2009年05月
朝日ニュースター【パックインジャーナル】は、毎回書いているように、
麻生さんを罵る事と、民主党の大応援のワンパターンの番組なのですが、
今回はちょっと、朝日コメンテーター田岡俊次氏の北朝鮮問題の解説と、ネクスト防衛大臣・浅尾氏への非難轟々が面白かったので、ざっと要約してレポートします。
愛川氏の嘆きが凄かったので、ひょっとして大問題??
まず今回は、田岡氏の分析だけ抜き出します。他の人がお口ポカン状態でも喋り続けてました。
何度か愛川氏に遮られたにもかかわらず、独走気味でした。
「中露の二年に一回の共同演習は本来、7月に内モンゴルでやるはずだったのを、わざわざ朝鮮国境に近い吉林省でやることにした。しかも『国家と地域の不安定化が進む中で異変に備えた中露の計画を検証する。』作戦、これは明らかに北朝鮮のこと。」
この演習の内容を見ると、北朝鮮の異変が起きると、すかさず軍を送って、介入をして、(装備を見ると、)撃破して、ピョンヤンを占領して、まず核施設を押さえ、核の拡散を防ぐ。同時に民政の安定を図って、食料を配って、難民が出ないようにする。
これは、アメリカ・韓国の5029という作戦計画を持っていて、それと全く同じ。」
「中国は本当の(北朝鮮)傀儡を作ろうとしている。昔の中国と朝鮮の関係みたいに。」
「朝鮮っていうのは、李王朝って相当に酷い政府だったけど、だけど革命を起こさない。だからイギリス人のイザベラバードなんか、調べてどうにもならんと早く日本にくっつくしかないと(笑)。日清戦争の前ぐらいに。これ酷いと。だから革命を起こすほどの気概が無い国民。
どっちにしても、北は核を離さないから、中露米韓がバッと入ってガーンと。
米韓の作戦と中露の作戦はすり合わせが済んでいるんじゃないか。朝鮮戦争の戦争状態に入ったって北は言ってるんだから。これは戦争ですよ。
もう、瀬戸際外交は使えない。革命は無いけど、暗殺はあるかも。
日清戦争までは中国の属領みたいなもので、伝統的にそうだから、中国人にとっては北を、自治領みたいな形にして、昔の姿に戻るわけ。日本が勝ったから下関条約で、独立出来ただけ。あれが拙かった。」
日本の核武装が無意味だと議論した後、、愛川氏が「日本は唯一の核被爆国だから、もう核には関わりたくない。北の本当の相手は中国じゃないか。」「メディアは、怖い国北朝鮮、だから日本はこうする(武装)するという短絡的。現実的な物の見方をしない。感情的」とのこと。
「アメリカは、北朝鮮が核実験をして何が心配かって言うと、日本がNPTを離脱して核装備をすることが最大の心配。」
「ノドンに乗せる核はとっくに持っている。多分6発分。日本にとっては脅威」
以上、感情は一切入ないという、冷静な田岡氏の分析でした。
田岡氏の分析だと、この夏には朝鮮半島でなんかあるかも~です。
でも、中国がやる気あるのか、疑問です。 まっ、直にわかりますね。
「防衛計画大綱 自民党案のまぬけ」のコーナーでの、ネクスト防衛大臣叩きは、
次回へつづく・・・
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前記事に引き続き、しつこく勝手に「とてつもない日本[E:shine]」シリーズです。
フランスの番組ですが、面白いです。
ゴスロリは、うちの娘も高校の頃からやっているので^^;、余計スイカちゃんとシュウちゃんに親しみが沸きました。
ゴスロリ知らない大人の方・・・こんなのです。[E:downwardleft]
ジャパンエキスポは、うちの子も絶対行ってみたいと言ってます[E:coldsweats01]
それにしても、フランスの若者の日本への憧れ・・・スゴ~イ。
それもこれもマンガ・アニメのとてつもないパワーのお陰です。
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日本のマンガ・アニメは、日本人が考えてる以上に世界に広がっています。
日本が誇るソフトパワーです。←麻生さんの受け売り。
【ニュースZERO】で特集していた動画です。鳩山代表に教えてあげたい(笑)
ドラゴンボールおそるべし[E:shine]
で、問題なのは、韓国・中国のマンガに対する熱意が国を挙げて凄いこと。
以前にも書きましたが、有名な京都の精●大学の漫画学科とか、日本漫画●という専門学校とか、
あっちから留学生もかなり受け入れてます!
つまり、ソフトパワーの戦略をそろそろ真剣に考えないと、この貴重なソフトパワーの資源も侵略されるかも!ってことです。
だーかーら、国営メディア芸術総合施設がいるってこと!
