこは致し方ない」
焦点となったのは、原爆が落とされる前、主人公のゲンと弟が家計を助ける為、街角で浪曲のまね事をして小銭を稼ぐ場面。そして、栄養不足で倒れた身重の母親に食べさせようと、池の鯉を盗むシーンです。
広島市教育委学校教育部・高田課長「なぜ鯉を盗まないといけない状況になったのか。まず浪曲がどういうものか。子どもたちに説明しなければいけない。それをどういう場面でやったのかとか、それでお金を稼ぐという経緯、なぜ2人がそこに至ったか。小学3年生なので、ある程度ゆっくりと事実をつかませて、感じさせて、考えさせるという作業が必要なので、少し遠回りするというか、本質に迫る時間が短くなるという事が生じる」
原爆投下で自宅が焼け、下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫るシーンも合わせ、教材では扱われないことになりました。
教材に使われることが決まった時、喜んでいたという中沢さん。突然、使われなくなったことに、妻のミサヨさんはこう話します。
妻・中沢ミサヨさん「びっくりしたところなんですけどね。何が何だか。何がいけないのかなと。説明がほしい。何の連絡もなかった。描いている途中に、ふとペンが止まるんですよ主人は。亡くなる時の熱さ、焼けて死んじゃう熱さとか、描いていてつらくてね。胸が張り裂けそうだと言ってました。戦争が起きるから核兵器を使うのであって、ボタンを押して原爆が落ちたらどうなるかっていうこと。じっくり知ってほしいですね。それだけですね」
広島市では4月から、原爆で一瞬にして家族を失った被爆者の体験に教材を差し替えるといいます。
広島市教育委学校教育部・高田尚志課長「45分の授業の中で子供達に何を身につけさせるか。相応しい教材という視点で差し替えを考えた。『はだしのゲン』自体を全く否定する事ではない」
そもそも教材にしたのが間違い私は「はだしのゲン」を読んだ時、何とも言えぬ暗澹たるイヤーな気持ちになったのだけ憶えているけど、改めてこれは子供達に読ませるべきもんじゃないと思います
・・後半の記述への批判
後半部分には、天皇を「最高の殺人者」呼ばわりしている、中国人が通州事件などで行った特有の残虐行為を日本軍が行ったことに摩り替える描写があるという指摘がある[38]。また『産経新聞』はコラム「産経抄」(2013年8月24日付)で、「ジャンプで連載が打ち切られると、ゲンは、日本共産党系雑誌に、そこも打ち切られると日教組系雑誌に掲載された。根拠のない日本軍の“蛮行”や昭和天皇への呪詛(じゅそ)がてんこ盛りになったのもこのころである」と指摘している[39]。
単行本の出版 (中略)「平和学習」全国各地の小学校・中学校では、夏休みの登校日などに「平和学習教育時間」が設けられているところもあるが、アニメ版「ゲン」はその時に鑑賞する原爆アニメの定番となっていた。特に、「平和教育」の盛んな広島市では、他機関からのフィルムのレンタルによる上映を含めると実に多くの小中学校でゲンが上映されていた。しかし、原爆投下時の熱線や爆風で老人や乳児を含む市民が犠牲となる描写があまりにも残虐なため、トラウマになったという者も多い[43]。そもそも児童にグロテスクな表現を見せることが教育上よいものかとも懸念されており、児童が「平和教育」自体に拒否感を持つに至った事例も報告されている。そのためこのアニメを学校で強制的に鑑賞させることに否定的な意見を持つも多い[44]。現在では描写がよりソフトな「トビウオのぼうやはびょうきです」などの方が好まれる傾向にある(教育現場における「ゲン」の受容に関しては『「はだしのゲン」がいた風景』第五章に詳しい[45])。
中沢啓治本人は「はだしのゲンのアニメ映画を見たことでトラウマを植え付け、それによって原爆に対して嫌悪感を持ってくれればいい」という旨を語っている[46]ほか、自伝でも「泣き叫んだ子供達、ありがとう 君たちは原爆の本当の真実を知ってくれたのだ!」と語っており[47]、原爆によるショックを受けることが原爆の悲惨さ、真実を知ることになるというスタンスである[48]。・・
閲覧制限問題児童に見せるには問題が多いのに、共産党や日教組が推して出版・・
松江市教育委員会による閉架措置問題
2012年8月、高知県在住の在日特権を許さない市民の会のメンバーより、本作品の10巻に旧日本軍が「中国人の首を面白がって切り落とした」「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出した」「女性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺した」といった記述が証拠資料もなしに羅列してあり、「子供たちに間違った歴史認識を植え付ける」として、学校図書室から本作品を撤去する陳情が出された。(中略)
鳥取市立中央図書館における閉架措置
2011年夏、鳥取市立中央図書館において本作を読んだ小学校低学年児童の保護者から、「強姦などの性的描写がある本作を小さな子でも手に取れる場所に置くのはどうなのか」とクレームがあったため、事務室内に別置きする措置を行い、閲覧・貸出は要望があった時のみに制限していた[57]。(中略)
泉佐野市立小中学校における回収措置
2013年11月、大阪府泉佐野市の千代松大耕市長は作品において「きちがい」「乞食」「ルンペン」などの差別的表現が多く何らかの対応が必要と教育長に伝えた。(中略)
で、以前、NHKが広島の少年らの1945年当時の日記を題材にした番組を作った時、「朝鮮人」に都合の悪い所が出て来たら、毎日新聞が「差別だ!」と問題化しようとしてたけど、問題にするなら「はだしのゲン」の描写の方が超えげつない(;一一)
≪NHK「1945 #ひろしまタイムライン」に“差別扇動”批判?シュン君「朝鮮人」ツイートで ≫2020年08月22日・・この番組のコンセプトは、「もし75年前にSNSがあったら・・」として、
実在した3人(新聞記者の一郎さん、妊娠中のやすこさん、中一13歳のシュン君)
の1945年の日記を元に、当時の日常常生活と当時の考えを今風につぶやく・・みたいなカンジ。戦後、朝鮮人が「戦勝国だ!」と言って、暴れまわったのは事実だし、シュン君の体験談なのに・・それを「差別を扇動」なんて、とんでもない言いがかりで、言論封殺の動きかと(;一一) ひろしまタイムラインに“差別扇動”批判 NHK原爆企画 「朝鮮人」ツイート巡り 会員限定有料記事 毎日新聞2020年8月21日 22時00分(最終更新 8月22日 04時56分)「批判が広がってる」じゃなくて、広げてるよね、毎日新聞(;一一)
「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、NHK広島放送局が今年3月からツイッターで展開している「1945ひろしまタイムライン」。実在の3人の日記を基に、架空の広島市民3人のアカウントが原爆投下当日の様子を“実況”するなど話題を呼び、計41万超のフォロワーがついている。8月15日の「終戦」以降もツイートは続いているが、ここに来て「朝鮮人」をめぐる記述について「差別を扇動している」という批判が広がっている。何が問題なのか。【野村房代/統合デジタル取材センター】
批判が集まっているのは中学1年生の少年「シュン」のアカウント。8月20日に次のような投稿があった。
<朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!>
<「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」 圧倒的な威力と迫力。 怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩(たた)き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!>
<あまりのやるせなさに、涙が止まらない。 負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた 誰も抵抗出来ない。悔しい…!>
これに対し、ツイッター上では「その出来事があり、それを日記に書いた人がいるのは事実かもしれないが、今の世の中に発信することは無色透明な事実ではない」「(漫画の)『はだしのゲン』にも同様の場面はあるが、全編を通して朝鮮人への差別や弾圧、それに対する怒りを描写している」といった批判が相次いでいる。
6月16日にも次のような投稿がある。
<朝鮮人の奴(やつ)らは「この戦争…この記事は有料記事です。
