2015年03月12日19:30韓国の「国民的画家イ・ジュンソプ」氏と日本人妻、引き裂かれた歴史を超えて 【ニュースバード】

TBS系【ニュースバード】で、

「韓国の有名な国民的画家のイ・ジュンソプ氏と日本人妻と2人の息子の、引き裂かれた歴史」を日韓国交正常化と重ねて報じていたので記録しました[E:downwardleft](青字はナレーション)

韓国は、日本の「いわゆる植民地政策」は悲惨で・七奪したと(中には奴隷化したとか)主張をしているけど、

人さし指フツーに考えて、日本に留学できたり、日本人令嬢と結婚できる被植民地の人って・・

何をかいわんやだと思いますけどね。

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女子アナ今年は日本と韓国の国交正常化50年にあたります。往来がままならない時代に生きた日韓のある夫婦が、今、注目されています。」

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幸せそうな子供達や家族の姿。今は亡き、韓国の国民的画家イ・ジュンソプさんが家族を想い描き続けた物です。

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訪れた人「国籍や場所は重要じゃない。大切なのは心なんだなって、、」

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モデルは妻の山本方子さん。韓国でもあまり知られていませんでしたが、日本人です。そして、2人の息子。

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2人は[E:danger]日本の統治下時代に東京で出会い、終戦直前、方子さんがジュンソプさんを追って朝鮮半島に渡りました

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しかし、結婚から5年後、朝鮮戦争が勃発。貧困は壮絶を極め、妻子だけが日本に逃れました。当時、日本と韓国に国交はなく、妻子と一緒に暮らす事はありませんでした。

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家族を想い、煙草を包む銀紙に描いた絵は、ニューヨーク近代美術館に所蔵されています。


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パク・ミョンジャ会長「生きている間は絵も売れなかったし、絵では生活ができなかった。就職もできず家族を恋しがって亡くなった。」(現代画廊)

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「早く会いたくてたまりません。世に私ほど自分の愛妻にこれほど狂気的に会いたがっている男がまたとあるでしょうか。会いたくて会いたくて、また会いたくて・・・」

妻子と分かれて3年後、ジュンソプさんは栄養失調で亡くなりました。39歳でした。

一方、日本でも2人を描いたドキュメンタリー映画が製作され、去年の年末から各地で上映されています。

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山本泰成さん「長い長いポポを受け取ってください」(次男)
山本方子さん「ポポってキスのことよ」

山本方子さん「色んな事があって、、別に苦労とは思わなかった。あの頃はね」

妻の方子さんは、現在93歳。映画では、方子さんが避難生活を送った済州(チェジュ)島を訪ねています。

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山本方子さん「ありがとう」

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酒井充子監督「民族とか時代とか国っていうものを軽く飛び越え愛し合った。信じ合った。今、この時代に生きている私たちこそいろいろなものに捉われ過ぎているんじゃないかな、、」

当時、日本と韓国の国交がないことから往来が厳しく制限され、再び一緒になることがなかった家族。

映画を見た人「あの時代の手紙の数、思い 今の私たちには計り知れないものが、、」

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ジュンソプさんの死から9年後、日本と韓国は国交を結びました。それから50年。ジュンソプさんの目に今の時代はどう映っているでしょうか。

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以上

このイ・ジュンソプさんと方子(まさこ)さんを「引き裂いた歴史」は、韓国内の事情です。

少なくてもイ・ジュンソプさんが日本に戻っていたら、栄養失調で人知れず死ぬ事はなかったかと。

映画「ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~ というサイトに、もっと詳しいお二人の経歴・年表があったので確認右

第二次世界大戦のさなか、三井財閥企業の役員を父に持つ令嬢・山本方子は日本の美術学校で出会った朝鮮からの留学生イ・ジュンソプと恋に落ちる。空襲が激化し戦況が最終局面を迎えた1945年、方子は命がけで海を渡り、故郷に戻ったジュンソプのもとへ嫁いでいった。幸せな時を過ごしたのもつかの間、日本の敗戦後に勃発した朝鮮戦争の戦火と貧困に追われ、再び日本と朝鮮の地で離れ離れに。それでもふたりの愛は失われず、唯一の通信手段だった手紙は200通以上に及んだ。

アジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館〈MoMA〉に作品が収蔵され、遺された絵画は今や億の値がつく画家、イ・ジュンソプ。韓国では知らない者はいないジュンソプは、生前キャンバスも買えないほど貧しく、39歳で息を引き取った。彼が最後に会いたいと願ったのは、日本人の妻・方子だった。


監督は、『台湾人生』『台湾アイデンティティー』で台湾の「日本語世代」の取材を通して日本と台湾の解けない関係性を描き出し、ロングラン・ヒットを記録した酒井充子。最新作では、悪化の一途をたどる日韓関係を、一組の夫婦を通して見つめ直す。国家の対立が先鋭化した時代に、民族や政治、思想を乗り越えて信頼を築いたふたりの人生が私たちに問いかけることとは――。

【イ・ジュンソプと山本方子を通してみる日本・韓国近現代史】

※下線はイ・ジュンソプと山本方子の出来事 

1875年(明治8年) 江華島事件で日朝が武力衝突
1876年(明治9年) 朝鮮開国。鎖国状態にあった朝鮮は、日朝修好条規(不平等条約)を受け入れ開国する。
1894年(明治27年) 日清戦争始まる。
1895年(明治28年) 閔妃暗殺
1904年(明治37年) 日露戦争始まる 。                     
                    日本は朝鮮に日韓議定書を調印させ、駐留権と内政干渉権を認めさせる。                     
1909年(明治42年) 初代韓国統監・伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺される
1910年(明治43年) 日韓併合条約に調印。日本の朝鮮統治時代の始まり。
1914年(大正3年) 第一次世界大戦勃発
1915年(大正4年) 日本が対華21カ条要求を出す。
1916年(大正5年) 日本の植民地時代の朝鮮・平安南道でイ・ジュンソプが生まれる
1919年(大正8年) 本格的抗日運動「3.1独立運動」が起きる。
1920年(大正9年) イ・ジュンソプの父親が死去。絵に没頭するようになる。                     
                    [E:danger]梨本宮方子女王が李王朝に嫁ぐ。                     
1921年(大正10年) 神戸で山本方子が生まれる。三井財閥企業の役員を父に母と兄、姉妹の5人家族。父の転勤に伴い東京へ転居。                
1923年(大正12年) 関東大震災。死亡、行方不明、負傷者およそ14万、全壊建物およそ12万棟、全焼建物およそ44万という未曾有の大災害だった。
1931年(昭和6年) 満州事変                     
1932年(昭和7年) 満州国の建国を宣言、5・15事件で犬養首相暗殺
1936年(昭和11年) イ・ジュンソプ東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)入学                     
2・26事件が起きる                     
1937年(昭和12年) 日中戦争が始まる                     
イ・ジュンソプ、与謝野晶子らが創設した文化学院美術部へ移る。                     
1938年(昭和13年) 国家総動員法施行
1939年(昭和14年) 山本方子は府立第三高等女学校(現都立駒場高校)を卒業後、文化学院美術部で洋画とフランス語を学ぶ。その頃、2年先輩のイ・ジュンソプと出会う
1940年(昭和15年) 日独伊3国同盟に調印。                     
                    創氏改名始まる。                     
1941年 (昭和16年) 太平洋戦争勃発                     
1943年(昭和18年) ソウルで開かれた第3回新美術家協会展に出品するためにイ・ジュンソプは帰国するが、太平洋戦争が激しさを増したため日本に戻れなくなる。                     
1945年(昭和20年) 3月10日、東京大空襲。                     
山本方子は単身、危険をおして朝鮮に渡りイ・ジュンソプと結婚。元山(ウォンサン)で暮らす。                   
                   広島に原爆投下。ソ連が対日宣戦を通告。長崎に原爆投下。
終戦。                     
1946年(昭和21年) イ・ジュンソプと方子の間に第一子が生まれるがジフテリアで死亡。                     
1948年(昭和23年) ふたりの間に泰賢が誕生                     
1948年(昭和23年)                    李承晩初代大統領に就任。8月15日、大韓民国、建国される                   
9月9日 朝鮮民主主義人民共和国、建国される                   
済州島4・3事件起きる                     
1949年(昭和24年) 泰成が誕生                     
1950年(昭和25年)                    6月、朝鮮戦争が起きる。                     
1950年(昭和25年) 家族は船で釜山へ避難する。しばらく釜山の難民収容所で暮らす。                     
1951年(昭和26年) 家族は済州島の西帰浦(ソギポ)に移り住む。                     
1952年(昭和27年) サンフランシスコ講和条約締結                   
                   李承晩ラインを宣言                   
方子と子供たちが栄養不良に陥り、健康上の問題から日本行きの船に乗せる。韓国に残ったイ・ジュンソプは、家族宛に自筆絵葉書や絵を添えた手紙を書くようになる。                     
1953年(昭和28年)                    7月、朝鮮戦争休戦。板門店で休戦協定が調印され、現在の軍事境界線が敷かれる。                   
友人や方子の母親の尽力で日本での特別滞在許可を得てイ・ジュンソプは1週間足らず日本に滞在する。これが家族との最後の別れとなる。                     
1954年(昭和29年) イ・ジュンソプは帰国後、統営、晋州などで風景画を中心に創作活動に専心。方子は洋裁の手伝いや保険外交の仕事をしながら子供を育てる。                     
1955年(昭和30年) イ・ジュンソプはソウルで個展を開催。好評を博すも出展した銀紙画を春画とみなした当局から撤去命令がでる。この頃から栄養不良、拒食症等で衰弱。しばらく入院するが退院後は飲酒量が以前より増す。                     
1956年(昭和31年) 肝臓障害から飲食を拒み、友人たちがイ・ジュンソプを清涼里脳病院に入院させる。退院後、赤十字病院に移る。9月6日、誰にも看取られず息を引き取る。39歳だった。方子は夫の死を電報で知る。                     
1961年(昭和36年)                    朴正煕が軍事クーデターにより政権を奪取                     
1963年(昭和38年)                    朴正煕が大統領に就任                     
1965年(昭和40年)                    日韓基本条約により国交正常化                   
ベトナム戦争にアメリカ合衆国の承諾を得て参戦                     
1972年(昭和47年) ソウル現代画廊で遺作展が開催され、作品集が出版される。                     
1973年(昭和48年)                    新聞連載を経て、イ・ジュンソプの評伝が出版される。                     
1975年(昭和50年) イ・ジュンソプの半生が映画化される。「李仲變」が上映される。                     
1978年(昭和53年)  勳章が授与される。                     
1986年(昭和61年) 没後30年記念事業のイ・ジュンソプ展に山本方子が招かれる。                   
                   山本方子は現在、泰成家族らと世田谷区三宿で暮らす。泰賢も目黒区に在住。