マスコミや民主党が言っているような、国営マンガ喫茶!?やアニメの殿堂!?なんてちゃっちいのじゃダメですからー。
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昨日、リアルタイムで党首討論を観ました。
麻生さんは堂々として、鳩山さんは、時折声が震え、緊張しているのかなぁという感想。
飛んでくるヤジにもカッとなったり、西松のことで気色ばんだり・・いっぱいいっぱい。
時々なみだ目っぽくなってたし。
特に麻生さんに「具体的に」と言われて、ナントカ小学校のボランティアの話をした時と、「一心同体と言っていたのに、代表になっちゃってるし、アノ本人(小沢)は代表代行になっちゃってるし」みたいな事言われた時は、ちょっとヤバかった。
うちの娘、「総理、切り替えし上手いっ!!!」と言って手を叩いてました。鳩山大臣(弟)の爆笑シーンもバッチリ映っててウケました。余裕のある麻生さんにが頼もしく見えました。なのに・・
テレ朝の【スーパーJチャンネル】では、小宮悦子アナがいきなり「麻生さん、緊張してましたね~」
解説の人は「麻生さん、ちゃんと答えてない。逃げてた。」「鳩山さん、上手いことやるなぁ。」みたいな感想でまとめてた・・なんでそうなるのーー
全部観た人は、麻生さんの余裕っぷりと、鳩山氏のなみだ目の比較がわかると思うけど,編集されたニュースと解説だと、ああなるんだ。。。ふ~~ん
やっぱりマスコミのチカラはすごい。魔法をかけて真逆にしちゃうもんね。
まぁ、観てる分には、小沢氏より今回の討論の方が面白かったかも。
とにかく定期的にテーマを絞って党首討論して欲しいです。「友愛政治で北朝鮮は核放棄してくれるの!?」とか「日本列島は誰のもの!?」とか討論して欲しい(笑)で、絶対絶対全編見るようにしましょう。
ところで、鳩山代表の言ってた「アニメの殿堂」←(国立メディアセンター(仮称)のこと) が、漫画喫茶なので、民業圧迫って・・
アニメの殿堂じゃないし、マンガ喫茶じゃないし・・よく知りもしないで喋ってるし・・
前記事に書きましたが、
石坂啓は、「漫画家の仲間で好意的な反応をした人はいない」 とのことですが、
あの里中満知子先生は、ご自身のオフィシャルサイトのなかで、(仮)国立メディア芸術総合センターが「国立のマンガ図書館」とか「アニメの殿堂」等と世間で誤解されているようなので危惧しております。(続きへ・・)
との見解です。すっごく分かりやすいので、是非とも絶対に読んでみて下さい<(_ _)>
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石坂啓さん、この人漫画家だそうですが、私は一度も読んだ事がありません。
私が知っているこの人、朝日系のワイドショーで反日・反政府・反麻生のねちっこーいコメントをする人って感じ。
関西ローカルの朝日テレビ【ムーブ】という番組でレギュラーだった頃から、滅茶苦茶偏った人だなぁと当時一番気持ち悪いコメンテーターでした。
今は、テレ朝【やじうまプラス】で、アノ北野誠氏の後釜で、徹底して反政府発言を繰り返しています。
以前にも紹介しましたが、、朝日ニュースターの【痛快!おんな組】で、こんな狂った発言!!
そして、「週間金曜日」のサイトでは、こんなこと言ってます。
今はもう「戦時」だと私は思っています。もはや前の大戦の「戦後」でも次の戦さの「戦前」でもない。この国は新しい戦争を始めつつあります。
反戦ビラを配った人が逮捕され、「君が代」を歌わなかった教師が処罰される。「従軍慰安婦」も「南京虐殺」もなかったこととされようとしている。
角を曲がりきったあとでその方向をもとに戻すことは相当に困難です。しかしこの上憲法から「平和」を捨てるわけにはいかない。連携しましょう。「金曜日」にはまだその場があります。
それにしても、すごいメンバーですね・・・(苦笑)で、私が何が言いたいのかというと、コレです。
民主党は26日、09年度補正予算案を検証する勉強会の初会合を開き、漫画やゲームソフトを収集、展示する「国立メディア芸術総合センター」について、意見陳述に招かれた漫画家の石坂啓氏が「漫画家の仲間で好意的な反応をした人はいない」と述べ、計画の撤回を求めた。石坂氏は、無駄な公共施設と批判された職業体験施設「私のしごと館」を引き合いに「同様のつまらない施設になるだろう」と指摘。
漫画家の仲間でと言われてますが、日本漫画化協会 やなせたかし理事長は、こんな風に言われてますが・・私は、「アンパンマン」が大好きです。
今朝のテレ朝やじプラでも、やくみつる氏が「(国営マンガ喫茶)潰しにかからないといけません」と言っていたので、この人は仲間かぁ~(笑)民主党が、この人(石坂啓)を招いた時点で、アレです。テレビ朝日と民主党と反日コンンテーター、強力なタッグですねっ。
ブログ内関連記事 「巨大国営まんが喫茶!?」
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このシリーズのまとめです。ますます訳のわからない話になっています💦
-スタジオへ戻り、再び井戸端会議-
中山千夏「へー私、知らなかった。最後の勅令って! 永さんご存知でした!?」
永六輔「いや知らなかった。恥ずかしい」
朴慶南「すごいでしょー。」「(前日でしょ??)そう5月2日で、憲法が次の日5月3日」
中山千夏「汚いねーーーー。やることが!」「酷いやり口だね。」
永六輔「分かりやすく話してくださった・・・恥ずかしいです。」頭を下げる。
中山千夏「そんな、、永さん恥ずかしい!?」
永六輔「恥ずかしい。」
中山千夏「あ、ホント・・・日本人だと思ってんだね。(笑)」「私、そういう意識が薄いから、なんて汚ねえやつだと(爆)」
姜徳相「あの時に、外国人に登録、、で、選挙権について、在日の団体はあまり反対しなかったんです。
いやその時はまだね、日本から早く押し着せられた日本を脱ぎたい!それから独立する!だからこの国に長く居ない。そういう植民地時代のなんていうのかなぁ、精神的な虚ですね。あるいは日本に対する、もう嫌だというね、こういうものを、、こん時の役人は賢いですよ。良く知ってたんです。だからこの時にやっちゃえと。
彼らはあんまり反対しない。だけど実際にその後の状況は戦争が起こったり、分断したり、帰れなくなる。でどんどん差別が厳しくなるんで、日本国籍を持っていたら良かったなぁというような人も出てくる訳ですよね。
だから私はサンフランシスコ条約の時に、日本は国籍選択のね、自由っていうか、その時に手続きをきちっと踏んでいたら、日本という国が品格という形でね、どうこう言われることはなかったんだろうなぁと今は思っていますけどね。
サンフランシスコ条約以降それはやらないで、そのまま推し進めてきて、日本人になりたかったら帰化しろ!とこういうことだけでしょ!?