ちなみに、この1945年6月16日のツイート「朝鮮人の奴らは「この戦争はすぐに終わるヨ」「日本は負けるヨ」と平気で言い放つ。思わずかっとなり、怒りに任せて言い返そうとしたが、多勢に無勢。しかも相手が朝鮮人では返す言葉が見つからない。奥歯を噛みしめた。」繰り返しますが・・戦後、朝鮮人が「戦勝国」だと勘違いして暴れまわったのは事実。【1945年6月16日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) June 16, 2020
朝鮮人の奴らは「この戦争はすぐに終わるヨ」「日本は負けるヨ」と平気で言い放つ。
思わずかっとなり、怒りに任せて言い返そうとしたが、多勢に無勢。
しかも相手が朝鮮人では返す言葉が見つからない。奥歯を噛みしめた。#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
いわゆる「朝鮮進駐軍」の歴史を消そうとしてるみたい。本当に非道で理不尽な事やってたから・・
当時、パヨのツイッターでの「シュン君」への攻撃は、今を生きてるシュン君への誹謗中傷にもなっていました。・・あれは東京駅で彼は国鉄の旅客局長で、列車にここは『朝鮮人専用』『台湾人専用』って書くと、日本人が乗れなかった。
それを止めさせたら、頭来たの(三国人)が、旅客局長が殴りこみをかけて、袋叩き・半死半生にした残り傷が、何年後かの下山事件の時の鑑定を狂わせた。・・・・」
後世の人が歪めた歴史ではなく、当時の日常・思いがそのまま書いてある日記は、本当に新鮮で興味深い。そこに現代のポリコレは入る余地はないと思います。
私は、「表現の自由」を守るべきという立場なので、
作者(中沢啓治)が、後々ゲンを通して主張したい事を漫画で描いたのも認めるけど、
シュン君が当時日記に書いた「朝鮮人のやった事」を問題化するのはやってはいけない事だと思う「真実」を削除したら本当の歴史がうやむやになるしかも新井さんは戦争被害者&ご存命なのに…酷い
このシュン君の「朝鮮人」表現に対しては、民団などが「NHKが敗戦戦後状況を仮定して作ったツイッターで民族差別を扇動」と提起した人権救済申し立てしてたんですよ
「配慮が不十分」NHK広島が謝罪 原爆企画「朝鮮人」ツイート 削除はせず | 毎日新聞2020/8/24NHK広島放送局がツイッターで展開している「1945ひろしまタイムライン」上で、「朝鮮人」への差別的な投稿をしていた問題で、広島放送局は24日、ホームページ上で、「配慮が不十分だった。ご迷惑をおかけしたことをおわびする」とする謝罪文を掲載した。タイムラインは「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、実在の3人の日記を基に、架空の広島市民3人のアカウントが原爆投下当日の様子を“実況”するなどし、大きな話題を呼んだ。問題となったのは、中学1年生の少年「シュン」の8月20日と6月16日のつぶやきで、「朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」「朝鮮人の奴(やつ)らは『この戦争はすぐに終わるヨ』『日本は負けるヨ』と平気で言い放つ。相手が朝鮮人では返す言葉が見つからない」などと投稿。これに対し、ツイッター上では「どこからどこまでが史実で、どこからが想像なのかが分からないし、注釈も…(以下 有料)
作者(中沢啓治)はアッチ系。その人が描く「朝鮮人」は良くて、愛国者のシュン君の見たままの「朝鮮人」はダメって・・(呆)
毎日新聞ほかメディアは、ダブスタを止めなさい
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火曜特集「今こそ歴史に学ぶ ロシア指導者の残酷史」の中で、ヨシフ・スターリンの部分だけ記録しました(メモです)
自国民を抑圧し、多くのウクライナの人達を餓死させ、第二次世界大戦終了後、日本人にも悲劇が…
ウクライナを、家族で人肉を食べ合うまでの凄まじい飢餓状態にしたスターリン
1930年代のウクライナ
— さくらにゃん(テレビにだまされないぞぉ) (@KGJw0W5vmqDE8qG) April 26, 2022
ソ連時代のホロドモール(ヨシフ・スターリン下の人為的大飢饉)の過酷すぎる歴史
「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」#ホロドモール #虎8 pic.twitter.com/TVbC6aXLKk
日本人をシベリアへ強制連行し、強制労働をさせた
もちろんソ連は許し難いけど、このシベリア強制連行・強制労働に関し、日本の左派議員のロクデナシ度合いが酷すぎる
野溝勝と戸叶里子はクズ中のクズ(社会党左派の議員のみハバロフスクの戦犯収容所への訪問がソ連側から許可された。野溝はこの視察団の団長)日本側の対応 「引き揚げ」を参照
1945年(昭和20年)11月になって日本政府は関東軍の軍人がシベリアに連行され強制労働をさせられているという情報を得る。1946年(昭和21年)5月、日本政府はアメリカを通じてソ連との交渉を開始し、同年12月19日、ようやく「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立した。
1952年(昭和27年)に緑風会の高良とみが収容所を訪問した。このとき健康な者は営外作業に出され、重症患者は別の病院に移されるなどの収容所側による工作が行われ、高良の「他の収容者はどうしたのか」との問いに対し、所長は「日曜日なのでみな魚釣りか町へ映画を見に行った」と平然と応えている[47]。
1955年(昭和30年)に当時ソ連と親しい関係にあった社会党左派の国会議員らによる収容所の視察が行われた。視察はすべてソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、調理場の鍋にあったカーシャを味見した戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな臭い粥を、毎日食べておられるのですか」と漏らしたという。・・
戸叶・野溝両議員は帰途香港で記者会見を行い、「戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった」と、視察で知った事実とは異なる内容を語った[4]。
視察団は日本人抑留者から家族への手紙を託されていた。同時に、国民や議員に宛て、同胞への仕打ちに憤慨してソ連将校を斧の峰で殴り営倉に入れられた仲間の釈放のための外交努力と、収容所の窮状を訴えるとともに、将来の日本の国策のためならば、祖国のためにこの地に骨を朽ちさせても悔いはないとする収容者らの決意を認めた7通の手紙も手渡されていた。しかし、社会党議員らはこれら7通の手紙を握りつぶし、議員団団長である北村徳太郎への報告もしなかった。抑留者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、野溝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追及を受けている[5][6]。
≪「知の巨人」渡部昇一氏の日韓関係問題・戦中戦後の話。若き日(ドイツ留学時)の韓国の神父とのバトルなどエピソード。そして提言。≫あと、ソ連兵は粗暴で野獣的だったという引揚者の証言●社会党と在日の関係の話 ・戦後の在日の横暴と社会党
渡部氏「村山さんは社会党ですよね。社会党には恨みみたいなもの解せないものある。社会党は日本が独立する為のサンフランシスコ講和条約に反対したが、その責任を取ってない。共産党が賛成しなかったのはスターリンの命令だが。
僕の仮説は過激すぎるかも知れないが、当時の社会党は日本が占領され続ける事を望んでいた。一番それを望んでいたのは在日だ!当時在日は闇(闇市)をやっても捕まらない。東京-山形まで満員の満員だったが、満員の方は闇だと取り上げるが、在日のいる所(車両)は3、4人で日本人、警官すら入れない。しかも在日達は当時社会党の大きな財源だった。社会党の人達はその辺を反省してから出直せと。独立反対でまだ謝っていない。(その在日はどうして日本に連れて来られたのではという話になるのでは?:反町) いやいやいやとんでもない。それは国会でも問題になった。朝鮮人も日本人だったので、戦争終盤、徴用令があった。徴兵令は兵隊へ、徴用令は工場に行く。戦後アメリカは徴用令の人は船を用意してすぐに帰した。ところが帰りたくなかった人(恐らく闇で儲けていた人)がいて、議会では残ったのが245人かな?、当時、僕も色々言っていたから朝鮮の人が押しかけてきたり、カミソリの刃・血染めの抗議書を送ってきたりされたが、会って『いつ来たか!?』と言えばオワリ。・・