イ・ジュンソプさんは、韓国では知らない人がいない有名画家という事で、「親日派だ!」と糾弾はされていないようですね。

日本人と朝鮮人の結婚・・そこから「差別」「区別」「植民地」というワードは全く思い浮かびません。

人さし指そもそも、日本は本気で内鮮一体しようとしていました。その証拠が韓国の李王家の処遇にあります右

《朝鮮文化遺産 百年の流転 (朝鮮王朝儀軌は何故日本に渡ったか) 前半 【NHK】》より一部抜粋[E:downwardleft]

・・・1910年、韓国併合と同時に発せられた明治天皇の詔書です。

李王家の人々について「皇族の禮を以って・・・」すなわち日本の皇族と同等に処遇するとしました。

その一方で王族、皇族という新しい身分を李王家のために作り明確に区別しました。

(中略)

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日本政府は李王家と日本の結びつきを強めていきます。併合に先立ち初代韓国統監・伊藤博文はコジョンの息子李垠(イ・ウン)を日本に留学させました。

10歳の皇太子に徹底した日本式の教育を受けさせることが目的でした。

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そして、併合後の1916年、イ・ウンの婚約が報じられます。相手は日本の皇族・梨本宮方子妃

日本と朝鮮が一体となる日鮮融和の象徴ともてはやされました。

日本と朝鮮を結ぶ皇室初の政略結婚でした。

この結婚を進めるにあたり、宮内省は李王家代々の家計図をはじめ、王朝に関する様々な記録を入手していきます。

調査チームは、[E:danger]この過程で朝鮮王朝儀軌が注目されていったのではないか と考えました。

(中略)