だけど帰化というのは一旦国籍を私ら押し付け、強制されて、で、また剥奪されて、で、また帰化をする。これはねぇなかなか心理的にね、そう簡単に帰化をしたいという気には、まっ少なくとも1世はいかないと思いますよ。」
辛淑玉「今ね、六世まで生まれている訳です。私の知ってる範囲で言うとね。
でもその六世まで産まれている子達が、未だに外国人として扱われるわけね。
だけど、考えてみたら、私達の世代はそうだけど、もう母語というと日本語なわけですよね。だから自分たちが何者かって知るのは、国籍と名前と差別なのね。これで自分たちの、、えっ私、なんなんだろうっていうのがね、作られていく。その意味でいくと色んな形でね、日本と韓国や日本と北朝鮮の関係がこうちょっとでも歪みが出ると、もう同じパニックが繰り返されるじゃないですか。なんか学習してないなぁって感じがするんですが。」
朴慶南「なんか、韓国のドラマ・俳優さんとかにみんな興味があっても、すぐ身近にいる在日の存在になかなか目が行かないというか、在日の問題とかね、歴史とかね。」
辛淑玉「だって在日もみっんな同じように、税金も何もぜっんぶ義務は負っているって事も知らないもんね。」
朴慶南「それで、選挙権、えっないの!?とか、驚かれるもんね!」
中山千夏「だから、私はたまたまね、社会運動の事とかね、するようになったから、えーーって知るようになったけど、
それまではね、連れて来られたって言うことも、私の世代の日本人は習ってないから、周りの大人たちがね、勝手に日本に来といてね、嫌だったら帰ればいいんだとかいってると、えっ勝手に来たのかと思ってた程度のことだったからね。随分大人になってから学んであっ連れて来られたんだぁっていうようなこととか、
で、勝手に来たにしたってね、他の国からも今来るじゃないですか、仕事に。そうするとそういう人たちを排他的に扱う傾向が我々にはあるけれど、あれいけないと思うのね。
だって日本人だって、貧乏な時代にはね、国全体が、お金稼ぎによその国に行ったじゃないですか!だからそれは人間の常で、稼げるところに行きたい。で豊かなところに住みたいって思うことは誰だって思うことなんだから、国を越えてそれがあって当たり前だと思うんですよね。それを差別しないような法律にしたいですよね。永さん!」
永六輔「この番組に注文つけていい!?あれだけの資料あれだけのことを分かりやすく解説してくれた場所。地図、地図、地図」
場所の説明 (在日韓人歴史資料館ホームページ)
辛淑玉「あのー、ハッキリいいます。小さくて同胞達の手で造られたものなんですね。
本来だったらこれは韓国の政府も日本の政府もキッチリと資金を出して、そして歴史の清算として在日そのものが歴史の清算がなされてませんから、その為に私は作るべきだったと私は思うんですけど。」永六輔「思います!!」
姜徳相「維持するのに、やっぱり公的なね資金が入ってくると、大変やりやすいと思いますけどね。入ってないです。ですから大変、職員も嘱託がふたり。・・・」
中山千夏「永さん今度行きましょう。」「行こう!!」
辛淑玉「是非行って。それからたくさんの資料もどんどん集めないといけないしね、一世の先輩たちが生きている間にね。」
中山千夏「ちゃんとやっておかないと、日本人、、日本の状況についてだって、日本の若い人達、どこと戦争したのか知らないって(笑)」
・‥…━━━・‥…━━━・‥…━━━
中山千夏、思い込みなのか、ワザとなのか知りませんが、間違ったことも堂々と言ってます。途中で「(日本へ)勝手に来たにしたってね」と軌道修正してますが・・(苦笑)
韓国側などでは、「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせる目的でつれてきた」などとしているが、1959年の日本政府の発表では在日朝鮮人の総数は61万人だが、徴用労務者で在日朝鮮人となったものは245人で、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって残留したものであると明らかにしている[3]。1946年3月までに在日朝鮮人のうち140万人の帰還希望者が日本政府の手配などにより朝鮮に帰還している[3]。「現在の在日朝鮮人の大半は戦前または戦後になって密入国した人々である」という説もある。(ウィキペディアより)
もう、これはテレビ脳の人で無い限り、常識ですよね。韓国からのアクセスも入っているので、これはキッチリ書いておきます。調べればすぐ分かることです。
今回、在日の番組ということで、冷静に客観的に観ようと、活字に起こしながら考えながら何度も観ましたが、全然理解できませんでした^^;
もし私が・・と考えた場合、愛する祖国に絶対這ってでも帰ると思います。
嫌いな国には絶対に居たくありません。
戦争は、日本人も悲惨でした。敗戦して焼け野原になったのです。朝鮮人は敗戦国になるのが嫌だったと言っていたし、その後は国が独立したのだから、日本で外国人扱いになったのは当然の流れなのでは!? 百歩譲って、戦争になり分断されて帰れなかったというのもその時代の流れ。
そういう大きな時代の流れだったのだと思います。
歴史を語るのはいいけど、「もし、あの時こうだったら」とか、言ってももうしょうがないのではないでしょうか。
それにしても、中山千夏・・・恥ずかしい日本人。「なんて汚ねぇやつ」って、勅令を出した方のことを言っているのなら、日本一のアホです。
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再び、『在日韓人歴史資料館内の映像』と姜徳相氏によるの説明です。
「●これは博多。これ復員兵です日本の。
この復員兵が降りた後に、朝鮮人がこの空船に乗って帰る訳ですね。
ですから最初日本政府は朝鮮人がこれだけたくさん連れてきたのに、計画的に帰そうという計画が何もなかった。
ですから、空船が帰るよということで、皆港に集まるわけです。
ところが船がこの人たち半年くらいの間に250万位帰るんですよ。ですからなかなか乗れないんですよ。で、乗船待ちのために下関・仙台・博多、これはもう朝鮮人で埋まるんです。
ところが宿屋がないんですね。
ですから道端で寝る。
で、当然ご飯を食べる、排泄がありますよね。施設がないんです。