スターリンの野望、日本侵略
「とっとと降伏しろ」派の人は、ロシア・ソ連が周辺国にやってきた蛮行をもっと「知る」べきだと思います。でないと、野溝勝と戸叶里子と同類だよ!≪【シリアのブッチャー・虐殺者】(クラスター爆弾、化学兵器で)民間人を標的にし、街を破壊した、ロシア軍新指揮官・ドボルニコフ【週刊ワールドニュース】≫2022年04月17日
・・ソ連時代も「スターリンが欲しかったのは不凍港の釧路。記録では北半分とされているが、あわよくば北海道全島を占領しようとしたのだろう」というのもあったし、一部のアイヌの動きがプーチンによる「解放」を呼び込む恐れも「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 2019/01/27もしも、この時樋口季一郎中将が戦う決断をしなかったら・・・・😱
・・だが、ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリン(1878~1953)が最初に目指した「第二次世界大戦の結果」は、北方4島ではなく、北海道の北半分だった。南樺太と千島列島でソ連軍と対峙 した第5方面軍司令官、樋口季一郎(1888~1970)中将の決断がなければ、スターリンの北海道占領の野望は実現していた可能性が高い・・
とにかく、ソ連・ロシアってそういう「赤い闇の国」だと日本人は肝に銘じないと、今後大変な事になるかと・・
腹の立つ話だったので、口直しの話を1つ。、旧日本兵捕虜が建設に携わった有名な「ナボイ劇場」(ナヴォイ劇場)
捕虜になっても立派で尊敬された先人のお蔭さまで、いまの日本の発展があるんですよね。
心から感謝します☆
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シリア内戦で残虐行為に及んだ過去として、ロシア軍によるウクライナへの侵攻作戦で新たな指揮を執ることになったドボルニコフ司令官が過去やった事を伝えていたので記録しました(青字はナレーション)
このアレクサンドル・ドヴォルニコフは、民間人を虐殺した「戦争犯罪人」なのに国際社会が罰する事が出来ず、それどころかロシア連邦が英雄の称号を授与した人物。そして今回もまたウクライナ人を虐殺しようとしている・・怒りと同時に絶望感。
それはそうと、『地球上でもっとも破壊された都市』は、グローズヌイじゃなくて、広島・長崎じゃないの
「クラスター爆弾を使い、その破壊の凄まじさは、国連が被害に遭ったグローズヌイを『地球上でもっとも破壊された都市』と呼んだ」
・・ここ引っかかりますよね。クラスター爆弾って原爆より凄いのか
で、ドボルニコフが司令官になったところで(就任前からブチャのような惨状があったし)、今後も統率がとれた戦いになるのは難しいという専門家の見方(ロ軍新司令官任命で戦況に変化は? 戦争主導の旧KGBエリートの正体【4月12日(火)#報道1930】 - YouTube ←動画)(※画像挿入)
ロシア“KGBエリート”の戦争 残虐部隊に「全都市を取れ」プーチンの命令は達成できるのか【報道1930】16日いずれにしても、泥沼化・長期化する事は間違いなさそう😨
マリウポリで化学兵器は使われたのか…また次々と明らかになる住民の大量虐殺。真偽が問われる中、ロシア軍に新しい総司令官が誕生した。今なぜ新総司令官の就任なのか?泥沼化するウクライナ戦争で少しずつ見え始めたロシアの戦いの実態を読み解いた。
■「プーチンのイメージでは“ウクライナは外国じゃない“」
キーウ周辺から撤退し、東部南部に戦力を集中させるという、いわば“第2ステージ”に入ったロシア軍のウクライナ侵攻。そこに総司令官として登場したドボルニコフ氏とは果たしていかなる人物か…?2015年からのシリア内戦でアサド政権を支えたロシア。その際のロシア軍を指揮したのがドボルニコフ氏だ。彼の指揮によって大規模空爆が展開され、多数の市民が犠牲になった。そこでは化学兵器の使用もあったという。さらにチェチェンでの戦いでも指揮を執り、ロシア軍の残虐性の象徴のように思われている。今後の戦い方に変化はあるのだろうか。
防衛省防衛研究所 兵頭慎治 政策研究部長:
これからドボルニコフ氏が担当していた東と南が重点地域になるので、これまでの作戦指揮の評価に加え、今までウクライナの中での戦闘に統一感がなかったので、より効率的、効果的な総指揮をこの人に託したということ…(中略)ただ、これでロシア軍の動きがロシア側にとって有利な方にガラッと変わるかというと私はそうは見ていない。現場の兵士の疲弊感。長期戦でかなり消耗している。
兵頭氏は、ドボルニコフ氏が就任する前からブチャのような惨状があったことからすると、彼が総司令官になって劇的に残忍性が高まることはないと話す。ただ今後それ以上に危険性が増すことがあるという。
兵頭慎治 政策研究部長:
大量破壊兵器の使用などについてはシリアでの経験をお持ちなので、危険性は高まると思います。
一方、前総合幕僚長の河野克俊氏は、これまで総司令官がいなかったことが通常の軍事作戦の常識から逸脱していると話す。
河野克俊 前総合幕僚長:
本来なら統合的に指揮を執るウクライナ派遣軍司令官というのがはじめから任命されてしかるべきだった。それが今まで、いなかった。だからバラバラに作戦を遂行しているという印象だった。
ーーなぜそんなことが起きたのか?
河野克俊 前総合幕僚長:
今回のウクライナ侵攻は、プーチン大統領の世界観で始められている。プーチンは去年、論文を出しているように、ロシアとウクライナは一体だと…。ということはプーチンのイメージでは、ウクライナは外国じゃない。外国と戦うなら軍隊が出る。だが、国内のこととなると治安部隊が主体になる。そうなるとKGBの後継であるFSBが主体となってやっていたのでこんなバラバラな行動だった。だがここへきて、いろいろうまくいかない、軍内部の不満もたまってきた、ということで総司令官を置いたってことじゃないですか。
総司令官を得たロシア軍。今後統率がとれた戦いに移るのかというと、なかなかそうはいかないようだ。
■「正規軍の後から深い緑の制服と黒い制服の人が来て…」
ウクライナ側は、キーウ州での民間人被害を受けてロシアの戦争犯罪の容疑者リストを公開した。約5600件の戦争犯罪に対して501人の名があがった。そこには対外情報庁(SVR)長官、連邦保安庁(FSB)長官など正式なロシア軍の軍人ではない様々な組織の人物がいる。軍事作戦を遂行するロシア側の組織図を見てみると、約90万人といわれる、いわゆる軍隊を傘下に持つ国防省のほかに兵力を備えた組織が3つある。
約40万の兵力を持つ国家親衛隊。SVR約2万人。FSB約6万人。それぞれのトップがみな戦争犯罪人リストに名を連ねている。その中でショイグ国防相を除く3人、ナルイシキンSVR長官、ボルトニコフFSB長官、ゾロトフ国家親衛隊隊長、さらにその上に立つ連邦安全保障会議パトルシェフ書記、そしてプーチン大統領、以上5人の共通点、それが“元KGB”。これが現プーチン政権を“KGB政権“と呼ぶ所以だ。
このKGB政権の面々は、特殊な部隊を配下に置いたり、軍事組織とつながりを持ったりしている。例えば、FSBの下にあるテロ対策特殊部隊アルファ。化学物質を撒き鎮圧した2002年のモスクワ劇場占拠事件で注目された。さらに汚れ仕事を一手に受け持つチェチェンの私兵カディロフツィや、傭兵を抱える民間軍事会社ワグネルもFSBの支持で動いているといわれている。虐殺の多くは、正規軍ではなく、こうした雑多な組織の人間によって行われた可能性が高いという。世界のインテリジェンス機関の事情に詳しい国際政治学者、小谷氏に聞いた。
日本大学危機管理学部 小谷賢教授:
虐殺のあった町ブチャの住民の証言で、正規軍の後に、深い緑の制服と黒い制服を着た集団がやってきたというのがあった。おそらくその深い緑の制服は、FSBの制服だと思います。黒い服は特殊部隊。アルファやカディロフツィやワグネルの傭兵も黒い制服です。また国防省管轄の参謀本部情報総局(GRU)が抱える防諜や暗殺を行う特殊部隊スペツナズも黒い制服。こういった組織のどれかもしくは複数が虐殺に関与していると見られています。
この複雑な組織を、果たしてプーチン氏は統率できているのだろうか。
ーー戦争時に、これほど複雑な組織で統制がとれるはずがないと思うのですが?