その後、日本政府は李王家の子弟を次々と留学させ、日本人との結婚を進めていきます。

イ・ウンの妹徳恵(トッケ)は旧対馬藩主宗家の伯爵と結婚。

リ・ウンのいとこ李鍵(イ・ゴン)は旧高松藩主松平家の令嬢と結婚します。

李王家を日本の皇族や華族と結び付けようとする日本政府。

朝鮮王朝の伝統や風習を理解しその記録を作るために儀軌を必要としたのではないか。・・・

日本の皇族と婚姻関係を結ばせたというのが、当時、差別を一切していないという証拠ですね。

 

そして、台湾との違いを渡部昇一氏が解説右

《『朴大統領演説の波紋と日韓外交"迷路"出口』、渡部昇一氏、小倉紀蔵氏の議論 (後半) 【プライムニュース】》より一部抜粋[E:downwardleft]

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渡部氏「アネクゼイションを言いたいのは。、当時のイギリスの文献を見ると、コロナイゼーション・コリアなんて何処にもなくてアネクゼイションだ

アネクゼイション(併合)が使われているのはスコットランドとイングランドの関係

だからイギリス人からみたら日韓はアネクゼイション。イギリス人から見たら儲けがなきゃコロナイゼーション(植民地)じゃない。日本はどう見ても持ち出しでやっていた。

完全なる植民地と違ってて、当然だと思う。

例えば、アメリカはハワイの王家を無くした。イギリスはビルマの王家の男は全部殺した。女性達はインド人に皆くれてやった。それがコロナイゼーションだ。

日本と韓国は絶対にコロナイゼーションではなくアネクゼイション。」

(中略)

渡部氏「僕は英語の教師だったので言葉に拘るが、韓国に対してはアネクゼイションだが、台湾に対してはコロナイゼーションです。

当時のロンドンタイムズなんか見ても、これだけの成功例のコロナイゼーションとして西洋諸国は真似すべきと。台湾は正式な王朝がなかったし、日本のコロナイゼーションは穏健だったので、10年後に世界の手本になるとロンドンタイムズが認めていた。

ところが当時の朝鮮には王朝があったのでアネクゼイションという違い。」

こういう認識を日本人は共有すべきです。 

人さし指という訳で村山・小泉・菅談話にあるような「植民地支配と侵略」なぞという文言は、

戦後70年・安倍談話にはゆめゆめ入れるべきではないと思います。

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この記事へのコメント

4. Posted by さくらにゃん   2015年03月15日 08:16
<p>●      さん<br />
>引き裂かれたって言っても日本がなんかしたわけじゃないし</p>
<p> はい、この画家は「朝鮮の混乱」で、日本に帰れなくなったという話ですからね。<br />
</p>
3. Posted by    2015年03月13日 16:30
<p>引き裂かれたって言っても日本がなんかしたわけじゃないし</p>
2. Posted by さくらにゃん   2015年03月13日 09:59
<p>●京ET さん<br />
>これ、見ました。<br />
何のためにこの放送?</p>
<p> TBSは、たまに韓国側の劇やイベントを「ニュース」という形で宣伝しているんですよ。<br />
例えば、在日の100年の歴史の劇を宣伝したり・・・<br />
《TBS系ニュースで、在日の演劇公演「百年 風の仲間たち」を宣伝? 【ニュースバード】》<br />
<a href="http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fc9a.html" target="_blank">http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-fc9a.html</a></p>
<p>>震災四年追悼式のその日に、ロシアへ行かれた方の心情と同様に理解できません。</p>
<p>  ホントいい加減にしてほしいですね。<br />
日本人を止めてほしいと心から願います。</p>
<p><br />
>南鮮で嫌韓書籍を読ませて感想を聞く・・・と言うのも良い企画だと思うのですが。</p>
<p> 良い企画ですね☆<br />
韓国の大学で研究して、日本人著者と徹底討論する番組とか面白そう。</p>
1. Posted by 京ET   2015年03月12日 21:14
<p>これ、見ました。<br />
何のためにこの放送?</p>
<p>震災四年追悼式のその日に、ロシアへ行かれた方の心情と同様に理解できません。</p>
<p> 反日・南鮮千歳の日本の大学等の南鮮人・在日教官がテレビや論壇で跋扈するのか?<br />
とてもおかしい嫌韓書籍がベストセラーになりながらも、それに反する書籍が出てこないのか?</p>
<p>そういうことを題材にしたら!</p>
<p>南鮮で嫌韓書籍を読ませて感想を聞く・・・と言うのも良い企画だと思うのですが。<br />
</p>

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