だからもう本当にね、大変な生活を一ケ月も二ケ月もやる中に、病気になって死んだやつも出てきたりね、対策が無かったです。」「●これ、戦後の状況ですが、この旗は韓国の国旗です。だけど良く見てください。これはね元は日の丸なんです。日の丸を半分色を塗って、、これもそうです。最初はみんなそういう形で大極旗が再生するんです。」
「●これは民族教育です。
民族教育ってのは、やはり1945年まで朝鮮語を教えるってのは犯罪なんです。
砂川刑務所行きです。
だけど、そりゃもう言葉っていうのは民族ですからね。
皇民化政策では、常に反抗するものという形でショハン?)されるわけですけど、在日が60数年の歴史の中で、戦後の、一番力を尽くしたのは教育。で、それは奪われたものを取り返すという、そういう事だと思いますね。
だから子供たちに民族を吹き込むというそういう為に、学校が出来るのはね1946年9月。
一番先に出来たのはね、今の高田の馬場。ですから、早稲田の方に行くと、明治通りとぶつかってるとこありますよね。交差点。
スワ町っていうんですね。そこにお寺があったんです。お寺の一角で始まったのが、民族学校の始まりです。そして一年の間にね、全国に広がります。そして最大525校、中学校は4校、まだ高等学校は出来てなかったと思いますが、青年学校14校、そして48年には高等学校も出来るんです。で民族教育が、、で学生数が6万人。」「●で、この時に日本政府がやったことは、朝鮮人は日本人と同じであると。だから日本人である以上、義務教育は日本の学校に通わなければならない。こういう変な理屈をつけて、これを潰すんです。
●これが48年朝鮮人学校事件という大騒動になった事件です。だから日本政府は戦後、一番先にやったことは、、朝鮮人は日本国籍持ってましたよね。
で、貴族院にも衆議院にも議員を出してます。日本にいる朝鮮人は選挙権があったんですね。市会議員は多分かなりいた、、地方議員は。ところが、45年の12月の衆議院議員改正法これを作ると当分の間、朝鮮人は選挙権、、戸籍法の適用を受けざる者は、当分選挙権を停止するという変なことで、選挙権を奪うんです。
で、サンフランシスコ条約までは日本国内にいる朝鮮人は日本国籍なんです。法的にもね。
ところがそうやって終わります。その事はね、何でこういう事をやったのかというと
当時、日本政府が無条件降伏の際に例外をひとつ付けました。『国体の護持』これを条件にしてましたね。そしてこれは天皇制の問題です。で、米軍はそれについて確約も何もしないで占領しました。
だけど、対日理事会ってのが、アメリカだけでなくて、ソ連もいたし、イギリスもいたし、オーストリアもいたし、オランダもいた。そういう中で、中国もいたし、一致できなかった。
で、天皇制が維持できるかどうか分からないっていうんで、色々難しい問題があったようです。その時にね、日本の議会から天皇制廃止を言う議員が出たのでは身も蓋も無い。そういう意味での緊急避難。
当時の朝鮮人、200万人位いましたからね。単純計算しても議員は5,6人出るんです。だからその危険を切ってしまえっていうのは、どうも真相のようです。これは京都大学の水野ナオキさんって方が、あの時の強制文書??ですかあれのを調査した結果、そういう風に言っておりましたね。
●ですから、都合が悪いのには外国人ですね。で47年の5月2日に、覚えといてくださいよ。
外国人登録令ってのを出すんです。外国人登録令ってのはね、最後の天皇の勅令です。新憲法が出来ると国民主権ですから、国会の法律じゃないと日本の法律はないんです。
だけど戦前の法律は国会の法律より天皇の命令が優先するんです。これを勅令と言いますね。この最後の勅令が外国人登録令です。そして当分の間朝鮮人は外国人とみなすというわけです。そして翌日の新憲法には国民はこの憲法の、、享受出来ると。(私は)外国人ですからね、憲法の適用外。勝手な事をどーんどんやってくるわけです。
●だから、戦後特にね、サンフランシスコ条約以降、日本は戦争被害による、、あるいは国の政策の過ちによって受けた多くの犠牲。これに対して60いくつかの補償法案を出します。
一番いいのは遺族年金。色々あります。障害者年金とかね。全部出来る法律には、但し日本国籍を有するもの。朝鮮人は全て除外されます。これが、これが戦後の差別の始まりです。で、この事はね、どういうことを意味するかっていうと、戦争中は朝鮮人に戦争協力させるでしょ!? ですから法律の上においてはね、差別はそれほど酷くないんです。階級も同じだったし、選挙権もあったしね。要するに出来るだけ日本人と同じ。法律の上では。
差別と法律は違うんです。ああ偏見は違うんです。日本人は朝鮮はけしからん国だ。日本にいつも不平を持っている。という偏見はあります。クサイとかね。ニンニククサイとかね。そういう偏見はあります。だけど、法的にはそれほど差別は出来ない。
ところが、戦後になると偏見はそのままあるわけでしょ!? 偏見持ったヤツが差別をもった制度を手に入れるわけですからね、これはもう酷いもんです。
戦後は、私の実体験からいくと、朝鮮人はもうほんとーうに大変でした。ほっんとうに大変でした。それはもう本当に実体験です。
はい、戦後は皆大変でした。純日本人もそうです。私も祖母や伯母達に聞かされました。
客観的に理解しようとしてみても、敗戦したのだから、日本もいっぱいいっぱいだったと、容易に想像できます。
日本政府も戦中は朝鮮人を、同等にしていたし、戦後、朝鮮は独立したのだから、外国人になるのは当然だと思うのですが、なんで、日本の天皇制や天皇陛下の勅令にまで不満を言うのか分かりません。
次は最後のレポートですが、ますます訳のわからない主張です。
・・・つづく
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中山千夏「これ、去年お出しになった本ですね。写真で見る在日コリアンの100年。(来年がね丁度100年になる)
さっき、ちらっと見せていただいて、凄くビジュアルのとってもいい感じの本」
朴慶南「資料もね、今発掘したり集めたり残してってる。」
中山千夏「貴重な資料がいっぱい載ってますねぇ。」
朴慶南「力道山も写ってますね。」
中山千夏「あたしが子供の頃、、懐かしいですよ。」
姜徳相「玉の海も載ってます。」
.