河野克俊 前統合幕僚長
はい、(統制がとれる)はずがないです。今回ドボルニコフ総司令官が立ちましたけれど、この元KGBたちを仕切れるかと言ったらできないですよ。それからカディロフツィにワグネル、これが総司令官の指揮下に入るかって言ったら入らないですよ。一糸乱れぬ統率が取れるなら総司令官置く意味ありますけど、これでは全体を指揮できる状態ではない。今回見ていてロシアの参謀本部が作戦を立てて遂行してるのか疑問。やっぱり旧KGBが主導してる。だから最初から総司令官を立てることができず非効率なことをやってきた。
■「全都市を取るようにプーチン氏の命令を受けた」
軍や諜報機関、特殊部隊、民兵と表裏様々な組織が、統制がとれていない状態で進むロシアの軍事作戦。そんな中、最も残虐とされるチェチェンの部隊カディロフツィを率いるカディロフ首長は4月11日、こんな文章をSNSにあげた。
カディロフ首長のSNS(4月11日自身のテレグラムより)
「ルハンシクとドネツクを最初に完全解放して、その後キーウとそのほかの全都市を取るようにプーチン大統領の命を受けた」
ウクライナを占領することは考えていないと明言していたプーチン大統領だが、この話をどう読み解けばいいのだろうか。
河野克俊 前総合幕僚長:
東部で攻勢をかけても、プーチンの目的がウクライナの中立と非軍事化が目的だとすると、ここで止まることはあり得ない。キーウまでは行くということですから、私は今後かなりの長期戦になると思います。
兵頭慎治 政策研究部長:
なぜこれだけ複雑な組織、いろんな勢力が入り込む形で軍事侵攻に踏み込んだかと言うと、軍事オペレーションだけでなくその先、ゼレンスキー政権の打倒やロシア寄りのかいらい政権を樹立という政治工作まで考えていたから。そこに無理があって、それが難しくなっているにもかかわらず、引き続きこの体制でやろうとしている。特殊部隊を含めてクレムリンがコントロールできているのかが問題であって、今後できないのであればプーチン氏がずっと想定している目標達成は難しいのではと思う。(BS-TBS 『報道1930』4月12日放送)
で、ドボルニコフが『都市を地球上でもっとも破壊した』人物なら、そんな都市破壊をやった人間が罰せられなかったのがおかしい。
国際社会がしっかり処罰していたら、今回の侵略が起こっただろうかと思わずにはおれません。
まぁ、「民間人の大量虐殺」「都市破壊」云々言うと、こういう話になっちゃうけど
私だってアメリカに言いたい事は山ほどある。だけど河野氏が言うように、過去の話を持ち出してる場合じゃなくて、プーチンをどうやったら止める事が出来るのかが、いま一番重要な事。橋下「プーチン大統領を法で裁くのは重要だと思うが、西側諸国もこれまで人道に反する部分があった。理論武装が必要だ」
— 🐯おぢ (@toraodi3) April 17, 2022
河野「いま、そんな議論をしている場合ではない。これだけ残虐なことが行われている。それに対する議論をすべきで過去にこうだったでプーチンを擁護すべきじゃない」
その通り! pic.twitter.com/qIORkQf8FY
でないと、侵略したもん勝ちになって、次々触手を伸ばす可能性も。それは北海道かもしれない
≪ドンバス(ドネツク・ルガンスク)がロシアにとって、戦略上非常に重要な訳(大採炭地帯、鉄・鋼、金・銀、塩素・農薬、水銀、軍事用特殊ステンレスなど)【アルジャジーラ】≫2022年04月15日
・・「共和国」とはいかなくても「自治区」も相当ヤバイですよね。ドンバスと同じになっちゃう。
ソ連時代も「スターリンが欲しかったのは不凍港の釧路。記録では北半分とされているが、あわよくば北海道全島を占領しようとしたのだろう」というのもあったし、一部のアイヌの動きがプーチンによる「解放」を呼び込む恐れも「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 2019/01/27もしも、この時樋口季一郎中将が戦う決断をしなかったら・・・・😱
・・だが、ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリン(1878~1953)が最初に目指した「第二次世界大戦の結果」は、北方4島ではなく、北海道の北半分だった。南樺太と千島列島でソ連軍と対峙 した第5方面軍司令官、樋口季一郎(1888~1970)中将の決断がなければ、スターリンの北海道占領の野望は実現していた可能性が高い・・
とにかく、ソ連・ロシアってそういう「赤い闇の国」だと日本人は肝に銘じないと、今後大変な事になるかと・・
もし、仮に、万が一、残虐非道のドボルニコフが「北海道侵攻作戦」の司令官になったら・・😨😰😱🥶
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ロシア軍兵士によるウクライナ人女性へのレイプの被害者の証言を直接聞き、レイプなどの証拠・証言を収集している人権オンブズマンにも取材していたので記録しました(青字はナレーション)
「性的暴行」なんていう言葉で済ませれるもんじゃないその蛮行を書き起こして胸が痛くなりました。
終戦後、大陸でソ連兵が日本人女性にやっていた事と一緒!ケダモノの所業!
