イ事務局長は「父であるイ氏が生前、京都に壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に日本人たちが切った朝鮮人の耳の墓があるならば、北側(丹波)には鉱山に強制動員された朝鮮人の“肺”の墓があると話していた」とし「強制徴用の記憶を忘れないようにという意味で記念館を建てた」と説明した。
だが、政府のまともな支援もなくオープンした丹波マンガン記念館は、イ氏が塵肺症で死亡した後、わが政府、国民が顔をそむける中、毎年赤字を免れず、結局2009年に閉館してしまう。
(ABCテレビ NEWSゆう+ 2010/09/17) |