辛淑玉「外国人初の力士、横綱っていわれると、いつも曙とかが出てくるけど、本当は玉の海。」
朴慶南「だから、力道山も朝鮮人であることを、、最近は慣れているけど、当時はタブーでしたもんね。日本人のヒーローになってたもんね。」
姜徳相「玉の海は自分では最後まで隠してましたけどね。
お兄さんがね、韓国で「ヤクザと横綱」って本を出したんです。それで自分の弟のこと書いて、だからこれはまぁいいだろうと言うことで出したわけです。」辛淑玉「あの私、日本各地に仕事に行くと、男女共同参画なんかに行ってもですね、高齢の男性がポツッと座っている時があるんですよ。全く会場にそぐわない人が会場に来ているんですね。100%在日の先輩。
それで、終わってから大体皆親戚だって言って来てくれるのね。まぁそんなもんですよ。
それでね、今でも記憶に残っているんですけど、名古屋の駅をねあれを、あれを建てたのは私達だって、言ったのね。で、つまり枕木一本朝鮮人って言われてて、いろんなとこのね、小さな村に行っても、女性の色んな講演会なんだけど、お爺さんが来てるっていうと、もう在日の先輩なんですよね。」
中山千夏「主題のね、関東大震災の時の話をお聞きしたいんですけど、私驚いちゃうのはね、驚いちゃうって言うよりこれは考え違いかなってお話聞いて思うのは、一番デマの恐ろしい例としてね、
民間にデマが飛んで、それが大事引き起こす一番良い例という風に何となく思ってきたわけですよ。それで限りなく軍隊が果たした役割とか政府の意図があったというようなことは、我々知らなかったんですね。そうなんですか!?
朴慶南「資料を姜先生が発掘されてその辺を明らかにされてるんですよね。」
姜徳相「これまだ、私の考えですけどね、みんながそれをそうだと言っているわけでは無いんですが、
流言蜚語ってのは、出方はね、日本人の朝鮮人に対する差別的な感情、これみんな持っていたんで、それがこうあの時の朝鮮人、爆弾投げるぞという形で出たんで、民間から出たんで、それを警察がキャッチしてやったんだと。(それが一般に・・・)
だけどね、実際はそうじゃない。まだあの頃ね、朝鮮人、東京付近関東一円に二万人くらいしかいませんでした。で、皆、労働現場です。ハンバにいる、そういう季節労働者が多いんです。
ですから、今のように隣に朝鮮人が住んでいる。隣の朝鮮人の生活が臭くてしょうがないとかね、そういうアレがあまりないんです。まだこの頃は。
ですから、一般の人が、色々聞いたり読んだりそういうことでは知っていますが、朝鮮人そのものをあまり認識していないんです。」中山千夏「あーー、反感を持つほどにも親しんでいないという、、」
姜徳相「ですから、それよりもっとね、朝鮮人は怖いぞという認識を持った官憲がいるわけです。それを商売にしている。
それは何かというと、やっぱり朝鮮の併合あるいは朝鮮の併合過程までに、日本という国家がかなり酷いことやっていますよ。朝鮮に。まぁ実際私は宣戦布告無き戦争と言っていますが、何人も殺しているんです。
だから朝鮮人が日本国家に反感を持っているっていうことは、彼らは十分よく知っているわけです。だから警戒をする。注意をしてる。日本に朝鮮人が来るとそれを視察する。管理するということを商売としてる人がおるわけです。恐らく私はそこから来ていると思うんです。
ですから、地震で権力がガタ落ちするでしょ。警察力は40%になりますよね。で、治安の維持が出来なくなるこうなった時に、まず彼らは何を考えたかって言うとあそこの朝鮮人気をつけろと必ずそう言うはずです。」
辛淑玉「丁度その前に3.1の独立運動がありましたからね。その意味で社会をコントロールする危機感を持ったということですね。」
姜徳相「ええ、3.1以後、ある面では朝鮮の独立運動と日本の軍隊とが直接こうやっているわけです。満州やシベリアでね。ですから、満州、シベリア帰りはみんなそういう経験しているわけです。朝鮮、怖いというね。
ですから、恐らくそういうものを複合したかたちで、戒厳令がまず出されるでしょ。戒厳令ってのは、軍隊が最高の権力を持った時です。ですから、剣付き鉄砲を持った兵隊が、街角に立っているときに、大っぴらに殺人事件があるわけでしょ。それがだめだって言うのが良民で殺すなって言うんだったら軍隊がやめろと、やれば自警団ハハァーとかしこまりますよ。それは。」
中山千夏「そうですよね。戒厳っていうんだから、みんなちゃんとしろって事ですから、人殺しがあったらやめろって言うのが普通ですよね。」
姜徳相「だから、逆なんですよね。軍隊が率先してやっていて自警団が民兵として協力するそういう形です実際は。」
永六輔「あのーお話うかがっているとよく分かるんですけど、最後に謝ってないって日本人が。謝ってない前に知ってないんですよね。
資料館があることは大事なんですが、知ってないって事についてひとつと、伊藤博文良いと思うの。僕らの世代でいうと。あの事件、、それはどういう風に思います!?」
辛淑玉「アンジュングンのですね。」
姜徳相「私はやはりアンジュングンがやったテロをした伊藤博文を殺した。こういうこというと不謹慎かもわかりませんけどね、自分の生存権をね、奪われた人間ってのはね、怖いですよ。だからもう何をしても良いというね。もう最後の行き場が無いですから。アンジュングンってのはそういう事だと思うんですね。
彼があん時に言ったのは、自分は朝鮮の義兵という、日本に抗議する軍隊です義兵中将という資格で伊藤をやったんだと言ってますね。ですから単なる武器を持って人を殺すというそういう人殺しではない。と思いますね。」