記者「ロシア軍がウクライナ東部に進軍する中、北部の首都キーウ近くにある町や村でのおぞましい事件が明らかになっています。現在こうした地域では戦争犯罪の証拠集めが行われています。ロシア兵による性的暴行を取材する事が出来ました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻がもたらした苦痛をお伝えする事が重要と判断しました。
それでは被害者を取材したリポートをご覧頂きます。尚、一部生々しい表現があるのでご注意ください。」
郊外にある閑静な住宅地が、野蛮な暴力で筆舌に尽くし難い苦痛を味わいました。首都キーフの西部にある村で、ロシア兵による暴行を被害者から直接聞く事が出来ました。取材当初は話の内容を予想する事は出来ませんでした。身の安全を守る為、女性の顔は放送できません。被害者はこのように話しています。
「ロシア兵が家に入ってきました。私は夫と居たんです。銃口を向けられ近所の家に連れて行かれました。『服を脱がないと撃つ』と言われました。そして暴行(レイプ)を受けました。その間、他の兵士4人が入ってきました。もう駄目だと思いましたが、4人はその兵士を連行していきました。自宅に戻ると夫は腹部を撃たれていました。2日後亡くなりました。そして裏庭に埋葬しました。
ロシア兵が残していった麻薬とアルコールを見つけました。興奮し酔っていました。兵士の大半は殺人者で暴行や略奪を犯します。マトモな兵士は極一握りに過ぎません」
「ロシアのプーチン大統領に、何故このような事が起こるのか聞きたいんです。私には分かりません。石器時代に生きているわけではありませんから」
少し離れた所で別の暴行事件に気づくことが出来ました。現在警察が捜査を行っています。これが女性が連れて行かれ、暴行を受けた住宅です。二階には寝室があり、女性はそこで殺害されました。
現場は衝撃的でした。鏡には 『見知らぬ人々から拷問され、ロシア兵に埋められた』と口紅で書いたメッセージがありました。
女性は裏庭に埋められ、取材の翌日ウクライナ警察が遺体を掘り起こしました。遺体を見つけてここに埋めたのは別のロシア部隊で、書置きを残していったという事です。
近所に住むスブレンカさんは、亡くなった女性の話を聞きました。
「性的暴行を受けた上、首に刺し傷があり、大量の出血があったという事です」
更に110km東の別の村に向かいました。ある家族が住んでいた所です。
残骸の中には、30代の夫婦と幼い子供の穏やかで普通の生活の跡が残っていました。
3月9日、ロシアの戦車部隊がこの村を襲い、兵士2人が夫を射殺しました。妻は子供を連れて逃げ出し、ウクライナ警察に告発しました。
記者「妻は夫を殺した酔いどれの兵士2人に、『言う事を聞かなければ子供を殺す』と脅され、何度も性的暴行を受けたという事です。兵士らは去り際に家に放火しました。話を聞いた警察署長は国際裁判所への訴追の為、証拠を集めたと言っています。」
(スタジオトークはやや要約)
キーウではウクライナの人権オンブズマンに会いました。デニソワさんは性的暴行の実態の記録をしています。
リュドミラ・デニソワ氏「ブチャをロシア軍が占拠した時に、民家の地下で女性25人が性的暴行被害に遭いました。被害者の年齢は14歳から24歳で9人が妊娠しました。別の25歳の女性は、16歳の妹が目の前の路上で暴行されたと告発しました。全てが通報されているわけではないのでこうした事件を全て知るのは不可能です。話したがらない人もいます。」
ロシア兵が去っても恐怖は残っています。人生を取り戻せない程、台無しにされた人々がいるからです。 以上
レイプされたウクライナ人女性の心のケアも必要だと思います。あと、堕胎手術も。
『プーチン大統領のような人が戦争を始めれば、女性と子供が追いやられ、傷つきレイプされ死んでいく。ウクライナの女性と子供に起きていることはおぞましく理解を超えている』
アメリカのトーマス・グリーン・フィールド国連大使は11日開かれた国連安全保障理事会で強い言葉でロシアを非難した。会合では、避難民の約9割が女性と子供で、性的暴行や人身売買のリスクが高まっている事も指摘された。女性と子供をこの異様な状況から救い出す為にも一刻も早い停戦が求められている。
同じような事が80年近く前、日本人女性の身にもありました
≪「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 後半 【NNNドキュメント'16】≫2016年02月23日
このような日本人女性は「特殊婦人」と呼ばれ、その女性を保護した「二日市保養所」は証言・資料証拠も残っている事実です。・・博多から20キロ程離れた二日市では毎年水子供養祭が行われます。法的には許されていない堕胎・中絶が極秘に行われていたのです。二日市保養所
人道的立場から女性達を救う為、終戦の翌年、引き揚げ援護をする医師や関係者によって自発的につくられました。堕胎は違法行為でしたが、国も黙認し協力していました。手術にあたったのは2人の医師と10人の看護婦達です。
報告書によると望まぬ子を宿した妊娠に不法妊娠とし、堕胎は妊娠後期の8か月や9ヶ月になっても行われていました。手術に立ち会った看護婦の1人に話を聞く事が出来ました。
青坂寿子さん(90歳)。人助けが信条で72歳まで看護婦を続けました。二日市保養所の堕胎の仕事は本当は断りたかったという青坂さん。これまで多くを語りませんでしたが、90を過ぎた今、これ私の役目と重い口を開いてくれました。
「私達は仕事だからあれだけど、やっぱり引き揚げた人達は強姦されてね、辛い思いして帰ってきた人が、やっぱり故郷にも帰られんで海に飛び込んで死んだ人もおるんですよ。
だけども上陸してね、療養所に運ばれてきた人にね、1日も早く体をきれいにしてね、故郷に帰してあげたい。やっぱり身奇麗になった人達はね、もう喜んでね・・・病院から振り向かずに帰って行ったんですよ。お産もね、臨月に足らない人堕すんだからやっぱり大変だったです。当時は道具もあまりないしね。」
麻酔なしの手術にみな声も出さず耐えていた。赤ん坊の泣き声を聞くと母性本能が目覚めるので、声を聞かせないよう幼い命を始末したが、バケツの中で息を吹き返し、泣き声を上げることもあった。・・
ソ連兵は人間じゃなく獣
≪「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 前半 【NNNドキュメント'16】≫2016年02月23日
・16歳の女学生が危うく陵辱を受けるところ、見るに見かねて飛び込み身代わりとなりました。
・強引な要求を遂に拒みきれず、とうとう我が娘を出しました。
・皆の見ている目の前で犯されました。
・63歳になる老婆さえ暴行を受けました。
#特殊婦人 #二日市保養所 は全部証拠が残る事実
— さくらにゃん(テレビにだまされないぞぉ) (@KGJw0W5vmqDE8qG) August 13, 2019
「日本が負けると大陸に暮らしていた女性達
身にはボロ布を纏い、足に履物はなく、
見るも無残な姿で日本へ引き揚げてきたのです」#引揚げ者 #仙崎引揚援護局史 #マダムダワイ#奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~https://t.co/ePWi7Ov6mo pic.twitter.com/KtuNzDzXhO
昨日は、ロシア兵が1歳の赤ちゃんまでレイプしたニュースも・・・😨
1歳の赤ちゃんをレイプ後に動画を同僚に…97年生まれのロシア兵士の衝撃の蛮行 ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.04.11ウクライナの民間人の平穏な生活を奪ったロシア軍。侵略戦争を始めたプーチンは、地獄に堕ちろっ!
ロシア兵士がウクライナの1歳の赤ちゃんに対して性的虐待を行う映像がオンラインに流布して世界に衝撃を与えている。
10日(現地時間)、英紙ミラーなどによると、1人のロシア兵士がソーシャルメディア(SNS)にウクライナの赤ちゃんをレイプする映像を投稿して警察に逮捕された。
ロシア現地メディアは該当の兵士について、ロシア南部クラスノダール出身で1997年生まれだと伝えた。また、この兵士のSNSには赤ちゃんのレイプ映像の他にも歪んだ性意識を持っていることを証明する各種映像が他にもあったと説明した。
この兵士が撮影した映像はテレブラムやその他のソーシャルメディアのサイト等を通してシェアされた。
ウクライナメディアによると、この兵士が同僚の兵士に淫らなイメージと動画を送った。
海外のネット上ではこの兵士の許されざる行為に対して怒り、写真や年齢、故郷、住んでいるところなどの個人情報を突き止めて広めた。
ウクライナ外交官のオレクサンドル・シェルバ氏はツイッターに「赤ちゃんを強姦した怪物を見よ。誰かが私に彼がやったことについてのリンクを送ってきたがとても開いて見ることなんてできなかった」とし、該当兵士の写真を公開した。
一方、ロシア軍が占領した後に撤退したウクライナ北部地域では、ロシア兵士たちが性犯罪を犯したという証言と証拠が連日報告されている状況だ。
レイプ、民間人虐殺、略奪等をやった現行犯だけでなく、「戦争犯罪」でプーチンも裁く為、国連による「特別法廷」設置を強く望みます。
その為に、日本の自称ジャーナリストも、BBCのようにウクライナに入って、ロシア軍の蛮行の証拠を集め、真実をガルージンやプーチンやに突き付けるべき
≪ガルージン駐日ロシア大使「虐殺はでっちあげ!WW2後、最も残虐な虐殺、反軍事犯罪、戦争犯罪を起こしているのはゼレンスキー政権」「推定無罪はどこに消えた?! 」【報道特集】≫2022年04月10日
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<特集>“虐殺”ロシア政府の認識は…と題し、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使に金平茂紀氏がインタビューしていたので、書き起こして記録しました(青字はナレーション)
ブチャで多くの市民の遺体が見つかり、ロシア軍による“虐殺行為”と非難されている事に、あくまで「虐殺はでっち上げで、ウクライナ側がやった!」と言い張る大使。箸にも棒にもかからぬとはこの事。白を黒という人との会話が通じない、議論できない良い?例かと。
「大使」としては当然だけど、ロシア政府・ロシア軍の主張に沿ったもので、その枠から絶対はみ出ない様に答えてますね。
ガルージン大使「金平さんどーもご無沙汰していますー。いやいやいやいや…」
一昨日、駐日ロシア大使のガルージン氏が「報道特集」の取材に応じた。
ただ、「民間人虐殺」の話しているのに、半笑いで答えたりしてる態度には超ムカムカ!
