なぜ懲役計13年半を背負った重罪の許永中に、受刑者移送制度が適用されたのか。
元警視庁通訳捜査官で、外国人犯罪対策コンサルタントの坂東忠信がいう。
「原則は、日本で犯した罪は日本の刑務所で償うことです。さらに、コソ泥のような微罪ならともかく、許永中受刑者のような大物に母国移送が適用されることは、両国の外交問題に発展しかねないので通常は考えられない。そもそも制度自体が法務大臣の決裁が必要で、滅多に行なわれることはなく、政治マターだったとしか考えられません」
実際、制度の適用はレアケースである。
日本は2003年に移送条約を締結した。2011年12月末までの間で202人の外国人受刑者が制度を適用されて帰国している。平均すると年に25人ということになるが、1年間の外国人犯罪者は約1万人なので、極めて低い確率でしか適用されていない。望んでも帰れるものではなく、日韓の政治家の思惑がそこに働いたとしてもおかしくはない。
日本は総選挙の直前であり、判断を下す滝実・前法相は引退を表明していた。
「法相にすれば思い切った決断をしやすい時期といえ、許氏と非常に近い関係にあった大物ベテラン代議士が働きかけたという情報が流れている」(永田町関係者)
生まれ育った日本を出た狙いを、知人が説明する。
「彼は重い持病を抱えていて刑務所生活が耐えられない身体になっている。実際、公判中には狭心症の発作で2度も倒れている。韓国に行けば、政財界に人脈を持っているので、恩赦の制度を利用しての早期釈放が計算できているのだろう。最後に親しくしていた韓国人女性との間に男の子がいる。家族3人で一緒に暮らしたいと聞かされていた」
だが、“浪速の怪人”と呼ばれ、頭のキレと発想力は抜きん出ている許が、今後おとなしくしているとは思えない。大物政治家や財界人が魅了されたのは、大阪コリアタウン構想や第二国技館構想といった夢のあるビッグプロジェクトを次々に打ち出せたからだ。
ある人は許のことを「空想のディズニーランドをつくる天才」と呼んだ。
長い拘置所と刑務所の生活のなかで、筆まめな許は、いろいろな人に事業への思いと夢を語り続けた。最近のテーマはエコだったといい、環境問題とその事業化を聞かされた人は少なくない。
冒頭の発言のように、北朝鮮ビジネスにも手を広げようと考えているのだろう。かつて許は、イトマンと韓国財閥の大宇(1999年に倒産)との間で合弁会社を設立して、北朝鮮の石炭や砂、農水産物を韓国に輸入するビジネスに乗り出そうとしたこともあった。
浪速の怪人が、最後の大仕事を仕掛ける時が来るかもしれない。 ※週刊ポスト2013年1月1・11日号