姜徳相「絵葉書を見つけたんです。五枚綴りのね。これ何かというとね、アンジュングンの、、今アンジュングン記念館、ソウルにありますよね。それがね植民地時代、総督府なんかが博文寺という寺を造っていたんです。(へぇーー)寺を造ってね伊藤博文をお奉りをしてた。ところが戦争が終わるとアンジュングンの記念館になった。建物良く似てますよ。同じですよ。
だからさっき言った民族の英雄。それから明治の元勲って言うね、博文とアンジュングン記念館とそこでも繋がってるんですね。最近それ見つけましたね、あっこういうものがあったと、ビックリしましたけど。」
辛淑玉「日本で伊藤博文さんのね、事紹介される時に、テロリスト、アンジュングンって紹介される。そして韓国では民族の英雄っていう形で評価されると。
で、どちらにしても非常に悲しいことですよね。であと、思ったんですけど、先ほどの関東大震災にしてもそうなんですが、韓国政府とか韓国の社会自身も、在日の戦前戦後の歴史って言うのは知らないですよね。」
辛淑玉「知らないっていうより知ろうとしないんですよね。」
朴慶南「関心が無いんですよね。もう全く。もう無いもののように思ってるんですよ。」
永六輔「資料館、ご案内くださいましたよね。
あの画面見てると日本語が多いんですけど、あの資料館は両方にもちろん行って欲しいんですけど、
日本人は相当マークしてるんです!?」
姜徳相「いえ、あれは三つ目的があります。
ひとつは在日の同胞たち三世四世になって、お爺さんお婆さんの時代を知らない人に来てもらって、匂いを嗅いで欲しいということ。
日本の方にはやはり、在日ってのは日本の社会で見えにくい社会でしょ。ですからここへ来ると隣に居た人はこういう食器も違ったし着る物も違ったそういう文化を持ってたんだという事をやっぱり見て欲しい。
そして日本の国際化ってのはどっから考えたら良いかっていうね、それをちょっと考えて欲しいという事。
もうひとつは韓国から年間日本に300万位、人が来ますよ。その人たちに寄ってもらって今韓国にもう無くなっているような物もこの在日の資料館にはあると。
そういうもので自分たちとルーツを同じとする人間が日本にこれだけおるんだという存在を知って欲しいという。これ三つあります。」
辛淑玉「では戦後の在日はどうだったのかまた資料館の中を旅してみたいと思います。」
・‥…━━━・‥…━━━・‥…━━━
ウーーン・・言いたことはいっぱいありますが、
まず、玉の海って人は、韓国系ハーフの日本人だったので、やっぱり曙が外国人初の横綱ということじゃないのかなぁ。 中央日報記事
姜徳相氏の意見は、確証があって言っている事ではないみたいですね。
それに、テロリストが韓国では英雄って、超変です!
あと、この辛淑玉氏は、「拉致は絶対にない。日本人はそれよりもっと酷いことをいっぱいした」と昔、日本テレビのワイドショーで主張していたのを観たので、信用できません。
次は、戦後の民族教育、戸籍問題等のレポートです。・・・つづく
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『在日韓人歴史資料館内の映像』と姜徳相氏によるの説明です。(地名がよく分からないのでカタカナにしてあります^^;)
「ここは船ですね。最初の頃に出航していた船ですね。済州島と大阪の間を往来した船です。
君が代丸って言います。航路は下関からレイスイ。博多からレイスイ。1920年代。1910年から朝鮮は日本領になるんです。それで、総督府という植民地としての地位になって、まあ従属した形です。
ですからその間に、朝鮮から日本に労働者として移動してくる。
あるいは戦争中には炭鉱などに強制的に労務動員される。そういう形で在日っていうのは作られているっていうことですね。」
「これ、大変面白い。朝鮮の北の方のタンゲってとこなんですけどね。ここからこうーー来て、東京までの汽車の切符です。42年ですね。昭和で言うと16年ですか。17年ですか。で値段がね、39円55銭。今の貨幣価値にして・・、あの頃、普通のサラリーマンの月給にして50円あったかなかったかじゃないですかね。」
「これはね、炭鉱ってのはすごく劣悪な労働条件ですね。保安施設も非常に貧しいわけです。
これは宇部っていう山口県の炭鉱で海底炭鉱なんです。海の下に石炭山があるんですね。
だから、陥没しちゃったんです。海が。海水がワッと入ってきてここの人は全滅をしたんです。
ところが、この鉱山はこの人たちを水をかき出して死体を取り出すと物凄く金が掛かるわけです。
で、この山はもう駄目なんだ。だから埋めちゃった。ですからここに居た数百人の人はまだ骨も回収されない。そのまま。その時の賃金の支払い票とか、その後の色んな捜査が行われているということですね。まだ死体はこの中にある。骨も回収されてないですね。そういうのが宇部の炭鉱の話で、大変に有名な話です。」
「これはね、1930年代の、多摩川の砂利採取の労働現場です。
そして今でも多摩川の川っ淵、チョウス、シチュウ、イナダ、ノボリト、南武線のツタヤマ、(※調布?、府中?、稲田、登戸、津田山)
あの辺は朝鮮人はとてもたくさんいます。その砂利採取をした人たちがあそこに定着した、それの子孫なんですね。」
「で、これ一日30銭で働いて。で、生活はというと極貧です。多摩川の川べりにあった彼らの住居です。」