で、インタビューした金平氏は「頭がクラクラした」「不条理」と無力感
金平茂紀氏「頭がクラクラした」感情的なやり取りも「報道特集」露大使を1時間取材 4/9(土)その無力感は、「説得・議論できない人」を再認識しての事かな?
ジャーナリストの金平茂紀氏が9日放送のTBS「報道特集」に出演。ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使にインタビューした様子を放送し、「頭がクラクラした」と感想を述べた。
金平氏がガルージン大使を取材したのは7日で1時間以上行ったという。ガルージン大使は一貫してロシアはウクライナの軍事施設のみを攻撃し、民間施設は攻撃していないと主張。ロシア大使館が編集したというブチャでの映像を提示し「遺体もがれきもない」と話した。病院や学校が砲撃にあったと追及されると「一般人が追い出され、軍事施設になった」と言い放ち、金平氏と口論寸前となる場面もあった。
スタジオで取材を振り返った金平氏は、「かなり感情的なやり取りになった場面もあった」と明かした。特に、ガルージン大使が「特に『民間人の被害は自作自演。でっち上げ』という言葉を目の前で実際に聞いていると頭がクラクラして、正直言って鈍い衝撃があって、不条理という言葉が心に浮かんだ」と感想を言葉にした。
さらに「最後の方で、『戦争という言葉は使わないのか』と言ったら『特別軍事作戦』と言っていましたね」と無力感を覚えた様子だった金平氏。「いま、この段階で言えるのは『戦争は人間を狂わせる。早く戦争をやめろ。殺すな』ということですね」と吐き捨てた。
ロシアの国際法違反行為の「証拠集め」し、真実を追求するのが、ジャーナリストの使命なので、金平さんは無力感を乗り越え、仲間に任せず自ら現地に行って頑張って頂きたい自分の目で見た事は説得力が違うから。
ちなみに、ガルージン氏の『ブチャ市の真実』映像の説明は、ロシア国営TVと一緒でした
≪【ブッチャ虐殺】ロシア国営TV「遺体映像で(遺体役の)手・上体が動いた!3/30日ロシア軍は撤退したので、その間ウクライナが虐殺疑惑を作った!」→ベリングキャット調査検証は…≫2022年04月05日このガルージン大使の主張を見て、私はオウム真理教を彷彿としました。オウム幹部も都合の良い解釈を繰り返し、麻原彰晃麻原に帰依しない都合の悪い人は、「ポア」により「救済」するとして、国家転覆計画すらも実行、ロシアにも進出し、兵器開発もしてましたよね。
蛇足ですが…テレビがオウムの勢力拡大に加勢し、挙句、TBSは罪深い事をしました
#虎8 #総務省は地上波テレビの放送免許をとりあげろ
— さくらにゃん(テレビにだまされないぞぉ) (@KGJw0W5vmqDE8qG) May 20, 2020
テレビはオウム真理教を連日取り上げ
(1991年)
麻原(松本智津夫)を【朝まで生テレビ】や【バラエティー】に
面白がって出演させてた
まさに共犯関係だった
その内に、結果としてTBSは、坂本堤弁護士一家殺害事件に加担https://t.co/HhD976kniM pic.twitter.com/C5MFQCFK57
≪TBS、#報道特集 不祥事(取材対象の車に発信機・郵便物無断開封、産廃問題虚偽報道、金平茂紀・機動隊宿泊所バラす、坂本弁護士ビデオ事件、サブリミナル…)【#虎8】≫2021年12月29日オウムが「人殺し」を「ポア」と言い換え、ロシアが「侵略戦争」を「特別軍事作戦」と言い換えるのもなんか似てる・・
この大使が「ロシアの主張」を言うごとに、反ロシアの人が増えるような・・🤫
で、日本政府は、明確にウクライナ支持を表明しているので
キーウ近郊において、民間人に対して極めて凄惨な行為が繰り広げられていたことに強い衝撃を受けています。無辜の民間人の殺害は、国際人道法違反であり、断じて許されず、厳しく非難します。ロシアは、その責任を厳しく問われなければなりません。
— 岸田文雄 (@kishida230) April 4, 2022
このガルージン大使にも責任を負わせる日が来るんでしょうね。
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国連人権理事会からロシアを追放する採決で棄権したインド大使の演説を報じていたので記録しました(青字はナレーション)
ブチャでのロシア軍の虐殺行為が明らかになっても、58ヵ国もの国が棄権とは…😨特に今回インドがどうするか期待していただけに棄権は残念です。
で、資格を復活させる可能性もあったのに、ロシアは自ら離脱を表明
実は、インドは「中立」と言いながら、国連人権理事国の資格を停止されたロシア 自ら離脱で復帰の道を絶つ ニューヨーク=藤原学思2022年4月8日 6時29分
193カ国で構成される国連総会は7日昼(日本時間8日未明)、ウクライナで「重大かつ組織的な人権侵害」を行ったとして、ロシアの国連人権理事会理事国としての資格を停止する決議を採択した。ロシアは採択後、人権理から離脱する意向を表明した。
表決は賛成が93カ国で、反対が24カ国。採択には棄権(58カ国)や無投票(18カ国)を除き、3分の2以上の賛成が必要だった。人権理理事国の資格を失うのは、2011年3月のリビア以来、2例目となった。
今回の決議には、すでに採択されたロシアを非難する決議、ウクライナの人道危機はロシアの責任だとする決議を「想起する」と記された。また、ウクライナにおいてロシアによる人権の侵害や乱用、国際人道法違反があったことに「深い懸念」を表明している。
人権理理事国の任期は3年で、ロシアは23年末まで務める予定だった。決議では資格停止について「適宜見直す」と記され、総会が今後、資格を復活させる可能性も残された。
だが、ロシアのクズミン国連次席大使は決議の採決後、「人権理は、日和見主義的な目標を達成するために仕組みを悪用する国家集団で占められている」と主張。「人権の保護と促進に対するロシアの責任は、こうした国際機構の一員にとどまることを許さない」と述べ、離脱を表明した。これにより、理事国としての復帰の道は絶たれた。・・
国際司法裁判所では、インドの判事が「ロシアが直ちに軍事行動をやめるべき」という判決では賛成したし、「ロシア寄り」のスタンスから少しずつ足抜けしつつあります
ウクライナ侵略でロシア寄り態度の微修正を図るインド 3/30(水)つまり、ロシア・中国寄りには見られたくないけど、今は実利を取る為に中立的な立場は表明していると。実は、ずっと反中国だったし
ロシアのウクライナ侵略が始まって以来、ロシアのことを非難しないインドの姿勢は、目立ってきた。国連安全保障理事会ではロシアを非難する決議に棄権、国連総会でもロシアへの非難を棄権した。国連総会では141カ国がロシアを非難する決議に賛成したから、インドの姿勢は目立っていた。
インドの姿勢は、インドのジャイシャンカル外相も繰り返し指摘しているが、交渉により平和的解決を望む一方で、ロシアを非難しない、一貫したものである。各国がロシアに経済制裁を課す中、インドの国営会社2社が500万バレルの石油をロシアに発注してもいる。
しかし、3月半ばから、インドのロシア寄りの姿勢について若干、イメージの緩和に努めているようにも見える。例えば、3月17日、ロシアが直ちに軍事行動をやめるべきであるとの判決を出したハーグの国際司法裁判所での判決では、インドの判事が賛成にまわった。15人の判事の内、反対したのはロシアと中国の判事だけであった。
