“(1944년 9월)13일 밤 (탈출에 앞서) 일본군이 성(중국 윈난성 등충) 안에 있는 조선인 여성 30명을 총살했다(Night of the 13th the Japs shot 30 Korean girls in the city).”
1944年9月13日の夜、脱出前に中国雲南省騰越城において日本軍が朝鮮人女性を30名銃殺した。
 

일본군에 의한 조선인 위안부 학살 사실을 기록한 미・중 연합군 문서 원본이 발굴됐다. 그동안 일본 정부는 위안부 피해자 할머니들의 계속된 증언에도 불구하고, 학살을 실증적으로 입증할 문서를 요구하면서 학살설을 부정했다. 학살된 위안부들의 시신을 찍은 사진에 대해서도, 미・중 연합군의 포격 및 폭격으로 희생되었거나 자결했을 것이라는 입장을 고수하고 있다. 
日本軍による朝鮮人慰安婦虐殺の事実を記録した米中連合軍の原稿が発見された。これまで日本政府は慰安婦被害者たちの度重なる証言にもかかわらず、虐殺を実証的に証明する文書を要求し、虐殺説を否定した。殺害された慰安婦の遺体を撮影した写真についても、米中連合軍の砲撃と爆撃で犠牲になったか自決したと立場を堅持している。(抜粋)

2016110701

南朝鮮の専門家とやらは忘れっぽいんですね。
この史料は騰越の戦い(中国 : 騰衝戰役)についてアメリカが作成したものです。なぜ、この史料が闇に埋もれたのかというと、中国側がこの戦闘について詳細を残した『騰衝會戰概要』と大きな差異があるから。現地で戦闘した中国人の史料とどちらが優先されるか、という事です。
 中国側の史料には傷亡人数が記載されていますので引用しますと、

日方2,700餘人,几乎全員戰死、自殺或胁迫自殺。遠征軍生俘日方軍官4員,士兵20餘名,印緬籍軍伕30餘名,慰安婦18名

"自殺或胁迫自殺" というのは自殺もしくは自殺を促す、という意味ですね。そして慰安婦は18名。実は、当時の日本軍の相当な窮状を示す文も書かれており、11日には手榴弾を含めて全ての弾薬を使い切った、とまで書かれています。13日の夜に30名の朝鮮人少女を撃ち殺すという事が人数的にも装備的にも不可能だったのです。ですから、日本政府は「爆撃の犠牲もしくは自決」という立場なのですね。
 そして、" in the city " をどうやって騰越城と訳せるのか。あり得ないのです。日本軍はこの城から敵陣地に突入して3名を除き全滅するのです。市街に繰り出すなんて何をふざけた事を書いているのか?という話にもなった。
 ちなみに、この慰安婦18名は死者ではなく、捕虜です。
陶達綱の『嗔西抗日血戦写実』によると写真付きで「台湾人3人、朝鮮人2人、残りは日本人、合計18名の営妓」 と書かれており、18名を生かして30名を射殺するなんて不合理でしかない。
 こういった理由から、この史料は無視されるようになったのです。
 最後に、京郷新聞はサラッと嘘を書いていますが、日本軍は最後の一兵卒が息絶えるまで戦い抜きました。脱出なんてしていません。脱出でもしてくれていたのなら、金田はこの史実を書く際にもう少し胸が締め付けられる思いをしなかったのですが、当時の日本軍人は愚直なまでに、日本の為に戦ってくれたのです。
 最後に、彼の地で散っていった日本兵の思いに、合掌させてください・・