「これがね当時の・・朝鮮人には家、貸さないんですよ。ですからやむなくね、こういう河川敷だとか、こういう基地を占拠して自分で家を建てる。これは朝鮮式のオンドルです。
これ炊き口ですね。円筒が向こうに通ってて、これオンドル小屋です。こういう家を建てました。
で実際に私もこういうとこに泊まった事がありますから。戦後暫くまで残っていたとこです。そこにはまさにこういう朝鮮性そのものの生活、が残っていた所です。」
「・・・これね、金持ちのおまるです。これ貧乏人のです。日本の住宅で、なんでおまるが必要かと思うでしょ。それはね、これで分かるんです。」
「これは、東京の朝鮮人部落です。これはさっき言った砂利採集ですね。でこれは豊島区・・今のカナメ町(※要町)の辺りです。西武線が通ってます。これです。池袋から次の駅の間に昔はあったんですね。これ見るとね、おまるが必需品って分かるんです。トイレと水道がないんですよ。全体の中に一箇所か二箇所しかないんですね。そうするとやっぱり夜は危険だから、トイレに行けない。そういう事が珍しくなかったです。だからどうしても、これが必需品だったということが分かりますね。」
「在日朝鮮人にとっては、忘れることの出来ない、すべてある面でトラウマと言っていいと思いますね。
関東震災です。もう日本政府は当時の偶然的なことで、一部日本人自警団がやったんだということで蓋をしちゃってますが、実際そうじゃないですね。
戒厳令を軍隊がしいて、朝鮮人が暴動を起こしてると。・・軍隊が真っ先に出て行くんです。そして警察がその軍隊を道案内して朝鮮人虐殺をする。
それに自警団が俺の町は俺たちが守ろうと言うんで、軍隊や警察に協力すると、そういう形での官民一体の形での体制が出来ている。これが真実です。これ軍隊ですよね。これは警官ですよ。警官は後ろで手縛って連れて来てますよね。そして自警団が日本刀や槍あるいは、とび口これでこういう風に殺している。民衆はこうやって見ている。
恐らくこれ隅田川なんです。エイタイバシの辺りには官憲の記録がちゃんと残っています。
朝鮮人を殺したっていうね。多分そうだろうと思います。」
「これは戦争中の日本人になれ。郷に入っては郷に従えと、日本風の生活をしろということを教え込んだ協和会。これ大阪本部です。」
「これがね、創氏改名の通信簿で、ちょっと話題になった資料です。これ見るとね、昭和15年度です。創氏改名なった年、1940年。そして、この人は3年なんですね。で、3年の時の通信簿、一学期はイ・モヨン、二学期は武田茂と、本名が消されて日本名になるんですね。で、創氏改名が日本でなされていると。私の記憶と全く同じです。私もこの人と同学年で、3年の時に二学期に担任の先生に教壇に呼ばれて、みんなの前に・こう言いましたよ『キョウ君は今日から神農に替わったから、みんなそのように心得て』そう言ったのハッキリ覚えてますよ。で、友達たちはアイツ養子に行ったのかなぁと思ったそうです。」
「これが1945年までの状況です。で、この虐殺の問題に関しては、未だに日本政府は一言も調査もしないし、謝罪もしないし、もう頬かむりした状況のままです。
そして、在日が・・よく朝鮮人怖いと言う人いますね。それはね、この時の流言蜚語からなんです。朝鮮人が爆弾投げた。火をつけた。強姦したというね。
これがね間違いだと言うことを日本政府、言ってないんですよ。未だに。あのやっぱりきちっとね間違ったことをやったならやったと、歴史の汚名の回復って言うんでしょうか、歴史的な濡れ衣を・・・きちっとしてくれないと困るなという感じがしております。」
歴史資料館内の説明はここまで。・‥…━━━・‥…━━━・‥…━━━
在日の人の生活と主張は、よく分かりました。
で、関東大震災時の朝鮮人虐殺数について、当時の政府(司法省)の調査では233人、吉野作造の調査では2711人、最も犠牲者を多く見積もる立場からは6415人(「独立新聞」社長の金承学の調査)と幅が見られ、(ウィキペディアより)韓国の教科書では、多い数をとっているそうです。
あの当時、閉鎖された中で、こんな情報がもたらされたら、皆パニックになるのではないでしょうか。
朝鮮人が暴徒となって放火していると伝える大阪朝日新聞(大正12年9月3日号外)
朝日ニュースター【痛快!おんな組】<韓国特集>のレポートです。(かなり長いし、画像も入れたいので5回に分けて書きます。
今回は、ゲストの姜徳相氏の生い立ち等の井戸端会議です。)
ゲスト:元一橋大学社会学部教授で現滋賀県立大学名誉教授で歴史学者、在日韓人歴史資料館館長の姜徳相(カン・ドクサン)氏
(関東大震災といえば姜徳相先生。二歳で渡日と紹介)
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辛淑玉「姜先生・・・一世??でらしたんですね。」
姜徳相「いえ、一世ではなんいです。向こうで生まれたと言う点ではね、二世です。ただ二歳で来てるでしょ。ですからふるさとの山だとか川だとか友達だとかそういうの一切ないんです。(ただ生まれただけ!?)そうです。私は東京渋谷育ち。そういう事です。」
辛淑玉「私も渋谷生まれ!(笑)。そうすると出産の為だけに韓国に戻ったのではなくて、産まれてすぐこちらに来たと!?」
姜徳相「そうです。1932年生まれですから、34年の12月にこっちに来てるんです。」
永六輔「(自分も)33年。同世代」
辛淑玉「歴史学者としてもたくさんの著書がありますが、姜先生は日本の戦前・・在日としての、あっ自分は在日なんだと、認識したのはいつ頃の事なんですか?」