国連安保理にロシアが提出した決議に、インドは他の12カ国とともに棄権した。やはりロシアと中国だけが賛成した。さらに、インド軍が保有するロシア製の戦車、艦艇、戦闘機の部品100点以上について、ロシアからの修理部品の輸入を禁止し、国産品に付け替える方針も決めつつある。ロシアに依存しない体制をつくるつもりだ。
インドはロシアを非難しない一方で、ロシアから距離をとり、ロシアの侵略は止めるべきと考えていることを、示唆するようになっている。なぜであろうか(中略)
・・もし、ロシアのウクライナ侵略をめぐって、インドと中国がいつも行動を共にしていたら、インドは中国と「同じ」になってしまう。インドにとっては、そのこと自体が嫌なのである。 また、インドは、中国よりも「モラルが高い」ことを重視してもいる。国際法廷の尊重もその一つだ。中国は、過去、国際法廷を無視したことがある。南シナ海の問題について、フィリピンが常設仲裁裁判所に訴えた時だ・・(以下 略)
≪インドの対中国政策。「中国は普通の国家ではない」「潜水艦で海賊対策するのは中国だけだ」「一帯一路は排他的で独善的」 【キャッチ!世界のトップニュース】≫2017年12月27日とにかく中国と仲悪いのが良い感じ。モディさんは安倍元総理大好きだしね👍
・・インドは、ロシアと共同開発してユーロッパまで繋げる経済街道、日本とも連携してアフリカに繋げる経済街道も計画しています。
これらは中国の一帯一路構想と多くの部分で共闘しますが、インドは中国が進める排他的で独善的な計画ではなく、周辺国との協調性のあるものを目指している。
またパートナーとして民主主義という基本的な価値観を共有するアメリカと日本に加え、これまで中国に寄り過ぎているとしてあまり熱心ではなかったオーストラリアとの連携もこの4か国の枠組みとして進めようとし・・
《次期インド首相のモディ氏を中国は何故安倍総理に例えたのか? 安倍総理とモディ次期首相の接点 【いま世界は】 》2014年5月19日ロシアと共同開発してユーロッパまで繋げる経済街道、計画は当然頓挫だし、
世界の情勢が刻々と変化している中、「平和・協調」の旗を掲げ、世界最大の民主主義国家インドを、ロシア・中国側に行かせず、こっち側に来させる事が、日本にとっての国益。
今後、インドがどういう態度を示すか注目します。Chinaが良からぬことを考えない抑止力にもなる筈だから。
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ロシア外務省が「日本は反ロシアのヒステリー」だとし、対抗措置を明言したと報じていたので記録しました(青字はナレーション)
あと、プーチンが「アイヌをロシアの先住民」認定した1か月後、アイヌの団体がプーチン宛に出した「アイヌは日本政府から非常な労苦を強いられているから、クリル諸島を『自治区』にして北海道島と一体の保全管理を検討を」という要望書の内容が凄い。これ、外患誘致にならないのかなと
対抗措置って何なんでしょうね?
アナ「ロシア外務省は、日本が行っている対ロシア制裁に対し、対抗措置をとると明言しました。」
ロシア外務省・ザハロワ報道官「日本の現政権は、前任者達が長年に亘って築いてきた互恵的な協力関係の前向きな発展を一貫して破壊し続けている」
ロシア外務省のザハロワ報道官は6日、定例のオンライン会見で、「日本政府はうらやましいほど粘り強く、反ロシアのヒステリーを引き起こし続け、アメリカなど外国から受けた指示を素直に実行している」と皮肉たっぷりに日本を批判しました。
その上で、日本の対ロシア制裁について「対抗措置を効率的に実施するつもりだ」と明らかにしました。ただ具体的な内容には触れませんでした。
ガルージン駐日ロシア大使も、ロシアがウクライナに侵攻した翌日に「重大な対抗措置をとる」と言ってたけど
北海道が危ないぞ❗️
— ⛩東行🇯🇵 (@jackchan507) February 25, 2022
ロシア大使「重大な対抗措置」(2022年2月25日) https://t.co/2OGFKRWUHx
脅しだと思うけど、そこはロシア想定外の事も平気でやってくるかも
ロシア語の原文を確認しました。本当に言っています。また、「もし日本人は関東軍の運命を忘れたのであれば、それを再現してやろうではないか」とも言っています。 https://t.co/u1MjVrayN3
— グレンコ アンドリー(新刊「NATOの教訓」増刷決定) (@Gurenko_Andrii) April 6, 2022
と、ロシアの下院は北海道への権利を主張
国家下院が北海道に対するロシアの権利を発表 モスクワ 2022年4月4日「なぜロシアが北海道に権利を持つ」と言い出したのか大高未貴さんの解説・・「日本の政治家が第二次世界大戦の教訓と関東軍の運命を完全に忘れていないことを願う、さもなければ我々は彼らの記憶をリフレッシュすることを余儀なくされるだろう」とミロノフは語った。
3月18日、日本はウクライナ情勢に関連して対露制裁を発動し、その後、制裁を拡大しました。これに対し、ロシアは東京との平和条約交渉を拒否した。日本当局は前夜、南千島列島をロシア連邦によって「不法占拠」されたと認めた。
この解説にあったアイヌ政策検討市民会議が、プーチン宛に出していた要望書とは
ちなみに代表の畠山敏はこんな人物ウラジーミル・プーチン大統領あての要望書
2019年1月11日
ロシア連邦大統領
ウラジーミル・プーチン 閣下
在札幌ロシア連邦総領事館
ファブリーチニコフ・アンドレイ 閣下
モシㇼ コㇽ カムイの会 Mosir Kor Kamuy no Kai
代表 畠山敏 Hatakeyama Satoshi
副代表 石井ポンペ Ishii Ponpe
094-0015 日本国 北海道紋別市花園町7-3-22
電話 090-8906-7266 fax 1582-3-9025
イランカラプテ
尊敬する大統領閣下ならびに総領事閣下におかれましては、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
突然このようなお手紙をお届けする無礼をどうかお許しください。
わたくしたちは、日本領の北海道島で生まれ育ち、現在は北海道島の内外で暮らすアイヌの有志です。アイヌは、オホーツク海を取り囲む北海道島やクリル諸島、カラフト島、カムチャツカ地方の先住民族であり、19世紀以降、貴国と日本国の間で何度も引き直されてきた国境線によって生活圏を分断され、またそれぞれの国家の圧倒的支配を受けながら、150年にわたって非常な労苦を強いられてきました。
いま日本国の領土に暮らすわたしたちは、2007年に国際連合総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」にちからを得て、日本国政府に対し、先住民族アイヌの諸権利を妨害しないよう、また、これまでの妨害によってアイヌが被った不利益を早急に回復するよう求めていますが、今般、貴国政府と日本国政府の間で、いわゆる領土交渉が活発化していることにかんがみ、この地域の先住民族として、貴国大統領閣下ならびに総領事閣下に、以下の要望をお伝えいたします。
- クリル諸島をアイヌ民族の自治州/区としてください。
- クリル諸島沿海域をアイヌ民族による漁業資源管理エリアとしてください。
- クリル諸島の自然環境を保全してください。とくに南クリル地域については、UNESCO世界自然遺産登録地である知床半島(北海道島)との一体的な保全管理をご検討ください。
わたくしたち先住民族アイヌのさささやかな要望にご配慮をたまわれば幸甚です。
尊敬する貴国、ならびに貴国国民のみなさまのますますのご発展をお祈りいたします。
イヤイライケレ
