■朝鮮は「植民地」という搾取の対象ではなかった

かつて、日本は韓国のことを大切に考えていました。今日の我々が想像する以上にです。方子(まさこ)妃の存在がそれを示します日本は韓国・朝鮮人を同胞と見なし、皇族女性を韓国王族に嫁がせ、姻戚関係を結びました。その女性が方子妃です。

昨年の10月のいわゆる「元徴用工」裁判の判決文では、日本の不法な植民地支配下でなされた強制動員への「慰謝料」として、「元徴用工」の賠償権が認められました。しかし、日本は「不法な植民地支配」などしていません。

当時の韓国・朝鮮半島は日本の「植民地」ではなく、「日本の一部」だったのです。日本と半島の関係は例えるならば、かつてのイギリスとアイルランドとの関係に近いものです。イギリスにとって、インドは植民地でしたが、アイルランドは植民地ではなく、「イギリスの一部」でした。これと同じことが日本と半島との関係についても言えます。

日本が当時の半島を植民地という搾取の対象として見ていたのならば、皇族が韓国王族と姻戚になることはあり得ません。イギリスは植民地インドの帝室(旧ムガル帝国)に対し、王族を嫁がせるという発想すら持ちませんでした。ただの搾取の対象に過ぎなかったからです。皇族を嫁せた日本は半島を決して、そのように捉えていなかったのです。

日本は極貧状態であった韓国に、道路・鉄道・学校・病院・下水道などを建設しました。特に、ソウルでは、劣悪な衛生状態で様々な感染症が蔓延していたため、病院の建設など医療体制の整備に最も力を入れました。支出が超過するばかりで、日本にとって何の儲けにもなりませんでした。

今日、日本の学校の歴史教育では、日本の朝鮮統治が植民地的収奪であったかのようなイメージを教えられ「当時の韓国=植民地」という図式が多くの日本人の頭の中に刷り込まれています。しかし、方子妃の威厳に満ちた歩みを冷静に見ていけば、日韓関係の真実もまた、見えてきます。
■方子妃の夫・李垠とはどのような人だったのか? (中略)
■仲睦まじかった李垠殿下夫妻

韓国では、「李垠殿下は大日本帝国の人質だった」と教えられています。人質に、日本皇族の女性が嫁ぐことはあり得ませんし、日本が韓国に対して、人質をとらなければならなかった必要性などもなかったのです。

李垠殿下は幼くして、日本に留学しました。それを「強制連行した」と韓国では教えられています学校さえまともになかった当時の韓国を哀れみ、日本は李垠殿下ら韓国王族に教育の場を提供しました。彼らが高度な教育を受けて、世界の情勢を理解できるようになり、日本人の同胞として育っていってくれることを期待しました。当時の大正天皇の皇后は幼少の李垠を可愛がり、大切に養育しました。「強制連行」などという事実はまったくありません。

ところで、韓国併合後、日本は半島各地において、学校建設と公教育の制度化にも力を注いでいます。(中略)
■韓国で生涯を閉じた方子妃の誠心誠意

戦時中、日本の士官学校で教育を受けた半島出身者の多くの将校らも日本軍と共に勇敢に戦いました。戦後、彼らの多くが韓国で、軍の要職に就きました。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領などはその代表です(中略)

方子妃の願いが叶い、1965年には日韓基本条約が結ばれ、両国は正式に国交を結び、日本が韓国を経済的に支援することになりました。こうした歴史の真実を、「植民地」や「不法統治」などと言って、日本を批判している韓国の人々にこそ、理解して頂きたいものです。(著作家 宇山 卓栄)