姜徳相「もう、私のうちはクズ屋ですから、・・親方がいてね。うちの親父は親方なんですが、下に(??)がいてこれ皆同胞です。ですから周りの人と違うんです。クズの山がこうありますしね。隠しようがないですね。だからずっと最初から違うと認識は持っていたと思います。」
辛淑玉「お父さんとお母さんは日本語はどんな感じだったんですか?」
姜徳相「お袋は、日本語は出来ません。もう死ぬまで朝鮮丸出しの日本語でした。親父はね、外へ出て色々やるでしょ。ですからもう全然朝鮮訛りがありません。これはなかなか立派なもんです。」
辛淑玉「先輩世代で、日本の大学の教授になられるって事は、在日にとっては、物凄いキラ星のようなもので、その時に勉強したり学ぶって事は、姜先生の世代ってのはもう本当に難しかったですよね。勉強好きだったんですか?(笑)」
姜徳相「特に歴史ってのは、やっても何も就職とかね結びつかない。ですから私が歴史を学んだっていうのは、子供の頃は歴史、大っ嫌いなんです。どうしてかっていうと、必ず神武皇后・豊臣秀吉、日清戦争の樋口、・・広瀬中佐ね。そんなものが出てきて、その下には必ず朝鮮があるわけです。
だから加藤清正が虎退治っていうと、クラスのやつが皆見るんですよね。こう小さくなっていましたね。だから早く過ぎれば良いなって。
で、あの頃の教科書、神武天皇のおじいさんだったか・・雲の上に乗っているんです。先生に何で雲の上に落ちないんですかと聞きに行って物凄く怒られた。職員室へね(笑)。そういう事があって歴史は好きじゃなかった。歴史をやるようになって、これ、いつから始まったのかなって事を調べてね、二年前ぐらいに、錦絵に出てくる朝鮮で、神武皇后から始まるんですね。加藤清正の虎退治。 幕末明治にこういう考えが完成したんだなと。そういうことを本に書きましたけどね。それはあの時の非常に嫌な思いってのがあって、集め出したらそういう傾向がきちっと出てくるもんでね、面白かったと思います。」
中山千夏「お年頃からすると戦争が終わった時が(13歳)13歳ですか。それまでの学校っていうものはもう本当に、本当に嫌な教育の、ね。」
姜徳相「遊んでも、腕力は強かったですよ。ケンカでは勝つんです。口も達者でしたからね。だけど最後に『朝鮮人野郎!』で終わりです。もう勝負あった。」
中山千夏「絶対的なカードなのねー。」
永六輔「同世代の日本人として伺うんですけど、学童疎開はどうなさってたんですか?」
姜徳相「私はね、自分で疎開したんです。東京空襲があったでしょ。三月十日。四月の空襲のすぐ後に宮城県に疎開しました。集団疎開じゃないです。縁故疎開。」
辛淑玉「集団疎開と縁故疎開の違いはなんですか?」
永六輔「集団疎開は文部省が立派な大人になって戦争に参加できるように、学校ごと」
中山千夏「クラスの友達全員が一緒に。」姜徳相「それは、小学生、、私は中学生でしたから。中学一年から二年にかけて」「動員もしました。軍事工場じゃなくてね、二年ですからね、田舎でやったのは開墾。畑を耕して。」
永六輔「僕らの近くの被差別部落と朝鮮の人達は学童疎開に参加出来なかった。」
朴慶南「えー、そこに区切りとか差別とかあったわけですか」
姜徳相「うん、あった」辛淑玉「当時、周りには同じ在日の同胞はおりました!?」
姜徳相「はい、いました。女の子でしたけどね。私は二組であの子は四組なんですけどね。
で、金玉子(キムオッチャ)って言うんです。玉子(たまこ)さん。で、ガキどもが名前をね、キンタマキンタマってね。いじめるんですね。本名だったんです。その子はね。私はね三年の時に創氏改名した。『神農』の名前に変わって、だけど日本名に変わったけど、下の方の『徳相(トクソウ)』はね、変わらないんですよ。だから神農 徳相(シンノウ・トクソウ)ってのはね、担任が変わったりね、課外の音楽の先生とかね分かんない先生来るでしょ。出席簿見ると、まず名前の変な異常さに気がついてオマエどっから来たんだと。」
朴慶南「神農はなんで!?」
中山千夏「中国の神様ですよね~」姜徳相「神様の農ですね。姜氏はね元々族譜を見ますと、『神農しセイはキョウなり』というアレがあるんです。でそこから来たんです。で姜は大概、神農になるか、大山、神田。」
朴慶南「大体この苗字は、金なら金田とか、朴は新井とかね。なにか共通性があるんですよねぇ」
辛淑玉「私は辛だからシンさんシンさんで、新山になるんですよねぇ(笑)」
ここまでが序章です。最初の「二歳で渡日」って聞き慣れない日本語でした。学童疎開と縁故疎開の違い、知りませんでした^^;
確かに昔は、酷い差別があったかも知れません。うちの親も結構言う方で、子供の頃はそれがすごい嫌でした。
私は、この在日の人の話に限らず、戦時中の話とか戦後の生活の話とか興味があります。当時の苦労は現代に生きる私たちには想像もできませんからね。
つづく・・・
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次の記事は「在日韓人歴史資料館」内の様子と解説です。戦時中・後の朝鮮人の生活。炭鉱事故の事、関東大震災の時の事件、創氏改名などのレポートです。
◆レギュラー出演者 (順不同、敬称略)
辛 淑玉(シン・スゴ) 人材育成コンサルタント
中山 千夏 作家
永 六輔 放送作家
朴 慶南(パク・キョンナム) エッセイスト
境分 万純(サコウ・マスミ) ジャーナリスト
山根 春美 フラワー作家
◆ゲスト出演者 在日韓人歴史資料館館長 姜徳相