≪【#アイヌ新法】丸山穂高議員「データーのサンプル数が少なく、不正のあったアイヌ協会を機縁法起用は中立性・客観性が疑わしいのでは?」 ≫2019年02月06日ロシアに自治州(自治区)を認めてと頼むなんて、絶句もん(呆)「先住民認定」「自治区」は日本分断工作。アイヌ政策検討市民会議は外患誘致では
関連記事 日本分断の工作は他にも(嘘ばかりで酷いです)
≪【辛淑玉ヘイトスピーチ】「アイヌとして生きる」《日本に被植民地にされたと共闘を誓う人達(朝鮮・アイヌ・沖縄) 前半【痛快!おんな組】≫2016年02月20日
ロシアの対抗措置が何なのか分からないけど、多くの日本人が知らない所で、このような日本分断工作が行われている事は「知る」べき事かと。
追加記事
多くの方が勘違いしているが、実はアイヌ独立運動は沖縄独立運動の先を行っている。琉球独立運動の中心人物である松島泰勝氏が「琉球民族の権利を国連で主張。アイヌ民族から手法学んだ」と言っている通りなのだ。北海道と琉球の独立運動は連携をしており、間違いなく日本の分断工作である。 pic.twitter.com/D8s1YfIjWK
— 小野寺まさる (@onoderamasaru) April 4, 2022
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ブチャのフェドルク市長がインタビューで「ロシア兵は野蛮人」と言い、キーフ在住の高垣さんも「店は全部略奪されて、各家庭をまわって金品を全部略奪していく」と証言していたので記録しました(青字はナレーション)
77年前の日本人もソ連兵から凌辱、略奪などされたけど、ロシア兵の残虐性は、シリアやチェチェンみても納得。
あと、中国の報道もロシアに同調してて同レベル。そんな国々が国連理事国だという事をよく考えなきゃいけないと思います。
ロシア兵は、民間人を殺し、金品を略奪するゲームだと思っているんだろうか酷すぎる…
アナ「多くの住民が殺害された首都キーウ近郊のブチャの市長がフジテレビのインタビューに応じ、ロシア兵を『野蛮人』と呼んで強く非難しました。」
フェドルク市長「これまでに320人の市民の死亡を確認した」
ブチャのフェドルク市長は5日、「まだ死者の数を数えている」段階だとした上で、子供から高齢者までこれまでに320人の死亡を確認したと明らかにしました。市長はまた、ロシア軍が市民に行った残虐な行為を強く批判ましした。
フェドルク市長「市民を捕まえてまず手足を縛り、銃で撃った。彼らを軍人と呼ぶことはできない。野蛮人だ!」
また、友人を探そうと首都キーウからブチャに入った高垣典哉さんは、略奪行為も耳にしたといいます。
高垣さん「店は全部略奪されて、店だけじゃなくて、各家庭をまわって略奪していくそうですわ。金品を全部略奪していくそうですわ」
「ブチャは富裕層も多く住む美しい町だった」という高垣さんは、様変わりした町に衝撃を受けていました。
で、国営ロシアテレビは、ブチャ市民の犠牲はロシア軍によるものと見せる為のにウクライナ側の捏造と報道し、その中で中国の専門家が「ウクライナや西側の話に疑問」を呈していると流していました。中国📺CCTVでも
5日、国連安全保障理事会で、ゼレンスキー大統領は“最も恐ろしい戦争犯罪”だと訴えました。
アナ「ウクライナの首都キーウ近郊のブチャで多数の民間人の遺体が見つかった事について、中国では国営メディアが「フェイクだ」と反発するロシア側の主張を中心に報じています。」
中国国営中央テレビの5日正午のニュースでは『ロシア外相、ブチャ事件の嘘を暴く』とのタイトルで「ウクライナと西側がフェイクニュースをばら撒いている」と批判するラブロフ外相や「捏造の証拠を示す」とするロシアの国連大使など、ロシア側の主張が続きます。
最後に現場を視察するゼレンスキー大統領に触れますが、ブチャの実態を伝える映像や凄惨な状況を訴える住民の声はありません。また、人民日報や新華社など他の主要な国営メディアはブチャについて、これまでほとんど報じていません
対してロシア大使は、“ウクライナ側のねつ造だ”とする反論を一方的に繰り返していましたが…
さすがに、中国大使は「深く心を痛めている。事件の状況や原因を検証すべきだ」と言い、
あと、これまでロシアを批判しなかったインド大使が明確に非難したのも大きな前進
中国とインドもブチャ民間人虐殺の検証や調査を要求 国連安保理 2022/4/6中国も、ロシア兵のあまりの野蛮な虐殺が明らかになり、ちょっと距離を置き始めたのかも?
【ニューヨーク=平田雄介】ウクライナのゼレンスキー大統領は5日、国連安全保障理事会でのオンライン演説で、首都キーウ(キエフ)近郊のブチャなどロシア軍が占領していた地域の民間人虐殺の惨状を動画で伝えた。国連のグテレス事務総長は「戦争犯罪の可能性がある」と言及し、ロシア非難を控える中国やインドも「事件の検証」や「独立した調査」を求めた。
会合はロシアによるウクライナ侵攻をめぐって開かれ、ゼレンスキー氏は露軍は「第二次大戦以来、最も恐ろしい戦争犯罪」に関与したとして「ロシアは責任を免れない」と非難した。安保理の機能不全と改革も訴えた。
ロシアのネベンジャ国連大使は「わが国は民間人や民間施設を狙った攻撃はしていない」と反論し、露軍が関与したとの訴えを「ウソだ」と主張した。
国連によると、2月24日の侵攻開始後、少なくとも1480人の民間人が死亡し2195人が負傷した。露軍が人口密集地で殺傷能力の高いクラスター(集束)弾を使ったとの情報もある。
グテレス氏は、ブチャでの民間人虐殺は「国際人道法や国際人権法への重大な違反」との認識を示し、責任追及のための「独立した調査」を求めた。ロシアを除く全ての理事国が賛意を示し、インドのティルムルティ国連大使は「民間人殺害を明確に非難する」と述べた。中国の張軍国連大使も「深く心を痛めている。事件の状況や原因を検証すべきだ」と訴えた。
それにしても、ロシア兵(ソ連兵)の残虐性はずっと変わらない
≪ロシア軍のウクライナ人への凌辱など「戦争犯罪」疑惑 & 77年前のソ連軍の日本人への凌辱証言、「マダムダワイ」とは…≫2022年04月04日実は、そういう残虐性は中国も同じ。やった事を相手がやった事にするプロパガンダも同じ手口
≪【南京大虐殺】元海軍軍人・深井俊之助(104)さんの証言「支那は略奪・強姦平気でやる、日本人はしないから歓迎されていた」【#虎8】≫2018年12月05日戦後の戦勝国史観で、「日本兵は極悪だった」と洗脳されてきた日本人。
ウクライナ戦争での、ロシア兵の民間人の殺戮や略奪・強姦、「黒を白と言い続ける」のを見て、そろそろ目覚めないと
日本が降伏した後にも、民間人がどんな目に遭わされたかを「知る」べき時です
≪「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~。「特殊婦人・二日市保養所」とは 前半 【NNNドキュメント'16】≫2016年02月23日
・16歳の女学生が危うく陵辱を受けるところ、見るに見かねて飛び込み身代わりとなりました。
・強引な要求を遂に拒みきれず、とうとう我が娘を出しました。
・皆の見ている目の前で犯されました。 ・63歳になる老婆さえ暴行を受けました。
一方的に侵略されて、降伏したところでロシア(ソ連)相手だとこうなる。もう野蛮人じゃなく鬼畜、獣
こういう史実を知らないのか、「命が大事、逃げろ、降伏しろ」とか言う頭がおかしいコメンテーターもいるけど・・
他国に侵略されてもすわ降伏すれば、女こどもは助かるという話ではありません。
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